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2012年2月

2012年2月29日 (水)

甘エビと香味野菜のタルタル

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 それは口癖なのだろう。料理が出来上がると、~ハイッ~でなくて、何時もホイッ!と店長は言う。あの日は、<甘エビと香味野菜のタルタル>が、ホイッ!とカウンターに出てきた。貼り紙のおすすめで、初登場の料理だ。これがまた、なかなかの出来栄えだった。

 職場帰りに行くスタンド「林屋」である。もう何度か書いたJR大津駅前から徒歩1分の「林屋」だ。店長の姓である林に屋をつけたわかりやすい店名で、なんや!?である。話は戻って、この日出た料理のタルタルだ。貼り紙表示の値段は380円なので、それはタルタルだ。どうタルタル?か、林さんに聞くと、フランス語で混ぜ混ぜの意味だという。

 トマトの赤、胡瓜の緑、セロリの白…、色鮮やかな香味野菜が甘エビと混ぜ混ぜして、四角いお皿に真ん丸く乗っている。スプーンを入れるのが惜しいような美しさだ。イタリア料理店で腕を磨いた林さん、腕をさすって、ホイッ!と言って鼻をならすだけのことはある。甘エビはしっぽを取り12匹、それでタルタルという。写真撮ってから口に入れてみた。とろけてくる優しい味だ。ひと口ひと口、吾唯足知(われただタルを知る)時也?。

 ※ 吾唯足知は禅語。竜安寺の蹲踞に口を真ん中に4文字がある。

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2012年2月28日 (火)

また出たホールインワン

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 われ、ホールインワンの見届け人だろうか。一緒に回ったプレーヤ-がまたやった。元職場の後輩、HSさん(5?)が瀬田GC東コースアウトの4番、谷越え140ydショートHで達成した。ゴルフ始めて10年少し、これで4度目のホールインワンの見届けだ。

通信社関係の仲間が集うコンペだった。小雨の中、午前8時スタート、3組9人の2組目だ。飛ばし屋のHSさん、2番目に9番アイアンで打った。最初のNSさん(5?)はピン傍のバーディチャンスだ。HSさんの白いボールは滞空時間を楽しむように高く上がり、ピンに向かって落ちた。スピンがかかり、ワンバウンドでカップの中へ吸い込まれた。

思い通りのスイングで無かったのか、HSさんはボールの行方を見ていない。ニアピンが気になるNSさんが最初に大きな声をあげた。~あっつ、内側かな?、あっつ、入ったあ~。HSさん、きょとんとしての感激だ。もう3年前だったか、瀬田西アウト2番で見届けて以来である。あの時も元職場の同僚だ。その前は電通さんの二人だ。プレー中、何時もデジカメ持っており、現場で記念写真だ。見届け業務、こうもあると、値打ちかなあ。

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2012年2月27日 (月)

山口素絢が描いた太夫雪見図

 

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あの美人、この美人では目移りする。ポスターに出ている、あの京美人の鑑賞に絞って、会場へ入った。京都文化博物館で開催中の「麗しの京美人展」だ。ポスターの美人は江戸時代の絵師、山口素絢が描いた<太夫雪見図>である。素絢の描きよう、どげんか?見た。

京美人展は京都府が所蔵する絵画のコレクション展。ホノルル美術館所蔵の北斎展と同時開催だった。人気の北斎展を4階で見て、エスカレーターで3階へ降りた。あっちにこっちに別嬪別嬪した会場だ。江戸の芦雪や祐信から大正の堂本印象、昭和の上村松園へ、世代を超えて描かれた京美人たちである。ポスターの<太夫雪見図>は第1室にあった。

ガラス越し、おでこをひっつけて見た。目は切れ長だ。鼻筋がすっと通っている。おちょぼ、真っ赤な紅だ。頬がほんのり赤い。結ったのかんざし、まげらず、鼈甲だろうか。解説にはこう書いてあった。~素絢は応挙高弟の一人、和美人を得意とした絵師。本図は目覚めた太夫が妓楼の縁に立ち、降り積もった雪を眺めている光景を描く。太夫のしどけなさ、艶やかな佇まいは素絢ならでは表現である~。なるほど、そけんことやったのか?。

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2012年2月26日 (日)

京都御苑の清水谷家のムクの木

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 気がきでないのか、木が木を支えている。京都御苑内にある樹齢300年のムクの樹だ。幹から伸びた枝が高くなって、右に左に広がっている。樹は幹回り3㍍以上あっても、所々では空洞化している。そんな老樹の枝を支え木が両足を踏んばるように受け止めている。

 京都御苑の中にある京都御所の南西角だ。府立医大病院で健診を受けての帰り、余裕があると、梨の木神社前の清和院門から御苑に入る。砂利道を西へ、梅林の咲き具合はどうかと歩いて、御所正面の建礼門から百㍍ほど、支え木のある老樹を知った。御苑内、よく散策するのにじっくり見るのは初めてだ。石碑と駒札があり<清水谷家の椋>と出ている。

 この辺りが清水谷家という公家屋敷だったからという。駒札の下、英語では「Muku tree of~」とあり、中国語では「~的椋樹」との表記もある。禁門の変(元冶元年、1864)のおり、長州の来島又兵衛がこの木の辺りで討ち死にしたとも書いてある。むくっと起き上がることは出来なかったのだ。ムクからさらに西を向くと、銃弾跡が残り、蛤御門の変とも言われる、門も見える。支え木はそんな歴史を見てきた老樹に報いている?。

※ 禁門の変は京都を追放された長州藩勢力が、会津藩主・京都守護職松平容保らの排除を目指して挙兵し、京都市中で市街戦を繰り広げた事件。京都市中は約3万戸が戦火で焼失したという。

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2012年2月25日 (土)

軍国少年、最初で最後の語り

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 切々とした語りーとは、ああいう語りなのだろう。身体に染み込んだ忘れ得ない思い出なのだ。話しぶり、静かに、丁寧に…、ひと言ひと言、噛みしめる如く…。NHKラジオで流れた国民歌謡「愛国行進曲」…、演壇から衒いなく口ずさんで、1番、2番と歌った。

 京都新聞夕刊に載った芝田徳造立命大名誉教授(85)の講演だ。新聞の見出しは<元特攻隊員、最初で最後の語り>だ。飛行訓練と海軍飛行服の芝田先生のセピア色の写真もだ。同じ山科に住む先生から自宅に手紙と一緒に案内が届いた。<講演資料です。あまり面白くなく、二度と話すつもりはありません。時間があれば…>と。何が何でも、行った。

 京都市職員会館「かもがわ」の会場、立って聞く人も。陸上競技通じての恩師だ。鬼の怖さ、仏の優しさを持つ先生、どこか違って見えた。司会の経歴紹介に~そんな大層な人間と違います~と話し出した。昭和8年小学校、昭和15年中学、昭和18年予科練(特攻隊)…、軍国少年の足跡だ。<乗る飛行機もなく、ずっと負い目を感じ生きてきました。子供に私の経験は2度とさせたくありません>と結んだ。心に染み込むいい講演だった。

 ※ 京都新聞掲載は2月9日付け夕刊で、講演は12日だった。

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2012年2月24日 (金)

安土歩いて、石と石の宿題

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あれは、どういう意味だろう。信長の城下町、安土を歩いて見つけた<金納相場(一石につき)~>の告知板表示と、<一字一石>刻印の宝篋塔(ほうきょとう)だ。現地でデジカメ撮りしたプリント写真を持ち歩き、何かな?何かな?と、ずっと我が宿題だった。

 近江歴史回廊大学の現地研修、町歩きで見つけた。案内役の安土図書館長の石橋さんに聞いてもわからず、~調べておきます~だった。<金納相場(一石につき)~>の表示は、下豊浦区事務所の掲示で、平成23年度は金参萬弐千円也と出ていた。神学校だった旧セミナリオ公園にあったゴミ収集場所の掲示板だ。安土に住む職場の知人に聞くのが一番だ。

 最初はさあ?だったが、暫くして、地元の古老に聞いたと回答があった。~昔は、新年や祭礼、法事のおり、お寺や神社にお米で納めていた風習の名残りで、お米1石をお金にしての値段~という。何となくわかったようで、今度は宝篋塔の<一字一石>だ。お城から城下町への入り口、安土の辻のバス停にあった。嘉永7年、法華塔の開眼供養で、経典の文字を一字ずつ刻んだ小石が納めてある~の意味のようだ。石と石、刻々と解明である。

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2012年2月23日 (木)

平家終焉の地は滋賀県野洲の大篠原

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 そうか、ここが平家終焉の地かあ!。国道8号線、旧中山道沿い、野洲市の大篠原だ。JR琵琶湖線の野洲駅から車で7、8分だろうか。<平宗盛・清宗父子の胴塚がある平家終焉の地>の案内板がある。流れに乗って走っていると、行きすぎてしまいそうな場所だ。

 滋賀県の湖南に積雪があった翌日だった。野洲の希望が丘公園であった少女サッカー大会の帰り、終焉の地をよく知る知人の車で行った。野洲駅バス乗り場前の観光案内板にも出ていたし、近江歴史回廊大学の講義でも~今年は大河ドラマ・清盛で、光が当たりますよ~と聞いていた、その場所だ。東へ走って、派手な九州ラーメン看板の向かい側だった。

 宗盛は清盛の三男、壇の浦の戦いでは、平家の総大将だった。一門はことごとく滅びたが、宗盛は捕えられ、鎌倉で頼朝に首実検のあと、再び都に戻る途中、この地で首を落とされたという。車を降り、知人とつかつかと雪道を20㍍歩いて、胴塚はあった。二つの自然石墓標に月桂冠、厳島神社お札、お花が供えてある。昔は父子の首を洗った首洗い池もあったという。年号暗記の「1192つくろう鎌倉幕府」から、もう820年である。

 

 ※ 近くの竜王町の鏡は、鞍馬から降り奥州平泉へ下る途中、義経が元服したと所であり、野洲市には清盛と関わりある白拍子が住んだ妓王寺もある。

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2012年2月22日 (水)

SHAVA LIVA=シャバリバ=喋り場

 

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始まりは<自家製ハンバーグ限定10食>だった。店前で見た黒板書き看板、サラダブッフェ付きランチ、珈琲も出て950円だ。次の予定があり、ウロウロ出来ない。初めての入店だったが、まち中なのにどこか穴場ぽい店だ。気に入って、2度も大津から通った。

 河原町御池の南西角、レストラン「SHAVA  LIVA」だ。日本読みで「シャバリバ」という。店内は5~60席あって広く、天井にガラスがはめ込んである。座って、顔を上げれば、我が顔があり、下向いていれば、○○頭だ。食事中、幸い見えない。レタスの緑、玉ねぎの白、トマトの赤…、サラダバーは10種以上、取り皿で盛り付けの美が楽しめる。

 地下鉄の市役所前を降り、エスカレータ-で地上に出て、日本史に登場の本能寺、悲田院跡のお隣さんだ。開店から3年経つという。最初にハンバーグ、二度目はタラのソテー、三度目は豚肉のヒレカツ…、当たり外れはない。天井に壷、壁に竹林…、室内装飾も凝っていて、落ち着く店だ。店名「シャバリバ」とは?3度目行ったおり聞いた。女性店員、申し訳なさそうに~単に喋べる場、シャバリバなんです~。どうも、格好よく考えすぎた。

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2012年2月21日 (火)

イジスが撮ったシャガールの天井画

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 展覧会、行って見ての発見がある。JR京都伊勢丹で開催の<イジス写真展>だ。会場かなり進み、モノクロ写真がカラ-に変わり、あのマルク・シャガールがパリ・オペラ座の天井に描いた「夢の花束」制作場面の写真が展示されていた。

 リトアニア生まれのユダヤ人のイジスは、同じユダヤ人でもあるシャガールと熱い交友があり、シャガールが天井画を制作した1963年から1964年までの1年間、ただひとり写真取材を許可されていたという。創刊以来、協力関係にあった「パリ・マッチ誌」に20頁に渡って掲載、大スクープになったらしい。

 1964年と言えば、東京五輪開催の年だ。年譜を見ると、描いているシャガール87歳、撮ったイジスは53歳だ。花束の天使、鳥女…幻想的な絵を白い作業着で描いているところが展示されている。同じコーナーを2度3度みて、出口のギャラリー。販売のポストカードにこの場面の写真はない。載っているのは2千円の図録だ。どうしようか思案して、イジスのように維持するのは…と諦めた?。

 ※ イジス写真展は<パリに見た夢>の副題が付き、2月26日まで展覧中。写真家イジス(1911-1980)=写真中央=の初期から晩年まで代表作180点を展覧している。 ※ 写真右がシャガールが描いたオペラ座の天井画で、パリ旅行の知人の撮影。

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2012年2月20日 (月)

少女サッカー大会は積雪の中…

007014_2第1回びわ湖カップ全国少女サッカーが希望が丘であった。会場は~おいで野洲(やす)~の滋賀県野洲市にある公園だ。全国9地域32チームの参加だ。写真は左が18日午前9時24分、右は翌19日午後12時20分の撮影だ。ゲーム前とゲーム中の2枚である。

 まさかの大雪だった。端から端まで千㍍という滋賀県自慢の芝生ランドが銀世界になった。白いラインを引き、テントも置いた8面の特設ピッチは雪に埋まった。前日準備は完全だったのに夜半に降ったのか、積雪量は15㌢にもなっていた。県の湖北、湖西はよく降っても湖南でこんな雪は冬場に1度か2度で、地域限定でどっと降るミナミ雪のようだ。

 この朝、寒波なら積もる長浜、米原は雪が降らなかったというからそうだ。京都市内も積もり、今冬最大の積雪5㌢と京都新聞夕刊1面に載っていた。大会初日、体育館で開会式をすませ、まずは役員総出の雪かき大会だ。写真を見ると、どこにそんな雪かき棒あったのか、100人近く写っている。2日間、4面確保して開催である。左は同じ場所から撮った翌日昼の写真だ。残雪に囲まれたピッチの中、なでしこ少女はピッチピッチだった?。

 ※ 大会は初日8ブロックのリーグ戦を交流戦に切り替え、2日目は試合時間を12分ハーフにして、32チームによるトーナメント戦で覇を競い、静岡・藤枝順心SCジュニアが決勝で愛媛・西条中央ひうちドリームを1-0で下し、初優勝を飾った。

 

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2012年2月19日 (日)

木戸忠太郎さんの達磨堂へ入る

 

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かんぬきが外れて、お堂がギギーと開いた。地質学者・木戸忠太郎さんが集めた達磨が陳列してあるお堂だ。置物、掛け軸、玩具…、ありとあらゆる達磨が3万点余り、蒐集に50年の歳月とか。お堂は京都市が寄贈を受け所有している。堂内どないか見に行った?。

 勤皇の志士・桂小五郎から改名して明治の元勲・木戸孝允の邸宅があった所だ。長州藩邸跡の京都ホテルオークラから北東へ歩いて5、6分だ。木戸孝允のご子息、忠太郎さんが建てた達磨堂は敷地内にあり、今は市の職員会館「かもがわ」が管理している。恩師の講演会で行ったおり、館内に達磨が飾ってあり、お堂も申請書で、見学が出来ると知った。

住所と氏名、見学目的の項はブログ取材と申請書に書いた。堂内の撮影は禁止で、どないにもならないという。洒落、◎かな。漢字で<閂>と書くかんぬき錠のお堂が開いて、正面に達磨図の衝立だ。日本画家・下村観山がロンドンの宿で新聞紙を束ねた筆でシーツに描いたという。堂内の陳列台、東北、静岡、信州と地域別の達磨人形から色紙、凧、硯、団扇、古文書まで達磨なら何でも揃っていたけど、雪だるまはなかった。融けたのかなあ?。 

※ 真ん中の写真は職員会館「かもがわ」の陳列ケースから撮影なり。 ※ 木戸忠太郎氏の明治42年春、大連で起上り達磨購入がきっかけで、86歳の生涯まで50年間という。 ※ 達磨堂は大正12年に新築。

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2012年2月18日 (土)

野洲(やす)のおっさん

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カイツブリが壇上にあがった。人気ゆるきゃらの表彰だ。付いた名前が野洲(やす)のおっさん。おいでやす!の野洲で、横山やすし、もっときよし!で西川きよし?。何でおっさんかというと、頭がバーコード。それもこれも、知ったかぶりのカイツブリなのだ?。

 表彰は文化・経済フォーラム滋賀の第2回総会、文化で滋賀を元気に!賞だ。そんな滋賀の賞、しがんと言わずに?。野洲のおっさんはキャラクター文化賞。まるい顔とチュんとした目、嘴は尖がっていない。雀みたいなカイツブリだ。白いお腹は膨れて、タヌキみたいだ。脚のラインは細くて格好いいけど、足元は足袋みたい。愛嬌たっぷりのきゃらだ。

 羽根?小さい。形だけの飛べない羽根のようだ。カイツブリはそう大きくない鳥、潜りが上手、ずっと水上にいて、歩くことはないという。日本一の琵琶湖中に沢山いて、滋賀の県鳥になっている。県庁から徒歩10分の琵琶湖ホテルが表彰式会場で、式は堅調に推移した??。野洲のおっさん、去年のびわ湖の日制定30周年で琵琶湖を1周、おっさん人気が急上昇した。この日はおっさんがおっさんを表彰して、大勢のおっさんだった?。

 ※ 野洲のおっさんは、びわ湖放送と藤井組によるアミンチュ(淡海人)プロジェクトから生まれた。「知ったかぶりのカイツブリ」「笑ってバッカーズ」のTVや映画など制作、滋賀を素材にした企画が受けている。 ※ 野洲のおっさんの野洲の意味は、野洲の方言を喋るからとか。

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2012年2月17日 (金)

おかずの星10品メニュー

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巨人の星、星飛雄馬の父、一徹さんだろうか。全国どこにでもある飲食店「魚民」のメニュー表紙に登場して、~おぬしは今、オリジナルおかずレシピ1万5666品の中で選ばれた日本代表のおかず10品のメニューを開けようとしているのじゃ~と、叫んでいる。

JR山科駅から南へ百㍍、ビル3階のカウンター席だ。座って、すぐハードカバーのメニューが目に入ってきた。おかず日本一決定戦2011の<おかずの星10品>という。・アボガドとトマトのクリームオムレツ・白玉生ハムモッツアレラ…などなど。人気10品のレシピを作ったシェフさんの顔写真が載り、味の解説付きだ。さあ~て、何を頼むかだ。

巨人の星の漫画でおかずの星10品。メニュー見開いて、何が欲しいかだ。星と欲しいで洒落たつもりだけど、どうかな。星でスター気分と、また洒落レベルあげて、<あおさ海苔とシラスのあんかけ塩焼きそば>注文だ。夜8時を回って晩御飯入店、メニューは減ったお腹と相談して決めた。レシピは~江ノ島旅行で土産に買ったあおさ海苔とシラスを組み合わせた思い出の一品~とシェフは書く。青海苔とシラスの焼きそば、だれに知らす?。

※ あおさ海苔とシラスのあんかけ塩焼きそばは450円、税込み473円。これにお通し273円、グラスの白ワイン261円で、支払いは1007円なり。

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2012年2月16日 (木)

電車の中のストラップ

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乗り間違えた電車の中だった。次、降りなければと、窓際をみると、端っこに親指大の小さな人形が置いてある。微笑んでこっちを見ているようだ。手にとると、紐がとれたストラップだ。半分に割れた卵、赤ちゃんが飛び出している。ガラガラ、右手に持っている。

JR湖西線、新快速の敦賀行き11号車だ。JR山科駅から琵琶湖線で大津へ行くつもりだった。湖西線と同じホームで、前にもやった失敗だ。ストラップ発見は日曜午後3時頃、トンネルを抜け大津京駅へストラップ直前だった?。目と目があって、どこか可愛いい。電車を乗り間違わなかったら…、この時間、この車両に…乗り合わせなかったら…だ。

そう言えば、あの日の昼はたらのソテーだった。京都市役所前レストラン、日替わり定食が肉か、魚の選択で、魚のたらを選んだ日だ。たらに縁があった。朝のバス、中年の女性が車内で百円玉をコリンと落とし、どこか、どこかで見つけてあげた。ストラップにコインの発見、合縁奇縁の日でもあった。持ち主のないストラップ、持って降りた。出産女性を応援する「たまごクラブ」のストラップとか、たまたまの出会いが重なった日だった。

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2012年2月15日 (水)

牛ホホ肉に思うホホとほお

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 ホホだろうか、ほおと違うのかなあ。JR大津駅前から徒歩1分、職場帰りに再三行くスタンド林屋さんだ。開店から1年経って、メニューが進化して、新年から<牛ホホ肉の赤ワイン煮込み550円>が出た。一日限定3食、店のお勧めで、ほほ売りきれるという?。

 思い起こせば…だ。開店当初メニューにあった山盛りキャベツ180円、今は消えた。毎日変わる今日のお勧め手書きのメニューは、カタカナ多く、400円台で天だったが、和系メニューの漢字も増え、値段も500円台が登場して、ついにホホか、ほおかで話題提供の<牛ホホ肉>である。マスターにホホでなく、ほおじゃないの?と切り込んでみた。

 マスター、ホホを紅潮してホホです~と頑張る。商いも好調だ?。ホホでもほおでも漢字は「頬」だ。国語辞書は、顔の両面にある柔らかい部分で、耳と鼻・口の間で、読みはホホあり、ほおありだ。どちらでもいいようだ。頬が落ちても、頬を染めても、一緒なのだけど、頬が緩めばホホホ…だろうか。林屋のホホ肉は豪州産牛という。カタカナでオーストラリア。なぜか昔むかしのプロレスラー思い出した。御存知かどうか、ボボブラジル!。

 ※ ボボ・ブラジルは1950年代のプロレス黎明期に活躍した黒人レスラー、頭突きで力道山、ジャイアント馬場を苦しめた。

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2012年2月14日 (火)

ヨネックスが出す大人のドライバー

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 いいな、いいな…、ピュウ~んと飛ぶんだそうだ。手にとって、シャフトを握って見た。う~ん、長いのに軽いなあ。腕力がなくても、ヒュ~っと飛ぶかもしれない。距離が出たら100切れるかなあ。あの石川遼と契約を結ぶヨネックスが発売する新しいクラブだ。

 大阪梅田であったヨネックスの新製品発売受注会だ。テニス、バドミントン、ゴルフ…、道具にウエアにシューズなどが並んでいる。広い展示会場、サングラスの石川遼君がフルショットした写真が出ている。飛距離が出て、つかまりが良いという新商品、あそこやーと真っすぐ足が進んだ。ロイヤル・イーゾーンというクラブで、聞くと3月末発売という。

 今、ヨネックスのドライバー使っている。もう5~6年前に出たNANOV、ナノブイだ。そろそろ買い替え、我がドライバーの真っすぐ率も高くなっている。新しいクラブは大人の熟年向き、つまり年配用という。コンペで一緒に回った、かつての同僚から情報を聞いていた。ナノブイ購入の時と同様、ヨネックス商品を扱う知人に同行して、品定めだ。欲しいけど高い。そこで謎かけ言葉だ。石川遼と新しいクラブとかける。答えは良かなあ?。

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2012年2月13日 (月)

ショコラのマカロン

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 どうもカタカナ言葉がスッと頭に入らない。チョコレートでチョコならはわかるが、これがショコラとなると、ヨッコラだ。いま、業界はバレンタインデー作戦が始まり、デパートはショッコラ、ショッコラ…と競っている。いや、違った。ショコラ、ショコラだ。

 JR大阪三越伊勢丹10階だった。どの店の前だったか、カタカナ、カタカナしたナカナカの看板が出ていた。大きな移動式立看で、<サロン・デュ・ショコラ>と出ている。何かな?読むと、パリ発、チョコレートの祭典という。M・O・Fの人たちのショコラだ。U・F・Oみたいやなあと、カッコ内の表示をよくみると、フランス国家最高職人の略だ。

 たいしたもんだ。そんな職人さんたちのショコラ大会が伊勢丹で10年続いていて、大阪は初開催らしい。職人さんの写真が10人並んでいて、その一人に哲学的な表情のピエール・エルメ氏が写っている。この人の作品が今、パリで一番人気のマカロン・オ・ショコラという。卵白など泡立てたメレンゲをメレルことなく?つくり、焼きあげた2枚の生地に何を挟むかが技という。エルメさんの作るマカロンの味と技、まかろして…なのだ?。

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2012年2月12日 (日)

安土城下を洒落歩く

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近江歴史回廊大学の現地研修で、安土の城下町を歩いた。案内役はウオーキングマイクをつけた安土図書館長の石橋正嗣さん。もう14年連続の案内とかで、道を知り尽くした道道の講話は自信に満ち満ちていた?。雪が残った8㌔の道のり、喋りはのりのりだった。

JR安土駅近くの公民館に昼1時に集合だ。公民館近くは惣構どて推定地という。城下町を区分けした土塁跡で、読みは<そうこう>、どては漢字で<土手>だ。そうこうしているうちに出発だ?。活津彦根神社の石柱、豊浦冠者の門で、立ち止まって石橋解説だ。活津は<いきつ>と読み、この町の鎮守さん。冠者は<かじゃ>で、この町の庄屋さんだ。

活津でいきつもどりつ、冠者でなんじゃかんじゃか?と洒落て、冬なのに蝉?セミナリオ跡だ。信長が保護したキリシタンの神学校だ。積雪の田んぼの畦、観音山を正面に見て、冷たい風にかんのんや?と進んで、安土城址だ。石塁と門の数々、戦う城でなく、天下布武を象徴する見せる城だったと石橋さん。城下町と城内を結ぶ百々橋は<どどばし>と読み、川水がドッド、ドッドと流れていたからとか。様々見聞、ホンマかいな、そうかいな?。

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2012年2月11日 (土)

ソースの二度漬け禁止

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表の看板、通天閣写真の隣りに<ソースの二度漬けご遠慮下さい>と出ている。大阪の新世界で、昭和4年に創業した串かつ<だるま>である。何で二度漬けアカンのか、かまへんやんと気持ちが大阪型になって、入った。大阪駅構内、複合ビル「ルクア」10階だ。

 創業70年のだるまの秘伝は、褐色の濃いソースと衣だとそうだ。衣はさくっ!もちっ!として、ころもでも喜ぶという。いや、ころもじゃない。子どもさんだ。入り口からかぎ型に30席ほど伸びるカウンター、8番席に座った。表看板は~ご遠慮下さい~だったが、店内のメニューは強く「二度漬け禁止」だ。但し…、もう少し漬けたい時の指南もある。

 入ったからには、兎も角、注文である。真っ先に元祖串かつだ。加えて、この店の新作メニューだ。ソーセージのチョリソー、蟹の甲羅を餌にした鶏のから揚げ…。こうら、こうら珍しい。お客さん!と上から串かつが出てきた。まずは元祖から二度と漬けられないソースにドバッとつけた。店の説明では、この漬け方がだるま流だそうだ。元祖は牛肉だ。もう少し漬けたい。指南書では、キャベツでソースをそっと掬って…という。そおっすか?。

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2012年2月10日 (金)

千の風になってラーメン

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ラーメン屋さん、お名前が<千の風>という。作家新井満さんが日本語詞つくって作曲、歌手秋川雅史が歌いヒットした♪~私のお墓の前では泣かないで下さい、そこには私はいません~♪を思い出し、千の風になって、入店した。どんな風のラーメンか、確認だった。

 大学後輩たちの追いコンがあって、鍋の仕上げで出たうどんを食べず、小腹が減っていた。六角通りから新京極を南に下がって、50㍍ほどで四条通りというところで、ラーメン千の風の看板、赤字で白の→付きだ。減量策も相当効いて、7㌔は減っていたこともあり、まあいいかと、指示通り行った。昔、美松映劇があった辺り、すっかり変わっている。

 日曜の夜9時をだいぶ回って、店内はアベック客1組だ。10人掛けのカウンター左端に一人かけて、この店1番人気という580円のとんこつ塩をオーダーして、ラーメン作りの合間にマスターに問いかけた。~店名は歌のヒットより先で、よく聞かれる。店は一乗寺、出町にあったが、ここへ来て1年半~という。ラーメン、熱いですよ!と出てきた。モヤシ、葱、炙りチャーシュウに白濁したスープだ。フーフー、フーフー、千の風だった?。

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2012年2月 9日 (木)

JR安土駅前の信長像

 

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何と高い所に建つ銅像だろう。さすが天下布武、織田信長である。JR琵琶湖線、安土駅前のロータリーに建つ。近江歴史回廊大学、戦国の道クラスの現地研修で、駅を降りて、改札出て、すぐ対面した。何時ごろの建立か、雪の残る植え込みへ入り、台座裏を読んだ。

 建立は平成3年6月、潤いのある町づくりで自治大臣賞受賞記念だ。製作者は山口栄太郎さんで、全国自治宝くじの助成、アサヒビール代表取締役社長・樋口広太郎氏賛助とある。植え込みを出て、仰ぎ見るように何枚か、写真を撮った。もう少し詳しく知りたくて、すぐ近くの観光案内所へ入った。案内所の女性、根掘り葉掘り聞くにはぴったりの羽織姿だ?。

 銅像の資料は?と尋ねると、羽織女性が~確か~と、横長のパンフを取り出してきて、~ここに少し~と言う。読むと、台座が高さ3・5㍍の白御影石、像本体は3㍍と出ている。合わせて6・5㍍、高いはずだ。信長が安土城の築城を指図する創作像という。案内所に居合わせた地元の男性が、樋口さんの賛助金はご親戚が安土出身なので、当時の町長がお願いした。制作者は米原の人と付け加える。さすが地元、みんなの鼻がノブナガ~だ?。

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2012年2月 8日 (水)

今井兼平を知ろう

 

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文筆家西本梛枝さんが~JR石山駅からすぐです~と話していたのを思い出した。木曽義仲の四天王の一人で、大津市が史跡指定している今井兼平の墓である。仕事で近くまで行ったおり、尋ねてみた。JR北口から徒歩5分、工場と住宅街を抜けた川の傍だった。

 今井兼平は近江歴史回廊大学の「平家物語と近江」と題する西本さんの講義で出てきた。平家討伐で都を制した木曽義仲も頼朝と敵対、義経軍と戦い、大津市の粟津が原で討ち死にしており、腹心の兼平も後を追って自害している。口に刀をくわえ馬から落ち壮絶な死だったという。墓石は膳所藩主が作り、有名な謡曲「兼平」とともに今に伝わっている。

 墓の中、木々あり、石碑ありだ。兼平は?と、入り口の大津市の史跡案内を読むと~敷地の奥、一段高く石柵に囲まれ…云々~とある。奥へ奥へ進んで、逆三角形のような墓石に「今井四郎兼平」と刻み込んであった。敷地内、長野県の今井家末裔の人々よって顕彰碑や鎮魂碑が建立してある。京都新聞1面、京近江句巡りに「兼平が塚渺々(びょうびょう)と刈り田かな」の句掲載あり。大河ドラマ平清盛の縁、今井四郎兼平を知ろうである?。

 ※ 京近江句巡り(1月21日付け)によると、初め小さな塚だったが、膳所藩主が墓石を築き旧東海道脇の広々とした田の中に移した。今は住宅や工場の中となり勇猛忠義をたたえる碑とともに兼平の墓(大津市)がある。句は「近江名所図会」が塚の案内に添えた俳人鬼貫(おにつら)の作と。

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2012年2月 7日 (火)

見て、読んで~山紫水明のかなた~

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 京都新聞コラム「天眼」を読んで、あの眺望が甦ってきた。京都東山、長楽寺の山上にある墓地からみた西山連山だ。コラム「天眼」の筆者は宗教家、山折哲雄さん。東山のお寺へ行って、~夕陽が沈む西山の連山に落日浄土のイメージが蘇ってくる~と書いていた。

 京の冬の旅コースの長楽寺の墓地には、勤皇の水戸藩士、それに日本外史を著した儒学者頼山陽の墓などがある。建礼門院の御影などの収蔵庫を見て、市内一望処という墓地へ上がった。ちょうどそこに「山陽頼」と彫り込んだ墓石があった。姓名が何で逆さま?と思いながら墓石を背に眼下の円山公園から京都市内へ、さらには遥か西山へ視線をやった。

山折さんの「山紫水明のかなた」という原稿は、暫くして載った。~ときどき、東山の麓をふらふらと歩く~で始まっていた。正法寺という名もないお寺から眺めた西山の思いを綴っている。東山の景観を山紫水明と表現した頼山陽の視線を180度回転して、眼球をすえ直した~と書いていた。あの日、曇り空が割れて陽が差し、冷えた街並みに蒸気が上がり出していた。山をどう見るか、頼山陽、山折さん、小生…、それぞれに山々である?。

 ※ 京都新聞コラム「天眼」は毎週土曜朝刊掲載で、哲学者梅原猛さん、前大阪大学総長鷲田清一さん、作家瀬戸内寂聴さんらが交代で執筆している。山折さんの「山紫水明のかなた」は2月4日付け掲載。

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2012年2月 6日 (月)

建礼門院の御影と木像

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平家物語ゆかりの長楽寺へ行って、尼になった建礼門院の御影と木像を見た。建礼門院は平清盛の娘で、壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の母である。お寺はいま、京の冬の旅コースに入り、秘仏の特別公開中だ。重文の一遍上人像もあり、いっぺんは見たかった?。

境内にある収蔵庫、御影は墨で塗ってあった。壇ノ浦で、平家が滅び、建礼門院も入水するが、源氏方に捕らわれ、29歳で出家したときだという。源氏の目が怖かったから墨塗りにしたらしい。ガラス越しの顔立ちは、見えるようで見えない。袈裟と数珠はわかる。鑑賞したのは今朝でなく、日曜昼?。わかってもらえたかなあ。どこか、気品を感じる。

木像は山門近く庫裏の中、複写の御影と一緒にあった。仏師、松久朋淋さんが御影を接写しての制作という。白いお顔は、法衣を頭から被って、慈しみ深い。室内は撮影禁止なので、絵葉書が受け付け販売していたのを思い出して、帰りに600円で買った。全部で12枚だ。思い通り、御影と木像の写真入り。平家物語と言えば、筑前琵琶の響きモノ悲しく~祇園精舎の鐘の声…、ベンベン~だ。絵葉書の複写はデジカメで便利にベンベン??。

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2012年2月 5日 (日)

何をもってかえってや?かな

 

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何を持って帰るのか、屋号が<もってかえって屋>となっている。何とも妙で、面白い店の名前である。職場からの昼歩きのおり、気がついて、何屋さん?と、近づいて、確認に行ったら食べ物屋さんだ。ところは道路が広くなった大津日赤前、電車道からすぐだ。

 最初に気づいた時は月曜で、お休みだったので、金曜に改めて行った。午後12時半ごろ、昼食兼ねて入った。テーブル席三つ、二人ずつで満席だ。県庁前の職場から10分かけ歩いてきた。来たからには、空くまで待とうーと家康心境で、立って待って、店内を見渡した。それで聞こうと思っていた<もってかえって屋>の意味が、そうか!とわかった。

持って帰るのは、弁当だった。日替わり弁当610円のメニュー札が出ている。~火曜は串カツ・トリ南蛮、水曜は天ぷら・オムレツ…、金曜は酢豚・肉団子甘酢~だ。弁当色々の折り込みチラシも貼ってある。ヘルシー弁当、ハンバーグ弁当、焼肉弁当、デラックス弁当…、弁当えっ、弁当!と売り声が聞こえてきそうだ。席があいて、弁当はもう一杯なので、店内食のお勧め丼セット・玉子丼とあんかけにした。もってかえって屋?、納得や!。

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2012年2月 4日 (土)

平安の滝の八功徳水

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甘くて、冷たくて、柔らかい。それに軽くて、清らかで、無臭という。まだ、あと二つある。飲めば、喉に良くて、お腹にも良いという。駒札に<平安の滝 八功徳水>と書いてある。合計、八つも効能がある名水中の名水だ。柄杓で汲んで、ソン、ゴクッと飲んだ?。

 円山公園の奥、東山の麓にある長楽寺だ。山門への階段をあがって、境内へ入り、本堂から収蔵庫へ行く所に滝つぼがある。そこへ落ちる水だ。長楽寺は今、京の冬の旅コースに組み込まれており、行ってみての名水発見であった。滝つぼは法然上人の高弟などの行場だったと駒札にあり、滝つぼを囲む岩壁に弁才天など沢山の仏さんが彫りこまれている。

それはそれは有難い水なのだ。長楽寺は清盛の娘、建礼門院が剃髪したお寺。東山三十六峰の真ん中、長楽山の山すそにある。名水は山からの地下水だ。高さ3㍍付近から流れ落ちている。糸を引きように落ちる水は、木樽の桶で受けてあった。備え付けの長い柄の杓を伸ばして、汲んだ。水は落下がきつく、ピチャピチャと跳ね飛び、杓に少しの水だったが、口にふくんで味わった。そこで一句。 <有難き 滝水飲みて 嗚呼!天然>?。

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2012年2月 3日 (金)

曳山博物館で出会った光景

 

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どこで、どんな景色に出会うか、わからないものだ。雪の積もり具合は?、道路の凍結は?と行った1月28日の長浜である。JR山科駅で新快速に乗って、安土あたりで積雪が見え出し、彦根、米原から盆梅展で賑わう終着の長浜へ、車窓は白い世界が続いていた。

 駅から徒歩7分、そろり歩いて曳山博物館だった。秀吉が長浜を治めた時から始まった曳山まつり、毎年4月に4基ずつ当番山として出場する。春日山、月宮殿、寿山…合わせて12基あり、国の重要無形民俗文化財である。博物館は曳山展示室、子ども歌舞伎をDVで見せるシアターなど、入場料600円である。伝承スタジオで講演聞いたあとだった。

 博物館の南東側の広い庭に目をやった。山茶花の木が1本、曳山陳列の山蔵の白い壁の前に立っている。庭は20㌢ほど積もった雪で真っ白だ。赤い花を咲かせた山茶花は、花びらを散らして、木の回りが赤く染まっている。高さ3㍍ほどか、大きな山茶花で、てっぺんは白い綿帽子をかぶっている。あっと思わす景色だ。ちょうど冬の陽が照りかけている。この日があって、この場所があって、ここに来ての出会いだ。寒気よりも歓喜だった?。

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2012年2月 2日 (木)

秀吉の馬印、千成瓢箪は伝

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 千成瓢箪と言えば秀吉…、秀吉と言えば長浜である。長浜は秀吉が浅井家を滅した功で、初めて城持ち大名になった町だ。主君・信長の長をつけた長浜城を築城、町名も今浜を長浜にした。千成瓢箪は勲功のたび瓢箪を増やし、遂に天下人になったという馬印の瓢箪だ。

 長浜の曳山博物館へ行ったおり、出口にある千成瓢箪を見つけた。近江歴史回廊大学、近江の祭りクラスの現地講座があって、みなさんは館内を見学中だ。瓢箪展示下のフロアに「秀吉の馬印とされる千成瓢箪」と書いた解説がある。どこか懐疑的な表現だなあ~と、屈みこんだ。出口の自動ドアが勝手に開き、冷たい風が吹き込むので、遠くから読んだ。

 秀吉と千成の関わりを述べ、~…と伝えられ千成瓢箪の現代の造り物~と、伝を強めている。人から人へのデンデンだという。大阪城天守閣が所蔵する絵図によると、秀吉の馬印は金瓢一つに金の暖簾であり、それをどう詮索するかだが、解説は~千成瓢箪は江戸時代中期以降に絵入り太閤記を始めとする秀吉人気の興隆とともに作られたものである~と締めている。造り物の千成瓢箪、そっと触ってみた。プラスチック材、デンデンだった?。

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2012年2月 1日 (水)

長浜名物、鯖そうめん

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 真宗大谷派の別院、大通寺の近くだと言う。仕事絡みで来た長浜だけど、来たからには名物の鯖そうめんである。もう夕方近く、最初の店ははや仕舞いで、もう1軒が夢の小路の「良太郎」だった。大手門通りの土産物屋さんで、パンフ貰い、聞いて、聞いて行った。

 鯖そうめんの立て看板、灯りも付いている。ちょっと重いガラス引き戸を開けて、店内に入った。~こんにちは~と声をだしたが、反応がない。もう一度~こんにちワアッ~と大きく叫んでみたが、不在のようだ。2階かな?と外に出て、携帯で電話をかけたところへ、白い割烹着の主人、車で帰ってきた。戸締りせず、ちょっとそこまでだったようだ。

やや寡黙な御主人、~鯖そうめんですね~と、最初から客の注文を決めている。コの字のカウンター。メニュー表見て、~単品ですね~と念を押す。定食の鯖そうめん御膳もあるのに単品お勧めだ。もう午後も夕方、午前でなかった?。言われるままの単品、出てきた。鯖は焼いて煮て、そうめんは煮汁で炊いてある。サバ缶の鯖みたいな骨付き鯖、醤油色の味が染みたそうめん。鯖でこってり、そうめんであっさり。味、ああ、ソ~メン◎?。

 ※ 鯖そうめんは長浜の郷土料理。農繁期である5月に、農家へ嫁いだ娘を持つ親が忙しい娘を気遣い、実家から嫁ぎ先に焼を届ける「五月見舞い」という湖北地方独特の習慣に由来する。

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