« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月

2011年11月30日 (水)

ミレーの昼寝を模写したゴッホの昼寝

025

026

 この絵をどう見るか…である。左はミレー、右はゴッホの作品で、題は<昼寝>だ。農民夫婦が麦藁を布団がわりに午睡、つまり昼寝している。ミレーは1866年、ゴッホは1890年に描いている。まず二つの絵をよく比較して、ミレーである。少し訛ったかな。

 ミレーが原画で、これをゴッホが模写している。模写なら同じなのにどうしたことか、原画のミレー夫婦は頭が左なのにゴッホの夫婦は、頭が右で、全く逆になっている。これはゴッホがモシャ?クシャしていたからでなく、左右が反転したモノクロ版画を模写したからという。色使いも黄色と青が際立つゴッホと、しっぽりして地味なミレーと随分違う。

 ここまでツーぶって書いたが、これは美術史家・高階秀爾氏の著作「誰も知らない<名画の見方>」(小学館)の抜粋だ。写真も本から模写、いや転写である。京都伊勢丹美術館の展覧会を見に行ったおり、買った本だ。モナリザの美貌のヒミツは水、ルノアールの絵は嘘が塗ってある…など、ええっ?と読んで、ゴッホの項だ。高階氏は貧しい農民を描いたミレーの模写に色彩画家ゴッホの真骨頂あり~と書く。風邪気味か、咳が出た。ゴッホ!。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月29日 (火)

今年の漢字は「絆」だ

032

034

今年の漢字はもう「絆」で決まりだろう。日本漢字能力検定協会が募集する11年の漢字一字だ。あの3・11東日本大震災が衝撃的にすぎる。今も行方不明者、避難者…、福島の原発事故はまだまだ…、辛いことが多すぎた。皆で助け合って、一日でも早く復興だ。

漢検の漢字、今年は大震災をどう表現するかだ。プリンターのインクを求め、京都駅前のヨドバシカメラへ行った。6階のレストラン街に漢検の募集コーナーが特設してあった。縦横2㍍の黄色い募集案内、表は清水寺・森清範管主が揮豪した「命」だ。06年の漢字一字だ。紀子さまが親王出生、いじめによる子どもの自殺…、命の大事さを思う年だった。

ひと筆、ひと筆、筋を引いて墨が流れ落ちている。「命」を感じさす筆遣いだ。今年もまた「命」を思うけど、06年の漢字になっている。特設板の裏側、過去15年の漢字一覧だ。右下、1995年の<震>に始まり、食、倒、毒、末、金、戦、帰、虎、災、愛、偽、変、新と続いて、去年は熱中症多発して暑だ。あったかなと思った「絆」はない。それなら今年は絆だ。投票用紙に書いた。発表は12月12日(いい字一字)の漢字の日である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月28日 (月)

そうだ京都へ行こうのポスター、紅葉の毘沙門堂

 

051

055

058

燃える秋は、まだか、まだかーと待ち抜いて、ついに行った。天台宗の門跡寺院・毘沙門堂だ。JR山科駅から上り坂、徒歩10分余りである。今年はJR東海の、そうだ!京都へ行こう~のキャンペーンポスターになった。11月最後のサンデ-、秋晴れである。

 歩く人、タクシーの人、マイカーの人…、キャンペーン効果なのだろう。みんなが行こう、行こう!野へ山へ~で、毘沙門堂だ。JR駅前で観光案内中の地元・老人クラブの役員さんに聞くと、~今年は暖かい天候で、葉っぱが赤くなる前にちりじりでして…~と、ダメだしだ。それでも…である。赤穂浪士・大石内蔵助が秘策を胸に隠棲した土地である。

毎年12月14日、駅前から大石神社まで義士祭りもある。討ち入りのきっかけはあの刃傷・松の廊下だ。藩主・浅野内匠頭の~お止めくだされぬな!イ・タ・ク・ラ・ドノ~だった。地元民としては、行かねばならぬ。初詣で行き、花見で行き、去年の秋も行った毘沙門堂だ。今まで見たこともない雑踏の如く人出である。真っ赤なキャンペーンポスターの参道は、どこどこ?であるが、まあ、立つ位置変えれば、だ。これ、地元びいきかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月27日 (日)

西武・渡辺監督の背番号メニュー

003

002

007

 このサービス、考えたものである。瀬田ゴルフコース、西武ライオンズの渡辺監督の背番号99に合わせ、秋野菜カレーとチキン丼が990円という。今シーズンが終わって、西武系列店で期間限定のご声援感謝フェアだそうだ。我が誕生日も9月9日、いい企画だ。

 大体が…、普段は三ケタの値段はない。一番安くて、カレーライスか、炒飯で1300円という瀬田GCのレストランメニューだ。それが、三ケタぎりぎりとはいえ、990円である。渡辺監督サマサマだ。大学時代の陸上仲間との平日3人ラウンドだった。三人三様、それぞれに苦戦しての朝のラウンドを終わっての昼食、話題の切り替えが大事である。

 出てきた特別メニューがこれだった。今月限りのサービス。どういう訳か、朝は木にボールがとまったり、当たったりで、気が気でないラウンドだったが、メニュー選定は三人ともチキン丼で気があった?。話題づくりもう一つ、ご飯の量が選べる企画だ。ホームランキングおかわり大盛600㌘、イケメン戦士大盛500㌘、レギュラー普通盛り400㌘、ベンチ小盛り200㌘だ。値段?変わらじのブルース。朝の成績、ベンチ入りにした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月26日 (土)

若主人、京懐石のお椀仕立て

043

048

049

 京懐石の老舗、美濃吉の若主人が、薄い味付けのお椀を出した。玄関に竹を植えこむ本店、竹茂楼の奥座敷だ。割烹着の若主人、襖を開いて、頭を下げた。土鍋がガスコンロに乗っている。客に出す鯛とカブラのお椀だ。ひと椀ずつ、お手前の如く、椀とも言えない?。

 竹茂楼は八代将軍徳川吉宗の時代、享保年間の創業という。地下鉄東山から徒歩7分、京の七口の一つ、粟田口にある。大学同窓有志7人の集まりだった。特別ゲストを招いたので、宴席は格調高く…である。鯛とカブラのお椀は、この日の懐石コースで、メインだったのだろう。創業290年、何代目になるのか、若主人が直々のお椀の仕立てである。

 足が入れられる座敷、床の間に日本画家後藤順一さんの南天の絵が一点?掛っている。懇談は山場を迎え、座が賑わった頃だった。若主人でも率先垂範の修業なのか、正座してのお椀づくりだ。お椀の鯛、どう証明するのか、明石の鯛だという?。どうかぶって食べるのか、聖護院カブラも一緒だ。土鍋が熱くなって、ブツブツ言い出して九条ネギ?だ。水菜も、だ。若主人仕立てのお椀が手元に来た。伝統の薄い味付け、さすがナンバー椀?。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月25日 (金)

大根サラダの食べ比べ

012

028

 古くてもサラダ?と、最初に洒落てみて、大根サラダのことを書く。どうしてかというと、このところ会食になると、どの店でも大根サラダを注文して食べ比べているからだ。量はどれぐらいか、味はどうか、値段は安いか高いか…、大根コンコンと根を詰めている。

 大根はビタミンCが豊富で、身体に良い。成分のジアスターゼは、胃腸の働きをよくして消化にも良い。ここで、しょうか、しょうかーとまた洒落てみたくなる。あまりにひどい駄洒落!とこきおろされても、大根おろしが消化には一番だ。話がダイコンがらかって?おり、元に戻す。この2カ月間で、大根サラダを7度注文して、写真も撮ってある。

 味、量、値段を総合判定、一等を選んでみると…だ。JR大津駅前の立ち飲みスタンド林屋さんがパンパカパ~ンかなあ。メニューにないのに2日1回通うお得意性を生かして、半ば強要した大根サラダだ。大根は大きめの短冊切り、炒めた蓮根に葉っぱムシムシだ。もうコン!とは言えない良い味だ。二等は大根を丸くスライス切りにしてある浜大津の琵琶湖庄屋にしょうや!だ。三等はどれもこれも帯に短し襷に長し、サントアマミー??だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月24日 (木)

西野水道トンネルを抜ける

041

043

044

 

長靴を履いた。ヘルメットを被った。懐中電灯を二つ持った。両手に一つずつ、二刀流みたいだ。先人たちの偉功、ここまで来たからには行こう?と入った。今は長浜市になった滋賀県高月町の西野水道だ。江戸時代に洪水を防ぐため、岩盤をくり貫いたトンネルだ。

 水道の入り口前の広場、西野ほりぬき公園だ。トイレ付き無人の案内小屋があり、ボタンを押せば、自動的に説明が聞ける。そこに長靴、ヘルメット、懐中電灯が常備してあり、いっときの借用である。担保は長靴に履き換えた靴だ。暗くて、長くて…、窮屈な所へ入る靴だ。洞窟入り、覚悟はできた。一旦、履いたからにはである。もう気持ちは覆らない

案内役のTさんと二人だ。腰を屈め、懐中電灯で水たまりと凸凹道を照らし、そろりそろりと歩いた。入り口からずっと真っ暗だ。後ろから来る年配で腰の悪いTさんに~頭上、低いですよ。足元、水たまりですよ~と声をかける。出口はまだか、まだかと進んで、220㍍、小さな明りがぱっと広がって、琵琶湖だ。陽光が湖面にきらめく。地元の恵荘上人が洪水に苦しみ続けた村人達を励まし、6年かけて掘り貫いた水道、我が身体も抜けた。

 ※ 西野水道は滋賀県の史跡で、天保11年(1840年)に掘削をはじめ、弘化2年(1845年)に完成した放水路。 ※ 現在は初代の放水路に並行、二つの放水路がある。 ※ 幕藩体制下の民間主導の事業で、「近江の青の洞門」と称される。 ※ 今夏、伊吹山登山の皇太子殿下の行啓があり、真新しい碑が建つ ※ JR北陸線高月駅から車で10分。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月23日 (水)

人気のサラダパンを訪ねる

030

056

 沢庵を刻んで、マヨネーズで和えたパンがある。これをなぜか<サラダパン>と言う。ちょっと変なコラボなパンだけど、どういう訳か、これが受けに受けて、土日になると、お店の前に列ができるという。<たかがパン、されどパン>の不思議さ、現地を訪ねた。

 お店は滋賀県湖北、木之本町にある有限会社「つるやぱん」だ。1951年に創業して、もう60年だ。JR大津駅から敦賀行き新快速で、1時間30分だ。ご近所に住むTさんに車で迎えに来てもらい、所用がすんで、つるやぱんさんだ。社長の西田豊和さん(5?)と名刺交換して話を聞いた。今もお元気なお母さんが生活改善運動で考案したパンという。

 もう50年前からあるパンで、最初はキャベツ入りだったが、水分が出て、長持ちせず沢庵になったという。ブレークしたのは、TVのお宝探偵団という番組で、親戚の所へ取材があり、このパンを出したら島田伸助さんが~まずい、まずい~と言って、これが逆宣伝になったという。みのもんたの番組でも話題になり、滋賀出身の歌手・西川貴教のロックコンサートでも売り出され、<まずいがうまい>に進化、すっかりパパンがパンパン!。

 ※ JR木之本駅から徒歩7~8分、木之本地蔵のすぐ近くで、サラダパンは1個130円。ほかにサンドウイッチ130円、ラスクなどもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月22日 (火)

フランス料理とワイン…

048

019

051

あれも、これも…、人生のヒト駒なのだ。昼食のヘルシー定食550円に対し、夕食はフランス料理でゴージャスに1万2千円である。あの一日振り返り、お腹を思い、財布を考え、あの差の感慨にひたってみた。フランス料理1回分で、ヘルシー定食は20回…。

 しかし、まあ、ここは…である。1年1回のフランス料理の回想だ。去年も行ったウイズユー主催の「フランス料理とワインを楽しむ会」である。ウイズ―ユー、前身はオムレツで売り出したスター食堂だ。寺町錦上ルのビル4階、ダイヤモンドの間にお客は90人という。12000円×90人=?かあと思って、着席間もなく、店長挨拶の開演である。

 部屋中央、金屏風の前、~私どもにとり、今日は野球のオールスター戦で…~と。巧みな表現だ。ウイズユー社長も関連店の店長も来て、料理は腕をこらし、高級ワイン取り揃え…だ。採算度外視の12000円。シャンパンで始まり、カニとアボガドが出て…、フルコースに入った。鴨の胸肉、アワビ、平目、牛ロース…、ワインは白から赤また赤…だ。デザートはラ・フランスのタルト。料理どうでしたか?と問われれば、もう、十分たると!。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月21日 (月)

もみじの漢字を学ぶ

007

001

もみじの漢字、どれぐらいあるかなあ。紅葉に黄葉…、それから、それから~と考えて、ウ~ン、もう思い浮かばない。実は…である。木へんで、木に花、木に色、木に丹、それに妻恋草も、もみじと読むそうだ。加えて、中国漢詩に出てくる紅於も、もみじという。

 年に2回ある北京料理「東華菜館」主催の春秋会へ行った。食事前にあったミニ講義は、司馬遷研究の京教大名誉教授・青木五郎さん(74)だ。晩唐の詩人、杜牧の<山行>と題する漢詩などを引用した紅葉のお話だ。テーブルに青木さん作成のA4版ペーパーがある。それを見ながらの勉強で、その最初が~もみじの漢字はこうよ、こうよ?…~だった。

 紅葉と黄葉を含め、もみじの漢字は9つだ。紅葉知識に効用?あって、勉強はもみじの隣りのかえでに移った。楓(唐楓)、槭(樹)、鶏冠木、蝦手木と出ている。鶏のとさか、ガマの手…確かにかえでの葉だ。今度は日本の古来国字が出た。ペーパー記載の「峠、裃、凩、躾、鰆、毟る、怺る」…読めますか?と。毟るはむしる、怺るはこらえるーこれは難解ホークスなり?。それから漢詩<山行>の解説だ。これは三行では、書ききれない??。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年11月20日 (日)

国の新庁舎でヘルシー定食

013

003

005_2

琵琶湖は鳰の浜の<にお>からとって、<nio>だろうか。JR大津駅前に国の出先機関が9つも入る「大津びわ湖合同庁舎」が完成して、1階が総ガラス張りのカフェテリアで、店名を<nio>という。開店して1ヶ月半、国のいかぎに何回か通っている?。

 検察庁も自衛隊も税務署も、だ。地上10階、地下1階で、総事業費は84億円と新聞に出ていた。県庁前の職場から徒歩3分、昼を回って遅く行く。入り口に立つ警備員さん、いつも敬礼だ。のもんじゃないので、苦肉の策、敬礼せず、頭を下げて入る。受付の右が<nio>だ。食券は最高550円だ。安かあ!。今週、やっと全てのメニュー揃った。

 初登場はこだわりヘルシー定食だ。減量作戦中、待ってました~だ。日替わりのメニュー、木曜はベーコンと豆腐のスペイン風オムレツ、これにパン二つ、コンソメスープ、一品はゼンマイ炊きだ。A5用紙におふくろの味定食、AとBのセット、ラーメンなど月曜からの全品目30種類とcal数値が載っている。今日のヘルシー定食=写真右=みたら、な、なんと215calだ。全品目中、一番の低さ。あまりのヘルシー、これはウレシー??。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月19日 (土)

駄洒落交通広告、またヒット

005

021

秘密結社「鷹の爪団」が交通広告で、また駄洒落を飛ばした。冬のカキを使って「酔って迷惑カキないで!」だ。忘年会シーズン向けの新作である。迷惑とカキをカキ合わせ?ている。JR西日本各駅構内、至る所でカキないで!カキないで!…柿もないみたいだ?。

通退勤の移動、このポスターに目がつく。~迷惑カキないで~と読み返すと、舌がもつれる。駄洒落のオヤジギャグ、何かやみつきになりそうだ。前作「席つめてくれマスカ!ット」は、後味に妙味があった。今回は洒が避けられない?。熊のレオナルド博士が~ウィ、ウィ~と酒を飲んでいる。電車の車内だ。しゃ~ない、とは言えない?。厳重注意だ。

隣りは爪のイニシャル帽のフィリップ君だ。右手にワイン、左手にマイクで、カラオケ絶唱中だ。これもアカンことだ。赤マスクの吉田君は、さすが「鷹の爪団」のリーダーだ。吉田君、米南部のアーカンソー州出身か、こぶしを出し、それはアカン!と怒っている。前作は岡山のマスカット、今回は広島のカキの登場だ。世界制服へ秘策を練る赤マントの総統さん、スポンサーのJR西日本に気を使って、管内名産を出すとは、そうとうである?。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月18日 (金)

金目鯛ですタイ

007

005

004

なぜか、~これが金目鯛、ダ~イ!~言ってみたくなる。身体中が赤い鱗の鯛、ダ~イ!。ダイタイが、である。洒落もそこそこでないと、何でも、そこへ結びついてしまいますタイ。困ったことですタイ。昼食、例の大津市・菱屋町商店街の魚料理店「摩季詩」さんだ。

 焼き魚、何が出来ると聞くと、鯵にほっけ、ちょっと高くなるけど、金目鯛があると言う。ほっけは法華教にお任せして、財布の千円札を確認して、そんなら金目鯛!と格好をつけた。店先のトロ箱にも金目鯛、1尾3800円の値札がついている。ぎょっとする高級魚だ。こちらは千円の一夜干しだ。焼いてどうなるか、レンジ入り前に写真を撮った。

 お腹が開いてあり、大きな両目はフクロウみたいだ。レンジに頭から入って、チンと鳴って、出てきた。これぞチン入である。これはヒットもヒット、センター前だ。待つ間、どこの金目鯛だい!と関東弁で聞いた。冬場、何処でも獲れるが、これは富山からという。法政大大学院調査で、幸福度が福井に次いで、全国2位と株を上げた富山だ。食前と比べて焼き上がりはどうか。ヤヤ!、目が真珠の如く白くなっている。金目転じて白目ダ~イ?。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月17日 (木)

女将の似顔絵、 箸袋、マッチ、エプロン

 

072

073

075

随分、久しぶりだ。京都の先斗町にある料理屋さん、山とみさんだ。四条通りの交番から上がって、つまり北へ入って10㍍ほどの東側だ。夏場は川床もだ。店の前は通っても、入店は20年ぶりかもしれない。大津在住の洋画家YHさん(63)に誘われて行った。

 常連客は旅人のあなた~と縦長の暖簾を潜った。先斗町、カラオケでポント、ちょっと?有名になったのか、観光客が狭い通りをそろそろ、ぞろぞろと行く。京都情緒があって、人気ストリートなのだ。山とみさん、創業から半世紀だ。暖簾からして、一見さんに優しそうだ。女将さんは柴田京子さん(6?)で、芸事万般だと、なじみ客のYHさんが言う。

真ん中の長~いカウンター、昔と変わらずだ。YHさんのお酒に対し、ワインは?と念のため聞いたら、あるという。いや、歳月だ。ブリ大根、へしこ、ゆば刺し、焼き銀杏…、女将はカウンターの中だ。箸袋、エプロンに女将の似顔絵。ふくよかで眼を細め、三つ指ついて、いらっしゃいませ~だ。あまりのそっくり、許可得て、写真撮らせてもらった。YHさん、マッチの絵もええ…と言う。こちらはほっぺが赤い、お店にマッチしていた?。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月16日 (水)

メディア芸術祭京都展のまんが農業

034

037_2

052_2

 わかるかな、わからないかなーと行った。行って見て、わかったかどうか、それが、わからない。文化庁メディア芸術祭京都展へ、兎も角、行った。会場は京都国際マンガミュージアム。去年、メディア芸術って何?というシンポ、わからないことがわかった会場だ。

 変な表現だが、わからないのも魅力だ。年齢のせいか、若者思考の難解さが、日増しに魅力化している。戻れない憧れだろうか。あの日のわからないは<まんが農業>だった。入館料800円で入って、メディア芸術の展示は?と受付で聞くと、ワークショップが始まっています~と、即案内があり、ワ~ク、ワ~クして?実演中のグラウンドへ急いだ。

 作品制作は河地貢士さん(2?)だ。本人が水に浸したマンガ本にカイワレをピンセットで差し込んでいる。何しているんです?と聞く。名古屋芸大卒、いま東京在住の河地さんが~マンガ本を苗床にして野菜を栽培するインスターレーションです~と言う。好きな頁、思い出の頁に水をやり、光を当て続け、発芽すると、忘れられないシーンが視覚化するそうだ。芽の出たマンガ本の展示もあった。う~ん、これぞ、芽が出るメディア芸術??。

 ※ 文化庁メディア芸術祭京都展「パラレルワールド展」は11月23日まで京都市内の京都芸術センター、京都文博士、マンガミュージアム、京近美で開催中。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月15日 (火)

開運ポスト宗春って何?何?

 

037

038

043

これ、何っ…と足がとまった。金色のポストの上に殿さまだ。~これが目に入らぬか~の、徳川家の紋どころ、三つ葉葵だ。ポストは牛の耳まである。享保15年(1730年)35歳で尾張藩第7代藩主になった徳川宗春公という。開運ポスト宗春と名付けてある。

 なごやめし博覧会で居酒屋・我楽多文庫へ行く道筋だった。彫刻家、故佐藤忠良氏制作の女性裸像がある名古屋銀行本店前から信号を渡った交差点のかどだ。町名表示は<錦3-KINSAN>だ。遠山の金さん??時代が違う。夜目にピカピカの牛耳のポストも目立つし、何と言っても、金の帽子?をかぶった懐手の宗春公がイケメンだ。何何??でる。

 NPO法人宗春ロマン隊制作の駒札が立つ。南山大の安田文吉教授が解説文を綴る。~宗春公は規制緩和の積極経済を採用、温故政要という書物を著し、芸に商いに空前の繁栄をもたらした~云々と。牛耳は宗春公が牛で移動していたからで、金色は名古屋城の金鯱からという。何でポストかと言うと、宗春公の「温故政要」に<情報は宝>の言葉があるからと。尾張名古屋は何で持つ?城で持つ、情報で持つ、牛のモツ鍋で持つ…きゃあも??。 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年11月14日 (月)

なごやめし博覧会へ行く

051

052

062

 我楽多文庫なのに居酒屋とは、これ如何にである。只今、名古屋市内で開催中の食べ歩きイベント<なごやめし博覧会>参加店の一つだ。大学駅伝応援で名古屋へ行った日の夜、宿泊の東横イン名古屋錦でもらった地図を頼りに雨の中を歩いて、探し抜いて見つけた。

 名古屋へ行く1週間前の日曜の朝だ。布団の中、聞くとはなしに聞くNHKラジオの「日曜あさいちばん・当世キーワード」だ。新語アナリストの亀井肇さんが~今、この新語・流行語にこだわると、世の中少しは見えてくるかも~と喋り出して、4番目か、5番目で「なごやめし博覧会」が出てきた。きしめん、ひつまぶし、手羽先…それに味噌かつがみそだ。

ネット検索で出てきたのが、居酒屋の我楽多文庫だった。錦通りから広小路通りへ、中区役所の裏通り、昭和ビル地下1階だ。電話も入れ、20分は歩いて到着だ。我楽多ふう?レトロ調のお店だ。どんな博覧会か、メニュー点検だ。激励会でお腹は充足している。天むす、どて煮、味噌カツ、味噌でん…注文は安め、軽めの1個ずつだ。全部出揃って、記念撮影だ。これが味噌でんきゃあも、そうきゃあも…と、なごやめしで、しめしめだった?。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月13日 (日)

狸のポスター、○○○がデカイ

036

043

う~ん、さて、さて…である。雄ダヌキを描いたポスターに「○○○がデカイ」と出ている。さて、どんな言葉を三つの○に入れるか、いやあ、考えてしまう。今年10月にあった狸の里、信楽陶器まつりだ。この意味深なポスター、新聞に載り、ラジオでも流れた。

 話題のポスターは、信楽焼きマスコットタヌキの「匠ポン山(たくみぽんざん)」くんだ。腰に徳利と通い帳をぶら下げ、脇腹に両手を置いて、オスのシンボルもあらわに、どうじゃ!と正面を向いている。何時だったか、中日新聞の県版を読んでいて、たまたま?知ったが、これが強烈で、刺激的だった。そう、どうじゃ!、どうじゃ!と誇示されても…だ。

ポスターを制作した信楽焼振興協議会へ電話を入れた。最初は女性が出た。~あのおッ、○○○ポスターの件で…と、はにかんだら男性が代わった。新聞に名前が載った長谷川善文さんだ。~三つの○の正解は<まつりがデカイ>でした~と言う。それが、態度がデカイ、器がデカイ…加えて男がデカイ、あそこがデカイなど、直裁的な回答も…とか。金の玉、様々に憶測巡って、陶器まつりは例年以上のお客だったそうだ。誠に、効果がデカイ?。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月12日 (土)

サミットグランプリの近江牛うどん

 

016

015

 食べたい…、食べたい…。減量中でずっと自己規制してきて、ついに1か月で5㌔減った。目標達成、もういいだろう。メニュー看板みては、待て待て!と辛抱してきた一杯1000円の<近江牛うどん>だ。浜大津のアーカス内、琵琶湖汽船直営の<湖の駅>だ。

 何時から食べたくなったか…と言えば、だ。10月始め、近江鉄道の八日市駅前で第1回全国ご当地うどんサミットがあり、近江牛うどんがグランプリに輝いた-と新聞記事で読んでからだ。このうどんサミット、滋賀の4品含め1府8県から13種類のうどんが参加、1万5千人で賑わい、1万2千食が完売したという。その1番が近江牛うどんだった。

 昼か夕方、ぶらっと行く<湖の駅>だ。近江づくしのメニューが揃っていて、霜降りの肉が鉢を覆う近江牛うどんが目立っている。サミットでグランプリのうどんと同名だ。減量の頃、同じ近江でも、牛でなく湯葉うどんだった。今は晴れて近江牛さんだ。1番札持って、待ったテーブルに出てきた。赤コン3個、蒲鉾2枚、葱少々…、後は近江牛だ。炊いて、縮んでいるのをぐっと伸ばした。千円中7百円まで近江牛!、これぞ、ウッシッシ?。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月11日 (金)

伊勢のてこね寿司はカツオ

118

116

 急に恩師の足が速くなった。3人で歩いていて、ゆっくり後ろからだったのに…。店が見えて二人を抜いて、階段を真っ先に上がった。着席と同時に注文だ。「てこね3人前とビール!」-しっかりした声だ。伊勢湾岸道路を来て、伊勢神宮ゴールの全日本大学駅伝だ。

恩師は大学陸上部の総監督、84歳である。熱田神宮を出発、後輩運転の車で3人一緒に来た。車を駐車場に停め、選手に先回りして伊勢神宮へ行く途中だ。選手到着までまだ時間がある。道筋は石畳の参道、おかげ通り。伊勢参りのおかげで商売繁盛の店が並ぶ1軒が「手こね茶屋内宮店」。恩師が~君らに食わしたいものがある~と、率先垂範だった。

~てこねはなあ。カツオやないとなあ。マグロではアカン~と言う。実は去年も近鉄山田駅食堂でご馳走になったが、マグロのてこねだった。~カツオはこの店やないとなあ~と案内だ。漁師が船上で釣った鰹に醤油かけ、ご飯でこねて食べた手こねだ。食通の恩師にビールを注ぎ、手をこまねいて?、待っていたら出てきた。寿司めしに醤油のしみたカツオ、海苔が2枚乗っている。~さあ、食いねえ、うまいでえ~。恩師の目尻が下った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月10日 (木)

三時智恩寺の三時とは?

 

011_2

017

三時におやつが出るのか、三時知恩寺という。いやまあ、変な名前のお寺である。このお寺、皇室にゆかり深い浄土宗の尼寺さんという。今秋の京都非公開文化財の特別公開に初参加したので、なぜ知恩寺に三時が冠に付いているのか知りたくて、四時前に行った?。

 烏丸今出川で市バスを降りて、案内どおり上京区役所総合庁舎方面へ歩いた。停留所から北西で、区役所よりはうんと北で同志社大新町校舎の前だ。拝観料8〇〇円だが、招待券があって助かる。特別公開の説明役は大学で文化財を勉強している学生さんだ。ここの担当は京都女子大の古典美術研究会の皆さんという。三時の説明、どうかな?と入った。

 上がった本堂、畳みがグヨグヨしている。創建から200年、古いのか、傷んでいるのか。一口2千円の寄進受付中だ。今回の特別公開も修復費用の貯えが狙いらしい。寺宝は秘仏の善導大使像だ。浄土教思想を確立した中国のえらいお坊さんだ。足利義満の娘さんが開祖という。それで、三時の冠の件だが、宮中で一日六回の勤行のうち、昼間の三回やりなさいと勅命があったからという。三時イコール三回なのだ。おやつでなく念仏だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 9日 (水)

芝田山親方の講演を聴く

 

011

012

015_2

なお巨漢の芝田山親方が琵琶湖ホテル2階ローズの間へ来た。身長181㌢、体重212㌔もあった第62代横綱大之国である。時事通信が主催する講演、テーマは「大相撲-改革と継承」だ。会食してから中央の演台へ上がった。引退して20年、まだまだ大きい。

 マイク一番、~何時も大きいと言われます~と言う。テーブル席、座っての講演だ。キングサイズの背広、余裕があり、特注の特注だろうか。刈り上げ、柔和なお顔だ。持ち時間は1時間半、レジュメなしだ。北海道芽室町で生まれ、中学まで柔道、当時魁傑の放駒親方に誘われ、花籠部屋に入り、横綱への道のり。一気呵成の喋り、まさに待ったなしだ。

ポンポンポンポン…、コップの水も飲まずだ。講演時間が超えだし頃、テーブルに配布した部屋の新弟子募集パンフのことを話す。三つ折り、相撲界不祥事のお詫び、親方のプロフィール、入門の条件Q&Aが載っている。~大相撲は日本の伝統と文化です。国技館の優勝力士の掲額、栃東関が消え、来場所から全部外国人力士です。ご近所の身体の大きなお子さん、紹介お願いします~と締めた。スイーツでも人気の親方、すいっと降壇した?。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 8日 (火)

伊勢路の大学駅伝、洒落てみる

 

 

072

084

120

 車で走って、ランナーが来るまで沿道で待って…。全日本大学駅伝、伊勢路8区間106.8㌔、今年も後輩の応援である。来るまで車で…?、言葉が自然と洒落化している。出発の熱田神宮から決勝の伊勢神宮へ。沿道からみた駅伝、斜目視線でええどう?と書く。

 主催の朝日新聞、朝早くバイト動員して特集配布だ。メーン広告はお米のJAバンク。大会の協賛でゼッケンもJAだ。TV6時間の生中継、CMはJA、JA…、協賛金は1億以上だろうか。JAさん、お米の宣伝ならエイエイだ。中継車はメーテレ。どこかなと聞くと、テレビ朝日の系列TV局の名古屋TVと。略してメーテレとは、いやメイルなあ?。

沿道応援は3度、4度、5度…だ。愛知県から三重県入りして最初は桑名だ。後輩ランナー来るまで、沿道のお母さんに聞いた。~ここは、その手は桑名のハマグリですね~と。~ハイ、ハマグリもっと桑名です~。四日市は競輪とスモッグ…、煙モクモク、もうけいれない?。鈴鹿へ来た。サーキット、ランナーさっき来た。三重の県都は津、人口は29万人。頑張れコール、ツーツーレロレロ。ついに伊勢へ。勝ったチーム、威勢がいいなあ。

 ※ 第43回全日本大学駅伝は11月6日、27チームが参加してあり、駒沢大が3年ぶり9度目の優勝を飾った。母校の後輩は14位なり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 7日 (月)

金子みすゞとの忘れえぬ出会い

 

056

051

040_2

何とぽっちゃりした娘さんだろう。ほっぺは赤く、眼はまん丸、口は可愛いおちょぼだ。おでこは広く聡明そうだ。着物は青い絣、良く似合っている。今、人気沸騰の童謡詩人、金子みすゞ似顔絵の看板だ。JR下関駅の7番線、普通電車の九州方面行きホームにある。

 みすゞはペンネーム、本名はテルさん。山口県の捕鯨の町、長門・仙崎出身で、20歳頃に住まいを下関に移している。JRの似顔絵は郷土の誇りだからだろう。隣りは代表作の<大漁>だ。~朝焼け小焼けだ 大漁だ 大羽鰯の 大漁だ 濱は祭りの やうだけど 海の中では 何萬の 鰯のとむらひ するだろう~。鰯への優しい眼差しを感じる詩だ。

 詩作は512編あり、教科書にもなっている。長門市に03年に開館した記念館は今年5月で、入場者100万人を超えた。小さな、何でもない事象への思いやり、癒しのある詩だ。関門海峡を見渡す亀山八幡宮の参道前、26歳で自殺する前日に撮った写真を掲示で見た。昭和5年3月9日、三好写真館で撮影という。穏やかすぎて、切ない。下関へ9月と10月、続けて2度旅し、似顔絵と遺影との偶然の出会い、今や忘れ得ぬ人なりーだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 6日 (日)

巌流島の闘いを見る

025

027

032

この決闘シーン、まあ見て下さい。巌流島の宮本武蔵と佐々木小次郎である。今まさに武蔵が櫂を削った木刀を打ち下ろそうとしている。待ちに待った小次郎、物干し竿と言われる長刀を右半身で構えている。慶長17年4月12日午前10時…、いや、迫力がある。

 山口県下関沖、往復400円の黄色い観光船で島に上がった。西暦で1612年、今から410年前の出来事だ。巌流島は小次郎の流儀からで、正式には船島だ。埋め立てで10万平米になったが、決闘の頃は1万7千平米の小島だった。市川海老蔵(当時、新之助)が演じた2003年の大河ドラマ<武蔵>で島はブーム化、そのおり決闘の銅像が建った。

 桟橋降り、歩いて5分で銅像だ。盛り土をしたような小高い丘だ。芝地に岩石の台座があり、武蔵と小次郎だ。綱が張ってある柵の周り、2度、3度と回った。沖合い、関釜フェリーが行く。三菱造船所も見える。~小次郎は待ち疲れていた。小次郎はいらだち、刀を抜き放ち、鞘を海中に投げ捨てた~、作家村上元三の記述碑文だ。武蔵が言う。小次郎、敗れたり!の場面だ。遅刻は2時間。小舟が一艘、砂浜から二人の闘いを見つめていた。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年11月 5日 (土)

ふく刺しぶっかけ丼でふくふく

042

046

 ふくの河久(かわく)か、河久のふくか…だろうか。下関名物のふく屋さんでも、河久さん、特別に有名みたいだ。ふくめし、ふく汁は河久名物と出ていて、一番の売りは<ふく刺しぶっかけ丼>のようだ。大きな垂れ幕、昭和グルメ紀行、ミナトの舌品と出ている。

 今年はどういう縁か、関門海峡を二度渡って、二度戻った。最初は9月の熊本行だ。新幹線で小倉まで行って、在来線で門司から戻って下関入りした。唐戸市場で、思い出しても唾が出る大トロ握り。10月の佐賀行きも小倉下車だ。あの時、渡れなかった巌流島へ上がって、再び唐戸市場へ行くおり、ふくの河久と出会った。どんな舌品か、ドキドキだ。

 先に唐戸市場だ。減量作戦気にしつつ、来たからには…と一つ500円の最高級トロで、トロッとして、雨の中を戻って880円の<ふく刺しぶっかけ丼>だ。カウンター席、坐るなり注文した。店内の女性店員さん、皆さんが舌品に見える?。だいたい、出来ているのか、すぐ出てきた。底の浅い盃みたいな丼鉢だ。ご飯の上に白いふくの刺身、その上にふくの皮とねぎだ。タレは酢醤油かな。レンゲでひと口ふた口…味?濁らずにふくふく?。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 4日 (金)

呼子のイカの活きづくり、いま再び

059

060

 出るかな、出るかなーと心待ちしていたら出た。ご当地の佐賀・呼子名物、イカの活けづくりだ。お品書きになく、地元幹事さんが、特注してくれていたのだ。お通しから4、5点目だった。身体が透きとおり、格子状に切りみがついている。これこれ、これやがな。

 玄海灘に面した唐津のホテル。北海道の人、沖縄の人…、全国から50人余の仲間が集う観光と棒振りの前夜祭だった。「唐ノ津」と書いて唐津。古代「唐」とは朝鮮、中国の呼び名で、唐へ渡る津(港)が地名の由来だ。呼子はホテルから海岸線を北東へ20㌔だ。10年ほど前に1泊している。あの時、初めてのイカの活けづくり、如何?にもだった。

 イカは皿の底が見えるほど透きとおり、食べると舌に吸いた。かつて宗兄弟らと競ったマラソンランナー、イカンガー(タンザニア)が福岡国際マラソンへ来たおり、~舌にくっ付き、イカンガー~と言ったのだろうか。この洒落、いかがかな。元に戻って、今夜のイカはどうだろう。ウン、甘みがあって、あの時と同じだ。やりイカ、歯にしかっとくる。足は天麩羅でゲソっと出てきた。味は◎だ。いいイカの出る会、如何にもいい会だった?。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年11月 3日 (木)

佐賀の乱の江藤新平銅像

 

094

093

 

佐賀の乱と言えば、江藤新平である。西郷隆盛と一緒に征韓論を唱え、参議から下野して、政府と闘って破れた。日本史で習っていて、語呂の良さから忘れずにいた。佐賀・唐津の棒振り大会。愛媛のSTさんから~佐賀の乱を起こす~と洒落たメールが届いていた。

 全国の仲間が集う大会、戦いすめばノーサイドだ。唐津から佐賀市内に移動した翌朝、STさんの佐賀の乱を思い出し、江藤新平の銅像を見に行った。宿泊した駅前の東横インから徒歩20分、鍋島藩10代目藩主直正公の別邸だった神野公園の中にあった。紋付きに羽織袴、頭髪は七三分け、右手をぐっと握って、黒御影石の上ですっくと立っていた。

直正公の茶室・隔林亭、小動物園まである緑溢れる公園だ。早朝から近所の人、息を吐き、息を吸い太極拳だ。政敵・大久保利通との確執から下野した江藤新平が40歳で処刑死して、100年目に建った像という。彰義隊討伐と江戸遷都の建議、賞典制度、国政改革を建言、初代司法郷まで上り、佐賀では、大隈重信、副島種臣らと並ぶ7賢人の一人だ。口元をぐっと結んだ新平像、~世の中、しんぺえだなあ~とでも言っているようだった。

※ 参考までに佐賀乱メールのSTさん、大会では乱に至らずも、飛距離は大幅上昇、次回へ向け、乱気配あり。要注意。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年11月 2日 (水)

捨てきれぬ、あの日の写真

 

158

162

163

佐賀旅行帰り、パソコンに取り込んだ写真を点検、取捨選択だ。京都から下関、唐津から佐賀へ2泊3日である。元東京支社勤務時代の仲間の交流だ。唐津で1泊2日は棒振り大会と懇親会で、あとは気ままに一人旅だ。腰のデジカメ、撮って撮っての213枚だ。

何を保存し、どれを削除するか、クリックだ。削除は思い切りが大事と思っていても、捨てきれぬ写真がある。思い出が重なる。何気なく撮った上の3枚もそうだ。実が垂れさがる柿の木、目に滲みるような赤さのケイトの花、小さな川を覆い尽くす緑の藻の漂いである。柿色、真紅、緑…、何とも美しい色合いだ。その日、その時でしかない一瞬の秋だ。

 いつ撮ったか、プロパティでわかる。3枚の写真は10月24日13時47分から51分までだ。JR長崎本線の乗り換え駅、備前山口で荷物をロッカーに入れて、旧長崎街道を歩きながら撮った。佐賀県の真ん中、江北町だ。カンカン石と見代り観音の見学、2時間は歩いた。いい天気、少し暑かった。民家はあっても、人とは出会わなかった。光と風の静寂の町、何となく心ひかれて撮った。パソコン写真見ていて、あの日あの町が甦った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 1日 (火)

新宿の見代り観音

 

192

195

197

全国に観音さん数々あれど…、見代り観音もまた数々…だ。ここは佐賀県江北町、旧長崎街道沿いの東照寺境内にある身代り観音である。JR肥前山口駅前の案内板見て、カンカン石からの帰りに行った。小高い山中、緑の木々を背にした真っ白な観音さんだった。

所在地は、佐賀県江北町新宿だ。駅から10分足らず、国道筋に地名表示、新宿と出ている。たわわに柿の実が下がり、真っ赤なケイトの花が咲く新宿だ。カンカン石へ歩いていたら、新宿の先に「宿」という地名も出てきた。新しい宿?だから新宿、なんか理解出来たような。東京の新宿もそうかも。見代り観音、階段を上がって、民家の上に見えた。

江北町のイメージキャラクター、Bikkie(へそがえる)が、あっちと観音の方向を示す。階段を右に左に30段で、観音さんのおん前だ。お堂の後ろ、台座から6㍍はありそうだ。昭和28年、奈良の仏師、福崎日精さんの力作という。ふくよかなお顔だ。首飾り、珊瑚がちりばめてあるという。旅人の安全を祈って、見代りという観音さんと同じ方向で町を見た。青い空にいわし雲だ。ここで1句。~観音に 感応してか 秋の空~??。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »