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2011年2月

2011年2月28日 (月)

JR嵯峨野線の嵯峨野定食

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 どう定食に冠を被せるか、知恵あり、工夫ありだ。JR京都駅30番、31番線ホームの入り口にある麺屋倶楽部に<嵯峨野定食>がある。冠の理由はいたって簡単、31番線が嵯峨野線だからだ。山陰線を兼ねるホームだが、山陰定食より、<嵯峨野定食>なのだ。

 JR二条駅から乗って、京都駅で琵琶湖線へ乗り換えだった。デジカメのメディア挿入忘れで、構内から店内へ行けるビッグカメラで2GB千円を買って、余分な支出をした時である。階段への上がり口、480円の嵯峨野定食の看板が目についた。昼どきで、彦根駅から2つ手前の河瀬駅へ行くのにそう時間はない。値良し、頃よし、決め打ちで入った。

 注文の列が出来ていて、よく流行っている。少し薄汚れたコートを着た前の男性も嵯峨野定食を頼んだ。何か余分の買い物したのかなーと思う。最初のトレー、かけうどんと唐揚げ2つとしゃけご飯だ。トッピングのかき揚げ、なす天、かぼちゃ天…などはトレ―にとらず?レジ手前で玉子とわかめを乗せてもらい、480円だ。デジカメ・メディア忘れなかったら…わかめ?とかけうどんに入れる。嵯峨野線で嵯峨野定食-ツルツルの昼なり。

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2011年2月27日 (日)

SLと雪原とお琴の偶然

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 あの日は偶然の重なりだった。もう2週間前、地元の人が朝から吹雪いていたという湖北の木之本だ。<伝統産業に触れるコンサート>で、会場の琴糸など邦楽の弦を製造する会社へ行ったおりだ。降りたJR木之本駅が思わぬ人、人、人、予想以上の雪、雪、雪だ。

 人気のSL北びわこ号がもうじき到着するという。米原発木之本着で、一日2度の片道運行、この冬はあの日が最後だった。SLは走る貴婦人、かっこいいC57だ。駅周辺は一面の雪原、これ以上ないロケーションである。ホームも線路わきもカメラマンがあふれている。駅構内の土産物販売の<ふれあいステーションおかん>もテンションがあがる?。

コンサート会場の琴糸会社はすぐ、まだ時間もある。デジカメはいつも腰のバンドに提げている。どこからSL撮るか、線路ぞいを行って来て、来て行って…雪で革グツもズクズクだ。ホームの外、金網越しにSLが着いた。大河ドラマ・浅井三姉妹のヘッドマークをつけている。煙モクモク、黙々と撮って、時間が来てコンサート会場へ。お琴の演奏が始まって、SLがボオッ~ボオッ~。気笛とお琴…、偶然が偶然を呼んだ二重奏になった?。

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2011年2月26日 (土)

両足院の毘紗門像は本邦初公開

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それは、それはの、本邦初公開という。建仁寺の塔頭、両足院が守り神として、大事に大事にする毘沙門天像だ。像の高さは7㌢。薄暗いお堂の中、目を凝らして、あれかな?そうかな?と見る。今、京都市観光協会の第45回「京の冬の旅」で、特別公開中である。

 お寺のお宝が若沖の雪梅雄鶏図、等伯の竹林七賢図の両足院である。池泉式回遊庭園は梅雨明け、半夏生の庭としも有名だ。春と秋、お宝の特別公開では、たびたび行っているけど、冬の旅?は初めてだ。両足院とは、仏さんの尊称である<両足尊>にちなむ。両足の靴、玄関で脱いで、ビニール袋に入れ、持参して本堂に上がり、ガイドさんの案内だ。

 京都SKYセンターのシニアガイドさん、客が溜まると喋りだす。話すツボ、心得ていて、今回は秘仏・毘沙門天像が中心だ。天下を分けた関が原の戦い、徳川方の武将・黒田長政は兜の内側に入れ、武勲を立てた縁起の良い像だという。再び両足の靴を履いて、お寺の北側にある毘沙門天堂へ回っての鑑賞だ。ガイドさん、~堂の中、よく覗いて下さい。見えますか~と言う。見えなければ…と示した拡大した毘沙門天像写真、よく見えました?。

※ 元々は鞍馬寺の毘沙門天像の胎内仏。巡り巡って黒田家に移り、両足院が寄進を受けて、祀っている。縁結びの像としてもご利益があるという。

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2011年2月25日 (金)

湯どうふ奥丹15代目・故石井康家さんの豆コレクション

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映像の中、去年逝去した湯豆腐「奥丹」社長の石井康家さんが喋っている。~これはタイの豆で、食べると乳房が大きくなるんです~、~この豆は毒性があり、不倫判定裁判で使います~。普段着のジャージ姿だ。清水店地階の豆資料館で、面白おかしく話している。

石井さん、在りし日のビデオである。府立植物園で開催の石井コレクション寄贈記念-世界の豆展へ行って、ミニ講演のおり見た映像だ。莢が2㍍のヘビみたいな豆、象やハート形の豆、蔓がツルツル伸びるジャックの豆の木、♪~この木、何の木、気になる気~♪のアメリカネムノキ…、資料館に世界の豆がまめまめしく、5千種も標本展示してある。

 奥丹は創業375年、老舗中の老舗だ。南禅寺店も清水店もいつも長い列が出来る。石井さんは15代当主で、19歳のおりに先代に先立たれ、家業を継ぎ、店の豆腐を最高の味に~と世界を駆け回って、豆研究を重ねた。▽世界の豆は2万種▽豆腐になる豆は7、8種類▽一番は大豆―と石井さんは結果を出す。植物園が好きで、温度管理の難しい標本の植物園寄贈は生前から決めていた。点数は222点、豆腐を煮る2並びのニィかな?。

 ※ 世界の豆展は植物園会館で2月11日から20までの開催だった。石井さんは立命館大ヨット部、かつて日本代表にもなっている。

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2011年2月24日 (木)

大河ドラマでランチメニューに姫御膳

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 大河ドラマありき、あれやこうやと、考えるものだ。浅井3姉妹を描いた<姫たちの戦国~江~>に肖って、瀬田GCのランチメニューに「姫御膳」が登場した。午前だけでなく午後もあるが、一日20食限定という。大河人気ある限り、たいがいに…とも言えない?。

 朝のラウンドすみ、午後へ40分ある。禁煙席へ座って、ラッピングした特別メニュー表が出てきた。長刀持つお茶々ちゃん、白頭巾のお初ちゃん、桜カンザシのお江ちゃんのイラスト入り。姫御膳の姫は目立つ赤で、料理長おすすめ。値段はいつも高めの瀬田GCにしては、1400円である。どこがどう、こうか、はつか、ちゃちゃか、頼んで見た。

 トレ―で、姫御膳がとーれと出てきた。江が生まれ育った長浜と三姉妹をイメージして松花堂弁当風に創作してある。茶碗蒸しと吸い物と、メーンのお皿が4つだ。お皿の一つ、鯖そうめんは長浜名物という。真打ちは鯛そうめんだが、戦国サバイバルで鯖なのだろう。焼きおにぎりは、お香こ付きだ。料理長さん、香=江と洒落たようだ。タラの芽天ぷら、海鮮網春巻き、3姉妹記念のこんにゃく餅…、大河ドラマの姫たち思い、もちもち食べた。

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2011年2月23日 (水)

冨田酒造の七本鎗は魯山人の篆刻

 

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当主との会話もある。お店も知っている。酒もちょこでおちょこっと?飲んでいる。それなのに入店は初めてだった。創業450年の老舗、冨田酒造である。近江の地酒、七本鎗は全国新酒鑑評会で平成11年、17年、19年と金賞をとり、店内に賞状がかかる。

 酒ツウちゅう、ツウでないけど、何たって、銘柄が賤ケ岳の七本鎗である。ナナホンと読まず、ヒチホンとも言わず、冨田酒造の七本はシチホンヤリと代々言う。さてさて、柴田勝家を破り、秀吉に天下をとらせた殊勲の七本槍の若武将は誰か。あるのかないのか、これ戦国検定に出そうである。答えは冨田酒造作成の小さな二つ折りパンフに載っていた。

JR北陸線で木之本入り、仕事の合間に行った。北大路魯山人が篆刻した扁額が見たかったからだ。紅殻格子の軒先に酒屋の看板、杉球が下がっていて、店内の正面に篆刻字の<七本鎗>が掛っていた。画家、陶芸家、書家の魯山人が冨田酒造に逗留していた30歳代の作品という。偏額は右から左へ、昔ふうだ。飲まずともウイッ~となる味わいである。畳に陳列の大吟、吟醸、純米の酒瓶…みな魯山人の篆刻ラベルと先刻から承知していた。?

 ※ 七本槍の武将とは、順不同で、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、片桐且元、福島正則、平野長泰、槽屋武則でした。

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2011年2月22日 (火)

熊本ラーメン・肥後もっこすに誘われて

 

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どうも看板に引きずられる癖がある。ついこの間は熊本ラーメン・肥後もっこす-に誘い込まれた。店前に立って、一旦はどんなんかなと偵察はするが、大概は入る。京都府立植物園北山門の真向かいだ。早春の草花展を見て、コスモスでなく、もっこす入りした?。

 入り口狭く、細長いお店だ。土曜の午後1時を回っても賑わっている。入り口右端のカウンター席へ座って、注文を考えた。最初の選択は店前の看板にあった阿蘇火山の辛味噌ラーメンか、白湯豚骨スープの熊本ラーメンかー…だ。どちらにしようか、脳味噌をぐるぐる回して、店内の貼り紙に目が行った。パイクラーメンで、パイクとは~の説明がある。

 白い模造紙にマジックで~上質の豚バラ肉を秘伝のタレでじっくり煮込み、骨までとろける柔らかさ!~と書いてある。とんこつスープとの相性も絶品という。う~ん、こちらにしようか?とまた心が動いた。どうも歌い文句に弱い癖が抜けない。値段は900円と高めだが、じゃあ、パイクと口にしてしまった。葱にキクラゲにパイクの豚バラだ。麺は細目で、パイクパイク食べて、お腹もパイクになったが、品選びはもっこす慎重にかなあ。

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2011年2月21日 (月)

狸タイムズに載った日本一の狸腹

 

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叩いて、叩いて、どんな音がしたのだろう。平成23年1月18日発行、狸タイムズ第29号第4面、全国狸の腹鼓大会の記事が出ている。写真は連続優勝の地元・信楽の奥田勉さんの狸腹だ。大きく、まあ~るく、ポンポコ、ポンポコ…、妙音が聞こえてきそうだ。

 新聞はA4のタブロイド版で、信楽高原鉄道の信楽駅で見つけた。焼き物の町、信楽は歩いて、歩いて、町中が狸、狸している。狸タイムズを発行している狸学会の大平正道会長によると、編みがさかぶり、徳利を持った焼き物の狸は大小合わせ軽く10万体もあるという。駅前の大狸=写真左=は高さ5㍍、公衆電話を兼ね、町のシンボルになっている。

 狸タイムズ持ち帰って、全国狸の腹鼓大会を読んだ。信楽の氏神さん、新宮神社で去年11月にあり、県内外から18人が出場して♪~幸せなら手を叩こう~♪のリズムに合わせ、手でなくて、自慢のお腹をポコポコ、ポコポコと叩いたそうな。優勝した奥田さん、ちょん髷に脇差姿。パフォーマンスに一工夫あり、加えて、両膝を曲げて、お腹をぐっと突き出して、快音を響かせたと書いてある。祝優勝だが、審査待ち、ハラハラだったかな?。

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2011年2月20日 (日)

木之本のラーメンおかん

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土地土地に地元のラーメンあり…だ。JR北陸線の木之本駅へ降りて、駅改札近くに折りたたみ看板が出ている。駅構内にある<ふれあいステーションおかん>のおかんが作る北国街道ラーメン、一杯500円だ。到着はちょうど昼、どんなおかんか、見に行った。

 おかん、おとん…のおかんである。母上様でもママでもない。改札でICOCAカード通して、駅舎を出て、元気なおかんがいた。地元商工会女性部の皆さんだ。白布の長机、ガスボンベ…、ラーメン販売の特設コーナー、ロータリーの前は一面の雪景色である。麺をゆがくおかん、スープと具を入れるおかん、店内に運ぶおかん…、おかんはよく働く。

 首にマフラー、厚着のおかんに聞いた。~写真サ、撮っていいか~と。返事、恥ずかしカ!と思ったら、どんぞ!、どんぞ!と。この言い回し、おかん風になったが、皆さん溌剌だ。出店はSL北びわこ号が走る日曜中心だという。幟に鉢にも、鼻息荒く走る猪マークのロゴが入っている。モヤシ、葱、ナルト、焼き豚に牛蒡入りのラーメン、すすりきった。鉢の底から<またのお越しをお待ちしています 木之本宿>…、旅の思い出はおかん?。

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2011年2月19日 (土)

清水寺の石像・福禄寿は伝

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最初に<伝>とあれば、ホンマかな…と思うことだという。写真の石像は清水寺境内にある<伝・福禄寿>だ。子安の塔への上り口にデンとある?。丁寧だけど、上手とは思えない筆跡の駒札が傍に立つ。謂れが<伝>で始まり、縷々、そうかいなあ…と書いてある。

 休日散策で、南門から入る清水寺だ。山科の清水焼団地近くの自宅から30分は歩く。<伝・福禄寿>は南門から50㍍ほどで出会う。清水の舞台から奥の院回りで降りてきた観光客も、よく立ち止まって見ている。駒札は、清水寺縁起によれば…の注釈があり、~石像は奈良時代の僧・行叡(ぎょうえい)居士のお姿であると、伝えられている~と書く。

 このあたり音羽の草庵で暮らし、白衣をまとって滝にうたれて修行を重ね、200年も生きたお坊さんという。大和の延鎮上人に清水寺草創の観音さんになる霊木を奉納ー云々とあり、後世になって七福神の一つ、福禄寿に似て、信仰を集めたとか。石像は宝冠に似た頭巾、長髪の顎鬚、右手に錫杖、左手に経典を持つ姿という。駒札を読み、どう行叡居士で、どう福禄寿か、石像を見た。幾百年の風雪、剥落が進み、お姿はデンデン?だった。

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2011年2月18日 (金)

八坂の塔のブッシュカン

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 けったいな果実である。黄色い実が手の指みたいに何本も出ている。グニュグニュというか、ゴツゴツというか-、妙な盆裁だ。大きさにして、鉢から5、60㌢の背丈で、大きな葉っぱの合間に見える実は、上から下から覗くように数えて、何と7個もついている。

 この盆裁、八坂の塔の境内にあった。絵になり、写真になる重文・五重塔の境内だ。正式には臨済宗建仁寺派の法観寺である。2月3連休の一日、1万歩ウオークの散策で、清水寺の2年坂を降り来ると、珍しく拝観料400円で公開中だ。塔の外観は仰ぎみて、何度もデジカメ撮影しているが、塔内入り…、とうとう初めてだ。とうだ、決まったかな!。

塔が気になり、最初はアゴが上がって気づかなかった盆裁だ。塔の礎石台の東南角にさりげなく置いてある。鉢に栄養の薬が差し込んである。お寺さん、手塩にかけて育てているようだ。向かい側の受け付け、法衣の女性に聞くと~柑橘類の一種で、仏の手と書いて、ブッシュカンと言います~と。原産はお釈迦さんのインドで、果実は砂糖漬けや漢方薬になるそうだが、観賞用の盆裁は珍しいと言う。米大統領のブッシュさん、知っているかな?。

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2011年2月17日 (木)

ひうおからコアユへ、これがこれに

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 ご主人が指をさして言う。~これが、これになって、これです~と。これ…だけではわからないだろうけど、実物のこれを見ながらなので、一目瞭然のこれ…なので、これほどわかるこれはない。これは、湖魚販売の老舗・大津屋さんお店に並ぶアユの色々である。

大津屋さんは昭和2年の創業で、今の竹端右次さん(7?)は2代目だ。JR大津駅から西南の寺町商店街にお店はあり、先代の堅田からの屋号・大津屋を引き継いで、湖魚の佃煮店を営んでいる。最初のこれは、氷魚で、ひうおと読む。アユの稚魚で、氷のように透きとおっているからそう言うそうだ。二番目のこれは、コアユの山椒煮とアユ飴煮だ。

ひうおは琵琶湖の北湖の仕入れで、冬場だけの収穫という。ご主人は話好きなのか、何を聞いても、多めに答えてくれる。ひうおは茹であげしてあり、ポン酢か大根おろしがいいけど、ワシはおろしが好きと言う。三番目のこれは佃煮のアユで、一つつまましてもらうとと、苦みが少し、口当たりがいい。今だけの、ひうお100㌘買って、話はモロコの漁獲増、鮒ずしの値段、ワカサギの味へと展開して、始まりのこれがあれこれになった?。

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2011年2月16日 (水)

ミニミニお雛さまの思い出、今に

 

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親指ほどのお雛さま飾りだ。桐箱から出て、雛壇になった箱の上に小さく並んでいる。一番上、男雛のお内裏様は右に、女雛のお雛様は左だ。三人官女は2壇目、笛に太鼓の五人ばやしは3壇目で、五人の随臣は4壇目にいる。合わせて15個、一刀彫りのお雛さまだ。

 大津市中央3丁目、鶴喜そば「凡亭」の店内だ。昼に県庁前の職場から歩いて5分余り、体重オーバーが気になると、よく通う。壁側に季節ごとの飾り付けがあり、如月に入って、ミニミニのお雛さま飾りが出ていた。箱の大きさ、縦横50㌢ぐらいだ。うれいし雛まつりはサトウハチロウの作詩。♪~灯りをつけましょ~♪で、デジカメ近づけ~写真撮った。

 お店の奥さんがお雛さんの思い出を書いている。~真珠湾攻撃から1カ月後、…初節句に祖母は、それはそれはかわいらしいお雛さまを贈ってくれた。東京の空襲が激しくなり、祖母の里・小田原へ疎開の折、この小さなお雛さまは、わずかな世帯道具に入って生き延びてきた~と。奥さんのお父さんで、俳号が凡亭の清水達三氏が色紙に一句添える。<ともどもに 風雪ありし 雛かな>と。始まりは真珠湾?お雛さんの思い出、今も風化せず!。

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2011年2月15日 (火)

コバラヘッタ店のインド人との対話

 

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 店名みて、お腹抑えてみた。確かに小腹が減っているかもしれない。何とも、タイミングの良い店名だ。イオンモール京都4階のフードコートのインドカリーダイニング<cobara-hetta>だ。ローマ字上、片仮名で<コバラヘッタ>と、店名の念押しだ。

 お得と出ていた780円の<2種カリーのプレートセット>にした。店内はインド人らしい3人が働いている。注文のおり、インド人か?と聞いて見た。そうだーと答えが返ってきたので、インドの何処?と追い打ちをかけた。地名あげ×××と言っているが、???だ。フンフンと頷いて、席へ行こうとしたら、インドへ行ったかーと、逆に聞いてきた。

 いやいやーと苦笑いして、席で咳して、選んだカリーを待った。NO4の携帯がピッピッと鳴って、真っ赤なキーマカリーと、豆とほうれん草のカリーの出来上がりだ。ナンは皿からはみ出ている。定番でも言わねばならない。ナンと大きい?。ナン、千切っては食べ、千切っては食べ、器を返しに行ったおり、また聞いた。~日本のCM、インド人もびっくり?、知っているか~。インドの3人、顔を見合わせた。これにインド人もびっくり!?。

 ※ インド人もびっくりは、芦屋雁之助が演じたエスビー食品のCM。あまりカレーが美味しくて、インド人も驚いた-の意味だった。

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2011年2月14日 (月)

信楽の大小屋でピラフ

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 大きくも、小さくも…小屋だ。レストランあり、陶器土産あり、陶芸教室あり…の信楽陶舗「大小屋」ある。国道307号沿い、県の陶芸の森への入り口だ。駐車場が広く、大きなお店だ。「大小屋」は

<おおごや>と読み、建物を見てしまうと、ピンとこない小屋だ。

 窯元で開催のコンサートで、朝は氷点下5度だった信楽へ行った。JR草津から職場の同僚のマイカーで新名神に上がって、20分で街中へ入った。会場到着前の昼食に選んだのが「大小屋」だった。階段上がって、正面入ると、吹き抜けのショップ空間が広がり、真ん中から2階のギャラリーへ続く。何処が小屋?と思うけど、だから大小屋なのだろう。

 レストランもガーデンカフェだ。信楽の陶壷で焼いたやきいも1個200円-も出ていたが、腹ごしらえ中心なので、2人とも大小屋ピラフを選んだ。6種類のトッピングとサラダがつき、お米はコシヒカリ100㌫使用という。どこがどう大小屋ピラフなのか?出て来て、聞いた。~ハイ、このピラフは炒めでなく、炊き込みです~と。合わせて「大小屋」って?聞くと、昔の窯元で、その屋号と。信楽の大小屋昼食、ああや、こや?だった。

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2011年2月12日 (土)

狸の里・信楽に火鉢の山

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土台から数えて、4、3、2、1…計10個だ。青い火鉢がピラミッド状に積み上げてあり、傍の説明板に<火鉢の山(野積み)>と出ている。山は山でも、標高わずか2㍍の火鉢山である。日本六古窯の一つ・信楽の里へ行って、窯元散策路を歩いての発見だった。

 滋賀県文化振興事業団主催の<伝統産業に触れるコンサート>が信楽の谷寛窯であった。学校跡を工房とギャラリーにした窯元にマリンバの音色が響く。♪~タンタン狸の~♪の里の信楽、風もないのに軽妙なメロディーだ。少し早めに満員の会場をフ~ラフラと出て、窯場坂からろくろ坂へ歩く。国道から離れた長野エリアの窯元集落、ほっとする佇まいだ。

 火鉢の山は展示を兼ねた登り窯と隣り合っていた。今はそうはない、懐かしい火鉢である。説明板に改めてか、火鉢とは?の解説がある。~炭火を用いた暖房具で、江戸時代から一般家庭に…~。終戦後は全国的な需要があり、信楽焼は火鉢の生産地として有名で、全国の80㌫以上を造っていたとか。窯から出した火鉢は露天に積み上げ、山のようだったとも。さっきの会場、コンサートが終わったのか、拍手が火鉢?パチパチと聞こえてきた。

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2011年2月11日 (金)

気になるランチのスピード

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店頭の商品見本、スピードランチと表示してある。スピードの部分、波線がわざわざ付いている。注文して、出て来る早さが商品なのだろう。握り3カンと、かけうどんか、そばの選択、値段は580円。JR大津駅に隣接の平和堂6階レストラン街の寿司屋さんだ。

フロアはやや古くレストラン街というほどではないけど、琵琶湖が見える店が4軒ある。スピードランチは江戸前風<三宝寿司>さんだ。どれだけスピードがあるのか、携帯デジタルで時間を確認して、窓際のカウンター席に座った。時間は12時44分だ。旅行客だろうか、店内客は4組あって、混んでいる。エプロンのおばさん2人、バタバタしている。

座って即、スピードランチ!と声をかけた。注文のスタートだ。返事がはっきりしないので、もう一度、スピードですよ!と念を入れた。忙しいせいか、~順番ですよ~と、予防線が入った。おばさんの足元、運動靴だ。細長い店内、動きのスピード十分だ。携帯の時計見て、2分過ぎ、4分経ち…、少し心配になった時、玉子、蛸、鮪の3カンと素うどんが出てきた。味より時間だ。12時50分、所要時間は6分!、入賞や、良かったあ?。

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2011年2月10日 (木)

極もみのマッサージチェアを試す

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 首から背中、腰、足へ…伝統と創造のマッサージチェアーだという。ヨドバシカメラ京都店1階西側の健康促進コーナーだ。モミモミ代は無料だという。前日の棒振り、腰もだが、打数過多のせいか、ことに肩が重かった?。どうしようか、モジモジして、座った?。

 担当の男性は胸札からニシカワさんだ。<即日配達承ります>と書いたカバー取って、どうぞと誘う。靴脱いで、仰向けになった。ニシカワさん、~背中の形状に合わせます~と端末をピッピッと操作している。モミモミが始まった。足も腰も首もぎゅ~っと締まる。

天井の梁、チェアの値段がぶら下がっている。今ならヨドバシ特価で348,000円だ。

マッサージ店で30分3千円か、電気代1カ月65円でチェア購入か―と出ている。PRぶりも、肩への食い込みも、よく効いている?。深くて強くは極もみ、楕円を描く如くはループもみという。お試し時間、30分近く経って、ニシカワさんが来た。聞くと、京都店のチェア60台展示は西日本最大という。最近はパソコン、携帯の凝りか、若い人の購入が圧倒的とか。無料の極モミ、気持ち良かった。風呂上りだともっとかな…。感謝!。

※ お試しはチェアは、()フジ医療器のマッサージチェア・サイバーリラックスでした。

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2011年2月 9日 (水)

睦月に撮ったベスト2

 

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デジカメで写真撮ること、パソコンに取り込むこと、習慣になっている。よほどのことが無い限り、1年365日だ。継続は力なりーというほどではないにしても、よく続く。今年から写真の取捨選択を兼ねて、1カ月ごとのベストショット2枚の選択を考えて見た。

 卯年の睦月写真、この土曜に整理してみた。元日の雪の金閣寺に始まり、毎日毎日よく撮っている。食べ物あり、景色あり、植物の花あり…デジカメは腰のバンドにぶら下げていて、毎日何時でも何処でも瞬時だ。1月、およそ千枚写して、700枚近く削除して、250枚を残した。この中の2枚が法然院と湖西の比良だ。いずれも残雪ありの写真だ。

 法然院は女子駅伝の翌日だ。棒振りが雪で消えた日だ。法然院境内は雪の中だった。サザンカの赤を意識して雪の山門を撮った。狙いはぴったり、自画自賛の一枚だ。もう1枚、志賀駅から歩いて、近江八景の比良の暮雪の石碑があったあたりだった。湖岸の残雪と椰の木と琵琶湖の広がり…、夏の喧騒との対比を思って撮った。何か不思議な情景だ。植物園では雪とロウバイ、雪に埋もれた京極家の墓所・徳源院…、思い返して嗚呼、寒かった。

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2011年2月 8日 (火)

金地院研修道場、今月の言葉

 

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今月はどんな言葉かなあ、今や決まって通る道だ。地下鉄蹴上駅を降りて、遠回り散策の道筋にある南禅寺の金地院研修道場の言葉書きだ。お聞きしたことはないが、1カ月に一度の書き換えだろうか。墨痕鮮やか、ぐいぐいと迫って来るような豪快な書体である。

 言葉は2題、玄関の両脇に掛かっている。和紙の文字は、ガラスケース入りだ。掲額の言葉は文学博士・高田修氏寄贈の勝林文庫からのようだ。この1月は左側が陶淵明だった。~盛年 重ねては来たらず/ 一日 再びは晨(あした)なり難し/ 時に及んで当(まさ)に勉励すべし/ 歳月 人を待たず~だ。若いうちに勉学に励め、後悔しないように―だ。

 この言葉、何年前…、いや、何十年も前に知っている。いまや盛年は遠く過ぎ、過去が積み重なり、歳月さん、そんなに急いで何処へ…の心境だ。右隣は~是れ一番寒 骨に徹せずんば 争(いかで)か 梅花の鼻を撲って 香しきを得ん~と。出典は<槐安国語>とある。酷寒に耐えてこそ、梅の花は美しく馥郁と咲くーの意味だ。道場の前、写真撮りながらなぜか、おぼっちゃま漫才師・横山たかしを思い出した。すまんの!、励めよ!?。

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2011年2月 7日 (月)

長岡天満宮の中小路宗城大人之像

 

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この祖父あっての、今日の長岡天満宮なのだろう。社殿への階段を上がって社務所のすぐ前、<中小路宗城大人之像>の銅像が建つ。大理石台座の上、眼鏡をかけた衣冠装束の胸像だ。現在の名誉宮司で孫の宗隆氏(8?)が没後50年の昭和61年例祭に建てた。

 天満宮社務所で開催の長岡京文化懇話会へ行ったおり、写真を撮った。懇話会を主宰している宗隆名誉宮司が趣旨を台座横の銅版に書いている。阪急長岡天神駅から歩いて5分余り、大鳥居を上がり、キリシマツツジで有名な八条池の参道を超え、早めに着いた。この際、銅像をどうぞ!ということか、寒かったが、後で宗隆氏に聞こうとしっかり読んだ。

 宗城大人は明治35年生まれで、衰微の神社を篤志家募って保勝会を作り、社殿改修、八条池石堤、参道板石を設け、境域を整備して、社格も村社→郷社→府社へ1代に2度昇格させたという。司会の懇話会が終わり会食のおり、宗隆氏に聞くと、祖父の苦労があって今の天神さんがある。私の4歳の時、亡くなった。銅像づくりで有名な富山県高岡市で祖父の写真どおり、鋳型でつくったという。祖父の宗城大人を大事にし、鋳型でいがった?。

 ※ 宗隆名誉宮司さま、司会のおり写真とりました。許可なく掲載、すみません。

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2011年2月 6日 (日)

釣りをする白川の黒河童

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 いつ行っても川の中、網の中に河童がいる。頭のお皿は白く、足に水かきがあり、全身は真っ黒だ。釣り竿がしなって、大きな魚が掛っている。ちょっと来い、来い-の鯉かなあ。今まさに釣りあげている瞬間だ。何時頃からか、春夏秋冬、釣りをしている河童だ。

地下鉄東山駅を降り、平安神宮の大鳥居方面へ行く近道だ。改札を出て、饅頭屋さんのある最初の路地を左に入って道なりだ。京近美、京市美の展覧会鑑賞のおり、疏水から分流した白川が流れる川沿いの細い道を歩く。河童が決まって、釣りをしているのは、堀池橋を過ぎたあたりだ。金魚のいる金網の水槽が沈めてあり、タイル板に河童が描いてある。

通るたび、ついつい、覗き込んでしまう。河童の霊力か、絵とはわかっていても…だ。芥川龍之介は晩年、戯曲<河童>を書いている。どんな内容だったか、パソコンの電子図書・青空文庫を開いて読んで見た。山の中で河童に出会い、追いかけて穴に落ち、河童の社会で暮らす話だ。第3章で、河童は身長1㍍、体重は20~30㍀、頭の皿は楕円形で、皮膚はカメレオンの如く変色すると書く。白川の河童はなぜか黒、苦労がないのかも??。

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2011年2月 5日 (土)

能のワークショップに学ぶ

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まるで、この世界はそれこそオーノーなので行ってみた。京都芸術センターで立春4日夜にあった<花習塾 紬(つむぎ)の会>特別編である。何の会かと言うと、観世流能楽師の片山伸吾氏(4?)が主宰する流派を超えた、ちょうと珍しい能のワークショップだ。

 会場の京都芸術センターは、正門入って金次郎さん銅像がある元明倫小学校跡だ。職員室が喫茶店になり、講堂だった2階は50畳の大広間だ。東京から金春流の山井綱雄さん(37)地元の金剛流・豊嶋晃嗣さん(37)が来て、片山さんの司会で、語って、踊って、唄って…2時間である。お能の先入観は、般若、翁のお面と、おう~おう~の声だ。

 古典芸能に携わる仕事があり、お能の知識も-との勉強だった。会場は80人ぐらいか、後ろの椅子は一杯なので座布団に座って、正座10分で足はびりびり、即胡坐だ。これもオーノーだ。流派によって、扇子の位置が違い、足の運びが違い、唄いようの強弱が違い…である。能は観世流が大きく、金剛、金春、宝生、喜多と5流派があり、それぞれ…だ。船弁慶に羽衣に賀茂に-知識はノーでも、所作の異なる流派を学んで、シテやったり?。

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2011年2月 4日 (金)

映画監督・吉村公三郎の生家

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積雪の中仙道で、映画監督・吉村公三郎の実家を見つけた。JR東海道線柏原駅を降り、雪道を歩いて7、8分だったろうか。京極家菩提寺・徳源院への道だ。大名が宿泊した本陣跡を超え、柏原宿歴史館を過ぎ、鑑札ようの木札がツインで下がっていて、つい見た?。

 上の札は<問屋役年寄 吉村逸平>だ。墨書は薄く、古そうだ。映画監督・吉村公三郎の実家-の札は、木目も見えて新しい。祖父の逸平は、柏原宿最後の庄屋で、父は広島市長、兄は朝日新聞「天声人語」執筆-とある。柏原宿を説明する屋根付きの案内板と一緒だ。柏原宿は江戸から60番目の宿場で、名物のもぐさ屋10軒など、詳しく出ている。

案内板の後ろ、吉村家を見た。前庭があり、平屋建てだ。玄関まで積雪、足跡はない。誰がお住まいか、ひっそりした佇まいだ。映画監督・吉村公三郎-、地元の柏原小を出ている。夜明け前、足摺岬などを映画化、京マチ子、山本冨士子の大物女優を育てている。明治44年生まれ、89歳死去。また歩くと、今度は小さな川に<吉村監督、思い出橋>の駒札だ。川口浩と野添ひとみ共演の映画「地上」を生んだ橋という。柏原に成果あり?。

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2011年2月 3日 (木)

フードコートのせたが屋ラーメン

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 土曜の夕方、千円札1枚でどこへ行くか-これはこれで頭を使う。ジーンズに厚手のジャンパー、毛糸の防寒帽…服装はラフだ。自宅回りは避け、行ったことのない所は?と考え、イオンモール京都のフードコートを思い立った。何を選ぶか、着いて店を見てからだ。

 山科駅前の整髪が済んで行った。するっと関西でない頭、防寒帽だ。JR京都―大津間の定期券で京都へ5分、西中央改札出て店まで6、7分だ。フードコートの4階へエスカレーターで一直線である。客席は真ん中、広~い。回りはあの店、この店…たこ焼き、カレー、うどん、ラーメン、丼…、千円OKの店々だ。1周目は偵察して、2周目で決めた。

 ラーメンの<せたが屋>だ。スープは豚でなく、魚介醤油という。本店は東急田園都市線の駒沢大学駅近くで、世田谷の<谷>を屋にして開業10年、関西へ初進出という。ガヤガヤしていない。決まったかな。店主曰く。ベンツ創業者の<最善か無か>の言葉が好きで、こだわり持ち、ベストを尽くしているという。ちじれた細麺だ。海苔1枚、支那竹2つ、焼き豚1枚。スープはあっさりしている。お値段の方は700円で、やがした??。

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2011年2月 2日 (水)

京極家の墓所・徳源院は雪の中

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よくもまあ、続いたものである。初代の氏信、宗綱、貞宗、宗氏、高氏…、中興の高次、忠高、高和、高豊へ、何と鎌倉から江戸まで650年余の歴代大名のお墓が並んでいる。京極家の墓所・清滝寺徳源院だ。中仙道60番目の宿場町、柏原にあり、雪の中を行った。 

米原の文産会館で人材養成講座があった日だ。朝の講演を聞いて、昼すぎにJR米原から大垣行きの電車に乗った。柏原は三つ目、次の駅は関が原だ。雪の塊りがあるホームを降りて、徳源院まで30分歩いた。道は積雪と凍結、民家はツララ…、覚悟はしていたが、ああ辛ら?。そろそろと歩いたが、墓所に着いた頃には、革靴は靴下までボショボショに?。

道筋の所々、大河ドラマ<お江>の米原版の垂れ幕だ。浅井3姉妹の二番目・お初の夫<京極高次・柏原に眠る>と出ている。拝観代300円、誰もいない大広間で山口光秀住職から1対1の案内だ。大名の系譜が江戸まで続いたのは、島津家とここだけ-と言う。お庭もどうぞーと戸が開いた池泉式庭園。滝も池も見えず、雪の中だ。観音さん、不動明王拝み、本堂裏の代々のお墓へ。雪を被る五輪塔、墓らしく図ったように整然と…だった。

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2011年2月 1日 (火)

美濃吉の社長講演と粟田御膳

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 漆塗りお膳の蓋を開けた。仕切りは6つもある。左上、イクラが幾らか乗った胡麻豆腐。左下は錦糸卵に鰻、隣りは赤かぶの漬物、真ん中は鯛にトロの造り…お膳の中、赤に黄色に青に…何とも色どりが美しい。京懐石「美濃吉」の人気メニューの一つ、粟田御膳だ。

 美濃吉社長・佐竹力総氏(64)の講演会があった。長岡京天満宮主催で、講師を囲む会食付きだった。会費は5千円。京滋観光の会を世話している大学の先輩の依頼があり、平日午後4時からの開会、行って見た。社務所の中、菅原道真公の軸と牛像の前の演台、A4のレジュメ2枚にそい、佐竹社長は演題の「日本料理と食文化」を小気味よく喋った。

 FOODは風土にありーと洒落て、出汁の話を出す。西の昆布と東の鰹と出汁の東西、切り方、盛り方、色の使い方の日本料理、美味しさは舌でなく、脳の延髄が感じると。懐石はワンサシありきと言う。最初にお椀のお汁、あったかいうちすすって、料理人の腕を知ることだと。ついで刺身、新鮮さがどうか、だと。美濃吉本社は京の七口の一つ、粟田口で、そこから命名した粟田御膳。昼でも夜でも御膳だ。粟田で慌てず、ワンサシなり?。

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