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2011年4月

2011年4月30日 (土)

政治は菅災??講演

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 この人の講演スタイルなのだろうか。両手を大きく開いて、演題を抱え込むように喋った。琵琶湖ホテルであった内外情報調査会の講師、時事通信解説委員の田崎史郎さん(61)である。カンカンになって、東日本大震災での菅首相の政治対応をアカンと話した。

 田崎講演、聞くのは2年ぶりだ。竹下派死闘70日、なぜ日本の政治はダメなのかーなど著書多数あり、報道ステーションなどTV出演も、だ。敗戦以来と言われる国難、田崎さんはどう話すのか、興味津津で聞きに行った。頭髪の白さ以上に、舌鋒が鋭さを増していた。「国として最悪の時に最悪の首相」「歴代1位のワースト首相」とまで言い切った。

 地震と津波は天災、福島原発は人災、政治は菅災-と言われる。田崎講演、これを裏付ける如くだ。~官邸で怒鳴り取らしている、全体をみていない、人を動かせてない~などなど、アカンという反面教師をみたいだと。自民・谷垣総裁へ連立呼び掛け、復興会議15人の人選など、肝心なところも菅さんが一人でやって、失敗していると。菅さんの次は?の会場質問に①野田財務②仙石③前原の順と。さてさて、アカン日本の政治どこへ行く?。

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2011年4月29日 (金)

菊桃は聞くものだった?

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サクラかな?いや、違うなあ。民家の庭から満開のピンクの花だ。牡丹桜かなとも思ったが、どうも花びらは小さい。何だろうーと玄関先まで行った。そう太い幹ではないが、幾本も枝が出て、長いのは屋根まで伸びている。山科疎水の安朱橋を少し下がった所だ。

福島さん、水野さんの表札、2世帯住宅だろうか。表通りから入って、突き当たりだ。天台門跡寺院の一つ、毘沙門堂へ行って帰る道だった。お隣さんの駐車場はベンツ。散った花びらが白い車体に付着している。随分と細長い。やはりサクラではない。玄関をピンポンして、尋ねるのは大仰だし、もう一度、しっかり見上げたら、枝に木札かかっている。

木札は2枚あり、漢字と平仮名で書いてある。よく聞かれるから、吊るしてあるのだろうか。花の名は<菊桃>で<きくもも>だ。名前は聞くもの、なのだ?。それにしても、見事な咲きようである。花びらは確かに菊みたいだ。別名はゲンジグルマと言い、江戸時代に中国から渡来した桃の品種で、何とバラ科だという。桜のようで、菊みたいで、バラ科の桃とは、これいかに?だ。バラ科の花弁も色々、これはスバラらしい?。ベンベン?

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2011年4月28日 (木)

築地場外、すし食いねえ

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 築地場外、昼は江戸前寿司だ。東京日帰り出張、同僚を案内した。有楽町から歩いて、銀座4丁目、三原橋の居酒屋、改築中の歌舞伎座…単身赴任4年の記憶が甦る。何度か行った寿司屋さん、見つからない。それなら、ぜんざい、どんまいで、すしざんまい入りだ。

 つきじ喜代村経営のチエーン店で、支払いのレジで聞くと、開店から10年たち、今は福岡にも出店して、東京中心に40店舗という。築地の本店は広く、客も多く、白い割烹着の店員さんも10人以上だ。24時間年中無休という。勧め上手な店員さんが~初物の焼きそら豆、どうですか~と言うので、頼んで見た。寿司は吸い物込みで10巻以上だ。

 そら豆、鞘ごと焼いて出て来て、想定外だ。さすが築地の場外だ。昔、野球音痴の先輩がソロホーマーのことを<そらホーマー>と思いこんでいたのをなぜか思い出し、脈絡のなさが自分ながら空々しい。同僚、寿司が~おいしい、おいしい~と言う。誘った甲斐ありで、好物を聞くと、貝だという?。マグロ、海老、ウニ、鉄火巻、トロ、玉、数の子、イクラ、イカ、穴子、ホタテ…、そう聞いて、我がホタテ貝差し出し、まあ食いねえ!。

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2011年4月27日 (水)

インタネットTVに出た洋洋日記

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 時代の最先端を感じに有楽町の交差点を渡った。銀座5丁目、電通通りの西南角にある6階建てソニービルだ。全館が最新の商品が並ぶショールーム、4階にはホームシアターまであって、寛げる。ガイダンスの女性社員も粒揃いだ。東京出張、少しだけ寄って見た。

 なんたって、世界のSONYだ。どの商品も片仮名か、横文字だ。正直なところ、触っても、見ても、聞いても…??、年齢の壁を思う。永田町の都道府県会館へ行く仕事があり、ゆっくりはできない。何となく、時代を体感できれば、それで良しだ。1階から2階へ、インターネットテレビのコーナーだ。リモコン操作で世界の動画をネット検索できる。

商品名は<ブラビア>と言うらしい。動画でないけど、ブログは?と聞いたら、ハイ出ますという。~太平洋の洋が二つで、洋洋日記ですが~と言うと、リモコンでヤフーを呼び出し、検索にカーソルを合わせ、カチャカチャ…だ。TVは34インチの大画面だ。出るか、出るか、出てきた。三井寺の桜まつりで買った鯖寿司写真が画面に出てきた。パソコンではなく、TV画面だ。我が書くブログの出現、フロックでなかった?。時代だった。

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2011年4月26日 (火)

日銀で咆哮の獅子像に出会う

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 日銀の鉄扉を押すと、ギギギーと鳴った。古くて錆びているのか、ずっしりした重々しさか、さすがと言えばさすがの日本の中央銀行だ。東京駅八重洲北口から徒歩3分、鉄鋼ビル待ち合わせの仕事だ。到着早く、40分ほどあり、近くの日銀へ写真を撮りに行った。

 南館は前に一度行った貨幣博物館だ。今は震災の節電で週2日だけしか開かないという。向かい側へ渡って、案内図の西門、南門前だ。<本行業務に関係のない方は敷地内、建物内の立ち入りご遠慮下さい>と看板が出ている。写真撮影と本行業務、どう理由だてしても無理だ。仕方がない。東門の日銀通りから職員と車両出入りの北門へ、ぐるっと1周だ。

 見学は予約で、無理だけど、せめて校内へ一歩と、2周目の東門で守衛さんに聞くと、情報ルーム内はOKという。節電中、フロアは薄暗く、短観の資料などだ。短観より待ち合わせあり、短時間だ?。それでも1歩は1歩、形だけ資料を手にしての帰り、出口で日銀マークに気づいた。2頭の雄ライオンが6個の千両箱に乗り、日銀行章の<日>の古代書体マークを抱えている。「咆哮の獅子像」だ。思わぬ出会い、写真に良い方向だった?。

 ※ 日銀行章の古代書体<日>はメダマ・マークの愛称があり、千円、5千円、1万円…、どのお札裏にも印刷されている。

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2011年4月25日 (月)

肩ロースのしゃぶしゃぶの思い出

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079始まりは、~足の入る掘りごたつの部屋をご用意しておきます~からだった。東京で宴会場、どこか予約をと思って、アメリカ大使館近くのしゃぶしゃぶ店に電話を入れ、多くを聞かず、時間と人数と携帯電話を言って、決めた。昼には何度か、夜は初めてだった。

 当日の金曜夜になった。日帰り出張、都内で仕事をこなし、店に行った。案内された部屋は棟方志功の軸絵、河井寛次二郎の飾り皿、落ち着いた民芸調だ。集合は午後6時、都内の皆さんは勤め帰り、揃ったのは30分後だ。係りの和服女性が一人ずつ品書きを渡した。しゃぶしゃぶ、すき焼き、鉄板焼き…、値段は思惑より0がかなり多い。一人?万円。

 昼のテーブル席は、千円台だった。最初のお茶が出ている。今さら席替えも…だ。皆さんに、お任せーと促され、5桁台で一番低い一品料理にエイッと決めた。しゃぶしゃぶ120㌘、野菜添えでA4等級だ。輪切りにした道産の和牛が~どちらに~と持ち込まれてきた=写真左=。肩ロースとサーロイン。これぞ霜降りだ。肩の方にして、箸で1枚、2枚、3枚…、ゆっくり丁寧に泳がした。1枚云千円、それはモウ美味しすぎて、涙が出た??。

 <参考> ※ アスパラ豆腐のお通し、赤ワイン、お蕎麦、くずきり…、5人で割って部屋代込み1人前18000円なり。 ※ 共同通信会館前、ざくろ赤坂店(東京都港区赤坂1丁目9番15号 日本自転車会館地階)

 

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2011年4月24日 (日)

山形の杜氏さんと再会の握手

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~ご無事で…~と握った杜氏さんの右手、ツルツルしている。ヨネツルと読む米鶴酒造のツル銘柄のせいからだろうか?。福島県境に近い山形県高畠町、創業250年の老舗蔵の杜氏、須貝智さん(5?)だ。震災から1ヶ月経っての利き酒会で、握手した手である。

毎年、京都・四条室町近くの会場であり、震災で今年はダメかーと思っていたが、開催の案内が届いた。杜氏の須貝さんが来るという。蔵も無事で、杜氏さんも元気だという。ワイン会を兼ねる15人ほどの集まりだ。会場へ少し遅れて行くと、杜氏さんは席にいて、出席の一人ひとりと良かった―と、握手して、杜氏の手がツルツルや…と、にぎやかだ。

麹にスベスベ効果があり、仕事柄、手で発酵ぐあいを調べるから、ツルっとするそうだ。3月11日午後2時46分、酒瓶が割れ、酒蔵の壁が崩れ、停電したという。揺れは4、5分もの長さ、死ぬかと思った―と杜氏は当時を振り返る。思わず洒落てすみません。大吟醸の巨匠、純米大吟醸のFI、亀の尾…など、米鶴の名酒6種類の利き酒だ。杜氏さん、山形弁でうまいス!と訛る。仕上げの梅酒も、うめっス…。いや誠に、無事でよかったス。

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2011年4月23日 (土)

石川遼選手、プロ転向、初優勝コースへ行く

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えっ、こんなとこまで飛ばしたのか。フェアウエーに飛距離を示す黄色いフラッグが差し込んである。どれもこれも300yd以上だ。今や世界の石川遼くん。プロに転向して初優勝した滋賀ゴルフクラブ。08年8月の関西オープン選手権、コースレコードだった。

職場の同僚の送別コンペで、初めて行った。新名神土山インターを降り、国道1号から15分余り。所在は甲賀市水口町嵯峨だ。道案内のゴルフ場の看板に<石川遼選手プロ初優勝コース>と出ている。到着したゴルフ場、どこにも遼くんがいる。クラブハウスは記念写真の数々、スコアカードは遼くんの写真入り、コース入り口に優勝モニュメント…だ。

ステンレス製のモニュメントは、関西オープン優勝のカップを持つ笑顔の写真入りだ。あの日から4年経つ。毎年の優勝回数を赤い☆印で並べてある。08年3回、09年4回、10年3回だ。今年は獲得賞金とバーディー1回10万、東日本震災の義援金に出す。~今まで応援してもらった分、今度は僕が応援する~と、胸にぐっとくるコメントだ。初のラウンド、遼くんの第1打へ、2打か3打で追いついて、さて成績はりょうだったか?。

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2011年4月22日 (金)

鯖寿司の表示を見ると…

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 どうも<鯖寿司>と表示があると、どんなんかナと思う。三井寺の桜まつりの出店を見て歩き、貼り紙を見た時がそうだ。近江名物に赤○が付き、鯖寿司に赤い波線が入っている。青い箱には約2人前1本1500円とある。約2人前―の表現、どこか正直そうだ。

 いづう、花折、旭屋…と比べて、半値だ。それだけにどうかナとも思う。赤いテントの中、干いも1パック300円、ころ柿1パック500円も、だ。これぞ真の近江名物、鮒寿司もある。大5000円、中3000円、小2000円、いい値段だ。それより鯖寿司だ。売り手さんがいない。暫くして、どこでサバっていたのか?、おじさんが戻って来た。

鯖、美味しい?と単刀直入に聞く。おじさんが即、反応した。~朝、ワシが握って来てきた~と自信のほどを言う。鯖は長崎仕入れ、米は地元の近江田上米だ。ホントは三陸の鯖がいいけど…とも言う。大阪で売り出し中で、~近江らしいわかりやすい名前と言われ、瀬田の唐橋の<からはし寿司>にした~と話す。買った鯖寿司、翌朝に包み紙をほどいた。肉厚、酢飯…値段以上の鯖寿司だ。近江の鯖寿司の由来書きも入り、さばけている??。

※ 紙包みによると、からはし寿司の製造者は大津市上田上平野371、TEL077-549-1618で、代表者は宇野成信さん。

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2011年4月21日 (木)

琵琶湖大津疏水の桜、鉄柵入れて撮る

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 桜を模ったデザインのある鉄柵を入れて、桜を撮った。堅く冷たい桜と、優しく柔らかい桜だ。自画自賛の、初めてのコラボ写真だ。大津市内屈指の桜の名所という琵琶湖大津疏水である。大津歴史博物館の展覧会へ行って、徒歩10分の京阪三井寺駅への帰路だ。

 桜は満開を過ぎて、葉桜になり始めている。JR湖西線が強風で近江舞子から今津まで運休した日だ。花びらが舞っている。震災でライトアップは中止になったが、三井寺の桜まつりでお店も出ていて、散策の人は多い。兎年生まれの守護神という三尾神社の参道を通って、疏水の桜並木だ。川底深く、澄んだ水が京都へ向かって流れている。全長9㌔だ。

 

三井寺下へ入る第1トンネル入り口は伊藤博文の扁額文字「気象万千」が見える。京都までトンネルごとに山形有朋、西郷従道…ら明治の元勲の扁額ありだ。トンネルへ向かって撮る写真は、鹿関橋からがシカといい?。満開のおりは人も満開だ。桜は三井寺含め1千本も、だ。鉄柵の隙間にカメラを差し込んでいて、ふと気づいた。桜デザインも入れて…外からだ。上の2枚、趣きの変わったいい写真だ。一歩引くことの大事さ、ここにあり?。

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2011年4月20日 (水)

芝桜と菜の花、写真選び

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あれかな、これかな…、どれにしよう。デジカメで撮った現場写真、取り込んでおいたパソコンからどう選ぶか。ブログに投稿の2枚だ。だれが2枚と決めた訳でないけど、まあ、自分にたがを嵌めている。ピンクの芝桜と、黄色いの菜の花、どうコラボッと迷った?。

大津市真野小学校裏、縦に横に続く農道あたりだ。公民館の竣工式典にまだ時間がある。あまり早く会場入りしても…と、付近を散策して、春や春…の景色に出会った。まるで色で吹きつけたような鮮やかなピンク。田んぼの畦(あぜ)を仕切る芝桜だ。暫くあぜん!と見とれた。悪くない、いい出来だ。農道挟んで、背の高い菜の花も群れて咲いている。

ピンクと黄色…、どう取り込むか。農道のあっちから、こっちからと回る。夢中になっていて、車がきたらオオ!ノウだ。これは、無理があったかな。写真は近づけば、いいというものでない。すごい-を逆さ読みして<イーゴス>という大観覧車、はるか遠く、琵琶湖大橋近くに見える。♪~今は、もう動かない~♪だ。観覧車入りはデジカメズームで撮った。パソコンに10枚以上、さあ、どの2枚か。迷って最後はエイ、ヤー、どうかな。

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2011年4月19日 (火)

堅田に<幸湖路>という名の店あり

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 そば処<幸湖路>と書いて、何と読む。そのこころは?で、<こころ>と読む。大津市今堅田2丁目17-17が所在地である。JR湖西線堅田駅で降り、福祉施設竣工式会場の真野公民館へ歩いていて、店長が<営業中>の看板を道路側に立てかけたところだった。

早めに堅田に着いて、時間がまだ随分ある。どこかで昼食と思っていたおりである。~もういいですか~と聞くと、どうぞという。午前11時半、暖簾上がって一番客だ。座敷に「一怒一老一笑一若」の額があがっている。テーブル含め、客席は20人ぐらいか。壁の貼り紙メニューに<牛しゃぶざる850円>と出ている。そうはない珍しいメニューだ。

注文すると、蕎麦か、うどんか-と言う。ざるは熱いそうだ。少しは考えて、うどんを選んだ。待つ間、夫婦連れ、職人さん1人、男連れ4人…地元に根付いたお店のようだ。出てきたザルの細麺のうどん、透きとおる如く。牛しゃぶは葱とおろし入り。うどんつけて、ツルツル…、甘みあり、味の品定めは○だ。お手元に店名引用して<幸湖路散歩路>とあり、平仮名で~しあわせこみち さんぽみち~。店名に湖の心あり、幸わせの路あり!。

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2011年4月18日 (月)

大津歴博の柴田晩葉展、昼に行く

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看板に出ている2人、弥次さんと喜多さんだという。十返舎一九の滑稽本、東海道道中膝栗毛の主役だ。大きな鐘の下、~ワーイ、ワーイ、桜や、桜や~と、両手をあげて、はしゃいでいる。もう肩の振り分け荷物が落ちそうなほどだ。現代アニメに通じる絵である。

 大津市出身の日本画家、柴田晩葉(18851942)が大正時代に描いた<大仏の鐘>の一部である。<湖都のモダン日本画家>のサブタイトルで、大津市歴史博物館が開館20周年記念展として、この17日まで開催していた。作家名は<ばんよう>と読む。ユニークな作品の数々、閉幕の前日に晩でなく、昼間に行って、鑑賞した。わかって貰えたかなあ?。

晩葉は山元春挙の門人で、文展・帝展で入選を重ねた。作品は目利きで通る京都・星野画廊の所蔵も多く、知る人ぞ知る画家のようだ。写真左側は、弥次さんと喜多さんが大坂冬の陣に引き金になった「国家安康」と書かれた方広寺の鐘を見物に来たら桜が舞ってきて、歓喜している様子だ。右側は会場入り口の看板。<落葉掃き>の部分だ。イチョウを掃く和尚さん、これから何か良いことありそうな表情。どの絵も、見ていてフフフ…だ。

※ 晩葉は京都美工を修了し、京都絵画専門学校二期生として卒業。最先端の美術モードから影響を受けたモダンな作品を手掛ける一方、牧歌的な詩情あふれる作品も制作した。生まれは大津市中央2丁目、結婚して京都市左京区吉田神社近くで暮らした。

 

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2011年4月17日 (日)

広島産牛で、あぶり寿司重

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 どんな店が出ているかなあ、割り引き率はどうかなあ…、JR京都駅改札を出て、伊勢丹地階、食の催しコーナーへ。午後8時閉店まであと20分足らず、ちょっとドキドキして、早足になる。ここしばらく、京都タワー地下街グルメが多く、ご無沙汰の伊勢丹だ。

 閉店狙いうちのお客だろうか、相変わらず人気だ。今週は<こだわり食材のおいしいもの展>という。米沢牛のコロッケ、宇和島のじゃこ天、静岡の桜エビ・しらす丼、広島牛弁当、地元かは花折の鯖寿司。1周目は様子見、2周目は値引き確認、3週目は選択決定だ。静岡のしらす丼に気持ち半分あったと、しらすたかった?けど、広島産牛弁当にした。

 決め手は売りのお姉さんの~一度に三回の味が楽しめますけえ~の広島弁だ。串刺しのサイコロステーキ、牛たたき、それにスジ肉だ。~温ためず、ポン酢かけて~と言う。頼んでから気づいたけど、値引きゼロの1575円だ。しまった!と思ったけど、一度決めた~あら…だ。10階の拉麺小路のテークアウトコーナー一角、牛弁を開けた。なんとモーの寿司めしだ。サイコロにスジにタタキに、さあ!寿司食いねえ。意味不明かなあ??。

 ※ 和食亭三波羅の<広島産牛あぶり寿司重>、本店は広島県世羅町。 ※ 広島牛は主に県北部の中国山地で生産、和牛のルーツと言われる。「比婆、神石、双三、高田」と四つあった育種圏を統一、「広島牛」のブランドで一本化されている。

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2011年4月16日 (土)

京都御苑の桜の老木は?

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あの老木かな、いや、違う気もする。それでも、しな垂れて、見事に咲いている。幹の中は空洞、支え木で立つ老木だ。京都御苑内の今出川御門近く、旧近衛邸である。3月初め、御苑を散策したおり、写真を撮っておいた老木と同じか、ちょっと首傾げつつ…だ。

 どんな桜をどう咲かすのか、写真で比較したかった。京都市内の桜どころが満開になった4月9日、円山公園を見て、行った。京都市バスの裁判所前で降り、堺町御門から御苑へ入り、砂利道をまっすぐ北へ上がった。歩いて10分、人も桜も満開だ。カメラの花見客、どっと…だ。あの時見た老木、あれかなと近づいた。幹に穴がある。よく咲いている。

 樹齢は百年以上だろうか、幹が樹皮だけの糸桜だ。京都御苑発行する春号の御苑ニュース。~枯れ木に花を咲かす花咲爺さんの物語は、桜に強い生命力を感じてきた日本人ならでは昔話~と、読んだことがある。桜の花粉には、交感神経を刺激して興奮を誘発さすエフェドリンが含まれている―とも出ていた。一番早く咲く糸桜、もう芝生をピンクに染め始めている。自宅のパソコン。あの桜の木とは違っていた。老木は老木、まあ、いいか。

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2011年4月15日 (金)

初の知恩院さんの鐘楼入り

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おカネのご縁、ないと思っていたら、あった。東山の高台寺で震災復興、義援金募集の祈りの鐘を撞いた日だ。高台寺から桜満開の円山公園の東側を歩いた。除夜の鐘で有名な知恩院の鐘楼の所へ出た時だ。お坊さん2人が上って来て、鍵で鐘楼入り口を開け始めた。

 何があるのかナと見ていると、お坊さんが~これもご縁です。どうぞ中へお入り下さい~と回りにいる人に呼びかけた。東大寺、方広寺と並ぶ日本三大梵鐘の一つだ。大晦日の日、僧侶が17人がかりで大綱、小綱を持って「エ~イ、ヒト~ツ、ソ~レ」と撞木を撞く重文の大鐘だ。お坊さんが~写真もどうぞ、大鐘の内側にも入ってください~と親切だ。

 大鐘を撞くのは年に3回だけと言う。法然さんの命日と12月27日の試し撞きと、大晦日だ。大鐘は1636年(寛永13年)の鋳造で、重さは約70トン、とんでもない重さだ?。久々、決まったかナ。クリクリ頭のお坊さん2人、色々と説明してくれる。大鐘は吊り上げたのでなく、ここで鋳造して、大鐘の下の土を取り除いたのでしょうと。それにもう一つ。~この金を持ち上げられたら、誰でも大金持ちになりますよ~、決まった!。

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2011年4月14日 (木)

モツ鍋屋さん、ランチで近江牛の肉じゃが

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 お昼のランチ看板に<近江牛の肉じゃが定食>と出ている。近江牛メニュー数々あれど…だ。う~ん、これは本邦初公開かナと足が止まって、入店した。モツ鍋とハイボールと町屋づくりが売りの「御幸家」さんだ。JR大津駅から徒歩3分、古い寺町商店街の中だ。

 開店から1周年立って、店先にお祝いの花輪が並ぶ。社長のTさん、山科駅前の居酒屋で隣り合わせ名刺交換して、知っている。不動産屋さんで、その時に大津駅前でモツ鍋の店を持つ?~と聞いていた。あの時からもう1年なのだ。半額セールの1周年記念のおり、初めて行って、2階の畳み部屋で、ウーロン茶出汁のモツ鍋を口にして、また昼ランチだ。

 夜だけの店が1カ月前からランチ開店したという。筋向いのトンカツ屋さんが臨時休業で、何処か?と探したら<近江牛の肉じゃが>だ。カウンター席に座ると、T社長がいる。顔見知った間柄、すぐ会話になった。酒屋さんの土間を改装、欄間はそのままで2階を含め客席80人、御幸家は大津百町の御幸町からでみゆきやと読む…等々と。肉じゃが定食は品切れ、代わりは御幸御膳=写真=だ。帰りに奥の座敷案内もあり、モツべきは知人?。

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2011年4月13日 (水)

法然さんと親鸞さん

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 さてさて、法然さんと親鸞さん、どっちがどっちだろう。お二人の遠忌記念の特別展が今、京都市内で開催中だ。会場は法然さんが京都国立博物館、親鸞さんが京都市美術館である。上の写真は会場で販売のポストカードで、軸絵と坐像だ。さすがに高僧、神々しい。

 法然さんは浄土宗の宗祖、本山は知恩院だ。西暦では1133年に生まれ、1212年に亡くなった。何とも覚えやすい生没年だ。今年は2012年なので、没後800年になり、遠忌を<おんき>と読む法要を震災で春から秋に延ばし営む。親鸞さんは教行信証を著した浄土真宗の宗祖。東西本願寺が本山で、1262年に亡くなっており750年経つ。

 親鸞さんの真宗は、同じ遠忌でも読みは<えんき>だ。御影堂も浄土宗は<みえいどう>だが、真宗は<ごえいどう>だ。宗派の差、読み人知らずだ。さて、今一度、お二人比較である。法然さんは没年79歳、親鸞さんは90歳で、お年は法然さんが40歳も年上だ。さあ、どっちがどっち、おわかりでしょうか。親鸞さんの軸絵は国宝なり。真宗の皆さん、知らんとは言えない。法然さんのヒント、ちょっとどっしりかな。お答えをどうぞ!

 【正解】※ 法然上人像は京都・二尊院所蔵の重文。鎌倉時代の作で、法然画像では最古と言われる。写真左の左。 ※ 親鸞聖人・安城御影は西本願寺所蔵で国宝。写真左の右。 ※ 坐像写真は左が法然、右が親鸞。

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2011年4月12日 (火)

孤高の画家・中川一政の生きている画

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 独学、孤高の画家・中川一政は「画は生きていなけばならぬ」という。明治26年生まれ、97歳で逝去して、今年は没後20年だ。今、京都高島屋で<独行此道~ひとりこのみちをいく~>を主題に展覧会を開催中だ。半券が既に2枚…、もう一度行こうかと思う。

 あれは何時頃だったか、一政がアトリエを構えた箱根下の真鶴町立美術館まで行ったことある。紙からはみ出る如くの筆跡、味のある言葉、立ち去りがたい油彩…、最初は何処で鑑賞したのか、兎も角、気にいっていた。高島屋展も職場帰りに一度、休日に一度行って、音声ガイドで聞き、薔薇のポストカード3枚、一政掲載の日経ビジネス文庫を買った。

 真鶴に住んで、福浦港、駒ヶ根を10年、20年と描き続けるなど、同一モチーフの連作が多い。薔薇は生涯800点も描き、遺作も薔薇の描きかけだったという。高島屋展でも薔薇は10点出ていた。みんなマジョリカ壷入りの薔薇、混ざり気?はない。晩年作ほど、力がみなぎっている。日経文庫掲載の写真は、文化勲章受賞した昭和50年、82歳の時だ。私の履歴書で一政は書く。~絵の勝負は生きているか、死んでいるかが問題だ~。

 ※ 文庫から一政の言葉抜粋  ・繰り返し繰り返し見ても飽きないものは、生きて脈うっているからだ ・若い時の勉強は何でも取り入れ貯める。老年の仕事はいらないものを捨て行く。捨て去り、捨て去りして純粋になっていく。若い時の仕事を一歩も出ず、繰り返しの仕事をしていては長生きの甲斐がない。

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2011年4月11日 (月)

高台寺で祈りの鐘を撞く

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大震災復興を思い、祈りの鐘を撞きに行った。秀吉の正室、北政所を祀る東山の高台寺だ。自宅の山科から京阪バスに乗り、清水道で降り、歩いて7、8分だ。土曜の昼下がり、坂道を上がり始めて、鐘の音が聞こえ出した。幾つも、幾つも…だ。

 除夜にしか撞かない鐘、400年ぶりに新調の鐘…だ。鐘楼は階段の両側に椿咲く台所坂を上がってすぐ、京都市内を見渡す高台にある。祈りの鐘の記事は京都か朝日か、新聞で読んでいたが、期間が10日までとは知らなかった。思い立って行ったのは9日昼さがり、間にあって良かった。はるかに八坂の塔と満開の桜…。

 鐘楼の中、年配のお坊さんが撞き方指南している。建仁寺、三井寺で何回か撞いて知っている。引く方に力を入れて、反動で撞くのだ。記帳して、義援金して、中に入って、手を合わせ、撞木の綱を引いた。ゴォ~~ン、長い余韻にもう一度手を合わした。いい響きは撞く人の心次第という。東日本大震災から1カ月経つ。死者は1万人を超し、今なお被災の全容がわからない。頑張れ東日本!、頑張れ日本!

 

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2011年4月10日 (日)

車内広告はイカのイカん!

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イカン、イカンとイカが言っている。電車通学、車内でワイワイ騒いではイカン!と学生諸君を諭す車内広告である。JR西日本の通学マナー、さわやかキャンペーンに登場のイカくんの呼びかけ、如何?にも、なのだ。以下は?、キャンペーンの主役たちのことだ。

 JR琵琶湖線の山科―大津駅間、時に京都駅にも足を伸ばす。乗るときは気づかず、降車のおり、ドアの上の細長い広告を見た。<大騒ぎはイカん!>と出ている。烏賊のぬいぐるみは、秘密結社「鷹の爪団」の戦闘主任、吉田くんだ。左端には、この「鷹の爪団」を率いる赤いマントの総統が描いてある。失敗ばかりの日常を描く人気のギャグコメディだ。

 最初は何?だったが「鷹の爪 マナーの掟 動画公開中」と出ていたので、検索したら、これがイカンともしがたい。いや面白い。鷹の爪は?唐がらし、ドンいちろうと読む小泉鈍一郎、イーストでないクリント・ウエストウッド…洒落ギャグが続々だ。京都駅で3千円出し、これで解決と言う動画、何?と見ると、ここは大原三千院??。JR西日本さん、乗客マナー大事と言っても、この時期にいかがか?と思ったけど、怒るほどでも…かな?。

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2011年4月 9日 (土)

JR西日本女性運転士の運転ぶり

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増えたーと言っても、だ。JR西日本の女性運転士、まだそれほどでもない。平日昼過ぎ、琵琶湖線で大津から米原へ行ったおりだ。座って本でも読もうと、よく空いている先頭車両から乗車すると、女性の運転士さんだ。各停の普通、読書より運転ぶりに集中した。

運転席の真後ろに<JR西日本運転士 菰田>のプレートが差し込んである。進行方向、左側の4人掛けシートに一人座って、読みかけの<私の履歴書 孤高の画人>を取り出して、気づいた。白い手袋、右手に腕時計だ。長い黒髪が制帽から出て、薔薇デザインのヘアバンドで束ねている。あんまり真後ろかじろじろ見ては…と反対側の補助席へ移った。

~終点の米原まで、この電車が先に着きます~、男性の車掌さんだ。女性が運転して、男性が案内する。想定外でも、想定内でもない、時代なのだ。菰田運転士、右手の人差し指を真っ直ぐ伸ばし、信号を確認する。姿勢正しく、かっこいい。電車は10両編成。右手のレバー、押し出して発車、引いて減速だ。草津、野洲、彦根…、どの駅でも、菱形印の停車位置へ狂いない。米原駅、運転席から出た。小柄、若い、可愛い。お疲れさん!。

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2011年4月 8日 (金)

博多ラーメン、一風堂の百福元味

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「百福元味」-、思いのこもった醤油ラーメンという。大阪・池田市のインスタントラーメン発明記念館を出て、麺ロードにある博多ラーメン・一風堂だ。昼回ってどの店を探すか、麺ロードで面倒だなあと思っていたところだ。博多ラーメン、はかった?ようにだ。 

 店前の写真入りメニューだ。赤丸元味、白丸元味、からか麺とあって、百福元味だ。今見てきたインスタントラーメンを世界食にした故安藤百福さんの名前から付けたラーメンだ。~百福さんがラーメン店を経営していたら…というコンセプトで開発した。チキン醤油味に醤油香油でアレンジ~と解説してある。百福さんに肖り、ちきんとした味のようだ。 

 博多から出て、今や全国50店舗余り、昨年のラーメン・オブザ・イヤーに輝いたという。いやあ?と木造り店内入り、カウンターの右端席で、百福元味と言う。見渡す店内、インスタントラーメン発明記念館帰りのお客さんか、よく流行っている。麺はちれじれ、カップ麺ふうだ。スープは茶色の薄味、葱、ナルトにほうれん草、揚げ牛蒡にチャーシュー3枚入りだ。百福さん思いつつ、チキンスープをひと口ひと口…、時間はちきに来た?。 

 

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2011年4月 7日 (木)

野外彫刻に見るリンゴの木の日常

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庭木にりんごをぶら下げて、どう「日常」なんだろう。京都市美術館の庭園で開催中の<遭遇領域―野外彫刻展>に出展の作品だ。作者は鈴木孝平さんで、作品名は「日常」とついている。池のほとりの大きな庭木に幾つも吊るしてある。それだけで作品だという。

 この不可思議な作品、京都新聞社賞だそうだ。どこが良かったのか、毎週土曜朝刊に載る京都新聞美術面に出ていた。4月2日付けトピックス欄だ。~りんごは鳥がついばみ、虫がかじり、腐って落ちて行く。日常風景を異質に変え、蓄積する時間を見せている。りんごの数、配置は物足りないが、着想が面白かった~と、美術担当の河村亮記者は書く。

 読んだ翌日、どんな「日常」なのか、鑑賞に行った。この野外彫刻展、30歳以下の若い作家を対象にした初の公募展で、26点の応募があったという。直立する女性、鉄線の椿、陶土のキノコ…、若き感性を見て回り、気になるりんごツリ―だ。新聞評では数が少ないと出ていたが、いやいや、あるある。あの枝、この枝…1個、2個、3個と数えると30個以上だ。沢山やなあ、美味しいかなあ、放射能どうかなあ。日常鑑賞、平凡かなあ?。

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2011年4月 6日 (水)

早く帰ってこいよと、新聞写真

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 写真を見ていると、胸がぐっとつまってくる。小高い丘だろうか、お年寄りの女性2人がはるか向こう、被災地から離れて行くバスを見送っている。白い布を頭に巻いた左の女性が両手をあげて、右の女性はじっと佇んでいる。見出しは<集団避難…見送る人>だ。

 産経新聞4月4日付け朝刊1面の写真だ。避難所で暮らしていた宮城県南三陸町の人々の集団避難が始まりを伝えている。バスにはだれが乗っているのだろう。両手を高くあげた女性、声は届かなくても何か叫んでいるのだろうか。バスは3台、家並みの消えた町を出て行く。避難所暮らし9400人のうち1400人の集団避難、第一陣の出発の写真だ。

 同じ日の中日新聞朝刊1面もジンとくる。バスの窓ガラス1枚、内からと外からの別れの写真だ。バスの中はマスクのおばあちゃんだ。手をガラスつけたおばあちゃんの手に男の子が手のひらを重ねている。力いっぱいだ。おばあちゃん元気で!と言っているのだろうか。おばあちゃん、男の子を懸命に見つめている。賢くしているんだぞ!と声をかけているのか。見出しは「必ず戻ってくる」だ。新聞写真2枚。帰ってこいよ!と写している。

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2011年4月 5日 (火)

インスタントラーメン発明記念館へ行く

 

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インスタントラーメンは日本人が世界を制した食品だ。故安藤百福さんが大阪・池田の自宅裏の小屋で、試作を重ねて、商品化して52年経つ。今や世界の年間消費量は915億食という。阪急宝塚線池田駅から徒歩5分、インスタントラーメン発明記念館へ行った。

 駅から麺ロードがある。インスタントラーメン誕生の町、池田市のお国自慢なのだ。正面入り口右側に96歳で亡くなった百福翁の銅像が立つ。カップヌードルの台座の上、左手を腰に右手にチキンラーメンを持つ。館内は広く、百福翁の軌跡、クイズにシアター、ラーメン展示、手づくりコーナーなど、春休み入りした土曜の昼過ぎ、親子連れで満員だ。

 来たからには、カップヌードルだ。館内どこかなと探す。館内喫茶も2階のチキンラーメン体験も、みんな時間待ちだ。さすが本場なり。即席、我慢に切り替え、インスタントラーメン誕生の軌跡を巡る。百福翁の語録発見、5、6歩だった?。「ひらめきは執念から生まれる」「事業化できないアイデアは思いつきすぎない」「逆境に立って、欲とこだわりを捨てたとき、思わざる力を発揮できる」-、国難の東日本大震災、今こその語録数々だ。

※ 1995年の阪神大震災で、日清食品はチキンラーメン号出動、カップ麺100万食を緊急援助した。 ※ 百福語録もう一つ 「時は命なり。時を刻む時間は、大切であるが、命が刻まれていると思っている人は少ない。そこまでの切迫をもって私は行きたい」

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2011年4月 4日 (月)

亀亀の納豆ラーメンと震災募金くじ

 

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右かな、左かなと、全面が板の戸を右から開けた。久しぶりの亀さん、いらっしゃい!と元気そうだ。帽子は桜デザインのハンチングだ。季節に合わせている。京都四条富小路上ル、四富会館の天麩羅BAR<亀亀>のオーナー、亀さんだ。入店、1年半になるかナ。

 天井からワイングラスが下っている。前と同じだ。何でもありの天ぷらコース、右側のTV、いつの場所のか大相撲番付表、タイガースの硬球…カウンター前の景色に変化はない。野菜天、海老天と亀さん仕立ての天麩羅4、5点、テンづいて?食べて、店内を転々と見渡すと、右側に納豆ラーメンの表示、真ん前は震災募金のくじ引きだ。これ、○新だ。

 ラーメン屋さんにもない納豆ラーメン、亀さんが納豆好きだからという。細麺によく絡んで、味噌味スープに玉子まぜて、小腹対策に◎だ。震災募金は亀さんが一人で出来ることと、根っからの阪神ファンで甲子園の年間席を買っており、それを1回300円で引いて、当たれば、一日分どうぞという。亀さん、義の志し、また◎だ。引いた数字は44番の外れ。参加賞は各種型の面白消しゴム、44番はケーキ。震災の爪跡、早く消せれば…。

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2011年4月 3日 (日)

航空写真で見る岩手県大槌町

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いくら現実としても、こんなことが…と思う。中日新聞4月1日付け朝刊1面、2枚の航空写真が載った。家並みが続く町と、大津波で消えた町が上下に並んでいる。三陸沖の漁師町、岩手県大槌町である。人口1万6千人、あの日から人々は何処へいったのだろう。

 職場の各紙、順番に読み進んでいて、中日新聞にあっと思った。見出しは<さらわれ町並み 岩手・大槌>だ。記事は~三陸海岸沿いの小さな町が津波で消えた。東日本大震災の前に撮影された写真と同じ角度から大槌町を比較すると、街が大津波で破壊され、一変した様子が見てとれた~と書いてある。記事横に岩手県中央部、大槌町の地図が出ている。

 小説家、故井上ひさしさんが「吉里吉里人」や「ひょっこりひょうたん島」で取り上げた町だ。海岸近くの役場も崩壊、531人が死亡、1066人が行方不明になっている。震災前の写真は仙台市内で航空写真を販売する芳村忠男さんが昨年3月に撮っていた。共同通信が震災後に撮った写真との比較だ。森や、海岸線や、道路は同じだが、共同通信の写真には家々の屋根はなく、白っぽく写っている。家は、人々は、街は、甦るのだろうか。

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2011年4月 2日 (土)

長沢芦雪の富士見西行図

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そっくり返って、富士山を見ている。あんまり頭を上にあげすぎて、足元に笠と杖が転がっている。諸国を旅する西行法師が高い高い富士山に出会って、仰天している図である。円山応挙の一番弟子・長沢芦雪が描いた軸絵だ。縦長のコミカルな構図、いや、面白い。

 <奇は新なり>の長沢芦雪展である。美術史家の大御所、辻惟雄さんが館長を務める滋賀県信楽のミホミュージアムで開催中だ。平日の夕方、招待券があって、マイカーで行った。内覧会で開館から10年余り、過去最高の500人の鑑賞という人気の展覧会だ。話題の方寸五百羅漢図に白象黒牛図屏風…、辻館長がぞっこんの芦雪作品がずらり集まった。

音声ガイドの最初、辻館長が登場して、直々に芦雪を解説している。江戸時代、18世紀の上方画壇は曽我肅白、伊藤若沖と奇才画家が出て、その一人が芦雪だという。静かな館内、一人で靴音コツコツと回って、虎よし、牛よし、雀よしで、どの絵にも、感じ入って、富士見西行図だった。西行さんと同じように見上げた白い富士山、細長い軸の一番上だ。下から上へ、鑑賞の首が長~くなる。芦雪の描く巧みさ、見せる工夫、ここにあり。

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2011年4月 1日 (金)

椿に思う諸々

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誰が歌ったか、写真は♪~椿咲く 春なのに~♪だ。街歩きで出会って、撮った椿である。赤とピンク、今の世情を知らず咲いていた。何と言う種類なのか。日本古来の藪椿、雪椿、それとも乙女椿…、何せ椿は2千種以上あるという。以下、椿に思う諸々考である。

辞書代わりのウイキペデアによると、椿はツバキ科ツバキ属の植物の総称で、原産は日本と中国という。狭義にはヤブツバキを指す。語源は?艶のある葉の樹=つやはぎが、訛って…とか。花言葉を調べると、「理想の愛」と出た。色別に愛があり、赤い椿は、「控えめな愛」「気取らない美しさ」で、白は「理想的な愛情」と。いやあ、照れる。あいあい?。

椿の付く言葉、何かなと考える。演歌で、都はるみのデビュー曲・あんこツバキは恋の花、小林幸子の雪椿、オペラならベルディーの椿姫、映画だと三船敏郎の椿三十郎、小説では山本周五郎の五弁の椿…、歌あり、映画あり、小説あり…あるある辞典だ。上の写真、ピンクは知恩院三門の参道、赤は長浜城址・豊公園の鉢植えに咲いていた。毎日撮る3月写真の、ベスト2枚だ。撮り手の腕か、誠によく写っている。これ、椿訛ったつぶやき?

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