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2013年9月

2013年9月30日 (月)

薩摩はやとは、はやっているかな?

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食べるが大事か、洒落るが大事か…、いや、我が事ながら困ったもんだ。京都駅前ヨドバシカメラのレストラン街である。週に一度、大津からJRで二駅9分の京都入りしての昼食だ。何時もの京都タワーを外し、ヨドバシを選び、エスカレーターで6階へ上がった。

 

入店候補は蕎麦のからりか、肉の但馬屋か…だったが、エスカレーター正面の九州料理「薩摩はやと」で洒落っ気が働いた。名古屋料理店から薩摩料理店に代わって、一度入っている。大分、宮崎、長崎、熊本など郷土料理のランチメニュー。洒落っ気は、薩摩はやとは、はやっとる?と、最後に聞きたかったからだ。品選びは長崎名物の石焼き皿うどん。

 

注文して前回もそうだったのを思い出した。この間と同じように石焼き鍋がジュッジュツと出てきた。海老、イカ、豚肉、浅利、竹輪、蒲鉾、もやし、白菜…、細いうどん。けんちん汁に坪漬けとごはん。値段850円、量あり、味よし。いよいよ、洒落確認の支払いの時がきた。レジ店員は薩摩はやとか、若い男性。洒落わかるかなあと~薩摩はやと、はやっとる~と、重ね聞きした。~はい、昼より夜がはっとります~、いや、真面目えっ。

 

※ 薩摩はやとは、西郷隆盛のような九州男児。

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2013年9月29日 (日)

看板は「泣く女」

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金髪女性の大きな目から涙がポトリ、ポトリ…、赤い唇に左手を当てて、泣いている。耳たぶは真珠、指は赤いマニュキュア…、何が悲しいのだろう。これは、滋賀近美で今、開催中の現代アート展「ポップの目」の看板・チラシになっている作品「泣く女」である。

 

 作者はアメリカのロイ・リキテンスタイン。1963年の作品で、滋賀近美が所蔵している。会場配布のパンフは、リキテンスタインがどこに力点を置いたか、解説している。作者はマンガスタイルにこそ現代文化のリアリティがあると悟り、一コママンガをグッと拡大、巧妙に原画細部を修正、印刷の網線まで描き、クールで強烈な作品に仕上げている。

 

 展覧会の「ポップの目」のポップは、誰にも親しまれるポピュラーの意味で、これらの作品がポップ・アート。60年代のアメリカで花開き、全世界に影響を与えたという。「アーティストたちは現代文化に何を見たか」がサブタイトル。展示はマリリン・モンローの顔を問答無用と色変化させたアンディ・ウォーホルの作品など60点余り。どこをどう見て、現代文化を感じるか、相当アンディ見ないと、ウォーホルである。わかるかなあ???。

 

 ※ 滋賀近美での展覧会は10月6日まで開催。

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2013年9月28日 (土)

激セマ店で海鮮丼特上

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 お店が激セマだという。激痩せ、激辛とは、聞きもし、言いもするが、激セマとは、これ、如何に…である。お店は神戸三ノ宮の高架下、生田ロード筋の「海鮮丼の駅前」である。どう激セマかというと、カニさんでヨコヨコと入って、カウンターの席が七つなのだ。

 左隣がとんかつの七兵衛、お盆のおりに入った。その時、どちらに?と迷ったお店が、この激セマ店である。兵庫県美の展覧会帰り、JR灘からひと駅で三ノ宮だ。店前看板で海鮮丼メニューが写真付きで出ている。海鮮ユッケ丼、まぐろづけ丼…、縦3列横5列で15種類、ドドント丼と出ている。折角、来たからには、高めの海鮮丼の特上980円だ。

 

 カウンター7席、左からも右からも三番目に座った。要は真ん中、店内は若い女性2人が働く。~お茶は熱いのか、冷たいのかー、今日のお勧めは××です~と、どの客にも言う。声かけ、マニュアル通りかな。調理場は左奥、壁は大漁旗、味噌汁40円…。待って特上がドンと出た。乗ってる、乗ってる。甘海老、ウニ、イクラ、鰻、サーモン、マグロ、烏賊、蛸、鯛、秋刀魚、数の子、酢めしにカイワレ…、激セマで特上、味わい妙なり。

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2013年9月27日 (金)

讃岐のあおさうどん

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 宣伝力、これでもか、これでもか…である。「磯の香りがして、体にやさしく、栄養満点で、ガン予防に効果的で…」という。まだある。「牛乳8倍のカルシウムがあり、ほうれん草2倍のビタミンAもある」と。「働き過ぎて、免疫力が低下しているあなたに…」と誘う。

 

これ、うどん県香川の「あさおうどん」である。京都御池烏丸西入ルに本場讃岐のいきいきうどん店が出す新商品。ノボリや、ポスターの色づかいにもを青さを出している。白寿99歳で亡くなった元信金理事長のお別れ会帰り、送迎バスを地下鉄烏丸御池で降りて、ちょうど昼どき。あおさうどん、加えて老化防止にも良いという。ともあれ、あおさ!。

 

店は7年目、うどん人気か、列が続く。ぶっかけ、釜揚げ、トッピング…、セルフ方式である。あおさうどんは小400円、中500円、減量対策で小の少々にして、100円のおにぎり1個を追加して、500円払ってテーブルへ。あおさうどんは青い海苔さ。だから、あおさ、それだけさ。いや、磯の香りがあるさ…。うどん、つるつる口に入れるごと、最初の青さは、だんだん黒くなって、沈んでいく。あおさ、どこにあるのサ?サア?。

 

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2013年9月26日 (木)

源融と河原院の駒札

 

Img_3228Img_3229Img_3406そうか、そうか、そうだったのか…、である。河原町五条南東に立つ「源融 河原院跡」の駒札を読んで、ICカード不要の~私はよくわかった~のアイシーだ。文字が明朝体、漢字にルビあり、記述が何よりわかりよい。地元の菊浜高瀬川保勝会の駒札、花◎である。

 

場所をもう少し詳しく書く。弁慶が1000本目の刀奪取をかけ、牛若丸に敗れた像がある五条大橋西詰の向かい、ガソリンスタンドの東側だ。仁丹の町名表示看板を見つけに町ブラに出ての出会いだった。高瀬川に架かるは橋の名前は榎橋。渡ると、京都市の「区民の誇りの木に選ばれている榎の大樹」が聳え、「此付近 源融 河原院跡」の石碑である。

 

後ろの黒塀に小さな鳥居と祠、誇らしく…?。花◎の駒札を読むと、源融は源氏物語の光源氏のモデルと言われる人物。左大臣だったが、藤原氏の台頭で、邸宅を建て、隠棲したところという。その邸宅名が「河原院」で、今の河原町通りの名前に由来すると書いてある。榎の大樹は、老樹の象徴のように太い幹は苔がこびりついている。見上げると、顎がだるくなる。広大な邸内にあった森の名残という。遥か平安時代からの榎、感慨は深し。

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2013年9月25日 (水)

虎エコノミストの国定さん追憶

 Img_0571_3Img_0566虎ファンの国定浩一さん、今日もどこかで講演して、甲子園球場だろうか。東京生まれで、大阪育ち、名門・北野高校から東大入り、法学部卒業したのに旧大和銀行入行という経歴である。今、73歳で大阪学院大学教授。野球は阪神、自ら虎エコノミストと名乗る。 

 江戸っ子と浪速っ子が入り混じって、法律学んで銀行員である。今年の6月、琵琶湖ホテルで初めて講演を聞き、あのユニークさが今も記憶に残っている。~ずっと小泉、竹中の経済路線に反対してきたけど安部政権は期待できます~と、経済講演して、~時間が余りましたので、今からタイガースです~と虎虎虎になった。どうなっとらと、思うほどだ?。

 甲子園は開門時間と同時に入って、右翼スタンドの応援団席、終わるまでという。勝てば六甲おろし、ろこに座っていてもという。負けたら、また明日、頑張ろう!と励ましあって帰るそうな。選手とファンは心が一つという。琵琶湖ホールの講演写真、パソコンから呼び出した。頭は七三分け、無表情、それがまた面白い。写真、演台からスーツの裏を見せている。黄色と黒の縞々や。ネクタイ裏も、やっぱり縞々、講演もしまいになった?。

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2013年9月24日 (火)

夏雲と秋雲の同居

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 夕暮れの空、見上げると、夏と秋の雲が同居している。夏の雲は港湾高速道路の上、高く伸びてないけど、もこもこしている。デジカメでアップすると、西日を浴び、赤みを増し始めている。夏雲のずっと上、刷毛で掃いたような雲が薄く、広がっている。秋の雲だ。

 兵庫県美の展覧館を鑑賞して、海側へ出た。建築家・安藤忠雄の設計した美術館、周囲の景観を取り込んでいる。山側は六甲山系、海側は麻耶埠頭、先は瀬戸内、手前は運河で、タンカーがポンポンポンと行く。コンクリート打ち美術館側の遊歩道、お父さんとぼんぼんも歩く?。秋のお彼岸、昼の気温が30度前後…、夏雲と秋雲一緒の条件のようだ。

 

 正岡子規は夏の雲は岩の如く、秋の雲は砂の如く…と表現した。夏は上昇気流が強く、積乱雲となり縦に高く、ニュっと上がって入道雲。デジカメの夏雲、そんな元気はなさそう。季節は攻守交代、秋雲は横へ、横へ流れるよう。ちなみに子規は春の雲を綿、冬を鉛と譬えている。海側から山側へ、JR灘駅へ向かい、美術館を振り返った。屋上に風船オブジェの巨大カエル。愛称は美(み)かえる。当方、もう一度、秋雲を見上げ、もう帰る?。

 

 ※ 兵庫県立美術館は9月14日から10月20日まで生誕130年橋本関雪展を開催中。

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2013年9月23日 (月)

滋賀会館に奇跡のメダカ

 

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滋賀会館管理人,大谷博さん(6?)が「奇跡のメダカです」と言う。何のことかなと?仔細を聞くと…である。台風18号の大雨被害、会館も地下は泥で埋まり、爪痕未だしだが、会館西側から旧東海道へ抜ける通路に溜まっている泥水の中で、メダカ発見と話す。

 

 台風去って3日後、会館周りを見回って、そこを通りかかって、ピチピチはねている小さな魚がそれだったと。瓶に水道水を入れ、泥水から救出したそうだ。溜まり水は2㍍四方で、だんだん乾いて、もう少しで干上がるところだった。逢坂山が土砂崩れ、水源の吾妻川も氾濫、県庁前の滋賀会館への道路が濁流になっており、一挙に流されてきたようだ。

 

NHKに更地売却が決まった滋賀会館。大谷さんはそこに飛び込んできたセキレイもチュチュと手なづけた経験を持つ。今度はメダカのようでメダカでないメダカ保護である。琵琶湖博物館発行の琵琶湖と川の魚を掲載したチラシで確認すると、絶滅危惧種に指定のカワバタモロコか、デメモロコかもしれないという。メダカより大きいし、流線形で格好いい。自宅へ持ち帰った大谷さん、餌の赤虫も購入し、水かえもして、可愛い!、可愛い!。

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2013年9月22日 (日)

新聞で見る中秋の名月

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 どの新聞の、どの満月がいいかなあ。読売は台風18号で被災した嵐山・渡月橋から撮っている。見出しは「欠けない輝き」。中秋の名月は旧暦の8月15日で、何時も何時も真ん丸お月さんでない。今年で3年連続満月となったが、次は東京五輪開催の8年後という。

 各紙ともニュース性を織り込んで、満月カラー写真の競い合い。9月20日付け朝刊、職場で見比べた。満月の夜、四条河原町のビアホールで会合あり、南座前でバスを降り、鴨川に架かる四条大橋から満月を見た。真ん丸中の真ん丸、ピッカピッカ、頭にそっと手をやった。どっちが光ってる?。新聞写真に戻り、京都新聞は大覚寺・大沢池、屋形舟のお月さん。

 

 毎年毎年の観月の夕べ写真。「輝く満月、夜空に池に」の見出し。満月が池にも映って二つ、アングルの妙か。朝日と毎日は来春、大阪・阿倍野に開業する日本一300㍍ビル、あべのハルカスとのコラボ満月。毎日の見出しは「名月みはるかす」。朝日は超望遠で撮影の説明があり、鳥が一羽、オレンジ色に輝く満月を横切っている。見出しで毎日が良く、写真では朝日かな。各紙の1面写真勝負、なかなか甲乙つけ難く、まあ~るくおさまったかな。

 

 ※ 写真は左から朝日、読売、京都。

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2013年9月21日 (土)

仁丹の町名表示板を訪ねて

 

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すぐ見つかるだろうと、高をくくって、歩いた。今は空襲に合わなかった京都市街にしかないという仁丹商標入り町名表示板である。毎日新聞の見出しは「消え行く京の案内人」で、社会面のトップ記事になっていた。新聞写真の現場を訪ねる日曜の町ブラだった。

 

 新聞写真の町名表示板は「下京区六軒町通木屋町東入」。どこに六軒町通があるか、わかっていず、木屋町通りを高瀬川ぞいに下がればと思った。六軒町でなくても、そのうち何処かに仁丹の表示板あるだろうと、御池から歩きだした。三条、四条、五条、右見て、左見て…意外とない。象山遭難碑、豊臣秀次之墓、旧土佐藩邸…と旧蹟はあっても仁丹の表示板はない。

 

 とうとう七条まで歩いて発見できずだ。翌週、ネット調べ仕切り直して、また歩いた。上京区の西陣には沢山あることは知ったが、初志貫徹の「六軒町通木屋町東入」である。今度はバスで五条坂へ、木屋町五条から下がった。六軒町は、かつての五条楽園、遊郭の中だった。風情ある茶屋さんを見て、高瀬川の六軒橋を渡り、細い道を入った。新聞の仁丹町名表示、あった、あった。隣にも向かいにも、角々にいっぺんに三つも。仁丹の表示、じ~んと来た。

 

 ※ 毎日新聞によると、医薬品老舗の森下仁丹さんが100年前に会社広告を兼ねて、東京、大阪など全国津々浦々に設置したが、残っているのは、空襲で焼けなかった京都だけという。大きさは縦長で約90㌢。下に仁丹さんの商標「大礼服マーク」が入っている。町名表示ファン「京都仁丹會」が調査しており、京都でも95年には1300か所あったが、今は740か所に減っているという。

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2013年9月20日 (金)

新聞1面広告に出た吉野家のロース豚丼

 

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読売新聞の広告に牛丼の吉野家が出た。緑色カラーの突き出し2段、それも1面広告である。新商品の「ロース豚丼―十勝仕立て」という。広告見て以来、どんなんかなと気になっていて、行った。京都駅の近鉄商店街西にある吉野家。これで入店、4、5度目かな。

 

 表のガラス戸、読売掲載広告の豚丼だ。赤の○の中に新、吉野家にしては高め値段設定で並盛480円である。ロース豚丼の写真は濃い緑地にお持ち帰り用と二つ、インパクトがある。店内はカウンターが3列、初めて右端に座った。対面は若い男女、斜向かいは若い男性2人。店内の壁面にも新商品の広告。「うまさ、でっかいど~ん!」と洒落っぽい。

 雨の日曜夕、お客さんの注文はまだ牛丼が多そうだ。どんなんかなと注文したロース豚丼が出てきた。大判、葱乗り醤油焼き4枚。ご飯が先か、豚肉かー。さて、ろーすて食べる。やはり豚肉で「よ~い、どん」だ。ひとかぶり…う~ん、甘口や。前の男女は並盛で280円の牛丼、女性が2人分560円を払った。男性、安いのに働いてないのかなあ。こちらは野菜サラダ付き、1人600円。♪~ろーすりゃあ、いいのさ、このわたし~♪。

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2013年9月19日 (木)

没後20年、杉山寧展を見た

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 ねえっ?寧って、どう読むの。そんなこと、やすし?。京都高島屋で杉山寧展を見た。没後20年展。日本画を超えた日本画家と言われ、副題がそうなっている。初期から晩年までの作品70点、日本画か?そうでないのか?、会場に掲示の年譜を参考に鑑賞した。



 東京浅草生まれの杉山さんは1909年10月20日に生まれ、84歳の誕生日の朝に没した。生没同日という。会場に75歳の時の写真。肺に病んだ時代を乗り越えてか痩身、白髪はオールバック、羨ましい。右手に煙草、腕を組む。眼鏡の奥、まなざしが優しい。東京藝大時代に帝展初入選、翌年には特選、首席で卒業した。既にして経歴に画才あり。

 

 チケット写真の孔雀、展示第1室にいた。キャンパス一杯、斑点のある青い羽根が広がっている。ヘイ!ポーラさん所蔵で、題は「薫」。こんな孔雀いたの?と、解説を読むと、動物園へ行くと孔雀の羽根が抜け落ちる頃で、羽根を拾い集めて石膏にして、想像で描いたという。昭和50年、66歳、文化勲章受章した翌年の作品だった。光だけの抽象画あり、裸婦あり、ピラミッドあり、仏像あり…、叙情を排し、奥底そこを見て描いている。

 ※ 雑誌文芸春秋の表紙を1956年から30年間描いている。 ※ 長女瑤子さんは三島由紀夫の奥さん。 ※ 杉山展は9月16日で終了した。

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2013年9月18日 (水)

お茶漬けまでの道のり

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 いやまあ、あるある。メニューどおり、沢山ある。そう広くない2人掛けテーブル、御膳がトレーで出てきた。とれとれ?と見る。造りはお皿にホタテ貝殻を重ね、マグロ、サーモン、ホタテである。これ、重ね重ねご丁寧にという。いや、そんなことホッタテ??。

 

 四六時中おひつご飯店である。四条河原町のマルイデパート7階、入店2度目。近畿地方の1週間の天気予報がデジタル表示の店の前で、メニュー写真見て、みぞれひれかつと刺身御膳1090円だった。792kcal、塩分9・0gで、減量意識すれば、まあこんなところと頼んだ。店の売りがおひつご飯、これにお茶漬け用の三種薬味が付いている。

 

 賑やかなテーブル、記念に写真を撮った。お茶碗、杓文字、わかめの味噌汁、メーンのみぞれひれかつ、きざみ高菜、それにお茶漬けの特製白だし入りのやかん、ここは洒落一つ。昼でもやかん!。箸は?と探すと、端にテーブルに据え置きの箱の中で、御膳をずらして、取り出した。さて、何からと、箸を持って、刺身のむらさきは何処?と見たらペットボトルの中…、小皿に注ぎ、やっとスタンバイ。四六時中、お茶漬けまでなんやかんや?。

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2013年9月17日 (火)

伝道掲示板に今日を思う

 

Img_3386Img_3385Img_3388吾を気づかすというか、生き方を考えさすというか…である。お寺の伝道掲示には、いつものことながら、うんうんと思う。腰に下げたデジカメ取り出して、有難いお言葉、ガッシャと撮る。最近、町中を歩いて、出会ったお言葉二つ、如何にも…で以下に紹介する。

 

 最初は後白河法皇ゆかりの長講堂である。場所は京都市下京区で、五条河原町から西へ行って、最初を左折して、百㍍ほどだったかな。後白河法皇全盛のころ、六条御所と言われた格式高いお寺さん。今は西山浄土宗の寺院で、頭を

丸めた法皇の坐像は展覧会で何度か、ホオッと見た。それで重文だった。長講堂由来ではなく、そこの伝道掲示での長考だ?。

 

 どう書いてあるかというと、「今日という日は今日限り」である。今日の漢字は、ふつう読めると思うけど、よほど強調したかったのか「きょう」とわざわざ、振り仮名が振ってある。確かに今日は今日で、明日ではない。今を大事に…か。もう一つは長講堂と背中合わせ、河原町側の延寿寺。ここも西山浄土宗のお寺で、伝道掲示板は「朝は希望に起き 昼は努力に活き 夜は感謝に眠る」。これも一日の大切さ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。

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2013年9月16日 (月)

女の子とブタ君のはぐ

Img_3342_2Img_2405Img_2401_2これって、ハグ中のハグ―かなあ。静かな海辺、女の子とブタ君がぎゅっと抱き合っている。赤いリボンの女の子は眼をつむって、うっとりしている。大きな鼻のブタ君は眼が「へ」になっている。波打ち際、青い海辺、地平線の向こう「はぐ」が太陽になっている。

 

 滋賀近美であった展覧会「佐々木マキ見本貼」へ行って、鑑賞帰りに買ったポストカードの一枚である。佐々木マキさん、漫画家で、絵本作家で、イラストレーター。女性かなと思ったら本名・長谷川俊彦さん、男性である。雑誌「ガロ」や村上春樹の本の表紙を描いていて、作家歴40年以上、今年67歳という。鑑賞に行き、へえっ、そうだったのか。

 電車の前を横切るオオカミ、鉢植えに花の種になるブタ…、一風変わった前衛的なマンガだ。その中にhugのハグ作品である。親愛の情を表現するハグ、これを平仮名の「はぐ」と書いて、シマウマとラクダ、ワニとペンギンなど、奇想天外な組み合わせで抱き合っている。ほほえましさ、ユーモラスさ、温もり…がある。2020年東京五輪決定会場、雑踏ではぐれそうなハグが一杯だったが、佐々木漫画に思わぬハグを見た。これが、ハグ!。

 

 ※ 佐々木マキ氏は神戸市出身、京都市立美大日本画科中退、京都市在住。 ※ 佐々木マキ見本貼展が9月1日で終わっている。絵本はぐは、福音書店から出ている。

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2013年9月15日 (日)

滋賀会館の命名書発見

 

Img_3321Img_3325Img_3323これは、お宝では―と、桐箱が出てきた。箱の表書は「命名書 縣立滋賀會館」。倉庫の奥の奥、縣も會も旧字遣い、箱は埃をかぶり、かゆ~いの、かゆ~いの飛んでいけ!と、フッと吹いて、箱の紐をほどいて、蓋を取った。真っ白な巻紙が1枚、開けると…である。 

 命名書、どんなんかなと、立ち会った一同、めいめいに覗き込んだ。巻紙は5つ折り、墨痕鮮やに甦って「この會館を總称して滋賀會館と命名する」と。末尾に「昭和二十八年十二月二十四日、滋賀縣知事服部岩吉」と朱肉の押印付き。滋賀会館の開館は昭和29年6月なので、これは定礎の日付け。意識したかどうか、いぶかしいが、Xマスイブの日だ。

 滋賀会館は今年度限りで閉館、今月一杯で全テナントが退去する。今から60年前、結婚式場あり、図書館あり、大ホールあり…、地下1階鉄筋5階建の総合文化ホールとして建った。知事は国会議員でもあった服部岩吉さん。会館正面南側の石碑に銅板レリーフ像がはめこんである。戦後の民選知事2期目。農協の産業会館が2度も燃え、木造から鉄筋へ、しかも文化ホール機能も…と、欧州を視察して構想した滋賀会館、いま役割を終える。

 

 ※ 滋賀会館は来年度中に更地になり、県が11億円でHNKに売却、平成30年度に放送会館として生まれ変わる。

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2013年9月14日 (土)

秋はサンマの塩焼き

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季節は秋、おすすめメニューに〈さんまの塩焼き〉が出た。秋でも飽きず、週に一度ならず二度三度と行くJR大津駅近くのスタンド林屋である。暑すぎたサマータイムすんで、秋刀魚である。三陸沖合の海水温が上昇、サンマの好む15度以下に成らず不漁という。

 

 それでか、林屋さんの〈さんまの塩焼き〉は400円である。店長の林さん、一匹400円で仕入れて400円、儲けなしです~と言う。自らイケメンと言う目が笑っているので、多少オーバーだろうが、水揚げが少ないのは事実のようだ。日経コラム「春秋」にウナギに手が出ず、クロマグロも減り、サンマまで貴重品の仲間入りは困る~と載っていた。

 

 さんま、サンマ、秋刀魚…、書き様がさんまんにならないよう、引き続き、サンマを書く。林さんは左手にサンマ乗せ、塩を振って、オーブンで最初は6分、次に5分、出してバーナーで焦げ目をつける。バーナーの持ちよう、場馴れしている。大根おろしと大分のカボスを揃え、口癖でホイと出した。~サンマ苦いかしょっぱいか~は佐藤春夫の詩、骨だけ残すは〈猫またぎ〉、鼻をピピッと動かす魔女はサマンサ!。様々にサンマの秋である。

 

 二度目のさんま塩焼きは380円。なんで?と聞くと、サンマが小ぶりと。林さん、良心的な商い。 ※ サマンサは「奥様は魔女」で、もう40年前か、夕方の民放番組で人気があった。

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2013年9月13日 (金)

漆喰のゆるきゃら「まゆまろ」

 

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京都府のゆるキャラ「まゆまろ」くん、ご存じだろうか。まゆをモチーフにしたデザインで、国民文化祭京都開催のおり、PR隊長として誕生した。2009年のデビューで、今は京都府広報監の肩書を持つ。京都文化博物館の中庭、漆喰の「まゆまろ」くんがいる。

 

 文博の展覧会鑑賞のおり、旧日銀京都支店の三条通り側から入ると、中庭があって、ベンチもあり、風格のある喫茶店もあり、ちょっとした憩いの場になっている。そこに動かない「まゆまろ」が立て札を背に立っている。ずんべらした身体に茶色の羽織をはおり、白足袋に草履をはいている。顔はくりくりの両眼だけ、鼻も口も耳もナア~ンにもない。

 

 京都新聞に「ひこにゃん」「くまもん」と比べ、グッズが少ないと記事が出ていたが、中庭の「まゆまろ」くん、なかなか可愛い。立て札を読むと、この「まゆまろ」は左官の漆喰壁の仕上げで、漆喰は抗菌の性能とCO2を吸収する力があり、現代建築では外壁内壁に多く使われているという。左官組合が「まゆまろ」を起用、漆喰はいいぞ、いいぞと宣伝しているようだ。ここに何で「まゆまろ」かと思ったが、それでしっくい?合点いった。

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2013年9月12日 (木)

国鳥キジの剥製

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 日本の国鳥、ご存知だろうか。改めて問われると、何だったかなと思うけど、国鳥は雉のキジ。学名はキジ目キジ科キジ属と、記事に出ている。なんで国鳥か、桃太郎鬼退治の情報取りの鳥などで、よく民話に登場するからだろうか、昭和22年に国指定されている。

 

 雉の剥製が滋賀会館の公益財団法人事務所の壁に飾ってある。体長80㌢はあるオスだ。緑色で茶褐色の斑点のある羽を大きく伸ばしている。目の周りが赤い。宿酔い、二日酔い?…、違う、違う。これもオスの特徴だ。「雉も鳴かずば撃たれまいに…」という諺があるけど、もう少し生きられたのに「ケーン」と鳴いたのか。余計なことは、イケン、イケーン。

 

 壁飾りのキジさん、よ~く見ると、足元に札が下がっている。表か裏か、片方に大津市長等3丁目の浜崎銃砲火薬店のゴム版が押してあり、その反対に「守山市…中出…様 かべ掛け」と読める。どうも剥製屋さんらしい。銃砲店の浜崎さんは県狩猟組合の役員さん、知っている。雉は国鳥でも狩猟許可が出ている。飛ぶより走るのが得意で、スピードガン測定で時速32㌔。何時何処で…と浜崎さんに聞いて、キジ撃ちのドラマ、記事にしたい?。

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2013年9月11日 (水)

路地の蕎麦屋さん「有喜屋」

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 蕎麦を食べると、心がうきうきするから「有喜屋」だろうか。創業昭和4年の手打ち蕎麦屋さんである。京都では先斗町に本店があり、四条烏丸、京文博などに店を出す。先斗町は何時、誰が名付けたか、ぽんとちょうと読む。<せんとちょう>じゃない。まあ読めない。

 

 京文博店はフロア1階、京都の昔を思わす路地の中に店がある。舞台が会津から京都に移って、視聴率上昇のNHK大河ドラマ「八重の桜」の展覧会を時間延長の金曜夜に行って、出てきたら雨。傘はなく、博物館の路地裏へ行った。路地は<ろじ>とは読まない。これも京都流か、ろうじ、または、ろおじーと読む。有喜屋さん、雨宿り入店だった。

 

 夜ももう8時を回り、ガラ~ンとしていたのに、急な雨で1人が2人、2人が4人…。ガマの油の講釈を思い出す。すき焼丼みたいなすき定を頼んだ。店の名物は有喜天そば。今の店主は3代目さんだけど、納豆と生卵をホイップし、クリーミーな天ぷらを乗せてメニューで創業者発案という。ホイップにクリーミー、これ、チラシに書いてある。なかなか今風な表現である。すき定は蒟蒻、卵、葱、肉、これに天かす入り蕎麦だ。心ウキウキと食べた。

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2013年9月10日 (火)

居酒屋酔心の沖縄フェア

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 大手居酒屋チエーン、あっちで酔心、こっちで酔心である。酔心と言えば、日本画家・横山大観が終生愛したという広島の地酒だけど、なぜか今、京都に酔心多く、駅前あり、御池あり…。低価でメニュー多く、どこかの店でウイッ…とやって、今日は四条烏丸店だ。

 

 地下鉄四条駅を上がって、阪急駅改札から東南の地下構内。本屋さんがあって、信州そばのそじ坊と看板が並んでいる。元職場の同僚2人と待ち合わせ。最初はそじ坊予定だったが、酔心はこの夏限定の沖縄フェア開催という。産地直送で召し上がれ「ウサガミソーレー」となれば、ソーレーだ。沖縄のうまいもんが「ウチナーマーサン」と沢山らしい。

 

 花金6時、まだ空いていて4人掛けテーブルに座って、ウチナー、ウチナー、何する?。まずはメニューをよくミーバイで、白魚のお造りミーバイ。沖縄の魚で、本土読みは「はた」で天ぷらもある。480円だけど、消費税込み504円、よくミーバイ?。それと、やっぱり、やんばるあぐー豚のゴーヤチャンプル。ゴーヤは昨夜も大津駅前で出て、5夜でなく2夜目。もう一品は、メニューぐるぐる回して、唐揚げのグルクン君、元気かな?。

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2013年9月 9日 (月)

築270年、特別公開の長谷川家住宅

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 なんと大きな棟木だろう。土間の上、縦横に4、5本はあったろうか。棟木は松の木だそうだ。去年、国の登録文化になった京都市南区の「長谷川家住宅」だ。江戸時代の寛保2年に建った農家で、築270年という。その年輪は♪~松の木ばかりが松じゃない~♪?。

 

 京の夏の旅で、長谷川家住宅は今、特別公開中。NHK朝のラジオで、地元の主婦が「会津藩士の武具跡、階段棚がおます。見においでやす」と京都弁で紹介していたのを思い出し京都駅観光案内所で聞いて行った。地下鉄九条駅から札の辻へ徒歩10分、昔の東九条村だ。長谷川家は地主で、農家で、庄屋さん。洒落るなら、庄屋で、しょうか、しょうか?。

 

 京町屋の情緒が漂う2階建て、白塀に虫窓がある。玄関表に「事貴明」か「事学明」か、古い扁額があり、現在のご当主も意味は??という。写真撮影、土間はどうまない?といので、天井窓の下、松の棟木を撮った。蛤御門の戦いで、会津藩が長州藩を追いかけて、逗留しておりの礼状やら、洛中洛外で洛外を色つきで示す古地図やらある。2階には画家でもあった11代長谷川良雄氏の水彩画なども展示してある。まあ一度、見にいきなはれ!。

 

 ※ 夏の旅特別公開は9月30日まで開催中。入場料600円。 ※ 長谷川良雄さんは洋画家浅井忠に師事、浅井さんの故郷、千葉県佐倉市で個展など開催している。 ※ ♪~松の木ばかりが~♪は歌手二宮ゆき子が唄ったお座敷ソング、松の木小唄。

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2013年9月 8日 (日)

ブロンズ像の眺めはカウントダウン

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どこをどう見ているのだろう。右手は軽く突出し、左手で首を支え、顔を真上に傾けている。等身大の女性のブロンズ像。出勤すると、職場のあるビル3階の部屋から何とはなしに眺める。均整のとれたプロポーション、上を向き過ぎて、のだるさがネックかなあ?。

 

 部屋からの目線は左下30度である。立ち上がって、窓のそばで見下ろすと、右足を少し前に出している。台座の題名、「海」と読める。ブロンズ像は滋賀県庁の西側庭園に立つ。道路の向こうは朝日新聞大津総局、こちらは9月末で全テナント退去の滋賀会館、開館から60年、来年中に更地になる。この位置からの眺め、見納めカウントダウンに入った。

 

 庭園の中、像は夾竹桃、大きな藤棚、中国湖南省との記念樹と一緒だ。何時だったか、琵琶湖水位を毎日示す電光表示板前の信号を渡って、作者確認に行った。大正から昭和へ帝展、日展で活躍した長浜市出身の中川清さんの作品で、奥さんが県に寄贈している。作品は長浜市役所前、豊公園内にもあり、何度か見ている。裸体像多く、ブロンズの大家だ。滋賀会館消え、新しいビルが建ち、この位置から誰が鑑賞者になっても、銅像はどうぞ!。

 

※ 中川清(1897~1977)は長浜市八条町出身の彫刻家。現東京芸大卒、「腰かけた女」の帝展初入選、戦後は日展評議員、京都教育大学講師などを歴任した。昭和38年には青年像「あるく」で日本芸術院賞を受賞、昭和52年、80歳で亡くなっている。

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2013年9月 7日 (土)

蕎麦の三喜さん年内限り

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手打ち蕎麦のお椀が三つ出てきた。錦糸卵、刻み海苔、鰹節ー、それぞれのお椀に乗っている。これを三喜そばという。JR大津駅隣の平和堂6階レストラン街、うどんそば処三喜さんの店名メニュー。これを食べて翌日は比叡そば、少し経って、かやく定食だった。

 鳩マークの平和堂が滋賀県内のJR各駅前にアル・プラザの愛称でアル?。県都大津駅もその一つで、開店40年以上経つけど、地下食料品のほかは、経営が苦しかったのか、今年限りで建て替えという。三喜さんは店舗が色々変わる中、開店当初からずっと夫婦だけで営業している。蕎麦効果の減量対策と閉店の寂寥感を重ねて、久しぶりに続けて通った。

 お店の前に赤い唐傘、店内は屋根瓦…、なんでだろう。情緒感かなあ。三喜の三はご主人の三郎、喜は漢字は違うけど奥さんの清子さんからとか。調理は奥さん、客扱いご主人。草津で店を構えていた時からそうらしい。注文して、出てくるのが早い、早い。さすが熟練の技。かやく定食はきつね蕎麦付き、2分で出てきた。比叡そば?山芋に生卵で、所謂トロロ蕎麦。閉店後は?と聞くと、これで終わりますと。半世紀に及ぶご夫婦の手打ち人生、涙もトロロ。

 

※ 6階レストラン街は飲食店が一抜け二抜け…で今は3店舗だけの営業。

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2013年9月 6日 (金)

大人気の鴨せいろセット

 

Img_2929Img_2932Img_2934いつも通るので、いつでも…と入ったことなかった出雲そば店へ入った。京都の南座から縄手通りの信号渡ってすぐである。看板は「ぎおん出雲そば八雲」と出ている。上半分が格子のすきガラスの玄関戸開けた。店内は細長く、左が調理場、右奥が客席だ。

 

 壁に色紙が重なてるように並べてある。読めるサインは、宮川大助、本田博、シャンプーハット…などかな。有名人、南座の公演ついでかなあーと見ながら、さて注文…。メニューよく見ず、せいろ蕎麦が意識にあって、赤文字の<大人気!>が目に入って、鴨せいろ!と言ってしまった。ご飯つけますか?と聞いてきたので、少なめで…とお願いして待った。

 

 お茶が出たおりに聞くと、お店は58年目という。店の娘さんだろうか~これ、家でつけた塩昆布どす~と、昆布の乗ったご飯に大根のおばんざいが一緒に出てきた。値段は?と改めて壁の<大人気>メニューを見る。「おばんざい、ごはん付きの鴨せいろセット1870円」。えっ!そんなにしたのか。手打ちのせいか、時間かかって、鴨入りの黒い出汁と、せいろの出雲そば。蕎麦を出汁につけて食べつつ、味より、脳は1870円、1870円…。

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2013年9月 5日 (木)

特別公開の祇園閣へ行く

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 銅板屋根のはるか上、鶴が大きく羽を広げている。第38回京の夏の旅で、5年ぶりで公開中の祇園閣である。鉄筋コンクリート3階建て、祇園祭の山鉾を模ってあり、鶴までの高さは36㍍。昭和3年の御大典記念、大倉財閥創始者の大倉喜八郎が90歳で建てた。

 

 円山公園から、高台寺へ行く道筋、音楽堂の前、大倉家の別荘地である。確か5年前の公開に行ったが、今回は二度も行ったので、もう後悔はしない。織田信長・信忠の菩提を弔う大雲院と同じ敷地にあり、本堂の阿弥陀さんの前で、四条河原町にあったお寺が昭和48年に高島屋との土地交換で引っ越して来たなどと説明を聞いてから祇園閣へ―である。

 

 入り口は二頭の獅子。右は口あけ、左は閉じる阿吽の獅子という。大倉財閥創生の大成建設のシンボルとか。鉄製扉は鶴。大倉喜八郎の幼名が鶴吉だから屋根上と一緒の鶴という。設計はなんちゅうか、そうそう伊東忠太氏。敦煌の洞窟壁画を模写した室内を見て、上がって、風心地よく、絶景かな、絶景かな。なぜか、境内墓地には、石川五右衛門の墓も。写真は近隣住人から覗かれるとクレームがあり、撮影禁止。ああ、残念かな、残念かな。

 

 ※ 創建の大倉喜八郎は90歳のこの年、死去している。屋根は銅づくりなので、金閣、銀閣に対し、銅閣という。 ※ 大雲院は織田信忠の法名で、浄土宗の単立寺院。開祖は安土宗論で法華宗に勝った貞安上人。創建は1587年、最初は烏丸二条で、その後秀吉の都市改造で四条寺町へ移っていた。 ※ 石川五右衛門の墓は貞安上人に帰依していたからというが、定かでない。

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2013年9月 4日 (水)

肝入り出汁巻きの肝

 

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次は何にしようかなあー、店長おすすめメニューを見る。最初は野菜系!と頼んで、山芋を豚バラで巻いたソテー。油で軽く炒めた豚バラ、こんがり色がついて、細切りの山芋がしゃきしゃき、味わいがいい。それはそれで満足して次、肝いり出し巻きに目がいった。

 

 JR大津駅前のスタンド林屋さん、店長は8月に誕生日を迎えた満34歳の林亮二さん。食材さえあれば、いかようにもである。肝いり出し巻きの隣のメニューは「茹で上げブロッコリーのバウニャカウダソース」。何がバウニャで、どう買うダ。それがニュースソースでないソースだという。何のことか、わからない。鰻の肝入りー、これはわかりやすい。

 

 立つ位置は調理台の真ん前。林さんの手さばきは流れるごとく、ホイ!と出てきた。デジカメ撮影、肝心の肝が見えないと言うと、プラ容器入りの肝を見せて、出し巻きの上に乗せ、ついでに自分の口にもホイ!と投入した。これこれ、商品に手をつけたらあかんがな!と注意したら…である。林さん、肝に命じます!と。いや、うまい。鰻の肝にはコリンという栄養素あり、加齢による記憶喪失を防ぐそうな。林さん、あの肝、忘れへんで?。

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2013年9月 3日 (火)

のらくろさん寄贈の大津絵

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 本を読んでいると思わぬ発見がある。大津市歴史博物館で開催の企画展「珠玉の大津絵」の副題は町田市博×大津歴博コレクション。何で東京・町田市博が大津絵を所蔵しているのか、その謎が本で解けた。読み進んでいて、ええっ!そうだったのかーと嬉しくなった。

 

 本は日経の朝刊「私の履歴書」を編集した日経ビジネス文庫。横尾忠則、土門拳、岩田専太郎、田河水泡の4人を取り上げ、神戸の横尾現代美術館へ行ったおり買った。横尾を読み終わり、田河の項に入ってだ。のらくろ漫画で名をあげた田河が晩年、滑稽の研究という著書を著すのに大津絵で面白さの原点を知ろうと、風刺絵などを多数蒐集したという。

 

 田河氏は当時、町田市に住んでいて、150点もの資料を市立博物館に一括寄贈したーと書いている。東西の大津絵コレクション一堂に~という展覧会、東は町田市博、西は大津歴博であり、会期末に行った。大津絵の始まりの仏さん、角折れの鬼さん、うますぎる話ほど怖いものはない喩えで、飲め!飲め!と鼠に酒をすすめる猫の絵…、それぞれに町田と大津の軸絵が並んでいる。田河氏蒐集の記述はなかったが、俺は知ってるぜ!と見た。

 

 漫画家田河水泡氏は明治32年生まれ、90歳で逝去。本名は高見沢伸太郎。講談社「少年倶楽部」に連載の「のらくろ」が人気を呼び、10年間続く。戦後も復刻版など再びブーム化する。 ※ 展覧会は9月1日で終わった。

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2013年9月 2日 (月)

かき氷旗のデザイン

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かき氷の旗と言えば、波間に赤い文字の「氷」が浮かぶ。どのお店でも同じデザインかなーと、日曜の街ブラ、そんな疑問が沸いて、氷、氷、氷……と旗を尋ね歩いた。京都の繁華街、円山公園から祇園へ、花見小路から四条通りへ、よく見ると、少しずつ違った。

 

 円山公園の茶店、竹竿のノボリ旗が出ている。かき氷のイラスト付き。文字も<かき氷>と明確に表示してある。一文字の「氷」だけで、かき氷と思わすのが大方だが、それって、何時頃からだろう。長楽寺上り口、スイーツ店は、赤い縁取りの中にブルー字で「氷」だ。冷たい氷、ブルブルするからブルーか?。「氷」は赤字が定番だけど、こんな色違いもある。

 

 音楽堂へ通じる甘酒屋さん。青い千鳥が二羽、赤い「氷」が波乗りしている。これこれ、これが正調の氷旗デザインや。何で波乗り、何で千鳥、何でかなと思う。客が入店待ち、人気の花見小路のわらびもち屋さん。ここは簾に水色の氷、見ているだけで涼感、涼感…、良寛さん?。南座隣、にしんそばの松葉さん、高島屋西側の蕎麦の老舗尾張屋さん。ここ2軒は正調の氷旗。歩き疲れで調査はおわりや。宇治しぐれ注文。冷たさに頭がキ~ン、こおりごおり?。

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2013年9月 1日 (日)

暑かった夏のデジカメ写真3点

 

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この夏、猛暑で、酷暑で、記録づくめだった。京都新聞8月31日付け朝刊、最高気温変遷グラフ付きで、暑さぶりを記事にしていた。毎日毎日、腰にぶら提げ、撮り続けたデジカメ写真の夏はどうだろう。パソコン貯め込んだ写真を点検、夏の思い出3点を選んだ。

 

 あっちこっち…丁稚で撮った写真、自宅で8月1日分から見ていった。8月は雨の朝の始まり。滋賀県庁前、夏の甲子園初出場の彦根東高校の壮行会。文武両道、みな聡明そう。びわ湖花火は30回記念、ビル屋上から撮ったけど、写りは今一つで削除また削除。ドンとなった花火は難しいなあ。翌日の京都新聞朝刊、2尺玉がバババ~ンと。プロは違う。

 

 絵柄のいい写真はないのか。甲賀の三雲トンネルを抜け、JR草津線沿線で見つけたひまわり畑、偶然やけど、ええがな。暑い時は~の鍋焼きうどん。翌日朝刊に高知で最高気温41度の日本記録。あの日の鍋焼き、熱かったはずや。大津地裁庭の真っ赤なさるすべり、木も頭もツルツル…。芙蓉は咲いても、散っても芙蓉?。♪~赤く咲くのは~♪の藤圭子さん逝去は驚きニュース。甲子園にもゴルフ場にも雲モクモク…、暑すぎた夏は行く。

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