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2017年4月

2017年4月30日 (日)

ここが大阪のコリアンタウン

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豚足が盛ってある。値札は一つ150円。食べ歩きか、とんとん、売れている。とんな味かなあ。蒸し豚、蒸し鶏…チジミ、キムチ、焼き肉…、韓国食材なら、まあ、なんでもある。さすがコリアンタウン。大阪、JR鶴橋駅から南東へ10分、コリア、これは?~と歩いた。

 

 キムチなら大阪の鶴橋~と、よく聞いていた。一度と、思っていて、創作落語作家・Sさんの案内があり、初めて行った。狭いような、広いような鶴橋商店街を抜けて、コリアンタウン。通りの両側、店がびしっり、人も溢れて、こりゃあ~と思う。食の韓流ブーム、人気が出て、入口が神社近くのソカイ通りまで伸びている~とSさん。ソカイ、そうかいと聞く。

 

 「百済門」の扁額と「オイソ、ポイソ、サイソ」の横断幕。来てな、見てな、買うてえな~の日本語訳。平野川まで直線400㍍、正式には御幸通東商店街がコリアンタウン。ポカポカ陽気、いい気持ち…、どんなキムチがあるかな~と店を回る。タコキムチ、ニンニクキムチ、小松菜キムチ、らっきょキムチ…、みんな赤く染まって、さあ、どれに。Sさんおススメで山芋キムチ。帰りの電車、隣席の乗客が席を移動。匂う?、よう匂う。キムチわかる。

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2017年4月29日 (土)

土方歳三写真を展示で見る

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これで古写真?やって…、なんの、なんの、よう写っている。頭にちょん髷のない新選組の土方歳三さん、かっこいいなあ。若い、男前、りりしい。土方さん、攘夷派やけど、洋装姿の肖像写真、よそうとせず、撮っている。函館戦争の頃、明治2年、34歳の写真という。

 

 山手線、恵比寿駅を降り、動く歩道なのに歩いて、東京都写真美術館。いま、「夜明けまえ、知られざる日本写真開拓史」展を開催中。エビスガーデンのビアホールは後にして、3階会場へ。安政2年、ペリー日本遠征記から幕末の慶喜、春嶽、絵師・雪舟、それになぜか家康もあって、猿回し、傘張り、飴売り、各地の風景写真の中に近江八景・堅田の浮御堂も。

 

 全国から収集した近代日本始まりのプリント約370点。小さい古写真、一枚ずつ覗きこむように見て、チラシの土方さん、まだか、まだか~と、ふるい?にかけて、見つけた。函館市中央図書館から借り出し展示。土方さんの肩書は「函館市中取締 裁判局頭取」。撮影者は元徳川幕府の兵・田中研造さんという。どんなカメラか、ピントがピタリ。148年前のと古写真は思えない。五稜郭の戦い、政府軍の銃弾に倒れた土方さん、ニュー?と甦った。

 

 展覧会は5月7日まで。 ※ 京都新聞4月22日付け朝刊16面、美術ミュージアム蘭で記事掲載。

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2017年4月28日 (金)

今夜も並ぶ博多ラーメン、なんでかな?

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なんで、なんで~そんなに?と思うほど並んでいる。皆さん、どれほど待つのか、今夜も店の前はいっぱい。それも、外国のお客さんが多い。はるばる日本へ、そして、京都へ来て、どう聞いてきたんやろ。京都ならおばんざいもあるけど、ここのラーメンが評判なんやなあ。

 

 博多ラーメン、一風堂である。創業は1985年、福岡に始まり、もう30年。国内からNY、パリなど海外に進出、一部にも上場している。京都店は大丸北側の錦通り。最近、よく行くおでん屋「ハレルヤ」が入るビルの1階にある。は多くて、寄るに寄れないので、昼間も昼間、午後3時半に行った。さすがに空いている。すすっと、真ん中、カウンター席。

 

 注文、ためらいはない。赤味新味より、元祖の白玉元味。醤油とコンソメの和洋スープ、原点のとんこつラーメン。店内、空いていても外国人客、テーブルに2組、奥のカウンターに若い女性ひとり。白玉、熱いですから~と出てきた。スープ、あっさりしている。麺が見えない。写真撮り、中から引っ張り出した。ごめんな?。麺、モヤシよりも細い。チャーシュー、これは柔らかい。味、ラーメンはラーメン。今夜も並ぶのかなあ。ホワイ?~。

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2017年4月27日 (木)

漱石と京都、それと大山崎山荘

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ひょっとして、三川荘か、水明荘か…だったかもしれない。いや、回観荘か、空碧荘になっていたかも…。何せ、明治の文豪・夏目漱石が考えた山荘の名前である。一つや二つではない。竹外荘、冷々荘など、14も列記して、どれでもどうぞ~と、漱石は手紙に書いた。

 

 命名を依頼したのは、当時、20歳代だった実業家・加賀正太郎である。一橋大学を卒業した加賀は英国など遊学後、アルプスふうの山荘を京都と大阪の境、天王山の山麓につくった。その山荘の命名を京都に来た漱石に依頼。漱石は山荘から宇治川、桂川、木津川の三川が合流する景観を見て、三川荘などを考え、書き送った。漱石が49歳で没する前年である。

 

 今、山荘は持ち主の変遷を経て、美術館になり大山崎山荘。漱石から14もの山荘名をもらった加賀は、どれにもしなかった。来月28日まで開催の「生誕150年記念 漱石と京都」展。山荘名が並んだ加賀宛ての手紙が展示されている。漱石最晩年の手紙、初公開という。展覧会のチラシ、漱石が右手を頭に置いて、何か思考しているような写真と、左端に漱石直筆の一句。山荘の隣のお寺、宝積寺に思いを馳せた句である。「宝寺の隣に住んで桜哉」。

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2017年4月26日 (水)

大阪の鶴橋は日本最古の橋

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大阪の「鶴橋」、有名なこと、知っている? 焼肉、キムチ、風月…もやけど、もっとほかにあるんや。多分、わかんないやろうなあ。今は橋も川もないけど、日本最古の橋「つるのはし跡」がある。ここや、ここや、ここやでえ~の案内、そうか、ここかあ~と見て来た。

 

 京阪京橋でJR環状線に乗り換え、鶴橋駅。改札出て、鶴は2羽飛んでいる絵があり、鶴のひろば。闇市の名残り、迷路のような商店街を行く。お買い物は鶴橋で~羽を広げた鶴の看板、キムチランド、アリラン食堂など抜けて、元高校教諭で、いま落語作家のSさん(6?)は我が町の如く、先を行く。むかし司馬遼の親元、福田薬局もこの当たりにあった~と話す。

 

 駅から10分歩いて、「日本最古の橋跡」に着いた。大きな石碑と一緒に生野区役所の説明板がある。「最古」のお墨付きは、日本書記。~仁徳天皇、猪甘津に橋をわたす。この辺り小橋と名づく」の記述があり、かつて鶴がよく群れ飛んでいて、いつか鶴橋と呼ばれるようになった~という。猪甘津は猪飼野、今は桃谷。川は平野川。小野小町も、この地で一句詠んでいる。~忍ぶれど人はそれぞと御津の浦に渡りそめにし猪甘津の橋~。正しく最古!。

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2017年4月25日 (火)

大山崎山荘の花、花、花

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これ、いいんちゃう。三角屋根の山荘は緑の中、枝垂れたサクラはピンクで溢れている。下草は一面にシャガの花…、写真構成上、カツラの太い木と葉も効いている。まあ、いい感じで撮れているんちゃうかな。春の大山崎山荘の庭園、花写真の数々、自惚れ公開である。

 

 生誕150年記念「漱石と京都」展、副題に~花咲く大山崎山荘~。JR山崎駅で降りて、駅前からシャトルバスで行った。展覧会と花のダブル鑑賞。庭園は5500坪、まだ名残りのサクラがある。黄色のヤマブキ、ドウダンツツジの白、カリンの小さな花も可憐に咲いている。漢字で「御衣香」と書く里桜のギョイコウも、ボタンサクラも、まだ満開!、満開!。

 

白いホトトギスも、鳴かずに小さく咲く。庭園を歩き、花々を見て、デジカメをどう向けて、どう撮るか。スズランのようなドウダンツツジ。枝分かれの様子が、灯台みたいで、トウダイツツジが何時か、ドウダンに転じたとか。小さな吊り鐘みたいで、ググッとアップで撮ってみた。どうだい!。青モミジに赤い花弁が出て、白い雄しべ飛び出す。フワフワのボタンザクラと青いモミジのコラボ写真はどうか。うん、うん、まあ、よう、撮れているう~。

 

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2017年4月24日 (月)

立ち食い寿司、元祖は東京の新橋

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まあ、食いねえ~、江戸っ子だってねえ、じゃあ、立って食いねえ~。寿司の魚がし日本一は、立ち食いあり、江戸前あり。まあ、食いねえ~。1ケ75円があるんだってねえ~、そりゃあ、安い。すずき、うなぎの4貫セットは600円だってねえ。まあ、食いねえ~。

 

 立ち食い寿司は平成元年6月、魚がし日本一の新橋店が始まりという。本社は東京築地の「にっぱん」。今や赤坂、浜松町、五反田など東京都内中心に店舗拡大、昨年から大阪の中之島にも進出している。この大阪店へ、二度行って、元祖は新橋と聞いて、東京2泊3日の最後の夕方、どこかな、どこかな~と、GPSで探して発見、まあ、食いねえ~と入った。

 

 JR新橋駅、SL広場から西へ、迷わずなければ5分かな。外国人向けに「STNDING SUSHI BAR」と「元祖立ち食い」「魚がし日本一総本店」の看板。店内、立って12、3人かなあ。寿司は江戸前、何を頼むか。春の3貫王?さわら、ホタルイカ、誰に知らすか、釜揚げしらす。これに穴子、、生サバの握り。この店、立ち食い寿司の始まりだってねえ。へい、よく、ご存知で~。大阪で聞いてきた。安くて、旨いねえ。まあ、食いねえ~。

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2017年4月23日 (日)

篠田桃紅104歳「ある女主人の肖像」

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これが、今年3月、104歳になった篠田桃紅さんの作品なのか。美術館入って、エントランス正面、墨字の抽象作品が飾ってある。作品は1988年制作「ある女主人の肖像」。縦2㍍、横3㍍、大きい。もう一度、後ろに下がって、作品を眺めた。真ん中の墨字は「女」。

 

 篠田さんが昨年書いた「103歳なってわかったこと~人生はひとりでも面白い~」は重版を重ね、50万部を突破、年間ベストセラーに。▽日々違う。▽生きていることに、同じことの繰り返しはない。▽老いてなお、道なき道を手探りで進むーなど、人生訓が40項目も。篠田さん、独学で書を学び、自ら「墨象」という書の抽象作品を描き、内外の芸術評価が高い。

 

 虎の門、ホテルオオークラの南側、菊池寛美記念―智美術館で「篠田桃紅~昔日の彼方に~展」開催中と知って、山手線新橋駅からスマホGPS頼りに行った。菊池寛美さんは実業家、智さんは娘さんで、現代陶芸のコレクター。篠田さんとも親しく、100歳展も開催している。「ある女主人の肖像」作品のある女主人は、智さんのことという。篠田作品、螺旋階段降りて地下会場に。104歳、今なお制作の作品など、しょうか、しょうか~と見た。

 

 篠田 桃紅(しのだ とうこう)さん、本名は篠田 満洲子、1913年、大正2年、大連生まれ。映画監督の篠田正浩は従弟にあたる。岐阜、新潟など美術館に作品がある。「人生は一本の線」などエッセイなど著書も多い。

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2017年4月22日 (土)

富岡八幡、深川不動、芭蕉さん、永代橋

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いやまあ、でっかい…、これは、なんとまあ、長い…、おおっ!高い、高いバア…。お相撲さんの巨人力士長身碑、大関力士碑、関脇力士碑…、我が身長、我が手、我が足と比べたり、関脇碑に力道山、神風の名前を見つけたり…、碑を見て、結構、ヒヒヒ…と楽しめる。

 

 ここは江戸三大祭りの一つ、富岡八幡さん境内。碑はいま、改修中の参道脇にある。大規模な参道改修、氏子さんの賛同を得て?。そりゃあ、そうやろなあ。参道入口、伊能忠敬さんの銅像も。200年前、この八幡さんにお参り、蝦夷へ測量に出かけた。50歳の時という。日本地図の始祖である。今から16年前建立。なかなか、いいのう~と写真を撮った。

 

 始まりなら奥の細道へ出かけた芭蕉さんの記念碑が深川に。これはホテルのポスター写真で。旅に出る場所、芭蕉さん緊張?。富岡八幡さんの隣り合うのは、深川不動。成田山新勝寺の東京別院という。梵字デザインの新本堂と不動像、願掛け大草鞋…、写真撮りは不動の構えがポイント。門前から長い足で西へ徒歩15分、隅田川に架かる永代橋へ。赤穂浪士も討ち入りして渡った。川向こうはマンション群、景観は江戸から東京へ、ええだい!。

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2017年4月21日 (金)

まあ、食いねえ~

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ふわっとしてねえ…、柔らかくってねえ…、江戸っ子だってねえ…、お皿に長~く乗ってねえ…、まあ、食いねえ…。それ、何かって?それは、蒸し穴子の一本握り。東京は地下鉄門前仲町駅近くでねえ。夜にフラリ入った「すし三崎丸」。店名通りの丸、旨かったねえ。

 

 東京サア、2泊3日でお上りさん、何処で何を食べたか。写真撮りしてあってねえ。パソコンで点検、ようまあ、穴子食べているねえ。銀座の「築地すし鮮」。この時は仲間8人とカウンターに座って、一人だけ穴子の茶わん蒸し。どうしても穴子メニューに目が行ってねえ。新橋の立ち食い寿司「魚河岸日本一」でも穴子握り。もう、穴子のアナウンサーやねえ。

 

 ラーメンは熱烈中華食堂「日高屋」さん。宮崎の知人も日高さんやけど、ここは首都圏に600店舗もある日高さん。門仲だけでも3店舗、ホテル帰る前に野菜たっぷりタンメン。麺少な目で、野菜は成人一日分350㌘、これで470円。夜更けても、日高くなるまで客多し?。深川ラーメンは深川不動隣りの老舗「伊勢屋」さん。深川めしと言えば、アサリやけど、ここはラーメンにアサリ。麺の中にアサリまたアサリ、20個は…。出汁、あっさり?。

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2017年4月20日 (木)

深川で渋沢栄一胸像と対面

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渋沢栄一語録数々、36どころではない。その一つ「形式に流れると、精神が乏しくなる。日々新たにという心がけが大事である」。もう一つ。「これで満足だ!という時は、衰える時である」。波乱万丈、江戸から昭和へ、91歳まで生きた渋沢さんである。

 

何で、渋沢さん登場?。東京宿泊が江東区の深川、地下鉄東西線の門前仲町駅を降り、永代橋通りを歩いて、渋沢さんの別邸の立て看板を見つけたからだ。渋沢さん、生まれは武蔵野の国、いまの埼玉だけど、明治20年代から10年以上、ここに住み、深川区議会議長など勤め、町の発展に貢献した。屋敷跡は渋沢倉庫になり、今もビルが建っている。

 

渋沢さん、日本資本主義の父。攘夷、幕臣、パリ万博、大蔵省官僚、在野して実業世界へ入り、赤十字など社会貢献に加え、第一国立銀行など会社の起業は500という。立て看板に当時の屋敷写真があり、近くの「渋沢シティプレイス」というビルに胸像があるという。早朝、まだビルに入れない。ガラス越し、朝日に輝く銅像、どうぞ~と言わて?、撮った。功成り名遂げたお顔。「重んずべきは信。信を守らねば失敗す」と語録にあった。

 

 渋沢栄一は1840(天保11)年213日、現在の埼玉県深谷市生まれ。道徳経済合一説」を説き、生涯に約500もの企業に関わり、約600の教育機関 ・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力、1931(昭和6)年1111日、91歳で死去。

 

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2017年4月19日 (水)

お江戸のリバーサイド物語

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「リバーサイド」って、響きがいいなあ。訳して、川沿いの町かなあ。ここは下町情緒あるお江戸は深川。松尾芭蕉が庵を編み、東北・奥の細道へ旅立った町である。隅田川へそそぐ運河が多い。宿泊は東横イン門前永代橋。まあ、リバーサイドホテル、朝、町へ出た。

 

 ホテルに我が町・江東のおでかけ情報マガジン。ページを捲ってサクラ。手漕ぎの和船が両岸一杯のサクラの中を行く写真。お江戸深川さくらまつり。今年が13回、この前の日曜にすんだところ、惜しかったあ。ホテルから徒歩5、6分、名残りのサクラがまだ咲く。川幅30㍍、ソメイヨシノ270本という。両岸「水辺の散策路」。ピンク絨毯の道を歩いた。

 

 リバーは大横川で、リバーにはブリッジ。隅田川の水門へ、石島橋、黒船橋、越中島橋とブリッジが続く。その一つ、黒船橋、なんでそうなんや。ペリーの黒船と関わりあるのかどうか。ウィリアム・アダムス(三浦按針)が黒船 リーフデ号を係留した説があるとか、ないとか。白か黒か、定かではない。黒船橋の欄干は櫓、道路沿いのプランターは船の形、北詰には火の見櫓…、川に橋に江戸の雰囲気がある、工夫がある。これぞ、リバーサイド物語!。

 


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2017年4月18日 (火)

坦坦麺はだんだんめん

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また、行った。いや、行かねばならぬ。♪~止めて下さるな、妙心殿。…平手は武士じゃ、… 行かねばならぬのだ~♪。気分は三波春夫が歌った大利根無情である。何処へ行ったか?東京は銀座7丁目「橋梧」と書く、はしご。ここの、ピリリと辛い担々麺、それは旨い。

 

 東京勤務時代から行っている。京都へ戻って、東京へ行くたび、まずは、行く。今年も1年ぶりに東京時代の仲間の懇親会があって、山手線新橋駅ロッカーに荷物を入れて、徒歩5、6分、いの一番に行った。構内のロッカー、ろっかに入れたか、頭にしっかりがポイント。SL広場に出る日比谷口やでえ。平日木曜の昼時さなかのはしご。店内、予想どおり満員。

 

 だから、よそう?とは思わない。長いカウンターは30席、ワイシャツの若いサラリーマンが多い。後ろにウエイティングの長い席。呼び出しがかかる端の席へ、出世する如くだんだんと進む。それでか、この店の担々麺は、だんだん?~と言う。入口側の席が空いた。待って15分かな。注文は豚あばら肉入りの、ばいこう(排骨)だんだんめん。先にご飯が出て、漬けもんの刻み大根乗せて、来た、来た!、今年も来ただんだんめん。旨いぞ、旨いぞ!。

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2017年4月17日 (月)

清水寺裏門で、米粉の「ソラどら」

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えっ? ソラどら? ナニ? どら焼き! こんな山の中の、まあ、一軒家みたいな所で、どら焼き屋さん。立て看板の店名が「ソラどら」。そら、どういう店なんやろうと思って、店前に立ったら、小さなガラス窓がスッと開いて、お兄さんが~どら焼き、どらいですか~。

 

 いや、脚色はいかん。~どらいですか~は訂正。~どないですか~が正しい。つい、言葉の弾みで、洒落てしまった。このお店、どこかというと、清水寺南口と歌の中山・清閑寺の間。山の中というのも、いささかオーバーやけど、京都トレイルの一つ、東山三十六峰の中。観光客が賑わう清水寺と言っても、子安の塔がある裏門から5分、そんなに人の行き来はない。

 

 自宅の山科から国道1号、昔の東山トンネル越えで散策、何年ぶりかで、歩いて、店があるのを知った。お店は社会福祉法人新明塾・工房ソラさんの食品部門で、近くに陶器など制作所がある。どら焼きは粒あん、こしあんなど4種、一つ150円。お兄さんによると、開店3年目、小麦粉でなく、こめこのどら焼きという。最初、粘りなくパラパラだったけど、改良に改良を加え、今は評判という。じゃあ、味はどらいか? そらあ~もう、ソラどら!。

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2017年4月16日 (日)

ちょこざいなウサギ、いまリンツ

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首にリボンと鈴をつけたウサギ人形、店先にいる。店内、女性客が多い。前はなかった店、最近出来たんかなあ。京都四条通りの大丸向かい側、広くなった歩道を烏丸へ向かって歩いていて、発見だった。犬も歩けば棒にあたらず、ウサギをみつけて、何の店かなあ~である。

 

真ん中のテーブル、飴玉の山?、いや、違う、チョコの山。ケースごと色んな種類が積んである。アーモンド、ココア、レモン…一つ、一つ、包装してあって、美しく、魅せて、見せる。楕円形の大きなテーブル、どんなんか、チョコ、チョコ?と回ってみた。10種類以上はある。一つ一つ、チョコの味はどんなんか、気にはなるけど、今日は見るだけ、見るだけ。

 

店名は「Lindt」で、リンツ。本社はスイス、世界各国に店があり、創業180年という。チョコと言えば、ゴテイバやけど、リンツも世界ブランド、銀座、原宿などに店があり、京都にも進出らしい。店のシンボル・ウサギ。むかし、リンツさんの庭にウサギが現れ、息子さんが喜んだのにいなくなり、悲しんだので、チョコのウサギをつくり、どこでもわかるように赤いリボンを付けたと。姿を消したウサギ、なかなか、ちょこざいなウサギだった。

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2017年4月15日 (土)

中原淳一さんが世に出した女性たち

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このポーズどう!。ファッションのセンスはどう!。右手を軽く帽子に、左手を細い腰に~、白のツーピースと紺の、なんと言うのかなあ、まあ、上っぱり持って…。ドールにイラスト絵のスタイルをさせ、どうる?。いや、どうるもこうもない。いいじゃん、いいじゃん。

 

 服飾美術家、故中原淳一さんの描き出した女性世界が京都高島屋で広がった。女性雑誌「それいゆ」「ひまわり」に登場した女性たち。お茶目なリカちゃん、若草物語のジョーとペスなどイラストそっくり再現の3Dドールの展示…。四条通り側のウインドウ、店内1階コーナー。あの娘も、この娘も、美しく、可愛いくて、かっこいいポーズにポオッ~とする。

 

 画家、イラストレーター、編集者、人形作家…、奥さんは宝塚の男役トップスター、葦原邦子さんという中原淳一さん。戦前から女性は夢を持ち、暮らしにスタイルに、美しくあらねば~と、ハッとさす女性を世に出して来た。大正2年生まれで、2013年の生誕100年から記念イベントが続き、高島屋は「乙女魂」をテーマに、私もあんなふうに~と思う女性を惹きつけた。男、そりゃあ、男は男…というても、通りがかり、つい、どーれ、どーれ。

※ 京都高島屋の中原展は4月11日で終わった。

 

 

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2017年4月14日 (金)

写真撮りメニューは、牛トロ炙り握り

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真っすぐ帰るにはまだ早い。JR山科駅前のちょい寄り。京阪の踏み切り渡って、3単品で飲み放題1500円の「山科酒場」か、ハイボール99円の超安の立ち飲みコーナーがある「ももじろう「か。本屋さん挟んで隣同士、サアサア、サアサア~と迷って、立ち飲みへ。

 

 いつも野球帽を後ろに被る店長さんと立ち席で話す。名前は知らないが、お互い、顔見知り。ももじろうチエーン、大津に2店、京都に10店、もう創業から15年近く。山科店の店長さんは2代目で、3年目という。面白い写真撮りのメニューは?と聞くと、店長考えて、牛トロ炙り寿司ですねえ~と。握りちょっとなのに牛トロがこれだけ~と手で大きさ示す。

 

 店長イチ推しメニュー、値段は699円という。それでは~と頼んだ牛トロが出てきた。白い皿に赤身の柔らかそうな肉が乗っている。長い、大きい。15㌢?いや20㌢はある。店長、バーナーでジュジュと炙る。あぶなくはない。どこの肉と聞くと、特別です~と。近江か、松坂か、神戸か~と追い打ちをかけると、そのうちの一つという。「特別の仕入れなんで、言えないんです」と。トロ身の味わい、これ!神戸とちゃう。店長、こうべを垂れた?。

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2017年4月13日 (木)

人気No・1のローストビーフ丼

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どうも「人気No・1」のキャッチに弱い。お肉のスーパー「やまむらや」が始めたローストビーフ丼である。京都山科西野の国道1号沿いに店があり、店長太鼓判!、最高傑作!の看板が店先に出ている。地下鉄駅まで歩くおり、ずっと気になっていて、ついに!だった。

 

看板は乳牛、お店は京都本社、山村さんの創業で、2代目40年という。前から知っているけど、もう?そんなに…。洒落、もうわかってもらえた?。店内、色んな肉を揃える。~春は楽しく、みんなでBBQに行こう~。BBQとは、バーベキューの略、焼き網などレンタル各種という。近江牛はみだしバーガーも魅力だけど、ここはローストビーフ丼に絞った。

 

自動支払機で864円入れて、名前を言って、待った。少しお時間、頂きます~と言う。10分近く待って、名前呼ばれ、出来たという。店内で飲食する場所はなさそう。ローストビーフ丼、ろーすて?食べる?。聞くと、店外の椅子席で~と。BBQ店なので、オープンテラスふうの即席席。プラ容器の蓋取った。ご飯は社長秘伝のビーフピラフ。ローストビーフは数えて、もう20枚、さすか人気No・1。ウシシウシシ…、もうかっているかな?。

 

 

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2017年4月12日 (水)

Yoshitoshi=芳年展

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「芳年」の漢字をみると<ほうねん>と音読みしてしまう。つい、大阪弁の、ほんまねん、そうやねん~と思う。正しくは、訓読み<よしとし>。慶応から明治を生きた浮世絵師・月岡芳年である。京都伊勢丹の美術館で「Yoshitoshi」とローマ字題名の展覧会を見た。

 

 チラシは、牛若丸と弁慶が戦う五条大橋。高下駄で、ひらりと飛びあがった牛若丸、草履の弁慶は牛若の投げた日の丸扇子を六尺棒でぴたりと受け止める。満月が東山から出て、二人の戦いを照らしている。明治14年制作という。芳年さんは歌川国芳に学んだ。浮世絵ニーズが減りつつあった時代、大胆な構図で歴史画、物語絵を描いた「最後の浮世絵師」。

 

筆の入れ方、運び、線の息づかい…、芳年に魅せられ、半世紀にわたって作品を集めた京都の日本画家・西井正氣さん(83)は、「研究熱心さと才能に惚れます。明治に生まれていたら弟子に」と、芳年紹介の京都新聞記事の中で語っている。展示作品は130点。西郷隆盛、山形有朋…明治維新の人物画、命がけで、戦場カメラマンの如く、その眼で見た上野・彰義隊の戦い、美人画、鍾馗さん…、何かようかい?と妖怪も。ほうねん、ほうねんと鑑賞した。

 

 月岡芳年(1839-1892)。 ※ 展覧会は4月23日まで開催。

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2017年4月11日 (火)

「春はさくら 桜の三井寺」のビューポイント

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赤い椿に淡いピンクの桜…、いいなあ。桜から見て椿か、椿から見て桜か、デジカメ撮り視点、悩むなあ。枯れ草に首からポトンと落ちた椿、これも、感じるなあ。雨上がりの苔、ゴツゴツした大樹の根元、シャクナゲ、柚子…、甍、三重塔、灯篭…、どれもこれもビューと見た。

 

ビューとは、視点、視界、景色、眺望、見識…色々ある。ビュービューと二つ重ねると、風が強い。ポイントを加えて、ビューポイント、眺めがいい。京阪山科駅から浜大津経由、石坂線で一駅、三井寺駅で降り、琵琶湖疎水沿いに坂道上がって、「春はさくら、桜の三井寺」の三井寺へ行った。境内広く、金堂、三重塔、観音堂など国宝、重文…見所は多い。

 

三井寺の謂れ、天智、天武、持統天皇の三帝の産湯の井戸があって…、正式には天台寺門宗園城寺。近江八景では三井の晩鐘。有料で突ける鐘、綱を思い切り引いて、離せば、いい音が出る。突きに行くとあかん。映画「るろうに剣心」でロケ地H三重塔前。山側へ、サクラ1万本植樹、育ってきた。西国14番札所・観音堂から琵琶湖が見える。三井寺一番のビューポイント、強い風が出ると、ビューが重なる。我がデジカメ視点のビュー、どうかなあ。

 

 三井寺散策は雨上がりの4月9日午後。ライトアップは16日まで延長。

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2017年4月10日 (月)

サクラ各種、現地研修

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紅色、小さく、可愛く、俯いて、咲いている。何という名前?木札を見たらオカメ。こんなに綺麗なのに、誰や、そんな名前をつけたんは、失礼やなあ。こっちは何かな。淡い紅色、花びらは5弁、フワフワ~。名前はヨウコウ、漢字で陽光。♪~ようこそ、ここへ~♪。

 

新聞の花だより、今が満開の京都府立植物園。降ったり止んだりの雨、小さい折りたたみ傘で行った。北山門近く、全国各地の色んな品種のサクラが植わっている。今が旬のサクラ現地研修。サクラって、ナニか?と、ほとんどがバラ科。オカメも、ヨウコウもちゃんと咲いているのにバラ科。桜前線って、毎年、東京から咲き始め、北へ、東へ、なんでかなあ。

 

思うにエドヒガンサクラ(江戸彼岸桜)かなあ。桜の品種はエドヒガンとの交配が多いし、全国制覇のソメイヨシノは、江戸染井の植木屋さんから広まった。それから、ええっと、江戸彼岸桜は、彼岸頃、江戸の街中で流通しており、桜で最も長寿。日本三大桜の一つ、岐阜の薄墨桜は推定樹齢1500年という。古さで言えば、葉と花が一緒に開く山桜。日本書記は春到来で「春告げ草、木の花」と記す。植物園の桜、130品種450本、最多と咲く。

 

 日本三代桜は、薄墨桜と、山梨の山高神代桜、福島の三春滝桜。

 写真は左からオカメ、ヨウコウ、ソメイヨシノ、横浜緋桜、カンヒザクラ、アメリカ、山桜、散るサクラ??。

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2017年4月 9日 (日)

兵馬俑に文字、世界初公開

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中国秦の始皇帝陵の兵馬俑、どこかに文字が一つ刻まれているという。今、京都市美別館で開催中の「漢字三千年」展である。兵馬俑の展示は兵士一体。文字の刻まれた兵馬俑は、世界初公開のふれこみ。どんな文字なのか、後悔ないよう、もしもし、もしもし?と行った。

 

 会場の写真、フラッシュ、三脚以外なら、中国当局のご厚意で自由にどうぞ!という。そう緩められても、そうも撮れないけど、ありがたい。漢字の成り立ち、どんか感じか、甲骨文字など展示品を見て、一番奥の兵馬俑へ。始皇帝陵8000体の中の一つ。等身大の兵士、世代を超え、遠くから来たのに、へいしな顔で立っている。特別展示、案内担当の女性一人。

 

 文字は兵馬俑の制作者(工匠)の名前という。高、山、田、安など姓の一文字だけで、兵馬俑の腰、胸、腹、肩など、どこかに落款の如く、さりげなく篆書で刻印されているそうな。展示の兵士さん、身体を見たが、わからない。案内の女性にもしもし~と聞いた。図録を取り出し、~ここです。向かって右の鎧の2段目、そこです~。目を凝らすと、「文」みたいな文字。「文」でなく篆書の「不」だという。へえっ、「不」さん制作の兵士、今も不変?!。

 

 兵馬俑展示の後ろの案内板に「不」文字をアップ。

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2017年4月 8日 (土)

居酒屋、負の連鎖

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Img_5843夜は居酒屋を兼ねるうどんの杵屋。サイコロの壺振り。ゾロ目ならハイボール無料。前回は1と1のピンゾロ、なんと2回も出た。この成功体験、自信になっている。今夜はどうや!えっ、5と4。奇数はメガのジョッキー610円。あかん、柳の下の泥鰌はどこに居留守?!。

 

 そやけど、惜しかった。5と5の偶数やったら、メガで無料やった。まあ、こんな日もあるか~と、一品の注文。京都八条口アバンティの杵屋。夜桜で賑わう京都、ここも旅行客多いけど、真ん中の大きなテーブルカウンターに座れば、本持ち込み、ゆっくり出来る。全品390円のサンキュウ・メニューみて、これかな、いや、やっぱり、こっちかな~と頼んだ。

 

 豚しゃぶサラダが来た。トマト、葱、豆が乗る。古くてもサラダ!これ定番。あれっ?だし巻きが出てきた。みりん干しに変えたつもりやったけど、注文のおり、口ごもっていたんを店員さん、聞いていたらしい。まあ、仕方ない。メガハイ飲みだして、は~い、みりんです。えっ!これも、やっぱり、注文してたんか。ちょい寄り居酒屋、豪華3品?。いやまあ、こういう日も~と、スマホの野球中継みたら、あかん、阪神、負けている。今夜は負の連鎖!。

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2017年4月 7日 (金)

モリピー100の始まり展

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芸術って何だ?~それは、難題だい。わかっても、わからなくても、それがまあ、芸術ちゅうもんかなあ。ピカソに化け、モンローに扮し、自ら絵になる美術家・森村泰昌さん、65歳。いまや、ポップアートの第一人者。今度は何だい、カフカと洗剤パックで登場だい!。

 

 毎週土曜朝刊、京都新聞美術欄トピックスに記事が載った。森村泰昌さん、自らをモリピーとして、新しいプロジェクトは「MoriP100」。その始まり、京都山科の古民家「春秋山荘」で開催中という。古民家は、JR山科駅から北へ、天台宗毘沙門堂から西、南禅寺へ抜ける山すそ。前は手打ち蕎麦屋、今はギャラリーという。我がまち山科、地元のうち、行った。

 

 わら葺き屋根、苔むした灯篭のある庭…年に一度は山越えしているので、知っているけど、初めて入った。庭にモリピーと英文字の段ボール箱が整然と並ぶ。4×5=20箱、意味?わからない。古民家の会場入口?わからない。人の気配もなく、の作品写真撮り、帰りかけたら、にわかに?玄関が開いた。やはり開催中だった。鑑賞代5百円。部屋に段ボール箱積み、森村モンローの写真、隣に森村カフカのロウ人形…、ろうかな、ろうかな?と鑑賞した。

 

 春秋山荘個展は4月9日まで。 ※ 森村新プロジェクトは数年にわたり、100種類のマルチプルを各100個限定制作、合計1万個を作り上げるという計画。

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2017年4月 6日 (木)

春うらら、鴨川のダイサギ

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春うらら、いいね、いいねと、鴨川の堤を歩いていたら~である。川の中、のっそり、のっそり、白い鷺がいる。餌をさがしているのか、時おり、とまって、川の中をうかがっている。首が長い。嘴も長い。身体ごと白い。脚、それはもう長い。一緒やって、そうかなあ?。

 

 京都高島屋の美術展帰り、四条大橋を渡って、鴨川の左岸を南へ歩いて~だった。大方、午後4時をだいぶ回っていた。パカパカ、パカパカ…、いい天気。いや、馬やない。ポカポカ、ポカポカ…。パカやなあ。外国の人含め、堤を行き交う人が多い。松原橋、五条大橋と、下がって行くほど、サクラがよく開いている。コテマリ満開、垂れる柳の新芽…、美しい。

 

 白い鷺との出会いは、七条大橋までの間、はるか京都タワーが見えている。夕陽が眩しい。鷺はダイサギ、チュウサギ、コサギ、ゴイサギ…種類が多い。あの鷺、体長90㌢はある。ダイサギかな。柳を入れて写真撮り。いいアングル。鷺との距離、堤の上から50㍍。ズーム、どうかな。夕陽、鷺の影が川に二重になっている。この時間やからこそ。いい写真は時と場所や。あっ!川に嘴突っ込んだ。ゴクッ!小魚、食べたな。川に波紋に出来ている。

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2017年4月 5日 (水)

京の立ち飲み「すいば」

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あった、あった、「すいば」や!。スマホのGPS画像を見ながら右へ、左へ、探し歩いた立ち飲み店「すいば」。京都の烏丸通から蛸薬師通を西へ入り、室町通りの西50㍍、「すいば」の看板は上がっていた。京町家の改装、まだ新しい。どんなんかなあ~と入った。

 

 立つ席、調理場前にカウンター10席、後ろの壁側に7、8席かな。まずハイボール250円から入り、180円の蛸わさ。葉わさびの辛さ具合、舌にどうか。オッ!いける、いける。次は何に?と、メニュー見ると、多い、安い。カレーレンコン150円、旨塩春キャベツ150円…、堀川ごぼうとキビナゴの南蛮漬け250円…、おばんざい、凝ってるう~。

 

 白ワイン250円追加して、店員さんに料理おいしいね~と言うと、おいしい!お言葉、頂きました~と調理場に返す。店は明るく、元気がある。「京都の立ち飲み」でネット検索して、出てきたのが「すいば」。市内に3店舗あって、ここが一番新しい。店名の「すいば」は、辞書にはない京都だけの言葉かな。カブト捕り、すいばに行こう~と、子どもの頃、言ったのを覚えている。まあ、おいしいものが集まる所?ほどの意味か、すいばに郷愁あり!。

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2017年4月 4日 (火)

ドイツ宮廷画家「クラーハナ」~500年後の誘惑~

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ちょっと、ちょっと、ヴィーナスさん、あんまり官能的ちゃいますか。ベールは持っていても、透きとおりすぎて…、ああ~、どう目をやったらいいのか、困りますよ。胸元のネックレスも視線を誘い込むようで、ドキドキしますよ。女性裸体、どう見たらいいですたい?。

 

 副題は~500年後の誘惑~。美しい女性の裸体作品が次々に展示…いや、いや、鑑賞の眼はどこにやったら~。大阪の国立国際美術館で開催の「クラーハナ」(1472~1553)展である。ドイツ・ルネサンスを代表する画家の日本初の大規模展。朝日新聞にも毎日新聞にも紹介が載り、鑑賞に行って…確かに500年後の誘惑、目がクラクラ、クラクラ~。

 

 地下3階へ降りる会場フロア、大きな作品写真。絵は1537年に制作の「正義の寓意、ユスティテォア」。上半身の裸体、冷めた緯線でこちらを見ている。そう、見んといてえあ。この魅惑的な絵、500年前に描いたとは…、日本では室町時代か。クラーハナさん、時のドイツ皇帝三代、父子で仕え、裸体だけでなく、キリストも、皇帝も、宗教改革のルターも描いている。新聞見出しは「妖艶に 繊細に」「間近の官能」。誘惑に負けたらあかんでえ。

 

 展覧会は4月16日まで。 ※ ヴィーナスは1532年制作作品。

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2017年4月 3日 (月)

信長遠祖、桜画の織田瑟々

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瑟々~どう読みますかねえ。これで<しつしつ>。琴の下が必なんで、<ひつひつ>かなあ~と思うけど、<しつしつ>。意味は、風の吹く様子という。近江の人、織田瑟々さん、ご存じだろうか。江戸時代の女流画家で、山桜をひたすら、しつしつ?と描き続け、生涯を送った。

 

東近江市の西蓮寺にお墓があり、毎年、桜咲くころ、本堂で織田瑟々「桜画展」がある。今年で15年目。名都美術館長で、美術史家・石丸正運さんが講演、厚かましく、石丸さん運転のアウディに同乗、大津から名神八日市経由で行った。桜花が供えられた瑟々さんのお墓にお参りして、杉山正瑞住職に挨拶、瑟々桜画16点展示の本堂で、石丸講演を聞いた。

 

瑟々さん、本名は政江。安永年間、近江国神崎郡御園川合寺生まれで、先祖は織田信長九男信貞に始まる。若いころから絵を描くことに優れ、京都鳴滝で桜画の女性師匠に学んで以来、二度の夫と子どもにも先立たれ、54歳、尼で没するまで、各地で様々な山桜を描き写した。石丸講演すみ、「織田桜」とも言われる桜画を間近に見た。鶯が間違って絵にとまったと逸話ある繊細さ、瑟々さん20歳代から40歳代…、満開の桜、しつしつと咲いていた。

 

 「桜画展」会場の浄土宗西蓮寺は東近江市市川川合寺町126。今年は4月1、2日にあった。展覧会は実行委員会主催。

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2017年4月 2日 (日)

竹内栖鳳の「アレ夕立に」

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アレ~、夕立ちどすえ。かないまへんなあ~と、舞妓さん。ええ、べべが濡れますえ~。丸髷も結ったとこどすのに、うち、困りますえ~。扇子をパッと開いた舞妓はん、~はよう、やんでおくれやす~。この絵、むかし、切手になりましたんどすえ。知ったはりますか。

 

 これ、京都で「せいほうさん」と親しまれる文化勲章画家・竹内栖鳳の代表作の一つ。題名は「アレ夕立に」。舞妓が扇子を持って、清元節の山姥(やまんば)「アレ夕立にぬれ忍ぶ」を舞う姿を描く。うなじ、白いなあ。髪の毛、一本一本…、繊細やなあ。扇で顔をおおう仕草…、妖艶。青い着物の柄は、必要なのに芙蓉?。いや、すんません。ええ絵、どすなあ。

 

 京都高島屋7階でいま「日本美術と高島屋」展開催。栖鳳さんはじめ、横山大観、前田青邨など、高島屋オーナーの飯田家所蔵の作品の数々を無料で見せている。会場前がこの「アレ夕立」の作品写真。そばに高島屋マスコット、ローズちゃん人形を飾って、作品と真似比べ。アレ~、頭は金髪、ピンク色ローズの花飾り。可愛いねえ。写真、ロースて撮るかなあ。右から左から撮って、隠した顔は上から…、アレ~すましている。別嬪、別嬪、別嬪やでえ。

 

 作品は1909年(明治42年)の第3回文展に出品。高島屋史料館の所蔵。1980年に「近代美術シリーズ」の切手図案に。 ※ 高島屋展、4月10日まで開催。

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2017年4月 1日 (土)

巨大シャボン玉奉納

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神さま、よ~く見て下さい。ほ~れ、大きいでしょう。形はいろいろですよ。じき消えますから、よ~く、見ておいて下さい。初めてのシャボン玉の奉納です。驚いて、オオ、ノー?って言わないで下さい。ほ~れ、一つ、二つ、こっちにも、一つ、二つ…、いいでしょう。

 

 ここは、日吉さんの愛称で親しまれる日吉大社。全国3800余の日吉さんの総本宮。間もなく湖国三大祭りの山王祭が始まる。三角鳥居、神猿(まさる)という名の猿がいる園舎を超えて、西本宮前である。特製のシャボン玉液をつけた長い紐、丸い枠をゆっくり振ると、虹色の大きなシャボン玉が神社に向かって、ふんわり、ふんわり…飛び出ては、消えて行く。

 

 シャボン玉研究所の所長で、鉄の彫刻家、藤原昌樹さん(48)の奉納。最初に子どもたちと一緒に神様に2礼2拍1礼、ぱ~ん、ぱ~んとお祈りしての始まり。面白いとテレビ、新聞、取材に来ている。藤原さん、今年の鉄彫刻作品「テツノネ」が京展賞。作品、シャボン玉研究で、優しく柔らかく~の評価だったのだろうか。神社前、藤原さんの彫刻も奉納してある。消えては出て、出ては消えるシャボン玉作品…、神さまも、これぞ、oh!ノー。

 

 シャボン玉奉納は平成29年3月27日にあって、京都新聞などに掲載。

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