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2011年6月

2011年6月30日 (木)

昭和が甦る人形展ーきずな

 

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もう何処へ行ったのか、あの昭和が甦ってきた。男の子はベーゴマ、女の子はまりつき…、家族がちゃぶ台囲み食事している…、チャンバラ、うまとび、たき火…、どの人形からも昭和の温もりが伝わる。創作人形展<昭和の家族・きずな>に登場の人形さんたちだ。

 JR京都伊勢丹で開催中の京都新聞主催の人形展だ。手元に招待券があり、大津からの職場帰り、山科、京都と2駅で行った。エスカレーターで7階、子ども服売り場を通って、会場までの狭い通路に昭和の写真だ。昭和天皇の御婚礼…、京都新聞の前身・日の出新聞が黄色く貼ってある。紙芝居にチンチン電車…、京都の街角は、裏千家・淡交社の提供だ。

 入り口、ビデオがある。会場入る前に10分余り見た。作者の鳥取県米子市、安倍朱美さん(60)が人形を制作しているシーンが映っている。女性1人、前の席でしーんと観ている?。じいちゃん、ばあちゃん、母さん…なんと優しい表情だろう。癒し、愛、和み、絆…、ほのぼのとしている。忘れていた昭和がそこにある。この人形に感激した詩人・谷川俊太郎さん(80)が展覧会に寄せて、以下の詩を書いている。静かにしーんと読もう?。

 きずな  谷川俊太郎

ひとりをひとりにむすび

ひとりをひとりにからませ

ときにひとりとひとりをしばる

みえないうんめいの いと

ひとからひとへ めぐりつづけるエネルギー

あいしあうものを きずなはむすぶ

にくみあうものを きずなはむすぶ

みしらぬものどうしすら きずなはむすぶ

ひとりではいきていけない わたしたちのいのちづな

きずな

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2011年6月29日 (水)

高橋さんと野口さん、金メダルの足裏

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 今更ながら、そりゃあ、たいしたもんだ。シドニーからアテネへ、五輪の女子マラソンで日本人ランナーが連続金メダルである。何度振り返っても快挙、何度でも拍手だ。00年シドニーは高橋尚子さん、今39歳。04年のアテネは野口みずきさん、現役32歳だ。

 京都の西京極競技場に二人の足型がある。もちろん素足、金メダルの足裏だ。バルセロナで銀、アトランタで銅をとり<自分をほめてあげたい>の有森裕子さん(44)の足も並んでいる。ここは金の足に敬意を表して、高橋さんと野口さんの足を比べみた。コーチとして、2人を見事にアッシー?したのは、高橋さんは小出監督、野口さんは藤田監督だ。

 金メダル足のアッシー?、これは決まった。洒落的には表彰台かな?。さて、2人の足裏である。全日本学生駅伝の関西予選があった6月11日に観戦に行って、帰りに街灯の灯りで撮った。市電の敷き石を並べた競技場入り口だ。有森さん含め、全国女子駅伝育ちの3人の輝きを記念して主催者が設置している。もう一度、さて…である。南京玉すだれではない。大きさは高橋さんかな。野口さんはツルっとしている。水虫?、それはない。

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2011年6月28日 (火)

決めた、決めた、穴子・だし巻き弁当に決めた!

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 あの夜は、ちょっとしたスリルだった。JR大津駅で電車に乗ったのが午後7時47分、京都駅に到着したのが同7時56分だ。伊勢丹閉店の4分前だ。電車ドアが開いて、誰より早くホームの階段を降り、駆け足で地下東改札口を出て、スタスタと行って間にあった。

伊勢丹地下2階の食品売り場、もうそこに<本日は閉店させていただきました>の看板が用意されている。目指すは、いつもの今週の催し。この日は<日本のおいしいものまつり>だ。どんな食べ物があり、値引きはどうかー、これがまたドキドキである。最初の1分は品定め、ぐるっと回った。長崎の鯖寿司、宮崎の黒豚のみそ煮、広島のカキフライ…。

あと1分と少し、もう時間はない。決めないと…と、2周目に入った。京都大徳寺のさいき家さんの<あなご・だし巻き弁当>があと4つ、1260円が半値だと言う。好物中の好物…、舌が決めろ!と言っている。地元京都の商品でもある。♪~決めた、決めた、おまえとみちづれ~♪…、気持ちが俳優で歌手、渡哲也と通じた。お隣は福岡のうなぎせいろ蒸し店、ゆず稲荷が1個100円に値引きだ。これ、朝食用に2つ、みちづれに…だ。

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2011年6月27日 (月)

駅長さんという名のお店

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どれくらい、話を聞いたことだろう。鯖寿司とおはぎが評判の<駅長さん>という名の店である。店主は堀口千代子さん(7?)で、エプロン姿が似合う。JR湖西線比良駅から東北へ徒歩4分だ。道路側に開き戸のある青空駅長室は庭付き。話は1時間以上だった。

 鯖寿司を求め、3度目の訪問である。最初はお休み、二度目は開店していたが、予約が必要だった。あの日は高島市でコンサートが終わってからだ。前にもらった電話番号メモが手元になく、番号調べの104は~お届けありません~だ。ここまで来たら―とぶっつけ本番で行った。やはり鯖はお預けだったが、よもぎ入りおはぎの注文で会話が始まった。

 店名が何で駅長さんか、わかった。6年前に閉鎖になった<比良索道株式会社>の看板がある。亡くなったご主人が比良ケーブルで運行の仕事をしていたからだ。登山客から「駅長」と呼ばれていたという。千代子さんは山麓駅でおはぎなどの食べ物屋さんやっていて、ケーブルが消えて自宅でお店を始めた。命名は息子さん。ご主人の駅長帽と当時の「駅長室」看板が店にある。駅長メモリアル、店と共にで、話しぶり、おはぎハキハキ?だった。

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2011年6月26日 (日)

JR湖西線の乗降客調査

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改札口で、駅員さんに次の電車は?と聞くと、今、入って来ているという。JR湖西線比良駅だ。高架式ホーム、V字の階段が2~30段はある。次の電車は30分待ちだ。急げば…と言うので、ハアハア駆け上がった所へ、京都行き6両編成の普通電車が到着した。

 日曜の午後5時すぎだ。今津発の旧型電車、一番前の車両まで行った。客は一人もいない。車窓は右が比良、左が琵琶湖だ。急いで乗車したわりに、のんびりだ。次の志賀駅も、その次の蓬莱も、和邇も客は乗ってこない。車両内はわが天下だ。車両内ウオーキングで、運転席まで行った。顔は見えないが<JR西日本運転士、下村>の表示、こんにちわ!だ。

元清水寺管主、大西良慶師の「ゆっくりしいや」を読んでいるせいか。最近、電車は一番前か、後ろに乗る。人の少ない車両、落ち着く。ベッドタウン駅の小野から男性客2人が乗った。乗降調査を思いたった。堅田駅+3人、おごと駅+5人、比叡山坂本+6人…、乗る客ばかりだ。唐崎駅で+3人-1人、大津京駅はワンサで、計算ギブアップ…。山科駅は琵琶湖線、地下鉄、京阪乗り換え…テンヤワンヤで、もうワンヤンチャンワンだった?。

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2011年6月25日 (土)

~残った、残った~の声がする方

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京展鑑賞で熊野神社から京都市美へ歩いていたおりだ。京都会館近くで、垣根越しに~残った、残った~と声がする。何が残ったのかなあ…と、行き過ぎて、また~残った、残った~だ。日曜午後3時すぎである。一体、何が、どう、残ったのか、確認に行った。

声がする京都市武道センターへ入った。大きなテントが張ってある。大きなビニール袋の中、弁当はカラ箱ばかりだ。弁当が~残った、残った~ではなく、土俵上が~残った、残った~だった。屋根付き四本柱の土俵。本部席の正面に旗が二つ。日の丸と相撲姿の牛若丸の旗だ。牛若丸は63年京都国体のシンボルマークだった未来君で、これは懐かしい。

 相撲の観戦も久しぶりだ。東京勤務時代、両国で大相撲を観て以来だ。未来君も京都国体から23年経ち、街角から消えているのに京都府相撲連盟の連盟旗に生き残っていたとは…。さすがに相撲連盟、~残った、残った~だ。大会は朝から大学、高校の部が終わり、中学生の戦いだ。しめ込みの表示、嵯峨中に伏見中に太秦中。今の中学生、こんなにと思うほどの体格だ。決勝リーグに進出の3人は、みんな嵯峨中生だ。よう残ったなあ??。

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2011年6月24日 (金)

コーヒー、らーめん店で無から有

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 カフェ時代に純喫茶、言葉が古いかな。後輩の一人があそこならーと案内した店も日曜定休だ。コーヒー店、意外なほど無い。時間は昼を回っている。入店、円町西南角のラーメン店「津津」へ変更である。「津津」は、<つつ>でなく、中国読みの<しんしん>だ。ローマ字で<Sin―Sin>と表示してある。意味は~津津と湧き入出るが如く~とか。

ラーメン注文は、ねぎそば、白玉、熟成醤油…、三人三様である。出揃って写真を撮って、ふと壁を見ると、コーヒー150円と出ている。あれだけ探したコーヒーである。有るところには有るもんだ。店員さんに聞くと、1昨年暮れに開店して、近くにコーヒー店がないので…と言う。グッとくるグッドな話だ。麺は細め、スープは豚骨。店名の津津と豚で、トンツーツーの電報?また古いかな。後輩の感想、コーヒーは無から有へなり…と。

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2011年6月23日 (木)

青木繁の没後100年展、重文「海の幸」

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ヨイショ、ヨイショ…、大漁!、大漁!とでも、言っているのだろうか。28歳で夭折した洋画家、青木繁が描いた<海の幸>だ。これ、重要文化財だ。故郷・久留米で始まった没後100年展、縁のない京都にはくるめえ…?と思っていたのに巡回展がやってきた。

今、岡崎の京都近美で開催中だ。<海の幸>は、東京八重洲のブリジストン美術館所蔵で、東京行くたびに見ている。馬を描く友人の坂本繁次郎の絵と並んで展示してある。橋のブリッジと石のストーン。洒落ぽい社名で創業したブリジストンの石橋正二郎が、郷里の先輩、坂本画伯に勧められ、青木絵画を蒐集した。開催以来、京近美へは2度、行った。

<海の幸>は明治37年、千葉県館山へ、同僚の坂本と恋人の福田たねらと行ったおり、描いた作品だ。3階の入り口へ行くまでの中2階、裸の漁師と鮫の模型が展示してある。撮影禁止の表示はないので、しっかり撮って、会場入りだ。最初は全体見て、2度目は<海の幸>だけを見た。音声ガイドで、大きな魚は鮫とわかった。漁師は10人、後ろから4人目で顔を見せているのは福田たね、2年後の書き加えという。それ、たねあかし??。

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2011年6月22日 (水)

鼈と鵺ー読めますか。

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 最近、難解な漢字に2度出会った。何回でもではなく、2度だけだ。ご紹介しよう。「鼈」と「鵺」である。読めるでしょうか。最初は「鼈」で、京都初の札幌の味というジンギスカン料理の<べんがら>で会った。京都三条通り、山科京極を南に下った店だ。

 平日の得得情報があり、5月は<この漢字読めたらドリンク差し上げます>と出ていて、それが「鼈」だった。ろうーかな、ろうーかな、考えて、出てこない。ギブアップして、店主に聞くと、正解はポンと出てきた。一度、指にでも食いついたら、ちょっとやそっとでは離れない<すっぽん>だ。料理は食べすぎると、財布スッポンポンかな?。

 もう一つは、案内をもらった<しがの風展>を大津歴史博物館で鑑賞しての帰りだった。三井寺近くの大津市伝統芸能会館の掲示版に「鵺現る!?」と出ている。7月9日午後5時~と日時が予告してある。大きな真っ白な模造紙に「鵺」の漢字だ。さてと、何かな、何かなーと頭を巡らせながら歩いた。そうだ、わかった。顔は猿、胴は狸、足は虎、尾は蛇-、夜な夜な鳴く怪物だ。だいぶ経って、答えが「ぬえ」っと出てきた?。

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2011年6月21日 (火)

土山の旧東海道の松並木を歩く

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国道1号を走行中、<旧東海道の松並木→>の看板表示だ。甲賀市土山の市場の交差点、→どおりに曲がって、すぐだった。松並木が両脇の道路を覆うごとくだ。屋根付きの新しい鉄製の灯ろうも立っている。街道筋の復活だ。広くなった所に車を停めて、歩いてみた。

どのあたりかな?と回りを見る。飛びだし君看板の<あぶない。ここであそばない>は小野小PTAだ。橋の端、土山町教育委員会の<大日川(堀切川)堀割>の説明板がある。要約すると~大雨になると、往古頓宮山から流れ出る水で市場村、大野村の水害がひどく、元禄年間に野洲川に水を流す堀割をつくった~と書いてある。そうかーと、歩きだした。

鉄工所、瓦屋さん、民家…合間に茶畑もある。道幅にして2車線だ。名神栗東カントリー倶楽部帰りの平日夕方、車も人も少ない。茶畑は、土山茶だろう。南側は大きな野洲川だ。松並木は「東海道反野畷」石碑まで続いて、3百㍍ぐらいだ。復活用に植えたのか、若い松もある。♪~清水港の名物は お茶と香りと男伊達~♪の股旅気分だ。どうして、最初でもまた旅?一度でも二度でも三度笠?と思いつ、デジカメ片手にぶらり、ぶらり…。

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2011年6月20日 (月)

おふくろさんの日替わりランチ

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おふくろの日替わりランチという。だいまるや串さんが、昼ごはんを始めて、かれこれ1年になる。JR山科駅前からバス通りへ歩いて2分、串の赤提灯があがっている店だ。夜は山科なす、レンコンなどの串揚げで、月に1、2度は行くが、昼の入店は初めてだ。

 山科大丸で線香を求めに行ったおり、昼の時間だった。そうそう、あの串やのランチ、どんなんかなと行ってみた。カウンターの中、おふくろさん2人だ。お客はだれもいないので、真ん中にどんと座った。店内BGMは小林幸子の雪椿から坂本冬美の夜桜お七へ…、これでもエエンか?と演歌が、次から次へかかっている。昼なのに夜かな?、妙な気分だ。

 ランチが~前から失礼します~と出てきた。おふくろさん、50代かな、60代かな。声が太めのおふくろさん、リーダー格だ。もうお一人、声は細い。コロッケ2つ、一つは竹輪。温泉玉子にブタ肉巻き、酢の物、玉子スープ…、お茶碗にご飯で、700円だ。おかず、毎日考えるの大変やけど、濃い味、さっぱり味と工夫していると言う。おふくろさんは1週間の4人の当番制とか。~私たちも日替わりランチなんです?~と、落ちがついた。

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2011年6月19日 (日)

新聞でみたアフロ大仏を見に行く

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 京都新聞の朝刊を捲っていて、気になる見出しが出ている。<ふさふさ願い 髪 頼み

>だ。週一回の面白観光特集で、京都市内の髪にゆかり社寺を紹介している。御髪神社、アフロ大仏、櫛塚…で、東京の企画会社が準備中という頭髪パワーツアーの記事である。

 切り抜いた新聞を持って、読みかけの本に挟んで、写真のアフロ大仏を見に行った。新選組発祥の地でも有名な金戒光明寺だ。地下鉄東山駅でおり、平安神宮の北東へ15分ほど歩いた。金戒光明寺というより、黒谷さんと言う方がわかりよい。広い境内、アフロ大仏の所在がわからず、寺務所へ行って、新聞切り抜き見せた。文殊堂参道への上がり口だ。

大仏?、というよりもだ。大きさ、1・5㍍ほどだ。「五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしいあみだぶつ)」がちゃんとしたお名前で、髪のぶつぶつは途方もない時の長さを考える螺髪(らほつ)だ。頭は髪の毛を大きく、丸く膨らませたアフロヘアーだ。1960年代のアメリカで、アフリカ系の黒人から始まった髪形である。ふっくらしたお顔、静かに目を閉じて、永遠の時を思っているのだろうか。我が頭、ツルツルと撫でて、過ぎ去った時を思った?。

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2011年6月18日 (土)

このたい焼、日本一ですたい

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鯛は鯛でも<日本一のたい焼>だという。お店に入って、なんで日本一なのか?名前の由来をと聞くと、創業のオーナーが博多弁で~この鯛焼きの味は日本一たい~と言ったからだという。答えを聞いて、思わず、~そうですたい~と、はかった如く博多弁になった?。

 所在は土山なのに、なぜか栗東という名神栗東カントリー倶楽部へ行くおり、国道1号を走行中に見つけた。土山の入り口、市場交差点近くだ。駐車場入り口にたい焼のイラスト板を貼り付けた大看板、何本も赤い幟がひらめいている。それはそれは目立ちますたい。棒振りが終わって、帰りにどう日本一か寄ってみた。1個150円、まずは注文ですたい?。

 餡子が赤いたいと白いたいがある。紅白二つだと、めでたいーですたい。この洒落、なかなかいけるたい。赤いの、一つ注文して、女性店員さんに聞いたら、よく問われるのか、味が日本一たいーと即答えが返ってきた。本社は福岡で、九州中心にチエーン店は30店以上に拡大中という。滋賀初の甲賀土山店は4月29日に開店だった。薄皮で、しっぽまで餡子が詰まっている。土佐弁の坂本龍馬流が言うなら~まっこと、うまかですたい~か?。

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2011年6月17日 (金)

ティファニーですき焼きを

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 やっぱり聞いてみるものだ。答えはわりに単純だった。社長が米国女優のオードリ・ヘップバーンが好きで、かつて主演した映画「ティファニーで朝食を」の題名にちなんで名づけたという。JR近江八幡駅前の近江牛・カネ吉山本のレストラン「ティファニー」だ。

 あの日、近江八幡市街ツアーの仕上げで入った。行って戻るブーメラン通りの真ん前、駅から徒歩2分だ。近江八幡へは仕事絡みで、一年に何度か行き、カネ吉の前はブーメランする。1階でコロッケか、サラダは買ったことはあるが、素敵な近江牛ステーキ?の2階以上へは上がったことがない。通る度、看板見上げ、何で「ティファニー」?だった。

 夕方5時、予約席は座敷の3階だ。阪神のデーゲーム同様、ワインで乾杯して?、すき焼きだ。女店員さんが下地入れ、脂ひいて、霜降り肉と具を鍋分けしているおり、店名理由を聞いて、納得した。命名者の3代目社長、山本卓次さん(83)は、さっきまで店内にいましたのに…と言う。オードリのどこがどう好き焼きか?と踏み込みたかったが、惜しかった。それよりも、牛なのに舌にウマウマ感が走る近江牛すき焼き、誠にうまかった。

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2011年6月16日 (木)

商人の町にいたヘラクレス・オオカブトムシ

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 世界最大にして、最強という。体長17㌢にもーという、大きなヘラクレス・オオカブトムシである。ギリシャ神話のヘラクレスみたいに強いという。黒光りした長い角で、相手を捕まえ、投げ飛ばす。生息地のカリブ海でなく、近江商人発祥の地、近江八幡で見た。

 まさかの出会いだった。八幡堀の水郷巡り、近江商人家の住宅など、丸一日の近江八幡町並みツアーの大詰め、池田町洋館街へ来ていた。この町で暮らした宣教師で建築家のヴォーリーズの設計した大正期の建物が並び、異国情緒を感じさす。市中心部から少し西側だ。万歩計はもう1万歩…やや足が重くなっていた。そこにヘラクレス登場、勇気百倍だ。

 地元公民館の向かい、オオクワガタ絵入りの紙が軒下にぶら下がっている。所在は池田町5丁目29番地、表札の世帯主は八田弘和さんで6人家族だ。だれからとなく、お宅へ入ると、さすがに梅雨どき?、ムシムシして、カブトまたカブトだ。奥さんが出て来て、箱をあけて見せてくれる。息子さんの飼育販売という。奥から大事そうに出てきたのがヘラクレスである。Mさん、Sさん、Nさん…子供の目になった。嗚呼!本物!ヘラクレス!

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2011年6月15日 (水)

亀さん石とマッタケ石

 

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石にも色々あるもんだなあーとイシイシと見た。イシイシーは<ひしひしと感じる>の類語でもなんでもない。言うなれば、オリジナルな洒落語だけど、上の2枚の石写真を見てもらえば、なるほど<ひしひし>よりも<イシイシ>や!とご理解いただけるかと思う。

 商人屋敷が並び、町並み保存の近江八幡の新町通りだ。昼に入っても旧伴家邸?の真ん前にある歴史民俗資料館の中庭だった。旧伴家邸、重文の旧西川邸など4館共通の入場券で、とことん見ようと最初の資料館の階段をトコトンと上がって、開いていた窓から階下の庭を見て、写真の石だ。京都の坪庭より少し広いぐらいに大きな亀がいて、マッタケだ。

 亀は首をにゅっと出している。甲羅はこうら!と思うほど大きい。誰が見つけて、首の石と甲羅の石を並べたのか、心憎い。二階の窓から亀なみに首を出して、写真撮影だ。お隣のちょっとまったけ!のマツタケ石は、灯ろう仕立て。見どころは一番上の笠石だ。2階から1階へ降りた。直近でよく見ると、石の表面が波打ち、しわしわしている。どれほど見ても、マッタケ!。携帯ドコモのドコモ茸ストラップにも似ている。どこも、ここも?。

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2011年6月14日 (火)

近江商人の家訓

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 庭の見える奥座敷、床の間に2枚の軸が掛っている。「先義後利栄」と「好富施其富」と書いてある。近江八幡シニア観光ガイドさんが解説を始めた。案内を依頼したのだろう。女性3人が一緒に座り込んで聞いている。勝手に巡り合わせと、決め込んで、傍聴した。

 近江商人の商家には、本家から分家、別家へ引き継がれる家訓があるという。この軸は西川利右衛門家から別家になった伴家への家訓だそうだ。読み方は~義を先にし、利を後にすれば栄え、富を好とし、其の徳を施せ~という。年配のガイドさん、元は漢文の先生だったのか。「上か2番目の漢字から上へ、義を先に…と読み」と、噛んで含める如くだ。

 解説のポイントは2つ目の軸、「好富…」だった。~これは、富が好き好き-でなく、富をよし-と読みます~と。~世のために使う富はよしであり、たんに富が好きというのとは違うーと諭すように話す。要は道理(義)をわきまえて、商いをすれば、利益はついてくる。利益を上げることは悪いことでなく、それに見合った社会貢献が大切―と説いている。中国偉人の言葉とかで、近江商家の家訓は代々、ガクンとなってはいけない?のだ。

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2011年6月13日 (月)

何を見越すか、見越しの松

 

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ある、ある…、これがジッス・イズ・見越しの松かあ。天びん担ぎ、全国を回って、財を成した近江商人の住んだ中心地、新町通りだ。板塀越しに年輪を刻んだ松が3本、4本、5本…。春日八郎が歌い、レコード売上云百万枚というお富さんの歌詞に出て来る松だ。

 蚊帳、綿、砂糖を商いした西川庄六さんち、間口が13㍍ある。ここで洒落るなら、へえ!と驚くほどの塀が続く。近江八幡市観光物産協会が設置した案内看板によると、江戸中期の建物で、奥行きは何と14.9㍍という。御当家は現在も東京日本橋で食品、不動産など各種商材を扱う会社を経営していて、中庭から伸びる松も明日を見越している??。

電柱のない新町は、伝統的建造物郡保存地区として、町並みがよく保存されている。松が塀から覗く町屋、どれくらいあるか。ここで、もう一度洒落て、ちょっとまちや?だ。あっちの町家、こっちの町家…、見事に伸びている。同じ松でも、見越していれば、環境物件として保存対象という。どう見越して、写真を撮るか。カメラ覗いて、♪~粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の…お富さん~♪…、♪~生きていたのか、お富さん~♪、パンパン。

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2011年6月12日 (日)

近江八幡で「箆」と「鞴」に出会う

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 人、物、景色…、出会いにも色々あって、ここは漢字編だ。近江八幡市のかわらミュージアムで「箆」にあった。へい、ヒ、へら…などと読む「箆」だ。わかりやすく言うと、靴箆(くつべら)とか、竹箆(たけへら)の「箆」だ。瓦説明の「箆書」で発見だった。

これまでの人生で出会わなかった漢字だ。同行の知人に~竹へらで書く、へらしょです~と教えてもらった。仏説落語を創作するSさん、へらそうでない?。滋賀県八日市の金念寺寄贈の面白瓦で、卍や花や雲が彫り込んである。この細工人が庄兵衛さんで、瓦工が金六さん-と瓦裏に「箆書」で記入してあり、江戸後期の文化8年未歳正月の制作という。

ここで、「箆」はへらへ置いて、「鞴」だ。♪~暫しもやまずに 鎚うつ響…、鞴の風さえ 息をもつかず~の「鞴」だ。唱歌・村の鍛冶屋に出てくるので、しょうか、しょうか!とおわかりだろう。四角な箱で炭をおこす「ふいご」である。近江商人の旧宅が保存してある歴史民俗資料館で、「鞴」が展示してあった。箱に「鞴」の漢字があり、「ふいご」と平仮名書きしてあったからいいけど、ふいに「鞴」だったら、さて、皆さん読めますか?。

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2011年6月11日 (土)

三つの顔持つ船頭さん

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人は様ざまというけれど…だ。近江八幡水郷めぐりの船頭さんには驚いた。土日になると、京都から来て、船頭しているが、本業は西陣で家紋を描いていて、夜には四条烏丸の料理店でコックもしているという。お名前は平正昭さん、60歳、北海道ニセコの出身だ。

家紋で40年、コックで10年、船頭さんは漕ぎ方を半年習って、今年で6年目という。JR近江八幡駅から豊平橋にある舟乗り場まで、TAX相乗りで7、8分だった。葦ぶきの待合所、手漕ぎ和船の乗船者200万人突破の新聞記事が出ている。弁当付き、8人乗りの船頭さんが、平さんだった。元祖水郷めぐりと書いた編み笠、黒い法被に運動靴…だ。

時速は4㌔、歩くぐらいか。時計の反対回りで90分、兼平橋、米塚橋…10個の橋を潜って、90分の水郷めぐりだ。細いよしの上にとまって鳴くヨシキリ、ガオガオとイビキのような殿さまカエル…、京都駅から1時間で、水の上の、この異卿だ。三つの仕事を持つ平さん、~今、船頭稼業に、はまっていましてねえ~と言う。櫓の漕ぎ方は、ろうか?。左足を舟のへりにつけ、両手で円を描くように~ギッチラ、ギッチラ…ギッチラコオ~だ。

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2011年6月10日 (金)

毎日新聞の週間漢字読めますか

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漢字にはそこそこ自信はあるけど、白旗をあげた。<①卍 ②、 ③々>と出ていて、この3つの中で、漢字でないものが一つ紛れていて、それがどれかと問い、他の二つは読めますかーという。週明け、職場で読む毎日新聞掲載の週間漢字―読めますか?欄である。

 社会面右ページの右端、縦に細長く問題が出ている。毎週月曜の朝刊、何時からか気になり始めて、頭を捻っている。答えは解説入りで左下に出ていて、これ、朝からけっこう勉強になる。出題は記者が書く原稿の誤字脱字を点検する校閲グループだ。洒落一つ。発見は3時の時も、5時の時も?。新聞社では地味ではあるけど、なくてはならない部門だ。

 漢字でないのは、③々―だった。これは繰り返し符合で、読み方はないという。ほかの二つ、①はわかった。読みは「まんじ」だ。解説では、地図でお寺の印で記されており、谷崎潤一郎の小説やプロレスの卍固めでも有名という。東北弁で、まんず、まんず??。これ、違ったかな。分からなかったのは②の、だ。テン、ちょんーでなくて、<ちゅ>が正解だった。「丸」「主」「丹」などを構成する部首と。これからも読みに注意の「ちゅ」だ。

※ この週間読めますかーは6月6日付け朝刊に掲載だった。 

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2011年6月 9日 (木)

西教寺裏参道に癒しのお地蔵さん

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まあ、見て下さい。この柔和なお顔のお地蔵さん。ちょっと首を傾けて、微笑んでいる。細い目、ふっくらしたほっぺ。背丈にして1㍍ほどの石像だ。だれが被せたのか、赤い毛糸の帽子と前掛けが、可愛い。それによくみると、前掛けにスヌーピーにストラップだ。

大津市坂本5丁目、天台真盛宗総本山、西教寺の裏参道である。光秀が坂本城の陣屋を寄進して、再建した大本坊を出て、駐車場への下り坂だった。若葉が時おりの雨で瑞々しさを増した森の中、お地蔵さんは参道わき、石垣の上だった。一緒に歩く仲間から遅れを覚悟で暫し、立ち止まった。お供えの白いお花はかすみ草だろうか、お湯呑みが一つ…だ。

お地蔵さんに傘が差しかけてある。から傘、粋なカラ-?だ。デザインは松に鳳凰のようだ。お地蔵さんのお顔をズームアップ、屈んで写真を撮った。眉毛は細く、お口は小さく、鼻筋はすっ~と通って…、見れば見るほど、癒される。滋賀勤め2度、かれこれ14、5年は経つのに西教寺参拝は恥ずかしながら…である。御坊、不断念仏、護猿、光秀廟所、庭園…、そして、癒しのお地蔵さんである。もっと、さいきょから来るべきだった??。

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2011年6月 8日 (水)

お不動さんの日、酒井雄哉師がお水かけ

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 テレビや写真で何度も見ている大阿闍梨、酒井雄哉(ゆうさい)師が、そこだ。比叡山の千日回峰行2度も満行した阿闍梨だ。1926年9月生まれ、いま、84歳である。いつもの白装束姿だ。お不動さんを祀る三昧堂の中、阿闍梨さんがもうそこまで来ている。

 台風が熱帯性低気圧になり、雨がきつくなり出した。廊下にまで溢れた信者さんが濡れないようにお堂の外側はビニールを垂らしてある。毎月28日はお不動さんの日、比叡山奥深くの飯室谷に信仰熱い信者さんが大勢だ。比良比叡自然学校の比叡山麓を歩く会16人は、日吉さんから西教寺を回り、奈良坂から急斜面を登って、酒井師の飯室不動だった。

 お堂の中、何なのか、チ~ン、チ~ンと音がする。歩く会のメンバーも廊下に座ってお参りだ。お経がすんだ阿闍梨さん、信者さんの中を回り出している。どういう仏具か、器を掬うように叩きながらだ。信者さんら、深々と頭を下げている。いよいよ、廊下の番だ。胡坐から正座に変えところで、阿闍梨さんの足が真ん前だ。頭上でチ~ンとなって、水がピシャッとかかった。後で聞くと、お水かけの施し。いや、冷たくも、有難い水だった。

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2011年6月 7日 (火)

水無月の料理メニュー、どんなんかな

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 メニューに<水無月のおすすめ料理>と出ている。どこがどう水無月なのだろう。水無月の6月、水が無いのでなく、無を「の」と読む水の月で、田に水を引く意味だ。小豆の乗った和菓子の外郎も水無月という。料理はどんなか、メニューを次から次へ頼んでみた。

京都駅からすぐ、烏丸七条上ル、美味酒肴「京すいしん」だ。不定期にある世代超えた4人の集まり。世話役は輪番制で、今回は0さん(63)が会場を斡旋した。暖簾をくぐって、靴を脱いで、ずっと奥の4人個室だった。どの部屋も客が入っていて、献立メニューが人気なのか、店内は良くこんだて…だ?。流麗字の水無月メニューは10品目である。

鱧おとし900円、鮎の塩焼き750円、賀茂茄子と三色田楽680円…、水無月料理?というよりも、だ。鱧に鮎に茄子となれば、祇園祭りの夏懐石だ。まあ、しかし、かたいこと言わず、水無月記念で1品ずつ、みんな頼んで、割り勘なら…だ。万願寺唐辛子の土佐醤油掛け、鶏と葱の甘辛煮、鱧と野菜の天麩羅…、テーブルに所謂、水無月料理が順々と出て、その度に撮影だ。記念に一句。~水無月の 水があっても 無くても 水の月~?。

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2011年6月 6日 (月)

神前の寿ナンバーは1156

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そうか、イイコロなんや…。ナンバーが<1156>なのだ。大津市坂本、日吉大社の参道に駐車中の外車だ。車種に詳しくないけど、体重絞れ!のシボレーかな。扇に寿マーク。西本宮の楼門で、記念写真を撮影中の2人が乗る車だろう。イイコロ!イイ数字だ。

 雨が降ったり、やんだりの天候だ。比良比叡自然学校の山麓を歩く会で、東本宮から西本宮へ来て、雨模様なのに晴れの?お二人に出会った。神のお使いという日吉さんの神猿(マサル)が軒下にいる楼門のところだ。最初は後ろ姿を見た。赤い絨毯敷布にお二人が立ち、カメラマンから何か聞いている。日吉さんのマサルに勝るかどうか、前へ回った。

これもまあ、合縁奇縁だ。カメラマンと同じ、真ん前の位置でデジカメ構えた。どこでどう結ばれたのか、レンズ見ながら思う。羽織袴の新郎さん、眼鏡かけ右手に扇子だ。写真撮影で笑顔を引き出すイチ、ニィッーと言わずとも、ニィッとしている。神妙さが問われる神のおん前なのに困ったものだ。白無垢の花嫁さん、赤い口紅のおちょぼ口が可愛く、初々しく、楚々としている。◎なら三つ、四つ、五つ…。今がまことに1156なのだ。

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2011年6月 5日 (日)

南座で猿之助歌舞伎展見る

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それこそ、3度目の正直だった。ついこの間、閉幕した南座初の歌舞伎展覧会「猿之助 歌舞伎の魅力」展だ。最初は入場が午後4時半まででタイムアウト、二度目は火曜日に行ったら休館日、やっとの3度目は台風2号が来て、京都にも大雨警報が出た29日だった。

 チラシ貼り付けの300円引き割引券があり、1200円で入った。舞台と2階席で衣装を見て、映像を鑑賞して、楽屋再現コーナーだ。文化功労賞を受賞した猿之助歌舞伎を存分に紹介するユニークな展覧会だ。義経千本桜の古典歌舞伎あり、ヤマトタケルのスーパー歌舞伎あり…、猿之助の名前に洒落て、エンノオ、エンノオと会場内を見て回った。

 思ったのは衣装の豪華さに加え、重たさだ。あんなのを来て、宙吊り?と思うと、ああしんどうだ。写真撮りたいけど、どこも撮影禁止の掲示がでている。入場前に撮った雨降る南座玄関だけで辛抱と思っていたら最後に許しが出た。猿之助さんが新三国志を演じた板絵看板と勘亭流の招き看板があり、その間に立っての記念撮影だ。骨太で、隙間なく、内へ丸く曲げて書く勘亭流、これ大入り縁起担ぎからという。説明、カンデ含めるようだ?。

 ※ 歌舞伎展は5月3日~30日までの開催だった。

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2011年6月 4日 (土)

モッツァレラ入りライスコロッケって

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読んで、舌がもつれて、食べて、それはそれは…だ。その名は<モッツァレラ入りライスコロッケ>という。JR大津駅前の立ち飲みスタンド、林屋さんの店長がおすすめの一品だ。開店1年余りで、初登場である。どこでどう、モッツァレラか?初めて食べてみた。

 モッツァレラ…、名前からして、舌をかみそうだ。二字ずつ丁寧に~モッ・ツァ・レラ~とマジック書きの本日おすすめメニューを読み返し、店長に何?と聞いた。イタリアから直輸入の水牛で、鶏肉など加え、仕込みに2日間掛けたという。手が込んでいて、店長自信作のようだ。舌のもつれ避け、モッツァレラと言わず、ほんならソレ!と、注文した。

この夜は<小鮎と大葉のかき揚げ>も本日のおすすめ初登場だ。少し舌に苦味を感じる小鮎が好みで、最初にソレを食べて、モッツァレラ…だ。タコとジャガイモのアンチョビ??は、品切れという。本日のおすすめは大体、カタカナ読みのメニュー多く、ソレ!と頼んでいる。所謂、オオソレミヨ…だ?。モッツァレラ~3個出てきた。ボールみたいなコロッケで、中は水牛のミルクで作ったチーズとか。ソレ、チーズとも知らなかった?。

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2011年6月 3日 (金)

たわいのなさは癒しかな

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この複雑な世の中、たわいのなさがいい。深く考えない単純さ、それって結構、癒しになる。通勤の合間に垣間見た、そのたわいのなさ、一つ、二つ紹介する。最初は前にも取り上げたJR大津駅改札口にある、あの黒板マジック書きの<なぞなぞコーナー>である。

 男性駅員さんが出す第3弾の大津駅なぞなぞだ。問題はいつもどおり2問ある。たわいのなさは第2問だ。<風邪をひいたので病院に行ったらお医者さんが笑って、あるものを渡した。何でしょうか>という。ヒントは、そのままだよ~という。笑って?渡した?…、黒板前で何だろう、何だろうと、考えてわからない。テープ貼り付けの答えの紙、捲った。

 答え見て、ハハハと笑ってしまった。お医者さん、クスリと笑ったので、正解はクスリと。第1問は<しすせそ>で何県?と聞いて、答えは、さーがないので、さぬき=香川県という。う~ん、単純なり。もう一つのたわいなさ、京都市地下鉄の車内貼りで見た<京の水道水は世界最高水準>ポスター。京都市上下道局は蛇口から水道水が直接飲めるから世界最高水準とPRしている。ポスター、女学生が水を飲んでいる。シンプルイズベスト?。

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2011年6月 2日 (木)

日吉さんの雌なぎと雄なぎは夫婦の木

 

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 雌梛(めなぎ)あれば、雄梛(おなぎ)あり…である。拝観料払って、日吉大社の東本宮の中だ。本宮奥に梛の木が1本立っていて、立て札に~男性が女性の幸せを祈る木~とある。ナギは「薙ぎ払う」に通じて、災難除けを象徴するーと、洒落ぽく書いてある。

 境内は高い樹木多く、鬱蒼としている。難解漢字の鬱、晴れて常用漢字入り。覚え方は~リンカ~ン大統領ワ、アメリカンコーヒーを3杯飲んだ~だ。確か前に書いて、ご披露した。NPO法人比良比叡山自然学校が主催する比叡山麓を歩く会である。梛の漢字も難しいが、ここは木の話だ。梛は温暖地に自生するマキ科の常緑高木で、雌雄異株だという

京阪坂本駅集合、雨天決行のウオーキング。傘を持って、坂道上がって、始まりは自然学校らしく、梛の木の学習になっていた。雄梛は?と探すと、東本宮境内の階段下にあった。苔が付いた古木で、ゆうに20㍍近くある。見上げながら立て札をみると、梛とは逆に~女性が男性の幸せを祈る木~と出ている。ナギは「和む」「凪ぐ」に通じると。楕円形の葉は堅くて、切ってもきれない夫婦和合の木だという。あまりの理想、なぎてくる?。

※ 鬱の覚え方 ①木と木の間に缶で、リンカーン大統領。②は=ワ。③アメリカンコーヒーは※にヒ。④3杯はヒゲ三本なり。

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2011年6月 1日 (水)

最澄出生の坂本に生源寺

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 伝教大師、最澄お生まれの地なので、寺名は<生源寺>という。京阪石坂線の坂本駅から1、2分だ。「開山傳教大師御誕生地」の石碑がある門を入って、境内東側に行くと、屋根付きの産湯の井戸、ブロンズの幼形像、大師一代年表、誕生イラスト…が伝としてある。

青葉若葉の5月、縁あって坂本入りすること3度目、正直に?境内へ入った。最澄の出自、隣の坂本公民館であった講演で知識ありだ。父は地元の首長だった三津首(みつのおびと)百枝公、母は藤原家に縁ある藤子さんで、最澄の幼名は広野である。宝亀11年(西暦778年)8月18日、今の坂本、滋賀群古市郷生まれである。証拠の文献は国宝だ。

 今年は2011年なので、生誕年778年を引き算すると、はるか1289年前のお生まれだ。比叡山を開き、天台宗起こし、入寂年は56歳、822年6月4日だ。今年は法然800年、親鸞750年の遠忌だが、最澄の没後だと1189年にもなる。今更ながら日本仏教の始まり、最初の最澄を思う。母に抱かれた最澄の誕生イラスト、最初から目がぱっちりだ。誕生の日、坂本の町の蓮華の花が降った―と伝わっている。これぞ、伝々だ?。

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