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2010年4月

2010年4月30日 (金)

東京スカイツリーは雨雲の中

高い、高い東京スカイツリー、どんなに高いのだろう。2011年冬に完成、世界一の643㍍になるという。2、3週間前の報道だったか、建設中に高さ333㍍、日本一の東京タワーを抜いたーと出ていた。百聞は一見に如かず、お上りさん気分で見に行った。

 東京メトロ銀座線で4丁目の銀座駅から終点の浅草駅まで乗った。東京の知人に<墨田区押上で隅田川沿いなら何処からでも見える>と聞いていた。屋根より高い鯉のぼりより高い東京スカイツリーだけど、生憎の雨だ。朝に行った浜松町の世界貿易センタービル40階の展望台。東方面イイストと言うので、目を凝らしたが、曇ったこと曇っていた。?

 浅草駅の東1番出口を上がった。晴れたらいいのに、雨はやまない。隅田川の吾妻橋へ出た。高速道路の向こう、白い雲の中、とうとう塔が見えた。アイボリーの色調、三角形の足元…ずんずんずんずん、青いお空でなく、雲また雲の雨のお空に伸びている。一番上は東京タワーを超したというから350㍍ぐらいだろうか。完成したら第一展望台付近だ。時折、雲が動いて、てっぺんのクレーンが2基見える。雲よ!もっとのいてクレーン。??

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2010年4月29日 (木)

移転しても支那麺はしご

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 東京行、新幹線に乗った時から決めていた。支那麺はしごの坦々麺だ。去年は2泊3日、行った昼と帰りの夕と2度行った。あの味、忘れられない東京の味になってしまった。喉でぐっと辛くなるスープ、スルスルと入る細い麺、白ご飯に細切り沢庵、舌が覚えている。

 去年から銀座店が移転するのは知っていた。前日、ネットでどこへ変わったか調べ、念を入れて電話までして確認しておいた。JR山手線有楽町で降り、雨の中を数寄屋橋方面から電通通りを歩いた。前にあった東芝パルミの裏道からみゆき通りを入った所、案内どおりだった。店の看板、漢字の<橋悟>は上、平仮名<はしご>ははしっこ?に出ていた。

 はしっこ?駄洒落、今一つや。わかっているけど、洒落ねばならない。行かねばならない。店前のメニュー案内で、千円の太肉坦々麺に決めた。太肉坦々は<だあろうだんだん>と読む。一日以上煮た豚入りだ。だれが食べても<だあろう>なのだ。店内はコの字型カウンター20席、前と同じだ。昼時間はまだなのに空き席は1つしかない。相変わらず人気だ。スープ、ひと口ふた口み口…、辛さがだんだん増す。さすがに坦々、だんだんだ。?

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2010年4月28日 (水)

御名残公演の歌舞伎座

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そうか、お別れか!、さよなら公演が続く歌舞伎座へ行った。雨がそぼ降る寒い日だった。JR山手線有楽町駅から♪~銀座、銀座、銀座~♪と歩いて12、3分だ。赤い提灯と赤い幟が出ている。<御名残-四月大歌舞伎>。いやさあ!、おなごり惜しうゴザンス。

歌舞伎座正面の右側に閉場までの残暦表示がある。28日千秋楽、30日閉場式へ、<あと9日>だ。瓦屋根と白い壁、幟に役者の絵看板。東京のど真ん中で、江戸の風情を醸す建物が3年後に29階建てビルに変わる。傘の柄を左手に持ち替え、デジカメ取り出して見納め撮影だ。正面から右手1本、手振れ防止装置付きだ。雨中の歌舞伎座が写った。

さよなら公演16ヶ月、大入り続きという。この日も連獅子、寺子屋、三人吉三、藤娘、助六…、朝と昼と夜とみんな売り切れだ。一幕見席はどうだろう。一幕だけ、一寸の時間に低料金で4階席から見物する芝居ツーの席だ。ツー、二人どころではない。ワンさと人が列を作っている。最後尾の立札看板の所へ行った。聞くと午後3時からの寺子屋待ちという。幸四郎、玉三郎、勘三郎…人気役者ずらり。あと2時間半、これは成駒ったヤだ。?

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2010年4月27日 (火)

東京タワーを見る展望台

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 見えた、見えた、東京タワーが真っ正面に見えた。高さ333㍍、鉄骨の赤い塔が増上寺の庭園を足場にして建っているみたいだ。タワーの左後ろは六本木ヒルズ、右側は東京ミッドタウンに新宿パークタワーだ。高層のビルまたビル、見ていて足元がビルブルする。

 浜松町の世界貿易センタービル展望フロアだ。JR山手線の浜松町駅の改札を出て、右へ右へ3分で行ける。展望フロアは40階、高さ152㍍だ。東京タワーの第一展望台と高さが同じという。東京タワーが見える展望台、これが売りだ。東京勤務時代、あそこ穴場やでと、良く自慢した。暫くのご無沙汰である。新幹線品川駅で降りて、久々に行った。

入り口、イメージが一新している。横文字で<SEASIDE TOP>だ。4つ折りパンフのコピーは<都市と海が広がる天空回廊>だ。高齢者割引の展望料金500円で、スルスルと40階へ。視界は皇居、お台場、隅田川…、それにドンと東京タワーである。東京丸ごと360度だ。展望ゆったり、居心地はいい。案内嬢に聞くと、貿易ビル創立40年記念で、3月にリニューアルした。入場者は変わらず一日百人と。まだ穴場健在だ。

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2010年4月26日 (月)

滋賀会館の鳩フン前

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誰が名づけたか、<鳩フン前>という。大津市の県庁前にある滋賀会館南館4階の空き部屋の名前だ。3月末、滋賀会館の放課後というイベントがあり、事務局になった部屋でもある。今も小さな木札が下がり、部屋の表示は写真の通り、色つきの<鳩フン前>だ。

 なんで鳩フン前?かと言うと、これも右の写真のとおりだ。要は部屋の向かい側、大ホールの壁面に鳩の糞があるからだ。洒落るなら<なるほど、ふ~ん>だ。会館に巣くった鳩が溜めに溜めたフンで、形がなんとも面白い。真ん中が凹んで馬蹄形みたいだし、山が二つあるようだし、色々と想像できるフンだ。糞二つ、もう1度、洒落て<ふふ~ん>だ。?

 雨が降ったこの間、会館職員4人がガラス越しに3階から鳩フンを見上げた。何時も2羽いる鳩のうち1羽が、糞の上、3㍍ほどの所に突き出ている金の棒に止まっている。<何時から溜めた糞やろか><2年や3年どころやないなあ、親代々の糞やないか><会館が出来て56年、歴史の糞やなあ>…、糞に心を寄せる職員、忙中閑ありで、感慨深い。鳩、見られて、はっと気づいて、ふ~んとお尻をあげた。上から糞にポトリ、ポトリ…。

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2010年4月25日 (日)

山形は「米鶴」の蔵元さんと杜氏さん

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015 杜氏さんが酒を口にふくんで言う。ぐいと飲みきって「うん、これ、うまいっス」と、目までつむっている。隣りに座る蔵元も「うんだ、うまいっス」と合わす。山形県高畠町の酒蔵「米鶴」の蔵元・梅津陽一郎さん=写真左=と杜氏の須貝智さん=同右=である。

 京都四条室町近くであったお酒を楽しむ会だ。「米鶴」はヨネツルと読み、米作りから酒造りまで、250年の老舗蔵だ。蔵元の梅津社長は12代目だ。酒仲間の会議が関西であり、その流れで毎年京都へ来る。「米鶴」のお酒数々、宅急便で会場に届いている。飲み会、最初から最高の大吟・米鶴だ。杜氏歴15年の須貝さんが「最近にない出来でっス」と。

 低温発酵させた醪(もろみ)を木綿の袋にいれ、ポトリポトリ滴らせる酒という。そんな面倒なこと避けたいと思うだ。720㍑瓶4千円という。兵庫県生まれの酒米・山田錦の精米歩合35㌫だ。~まろやかだ、ふくらみがある、しっとり落ち着く~と酒席の評価も高い。盗み吟醸、まほろば、亀酔…、色んな銘柄が出て、一番最後に杜氏さん手造りの大吟の梅酒が出た。酒は下戸でも上戸でもなく、中戸?だが、これは、真からうめっス。

  杜氏の須貝さんのお名前は智さんなのに勇さんと間違っていましたので、訂正して再投稿しました。須貝さん、すみませんでした。

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2010年4月24日 (土)

 京漬物寿司点心の美

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 うどんか、どんぶりか、点心か-、同じ京漬物の食事メニューでも格差がある気がする。ここはビューティフル、より京都情緒らしく寿司点心だ。JR京都駅地下1階、味わい処西利のザ・キューブ店だ。三省堂書店と隣り合って、3月から場所を移って来たという。

 本屋をぶらり、出て来たら西利のからし色の暖簾が下っている。下半分が見えて、丸テーブルに男性が一人座り本を読んでいる。京都では大安と並ぶ大手の漬物屋さん。雰囲気がありそうなので入ってみた。隣りの男性、食事すんだのか、日本酒をちびりちびりだ。観光帰りか、女性も来て、10人掛けの円卓に客3人だ。女性は京漬物てんぷらうどんだ。

 日本酒はきついので、やや癖になっているワインで寿司点心だ。皿盛り、なんとも彩りが素晴らしい。茄子の紫、蕪の赤、白菜の黄色、菜の花の緑、胡瓜の赤紫、大根と千枚つけの白…、白みそのお椀は湯葉入り。もう一つの皿、千枚つけのサーモン巻きにゴボウだ。立ちあがって写真を撮った。円卓の二人、見ない振りして見ている。どうです!綺麗でしょう。一つ一つ惜しむが如く…だ。味より美、ワインは白。寿司点心には赤ではあかん?!。

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2010年4月23日 (金)

JR大津駅前の琵琶湖が見える彫刻

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思わず、アナッ?と思うほど、見通しの良い穴だ。JR大津駅前のロータリー、歩道のところの三角地点にある石の現代彫刻だ。高さは3㍍、横は

1㍍、幅も厚い。形?どういうのか、縦長の四角で、支えの軸があって、ポストみたいで、中央にギザギザの穴がある。

 ずっと前から気になっていて、何時?、誰が?と彫刻を点検してみた。台座のところの草むらをよけると、黒御影石が出てきた。<空圧Ⅶ 西尾矩昌 1972・10>-、作品名、作者、制作年が掘り込まれている。そうか、もう34年も前の作品か。デジカメ構え、穴を覗き込んだ。真ん前は駅前の30㍍道路、まっすぐまっすぐ、琵琶湖が見える。

 距離にして、どれくらいだろう。大津地裁から京町3丁目交差点、さらに大津別院、京阪石坂線の踏み切りを越えて、琵琶湖だ。びわ湖花火のおりは歩行者天国で、歩道に屋台が出て、人また人で埋まる。湖岸まで徒歩10分以上かな。覗いたのは、春爛漫の良く晴れた日だった。ネット検索によると、西尾さんは信楽在住の陶芸家さん。今63歳なので、29歳の時の制作だ。作品がなんで<空圧Ⅶ>か、♪~それは秘密、秘密の西尾さん~♪

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2010年4月22日 (木)

西郷隆盛の肖像は合成だった

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 薩摩の英雄・西郷隆盛の肖像は実は存在しない。実はこれ、実話だという。洒落ている場合ではない。上野公園の愛犬を連れた西郷さん、あれは何なのだか。実は?、あれは合成の肖像だそうだ。JR京都駅の空中径路で開催中の<幕末に活きた人物伝>でわかった。

 人物伝パネルのNO86は西郷従道(1843~190)と大山巌(1842~1916)は2人1枚で、<西郷隆盛のモデルになった親族>となっている。従道は弟、大山巌は従兄である。従道は明治になって山県有朋らと欧州視察、内閣制度が発足して海軍大臣など要職に就いており、大山は陸軍創設に貢献、日清・日露戦争の勝利に貢献している。

隆盛(1827~1877)は、明治維新を成し遂げ、征韓論で下野し、西南戦争を起こし、城山で自刃する。天を敬い人を愛す<敬天愛人>という言葉を好み、人望厚い人柄を象徴する言葉だったという。幕末に活躍した人物は坂本龍馬らのように肖像写真が残っているが、隆盛はどうしてもなく、お雇い外国人で来日していたイタリアの版画家、キヨッソーネが従道の顔つきと大山の身体つきを合成して仕上げたらしい。これ、幕末の実話。

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2010年4月21日 (水)

サッカー、松井大輔選手が著書で父を語る

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 子が親を話し、父が子を思って語る。いいもんである。サッカー日本代表候補の松井大輔(29)とその父、一雄(64)である。今、PHP研究所から<松井大輔 独破力>という新書が出た。京都駅のふたば書房で買って、読み終えた頃、父親から電話があった。

 父親の松井君は大学陸上部の後輩だ。大学で一緒の4年間ではなかったが、何かと相談相手になっていたので親しい。松井君のお父さんは易者さん、松井君は修行して古道具を売買する鑑札免許をとり、今は骨董屋さんだ。娘さん2人、大輔君は一番下の一人息子だ。お父さんの競技歴に比べ、失礼ながらトンビが鷹である。今や日の丸を背負う選手なのだ。

 <親父のこと、随分喋っているねえ。嬉しいだろう>と切り出した。著書の中で、大輔君は父親あっての自分を語り「人のためにやれ」という父の言葉が今、よくわかるという。<滅多に京都へ帰ってこないんですが、言っていたこと覚えてくれて…>と素直に喜ぶ。京都山科の少年時代、鹿児島実業、京都サンガからフランスへ。W杯の南アフリカ大会日本代表選考はすぐそこだ。大輔君、エピローグで言う。~W杯で恩返しをしたい~と。

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2010年4月20日 (火)

加茂茄子西京味噌ステーキ

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満腹感あり、充足感あり…であっても、値段と見合うかどうか…である。この間の夜、京都・四条河原町北東のコトクロス7階、レストラン「響」へ行った。所用で繁華街まで出てきて、帰りにぶらっと入った。こちらから、一人ですが?と断って、案内をこうた。

昼食バイキングで入店しているが、夜は初めてだ。一人席はないんですが…と窓際の4人掛けテーブルに導かれた。カラスの向こうは高島屋と閉店が決まっている阪急だ。眺めよしで、昼は絶景ランチもあるという。一人の晩御飯だし、そう値段のはるものは…と、850円の加茂茄子西京味噌ステーキを注文、手持ち無沙汰なので白ワインを追加した。

やや待って、若筍のお汁と山菜おひたしが出た。お通し?いい味だ。茄子のステーキ、鉄板に乗って、ジュジュッと来た。お切りしますと言う。縦横に8個切りだ。味噌が効いて、アツアツだ。ゆっくり、1個ずつ丁寧に食べても茄子は茄子でナース。景色の充足感はあっても、お腹は…だ。仕上げに鯛の煮凝り茶漬け550円だ。満腹感が出て、レジへ行った。ハイ、2915円ですと言う。ワイン750円、お通し500円、計算外だった。

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2010年4月19日 (月)

京都駅空中径路の幕末人物展

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 こうもパネル、パネルしているとは…。いや、まっこと驚いた。坂本龍馬がいる。近藤勇がいる。徳川慶喜、ペリー提督にジョン万次郎も…だ。パネルはガラス壁面に何と100枚だ。JR京都駅の空中径路を使って開催中の108人の<幕末を活きた人物伝>だ。

 京都駅地下1階の本屋を覗き、食事も済んで、もうけえろ?と思ったおり、空中径路で幕末展開催の案内ポスターを見て行った。長いエスカレーターから拉麺小路を経て、駅ビル10階部分だ。まあ無料だし、NHK大河ドラマの龍馬絡み-と軽く思っていたが、それがどうだろう。西から東へ、空中径路の端から端まで、ざっと400㍍、全部パネルだ。

 始まりは東側からで終わりから見た。パネル番号のNO100は主催の京都駅ビル開発会社の謝辞だ。霊山歴史館、高知、山口の大阪事務所などから写真提供があったようだ。NO79は自由民権運動の板垣退助だ。写真付きで、<板垣死すとも自由は死せず>の名言があり、人物紹介が出ている。NO46坂本龍馬の名言は<日本を今一度せんたくいたし申候>だ。一枚一枚、ついつい夢中で読む。何とも、けいるに?帰れない幕末の径路だ。

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2010年4月18日 (日)

元三大師良源の坐像を見る

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 元三大師に慈恵大師に角大師…それにもう一つ、豆大師も。これみな、比叡山中興の祖・良源さんのことでる。順に<がんさん、じえ、つの、まめ>と読む。近江生まれ、平安時代に活躍した高僧で、これほど大師、大師と名前がつくのは、誠にたいしたものである。?

 

没後1025年の記念展が大津市歴博であり、鑑賞した。ポスターに出ている元三大師の木造坐像が初出陳だという。引き締まったお顔、左手に長い数珠、左肩から袈裟だ。寒暖差の激しいこの頃、今朝は冷たい雨だった。会期まであと三日、会場内は1、2、3…7人だ。ゆっくり観賞できる。正月3日に亡くなって元三大師、木造坐像がずずっと並ぶ。

観音さんの生きた化身と敬われた良源さん。全国各地のお寺に木造彫刻があるようで、東京調布市・深大寺の良源像は2㍍もあって、これが日本最大という。展示してなかったが、会場入り口に実物大の写真があり、去年暮れの開帳では7日間で13万人の参拝があったという。ポスターの良源像はガラスケースの中だ。裸踊りで有名な京都市伏見区の法界寺の所蔵だ。鎌倉時代の作で、像は極めて写実的な彫られている彫刻だ、ちょうだ。?

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2010年4月17日 (土)

湖の駅の名物しじみご飯

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失敗はしなければわからない…。やり方は聞かねばわからない…と思う。少し恥ずかしさもあって、暫くは内々に止めていたけど、思い切って公表する。琵琶湖汽船が直営で経営を始めた「湖の駅」フードコートでの出来事である。浜大津のアーカス2階の新店舗だ。

 「湖の駅」-、国交省が支援する「道の駅」の琵琶湖版だ。湖を<うみ>と読み、国が店舗改装費など面倒をみたようだ。開店は3月下旬、滋賀県内の物産を集め、日に日に人気が出ている。あれは初めて行った1週間前の昼過ぎだ。フードコートで、名物しじみ飯セット1250円を頼んだ。炊き上げに20分-と言われたけど覚悟して、席で待った。

 読みかけの本を開いて、5分ほどして、釜飯が出てきた。なんや、えらい早いなあーと思って、蓋を取った。お茶漬けふう?のしじみ飯かな-と、杓文字で掬った。スプーンの方が掬い易いのにーと口に入れて、ジャリッ?米粒のままだ。まだ出来てないーと釜ごと返しに行ったら、言われた。<携帯燃料の火が消えるまで20分でして…>と。確かに釜の下に火が出ている。そうか、そうだったのか。仕切り直し20分後、しみじみと食べた。?

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2010年4月16日 (金)

御室のお多福桜は満開

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すき焼きにワインに御室の夜桜-会費は1万円だ。どうしようかー返事が遅くなったが、2日前に決断して行った。一日中、雨の日だ。JR花園駅からTXで640円、仁和寺東門から入った。案内役のIさんに7代目桜守・安田圭吾さん(6?)を紹介してもらった。

 午後5時閉門にあとは、お寺と縁ある人しか入れないという。安田さんは境内で<いっぷく茶屋>も経営していて、ワインを扱うIさんとは旧知の間柄だ。茶屋にお多福の甘酒看板が出ている。~わたしゃお多福 御室の桜 はなが低くても 人が好く~の、丈2メートルの、お多福桜が茶屋の真ん前に200本広がっている。はなはだ美しく咲いている。

 低く、遅く…が御室桜なのに、もう満開だ。近くの高校を卒業、云十年前から多少は知っていて、かつては4月下旬が満開だった。御室通のIさんらの案内で、シトシト雨の中、境内を回った。傘の触れ合う桜の迷路道だ。赤のミツバツツジと淡い桜、先には五重の塔…、雨の情緒がお多福桜を引き立たす。茶屋で安田さんにどうしてこんなに早く満開にと聞くと、温暖化のせいと言う。すき焼き宴の特設桟敷、低い花より鼻?からワインワイン。

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2010年4月15日 (木)

隣り合った推理作家の家

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144_2  そうか、ここだったのかーと2人の居宅を覗き見した。推理作家の西村京太郎と故山村美紗の隣り合った邸宅である。住所は京都市東山区清閑霊山町だ。清水寺の産寧坂から興正寺への坂を上がり、今、龍馬で賑わう幕末維新ミュージアム・霊山歴史館への道筋だ。

 西村さんがまだ売れない頃だった。既に世に出ていた山村さんが女子大生を装って、ファンレターを書いた。それがきっかけで、2人は家族ぐるみの付き合いへ発展した。今、居宅になっている旅館を2人で買い上げ、本館に西村、別館に山村が住み、当時は渡り廊下で繋がっていたという。覗き見した2軒、面影はないが、2人の表札はそのままである。

 兎も角、売れに売れた推理作家だ。表札を見ると、つい覗きたくなる。西村宅、裏側に回ると、2階建てマンション。今、入居者募集中だ。もう山村宅への廊下はない。西村宅より間口の広い山村宅は、表が格子ガラスだ。おでこを引っ付けると、正面に山村さんのポスター写真、右はお雛さん飾り、手前は作品を集めた本棚だ。眼を凝らして、デジカメ向けて覗いていると、道行く人が一人、二人…と何?何?と寄って来る。真犯人は、さて?。

   写真左は奥が西村家、前が山村家

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2010年4月14日 (水)

牛丼戦争を行く

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こんなにもよく値が引けるものだ。吉野家、すき家、松屋の3社は、牛丼の値段を下げに下げ、安売り合戦中だ。毎日新聞夕刊は10日付けで<牛丼戦争 3社消耗戦>と1面トップで報じている。どんな戦いぶりか、吉野家、松屋へ行って、安い牛丼を食べ比べた。

 まずは吉野家だ。JR京都駅八条口側の一番端だ。土曜の昼前、カウンター席は既にして満席だ。並んで食べ終わりを待って、入れ替わりだ。並盛-270円で、野菜か、キムチか、お新香を加えると90円増し。お客のたいていが並から並へ…だ。夏でないのに波乗りサーブ?。丼に紅生姜をたっぷり、七味の振り掛け。これが、牛丼ツーの味わいだ。

味、それはモウ◎だ。表の看板を見ると、値下げは13日午後3時までの期間限定という。JR山科駅前の松屋はどうか。やはり期間ありで、12日から23日までだ。雨降りの初日の昼、大津から行った。松屋は牛丼と言わない。商品名は牛めしだ。並は何と250円、しめしめだ。味噌汁もついて、味に文句などつゆない。値段を思うと、ありがたくて涙が出る。生卵、生野菜プラスでも390円だ。経営の首をぎゅと絞めないか、心配だ。

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2010年4月13日 (火)

来るかな!時の灯り

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 誰を待っているのだろう。毛糸の帽子、ジャンパーのポケットに両手を突っ込み、肩から鞄をかけている。足元はスニーカーだ。JR京都駅西改札口の真ん前である。伊勢丹スバコの所、待ち合わせ場所を示す<時の灯り>だ。あの夜、青年が一人ずっと立っていた。

<時の灯り>-昨年2月に誕生した。見上げると、高さは7、8㍍ある。一番上は文字盤付きの時計だ。灯り板が3個、縦に並んでいる。朝、昼、夕、宵、夜…と、時の移ろいと共に色が変わるようだ。台座のところに京都の風景写真と一緒に色の変化が説明してある。朝の写真は橋の欄干擬宝珠に朝日だ。昼は鴨川、夕方は東寺、夜は嵐山の花灯路だ。

朝の色は夜と同じ橙だ。朝夜はだいたいなのか、それとも<朝のこない夜はない>なのか。昼の11時~午後3時までは青だ。午後3時からは赤で、午後6時の夕暮れまでは紫だ。色の5段階活用形?。<時の灯り>-駅玄関の案内表示で知った。東京駅の<銀の鈴>版、待ち合わせ場所設定なのだ。色を変化さすとは、さすが京都の粋だ。あの青年、もう10分以上は待っている。橙色の時計は午後8時半だ。来る、来ない、来る、来ない…?。

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2010年4月12日 (月)

県境は今、里の春

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 山あいの桜、お見事なり…だ。妍を競うーとはこんな光景だろうか。滋賀と三重の県境、人家もまばらな鄙びた町の春だ。甲賀市土山町鮎河である。鈴鹿スカイラインはすぐそこだ。野洲川に合流するうぐい川の桜だ。川沿いに200本、集落で700本咲くという。

 ダイヤモンド滋賀で棒振りだった。アウトとインを一度に回る早朝スループレーが終わって、時間が出来た。クラブハウスで、近くの見所は?と聞くと、今なら鮎河の桜!と答えが返ってきた。来た道と反対に8分も走れば着くというので、行った。県道507号線だ。右に折れ左に折れ、静かな山里の道だ。~咲くや鮎河さくらまつり~の幟が出ている。

 そろそろかなあーと思った時、眼の前が桜色になった。臨時の駐車場はずっと満車だ。ピンクのジャンバーの人たちが要所に立つ。集落の人たち、総出のようだ。尋ねると、うぐい橋の上が見所という。両岸のソメイヨシノ、山の奥まで続くかの如くだ。川は清流、夏はゲンジボタルが群れ飛ぶそうだ。地元の鮎河小学校は生徒27人、特設テントで作品展を開催中だ。屋台は菜の花漬けだ。ここで一句。<人知れず咲いて知られて里の春>??

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2010年4月11日 (日)

大津駅前、義仲の女流講談

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 講談は前段?から扇子叩いて、~パパン、パンパン~である。JR大津駅前広場、大阪の女流講談師・旭堂小二三さん(34)が高座に上がった。からし色の敷き布を被せた特設高座だ。小二三を<こふみ>と読ます小二三さん、黒袴に桜模様のベイジュの羽織姿だ。

 大津市在住の龍大教授・竺文彦さん(5?)の要請でやってきた。大津駅西南にある木曽義仲の愛妾・山吹御前の祠前で命日法要があって、引き続いての関連事業だ。大津駅と寺町商店街支援する。開催は2年目で、小二三さんは連続出演だ。雨降りだった昨年は<山吹御前>の一席。今年は<木曽義仲の最後>で、桜満開、好天のパパン、パンパンだ。

個人で主催する竺教授の案内があって行った。椅子出し、会場設営…みんな竺教授の手づくりだ。何で?と聞くと、義仲を追いかけ、大津で亡くなった山吹御前、祠があること、みんなが知らないので…という。小二三さん依頼もネットで調べ、ポケットマネーで…という。竺教授の熱意、頭が下がる。椅子20席は満席、道行く人は立ち聴き…。熱演30分余り、講談は後段の粟津が原の戦い、義仲は討ち死だ。小二三さん、パパンと降壇した。?

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2010年4月10日 (土)

ハンバーグと英語会話

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 何たったって…5時からディナーだ。昼よりメニュー値段がアップして、覚悟の上で、老舗の洋食店・東洋亭へ入った。京都市内に数々あれどで、行ったのはJR京都駅地下街ポルタ店だ。注文?それはもう、何たったって、東洋亭ハンバーグステーキが素敵?だ。

東洋亭5時からメニューの表紙はトマトトマトして、ちょっと、とまとう。開くと、一番にハンバーグステーキ案内だ。<113年の歴史を誇る洋食屋の自信作。焼き上げるまで15分>と出ている。一人で待つのにワインだ。白のジョセフ・ロッシュ。もちろん、フランスワインだ。グラスワイン、少し回して、鼻先で静かにふーんと格好をつけて飲む。

左隣りは日本人女性と外国人男性だ。赤ワインのハーフボトルで、やはりハンバーグ待ちだ。会話はイングリッシュだ。アルミホイルで包んだハンバーグが来た。~ナイフで包みを破ってお食べ下さい。熱いので…~という。ホイル、ほいっと破ると湯気が出て、肉味がジューとだ。隣りも来た。女性がウエターの~熱いので…~を通訳している。<ベリーベリー、ホット…>と。赤ワインでべらべら何か喋っていた二人、ここだけアイシー!

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2010年4月 9日 (金)

阪急三番街の水族館通り

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 何処をどう歩いたのか、水族館通りに出た。大阪・梅田の茶屋町画廊からJR大阪への道筋だ。行き過ぎて戻って、阪急三番街の北館1Fだ。水族館通り、通路に沿って水槽が6つ並んでいる。歩き疲れ、一服したかったが、水槽面にへばり付いてデジカメを向けた。

 黒くて、でっかいのが泳いでいる。水槽NO4番、左側の魚種説明をみると、黒いのに<レッド コロソマ>だ。アマゾン川流域に分布しているらしい。全長80㌢、でっかいはずだ。水槽の中、頭がもこっとした黄色の<フラミンゴ シクリッド>と同居している。3匹、悠々行ったり来たりだ。向かい側はミスタードーナッツの光り、逆反射している。

右に左に移動するが、ドーナッツの光りがどうなっているのか?写真撮影は難しい。水槽を順番に見て行って、NO1の隣りに説明プレートがあった。かわいい水族館という名称だ。阪急三番街に「川」が流れて15周年のおり、阪急電鉄が記念設置したという。今から26年前、昭和59年11月だ。熱帯性海水魚は150種2000匹で、沖縄八重山諸島周辺と南太平洋のサンゴ礁からという。はるばるサンゴ礁…、しょうだったのか。?

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2010年4月 8日 (木)

愛またアイの時代

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 時代はiまたiだ。愛ならぬiのアイが究極のiに変わって来ているという。新聞社の知人がこのiが蒸発するように売れていると言うので、京都駅のビッグカメラへは2度、大阪・梅田のヨドバシカメラでも1度、どんな具合いか覗いた。確かにiだかりだった。

 ビックカメラは1階入り口すぐ、<ipod>に<iphone>だ。頭文字がiで、アイポッドにアイフォーンと読む。どちらも米国アップル社の最新鋭端末機器で、これが売れに売れて…という。店員さんにそこそこ知っているような口ぶりで聞いた。~NYで<ipad>が新発売、30万も売れたけど、この<ipod>とはどう違うの?~と。

 ~小文字のoとaの差だけで、読みもアイポッドとアイパッドだし、ややこしいねえ~と、聞きつつツウぶった。専門家の店員さん、それがまた、そうですねえ?とあわしてくれる。時代のiのアイが何たるかわからぬまま、二度三度と店を覗いた成果だろうか。音楽ソフトの<itunes>のアイチュネス、写真ソフトの<ifot>のアイフォトと最近、知った言葉がつい出る。笑顔の店員さん、愛を持って受け答えは、アイ、アイ。?

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2010年4月 7日 (水)

補聴器の時代

 020 014中華料理の円卓を囲んで、話題が補聴器になった。前菜が出て、生ビールで乾杯、ふかヒレスープが回ってきた頃だ。円卓に7人、対面は大先輩のお二人が座っている。お年を聞くと、Eさん84歳、Kさん80歳という。頭髪はさすがに年輪?を思うも、お元気だ。

 

卒業した元職場の、滋賀県ゆかりの人々が時々集う有志の会だ。今年は大津市坂本の日吉大社の桜を愛でて、JR比叡山坂本駅前の中華料理店で懇談会だった。出席は13人、円卓は二つ、平均年齢は?どうだろう。最若手は64歳なので、軽く70歳は超えていそうだ。その中でも、80歳超えとなると、Eさん、Kさんのお二人で、耳に補聴器だった。

 補聴器の値段が話題になった。やはり80歳超えの長老で、この日欠席のTさんは5万円だが、あれは雑音が入ってアカンと、Eさんが言う。そうや、安モンはダメとKさんも相槌をうつ。お二人が右耳の補聴器を外して、みんなに見せた。Eさん20万、Kさん30万、両耳につけて、倍の値段という。1週間に1回の電池交換、音のサイクルとベシベルの関係など延々と続き、海鮮揚げそばが円卓に乗って、ほじょほじょに話が転換した。?

   Eさん、Kさん、写真掲載ご容赦下さい。

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2010年4月 6日 (火)

民間の宇宙飛行士と出会う

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 つくづく、何処でどんな出会いが…と思う。つい、この間は、大阪・梅田の茶屋町画廊で、宇宙服スタイルの辻裕彦さん(6?)=写真=と会った。大阪市在住の経営コンサルタント。初の民間日本人として、4年先にNASAから宇宙ステーションへ飛ぶという。

 太陽光を利用、環境に優しいソーラー版画展を開催中の画廊だった。そこでブルーの宇宙服を着た辻さんがいて、展覧会主催の画家みやちさんに紹介され、展示作品以上にそ~ら?、驚いた。オールバック、眉毛が濃い。思わず最初にお年は?と失礼な聞き方をしたら~それは?~とかわされて、宇宙服の質問に切り替えると、宇宙話でうちゅうになった?。

 交換した名刺、<宇宙事業コンサルタント、宇宙教育指導者>の肩書がある。どうしてNASA?と聞くと、もう一枚、Gilbert-KirkhanというNASAの博士の名刺を出して、飛行許可が出たと話す。この先、筑波とNASAで操縦を学ぶという。話すうち、立命館法学部卒と分かり、年齢も推察できた。60歳はオーバー?。聞かないのに~米国では70歳飛行士も~と言う。辻さんも4年先、70歳飛行?。頑張って下さ~い!。

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2010年4月 5日 (月)

桜サンデー、ベストショットの2枚

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 人はこうも…と思う。サクラ咲くところに人あり…だ。好天、満開、日曜と三拍子揃ったサクラサンデ―である。昼からデジカメ必携で自宅を出た。JR山科駅へのバスの中、行く先々の桜、どれもこれも撮って、戻ってベストショット2枚を選んでみようと考えた。

 菜の花と桜のコラボから始まった。山科疏水、安朱橋当たり。毎年のように撮っていて、アングルはわかっている。いい写真だ。毘沙門堂へ上がった。枝張り30㍍、樹齢100年の枝垂れだ。見物客、枝垂れを取り囲む。いい場所が空かない。赤い椿とソメイヨシノ、色合い◎だけど、角度が×だ。地下鉄東西線で蹴上へ行った。インクラインの桜が見事だ。

 南禅寺の三門入れて1枚撮り、疏水べりを平安神宮へ行く。宮瀬さんの彫刻像と桜、大鳥居と桜。狙い悪くない。行く場所行く場所、人と写真と団子…。圧巻は円山公園だ。鳩、下りる所がない。クッククック、86?と鳴いている。名物の枝垂れは形が崩れている。公園奥の龍馬と慎太郎像だ。缶ビールにおでんに枝垂れ、人気だ。高台寺から護国神社、五条坂。歩数計1万3千歩、撮った桜写真100枚余。自選の2枚、まあ努力賞かなあ。

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2010年4月 4日 (日)

街頭紙芝居は今

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鞍馬天狗だ!はたまた、黄金バッドだ!…、自転車の荷台が舞台の紙芝居だ。拍子木がチョ~ン、チョンチョン。おじさんが~さあ、始まるよ、始まるよ~…。紙の絵を箱の木枠スクリーン?に入れた。ひも付きの飴さん、舐め舐めだ。あの夜、遠い日が一時甦った。

県庁前の滋賀会館であったチャリティーの特別公演だ。演じるのは志滋海社中の皆さん。琵琶湖に因んで、志滋海をしじみと読ます。社中は仲間だ。画家鈴木靖将さんが紙芝居の貸し元から譲渡を受けた、あの時代の紙芝居絵だ。漫画のトモちゃん、時代活劇は鞍馬天狗に忠治などなど、千枚もの絵があり、社中さんたちは出かけては、しゃっちゅう喋る。?

あの夜の演者は社中のフクちゃん、事務局長兼任おかあさん、トリは天狗を演じたタニやん=写真=。社中の街頭紙芝居歴、10年近くだ。新国劇出身のタニやんに聞くと、ボランティアも商いも…と話す。木枠から絵の抜き方、話術に合わせる。半分だけ抜いたり、揺らしながらチャンチャンバラバラ…と抜いたり、巧みだ。昭和20年代に全盛の紙芝居は復員兵ら戦後商法、絵の1枚1枚が本物…と解説があって、~続きは、また明日!~。

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2010年4月 3日 (土)

ボンタンはブンタン

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ボンタンは文旦に通ず-である。文旦はブンタンと読むが、ボンタンでもあるのだ。ややこしいが、アンポンタン?じゃなく、ボンタン=文旦=ブンタンとみな一緒なのだ。鹿児島、宮崎など九州地方で栽培の柑橘類の一種で、長崎名物のザボンも、実はボンタンだ。

 写真のボンタンアメ、珍しいでしょうーと頂戴した。小さな箱の表は<南国特産>の表示とボンタンの写真だ。葉っぱ付き、まん丸の蜜柑だ。箱の側面、老舗を示す如く右から左へ<文旦飴>と書いてある。製造は鹿児島市のセイカ食品だ。オブラート包みの1個、口に放り込んだ。クチャクチャクチャ…、ジューシにしみて、歯にへばりつくあの味だ。

 

調べたら大正14年の発売という。長寿も長寿、85年の歴史があるキャラメルだ。何処で売っているかーと聞きまくったら、駅のキヨスクとか、100円ショップのダイソーという。JR大津駅に隣り合う平和堂4階のダイソーへ、大層?に行った。お菓子売り場見つけて、探したがない。仕方なくレジで聞くと、真ん前にあった。5個入り2箱で105円、この際と10個買った。帰り道、雨はポンタン、ポンタンと降るように聞こえた。?

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2010年4月 2日 (金)

船内宴会で出た魚ホウボウ

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何という魚か?と聞いたらホウボウだと言う。漢字だと、竹麦魚とも、魴

?とも、方帽とも書く。何処にいる魚か?と聞くと、それがまた、全国方々?にいると言う。洒落か、冗談かと思ったが、ホントだった。体長は20㌢、頭は大きく、尾っぽへ細く…流線形だ。

 ホウボウ料理、琵琶湖汽船の新船めぐみの船内宴会で出た。滋賀県在任3年、転勤で文科省へ戻るSYさん(3?)の船上送別会だった。国家公務員上級職で、これからもホウボウへ転勤するであろう若いSYさんにぴったりの魚だ。写真の通り、ステンレスの器に大きな鯛と一緒に乗っていた。にらみ鯛を真ん中に2尾、タイタイの大きさの煮付けだ。

ホウボウ研究?ウエーターへの問いかけで始まった。北海道以南、日本海側に分布して、水深100㍍から200㍍の砂地に生息する。胸鰭(ひれ)を羽根のように広げて、歩くように動き回る魚という。ウエーターさん、聞くたびに料理長の所まで行って、オウム返しの回答だ。高級魚か?と聞くと、それほどでも…と言っているとも。タレのかかったホウボウ、ナイフが方々から入った。食感?、「あっさりしているなあ」…、ホウボウからだ。

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2010年4月 1日 (木)

セーフはアウトを知ろうポスター

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通勤の行き帰り、洒落っ気ポスターを2枚見つけた。JR山科駅とJR大津駅の構内だ。一つは何を知ろうというのか、一瞬考えて、熊本県は天草地方の観光ポスター「天草知ろう」と知った。江戸時代初期のキリシタン、島原の乱の天草四郎の四郎とかけたポスター。

 出勤時、山科駅から府県境を1区間4分で走って、大津駅に着く。ホームの階段を降りた地下通路の正面に「知ろう、知ろう」と同じポスターが2枚並んでいる。思わず、四郎でなく、八郎では…と洒落返したくなる。刀は二本差し、首から十字架をかけた白い布、やや俯き加減のハンサムな天草四郎だ。ポスター下段、さりげなくJRで行く天草の旅だ。

 もう一つは交通マナーポスター。通勤のサラリーマンが両手を広げ、セーフのゼスチャーで駆け込んでいる。見ていた審判、マスクを外して、アウト!のジャッジだ。このキャッチコピーが「駆け込みセーフはアウトです」だ。いや、意味が深~い。帰りの大津駅、下り線ホームの上がる処、アウト、アウト、アウトと3枚も並ぶ。山科駅の構内は、知ろうも、セーフでアウトも一枚だ。~行き帰り 知ろうに思う わがマナー~、どうかな。

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