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2013年4月

2013年4月30日 (火)

新橋駅SL広場の大盤将棋

  Img_8594Img_8588Img_8596盤上睨んで、う~ん、う~ん…と唸る。産みの苦しみ、を指す苦悩…、ったもの??…である。東京はJR新橋駅のSL広場の大盤将棋大会。昭和47年にニュー新橋ビル完成記念で始まって、もう41年である。4月から毎週土曜開催、今や風物詩になっている。 

 

 バチン、バチン…、盤上に駒を置くごと、大きな音がする。路上での公開将棋。駒音は、東京へ出てきた通天閣の坂田三吉が~関根はん、どうや!~と、言っているように聞こえる。昼間なのに大きな?や。台は腰の位置、立って見降ろす盤は2列に並んで、18面ある。駒もでっかく、生産日本一の山形県天童からで漆塗り。長寿の金さん銀さん…も?。

 春とはいえ、雨が降りそうな寒い日だった。どこかで昼食と、山手線新橋駅を降りて、ホームからSL広場側を見ると将棋大会。上方芸能編集長、木津川計さんに関根名人に勝った坂田三吉の一説を聞いたばかり。改札出て、足が勝手に観戦へ動いた。ジャンパー姿の指し手の皆さん、両手をポケットに突っ込み、長考また長考。坂田三吉は破れかぶれの銀で名人関根に勝ったけど、銀は泣いていたという。路上観戦、嗚呼、寒い。駒も震えている…。

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2013年4月29日 (月)

銀座・橋悟の、だんだん麺

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 ならぬものはならぬだが、好きなものは好きである。会津の八重の桜から時代は昭和に入って、東京5輪開催の39年に開店した支那麵「橋悟」の胆胆麵である。この胆胆麵、何時頃からか、だんだんそうなって行ったのか、パンダみたいに胆胆を<だんだん>と呼ぶ。

 これがまあ、うまい。スープの辛さ加減が、舌にピリッと来て、絶妙である。左手に持ったレンゲに少し掬って、鉢から掬いあげた細麺を絡ませ、1回、2回、3回…。スープは辛くても、コップのお冷やお代り覚悟で、鉢を傾け底が見えるまで…である。いや、おいしいのナンノ、舌に辛さの残る余韻が何とも言えない。東京は銀座、つい舌と足が行く。

 溜池山王、新橋と都内に何店か出来ているが、行くのは単身赴任時代から銀座である。朝丘雪路、島崎藤村、中山千夏、殿山泰司が出た5丁目の泰明小学校からすぐ近くだ。それはそれは長いカウンター、10㍍以上ある。昼時は一杯、この前は土曜の午後1時すぎ、空いた真ん中に座った。だんだん麵頼むと、ライスは?と聞いてきて、このライスに刻み大根を乗せて、待って、だんだん麵だ。彩りに青菜…、ひと目会ったその日から…である。

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2013年4月28日 (日)

吉良邸の上野介は好々爺


 
Img_8534Img_8532Img_8527 にっくきは、吉良!のはずが…である。目指した本所松坂の旧吉良邸。座像の上野介は、なんと人の良さそうな顔をしていることか。ダンゴ鼻とリスみたいな目…、衣冠装束をつけ、すまして座っている。いじめ、嫌がらせの殿という固定観念を外せば、好々爺である。

 本所松坂は今でいう両国である。我が住まいが、大石内蔵助が討ち入り策し、隠れ住んだ京都山科の大石神社近くなので、東京2泊3日のおり、これもご縁と、内蔵助が山鹿流の陣太鼓を鳴らした吉良邸へ行った。かつての吉良邸は8400平方㍍、今は史蹟公園になって当時の86分の一という。高家を示す海鼠塀の中、一歩入って目前が上野介だった。

 史蹟公園は地元の人たちが吉良邸保存会を立ち上げて出来た。園内は上野介を祀った稲荷社、往時の邸内見取り図、首洗い井戸などあって、樹齢を重ねた牡丹桜が散り始めていた。座像は吉良家の菩提寺、愛知県吉良町の華厳寺にある現存する檜材の木像がモデル。上野介が50歳(1690)の時に造らせたという。討ち入りは元禄15年(1702)だから像完成から12年後である。ここで1句。~刃傷で 切られた首に 人情あり~。
 
 
 ※ 公園内の吉良上野介義央の座像は、吉良上野介公に対する歴史的認識、評価の変化に伴い、平成21年6月、地元の吉良邸保存会が造った。製作は横浜市の造形作家、米山隆さん。

 

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2013年4月27日 (土)

両国界隈へ行く

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 東京3日目の最終日、東横イン人形町に荷物預けて、都内ウオッチに出た。まずは両国界隈。甘酒横丁から安産の神様・水天宮は、今、仮宮さん。向いの明治座公演は剣劇の早乙女太一の幟が立つ。銀座に対し、無名の金座通りを歩いて隅田川。堤防を両国橋へ行く。

 

 堤防から東京スカイツリーが見える。両国とは、武蔵と上総の国。二つの国に架かって、両国橋なのだ。スカイツリーの高さは、武蔵の国の634㍍、ムサシ。一度、そう聞いたら忘れない。花壇のある堤防、ランニングブームかランナーが走る。顔に墨塗って、ランナウエー??、いや、真剣に走る。花壇のツツジは、来るか、来ないか、クルメツツジ?。

 両国と言えば花火。隅田川に玉屋と鍵屋が艶を競って、たまにはタマヤッ!美しさがカギヤッ!か。隅田川、お米のポン菓子みたいにポンポンポンとタグ船が行く。橋を渡って、堤防テラス、両国地区の小中学校卒業記念壁面絵画、陽が照らす。作品に北斎富士、北斎が養子に行った中島家あり、駒札に北斎の自画像。明暦大火を弔う回向院も。さすがにここは両国、自転車に乗ったお相撲さんとも出会う。自転車の声、重たい!、重たい!?。

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2013年4月26日 (金)

赤霧島から傳八の二階堂へ

Img_8446Img_8466Img_8471東京の三原橋の居酒屋・傳八は、庶民の味方である。味もよく、値段もやすく、品揃えも多い。三原橋というからには川が流れ、かつては橋もだろうが、今は端にもない。傳八は交番の向かい、二階へトントンと上がり、30年周年記念、生ビール半額だった。

 東京サ来て、夜の宴会は2晩目である。前夜は日本橋、知人経営の居酒屋さん・吉。宮崎の友人が、そうは拝めない赤霧島3本持ち込み。紫芋づくり、度数25度。甘さがあって、すぐ舌がもつれるまろやかさだ。霧島には黒も白もあって、三つ並べて、ラベルと芋焼酎のレベルを比較してみたいと思ったが、2晩目はイワシ料理と牛たんの、傳八入りだ。

 千葉からのゴルフ場帰り。京葉線の八丁堀で日比谷線に乗り換え、東銀座で降りれば、すぐ<でんぱちと>と読む傳八なのに一人、終点・東京まで。歩く歩道を長く歩き、山手線の内回りと外回りを間違い、神田で引き返し、有楽町から銀座へ、傳八は遠かった。宴は始まっていて、鰯の刺身に骨せんべい、空豆、牛たん、筍焼き等などが出ている。焼酎は前夜の赤霧島改め、傳八が2階で二階堂…。夜は更けて、もうそろそろ、かいどう??。

 

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2013年4月25日 (木)

玉子焼きと出汁巻きと明石焼きとタコ焼き

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 東京の玉子焼きと京都の出し巻き、形は同じでも味がちゃう。巻き方は似ているけど、出しの作り方がちゃう。明石焼きと大阪のタコ焼。これも蛸が入って、丸い形は一緒やけど、食感がちゃう。明石焼き、地元の人は玉子焼きと言うので、三つ巴でややこしさ増す。

 ちゃうは、違うがなの簡略言葉。あんまり言うと、なぜか、ちゃうちゃうバンビーになる。なんでこんな話になったかと言うと、東京は人形町の甘酒横丁を歩いて、「鳥忠」さんの店先を通ったのが始まり。おばあちゃんが四角いフライパンに油をひいて、玉子出汁流して、くるくる巻いて、玉子焼きを幾つも幾つも作っているのをガラス越しに見たからだ。

 

 創業から100年、5代目店主の「鳥忠」さん、<とりちゅう>とちゃう。なんちゅうかと言うと<とりただ>と読む玉子焼きの老舗。京都の出し巻きはカツオ出汁、舌にまろやかにーだけど、ここは秘伝の出汁で、甘から味という。東京育ちの女優星由里子さんが、京都に嫁いで、東京の玉子焼きが懐かしい…とシンポジウムで話していた、あの味だ。1本800円、一日持ち歩き、冷蔵庫5日間OKというので買った。味?、やっぱり、ちゃう。

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2013年4月24日 (水)

口入れ宿があった土地柄

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 どういう土地柄か、このあたりを栃殼町銀座と言って、貨幣役所や職斡旋の口入宿があったそうだ。地下鉄日比谷線人形町駅A2を出て、近くには谷崎潤一郎生家、向田邦子が通った喫茶店、鳥料理<ひで>がある。親子丼が1500円、お金たまったもんじゃない?。

 宿泊先が2泊3日の東横イン人形町。行って帰って、駅への通りに町の歴史を紹介する案内看板に<くちいれやど>と読む「口入宿」とあり、口でなく、頭に入れた。江戸の頃、人形町から日本橋に通じる道に親父橋があり、付近一帯に口入宿が軒を連ねていた。今でいうハローワーク。毎朝集まった人々に職種の希望を聞き、奉公の方向を世話していたという。

 明治東京名所図会のコピーもあって、往時の賑わいぶりがわかる。栃殼町銀座の説明は、江戸の初期、慶長17年(1612)の役人が銀貨改鋳で島流し、銀座を栃殼に移したからという。時代を超えて、傾聴に値する。案内板の出ていビルは「串特急」が出店、客を誘う派手な看板が目につく。生ビールが19時まで半額!、串焼きお任せ5本盛り680円!、持ち帰りおうちde串特急!などだ。口入宿のご縁、串カツも口に入れてや???。

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2013年4月23日 (火)

江戸前の満足ランチにぎり

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 築地と言えば、寿司なり。前に東京湾があって、トレトレの魚がとれて、江戸前寿司である。前にあるから江戸前寿司ーというのは、それでわかりよい。では、男前の<>はどうなのだろう。男らしい顔つき、態度を言うが、女性を女前とは言わない。これ、如何にである。

 それはさておいて…である。東京行最初の昼食は、築地すし好銀座店で、椀付きの満足ランチにぎり1500円。銀座三越からニュー歌舞伎座へ、昔のままの完成に観劇せず感激、築地方面へ歩いて、京橋郵便局の隣だ。具をグーで握って、パーで開いて、江戸前寿司のランチ登場である。一貫、2貫、3貫…、何で寿司を定するのか、また悩む。

 調べると、貫は個数でなく分量であり、寿司1貫あたり40gか50㌘の重さ。昔は2個で1貫だったそうだが、何時の間にか1貫1個にとか。ついでに男前の語源も調べると、これは歌舞伎役者の華麗な動きを<> といったそうで、もうひとつ、よくわからなけど、そういう前のようだ。備前焼き皿で前に出てきた江戸前、何貫あるか。海老、とり貝、ウニ、玉、鉄火、赤マグロ、全部16…、よく定できた。食べて満足ランチ!。

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2013年4月22日 (月)

銀座4丁目交差点ウオーク

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 銀座、銀座、銀座~で、何たって4丁目である。2年ぶりの東京行、宮崎、島根、香川の知人との待ち合わせは、正午に銀座三越ライオン像前。富士山見えるかなと新幹線に乗って、京都から1時間半。見えた、見えた…とお上りさんやって、おらあ東京サ、来たダ。

 山手線で有楽町まで戻って、銀座口から出た。数寄屋橋で買わねば当たらない宝くじ買わず、晴海通りと中央通りが交差する4丁目だ。ライオン像前、正午に15分前である。英国のトラファルガー広場の獅子像と同じ像という。トラで獅子、どういう具合か、それが有名になって、指示されずとも獅子待ち、わかりやすい。お向かいは、年とっても和光?。

 

 服部時計店、いまはセイコー。見上げた文字盤、時間はある。交差点の信号変わるたびに西から北へ、東から南へ、渡り歩いて、4丁目ウオーク。日産ギャラリーから三愛ビル側、角っこに交番がある。鳩居堂もある。お回りさん出てきて、急きょ出動かと思ったら、お昼の出前が届いて、勘定支払い出動だった。交番の横に現在地を赤で塗った4丁目周辺地図がある。外国人向けには<Here>と綴ってある。部屋じゃない。毛髪?もうない??。

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2013年4月21日 (日)

古戦場・関ヶ原へ行く

   Img_8280Img_8285Img_8294天下分け目の合戦・関ヶ原、石田三成が布陣した笹尾山へ行った。無料駐車場の向こう三成の幟が林立、山ぎわに竹矢来が二重に組んである。往時の復元である。熊笹が多かったから笹尾山だろうか。今も観光客向けの急な階段の両側は笹が茂り、サッサと上がった?。

 

 見える…見える…。関ヶ原、戦いの場一望だ。西暦1600年(慶長5年)9月15日午前8時、霧が晴れて、先端は切って落とされた。はるか向こう、この戦いに勝ち、300年の徳川時代を築いた家康布陣の桃配山だ。戦いに備えて桃を配ったから、そういう山の名前になったのか。何でかナ?と検証したい気がする。寝返りの小早川家布陣はどこだろう。

 高台に関ヶ原合戦陣形図がある。三成陣営にいながら家康に内通していた小早川秀秋、松尾山だ。ちょうど両陣営の真ん中、戦局がよ~く見える。三成軍は小早川陣1万含め8万、家康軍は7万だ。歴史にもしも…はではあるが、寝返りなかりせば…である。両軍15万の戦いは午後2時には大方決着がついたという。今、決戦地と開戦地に碑が立つ。町なかは、行くとこ行くとこ戦いの目安か、陣営の幟が立つ。古戦場、公選ならどうなったか?。

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2013年4月20日 (土)

関ヶ原の八重??

Img_8236Img_8242Img_8239 あっ、木が燃えている!…、何?ウン、サクラ?…、いや、もう、そんな時期じゃない。花の木は確かだけど、何だろう。赤色とピンク。田んぼの中の一軒家、そこだけ別世界みたい燃えて咲いている。ハンドル握って、斜め左前方だ。通り過ぎず、ブレーキを踏んだ。

 京都東インターから名神を走りに走って、初めての関ヶ原カントリークラブへ。ゴルフ場のアクセス地図は関ヶ原インター降り、右折して3分と出ていて、その通り走ったのにどうも違うようだ。どこかでUターンと思って、燃えて花咲く木の発見だった。車を脇道に置いて、畔を歩いて、見に行った。民家の塀側、木一杯に咲いて、で見上げてあ然!。

 高さ5、6㍍はある、大きな木だ。赤よりピンク木が高く、枝だという枝にみんな花を付け、ピンクピンクしている。灌漑用水の側溝があって、一軒民家の金網越しだ。田んぼ側に散って落ちた花ビラを一枚拾ってみた。山里の遅い春、NHKの八重の桜でもない。天下を競った戦いから410年余り、関ヶ原の八重?。色合いは梅見たいだけど、季節外れだし、当然桃でもないし…。近づいて離れ、離れては近づき、何だろう?、何だろう?。

 ※ 花木は関ヶ原インターから中町の信号を右へ、古戦場方向へ5分ほど走ったあたり。道路の南側、新幹線は走っている。

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2013年4月19日 (金)

ラーメン天の高架下営業

Img_8226Img_8230Img_8228 仕事はこうじゃなくっちゃあ―と思わす。カウンターの前の調理場、揃いの白い割烹着の6人衆、以心伝心である。湯がき、鉢並べ、皿洗い、注文受け、運び、レジ…、我が役割をそれぞれが自覚して動いている。初めて入った新幹線高架下の「ラーメン天」である。 

 JR山科駅前からの帰りのバス、国道1号の東野で降りた。ウオーキングで通りすぎるあの店に行こうと思って…だ。表はガラス張り、店内は丸見え。右側の入り口から入った。カウンター15席、テーブルは2人席4卓、4人席4卓と店は広い。日曜の夕方6時すぎ、家族連れ、1人客、入れ替わり立ち替わり…流行っている。真ん中のカウンターに座った。

 ラーメン並700円頼んで、すぐ聞いた。お店はだいぶなるの?。大将格の兄さんが答えて、20年か、いや25年かなあ~と。ラーメン天、そんなにとはテン?とだ。左は大釜三つ、ラーメンづくり。左はオーブン、餃子にから揚げ。仕切りがわかりやすい。~いっらっしゃいませ~と6人が声を合わす。店に元気がある。ラーメンが出てきて、スープと麺一緒に口にした。高架下で舌にトロッとくる場所に会う味だ。高架下営業、効果あり?。

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2013年4月18日 (木)

ルシオールでブライアンさん絵画てほどき

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ルー生まれの風景画家、ブライアン・ウィリアムズさん(65)が子供たち絵の描き方を教えた。滋賀県守山市が主催したルシオール・キッズ・アートフェスティバルのイベントの一つ、会場は立命館守山中・高校である。どう教えるのか、キッズの仲間に入った。

 ブライアンさん、主催者提供の黄色いシャツ着てサ!である。ハンチング帽被って、子供たちに向かって、~おっちゃんはネッ~と話しかける。滋賀県の湖西、伊香立の古民家に住んで25年以上、日本語も達者だ。子供に教えるのは水彩画。水で濡らした刷毛を画用紙になぞって、~おっちゃんみたいにネ。楽しく、楽しくネ~と、見本を示して話す。

ルシオール、ホタルのことだ。中山道が通る守山は夏にホタルが飛びかい、町のシンボル。近江牛もいて、ウシオール?と言ってしまって、おしまい。ここが芸術性高く、びわ湖ホールの熱狂の日々「ラ・フォル・ジュルネ」と提携、守山ルシオール。もう一度、おっちゃんのブライアンさんに戻り、水彩画手ほどき。好きに思いのままの子供たちの絵を見て回ったブラインさんが言う。~いいね、いいね~と褒めて、みんな絵がスキオール?に。
 

 
 ※ ブライアンさん、カリフォルニア大で美術専攻、版画、油彩始める。1972年 リュック一つで来日、百貨店美術画廊で個展を開催。1984年、琵琶湖に魅せられ、京都から移り住む。清水寺で曲面絵画を披露、佐川美術館でも展覧会開催。 ※ 「ルシオール」4月7日にあり、びわ湖ホールの音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」は4月27日から3日間開催。

 

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2013年4月17日 (水)

山形・米鶴の杜氏さんのお酒

   Img_8155Img_8156Img_8160_3酒はグイッと飲むと、ウイッと回る。今年も山形県は高畠町の酒蔵・米鶴さんの酒を楽しむ会である。スパークリング、巨匠、亀の尾、自然流、吟醸34号、隠し酒と出た。飲み比べて、深い…、切れる…、なめらか…、やわらか…と、利き酒のほどをウイッと言う。

 杜氏は米鶴酒造の役員でもある須貝智さん。毎年3月、全国のお酒の品評会があって、その流れで京都入りする。楽しむ会は京都市四条室町近くのワインバー。金賞何度もの須貝さん、始まりは銘柄がスパークリング。炭酸ガス入り、ピチピチはじけてシャンパンみたい。~では!~と言って、山形県産酒米「出羽の里」使用の純米造りです~と紹介する。

 では!で出羽~、本人気付かず、洒落ている。では!、次…である。大吟醸の袋取り巨匠。低温発酵の麹を木綿の袋に入れ、ポトリポトリ…と、したたり落とした最高級品という。グイッと一杯、うん、これぞお袋の味?。亀の尾から自然流と続いて、仕込み順で34番の吟醸。杜氏さんのお名前が智で、34番に肖って、別名「さとし」のお酒と、自分で名づけて、これは軽快で誠に味わい深いスッ!と。いや、須貝さんも、お酒も切れる!。

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2013年4月16日 (火)

蕭白の雲龍図、襖絵初公開

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 なんと大きなギョロ眼だろう。それも眼と眼が接近する寄り眼だ。江戸の絵師、曽我蕭白が描いた雲龍図である。大阪市立美術館で開催中のボストン美術館・日本の至宝展へ行って、雲龍図を心行くまでうん、うん見た。展示会場いっぱい、襖絵8面、10㍍はある。

 曽我蕭白(1730~81)は京都生まれで、円山応挙、与謝蕪村、池大雅らと同時代の人である。画は中国の水墨画風も、その伝統に逆らうような発想で描いているという。京都国立博物館で、05年に曽我蕭白の特別展があったおり、そのキャッチコピー「円山応挙が、なんぼのもんじゃい!」が話題になった。つまり、奇才画家なのだ。

 仏像、絵巻物、屏風…、国内にあれば、十分?重文というボストン美術館所蔵の作品を順番に見て、会場の入り口に記念撮影用の模型まであった雲龍図、まだかまだかと進んで、最後の部屋だった。いやあ、でっかい、でっかい。離れて、離れて…、下がって、下がって、全体鑑賞だ。蕭白34歳、絵師として絶頂期の作品という。ボストン美術館収蔵庫にあったのを襖絵に復元、世界初公開という。雲龍図誕生、う~ん!。

 
※ 大阪市美のボストン美術館展は6月16日まで。

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2013年4月15日 (月)

独活、鶉、鰯、丸干し、空豆…

 

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ウトウトして独活、ウツラウツラして鶉である。独活はうど、鶉はうずらと読む。鰯でイワシの煮つけでも出ると、つい定番で、そんなこと言わしないナ!と、洒落てしまうが、居酒屋メニューの食材を見ると、どう洒落るかなあーと思ってしまう今日この頃である。

 

 まずは鶉卵の目玉焼き。JR大津駅近くのスタンド林屋さんで出た。わりに客に余裕のある土曜の夜だ。1週間に3度、場合によっては4度…、日頃のご愛顧にーとでも思ったのか、店長の林亮二さんがカウンターにホイ!と言って出した。1週間の疲れか、ウツラウツラ…、いいタイミングである。群馬ご縁の居酒屋からっ風では、うどの天麩羅が出た。

 

 うどはうどでも、特産の山うど。それ、どうなすった?と聞くと、那須高原で仕入れなすったと。山形の米鶴酒造の利き酒会で酒のあてに丸干しが登場した。丸干しと掛けて、どう洒落るか、なかなか出てこない。丸干し、丸干し…と反すうして、ふと思いついたのが江戸時代、幕府転覆を策した<まるばし>と読む丸橋忠弥。それで、昼も夜も丸干し昼夜!。日本史レベル高いかな。鹿児島名産の空豆を焼いて、それ何?と聞かれば、そらあ、空豆!。

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2013年4月14日 (日)

日吉のダムカレー

 

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ウンダ、ウンダと白ご飯にスプーンを入れた。白ご飯はダム堤防で、地元収穫の日吉米使用。堤防崩すと、鹿肉入り特製カレーのルー。そこは甲子園球場の70倍というダム湖の想定だ。京都・日吉ダムの道の駅、レストラン桂川メニューの「ダムカレー」である。

 

 平日ゴルフで、サッカーの釜本邦茂さんが経営するクラウンヒルズ京都へ行っての帰りだった。京都縦貫道に乗る前に温泉などあって、人気が出ている道の駅「スプリングスひよし」へ寄ってみたら、ひとつ150円の鹿コロッケに880円のダムカレーだ。レストランの向こうに巨大なダムが見える席に座って、ご当地カレーの味わい、ウンダ、ウンダである。

 

 サラダは京野菜の壬生菜、しゃきしゃきしている。壬生菜の本来の栽培地は、新撰組屯所のあった京都市の壬生だけど、今は日吉が主要産地という。そんなこと、屯所知らんかった?。ダムカレーの見立ては…、ゆで卵は円形のふれあい橋、赤色の古代米は芝生広場という。ダムのこちら側からどちらも見えて、なるほどなあーである。では、福神漬けは?というと、これは放水だという。カレールーの中の小さな鹿肉、しかと見とどめて…?。

 

 ※ 日吉ダムは淀川水系桂川にあり、重量式コンクリートダム。高さ67㍍、長さ438㍍ある。1997年に完成。 ※ 南丹市内の殿田トンネルの近く、主要地方道の園部平屋線にある。

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2013年4月13日 (土)

あべのハルカスの<Aとa>

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これぞ、アッ!であり、エッ!である。大阪・天王寺は阿倍野、つまり大阪の南の玄関口がアッと驚く大文字の「A」であり、エッと思う小文字の「a」なのだ。どういうことかというと、来春開業の<あべのハルカス>が高さでビル日本一の300㍍に達したのだ。

 

 JR大阪環状線で天王寺へ、大阪市美で展覧会を見ての帰り、公園を駅方向に歩いて、アッ!だった。正面、なんと高いビルだろう。駅に隣接する複合商業施設「MIO」の近くでミオ?と行った。ビルはまだ工事中だけど、100㍍ぐらいのガラス壁面に<300㍍到達、高さ日本一> の表示が出ている。もう一度、顔をあげ、首を伸ばした。ああ!高い。 

 歩道橋をぐるっと回って、ビルの南側から近鉄へ入った。デパート入口に<A!abeno!>と出ている。この夏、あべのハルカス近鉄本店のタワー館が先行オープンの広告看板だ。あべのに「A」を重ね、驚かせている。翌朝の毎日新聞、ビルと駅をループ状に結ぶ歩道橋を空から撮った写真が載っている。形が「a」で、エッ…。アベノミクスのア、メールアドレスの@…、時代はこれでええのかな。ジャングルのターザンも、ア~ア、ア~。

 

 ※ 「あべのハルカス」と駅を結ぶループ状の歩道橋は全長197㍍で、公募でデザインを選び<>の文字になった。4月24日から全面通行可能になる。

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2013年4月12日 (金)

小盛り?の胡麻だれざるうどん

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 食券を出すと、トレーに番号札①の旗が立った。女子店員が~お持ちしますので、席でお待ち下さい~と言う。お子様ランチみたいな旗、気恥ずかしいやら、どこか嬉しいやら、不思議な心持ちだ。牛丼店「なか卯」ならどの店もだろうが、河原町五条店へ入って、だ。

 大阪梅田から阪急特急で河原町へ。早い時間に梅田で串カツは食べたが、もう少し軽くと、店探しで歩いて、ついぞご無沙汰の「なか卯」。店先看板、胡麻だれざるうどんの大きなポスター。並390円、大盛490円、小盛290円、香ばしい胡麻の香りがするという。売り出し中のようだ。小盛でも盛り?と思ったが、これぐらいがお腹にいいと決めた。

 入って自販機、押すボタン沢山あって、どこにあるか分からず店員さんに聞いた。カレー類の上、丼類の下に京風うどんのコーナーだ。千円入れてピッと押したのに券が出ない。ランプが妙にピカピカする。店員さんがまた来た。店内か、お持ち帰りかーの選択が先だと言う。カロリー意識、野菜サラダ百円もピッとやって、ハタハタ困った末に最初に書いた旗?だ。出てきた小盛のざる、290円とは思えぬ立派な盛り。モリ?していないかナ。

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2013年4月11日 (木)

居酒屋「からっ風」のお話

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Img_7977  これは、大津市の旧東海道筋に出店する群馬名物「からっ風」という居酒屋さんの話である。からっ風と言えば、笹沢佐保の小説「木枯らしの紋次郎」を思い出す。映画では中村敦夫さんが演じ、爪楊枝を口に上州を旅した。ひゅっ、ひゅっ…、赤城おろしは冷たかあ。

 なんでお店が「からっ風」かと言うと、お店の奥さんが群馬県の沼田出身で、若いころは群馬銀行にお勤めだった。旦那さんは田中詔二さんで、八百屋さんが4代続いた根っからの大津人。このお二人がどこで出あったかというと、今から云十年前に何と、青森だったという。山本譲二の歌う「みちのくひとり旅」だったかどうか…、結婚は出会いだった。

 八百屋さんから居酒屋転業、必然だったのだろう。群馬はカカア天下で、嫁が客を呼び、旦那が賄い、それで店名が「からっ風」である。京阪電車石坂線の石場駅近く、旧東海道にある踏切を渡って、すぐだ。群馬・前橋出身の知人、KMさん(6?)に誘われ、夜に行って、翌日昼にも一人でランチ定食に入った。愛そう良いご主人はカカア天下を認め、そのカカアは明るい。息子さんは調理がうまい。店に心地良い「からっ風」が吹いている。

 

 

 

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2013年4月10日 (水)

大阪で立ち食いの串カツでんねん

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 大阪へ行ったら、たこ焼き、おでん、焼き鳥…、やっぱりそやなあ、立ってクシる牛串やなあ。天王寺から地下鉄御堂筋線で梅田着、夕方にはちょっと早いが、阪急に乗る前に梅田新食堂街へ。路地店が並んで、その一つ、串かつ専門店の松葉総本店へ迷わず入った。

 まだ時間は早いのに右も左も客、寄って寄って、割り込んで、牛カツ、青唐、玉ねぎ…、みんな100円。飲みモンは?と聞かれて、ワインはなさそうだし、立ち飲みに形もあるなあと、生小!と言う。春の嵐、ダイヤ大幅乱れの土曜の4時半ごろ。~そやさかい、言うてたやろ、ウイッ~、右隣はおっさん2人、生中で何杯目か、話が聞かずして聞こえる。

 箸がないし、牛串食べた串棒でキャベツ刺したら、前回りのネエちゃんが~手で直接とってんか~と言う。大阪駅ビルのルクア・レストラン街の串屋、確かだるま屋さんだったか、あそこはソースの二度漬けがアカンかった。串カツ屋には串カツ屋のルールありだ。キャベツ、一度漬けで、手でむしって、注文の一番は何やねん?と聞くと、若どりという。年輩多く、客とりどりで若どり?。食い倒れ、立ち食い、これも、大阪の食文化でんがな。

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2013年4月 9日 (火)

秀吉さんのお墓へ行く

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 見上げても、見上げても…である。登り口から数えて、10段、50段、100段、200段…。一服しても一服しても、階段はまだ先にある。地元の人に<ほうこくさん>と親しまれる豊国神社、その飛び地境内にある秀吉の墓所・豊国廟へ登ったことを報告する

 

東山界隈の桜ウオークで妙法院、智積院と足の赴くままに坂道を東へ東へ行って、豊国廟の入り口だった。~これより先、登拝料100円、志納箱に納め下さい~の案内札が出ている。何気なく見ていたら白袴の禰宜さんがねきに来て「お参りは往復で30分ぐらいです」と言う。そこに415年前、伏見城で亡くなった天下人、秀吉が眠っているという。

 

階段の両側、木々が鬱蒼として、勾配のきつい階段だ。まだかまだか、休んで休んで、何とか一人でフーフー?登り切った。上がった所は標高196㍍、東山三十六峰の一つ、阿弥陀が峯の頂上である。秀吉の遺骨が埋まる五輪石塔、高さは10㍍という。設計者の名前が書いてある。なんちゅう人か、伊東忠太さんちゅう?。まさに登って拝む「登拝券」によると、階段は489段という。草履とりから天下統一へ、さすがに長い階段だった。

 

※ 秀吉は慶長3年(1598年)8月18日、伏見城で死去、63歳だった。 ※ 豊国廟は徳川幕府が廃祀したが、秀吉没後300年の明治31年(1898年)のおり、豊太閤300年祭があり、全国からの募金で整備された。 

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2013年4月 8日 (月)

新日吉神社のご神木、すだじい

  

Img_7850Img_7829Img_7827「すだじい」―、爺さんではなくて、ブナ科の常緑高木で、椎の一種という。しいて言えば、しいの木だから<じい>と付いていると思えば、わかりよい。東山七条、女坂の上り口に新日吉神社の案内看板があり、ご神木の「すだじい」が写真付きで紹介されている。

 新日吉神社の読みにも、鹿はいないけど、~かくかくしかじ~の蘊蓄がある。ルビがなければ<しんひよし>と読んでしまうが、新が<いま>で、日吉が<ひえ>で、<いまひえじんじゃ>と読む。京都御所の裏鬼門、比叡山の延暦寺、麓の坂本は日吉山王神社に通じて、ご幣を持つ金網の猿がいて、真猿を「魔去る」「勝る」と言い、洒落ぽく縁をかつぐ。

 神社境内のすだじいは、推定樹齢が500年~800年という。樹齢に300年も幅がある老木、爺さん中の爺さんである。看板見て、女坂を上がって、本殿東側へ見に行った。樹木は葉が生い茂って、本殿を覆いかぶすように鬱蒼としている。幹回りは4㍍以上あり、京都市は平成16年3月に保存樹に指定している。根っこが岩のように隆起している。しめ縄が巻いてある幹はごわごわ節くれだっている。出生年不明の、元気なじいさんや?。

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2013年4月 7日 (日)

ゴボウと言えば…ごぼう。

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 ゴボウと言えば、京都山科に蓮如さんの御坊がある。いや、奈良にだって、御坊市がある。そのゴボウ、キク科の多年草でゴボウ属というから何となあと思う。ゴボウ抜き…、土の中から一気に引き抜くので、駅伝で後ろから何人も抜き去る走りようにも例えられる。

 

 こう脈絡なくゴボウ、ゴボウと書くと、咳がゴボ、ゴボで、読売新聞4コマ漫画<こぼちゃん>みたいだけど、何が書きたいかと言うと、漢字で「牛蒡」と書くゴボウ料理のことである。実は…、毎日のように居酒屋でゴボウ、ゴボウと出た。何時も行くJR大津駅前のスタンド林屋で、フライドごぼう。大津警察署近くの「からっ風」でゴボーの唐揚げ。

 メニュー表示、牛蒡の漢字はないけど、ゴボウあり、ゴボーあり、ごぼうあり…。料理法はチンピラみたいなキンピラに炒めて、煮て、揚げて…。ちょっとこっちへ来んさい!の根菜類の一つなので、利尿作用には良いという。どう長いか、林屋で写真撮ったら1㍍はある。水洗いしてタワシで軽くそいで、そいで切って、油にジュッジュッである。「からっ風」で長いまま出たと言ったら林屋も負けずに長くして、ロングロングでアローと言う?。

 

 ※ 写真左が林屋のフライドごぼう、真ん中はからっ風のゴボーの唐揚げ。

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2013年4月 6日 (土)

坂は坂でも、女坂

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坂には、上り、下りに<まさか>もあって、ここは女坂の話である。京都東山七条から東へ、京都女子学園の中学、高校、大学の校舎が並び、女子学生が行き来する坂だ。女坂-、いつ、だれが言い出したか、と思うが、レストラン「坂」がその坂の途中にある。

 

 桜サンデーの昼、秀吉が眠る豊国廟まで行った帰り、昼食が「坂」だった。注文は日替わりの坂ランチ。身につくか、ミニ・ハンバーグ?それにクリームコロッケ、目玉焼き、赤出汁はコーヒーカップ入り、プリンも付いて、女学生好みのメニュー。空腹でサカサカ?食べて、答え分かっていても~坂にあるから坂ですか~と店名を聞く。この質問、天命??。

 

 坂のご縁、翌々日の朝日新聞を開くと、女坂が載っている。京滋の町を紹介する<週刊まちぶら>特集。「笑顔や涙 青春の道」の見出し。読むと、女坂の名は、1970年(昭和43年)発行の京都女子学園70周年記念冊子に登場しており、その頃に定着したのでは…と。レストラン「坂」のことも出ている。経営者は浜崎英実さん(61)で、もう40年来とか。バイトに京女生を使い続け、真面目でよく働くと。坂の「坂」、今なお女盛り?。

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2013年4月 5日 (金)

猫とネズミの消費者ホットラインポスター

 Img_7725Img_7727Img_7726車内掲示ポスターが<うまい話ニャ チュウい!>と呼びかけている。猫と鼠を起用して、ニャーと言わせて、チュウい!と洒落る。ニャニャッ!、ニャンチュウうまいポスターだろう。総務省がJR西日本を使い、電話の消費者ホットラインをPRするポスターである。 

 JR山科駅と大津駅の通勤電車の行き帰り、鼠にチュウイして見上げた。荷物棚の上、横に長いポスターだ。左側は鼠を狙う黒猫がニャンといる。肉厚のステーキを見せ「すごくおいしいニャ、どうぞ食べニャ」と、不気味に笑っている。青い色の鼠君、ヨダレを垂れ流している。あっ、食べたらアカン、アカン!アーカンソウ州や!。逆に食べられる!。

 

 滋賀県湖南市は「こにゃん市」と洒落て、可愛い猫を投票で選ぶ<こにゃん市長選>をやって、ニャンと猫を町おこしに登用している。消費者ポスターでは、猫は悪玉、鼠は善玉の設定だ。狙いは消費者ホットラインのフリーダイヤル、0570-064-370の周知徹底である。064で<まもろうよ>370で<みんなを!>だ。右側で赤鼠が青鼠に注意喚起している。「人間界でもしょっチュウ、だまされるっチュウ話やで」…、あかんニャア!。

 

 ポスターは近畿府県消費者向けに公募で作成。滋賀、京都、大阪、兵庫、和歌山で2100枚作成、JR西日本の車両に掲示中。

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2013年4月 4日 (木)

おうみ狂言・鮒ずしの憂鬱

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 ~臭いぞ、臭いぞ…、臭うぞ、臭うぞ~、着物の袖で鼻を抑えて、臭いを手で振り払って、そう囃されると、近江名産の鮒ずしも、憂鬱である。今、脚光を浴びる近江牛のように女性にもてる方法はないかーと名産仲間の丁稚羊羹に相談…という展開で話は始まる。

 

 滋賀県日野町、わたむきホール虹で、<続・鮒ずしの憂鬱、丁稚羊羹の陰謀>という近江を題材にした新作狂言を見た。日野町と言えば、近江商人発祥の町で…、武将の蒲生氏郷が起こした町で…、日野菜漬けが名産で…、びわこ空港建設論争が起きた町で…、ホール名のわたむきは漢字で「綿向」と書いて、標高1110㍍の山にちなんで…である。

 

 ホール名に虹と付いていて、開演は午後2時からだった。演ずるのは狂言大蔵流の茂山家一門。身に付いた臭さで女性にもてないと悩む鮒ずしが、近江八幡名物の丁稚羊羹ならアンが詰まって、妙アンがあるはずと持ちかける。生レバーの代用人気という近江八幡の赤コンも登場して、鮒ずしを丁稚から番頭になった羊羹の年老いた母親に合わせ、もてたと思わすストーリー。やっぱり、うまい話は?~臭いぞ、臭いぞ…、臭うぞ、臭うぞ…~。

 

 ※ <続・鮒ずしの憂鬱、丁稚羊羹の陰謀>は3月23日にあった。

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2013年4月 3日 (水)

浴室のバッタバラサマ

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 どう覚えたら覚えがいいかと言うと、~バッタがバラバラ~がいい。漢字で書くと「跋陀婆羅菩薩」で、ちゃんとした読みは<ばったばら・ぼさつ>である。どういう菩薩様かと言うと、無言夢想の風呂焚きで悟りをひらいたお坊さんで、禅宗の浴室に祀られている。

 

 建仁寺の境内にある浴室が特別公開になったおり、この偉いお坊さんを見た。靴脱いで、板の間に上がる所にあった。金色の袈裟をまとい、目をかっと見開いている。舟を漕ぐロみたいな長い棒を右手で高く持ちあげていて、皺が顔に32?、かなり年輩のお坊さんのようだ。ボランティア案内の方に聞くと、~このお方が、バッタバラサマ~だと言う。

 禅宗の浴室は、日本の他の仏教寺院と同様、蒸し風呂になっている。食堂・禅堂と並ぶ三黙堂の一つで、無言の場だそうだ。座禅の修行だけでなく、掃除、食事、風呂のおりでも悟りを得ることが出来るので、無言を大事にしているという。バッタバラサマはお風呂を炊いている時、悟りをひらいた。それで、湯かき棒を持っているそうだ。長い棒はフネをこぐ居眠り用でなく、湯をかき回す悟りの棒だ。バッタバラバラ…、バッタバラバラ…。

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2013年4月 2日 (火)

魚菜「えぼし」のカマからカマ

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魚のカマが出て、かまうか、かまえるか、これはお客次第だろう。高貴なええ帽子から名付けたのか、魚料理のおいしい「えぼし」という店があると言うので、元職場の同僚の案内で、初めて行った。どこにあるか大雑把にいうと、京都の二条城の東側あたりである。

 昼はランチの刺身がどっと出て、安くて満員だそうだが、同僚の案内は夜だった。ゴルフは足が短いせいか安定感があってよく飛ぶ。定年退職して、いまだ一人身である。二人では寂しいと、昼間からビールを飲む一人住まいの同僚も呼び出して、カウンターは三人になった。刺身盛り合わせから焼き魚に入った。鯛とヒラマサのカマ、デジカメを構えた。

 カマ、首あたりの白身、脂が乗っている。同僚2人の口にも脂が回ってきた。何で店名が「えぼし」かと、板前主人に聞く。自分は仙台出身だけど、茅ヶ崎に住んでいて、近くに烏帽子という地名があったからと。えぼし、そう深い意味はなかった。店内に丹後・伊根の舟屋のポスターが貼ってある。何で?か、というと姉の知人が伊根出身で、魚も週2回、仕入れているからと。ところかまわず、カマって、カマって、夜更けてもイネず???。

  魚菜「えぼし」は京都市中京区押小路通り小川上ル、電話075(212)0218、木曜定休。

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2013年4月 1日 (月)

咲いた、咲いた、サクラが咲いた

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京都新聞に満開宣言の記事が出て、心が弾み、足が動いた。昼から雨予報の3月31日の桜サンデー、毎年恒例のデジカメウオークに出た。東山七条の妙法院、智積院、豊国廟の社寺回って、鴨川は七条から四条まで行って、地下鉄で植物園…、目がサクラになった。

 万歩計は2万…、よう歩いた。デジカメ撮影は180枚…、よう撮った。パソコンに写真を取り込んでサクラウオーク回顧。これも毎年恒例、ベスト3選出である。足が棒になったせいか、どの写真も愛着はあるけど、場所別に1枚ずつとすれば、社寺回りでは智積院の紅枝垂れだろうか。しなやかに金堂への参道で枝垂れていた。これなら賛同?だろう。

鴨川堤防は春や春…の彩り。ソメイヨシノ、紅枝垂れが咲き乱れ、どこ吹く風と柳が垂れ、南無妙法蓮華経ではないレンギョウが黄色く花をつけ、ユキヤナギが雪のごとく白く…である。どれを選ぶか、悩みに悩んで、五条大橋過ぎて撮った一枚を選らんだ。白、黄色、ピンク…、春色が重なりあっている。願わくば青い空を…だが、雨の予報外れ贅沢は言えない。植物園は清楚な桜のアップ。咲いた、咲いた、サクラが咲いた~の一日だった。

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