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2010年9月

2010年9月30日 (木)

京の台所、錦を撮る外国人を撮る

081085 立ち止まっては撮る。撮っては画面を確認する。大きな外国人だ。京都の台所と言われる錦小路通りを写している。よほど気にいったのか、何枚も何枚も、だ。京都大丸北側を出て、錦小路へ入り、途中で気づいて、後になり先になり、尾行する如く、ウオッチした。

 背中に大きなバッグ、右の腰にも鞄をさげている。身長1㍍90㌢近い。オレンジのシャツと半ズボンだ。カメラはニコンのデジカメ一眼レフだろうか。立ち止まる所、なかなか面白いアングルだ。写真センスがある。たこ焼き、うどん屋、おでん屋…、錦小路にはかつてなかった観光客目当てのお店が増えている。土曜の夕、下町の情緒感を狙っている。

 後ろから見て、前へ行って、待って…、そのうち撮影ぶりを撮りたくなった。半分シャッターの閉じたすし屋さん、一眼レフを構えた。丸太のような右腕を頭の上に回す。左手でカメラをしっかり固定している。いいフォームだ。閉店準備の魚屋さんのかど履き、飾り絵扇子、漬物の糠味噌樽…だ。一人かなと思ったら一眼レフを持った仲間が2人いた。みんな若いのに頭はツルっとしている。何となく目があって、右目つむり、ボンジュール!

 

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2010年9月29日 (水)

琵琶湖のブルーギルを試食する

005007 京都新聞の記者さんが<明日の朝刊、市民版に載ります>と言って、原稿執筆に会社へ上がった。京都市上京区の老人福祉施設「花友じゅらく」であった琵琶湖の外来種・ブルーギルの試食会である。どんな記事になったのか、翌朝の京都新聞、市民版から開いた。

囲みの大きな扱いになっている。~ブルーギル介護食に スープ・つみれ汁食材に加工 栄養養・食べやすさ好評~と見出しが3本も付いている。写真は前日、記者さんが試食で1点1点出て来るので、テーブルにまとめて欲しいと主催者に注文して、撮ったのが載っている。向こうに試食シーン、巧みな写真だ。しっかりした取材、いい記事になっている。

 最近は記事に署名が入る。記者さんは立川慎吾さんで、大津の滋賀本社勤務経験があって、琵琶湖の外来種にも詳しいようだ。大津勤めの関係か、知人からブルーギルの仕入れ方法のお尋ねがあり、県水産課経由で県漁連を斡旋した結果、試食会になった。主催は市原寮の森京子理事長で、ブルーギルを調理開発したのは帝国ホテルの元料理長・石川一男さんだ。臭みと小骨で不評のブルーギル。どこでどう変わったか、今や帝国ホテルの味!。

 

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2010年9月28日 (火)

福井タマヱさんの水彩画はグレー

005017 階段を上がって2階、ドアを開けた所に作者・福井タマヱさんはいた。初対面だし、作品鑑賞も初めてだ。大津市中央1のぎゃらりい古今で開催中の「グレーに魅せられて…福井タマヱ水彩画展」である。通りがかり、案内があったのを思い出して、ふらっと入った。

 ぎゃらりい古今の鑑賞者名簿からの案内だった。そう広くない会場、福井さんが魅せられたというグレーを基調にした作品が25点並んでいる。湖北の風景と静物を抽象化して、存在感のある作品に仕上げている。ひととおり見てから、どうしてグレーなんですか?と聞いてみた。<目立つことなく、静かに耐えているような、そんな色なので…>と話す。

 福井さんのプロフィルが掲示してあった。「・1940 奈良」とあり、お年は70歳で奈良県生まれのようだ。日本水彩画協会の会員さんだ。文部科学大臣賞など受賞歴がり、個展回数は25回という。長浜市浅井町で写生した「静」という作品の前に立って、<この、灰色の、湖北が好きです>と話す。画面全体がモノトーン…内湖と残雪と山だ。左端の木はハンノキで、民家もあったが、描かなかったと。洒落ると<民家は見んかった?>。

 

 

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2010年9月27日 (月)

立命、女子駅伝優勝と漁船旗

024029 応援旗が漁船の旗だ。なぜかナ?とハタと思った。25日あった第20回関西学生女子駅伝、2年ぶり10回目優勝の立命・応援旗である。会場は神戸しあわせ村運動場周回コース6区間30㌔だ。京都から初めて観戦に行った。漁船の旗は周回1・5㌔地点に出た。

 レースは佛大、立命の争いという。前回優勝の佛大がエース健在でやや有利の予想だ。立命は伝統の先手必勝、どう逃げ切るかが焦点だった。立命の漁船旗は<三十八永宝丸>と染め抜いて、鯛がはねている。ランナーにとって、さあここから!の中間点、漁船旗が目をむいている。立命の1区竹中、旗前を首位で行く。2区の1年生・伊藤もリードだ。

 勝負どころの3区に入った。6・5㌔2周だ。佛大はエースの西原、前回優勝の立役者だ。立命は全日本インカレで1万㍍優勝の田中=写真左=だ。サングラス、旗の前、跳ねるように行く。追いかける西原は焦っている。2周目、差が開いた。田中、区間新の快走だ。4区沼田=写真右=、5区藪下、アンカー岩川…逃げ切り優勝だ。何で漁船旗か、<何時、何で?>と聞いたが、どの部員もわからない。折角の優勝応援、ハタと困った。?

 ※ 後日、十倉コーチに聞くと、何年か前に夏の北海道合宿で提供受けたという。

 

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2010年9月26日 (日)

大津祭りの曳山、町家展示あり

039038 大津百町と言われた旧大津市街、どう歩いただろう。軽自動車がやっとの路地、軒を接する古い家並み…表通りから裏道へ行くと、格子戸があったり、紅ガラの塀や焼き杉の塀があったり、そんな町家が結構ある。ここでちょっと待ちや!と洒落て、町家の話に入る。

 長等商店街へ行って、電車道を渡り、県庁前の滋賀会館への帰り道だ。裏道を足任せに歩いて、陶器で作った大津祭りの曳山が展示してある町家を見つけた。旧百町の町名だと、浜町か橋本町あたりか。現在の表示は大津市中央1丁目7だ。曳山13基は植木の上、格子塀の前に特設した陳列ケースの中だ。表札をみると、的屋俊子さん、2階建てのお宅だ。

 大津祭りは400年の伝統を持つ。毎年10月第2週の土日開催で、今年は宵山9日、巡行10日だ。だんだん近づいて、JR大津駅構内はもう提灯飾り上がり、お囃子のテープも流れている。的屋さん宅の展示ケース、デジカメと一緒に覗き込んだ。湯立山、石橋山、源氏山…絵は龍や花鳥や人物や…、高さにして25㌢くらい、曳山ごとに文様が違う。手の込んだ陶器作りだ。昼下がり、道行く人はない。町家曳山、知るものぞ知る…である。

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2010年9月25日 (土)

開運そばの絵馬コレクション

021025_2 店の前で、入る?、入らない?と、躊躇していた。大津市伝統芸能会館での用件がすみ、近くの開運そばまで来ていた。円満院門跡の勅使門の真横にあり、前の職場の時からよく通っていた店だ。格子戸越し、店内から見えたのか<お久しぶりです>と、声が掛った。

 日曜の午後3時過ぎだ。昼は順番待ちする人気店だが、中途半端な時間なので客はいない。前から在職の話し好きな女性店員がお相手だ。注文、お腹具合を考えて、ざる蕎麦にして、前から聞こうと思っていた店内の絵馬飾りを話題にした。円満院さんの古い絵馬?と問いかけたら、お店のご家族、親戚の方々が全国の神社へ行って、蒐集した絵馬という。

 絵馬は店内の壁に9段掛けしてある。ええ、まあ…という訳ではなかろうが、上から上から絵馬を掛けてあり、300枚近くある。吉田神社は毎年の干支絵馬、石清水八幡はエジソンの人物絵馬、諏訪神社のお舟祭り絵馬…、一枚一枚、一見の価値ありだ。<絵馬の由来書いた絵馬も…>と女子店員さん、台に乗って探してくれたが、どこかわからない。店主は大杉さん、開店30年だ。それでお名前どおり、お客も絵馬もおおすぎさん?かな。

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2010年9月24日 (金)

高島屋の味百選に玉ひで出店

017012 玉子の黄身がドロッとお椀を覆っている。鶏肉の小さな塊りが所々、突き出ているような…。一子相伝、秘伝の味を受け継ぎ250年という鳥料理「玉ひで」の元祖、親子丼である。京都高島屋7階催し会場の第31回味百選で、東京・人形町から出張の出店だった。

 催し会場のある7階グランドホールの日本画家岩澤重夫展へ行ったおり、玉ひで出店を知った。東京勤務時代、同業仲間の会で行ったのを思い出した。昼は列、夜は予約―という東京名物の老舗店だ。あの時は確か、夜のコース料理で、鶏のすき焼きだったかなあ。親子丼は、そのうち!と思っていて、そのまま転勤になった気がする。もう10年前だ。

期間限定の味百選出店である。岩澤展見た翌日夕、大津から仕事帰りに行った。ベニヤ板仕切りの特設店、入り口で食券を買う。選択の余地なく1500円の親子丼一手だ。客多く、午後7時の閉店を延長しているという。関東大震災前の古い店の写真がみえる入り口席で待って出て来た。蓋付き黒いお椀、漬物まで蓋付きだ。レンゲで掬ってひと口ふた口…、5代目秀吉の妻とくが発案した江戸前の味という。うーん、名物にうまいもの有り。?

 

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2010年9月23日 (木)

京の川にカバ?そんなバナナ?

070077 川の中、カバがいる。そんなバナナ?と目を擦ったけど、ちゃんとしたカバだ。京近美近くの疏水から分流した白川だ。大きな顔、でっかい口を半分出して、下流から上流へスイスイと泳いでいるように見える。もう一度、昔流行ったギャグ、そんなバナナ!である。

 日本写真協会の創立60周年記念写真展へ行くおりだった。会場は京都会館東側の京都市美別館で、少し遠いけど、地下鉄東山で降りて、白川沿いを歩いていての発見だった。何でこんな所にカバが…である。また洒落て、そんなバカなである。そのまま写真展を鑑賞して、帰りにまた同じ道を通った。あのバカ、いや、あのカバは同じ所にじっといた。

 暫く見ていて、様子がわかってきた。川沿いに町家ギャラリーがあって、気鋭の彫刻家・大曽根俊輔さんが「BANANA ZOO」という展覧会を開催していた。粘土づくりのカバは<つぐみ>と名前がついていて、川の中の特別展示だった。藻は多いけど、川は浅くて清流だ。大曽根作品を見に来たファンだろうか。靴を脱いで川の中へガバガバと入って行った。写真を撮ったり、水を掛けたり、背中を擦ったり…だ。これ、どうカバーする?

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2010年9月22日 (水)

噂のラーメン店いいちょへ行く

025027  実は、これほど…とは思わなかった。お店の前、お客がたむろする如く、なのだ。食べログらーめんランキング2位という幻の味-ラーメン「いいちょ」だ。所在は地下鉄烏丸線北大路駅から鴨川渡り、東へ5~6分だ。ラーメン通のKTさんが太鼓判を押していた。

 3連休の始まり、土曜の昼下がりだ。自宅兼店舗だろうか、4階建てビルの1階だ。赤い提灯と暖簾、黄色い看板…名前を書く順番待ちの小さな台がある。人数は6人、2人、3人、2人…、何番目か数えたら18番目だ。来たからにはで、名前と1人と書いた。コンクリートブロックに腰をおろし、読みかけのPHP文庫<明智左馬助>を開いて待った。

 20分か、30分?、やっと声がかかった。カウンターとテーブル、畳み席-、20人で満員だ。<心の田を耕せ>の色紙がある。黒シャツ、白長靴の店員さん4人、お待たせ!、お待たせ!と、感じは、いいちょ?。ラーメン並600円と茶飯400円のセットで100円引きという。ここまで待ったらセットだ。カウンター上から、どうぞ!とやっと出て来た。まずはスープだ。う~ん、まろやか…。確かにこれなら、待っても、いいちょ?。

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2010年9月21日 (火)

高橋先輩との植物園での出会い

047052 あれっつ、あのお顔は、高橋さんや。会社の大先輩で、取締役でもあった高橋さんである。まだこちらに気づかれていない。中折れ帽にチョッキ、眼鏡をかけ、お一人だ。デジカメを真っ正面に構えている。暫く様子を見て、<うまく撮れましたか>と声をかけた。

 ところは府立植物園、土曜の午後である。2度目の鈴虫花探しに行った、あの日の思わぬ出会いだ。大津市坂本であったOB会で、高橋さんは補聴器-と聞いていた。そのせいか、一言でこちらを向かれた。最初は誰?という表情だったが、すぐわかってもらい<キミ、何してんのや>と、先輩らしい笑顔になった。高橋さん、油絵素材の写真撮影という。

 お年はもう82歳という。2つ下の奥さんの調子悪く、デイケア中の時間を利用して来たと話す。現役時代、名文家で座談も巧みな先輩だった。退職後は油絵を描き、確か個展も開催された。<何、撮ってるんですか>と聞いて、デジカメの先を見た。木々の間の小径、何でもない風景だ。<ここから見て、遠近感があるやろ>と言う。同じように一枚撮ってみた。確かに…である。夏は過ぎても、今も変わらぬセンスだ?。まだまだお達者で!。

※ 高橋さん、撮った写真の掲載、お許し下さい。

 

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2010年9月20日 (月)

鈴虫花リベンジ

060064 自転車で先行した案内バイトさんが<ありました。ここです>と、指し示した。探して探し抜いた植物園生態園のスズムシバナとの対面である。それまで何回も行ったり来たりして、えっつ、こんなとこ?と思う場所だった。地面に差し込んだ表示案内、間違いない。

 産経新聞にモノクロ写真で出ていたスズムシバナだ。夏から秋へ、季節の変わり目に咲き、植物園は今が見ごろで千株も…という記事だった。翌日夕方に行って、歩き回って発見できず、1週間後のリベンジだった。今回は正門の受付で、噴水付近です…と確認して行って、またわからない。こうなったら何が何でもだ。北山門まで行って、また聞いた。

 園事務所へ電話してもらい、自転車案内になった。近所に住むおばさんのバイト案内だ。噴水から100㍍西へ、生態園入り口の案内板から入って、すぐだった。薄紫の小さな花だ。5㍍四方あっち、こっちと群生している。<スズムシバナ(鈴虫花)京都府絶滅危惧種キツネノマゴ科>と表示がある。あれだけ探して、なんだ!と思う所だ。花は鈴虫が鳴く頃に咲くのでスズムシバナというらしい。自転車のおばさん、リ―ン、リーンと行った。

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2010年9月19日 (日)

朝夕、ん?の車内吊りポスター

044045朝夕、ん?と思って、ん?を見た。JRで通勤の行き帰りだ。山科から大津へ、大津から山科へ、トンネル抜けて4分だ。これほど近距離の府県境越え、ん?と思うほどだが、ここでいう<ん?>は、車内吊りポスター。遠目に近目に、ん?と思う効果的な、ん?だ。

 山科駅午前8時12分発の米原行き新快速だ。何時も通り、ホーム中央から5号車に乗って、すぐ<ん?>ポスターが目に入ってきた。多分、吊り下がった、その日の朝だろう。真ん中に赤いイチゴのデザインがあって、右側が<ん?>だ。何の広告かなと思って、良く見ると「Jコミ」と出ている。JRコミュニケーション、JRの広告会社の広告である。

ポスター広告の効果を示す自社広告だ。視力0・5なので、遠目では詳細はわからなかった。その日の夕、山科駅近くで宴会あって、早帰りのおり、間近に<ん?>をうんとみた。イチゴは何と赤とんがらしのかたまりだ。一緒にいた職場の同僚が~テントウ虫も飛んでいます~と。確かにイチゴと<ん?>の間に小さなテントウ虫がいる。これまた、何で…と思う<ん?>だ。人生の出会いも運、東北弁もウンダ!、なるほどウン、ウン?。

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2010年9月18日 (土)

待って出たサラダ麺

023025 待って15分、食べて3分だった…かな。京阪浜大津駅から電車道沿いに100㍍行って、赤と青の幟の立つうどん屋さんだ。古そうでも、新しそうでもなく、店名は<麺せい>という。うどんが美味そうな予感があって、前から一度行こうと思っていた店である。

 やっとの秋、昼休みに少し遠出して、初めて行ってみた。ガラス格子の引き戸開けて、左側のカウンター席の真ん中に座った。何うどんにするか、見上げた所にパソコンワードで作ったメニューが貼ってあり、その一つに<サラダ麺>とある。細めん、780円、新鮮野菜たっぷりーの表示だ。日々の食生活、外食多くて、やや野菜不足の意識があった。

 お店は調理の旦那さんら家族経営のようだ。店内は女性連れ客ら7、8人か。お茶が出て暫くして、奥さんか~サラダ麺、麺をゆがきますので時間かかります~と断りが入った。これぞ、ごめんなさい?だ。10分、15分…空腹時の待つ身は辛い。サラダ麺、お皿で出てきた。人参、胡瓜、レタス、キャベツ、カイワレ、海草…に細めん。待ち抜いた時間対効果?食べるのは、3分足らずだ。もっとと思うも、腹八分目は医者いらず…にじた。?

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2010年9月17日 (金)

忠臣蔵外伝、寺井玄渓の岩の夢

037038 夢にも思わなかった<夢>の石碑に出会った。浅野長矩に仕えた赤穂藩の典医、寺井玄渓が刻み込んだ一字である。玄渓は90歳で没し、建礼門院の剃髪などで知られる東山の長楽寺にお墓がある。歴史的にゆめゆめ、疎かに出来ない<夢>は近くの円山公園の中だ。

八坂神社に近い親戚の法事に1時間も勘違いしたのに気付き、時間稼ぎで坂本龍馬、中岡慎太郎像まで行った。<夢>の石碑は、その東北で、料理屋「いそべ」の庭側だった。長楽寺への苔むした階段を20段ほど上がって、左側だ。京都市が立てた、あまり上手でない書体の駒札があって、気がついた。夢石碑はガツガツして、何も言わない岩のようだ。?

立ち入り禁止の低い竹柵があるけど、駒札がよく読めないので、一歩だけそろりと内側へ入った。どうして、玄渓が<夢>の字を彫り込んだのか、わかった。駒札によると、京都まで内蔵助を追いかけ、討ち入りを志願したが、老体と医師なので認められなかった。後に顔なじみの多くの人たちが切腹させられたことを知り、人生は夢であり、有為転変極まりなきを感じ、近くの岩に<夢>を彫り込んだという。これ、隠れた忠臣蔵名所なり。

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2010年9月16日 (木)

新聞で読んだスズムシバナ何処?

001109 行きはよいよい、帰りは…だった。産経新聞のウイークエンドガイドに府立植物園のことが出ていた。白黒だけど写真付きで<ひとときの涼をもたらすスズムシバナ見ごろ>との案内記事だ。親戚の法事があった土曜の夕方、終わってから黒ネクタイ外し、即行った。

 何時も行く植物園である。わりに安易に思っていた。北山門でボランティア案内さんに産経に出ていたスズムシバナは?と聞いた。生態植物園の中だという。園内地図でこの辺と思うんですが…と自信なさそうだ。新聞によれば、紫色の涼しげな花で、鈴虫の鳴き出す秋先に咲きだし、植物園では千株植わっていて9月下旬まで楽しめると書いてあった。

 デジカメ手に持って、生態園へ入った。春夏秋冬で7千種の草花が咲くという。道細く、日本の森そのままの自然だ。スズムシ、スズムシ…地面の草花案内札見て、あっちへ行き、こっちへ戻り…途中で観賞者にも聞き…、わからない。万歩計で4、5千歩は行き来して、閉園のマイク通告があり諦めた。帰り口近く観覧温室の前を通って夏の花、カンナがもう萎れて咲いている。行きはよいよい、帰りは…、スズムシバナもカンナも、アカンかった。?

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2010年9月15日 (水)

南禅寺の巨石句碑に涼風あり

009

006「この門を 入れば涼風 おのづから」…、9月に入って、涼風恋しで、何度か門を潜った。涼風はどうかな?おのずからかな?…、いや、暑い、暑い。まだまだムシムシ熱風だ。修行が足りん!渇!と、言われても…だ。南禅寺の中門入り、三門前にある句碑である。

 佐賀県伊万里市にある臨済宗円通寺の住職、森永湛堂氏の作品だ。高浜虚子に師事したホトトギス派の俳人、九州では俳句の重鎮という。春夏秋冬…散策兼ね、地下鉄蹴上を降り、南禅寺境内へ行く。金地院を通って、何時も研修道場の月替わりの一句を読む。この9月は<一大事と申すは 今日只今の心也 それを疎かにして 翌日のある事なし>だ。

 明日のことより、今を大事にせよ―の教えだ。何時もながら感服つかまつって、境内へ入る。森永老師自筆の句がある巨石は重さ15㌧という。立て札に熊本県の奥球磨白髪岳から運ばれて来たと書いてある。奥球磨には熊がいそうだし、白髪岳には仙人が棲んでいそうだ。山また山?どんなところだろう。句は森永師が総本山南禅寺に来たおり、詠んだという。建立は昭和51年秋だ。ずっと見ていて、涼風の秋思いつつ、飽きの来ない句だ。?

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2010年9月14日 (火)

画・梶原緋佐子、文・宮川匡司ー「赤前掛」

017025 <店で働く若い女が入り口に腰をかけている。…赤い前掛けはよれ、髪はほつれている。おそらく店じまい後の情景だろう…>京都市美の企画展の会場入り口に日経の切り抜き記事が読み台にして立てかけてあった。囲み記事「美術逍遥」で、絵より先に唸って読んだ。

 文化担当、宮川匡司記者の署名入りだ。「京の閨秀・女流・女性画家」展に展示中の梶原緋佐子作の<赤前掛>を書いている。緋佐子は京都市内の造り酒屋の二女、生涯女性を描き続きた大正期からの画家だ。宮川記者は<このとき緋佐子は20歳前後。…長い画業の出発点には…生身の女の、ため息まで写し取ろうとするリアリズムが…>と紹介している。

悩みを綴った歌集も。「朱を溶けど臙脂(えんし)を溶けど吾がおもふあかきは 胸の血汐のほかに」-、どの絵具でも思う色が出せない。私の胸の中には血のような色が燃え立っているのに。20代後半に出した歌集の一つだ。入館料500円で入った。梶原緋佐子の<赤前掛>は第4室だった。<左手をつき口を開けた女の顔はうつろで、疲れがにじみ出ている。張りつめて働いた後に女を襲った虚脱の瞬間が…>、誠に画も文も巧みだった。

※ 「京の閨秀・女流・女性画家」展は京都市美のシリーズ企画展の一つで、9月5日に閉幕した。

 

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2010年9月13日 (月)

宮崎さん、鶴房さん、お幾つですか?

030019元気なお年寄りにお会いすると、ついつい、お年を聞いてしまう。写真のお二人、右側は染織の宮崎芳郎さん、左側は洋画の鶴房健蔵さんだ。テレビなら、さて、ここでクエスチョンである。~このお二人、年齢はお幾つでしょうか?~と。答えは、何とまあ……だ。

 お二人、滋賀近代美術館の<色と墨のいざない~出光美術館コレクション>展の内覧会で会った。展示会場内、フットワーク軽く、熱心な鑑賞ぶり。最初にご挨拶兼ねて、お声がけして、2階の喫茶コーナーで席が同じになった。前にも聞いているのに、また<宮崎さん、お幾つです>と尋ねた。日展会員の宮崎さん、にこやかに<ハイ、88歳です>と。

 工房兼自宅が堅田で、JR湖西線と琵琶湖線を乗り継ぎ、瀬田駅かららバスで来たという。前に座った鶴房さんは近江八幡市にお住まいで、日展系の光風会の大御所だ。鶴房さんにも<お幾つですか>とずばり聞くと<77歳です>と言う。答えは88と77である。向かい合うお二人の語らい、お寺の掲示で見た仏画カレンダー=写真右=の如くだ。人生、一言多かったか、足りなかったか…と。戸籍上でなく、現に元気なお年寄り、ここにあり。

 ※ 宮崎さん、鶴房さん、勝手に写真撮って、すみません。

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2010年9月12日 (日)

てっぺんとケンちゃんのはしご

040051 居酒屋「てっぺん」と「ケンちゃんらーめん」をはしごした。二店は一軒おいて隣り合っていて、どちらも初入店だ。JR山科駅前の旧三条通り(旧東海道)である。「てっぺん」も「ケンちゃん」も1年内の祝!新装開店で、前々から行こうと思っていた噂の店だ。

 一軒おいて、の一軒は、居酒屋「山小屋」で、まあ古い店だ。ラーメンの「ケンちゃん」は焼き鶏の「かなざわ」があった跡で、姉妹店のようだ。人気の「かなざわ」は二軒西隣りの広い所へ移動だ。外環へ南下のバス通りから東へ20㍍内に「得得カレー」とパンの「パンプキン」と、この間は「山科ぎょうざ」まで登場し、JR山科界隈は新店が続々だ。

 行く度、満員だった「てっぺん」は、豚サラダと大根サラダを注文した。てっぺんと名のつくサラダ、一人では食べきれないと言うので、次回にした。山科京極にあった「安加郎」のリニュアル店で、愛想もよく、カウンターの一人席で◎だ。ワインとサラダで勢いつけ、お隣の「ケンちゃん」へ。何で元祖ケンちゃんらーめん?聞くと、「かなざわ」のオーナーの名前がケンちゃん…。初入店2軒、てっぺん極め、けんちゃん!待ってて頂戴な!。

 

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2010年9月11日 (土)

湯川秀樹さんの歌碑、かくやあ××

016014 梨木神社の境内に湯川秀樹さんの歌碑がある。梨の木神社と言えば秋に草冠の萩、湯川さんと言えば日本人初のノーベル賞である。府立医大病院へ定期診断に行った帰り、すぐ近くなので、よく境内を散歩する。この間も、この酷暑に萩はどんな具合なのか、行った。

 境内の萩は、36(サブロク)の?かぶるように広がり、6百株近くとか。36のカブの9百株にはまだだ。理解してもらえたかな。萩まつりは9月の敬老の日の頃だ。参道から本殿へ、咲き乱れる萩の枝に短冊が括りつけられる。湯川さんの自宅は、梨木神社に近い荒神口にあった。境内北東の京極小学校の出身で、神社短歌の会の初代会長だった。

 歌碑は二つ目の石鳥居をくぐり、東側だ。湯川さんがノーベル賞を受賞して13年後の萩まつりのおりの建立だ。台座付きの石碑、黒い銅版が嵌め込んである。右下に秀樹の落款だ。どう詠んであるか、近くへ寄った。<千年の 昔の園も かくやあ×× 木の下かげに 乱れ咲く萩>だ。かくやあ××の漢字が読めない。恥ずかしいけど、社務所へ行った。答え1発、××は里志で、<かくやあ里志>だった。湯川さんの歌碑、かくやありし。?

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2010年9月10日 (金)

菊水湯で聞こえてくるもの

048045 <頭がふらっとするんよ><そら、あかん><血圧が低うてね、ようあるんよ><あかん、あかん、お医者さんにみてもらわんと>…、京都東山の銭湯・菊水湯である。女子の脱衣場、仕切りの向こうだ。湯船から上がった近所のおばちゃん同士か。顔はみえない。

 しわがれた声だ。大きくて、聞かずして聞こえてくる。身体の話、一段落して、プロ野球だ。<今日負けたら3連敗よ。お父ちゃん、機嫌悪うて>と言う。対中日戦、巨人は前日も42歳の山本昌に完封負けしている。ご主人は巨人ファンなのだ。汗が頭から吹き出る日曜の午後、京都市美の企画展を見ての帰り。ぶらりと、思いついて飛び込んだ銭湯だ。

 住居を兼ねている。<ゆ>の暖簾にパア~ン、パア~ンと音がしそうな花火が描いてある。入り口は自動ドアだ。三条通りの古川町商店街の裏通り。自転車を押して歩いていたおばちゃんに聞いて行った。タオル借りて520円…気泡風呂にサウナに入り、水シャワーで仕上げて、脱衣場へ出て聞こえてき隣の会話だ。最後は<今晩は焼き茄子にするんよ。ほな、田中はん、さいなら。気いつけや>…、昼の菊の湯、おばちゃん会話に生活浮かぶ。

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2010年9月 9日 (木)

琵琶湖文化館に吉井勇の歌碑

018020 歌人吉井勇は、琵琶湖文化館のことをこう詠んでいる。~うつしよの 夢をうつつに みせしめぬ 琵琶湖のうへに 浮かぶ美の城~と。国宝・重文多数を所蔵、開館から半世紀が立つ琵琶湖文化館、今は休館中である。吉井勇の歌碑、湖岸の会館前にかいなく?ある。

 県庁前から京阪石坂線を越え、湖岸を出てすぐだ。工費100億円で建った滋賀県警本部の新庁舎の真ん前だ。開館当時、複眼をサーチライトの如く光らせたトンボが天主にいる。湖に突き出て、別称・浮城と言われた。源氏物語の紫式部が父の赴任地、武生へ舟で旅立った打出の浜だ。会館脇には、明智左馬助が愛馬と泳ぎ渡った湖水渡之処の碑も立つ。

 近くの大津勤労福祉センターで近江歴史回廊大学の閉講式があって、通りがかった。湖水の中の歌碑は、鳩の糞で台座が白く汚れ、台無しだ。洒落る場面でないけど、◎だ。文化館の学芸員さん、どう詠まれているか、鉄柵にパネルをぶら下げ説明している。行き届いた配慮だ。そうでないと、碑はヒーヒーして読めない。これ△かな。歌碑設置は昭和35年の開館時で、明治生まれの吉井さん晩年の作品だ。文化館復活、夢をうつつに…を思う。

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2010年9月 8日 (水)

鶏せいろうどんは一石二鳥

058055 撮って、食べて…、見本写真と比べて…どうかなあ。JR山科駅前ラクト4階のレストラン街のうどん屋さんの店先だ。<夏限定-この時季、当店の人気商品 鶏せいろ>の大きな写真入り看板が出ている。注文はこれ!看板の写真と本物とは、どうかな?と入った。

 お店はうどんの<う>と経営者の名前に権の一字をつけて、<う権>というらしい。支払いのおり、どう読むと聞くと、~お客さんは、うけんと言わはるけど、正しくはうこんです~と言う。それは、いけん!。それはそれとして、780円の鶏せいろである。デジカメ用意、いまや遅しと待って、出てきた。席にもメニュー写真があって、重ねて撮った。

 醤油色のお汁にねぎがたっぷり。底の深いお鉢、薄いブルーの柄-、器まで全く一緒だ。鶏肉は本物の方が大きく見える。ざるのうどん、刻み海苔の乗り方もそっくりだ。海苔と乗り方、洒落たわけではない。メニューに<器、盛り付け仕方、写真と異なる場合がございます>と断ってあるけど、どうして、どうして…だ。ざるのうどん、冷たい。温かいお汁、口の中で微妙な味わいだ。一石二せいろ、デジカメ撮りで、みんなトリだった。

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2010年9月 7日 (火)

大津駅に復活デビューのおおつ光ルくん

008007 JR大津駅におおつ光ル君人形が登場した。琵琶湖側の改札東口にあるみどりの窓口の中だ。衣冠装束を付けた光ルくん、歌を詠む光ルくん、ローラ-スケートで遊ぶ光ルくん…一挙に3体だ。さすが県都大津の、大津駅の、おおつ光ルくん、まさにオオッ!…だ。

光ルくんは、頭が薄くて光ルのではない。源氏物語の主役、光源氏の光ルくんである。才女・紫式部が1000年前に石山寺で書いたという、あまたの女御にモテモテの光ルくんだ。大津市の千年紀実行委員会が公募で選んだ2年前からのキャラクター。遊び盛りの12歳の設定という。ふっくら顔で、おでこ広く、目と鼻は小さく…、今風にカワユ~イ。

毎朝、通勤の行き帰り、ガラス越しに見る。千年紀が終わって、実行委が解散して、光ルくんの管理は大津市に移ったーと聞いていた。何時までも人気のひこにゃんに比べ、何処へいったか?光ルくだった。駅玄関の復活デビュー、窓口の駅員さんに何時頃からと、聞くと、8月6日のびわ湖花火の時からだという。念のため、光ルくんって、知ってる?と質問したら、若い女性の駅員さん、???だ。光源氏の光ルくん、何時また光るのかな。

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2010年9月 6日 (月)

発泡スチロールで琵琶湖の底を見た。

042038 日本一大きな琵琶湖、ぐるっぐるっと回った。ひと回りすれば、箱根駅伝の東京-芦ノ湖往復と同じ240㌔だ。湖南から全体を俯瞰して北へあがり、西から東へ…何周も何周も回った。琵琶湖博物館がいま、開催中の企画展で作った発泡スチロールの琵琶湖である。

 琵琶湖を2万分の1に縮尺、畳みにして4畳分の大きさだという。近畿300万人分という水を干上がらせて、琵琶湖の底を丸裸にしている。琵琶湖ホテルのハン六文化振興財団の学術賞などの贈賞式で、名刺交換した琵琶湖博物館の篠原徹館長に企画展の見所を聞くと~琵琶湖の底です。初めての公開です~とのことで、話そこそこに?行って見たのだ。

今年で18回目の企画展で、タイトルは「湖底探検~びわ湖の底はどんな世界?~」と出ていた。入場料は大人200円、企画展示室を入って、琵琶湖の底は、すぐそこにあった。発泡スチロール製、演歌になりそうな白い、白い琵琶湖だ。もう半世紀近く前、国土地理院が1㍍間隔で8年かけて測定した湖沼図を基にしているという。最深は今津沖の104㍍、浅い所は南湖の4㍍だ。湖底からの沖島、竹生島、沖の白石…こっていと見た。?

 ※ 「湖底探検~びわ湖の底はどんな世界?~」は11月23日まで開催。会場へはJR草津駅西口からバス。

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2010年9月 5日 (日)

京阪京津線の大谷下車

017012 かつて深い谷間道だったので<大谷>だという。水色車体の京阪京津線に乗り、山科駅から三つ目、四ノ宮、追分の次が大谷駅だ。8月最後の日曜の朝、浜大津の琵琶湖ホテルのお祝い会には時間が早く、散策を兼ねて、ICOCAタッチで無人駅に途中下車した。

 改札を出て、地名由来の大谷=谷間道と書いた立て札の前の道は、旧東海道である。すぐ近く、鈴鹿、不破と並ぶ三関の一つ、逢坂の関だ。蝉丸神社、50段ほどの急な階段を上がった。ジ~ンジ~ン、ジジジ…蝉丸神社の蝉、どこかセミセミと鳴いている?。人っ子ひとりいない能舞台と本殿。音曲芸能の祖神、盲目の琵琶法師だった蝉丸を祀ってある。

再び旧東海道へ降りた。鰻屋さんが2軒だ。東側に日本一のかねよさん、道路を挟んで和と洋の店がある。もう鰻を焼き始めている。写真のとおり、香ばしい匂い付きの煙がもうもうと出てきた。西側は大谷茶屋だ。線路脇に縦に長い看板を上げている。~これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関~小倉百人一首にある蝉丸の有名な句だ。歩道橋から写真撮って、散策記念に一句。~大谷で 蝉と鰻の コラボかな~

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2010年9月 4日 (土)

復刻のビーフカレーは都ホテル

004007 どう読むのか、店名は横文字で<MAYFAIR>という。JR京都駅地下東口の改札を出てすぐだ。店内は喫煙と禁煙席がはっきりしていて、カウンターはよほど長い足でないと、床に届かないのに…届く。エッヘン!と気に入っている。1人で入って寛げる店だ。

 軽食フードでハヤシライス、オムライスのセットだと、野菜サラダとコーヒー付き、千円でお釣りが出る。ついこの間、ウインドウで復刻メニューのビーフカレーライスを見て、入店した。確か3度目だ。黄色のライスと茶色のルーが真ん中で半分ずつ、まるで阪神タイガース…。肉片は大きな塊が3つか4つ…、これに福新漬けが上に乗って、いい味だ。

 どう復刻なのか、食べ終わった頃、女店員さんに問いかけた。~蹴上にあるウエスティン都ホテルの出店で、近鉄経営だった都ホテルが百年前にあったメニューで、その時のビーフシチューも復刻している~と。黄色いお米は?、サフランライスで、ついでに聞いた店名の<MAYFAIR>は、メイフェア…と発音すると。欧州の通り名とかで、おじさんらしく、それはどこ?と、しつこく尋ねたが、そこまでは店員さんも復刻せずだった。?

 

 

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2010年9月 3日 (金)

府県境に建つ追分の家を見る

047051 家の中、半分は大津市、半分は京都市だという。そんな妙な家があるのを近江歴史回廊大学・実践講座で知って、大体の所在を聞いて見に行った。京阪京津線追分駅で降り、地下道で国道1号を渡り、旧東海道を北東へ10分歩いた所に2階建ての、その家はあった。

家の前の道標が目印だった。地下道出て、最初は反対に歩いたので、道標がわからず、どうひょうか?と思案して、近くで畑作業中のご夫婦に聞きに行った。実践講座でもらった道標の写真を見せると、それならそこだと言う。喋っているうち、奥さんは実践講座で研究発表したSTさんのお姉さんとわかった。合縁奇縁?、ヘエッ、イエイ!イエイだ。?

坂道上がって、写真のとおりの道標があった。高さ1㍍少し、「みぎハ京のみち ひだりハ~」と出ている。右は三条、左は伏見・宇治方面だ。国道1号の抜け道で、車がよく通る。実践講座で固定資産税、大津市か京都市かどっちが高い?と話題になった家は、道標の後ろ、道路の真ん中だ。大津市側にある表札のお名前はKKさん。ピンポンと鳴らして、境目はどんな具合いですか?と尋ねようかとも思ったが、イエイエ…それはなりませぬ。?

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2010年9月 2日 (木)

イベリコとは?情熱とは?

054043 イベリコ??…立ち止まって、呼び込みの店員さんに聞く。スペイン原産の黒豚だという。JR京都駅八条口側のイオンモールKYOTO4階のレストラン街だ。イベリコ、聞いたような気もするが、食べたことはない。何事も経験、イベリコとは何ぞや!で入った。

大津から京都へ、夜8時を回っていた。得意のJR京都伊勢丹は閉まっている。イオンモールは5月の開店以来行っていない。午後10時までという4階へ上がった。一日の終わりか、広いフロアはガランとしていて、イベリコと出会った。店の前、看板にポスターに、それはもうイベリコ、イベリコだ。スペインの草原か、よく太った黒豚の写真もある。

お店はイベリコや福人と出ている。うどんと豚の組み合わせにコロッケなど1品数々、みなイベリコだ。<イベリコ情熱うどん780円>が目に入り、情熱とは何ぞや!で頼んだ。女店員さん、触ったら火傷しそうな器をカウンター席まで運んで来た。イベリコ豚をジュウジュウいわし、ポットから出汁を入れ、細麺うどんだ。小皿に移すと、出汁が脂ぎらぎら…これが情熱だった。霜ふり寿司も1貫200円、試して合点!イベリコ味だった。

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2010年9月 1日 (水)

没後200年の上田秋成坐像

003001 眉間に皺、目尻に小皺…、眼鼻立ちはくっきり…、江戸時代に怪異小説「雨月物語」を書いた上田秋成の坐像だ。頭はもうスルッとして、下顎はしゃくっているけど、お顔全体は真ん丸である。両手を着物の裾に入れて、世の中を達観したかの如く、正座している。

 京都国立博物館で開催した上田秋成の没後200年記念展である。秋成坐像は南禅寺境内の西福寺所蔵で、初代高橋道八作という。京焼の陶像で、秋成が亡くなる6年前、70歳頃の風貌を写しとった、極めて本人にそっくりな像らしい。会期後半、8月第4週の日曜午後に行った。七条通りの博物館入り口、展覧会看板の秋成坐像を撮ってから入った。

 横長の看板、秋成メモリーだ。雨月物語巻之1-白峯の書き出し部分、交遊のあった円山応挙の鯉図、伊藤若沖の鶏頭と蟷螂図もだが、やはり本人像が目立つ。坐像の展示は何処かな?と会場入り、何とイの一番にあった。ガラスケースの中、それがまた何と小さい。今、撮ってきた看板の大写しとはまるで違う。展示ケース説明は、高さ18・6㌢という。おでこをくっつけるように見た。小さくとも看板どおりだ。秋成さ~ん、いつから秋成!?。

 

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