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2011年3月

2011年3月31日 (木)

パウル・クレー展へ行く

 

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細い線描や○や□や数字や記号や…、難解さは承知の上だった。京近美で開催中の<パウル・クレ―展>へ行った。サブテーマの「おわらないアトリエ」からして、???である。鑑賞に行ったのは、土曜の昼下がりだった。夕暮れ?ではない。これも難解かなあ。

 展覧会パンフも凝ってある。真ん中から縦に観音開きになって、作品を紹介している。クレ―はスイス生まれの画家で、ピカソやカンジンスキーと同じ年代だ。パンフによると、日本人に愛され、幾度となく、クレ―芸術の魅力を伝える展覧会があった。今回はこれまでの展覧会成果を踏まえて、クレ―作品が物理的にどう作られたかが、テーマだという。

 物理的にねえ…と思って、展示会場へ上がった。少しは理解したいと欲も出て、音声ガイドを耳に会場を回る。作品が小さいせいか、仕切り板多く、迷路の如くだ。展示順、あっちかな、こっちなと、巡回して、クレ―が作品をどうつくったか。<写して塗って写して><切って分けて貼って>など…なのだ。音声ガイドがクレ―語録を話す。~見えるものをそのままでなく、見えないものを描く~と。いやあ、南海ホークスだ。古いかな??。

 ※ 右上の写真、ギャラリーで買った「パウル・クレ―のたくらみ」(新潮社)の中の載っていた1939年の作品・墓地。この風景画が、90度回転して見ると、少女に。

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2011年3月30日 (水)

世界最高水準の水?

 

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まさか、足元にこんなデザインがあるとは…。地下鉄京都駅の一番南側の改札を出て、すぐ、JRへの乗り換え口だ。床に水色の大きな水滴が描いてある。先が尖がって、どんぐりみたいだ。縦2.5㍍、横1・5㍍ぐらい。何度も通っているのにわからなかった。

 京都市上下水道局の制作で、公共広告だ。舞妓さんが水を飲んでいるイラストを使い、京の水道水は世界最高水準と自慢している。少し洒落てか、水準の<水>を大きく○で囲み、白地に水色字で浮かび上がらせている。舞妓さんは白抜きで描いてある。安心、安全、未来にやさしい<KYOTO WATER>。舞妓がうおっとりするウオーターなのだ?。

 京都市自慢の水道水は、琵琶湖の水だ。京都市が世界遺産申請を目ざす琵琶湖疏水から流れている。どう世界最高水準か。床デザインに「京都市上下水道局」「検索」と←付きマークがあり、点検してみると、~蛇口の水をそのまま飲む習慣は世界的にまれであり、この習慣を未来に引き継ぐ~と出ていた。福島原発で水道水に放射性物質検出、コンビニから水のペットボトルが消えた今、有難さを思うと同時にもし!琵琶湖が…の怖さがよぎる。

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2011年3月29日 (火)

税務署帰り、昼どきのあけぼの

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物事にはタイミングがある。午前中、東山税務署へ確定申告に行っての帰りだ。東大路通り馬町西南角、寿司割烹「京あけぼの」の店先に<そろそろ昼どき 12時~1時30分>の時間限定メニューの案内が出ている。時間は午前11時45分、確かに昼どきだ。

寿司定食1575円、季節弁当1365円、ちらし定食1050円…、定食二つは茶碗蒸し付きだ。これにミニコーヒーのサービスもあるという。写真付きメニュー、~素材を厳選した新鮮な味わいを是非ご賞味下さい~とある。確定申告、少し還付金が出ることもわかった。それに兎も角、昼どきだ。この3点、どれにするかとな?と思いつつ、入った。

引き戸、ガラっと開けた。店内に客はいない。一番客らしい。~ヘイッ、いらっしゃい~、寿司屋さんらしい声だ。昼どきのニュース、TVにスイッチが入った。注文は時間限定3点のうち、ちらしだ。一番安い1050円…、還付金戻り、頭をよぎったが、やはり庶民性がでる。ちらしは穴子にマグロ、卵の錦糸に胡瓜…色どり豊かだ。吸い物、豆腐の乳糖デザート、茶碗蒸しにコーヒー。還付良し、昼どき良し。店名どおり、春はあけぼの?。

※ 3.11の震災前に書いておいた記事です。震災地の<春はあけぼの>を念じつつ、掲載します。

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2011年3月28日 (月)

かっぱ寿司のエクスプレス号

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お勧めの北海たこが来た。海苔巻きのしらうお軍艦、うなぎ卵黄軍艦も来た。かっぱエキスプレス号が特急レーンでシュルシュルと運んで来た。カウンター前のタッチパネルで、ピッピッと選択して5、6分だ。初めての<かっぱ寿司>河原町店、いやあ、面白かあ。

かっぱイラストの赤い幟が立ち、店内を覗くと、流行っている。板塀に~おすしの「寿」は長生き、おすしの「司」はつかさどる…~と。土曜の昼時間、待ちを覚悟で入店したら2階の62番席へどうぞという。混んでいる時、一人客は隙間席があって、けっこう早い。階段上がって、62番は奥の奥だ。端っこの右隣も若い女性ひとり、左席は親子2人だ。

まずは目の前を通過したイワシだ。あれこれ言わしないナのイワシだ。隣りの女性、上のパネル見て、タッチタッチだ。う~ん、そうかと、負けずにタッチだ。カツオ、サーモン、穴子…、サイドでタコ焼き、枝豆も…だ。一皿105円。お隣の女性、お皿が積み上がって、横目で見ると9皿だ。元気さに完敗?だ。サラになった我が皿は7枚、あおさの赤出汁加えて、会計924円なり。かっぱのお釣りは少々足して街頭の義援金箱へカンパ?。

※ かっぱ寿司はさいたま市本社の全国チエーン。HPに岩手、宮城、福島各店舗の被災地情報出す。避難所への炊き出し、各店従業員の安否確認も。営業再開店は少しずつ増えているが、まだ多数ある。

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2011年3月27日 (日)

寄席の義援金は幟製作の気仙沼へ

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 こんなご時世、明るい話は一つより二つ、二つより三つだ。自宅の電話が鳴って、受話器をあげたらFAX通信だ。ズーズーズーとA4用紙が出て来て、見ると、わらげん寄席の世話人事務局長、鈴木靖将さんからだ。日本画家・鈴木さんの連絡は、いつもFAXだ。

手書きのペン文字で<わらげん寄席世話人の皆様へ>と書いてある。読むと、わらげん寄席の幟を作った宮城県気仙沼の染屋さんらと連絡がついた。この1週間ずっと電話を掛け続け、安否確認できなかったが、3・22にやっと通話できたという。染屋さん、元気だったのだ。良かった、朗報だ。旧大津公会堂の寄席で、義援金が6万円も集まっていた。

気仙沼の染屋さんは有限会社センヨウの千葉貞行さん、菊田栄穂さんで、鈴木さんによると、染工場は100㍍の高台にあって、幸い難は逃れた。義援金は嬉しいが、気仙沼市役所に届け、私たち以上に被災された人々に…との話だったという。商いの街は壊滅、自分たちの生活も大変だというのに、だ。これも気持ちのこもった、嬉しい話だ。義援金は、記事になった京都新聞紙面、ニュースになったNHKのDVDと一緒に気仙沼へ旅立った。

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2011年3月26日 (土)

女性5人、どこへ行く?

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 みんな朝早くからどこへ行くのだろう。裸の女性が1人、2人、3人…4人、後ろの女性はスカートつけている。みんなで5人だ。しっかり腕を振り、まっすぐ前をむいて、姿勢正しく歩いている。早朝の長浜城跡にある豊公園だ。「洋」という名のつくブロンズだ。

 米原市で夜遅い邦楽のイベントがあり、長浜港前の北ビワコホテル・グラツィエに泊まった。何となく、早く目が覚め窓をあけると、真ん前が琵琶湖だ。ちょっとした旅行気分、洗面もせず、背広にコートを来て、湖岸を歩いた。時折り、小雪が舞う。顔が凍りつくように痛く、手もかじかむけど、東日本で被災の人々を思うと、こんな贅沢な寒さはない。

 ブロンズ像は噴水の真ん前だ。秀吉築城の長浜城の石垣出土の豊公園の中である。豊の読みは、<ほう>だ。ホテルから歩いて5分、豊公園へ方向間違わずに来た。黒御影石の台座の上、等身大のブロンズ青銅は、静と動の表現だろうか。見上げて、ほう!と感心した。久々の駄洒落、無理があったかな。地元出身の日展作家で、日本彫塑会委員長だった中川清氏(昭和52年没)の円熟期の作品という。題の「洋」は我が名、よう知っている。?

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2011年3月25日 (金)

吉里吉里の大槌町は今

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今、故井上ひさしの長編小説「吉里吉里人」を通勤の途上に読む。バス15分、JR4分…、ちょっと読み、ちょっと読みで、文庫本-上中下の下21章まできた。東北の一寒村が独立し、食料もエネルギーも自給自足、通貨発行までして、日本国を慌てさす話だ。

この「吉里吉里人」の住む「吉里吉里国」は、三陸海岸に面した漁業の町、岩手県大槌(おおつち)町がモデルになっている。今度の東日本大地震で、加藤町長はじめ463人が死亡、今なお1050人が行方不明、6千人が避難して、市街地は壊滅状態という。井上ひさしの代表作、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」も、ここがモデルである。

 ひょうたん島と吉里吉里国が、朝日新聞の記事になった。記者2人が現地に入り、現地ルポした。~ひょうたん島の蓬莱島の灯台は流され、町中心部から4㌔の北東、海岸沿いに広がる吉里吉里地区は一面がれきの山と化している~と。それでも町の人々は結束力あり、吉里吉里人を誇りとし、TVのテーマソング<泣くのはいやだ、笑っちゃおう>を復興の旗頭に頑張っているそうだ。がんばれ、ひょうたん島!、負けるな、吉里吉里人!。

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2011年3月24日 (木)

悲しむ木彫りの仏さん

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この未曾有の大震災を悲しんでいるのであろう。角度により、慈しんで、微笑んで…見えるはずなのに、今は悲嘆にくれているようにしか見えない。切り株の上、木に彫り込んだ編み傘の仏像だ。傍に小さな羅漢さんが寄り添い、大小で一対を成して追悼している?。

 東大路通りの知恩院新門から三門へ百㍍ほど歩いたところだ。南側参道の石畳は新しく、5㍍間隔で桜の苗木が植樹されている。法然上人800年大遠忌記念事業の一つだろう。木彫りの仏さんと羅漢さんは、庭の石垣の上から道行く参道の人々を見つめている。青少年自立援助ホーム「東樹」の表札があり、社会福祉法人・平安養育院が所有する敷地だ。

仏さんの背丈は1㍍ほど。眉毛は垂れ下がって、鼻は四角い。目はこれ以上は…というほど細い。口は横一文字にまっすぐ。地震、津波、原発を思って見るせいか、いくら見ても、細い目が辛そうだ。小さな羅漢さんはひたすら両手を合わせ、無心に目を瞑って祈っている。仏さんの表情、見る場所を変えると、どうか。西から東へ移動して、下から覗き込んで見た。やはり、悲しみの表情だ。復興の朗報あるまで、微笑まないのかもしれない。

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2011年3月23日 (水)

宗教学者山折哲夫氏は震災を書き、話す

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東日本大震災で、宗教学者・山折哲夫さん(8?)が新聞紙面によく登場する。つい最近の京都新聞、震災直後の朝日、読売にも載り、切り抜いておいた。震災地の岩手県出身、仙台市の東北大学で教壇に立った経験も持つ。大震災をどう書き、どう語ったのだろう。

朝日の応援メッセージ企画<生きていく あなたへ>で、山折談話が出ていた。17日付け朝刊だ。~「なぜあの人は死に、私は生きているのか」と問うと、無常という言葉が浮かぶ。先人は自然の猛威に頭を垂れ、耐えてきた。日本人の心のDNAとも呼べる無常の重さをかみしめている。…「無常」を受け止めていくことだと思う~などと話している。

読売は17日付け文化欄の寄稿文だ。鴨長明が800年前の元暦2年に都を襲った地震の経験を記す「方丈記」を引いて書く。「飢え死ぬるもののたぐい、数も知れず」など、鴨長明が見たものは、人生の無常という動かしがたい原理だったのでは…と。寄稿断片の記述だが、朝日の無常談話と共通する。22日付け京都新聞は山折講演だ。「阪神大震災で人々は瀬戸内海見て、美しさに心を癒された。心を癒すのも自然だ」など、畏敬の自然を話す。

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2011年3月22日 (火)

松山千春の大震災応援メッセージ

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 いや、いい言葉だ。うん、そうやなあと思う。歌手松山千春さんがMBSラジオで喋った言葉だ。~知恵がある奴は知恵を出そう。力がある奴は力を出そう。金がある奴は金を出そう。「自分は何にも出せないよ」っていう奴は元気出せ~と、マイクで話したという。

 直接でなく、又聞きだけど、東日本大震災の今、これほど、納得できる言葉はない。滋賀県米原市の県立文産会館で、この連休にあった<おうみの祭りこどもワールドフェスティバル>に出演の河瀬中高校吹奏楽部を指揮した先生が紹介した。被災地の惨状を思うと、イベント開催の可否、出演の是非について、立ち場立ち場で悩み、それぞれに苦吟する。

 吹奏楽部の先生は出演に際し、知恵を出した。当初の演奏曲目を変更、阪神大震災のおりの応援歌を入れた。会場内では部員が「今、私たちにできること」と義援箱を持って募金活動を行った。会場に応援メッセージを書き込む特設ボードもあり、見に来た子どもたちが思い思いにマジック書きしている。<頑張って下さい><負けないで><あきらめないで><がんばれ!日本>…、松山さん、一人一人が出来ること、会場で広まっています。

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2011年3月21日 (月)

知恩院さんで復興の花咲くシードペーパー

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 法然上人8百年大遠忌法要が大震災で春から秋へ延期になった。知恩院三門前に震災お見舞いと延期理由の大看板がかかる。国をあげて震災対策、法要実施は宗教者の良心に苦しみが走る。延期は断腸の思いも師祖はお許しに―とあり、お坊さんが傍で義援金を募る。

 一日一度の義援金だ。小銭入れ出し、黒い袈裟のお坊さんに「気持ちだけです」と声をかけ、コインを木箱に入れた。お坊さんの胸に名札がある。Nさん、肩書きは知恩院の係長心得だ。法然さんが亡くなって8百年、お寺さんも階級社会なのだ。義援金のお礼返しか、~花が咲きます~とシードペーパー付きの二つ折りの大遠忌案内パンフをもらった。

 絵入りの説明が①②③と出ている。ペーパー剥がし、水につけ、鉢の土に埋め、水やり5~10日で発芽という。係長心得のお坊さんにどんな花の種?と聞いた。3、4種類あるらしいけど…、丸い頭に手をやる。三門の右の伝道掲示板に三月の言葉。<たんぽぽや 幾日ふまれて 今日の花>だ。パンフレットに知恩院提唱のお手つぎ運動が載っている。手から手へ、人から人へ、心から心へ…と。震災復興の花、早く大きく咲くといいなあ。

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2011年3月20日 (日)

気仙沼製のぼりが上がる落語会

 

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千円札が1枚、2枚、3枚…、あっ五千円札だ。宮城県気仙沼製作の、のぼりご縁の<わらげん寄席>開催の緊急義援金箱である。世話人らが見守る中、箱を開け確認作業だ。コインは1円もあれば、10円もあり、ご縁の5円、50円、500円硬貨も入っている。

 落語会を開いていいのか?。お客さんは来るのか?。笑っていてもいいのか?。苦悶と戸惑いと不安-、世話人が何度も話し合って、開催を決断した寄席だ。ちょっと洒落て、よさなかった?。浜大津の旧大津公会堂3階ホール。手作り高座の右側に寄席のぼりだ。3年前、漁師旗を作る業者さんに特注した宮城の気仙沼製だ。入り口に義援金箱がある。

 客席はフロア一杯の150席、滋賀会館からも椅子を持ち込んだ。当日の京都新聞、のぼり写真が載り、義援金落語が記事になった。こんな時だからこそ-と思いをこめての開催だが、お客さんの反応が心配だ。最初に滋賀会館で始めて、11回目だ。開場午後6時、あっ、こんにちは…、馴染みのお客さんが次々に、だ。満席の中、世話人会長が開催趣旨を述べた。会場はひと時、新聞、TV報道を忘れて笑った。義援金6万円、気仙沼へ行く。

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2011年3月19日 (土)

一日一度の義援金箱

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 透きガラスに何とも大きな貼り紙だ。<東日本大地震義援金を受け付けております>と、目立つ朱色文字だ。震災から1週間、一日一度の義援金である。貼り紙に足を止め、すぐだった。会場の中から法被を着た女性が<どうぞ>とドアを開けた。いいタイミングだ。

町家そのままの大津百町館である。大津市中央1丁目の丸屋町商店街だ。昼の食事へ歩いていたおりだった。JR大津駅前の募金呼びかけ、今朝は出会わず、まだ募金はしていない。募金は金額の多寡ではなく、毎日の日課だ。百町館に隣り合う休み処は「大津祭曳山・手づくり灯り展」の会場になっていて、大きな朱色の募金箱が入り口近くにあった。

会場は狸や桃太郎や翁や…大津祭り13基の曳山ごとの紙づくり灯り展示だ。法被の女性が会場に3人、喋りかけてきた。毎年の街灯り展に出す作品、初めて百町館での屋内展示だ。開幕前日に大震災があって、鎮魂の灯りの意味合いを重ねて、目立つ義援金箱を置いたという。連鶴の折り紙4羽が置いてある。コインを入れた。重いかな?と箱を持ち上げた。箱にテープ貼りのフクロウ、鈴がチリンと鳴った。被災地に幸福の福、早く…だ。

 

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2011年3月18日 (金)

毎月16日のいろニュースは震災特集

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 ~ディズニーランドで配給のお菓子を欲張ってもらう派手な女子高校生たち。「何だ」と思っていたら避難所の子供たちに配っていた~、~電車を待ちくたびれていたら、ホームレスの人が「寒いから」と段ボールをくれた~、新聞記事に出ないホッとする話の数々だ。

 毎月16日付けで、色付き葉書が職場に届く。1月は薄いピンク、2月は若葉色、今日17日届いた3月は濃いピンクだ。東京・台東区にオフィスを持つ<色彩環境計画室>の発行だ。カラ-コーディネーターの葛西紀巳子室長が16日と色彩の<いろ>を掛け合わせ、色に絡むエッセイを色々と書いている。3月のNo116号は、大震災を綴っていた。

 震災直後、友人が自分も大変なのに心を明るく彩らせる話題を集め、送ってくれたと書く。~彩らせる~が今月号のコンセプトで、震災エピソードは5つだ。最初に二つ紹介したので、あと三つ。①ストレスで母乳出なくなったお母さん、夜通しスパーの開店を待ってミルクを…と伝えたNHKアナが声つまらせた②「地震を逮捕…」と外へ飛び出した2歳の坊や③混んでいるのに妊婦に席を譲るお年寄り…、日本人はいま、ココロが通い合う。

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2011年3月17日 (木)

こんな時だからこそ、いつもどおりに…

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 進むべきか、退くべきか-、悩みに悩んで、恐らくハムレットの心境だったろう。この18日夜、浜大津の旧大津公会堂で開催する<わらげん寄席>の開催可否である。未曾有の東日本大震災。こんな時に、笑っていていいのか、当然ノ―だけど、しかし……である。

 主催する世話人会の鈴木靖将事務局長から開催決断のFAXが届いた。~開会冒頭に会長より犠牲者への哀悼と被災者へのお見舞い挨拶する。義捐金箱を置かせてもらいます~と。わらげん寄席は<笑ってもっと元気になろう会>の略称である。3カ月1度、桂九雀さんを真打ちに千円で開催、いつも前売り完売の人気寄席で、今度でもう11回を数える。

 鈴木さんは、被害広がり自粛ムードだけど、こんな時だからこそ元気を出して、励ましたいと言う。今回は九雀さんが映画監督山田洋次氏の創作落語「真っ二つ」を演じる。それを日本画家である鈴木さんが絵本にして、京都新聞に大きく載った。九雀さんがどう演じ、鈴木さんがどう描いたか、興味も募る。落語会の幟旗は震災地、宮城県気仙沼で大漁旗を作る旗屋さんからだ。縁のある旗屋さんの消息を調べ、義捐金を…と鈴木さんは話す。

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2011年3月16日 (水)

赤ちゃん誕生と救出、良かったなあ

 

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今日も朝刊から夕刊へ、東日本震災報道、次から次へだ。死者、安否不明、濁流1分、町破壊、申告、中止、延期、株暴落、核燃料漏れ、退避…、頁を捲っても捲って、辛い活字は並ぶ。少しで明るい記事はないか、朝の職場で、何か、何か…と探して、あったア!。

 毎日新聞15日付けの第2社会面だ。<闇から新たな命>と黒ベタ白抜きの大きな見出しだ。お母さんが生まれたばかりの男の赤ちゃんを慈しむように抱いている。毛布に包まれた赤ちゃん、ちょっと舌を出して笑っている。ほっとするいい写真だ。青森県八戸市内、停電中の病院。まだ余震が続き、小雪舞い、発電機のない真っ暗な中での赤子誕生劇だ。

 もう一つの見出し。<懐中電灯頼り 余震下で出産>だ。体重3310㌘の、元気な赤ちゃんだ。32歳のお母さんの話が出ている。「余震で分娩台が何度も揺れました。たくましい子に育ってほしい」と。お母さん、頑張りましたね。読売新聞朝刊にも生後4カ月の女児が68時間ぶりに救出された写真が出ている。宮城県石巻市で両親と一緒に水浸し民家にいる所を自衛隊に発見された。赤ちゃん、良かったね。自衛隊員さん、ありがとう。

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2011年3月15日 (火)

黒ベタ白抜き見出しに見る日々刻々

 

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黒地に白抜きの大見出しが朝刊、夕刊と続く。12日の東日本大震災発生以来、新聞1面トップ見出しはどう変遷したのか、朝日新聞をみた。惨劇は日々刻々、今もなおである。

 発生の11日夜の号外は<震度7 大津波 三陸沖M8.4 火災多発>で始まって、12日朝刊は<東日本地震 大津波 M8・8 国内最大 死者・不明600人超か>で、夕刊は<死者・不明1500人超 東北沿岸150キロ 壊滅的被害>と、事態の深刻さを増す。翌13日は福島原発がトップ見出し。<炉心溶融 建屋爆発、数十人被爆か>と出る。日曜は夕刊お休みだが、朝日は特別号外出して<3号機も冷却不全 放射線量基準上回る>と福島原発の不安がつのる。14日朝刊は<宮城「死者1万人超」>夕刊は<3号機も水素爆発>である。

新聞1面の黒字に白抜き大見出しのしぼむ日、何時だろう。春より、早く来いと思う。JR大津駅前、朝に昼に夕に義捐金募集が始まった=写真=。改札出る時、入る時、チャリンチャリンの通行税、高くはない。支援の輪、広がれ。

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2011年3月14日 (月)

1000年に一度、貞観地震に似る

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 朝、JR山科駅キヨスクで、久々にサンケイエクスプレス買う。タブロイド版100円だ。裏からも表からも震災紙面、どう報道か、米原行き新快速で読む。「薬、水、食料を早く届けて」と見出しが叫んでいる。気象庁はマグニチュードは8.8から9と修正、宮城県警は犠牲者1万人単位と発表する。

知人から~東日本を襲った大地震が「1000年に1度」の揺れだった可能性を専門家が指摘している~とメール添付が届く。概略は以下のとおり。

 古村孝志・東大地震研教授によると、869年に発生した「貞観(じょうがん)地震」と酷似しているという。貞観地震は三陸沖を震源とするマグニチュード8・3の巨大地震で、城郭などが壊れ、津波が多賀城下を襲って約1000人が溺死、広範囲に津波が達したと考えられている。地震調査委の阿部勝征委員長も同じ見解を示している。酒井慎一・東大地震研准教授は「今回のような4つの震源域が連動する地震は誰も考えていなかった」と話している。30数年周期で発生想定の宮城県沖地震はM7・5クラスで、今回はその約90倍、阪神大震災の約180倍のエネルギーという。貞観地震は1707年の宝永地震(M8・6)と並び、日本史上最大とされる。貞観3年(861年)には世界最古の目撃がある隕石が落下。貞観6年(864)には富士山が噴火、この時代は天変地異が相次いだ。

 この地震と同じだとしたら、…思うに恐ろしい。

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2011年3月13日 (日)

自然は人知を超える

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京都新聞夕刊1面の<三十六峰>は書く。~自然は人知を超える。頼りのシステム動かず、原発で異変。放射性物質が怖い~と。TV映像見るにつけ、新聞読むにつけ、ラジオ聞くにつけ…、である。被災地への皆さまへ、心からお見舞いして、支援の輪が広がるような、少しでも元気の出るような、ブログに出来ないかと思う。

昨夜、大津に住む友人から以下のようなメールが届いた。

> 節電にご協力下さい! > 関西電力が東京方面への電力の供給を開始したとの情報が入りました!関西での節電が、災害の協力になります! > あなたの節電が、病院に使われ、傷付いた一人の命を救います。完全復旧送電には最低一週間はかかります! > 夜半には冷え込みも厳しく、18時~19時の時間帯で300KWの電力が不足するとの東京電力の需要予想!遠く離れた関西での節電が役に立ちます! > ここは皆で節電して、皆でこの有事を乗り切りましょう!

※ 暫く洒落るブログは休載します。 ※ 新聞記事読みながら、心にとまった、これはと思う記事を抜き書き発信しようかなと思います。

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2011年3月12日 (土)

満面の笑み、あの日この日

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眉毛も口も、眼鏡の目も、鼻も笑っている。これぞ、満面の笑みというのだろう。金メダルの野口みずき選手を出迎えた監督・藤田信之さんの表情だ。アテネ五輪の女子マラソン。去年70歳になって第一線を退いた藤田さん感謝の集い、式次第に載った写真である。

 もう7年も前になる。2004年8月22日の早朝だ。マラソン発祥のマラトンの丘を出発して、野口は27㌔から抜けだした。思いもよらぬ展開である。並走していたエチオピアのアレムがあれっ!と落ち、ヌレテバ(ケニア)が濡れ手に…と追い上げても、野口が逃げ切った。写真はあの時、ゴール近くでの一枚だ。藤田監督、生涯最高の一瞬である。

ワコール、グローバリー、シスメックスと監督歴はもう40年以上だ。アジア大会8百優勝の河野信子に始まり、バルセロナ五輪マラソン代表の真木和ら十指に余る日本を代表するランナーを育て、ついに五輪金メダル選手の誕生だ。指導者にとって、これ以上はない輝き。JR京都駅八条口近くのホテルであった集い。気の置けない長距離仲間50人が集まった。慰労の言葉、花束贈呈…、式次第の写真と同じ目尻の落ちたままの笑みだった。

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2011年3月11日 (金)

和の輪で光の春を撮る

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春を呼ぶ言葉、色々あれど…である。春告げ鳥、草萌(くさもえ)、春一番…など、それぞれにもうそこまで春だが、語感のいいのは<光の春>だ。NHKのお天気キャスターだった倉嶋厚さんが持ち込んだ言葉だ。気温は上がらず、風冷たくても、日の光は春だという。

 府立医大病院へ行くおり、南座前でバスを降り、四条大橋を渡った。朝の天気予報で今日の気温は5度と言っていたとおり、首筋にあたる風は冷えっとしているけど、日射しは明るい。春を感じる輝きそこにある。フラッシュで茶化す頭の光る春ではない。橋の端に?立って、きらきら光る鴨川の流れに春を思い、バス乗り換えの河原町通を北へ上がった。

時間に余裕があり、河原町通りを三条まで歩いて来たおりだ。回転寿司カッパの斜め前、和という彫刻モニュメントが立っている。写真で<光の春>をどうしたら撮れるかと、考えていた時だ。太陽はまだ東の空にある。細長い御影石の台座の上、和をイメージした輪の彫刻の真ん中から放射線状に光が伸びている。一瞬のひらめき…、これこれ、これが写真の<光の春>だ。午前8時29分、太陽は今まさに和の輪の中へ―、光の春を捕まえた。

 春を表す言葉 <春一番> 立春を過ぎた頃に初めて吹く強い南風 <草萌> 春になって、草の芽が萌え出る <春告げ鳥>  めじろ、うぐいす

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2011年3月10日 (木)

ハ・マ・ム・ラの一番客の満腹セット

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 片仮名のハ―眉毛、マ―目、ム―鼻、ラ―口である。近鉄京都駅構内、みやこみちにある京風中華の<ハマムラ>の屋号デザインだ。創業80年余、京都祇園生まれの中華料理屋さん。まだかなーと待って、準備中の看板が外された午前11時、入店1番客で入った。

 みやこみちを歩く度、手にぎりギョウザ?黒板の縦長看板が気になっていた。半休で職場へ戻る腹ごしらへだ。開店準備で出てきた女子店員さんに聞くと、980円の満腹セットの中に入っているという。唐揚げピリ辛炒めの580円日替わりにプラスして、手にぎりギョウザ6個300円と当初は計画していたが、それならと満腹セットに方針を替えた。

 たかが昼食、大仰と思いつつ待った。お店には、当日のゲン担ぎの一番客でもある。後続客はどうか?、来た、来た。1人客が1人、1人、1人…。炒飯、ギョウザ、ラーメン出てきて、食べる前から既にして満腹だ。お目当ての手にぎり、連結の6個だ。一つずつ外して、味はどうか、う~ん、手にぎりだ。ラーメンは<ハマムラ>刻印の薄い蒲鉾入り。ハマムラにはまむらそうだ?。帰りがけ、団体客が8人だ。いい一番客、お店も満腹かな。

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2011年3月 9日 (水)

明治天皇産湯の井戸

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 名所旧跡数々あれど…だ。さちのい―と読む<祐井>御存知だろうか。検定ブームの草分け、年に1回実施の京都検定に出題されたかどうか。これ、実は明治天皇が産湯をつかわれた井戸で、京都御苑内にある生誕地である。いや、全くもって知らなかった…もしだ。

 御苑内の森の博物館を見終えて、地下鉄今出川へ歩いていた。石薬師御門から同志社女子大近くの今出川御門の間だ。御苑内警戒のパトカーが行きすぎたおり、黒い塀の所に白い梅が咲いているのが見えた。近づくと樹齢百年以上の老木で、高さ3㍍ほど、もう7分咲きだ。何処か気品があり、楚々と匂い立つ如くだ。黒い門囲い、枝は中から伸びている。

 右側に<祐井>の表札がある。それだけではピンと来ずだった。左側の<中山邸跡>の立て札を読んだ。大納言中山忠能の邸跡で、娘の慶子を母として、1852年に明治天皇の祐宮(さちのみや)が生まれたーと書いてある。門の中、デジカメと一緒に覗き込んだ。屋敷跡、生誕地の表札と古井戸が見える。天皇は4年間ここで養育、その2歳のおり干天で新たに掘った井戸をその名に因んで<祐井>と名付けたという。誠に名所旧跡数々なり。

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2011年3月 8日 (火)

御苑の森の博物館でナラ枯れを習う

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 京都御苑の<森の博物館>を歩いて、どれくらいだろう。ビニールで幹回りをぐるぐる巻きにした樹木が何本もある。近づくと、~ナラ枯れの防除対策を実施しています~の表示があって、ナラ枯れの原因が図解で説明してある。さすがに博物館、微に入り細に入り?。

 朝早く府立医大病院の血液検査が済んだ。午前中は半休なので、病院近くの清和院御門から御苑へぶらり入った。立命館大学の旧広小路キャンパスと梨の木神社南側のすぐ西側だ。<森の博物館>は清和院御門から北へ、石薬師御門まで5、6百㍍だ。コオロギの里と名付けた散策道が続き、①の赤松黒松から⑬の森のしくみへ、色んな解説標識がある。

 ナラ枯れ防除の木々は解説⑩のドングリの仲間あたりだ。白いビニールの上にあった特別解説によると、ナラ枯れは~カシノナガキクイムシが樹木の幹に持ち込んだナラ菌で通水障害を起こして枯れる伝染病~と出ている。体長はたった5㍉という。虫の名前まで長いカシノナガキクイムシのオスとメスのイラストが描いてある。メスの羽根についているナラ菌は→表示、実寸大5㍉はマル囲いで示してある。ナラ枯れのナラ菌、よく習った?。

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2011年3月 7日 (月)

龍馬遭難の地と山折講演

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 血が血を呼んだ地―、それは京都だという。宗教学者山折哲雄さん(79)が何時だったか~京都市内を歩くと、死臭のにおいがする~と講演で喋っていたことがある。河原町通蛸薬師南側の「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」の石碑を見て、あの講演を思い出した。

幕末の佐久間象山、大村益次郎は木屋町三条に遭難碑があり、すぐ西には新撰組が切り込んだ池田屋がある。京都の古人が先の大戦と言う応仁の乱あり、信長の天下が消えた本能寺の変あり、鳥羽伏見の戦いあり…だ。講演の趣旨は忘れたが、死臭という言葉が強く残っていて、遭難の碑に出会うと、ついつい~これがそうなんです~と洒落てみたくなる。

 この間、河原町通りを歩いて、龍馬遭難現場の写真を撮った。今はコンビニのサークルK、遭難時は醤油の近江屋だ。謂れ書きの駒札提供は河原町商店街振興会である。駒札の後段にこう書いてある。~龍馬33歳、中岡30歳。慶応3年(1867)11月15日、大政奉還の大号令が出る1カ月前の出来事であった~と。昨年はHNK大河ドラマで脚光を浴びた龍馬。円山公園で6月に撮った銅像写真をパソコンから取り出し、手を合わせた。

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2011年3月 6日 (日)

ある朝のコーヒー店、席選びの失敗

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 螺旋階段を上がって、さあ、何処へ座るかだ。真ん中、8人掛けのテーブルへ行くか、ソファー席に1人ゆったり座るか、二人席にするか…だ。狭い1階とは違って、2階は別世界を感じる広い空間がある。ブレンドコーヒーをトレ―に乗せ、席はどれにするかだ?。

 四条河原町西北角の<EXCELSIOR CAFFE>だ。店内に片仮名表記がなく、ネットで調べて、ドトールコーヒー系の<エクセルシオール>と、知りお~る次第だ。シオール=知りお~る、ちょっと苦しいかな。年寄り向き、片仮名欲しいなあ。それ、兎も角として、河原町通りが見える窓際のカウンター席へ。先客がいて、煙草をぷかぷかだ。

 窓際席は人生達観の趣きあるが、喫煙席は辛い。またトレ―持って、どれどれと移動して、ソファー席を選んだ。禁煙席は今や時流、うんと広い。読んでも読んでも頁が減らない井上ひさしの大長編小説・吉里吉里人開いて、何気なく対面に目をやると、外国人の女性一人客だ。金髪で若くて、可愛い。隣り合わせた日本人女性客に地図を渡して、行き場所を聞いている。朝のコーヒー店、これぞ国際交流だ。席選びを悔い、ズームで撮った?。 

 ※ 断りなしの写真撮影、すみません。

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2011年3月 5日 (土)

滋賀と言えば、とびだしくん

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 世の中、何が何時どうウケルか、わからない。写真左の交通安全看板<とびだしくん>がそうだ。滋賀県豊郷町、深夜アニメ「けいおん」の聖地巡礼で話題の町にある。絵柄が面白いのか、観光土産のストラップになって、飛び出しているというから、不思議である。

 伝統産業に触れるコンサートで、豊郷町の造り酒屋「岡村本家」へ行ったおりだ。ウワサの<とびだしくん>がすぐ傍に立っている。酒屋の入り口にいたスタッフが~若い人が車で来て、写真撮っていくんです。ほれ、来たでしょう~と指をさして言う。<とびだしくん>は、けいおんメンバーの一人、平沢唯が看板絵になっていて、余計に人気のようだ。

 酒屋さんの店内に入ると、~滋賀といえば、とびだしくん!~の貼り紙だ。お酒と一緒にTシャツとストラップを販売している。何時から、滋賀=とびだし?と思ったが、中日新聞が記事にしている。こっちの<とびだしくん>は短髪の少年で、東近江市のフリーライターが知人と協力して携帯ストラップを作り、販売を始めた―と書いてある。とびだしは危険、フライングは警告のピッピッなのに、それが商いになるとは、世の中????だ。

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2011年3月 4日 (金)

五葉松に御用あり

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植物園の北山門へ歩いていたおりだ。~お父さん、見て見て。ほれ、葉が5本あるよ~と声がする。松林の中、中年の夫婦だ。お父さん!の呼びかけは子供ではない。妻を兼ねるお母さんだ。枯れ落ちた松の葉を拾って、五葉松の葉が5本あると感激?している所だ。

 その声で、そうか、五葉松の葉は5本かーと、確認したくなった。中年の夫婦が出て行くのを待ってから一人、松林に入った。松にプレートがぶら下がっている。「オークサカーナマツ メキシ原産 五葉松 マツ科」と白マジックで書いてある。マツはちょっと待つでなく、ちゃんとした松としても、オークサカーナ?とは…と何語なのか、これ如何にだ。

あの奥さん、いや、お父さんお母さんと同じように松の葉を1本拾った。幹回り、枯れ落ちた葉、茶褐色の絨毯だ。葉はハハ~ンで、確かに5本だ。記念にオークサカーナ?表示まで持参して、撮影だ。さすがに植物園、各種の松がある。大王松=ダイオウショウは、葉が3本だ。大往生できるか、どうかだ。タカネゴヨウは2千㍍以上に育つ高根の松。雲南松はウンともスンともの松。松茸有無の赤松に黒松…、松はまちまち、御用はないかな?。

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2011年3月 3日 (木)

旧豊郷小学校のウサギとカメさん

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 両耳を立てたウサギさん、胸をそらしている。自信満々、落ち着いている。対するカメさん。甲羅から首を一杯伸ばし、両足を踏ん張っている。ウサギさんを見上げ、負けないぞーと闘志があふれる。旧豊郷小学校のウサギとカメのブロンズ像、いま、スタートだ。

 解体か保存か、揺れに揺れた旧豊郷小学校。米国人建築家・ヴォーリズの設計である。裁判沙汰何度か、3年前にリニュアルだ。近くの酒蔵で伝統産業に触れるコンサートがあり、JR琵琶湖線河瀬駅から知人マイカーに同乗、中山道の学校へ初の訪問だ。駐車場は深夜アニメ「けいおん」ファンの聖地巡礼とかで、ハデな車が溢れ、驚きつつ校舎入りだ。

 ウサギとカメの像は1階の手摺りだ。学校出来て70年来、みんなが触りまくり、カメとウサギなのにツルツルだ?。階段の手摺り中ほど、カメさんが行く。ウサギさんは2階の手摺りで熟睡だ。ウサギが一休み、油断している。コツコツ一歩一歩のカメさんが追い抜き、ゴールの3階手摺りはカメさんだ。イソップの寓話ストーリー、再現である。いくら足が早くても、ウサギさん、寓話でグウグウ、いけません。保存に価値あり、意味あり、だ。

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2011年3月 2日 (水)

とらきちの昼に思う。長寿は魚か肉か。

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 駆け込みの昼ごはんは<とらきち>がいい。滋賀県庁前の職場からだと1分余り、30㍍道路の角っこにあるビルの地階だ。昼メニューは魚か、肉かー二つに一つの選択で、4年前にも書いていている。記述確認すると、定食値段は680円が20円アップしている。

 畳みあり、テーブルあり、カウンターあり、昼には県庁職員がワンサと来る。最近、週に一度は少し昼を外して行く。先々週は唐揚げvs茶碗むし付きさんま焼で、さんまを選び、先週は豚しゃぶvsさわら照り焼きで、豚しゃぶにした。魚が勝つか、肉が勝つかー興味深いが、まあ五分五分だ。お代り、生卵いくつでもOKで、ボリュームは満点である。

 店名のとらきち­=阪神タイガースでなく、かつての経営者名が寅吉だった。お店にタイガースの虎マークが一つ貼ってあるが、そうファン、ファンしていない。レジ前に額入り色紙が大事そうに飾ってある。「とらきちさま 栄食養生 楽食健寿 家森幸男」とマジック書きだ。店主が有名な先生らしいですと言う。ネット検索すると、京都大学名誉教授で、WHO協力で世界60カ国を回り、長寿の秘密を調べた先生だ。長寿は?肉かな、魚かな。

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2011年3月 1日 (火)

浅井3姉妹の博覧会バスに乗る

 

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台本を読み読みのガイドぶり、初々しい。NHK大河<江~戦国の姫たち>で運行が始まった博覧会バスの案内だ。浅井家の家紋か、三つの亀甲紋の羽織って、時折り客席に顔を向ける。主婦ボランティアの初陣だろうか。1時間10分の巡回、どんなものか乗った。

 水球で名のあった旧長浜商工、今の長浜北星高校へ行っての帰りだ。京都新聞長浜支局で、旧知のS支局長から博覧会バスが支局前から出ていると聞いて、せっかく北へ来たからには…だった。NHK大河ドラマ50作館、国友鉄砲資料館、小谷城ふもとのふるさと館はパスして、支局長お勧めの江のドラマ館で降りた。一番、お金をかけた会場だそうだ。

行った日は平日なのに賑やかだ。残雪の塊り、三姉妹の幟林立、コアユ天麩羅を出す屋台村、近江のお市米を売る土産物店…。会場は500円、3姉妹人形前で無料の記念写真、TVロケ映像などなど…。旧浅井町役場にあった長政・お市夫妻の家族6人の像も引越している。再び巡回の博覧会バス、ガイドさんが台本で話す。~滋賀で一番高い伊吹山が見えます。標高1377・31㍍、上からも下からも同じです~、いや勉強になりました。

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