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2011年1月

2011年1月31日 (月)

はや大河ドラマの養源院

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 大河ドラマが始まって、どうなったかなあーと行った。秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政21回忌に秀吉に願い出て、建った養源院である。火災で燃えたあと、今度は淀殿の妹・お江が夫・徳川秀忠に頼んで、再建しており、NHK大河の主役が次々に登場する寺だ。

京博の特別展「筆墨精神」を鑑賞して、その足で行った。妙法院・三十三間堂の東側にあり、徒歩2、3分だ。山門前は京都市の駒札が立つ。・長政の法号が寺号・伏見城で自刃した武士の血染めの廊下が天井・杉戸絵は俵屋宗達の筆で、中学、高校の美術の教科書に出ている-などの案内だ。大河ドラマはどうか、参道5、60㍍進んで、本堂前だった。

仮設の拝観券売り場が出来ている。大河ドラマ云々の説明があり、庭側には崇源院(江)の墓という案内板が立っている。行ったのは、3回目の放送がある日曜の夕方近くだ。視聴率1回目も2回目も20%以上だ。養源院のこと、まだ出ていないのに、はや大河人気か、たいがいの人だ?。靴脱いで上がった廊下は左甚五郎作の鴬張り、ギシギシ、ミシミシ…。鴬か、人か、歴史か?。仏間にガラス箱入りの肖像画、こうしてああして、江あり?。

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2011年1月30日 (日)

凧揚げから蛸の造りへ

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凧揚げの記事を産経新聞滋賀版で読んだ夜だ。職場帰り、ふらっと寄ったJR大津駅前のスタンド「林屋」さんである。お客さんが相前後して蛸の造りを注文している。今日一日、あの凧、この蛸…である。これも何かのタコ縁、つい~ここも蛸の造り!~と頼んだ。

 新聞に出ていた凧は、毎年恒例の<希望が丘凧揚げのつどい>だ。写真は大凧で有名な八日市の凧で、今年の干支・ウサギ2匹の絵柄だ。記事によると、畳20畳の大きさ、凧揚げは3回行い、1回目と2回目は風向きが合わず、最後の挑戦で成功。3度目の正直!と紐を引っ張った参加者から歓声が沸いたという。凧さん、空に高う!高う!舞ったのだ。

 そんな記事を思い出して、造りの蛸である。味に定評のある良心的な店なので、値段は高うはない。あの夜は鮭とキャベツの味噌蒸しに白ワイン、それと追加の蛸造りで、1300円だったかな。蛸は6切れ、そこそこ歯ごたえある。証(あかし)にどこの蛸?と聞くと、先手を打って明石じゃなく、草津市のスーパー仕入れの北海道蛸だという。~いやいや、値段が値段、どこで獲っても蛸は蛸や~。新聞に出た凧も、漢字は違ってもタコや?。

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2011年1月29日 (土)

京都国立博物館の額字は湖城氏の筆

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会場を出て、階段を下りて、正面から見上げた。京都国立博物館の特別展示館(本館)正面の額字である。一文字ごと気取るが如く、写真のとおり<京都國立博物館>と刻まれている。これが篆書文字というのか?、噴水前、ロダンの彫刻・考える人と一緒に考えた。

 篆刻家として名高い故園田湖城氏が書いた字だ。京博発行の図録によると、~園田湖城は当館との縁も深く、特別展示館の破風に掲げられた額字<京都國立博物館>の原字の筆をとっています~と書いてある。破風に額字の原字…、インドのガンジーみたいやなと思いつつ、それまで気にも留めなかった字体を見上げて、ズームを3倍にして写真を撮った。

 見に行った展覧会は、中国書画の「筆墨精神」で、関連で園田湖城氏の生誕125年記念展を開催していた。第6室から第8室まで、湖城氏が篆刻した犬養毅、富岡鉄斎などの落款印、収集した漢秦の中国古印などの展示だ。篆刻の数々、てんと?ではなく、先刻承知である。洒落たけど、意味不明かな。京都生まれなのに湖城と号したのは、本籍が大津市膳所で、琵琶湖が臨めるからと。身近さ感じ買った図録、湖城氏50歳の写真掲載である。

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2011年1月28日 (金)

駅長さんからそぐら浜の常夜灯

 

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今にして思えば、何処をどう歩いたか…だ。JR湖西線志賀駅から比良駅へ、湖岸沿いを行った。職場の階下、喫茶サロンのお客さんに聞いた~あそこの、鯖寿司おいしいんよ。息子が最高と言うのよ~との、あの話だ。思い立って、店探しに行ったあの日のことだ。

 確か、志賀駅の改札出て…と聞いたと思った。寿司屋さんは<駅長さん>とか。変わった店名だ。志賀駅の改札口で、赤線帽の駅長さん?に、この辺りに寿司屋の駅長さんは?と尋ねた。そんな駅長、初めてですと言う。そうだろう、ややこしかった。駅を一つ勘違いしたようだ。まあ、歩きを兼ねての店探しだ。残雪の湖岸を比良駅へ40分近く歩いた。

 今度は駅長さんに聞かずに見つけた。それが、お店は休みである。仕方がない。あの時、~湖岸側にも棒寿司の店が…~と聞いてたのを思い出し、また、当てずっぽうで歩いた。構えのしっかりした家の多い集落だけど、人は見ず、店もない。諦めが大事と、引き返す所で、<そぐら浜の常夜灯>の道案内に出会って、→方向へ歩いて、右の写真だ。そぐらは、総蔵の<う>抜きらしい。湖岸の荷揚げで、蔵が多かった在所の意味だ。そうずらあ!?

 

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2011年1月27日 (木)

赤と黒のカレー、ピリリでヒリヒリ

 

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ヒリリ…、ヒリリ…、こうもするとは-だ。何時ごろ出来たのか、京都駅構内のカレー専門店「スパイシー マサラ」だ。南北自由通路の新幹線切符売り場の北側だ。土曜夕、伊勢丹京都店の伊万里陶器展帰り、どこかで夕食をーと店を探していて、ふと発見した。

 エスカレータ降りたあたり、どんな店かなあーとウインドウを見た。商品展示は写真入りで縦に5列、横に4列の20種類だ。カツにハンバーグに若鶏の唐揚げ…、カレー各種で、右下の赤と黒のカレーに目がとまった。値段は500円と低料金だ。なぜか鶴田浩二が歌った赤と黒のブルースが浮かんだ。♪~夢をなくした 奈落の底で 何を~♪である。

 入るとコの字型のカウンター、新幹線構内と共有になっている。営業はJR東海フーズらしい。自販機の食券だして、カレーが出て来て、すぐ聞いた。赤は?黒は?と。学生バイトさんか、書いたもの探したが、見つからず、赤はコチジャン、黒は胡麻胡椒と答えた。手にしたスプーン、赤か、黒かと悩んで、結果は代わりベンタン。口の中、赤でピリリ、黒でヒリヒリ…、再び鶴田ブルース。♪~何をあえぐか…なんで食べたか~♪ 嗚呼、涙!。

 

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2011年1月26日 (水)

昔懐かし?青木煮豆店の店先で

 

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こんにちは!こんにちは!…二三度、声をかけたが、返事が無い。今度は屋号どおり、青木さん!と呼び変えたら、は~いと、奥から毛糸帽の女性が出てきた。JR湖西線志賀駅の湖岸側で店を出す青木煮豆店である。雪かきのすんだ店先、初対面なのに話が弾んだ。

 息子さんが一日置きに大津市内で行商する煮豆屋さんだ。もう3、4年前になるだろうか、大津市の滋賀会館前で会って買ったことがある。店先の女性はお母さんだった。黒豆、金時豆、そら豆…北海道日高の塩昆布など10品目だ。去年94歳で他界したおじいちゃんが昭和7年に始め、今もカマドに薪をくべて、丸一日かけて昔の味を作って売っている。

 茶漬けの塩昆布を注文する前、行商の息子さんに会ったことから話が展開した。・大津競輪場近くから2年前に湖岸憧れで引越してきたこと・住んではみたが、比良降ろしの風が唸って怖いほど・タレントの円ひろしがTVの行列のできる店で取材にきたこと・そら豆が一番うれること・行商に出る息子の洋さん(29)が結婚、前のログハウスに住んでいること…、塩昆布購入まで30分だった。おまけに大豆が一つ、お母さん、ありがとう。

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2011年1月25日 (火)

へこんだ法然院、勤行合図の板?

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叩いて、叩いて…どれくらいになるのだろう。法然院の寺務所玄関前にある一枚板だ。スギ板か、ヒノキ板か、厚さにして10㌢はある。大きさは、縦50㌢、横7~80㌢ぐらいだろうか。板の真ん中が、凹っと、へこんでいる。こうなるには…と、歳月を思った。

 哲学の道を歩いた雪あがりの、あの日だ。哲学者・西田幾太郎の詠んだ<人は人 吾は吾なり とにかくに 吾が行く道を 吾は行くなり>の句碑を見て、法然院の山門を吾はくぐった。浄土宗から離れた単立寺院、観光寺院ではない。静かな境内。水をあらわす白砂檀、積雪で模様が見えない。苔に雪、万両に雪…赤と緑と白…、写真のいい絵柄である。

 非公開の本堂、廊下に梶田真章貫主が京都新聞に寄稿した<寺は何を伝えるところか>の記事コピーが何枚もある。持ち帰り自由だ。観光の寺院への問いかけだろうか。本堂から再び境内へ戻って、寺務所前へ。玄関はピシャッと閉まっている。窪んだ板、梁から吊るしてある。~ご用のない方は叩かないで下さい~の貼り紙。叩き棒、すりこぎみたいだ。板の用途?勤行の始まりを知らせるのだろうか。こうも叩かれた板、痛かったろうなあ??。

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2011年1月24日 (月)

安近量…の日替わりランチ

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 ひょっとして、ウワサ通りの穴場かもしれない。京都タワー直営で、地下1階にある中華料理「塔苑」だ。地下鉄京都駅改札出て、わずか1分…近くてもTOEN…だ。創業以来46年、年中無休は西隣の京料理「伏水」と同じだ。知ってこの方、2日続けて通った。

 間口はそうでもないのに店内は広~い。真ん中に細長の三角型カウンター席があり、最初はそこへ座った。テーブル席が壁側に15ほど、奥にもまだ部屋がある。メニュー色々あって、日替わり値段の800円は、お隣の<ふしみ>と読む「伏水」と同じだ。水曜の日替わりは肉ダンゴの甘酢煮だ。八宝菜と玉子スープとご飯…、どれもボリュームがある。

 食事前のデジカメ、習慣になっている、左が肉ダンゴ甘酢で、右が木曜の皿うどんだ。写真のとおり、グウとなる具だくさんだ。一品はデザートでも…の但し書きを見落として、鯖フライの甘酢が半身でふた切れがついた。これにライス。デザートで十分だったのに…。食後のコーヒー、ジュースも自由だという。昨日の老夫婦、今日も来ている。あっ!あの男性客もそうだ。大津から京都へ9分、二日続けて思うこと。安近量の日替わりランチ!

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2011年1月23日 (日)

大寒に思い出す植物園のロウバイ

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 大寒の日の朝刊、読売新聞1面コラム「編集手帳」にロウバイのことが載っていた。活動弁士だった故丸山昌治さんの<蠟梅のあわてふためき咲きにけり>という、ロウバイと狼狽を掛けた一句を紹介して、各地でロウバイが見ごろを迎えているーと書きだしている。

 記事を読んで、府立植物園で撮ったロウバイを思い出した。国際会館と烏丸鞍馬口で女子駅伝を見て、また地下鉄で北山まで戻って、今年2度目の植物園だった。前夜からの雪が残った梅林の中、ロウバイはどの木も満開だった。編集手帳の記述にあるように~半透明の蝋(ろう)を引いたような光沢のある薄黄色の花びらは春の先触れ…~の如くだった。

梅林は北山門から南西へ、スギの針葉樹林をすぎてすぐだ。丸太で組んだ案内板によると、梅林は2か所あ開園当初の古木と新しく植栽した品種で、60種150本の木があるという。ロウバイの木は、道路側から7、8㍍のところだ。わりに背が高く、5、6本ある。雪を乗せた幹から伸びた小さな枝に花びらを下にして咲いている。女子駅伝29回、最も寒い大会だったという。暦の大寒以上の大寒、画家の大観もロウバイも…狼狽かな??。

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2011年1月22日 (土)

枝垂れ桜に烏ネット

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あれっ、どうしたのだろう。いつものカラスがいない。京都・円山公園の枝垂れ桜だ。柵の傍へ寄って、よ~く見ると、幹に添って、真ん中に長い棒が立っている。高さ10㍍、先端から光ファイバーようの透けた線が伸びている。地面に向かって、幾本も、幾本もだ。

 雪あがりの月曜の午後、哲学の道から銀閣寺へ行った日だ。帰り、100系統の市バスに乗り、平安神宮前で降りた。携帯の万歩計、一日一万歩目標に少し足りない。青蓮院から法然さん800年遠忌の知恩院を経て、円山公園へ入った。枝垂れ桜は瓢箪池の真ん前だ。土盛りした回りに柵、ベンチ…、冬枯れの桜を何気なく見て、カラスの不在を知った。

花開く春も、紅葉の秋も、夏も冬も…年がら年中、枝という枝に何羽もいたカラスだ。観光客の生ごみを狙い、見下ろすようにとまっていた。小枝を折ったり、糞で生育を阻害したり、美しかった枝ぶりがだいぶ前から台無しだ。さすがのカラスも傘状に伸びた無数の細い線を潜ってまでは入れないようだ。公園管理の京都市が考え出した対策だ。大観、魁夷らが描いた枝垂れ桜、今は2代目である。カラス排除で甦る枝垂れ、何時の日かなあ。

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2011年1月21日 (金)

哲学の道の幾太郎の句碑

 

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哲学の道を歩くと、つい立ち止まってしまう場所がある。疏水沿い、南の若王子から北の銀閣寺へ、全行程2㌔ほどの真ん中あたりだ。~人は人 吾は吾なり とにかくに 吾が行く道を 吾は行くなり 寸心~と詠んだ哲学者・西田幾太郎の句碑がある橋の所だ。

 積雪があって、道路凍結の月曜だ。瀬田GCからクローズの連絡が入り、今年初の棒振りも雪と一緒に消え、デジカメ持っての雪景色ウオッチだった。昼から陽ざしが出たせいか、雪は大方消えている。山裾の法然院なら…と橋を渡ろうとした所で、幾たびか見た幾太郎の句碑だ。時間には余裕がある。歩く人も少ない。句碑、悔いのないようしかと見た。

句碑は丸っこい自然石だ。てっぺんに積もった雪が融けて、石を濡らしている。京都東ロータリークラブ創立25周年記念の建立だ。黒御影石に~人生の指針を示した碩学の教え~などと説明があり、寸志とは幾太郎の居子号で、句碑の字は昭和14年の自筆という。京大で学び、京大で教え、75年の生涯だった。この句は昭和9年の元旦、幾太郎64歳のときという。新年に己の道を追い求めた信念の一句だ。吾もそろそろ次へ行くなり?だ。

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2011年1月20日 (木)

ホームで立ち食い、年明けうどん

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 迎春の<年明けうどん定食>だという。JR京都駅のホームで営業する立ち食いの麺屋だ。年明けは何時まで続くのか、特別のメニューだ。朝、南草津で仕事がすみ、女子駅伝観戦で、折り返しの国際会館へ行くおりだ。正午を回り、手軽に急いで-と入った麺屋だ。

自動ドアいっぱいにポスターが貼ってある。迎春の文字と並んで~年明けうどん定食(おにぎり付)500円~と出ている。単品は430円だ。これ!と決めて、自販機で年明けボタン探すが、見つからない。♪~一度決めた~ら…♪だ。自動ドア開けて、聞きに入ったら年配の店員さんが外へ出て、これ!ですと。真ん前の赤文字、あまり目の前に過ぎた。

さっきの店員さん、名札で岩瀬さんとわかった。右は吉田さん、その向こうは名札が見えにくい。券を見てオーダー言う人、うどんか蕎麦をゆがく人、具を入れる人…、三人三様の役割がはっきりしている。大事なことだ。何も言わせず?と岩瀬さんから出てきた。混ぜご飯のおにぎりは一つ。うどんは葱、海老天、薄切り蒲鉾1枚、生卵一つ、それに海苔も一枚…。松の内は済んでいるが、豪華だ。麺屋の麺に免じて、年明けはいま暫くかな?。

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2011年1月19日 (水)

女子駅伝、最下位を抜出した沖縄のタスキリレー

 

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中継点ライン上、真っすぐぴょ~んと跳ねている。早く!早く!…、気持ちがジャンプさすのだろうか。ナンバー47番は、沖縄だ。マリンブルーのユニホーム、5年ぶり最下位脱出を目標に置く。トップの京都が行って10分余、岩手、和歌山、富山の選手だけだ。

アンカー集う烏丸鞍馬口で撮った一枚だ。全国女子駅伝の第8中継点である。タスキ渡し、どの位置で狙うか、難しい。走行車線側の西側歩道へ行くか、向かい側か…だ。国際会館の折り返し点へ先に行って、再び地下鉄で、鞍馬口駅から歩道へ上がった。選手が6区、7区、8区と走っている間の移動だ。選手アップゾーンの西側を避け、東側へ回った。

中継の白いライン、車道を挟んで真向かいだ。少し陽ざしも出て、いい場所と思ったが、行く選手、待つ選手が重なりあった。タスキリレーが見えにくい。場所を変更する余裕はない。ようやく視覚が広がったのは、大方の選手が走り去ってからだった。ライン上は岩手、和歌山、富山、沖縄の4チームだけだ。沖縄が45位だ。跳んで待った渡久地さんへ、中学の仲井真さんが最下位脱出のタスキを渡した。結果は、価値あるリレー写真になった。

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2011年1月18日 (火)

日展、岩澤さんと堂本さんの遺作

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日本画第2室、入ってすぐ右側だった。遺作を示す黒いリボンが二つ、お互いがお互いを忍ぶように展示してあった。右側は岩澤重夫さん、隣の左側に堂本元次さんだ。岩澤さんは81歳で一昨年の暮れに、堂本さんは86歳で昨年の年始めに…、相次ぐ訃報だった。

 会期最終日に、京都市美で開催の日展京都展へ行った。日本最大の総合公募展、東京開催に続いて、京都展を皮切りに1年かけて全国を巡回する。何時頃からか、毎年のように観賞している。日本画、洋画、工芸、彫刻、書の5部門、作品数は京都展で600点にも及ぶ。何時も何処をどう見たのか…だが、第42回展は岩澤さんと堂本さんのお二人だ。

お顔を思い出して観賞、ポストカードも買った。金閣寺の襖絵を描いた岩澤さんは、文化功労賞の内定を聞いてすぐの他界だったという。大分県日田市出身で、晩年は深い山の作品が多かった。遺作は自らの命悟るが如く「天水」と付けている。叔父が堂本印象氏の元次さん。人懐っこいお人柄だった。晩年は中国の自然に魅せられた作品が多く、遺作の題は、画家人生を振り返るように「水路を来たる」だ。岩澤さん、堂本さん、安らかに。

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2011年1月17日 (月)

遅れてきた年賀状

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成人式の済んだ頃、職場に一通の年賀状が届いた。誰かな?名前を見ると<宇治市 青木五郎>とある。青木さん?ハテナと思って、裏を返すと、右下に寒椿の版画が入って、米粒よりも小さな字が、ぎっしりと書き込まれている。添え書きで、ああ!とわかった。

 京都教育大名誉教授、青木先生(7?)だ。四条大橋西南角の東華菜館で開く春秋会で、名刺交換している。司馬遷研究の第一人者だ。北京料理を楽しむ春秋会で、いつも先生のミニ講演がある。去年は寒山拾得、前年は重陽の節句の話だったのを思い出す。それにしても、この年賀状である。ざあっと見て、詳しくは自宅に持ち帰り、虫めがねで読んだ。

大津の三井寺と三尾神社へ初詣したことが綴ってある。~…一面の銀世界、そのしじまの中を三井寺の除夜の梵鐘が…~と情感ある表現だ。三尾神社の裏手が極楽浄土の如くだったこと、雪化粧の庭を眺めての年越し長寿そばのこと…などなどだ。虫めがねで見た一字一字、綺麗で丁寧だ。朝日カルチャーで18年間400回の史記講義、まだ全巻の4分の一で、“日暮れて途遠し”ともある。感動、感銘、感激…、遅れてきた年賀状は最高だった。

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2011年1月16日 (日)

丸物の鐘、今はヨドバシ

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あの鐘、鳴るかなあ…、鳴らないだろうなあ。去年開店したヨドバシカメラ京都店の鐘だ。地下1階東側入り口にあり、古めかしく青錆びている。近づいて見ると~○に物、鳩にヒト、1974年~…と浮かび出ている。物事は念のためが大事だ。確認電話を入れた。

 鐘には<元気の出る鐘>と名前が付いている。JR京都駅東口の地下改札を出て、小林旭の歌どおり「北へ」?歩いて3分だ。正面入り口通路の壁面に鐘が展示してある。右に左に…二つだ。~昭和49年当時の丸物に登場、それから36年…、お客様に喜んでもらえるように…」云々と、説明がある。昔々の百貨店、懐かしい丸物を継承する鐘なのだ。

 大きさ、直径で5~60㌢だろうか。振り子の分銅は電球みたいに光っている。腰を落とし、覗きこんで見た。振り子は棒みたいで、音が揺れて鳴るようではない。鐘の下にデジカメを差し込んだ。右の写真のとおり、ガラスの説明板にデジカメと手袋が写った。丸物から近鉄、ヨドバシと続く憩いの鐘という。電話入れたヨドバシさんの答えは、やっぱり、展示だけの鐘だという。♪~あの鐘は鳴らすのはあなた~♪…和田アキ子かな??。

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2011年1月15日 (土)

向かい合うラーメン店、宮っ子とちゃぶ屋

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 さてさて、どっちが口合うかな。西宮の<宮っ子>と、TVチャンピオンの<ちゃぶ屋>だ。ヨドバシカメラ京都店6階に出店したラーメン屋さんである。レストラン街の西北側で通路を挟み、向かいあって、営業している。スープの冷めない距離、現場を検証した。

 白菜ラーメンに惹かれて、<宮っ子ラーメン>に先入りだ。秘伝という小豆島醤油ダレと豚一頭を使った豚骨スープが自慢だ。西宮の宮っ子に評判を呼び、伊丹、尼崎と出店、初めて京都進出という。店内は壁面も店員さんのバンダナもシャツも赤揃いだ。勤務帰りの平日の夜、お客さんの入りはまあまあ、白菜ラーメンも水分がタレ薄めて、まあまあ…。

お向かいさんは翌日の昼だ。勤務中、大津から人との出会いを兼ねて行った。呼び込み店員さんのお勧めで、ちゃぶ屋流正油らぁ麺だ。東京荒川で創業して苦節15年、TVのラーメン職人選手権で優勝した森住康二さんの店だ。三つ折りパンフ、米国にまで出店のサクセスストーリーが年譜付きで載っている。出てきたお勧め、もやしと焼き豚一枚、こってり味かな。宮ちゃん=写真左=薄く、ちゃぶさん=同右=濃く…、勝負はメンメン??。

※ 宮っこの白菜ラーメン800円、ちゃぶ屋のちゃぶ屋流正油らぁ麺680円でした。※ ちゃぶ屋は料理人の世界で「いい加減な仕事をする者」を意味すると、パンフにあり。

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2011年1月14日 (金)

冬に咲く不断桜はいま七分咲き

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 京都新聞に早や、桜のことが出ていた。8日付け朝刊1面の「凡語」だ。~やや小ぶりな淡いピンクの花が幾つも開いている。…12月ごろから開花する不断桜…寒中に咲く、けなげな姿に心が和む~と。先行き不透明な政治、経済を憂え、春待つ思いを書いている。

桜の木は御池通柳馬場にあり、七分咲きだという。記事を読んだ3日後、御池烏丸の国際マンガミュージアムであったメディア芸術シンポのおり、近くなので見に行った。日本最初の小学校・柳池校跡に誕生した小中一貫の御池中と商業施設をコラボした京都御池創生館の西南角だ。桜咲く枝に<御池桜と命名しました>と書いたピンクの札が下っていた。

~一年のうちで最も寒くて寂しい時期に人の心を和ませようと一生懸命、努力して咲いています~と札に書いてある。近くから遠くから…、デジカメで撮影していたおり、バイクの市会議員ITさん(7?)に偶然出会った。聞くと、御池桜の命名者の一人で、小学校の校庭片隅のを植え替えたら、びっくりするほど、よく咲きだしたという。夕方、シンポ帰り、ライトアップの不断桜を見て一句。<寒くとも 普段通りに 咲く桜>…△かな。

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2011年1月13日 (木)

観覧温室の砲丸の木

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 京都府立植物園、行くたびに発見がある。観覧温室の中で見た、写真の<ホウガンノキ>である。背の高い木の高さ3㍍あたり、幹から枝が弦のように伸びて、褐色の真ん丸い実がぶら下がっている。サイズに色合い、陸上でエイ!ヤア!と投げる砲丸と一緒なのだ。

 ご無沙汰していたので、寒くても、観覧温室ならと、今年初めて行った。いつも入り口で手にする見所案内、半分は温室の花々の紹介だ。風冷たく、北山門から足は真っすぐ温室へ。室内温度は17度、ジャングルゾーンの中ほどで<ホウガンノキ>を見つけた。何度も行っているのに、初めてだ。南米ギニア原産、15以上の高木、サガリバナ科という。

 デジカメをズームにして見上げた。ぶら下がっている果実は、一つ、二つ…四つだ。見るほどにホオッと唸りそうになる砲丸だ。解説板に出ている写真の花は6月ごろに咲き、英語表記は<キャノンボールツリー>というらしい。ボールはボールでも、日本語表記の<砲丸の木>がピッタシカンカンだ。観覧温室には、およそ4500種、25000株の植物があるという。日本でも最大級だそうだ。その一つがホウガンノキ、ほうか、ほうか!。

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2011年1月12日 (水)

優勝のラーメンと日本一の餃子

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 ご当地ラーメン対決で優勝、餃子はTV番組で日本一だという。<優勝と日本一>-、これ以上ないお墨付きだ。派手な看板、足はピタリとまった。木札の店名は<博多ちょうてん>だ。白い暖簾、崩し字で<感謝>と出ている。どんな日本一か?、迷わずに入った。

 大阪梅田の阪急東商店街とお初天神通り交差するところだ。国立国美術館帰りの夕方、土佐堀川を超え、北新地を過ぎ、梅田へ、梅田へ歩いて、出会った。凹型のカウンター席、入り口近くに座った。頼む方が、少し気恥ずかったが、日本一二つ!と声を出した。店員さん、男女ともバンダナに<感謝>だ。ラーメンが出て、餃子を待って、写真を撮った。

 ラーメンはバリこく味玉豚骨だ。長い名前が付いている。麺はストレートで細い。バリこく?博多弁で味の濃さらしい。福岡は久留米本社の系列店だ。スープ、こってりでなく、甘く感じる。餃子は5つ、これもジューシーだ。スープが減った鉢、感謝の文字がまた浮かぶ。そろそろ、日本一検証だ。何時、何処で?と聞く。年配店員のおばさん~ここで開店した7、8年前のイベントです~と。効果のほどは?、~それはもう感謝感謝です~。

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2011年1月11日 (火)

レンブラントとシャガールの肖像画

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 画家は自らの顔をどう描いたのか―。大阪の国立国際美術館で、顔また顔の展覧会を見た。ウフィツィ美術館自画像コレクション~巨匠たちの秘めた素顔~である。ラファエルロ、ダ・ヴィンチなどルネッサンス芸術の粋を集めたイタリアはフィレンツェの美術館だ。

朝日新聞主催で手元に招待券があった。今年初の連休、有効活用だ。JRの昼得切符で、京都から大阪へ28分だ。ベルニーニ、ボイス、バッラ…展示の肖像画70人余り、あまりなじみない。音声ガイドで会場回った。知っているのは、2番のレンブラントと18番シャガールだ。この2人の重点鑑賞に入り、ガイドを繰り返し聞いて、顔をよお~く見た。

 光と影の画家、レンブラントは人生の折々、60枚近く肖像画を描いて、自分の内面を問いかけた。展示の肖像画は50歳代、妻子を亡くし、浪費で破産する直前という。物憂い顔だ。愛の画家・シャガールは、最愛の妻ベラ、祖国ロシアのシンボル・雄鶏、セーヌ川など自分にとって大切なものと一緒に自らを描いている。鼻筋がとおり、口元が優しい。シャガールはこの肖像画の構想に9年かけたという。音声ガイドは500円以上に語る?。

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2011年1月10日 (月)

泊まれない旅館で色里奇譚の写真展

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きんせ旅館は泊まれない。旅館なのに泊まれない、ベンベン!。築250年、京都島原にある旅館である。ここで、全国の遊郭跡を巡った花街の写真展があるというので行った。JR嵯峨野線で京都駅から一駅、丹波口駅で降り、南東へ5分だ。去年の暮れのことだ。

写真展は<色里奇譚―夢のまちを訪ねて>だ。作品展示の大津歴史博物館の学芸員、青山均さん(4?)から案内をもらっていた。きんせ旅館は1年前から部分改装、ギャラリーも兼ね、カフェ&バーを開いている。きんせは、お金に清くの<金清>という。それで~まあ、見んせえ、来んせえ~か。玄関はタイル張り、1階正面は薔薇のステンドグラスだ。

玄関に案内がなく、2階へ赤い絨毯が通じている。かつて幕府公認の遊里、ワチキは…の太夫さんの雰囲気だ。靴脱いで1階の展示会場へ入った。青山さんがいて、靴のままで…という。和洋折衷のカフェ&バー、鑑賞者が団欒中だ。折り上げ天井?かつてダンスホールだった部屋という。テーブルは蝋燭の灯り、ロマンチックだ。作品は60点、赤線と青線で作者の区別-センスがいい?。泊まれない旅館の色里奇譚展、きたんのない批評を!。

※ きんせ旅館は下京区西新屋敷太夫町80 Tel075(351)4781 オーナーは安達さん ※ <色里奇譚―夢のまちを訪ねて>は昨年12月21日~27日まで開催した

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2011年1月 9日 (日)

元日紙面に見る出版社広告

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 出版社の全頁広告、これはこれは…である。岩波書店、集英社、講談社、数研出版、小学館―と、元日付けの新聞各紙に毎年恒例の如く出る。朝日新聞を捲ると、五つの出版社揃い踏みだ。5頁、7頁、10頁、12頁、14頁…、真ん中で切り外し、見比べて見た。

 さすが出版社、ことばが命だ。目で引きつけて、見せて読ます。ドラえもん登場は辞典の小学館だ。<言葉は、すごい道具になるんだよ>とドラえもんに言わせている。数研出版は砂漠に数式を書く写真だ。・ゼロからすべてが始まる・割り切れないこともある・悩むこといいことだ・結果も大切だけど、過程はもっと大切だ…、心にひびく言葉の数々だ。

 <明けまして、ありがとうございました>は、創業100周年記念で書き下ろし100冊刊行の講談社だ。新年挨拶兼ねてお礼広告。小説、ノンフィクションの著書百冊が載っている。後藤正治著「奇蹟の画家」はいちだ、にだ、さんだ…読んだ?。集英社は開高健のベトナム従軍写真。創業85周年企画<戦争×文学>全20巻だ。岩波書店は定価3150円の<日本語 語感の辞典>だ。感激、感動、感銘…、何が浮かぶか。語感か六感か?。

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2011年1月 8日 (土)

店名「伏水」の由来は伏見だった

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「伏水」と書いて、単純に<ふくすい>と思っていたら<ふしみ>だという。京都タワー地下にある京料理「伏水」の店名だ。由来はメニューに~酒どころで、水に縁の深い伏見は、明治17年までは伏水で、俯見、臥見などとも書かれていた時期も~と出ていた。

 去年の秋ごろ、初めて行った店だ。昼の日替わりランチ800円。手がなかなか込んでいて気に入った。年明けは夜にも初めて行って、昼と合わせ一日2回も…だ。水曜の昼ランチは和風ステーキと湯豆腐にデザート付き。ステーキはおろし味で、薄切り10枚もあり、柔らかくて、これぞ素敵?だ。そのおりに店名と由来を聞き忘れ、夜にも行ってみた。

 最初から聞くのも…で、夜メニューから1200円のおばんざい膳を選らんだ。まず1品はレンコン煮、ついで刺身、そして魚の煮つけにハム風コロッケ、ご飯と一緒にお椀入りの豚汁も。これだけの品数、もろ手をあげ、ばんざい?だ。白衣の店主にテーブル席から~刺身と煮魚はブリ?~と聞くと、カンパチ!と間髪いれず?だ。このカンパチ、脂乗り◎だ。その流れで聞いた店名と由来、メニューに出ていた。伏見の伏水、盆に返らず?。

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2011年1月 7日 (金)

神戸ポートタワーの空と海

 

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何が見えるか―、それはもう、何もかも見える。海が見える、山が見える、空が見える、船も…、飛行機も見える。み~んな見える。唇に指を立てて、シィッと言わなくても、シースルーなのだ。さすが、つづみ型の神戸ポートタワーである。包み隠すことは何もない?。

 世界初のパイプ構造のタワーという。震度7の、あの神戸・淡路大震災でも悠然としていた。高さは108メートルである。自販機で600円の入場券を出して、5階の展望台へ一気に上がった。北は六甲の山並み、東はメリケンパーク、西は川崎と三菱の造船所、真下に観光海賊船…、♪~いまあ~船は出て行く~♪。パノラマ360度、1周2周…だ。

 タワー展望、5階から1階へ…3階は回転喫茶だ。店名「空と海」に誘われて、真ん前が空のカウンターに一人座った。テーブル清算の500円コーヒーが出た時、ウエターさんに1周どれくらい?と聞いた。よく聞かれる質問なのだろう。即回答が出て、時計回りで20分という。静かに、静かに回って、海から山へ、景色は少しずつ変化している。厨房は後ろ、床は狭い。ウエーターさん<ここは上だ、上だ>と横歩きで、注文をとる??。

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2011年1月 6日 (木)

ヨドバシカメラの名古屋コーチン

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ここか、あそか…フロアを行ったり来たりだ。JR京都駅前に開店したヨドバシカメラのレストラン街だ。店内中央、エスカレーターを上りきり、本屋さんと同居の6階にある。天麩羅、ラーメン、寿司、パスタ…、気持ちが揺れた末、入ったのが名古屋丸八食堂だ。

 去年の暮れも暮れ、30日の夕方だ。正月準備で、ぶらぶらする客はないのか、どの店もすいている。丸八商店、名古屋旨いもん処という。きしめんのカネ勘、ひつまぶしのうな匠、名古屋コーチンの鳥開、みそかつの那古とんの4店舗が一緒の店内で営業している。看板に<展望の良さが自慢の大フロア>と出ていた。確かに広くて、食堂イメージでない。

 七条署が見える窓側のテーブルに座った。広~い店内、年末客はポツリ、ポツリだ。カウンター席の前、4つの店が1店ずつ暖簾をあげている。どの店のに?と悩んだ末に親子どんぶりと鶏の唐揚げにした。注文のおり、店員に聞くと、厨房は店ごと別々で、同じ形式の店が名古屋にもう1軒という。店内見回すうち親子丼が出てきた。レンゲで掬うと、鶏は柔らかく、卵トロトロだ。本場の名古屋コーチン、チキン、キチンと食べきった?。

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2011年1月 5日 (水)

神戸メリケンパークの鯉

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 なんだい?と説明板を読むと、鯛でなく、鯉だ。U字型、尾っぽから頭へグワァ~ンと反り返っている。なんとも、でっかい鯉だ。お腹部分にある金色の説明板によると、でっかいはずである。頭までの高さは22㍍という。見上げて、ドキドキ、これが鯉なのか??。

 神戸メリケンパークの入り口だ。ブランド店が並ぶ旧居留地を西南へ歩いて、国道2号の海岸通りを渡ってすぐ、神戸名物の花時計から15分ほどだ。鯉のオブジェは<フィシュ・ダンス>と名前が付いている。これまで何度か、行きか帰りか、同じ道を通っているのに、じっくり鑑賞するのは、初めてだ。1987年、神戸開港120年記念だという。

 だれの制作か、説明板をもう一度見た。米国ロス在住の世界的建築家、フランク・O・ゲーリー氏がデザインして、日本を代表する建築家の一人、安藤忠雄氏が監修、制作している。亜鉛メッキ製の金網で出来ている。触って見たら所々に赤錆の鱗が出ている。網目より目を細くして覗くと、鬼でなく鯉に金棒?だ。どう撮ったら、それは鯉!とわかるか、ぐるぐる回った。東隣のカフェ・フィシュの屋根より高く、そこが鯉のポイントだった?。

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2011年1月 4日 (火)

大石願掛け像を観賞する

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何時ごろからか、山科の大石神社境内に<大石願掛け像>が誕生した。討ち入り大願成就に肖る像だ。新聞掲載あったのかどうか、近くに住んでいるのに知らなかった。大晦日の日、境内へ雪景色を撮りに行って、初めて気づいた。本殿の真向かい、大理石の上だ。

初詣でを兼ね、3日昼にまた行って、真っ正面から見あげた。がっしりした石像だ。台座を含めて、高さ3㍍はある。大晦日の頭の雪は溶けて、大きな兜を被っている。出陣の井で立ちだ。左手を差した刀に置き、胡坐をかいている。お腹、よ~く見ると、ポコっと出ている。大石さん、肥満タイプだった?。建立は2年前の平成20年11月吉日という。

寄贈はフジケン、藤田敏彰のお名前がある。ネット点検、長岡京市でコンサル業をする方らしい。右側に立て札。~心願、大願の誓いを込めてご祈願下さい~と。願い事記入のお札は1枚200円だ。台座に貼付の大願のほどは?、合格祈願、家内安全、禁煙努力、宝籤当選…等などだ。時は元禄から今、平成なり。内蔵助を演じた役者さんは数々、像は誰に似ている?。千恵蔵、歌右衛門、伝次郎…、ちょっと古いかナ?。あの時は昭和なり。

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2011年1月 3日 (月)

卯年の初詣、歩いて洒落て…

 

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歩くと、脳がよく働き、考えがふと沸いてくることがある。山科の毘沙門堂から大津の三尾神社へ、初詣の道筋がそうだった。初詣で記念の初洒落、何かないかなあ?と歩いていたら出て来る、出て来る。卯年の、うっとりする、ウウッとなる洒落、ここに披露する。

JR山科駅までバスで行って、毘沙門堂まで歩く。天台さん5つの門跡寺院の一つで、七福神の毘沙門天は十二支の寅と縁が深い。お守りに豆寅、鈴寅などがあり、ここへは毎年、参っとら。本堂への階段、ゆっくり上がっても急だ。一段一段、数えて上がって、73段だ。冬枯れの葉が落ちて、ハアハア?。南天の赤い実が大晦日の名残り雪に映える。

南天の実、数えてナンテン?。これ、一番かな。境内はたき火に甘酒サービスだ。ここで問題だ。寅に縁ある毘沙門堂、お代わり多いとどうなるか?。答え、酔っとらあ。もう一つかも。毘沙門堂の隣は不動の滝がある双林院山科聖天だ。聖天は<しょうてん>が正しいが、ここはわざと<せいてん>と読んで、曇天でも聖天?。京阪電車三井寺駅下車、疏水道を上がって、卯年生まれの守護神、三尾神社だ。何とお参りの多いことか、ミオ!?

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2011年1月 2日 (日)

元日に雪の金閣寺を見た

 

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これ!、これ!、この景色だ。金閣寺がブルーの空に雪を被って、ピカッと輝いている。これ、まさにイメージしたとおりだ。元旦の朝、大晦日の雪はやみ、太陽が出た。朝日新聞社会面、<各地で大雪、交通に乱れ>の記事になぜか雪降る金閣寺の写真が載っている。

 写真説明は~金閣寺をバックに記念撮影する観光客。31日午前11時~だ。若い女性3人が写っていて、交通の乱れの記事と関係なさそうだが、雪が降り積もり行く金閣寺、いい光景だ。もう5、6年前だろうか。暮れの全国高校駅があった朝、大津市のゴルフ場が前夜の雪で閉鎖になり、宿泊の棒仲間を誘い、白い金閣寺へ案内したのを思い出した。

 あの時も朝に太陽が出て、金閣寺が眩しかった。お雑煮、お節戴いて、山科の自宅を出た。太陽が照りだしてきた。雪が消えるまでだ。四条烏丸で乗り継いだ市バス、金閣寺前で渋滞、40分以上も。元日に観光客がどっと混むだ?。凍てついた参道をそろり行く。参拝券を兼ねる400円のお札で入ってすぐ、雪の金閣寺が見えた。薄氷が貼った池の向こう、初詣客の頭越しだ。皆さんカメラ、どこにあるのか、チーズ、チーズ…と叫んでいる?。

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2011年1月 1日 (土)

内蔵助の大石神社で晦日雪を撮る

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 朝から静かに降り積もりいく。屋根や道路や樹木が白一色になった昼過ぎ、大石神社へ行った。忠臣蔵の大石内蔵助を祀った神社だ。自宅から毛糸帽、手袋、運動靴…傘して、新雪をぎゅぎゅと踏みしめ、そろりと歩いて10分だ。参道、赤い山茶花と雪-、感動だ。

 社務所の入り口に石碑だ。昭和10年、神社建設を呼びかけた浪曲士・三世吉田奈良丸の叙勲を記念して、当時の岸大阪府知事が<耐雪梅花香>と揮豪している。碑の真ん前、梅の枝が雪を被っている。内蔵助の~時は今なり~の討ち入りと符合する雪だ。境内の狛犬は雪の帽子だ。その前に雪だるまの犬がいて、後ろの囲いにミニホースの花子がいる。

 狛犬、雪だるま犬、馬の花子-、この三つを一つにどううまく?撮るか。傘を畳んで、あっちへこっちへ、動いて撮った写真が右の一枚だ。囲われて?4年目の花子の背中に積もった雪はみえない。献灯の提灯、小さく写っている。右端の上段に一力茶屋だ。隠棲の装い、通いつめた内蔵助へのお礼返しか。それにしても♪~雪雪雪また雪よ~♪…良く降る。どういう雪なのか。粉雪、粒雪、細雪?…いや、新年を真っ白に明けさす晦日雪だ。

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