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2010年2月

2010年2月28日 (日)

第14代増田徳兵衛さんの座談

 蝶ネクタ014イと鼻髭が026セットだ。清酒「月の桂」増田徳兵衛商店の社長・増田徳兵衛さん(5?)である。ついこの前までは、増田泉彦社長だったが、お父さんの第13代徳兵衛さんがお亡くになり、去年暮れに父親譲りの蝶ネクタイ付きで第14代徳兵衛を襲名した。

 泉彦さん時代も、話は泉の如く、湧き出るが如く…だったが、徳兵衛さんになっても、屋号の増田商店らしく益々…である。京都の四条室町上ル近くであったワイン会で、泉彦さんから徳兵衛さんになった徳兵衛さんに久々、お会いして話を聞いた。ダークブルーの上着に胸ハンカチ、白いシャツ…泉彦さん時代と変わらぬ鼻髭と蝶ネクタイ、これ安泰だ。

 ワイン会、なぜかお酒の蔵元さんがよく登場する。泉彦さん、いや徳兵衛さんも一年に一度は顔を見せる。何せ創業1675年、酒処伏見で最も古い蔵元さんで、鳥羽伏見の戦いの砲弾を浴び、脈々とだ。和製シャンパンという元祖にごり酒は国内中で名が通る。徳兵衛さんの卓越した座談、この間は「へえ!」だった。芸舞妓さんは「はい!」と言わず、右肩下げて、イントネーションを少し上げて「へえっ!」と言うのだそうだ。へえっ??

 

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2010年2月27日 (土)

魯山人展の鮒ずしポスター

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 これは最高の鮒ずしではなかろうか。肉厚で、オレンジの子が溢れんばかりだ。薄緑の木の葉型のお皿に三切れ、盛り付けてある。漆塗りだろうか、お盆は朱だ。所々の黒地が深さを感じさす。均整のとれた箸、流抱と書いた扇型の箸置き―、心ときめく美がある。

美の異端児-「魯山人を使う展」と題した北大路魯山人、没後50年の展覧会ポスターである。祇園の何必館・京都現代美術館で開催中だ。通りがかり、ポスターに足が止まって、入ってしまった。入場料1000円。ポスターの鮒ずしと皿をこの眼で確認したかった。1階にはない。2階から3階へ、また2階に戻って、EVで上がった5階にもない。

最後は地階の魯山人作品室だ。EVの扉が開いて、すぐ見つけた。お椀のような朱の盆が陳列ケースに二つ、左側が鮒ずしの木の葉皿だった。魯山人晩年、70歳の時の作品という。皿に乗った鮒ずし、ポスターよりは小さい。ガラス越しにクンクン、当然、臭わずだ。ポスターは撮影用?、最高級だったのだろう。図録に魯山人語録が出ていた。~料理の着物を、料理の風物を、美しくあれと祈る~と。器は料理の着物…さらっと言っている。

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2010年2月26日 (金)

方広寺、左甚五郎の龍

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このところ、散歩の方向が方広寺づいている。東山七条から北西へ3分、豊国神社の隣りだ。拝観料は解説込み込みで200円の低価額である。朱印も書く作務衣のおばさんが案内を兼ねる。普通は御法度の寺宝撮影もどうぞどうぞ!と大らかで、この間また訪ねた。

 秀吉の持仏の大黒天、往時から10分の1の大仏、眉間仏のことなど、最初に聞いた時と寸分狂わない達者な説明である。三番目の客間は、左甚五郎作の龍彫刻だ。この写真が撮りたかった。秀頼が築造した2代目の大仏殿の欄間にあった龍で、低い机の台に乗っている。幅1㍍、顔がでかい。度々、災禍にあった方広寺、龍は地震の時で残ったという。

こっちへ来て、下から覗いて下さいの案内だ。左から右へ行って、畳にしゃがみ込んだ。おばさん、~龍の顔、怖くなったでしょう~と言う。この前と同じ台詞だ。前回は写真がピンボケだったので、今度こそと左上からと右下からしっかり撮った。上の二枚がそうだ。デジカメを通さず直接、鑑賞してみた。龍は九似ありーで、角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼、体は大蛇、掌は虎、耳は牛、鱗は鯉…とか。そう思ってみる甚五郎の龍 細工は龍々だ。?

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2010年2月25日 (木)

さくら屋さんの手打ち蕎麦

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手打ちも手打ち、これぞ手打ちだ。チョ~ン、チョンの手打ちではなく、生蕎麦の手打ちである。新大宮商店街の「さくら屋」さんだ。知人のOHさん(6?)が「ここのは美味い」と自慢した、あの蕎麦屋さんである。近くまで来たので、昔を思い出して行った。

 連れてもらって5年以上にはなる。確か北山通りから新大宮を下がったあたり-と見当をつけたとおり、店はあった。開店は午前11時半からと張り紙が出ていて、あと15分ある。商店街をうろうろして時間を稼ぎ、5分前になって、桜の花びら散る粋な暖簾が上がって、そばそば入店した。調理場の中、頭の形が似ていて、親しみを覚えたあの主人だ。

 あの時、常連客だったOHさんの縁で、更科そばの仕入れ、そば粉の作り方、5割そば、10割そばと色々聞いた。そんなこと思い出し、カウンター席で800円のそば定を主人見ながらツルツルした。蕎麦に長短、手打ちの証だ。ねぎも生麩も刻み蒲鉾も美味い。舌があの時の味を思い出している。手があいた主人に話しかけた。前にOHさんと一緒に…と言うと、主人も「お目にかかったような気がしてたんです」と頭を見た。お互いツルツル。?

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2010年2月24日 (水)

お米の食べ比べ、○△□…

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 ○△□に俵に球だという。これ、お米食べ比べのお握りの形だ。全国の作付面積では8割というコシヒカリは球握りだ。これに追随するキヌヒカリは△握りだ。米粒の大きい滋賀旭27号は○握り。もち米ぽい日本晴れは□型で、ミリキークインは俵型で握ってある。

お米5種類のお握り、どれがどれ?だ。京大農学部の学生さんが釜炊きして、○握り係り、△握り係りと役割を分担して握ったという。県庁前の滋賀会館。北海道の農家の暮らしを撮ったドキュメント映画「空想の森」上映に関連したイベントである。参加費は500円だ。解説付きで、お漬物に味噌汁付きだという。夕方からの始まり、頃は良しである。

答えは食べ始めてからだ。沢庵ポリポリ、お握りはあっち食べ、こっち食べだ。みんな艶々している。ちょっと餅っとしているのは、日本晴れかな。もちっと食べないとよくわからない。会場には北海道から出張の映画監督田代陽子さん(3?)も、滋賀でお米づくりの農家の人も来ている。半分以上食べた頃、主催者から解説付きで答えが出た。うんうんと聞いて、手前のお皿見たら○△□が崩れている。みんなお米、どこでと~れた、だ。?

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2010年2月23日 (火)

新千歳空港の海鮮たっぷり弁当

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 思いだして、舌が美味かったーと言っている。写真の特選-海鮮たっぷり弁当だ。この色具合どうだ。弁当の中央、イクラが赤くピチピチしている。粒々、幾ら?あるのだろう。この洒落、一般的かな。右隣り、御存知のアワビだ。1枚、2枚…、数えなくて4切れ。

 またまた行ったJR京都伊勢丹地階、週替わりコーナーだ。北海道は新千歳空港の所謂、空弁が出ている。例によって職場帰り、閉店の午後8時前だ。一番人気の三色弁当1575円はもう札だけだ。1365円の元祖うにめし、うにかに弁とともに売り切れだ。残るはうにいくら、北海三昧、それに一番値段の高い2100円の特選―海鮮たっぷり弁当だ。

 海鮮弁、あと1つだ。札幌から出張のおばさんか、500円引きにすると言う。もう、うにうに、迷うことはない。イクラの隣り、赤みがさす貝はホッケだよ!と教えてくれる。磯はないけど、急いでイソイソと何時もの拉麺小路テークアウトコーナーへ上がった。まあ~るい折り弁あけて、手順通りに記念の写真からだ。最初はカニからだ。甘みが口の中を走る。ホタテ、つぶ貝、うに…ウマウマ感が続く。空弁、食うて食うて、空に。???

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2010年2月22日 (月)

滋賀自民党の公募チラシ

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 自虐的というか、逆説的というか、面白いチラシだ。通勤の朝、JR大津駅頭で、自民党滋賀県連が職員を総動員してチラシを配っている。前衆議院議員で、県連会長の上野賢一郎氏から受け取り、何かな?と見ると、サッカーのスコアボードがデザインしてある。

 滋賀の国政における自民と民主の議員数をサッカーの点差で表している。トータルスコアは0対6で完敗だという。前半(衆議院)は0対4、後半(参議院)は0対2だ。要するに滋賀の自民党、国会議員が一人もいないのだ。これだけの点差、サッカーの試合ならもう終わりだが、チラシは「政治の世界に試合終了はない。まず1点返したい」という。

 職場入りして、もう一度チラシを見た。スコアボードの上、45分ハーフの時計マークに∞マークが付いている。そうか試合はエンドレスなのかーと改めて、感心する。狙いは表ではなく、チラシ裏に出ていた。夏の参議院選挙へ向けて、候補者の募集だった。~この夏、1点返したい、それはあなたです!~と。県連事務所に聞くと、読売、京都と新聞にも載り、反響はあるのに、候補者の名乗りなく、1本もシュートが打てません。ハイ!

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2010年2月21日 (日)

座敷で養老鍋フツフツ

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一旦、口に出すと引っ込みがつかない。しまった!と後悔したけど、あとにはひけない。店員さんが下がって、ポケットの財布をそっと出し、なんぼあるかなと中を見た。あるある千円札が4枚だ。何とか3500円の支払いが出来る。取り消さずに済む。やれやれだ。

 河道屋養老の名物料理、養老鍋だ。あれは土曜の夕方だった。岡崎から黒谷へ行って、ジクザクに歩いて、聖護院の西門前まで来て、築130年という趣のある河道屋に入った。庭を通って、格子戸を開けて、こんにちは!と言う。若い女店員さんが出てきて、どうぞ!と座敷へ通してもらった。白いそばの絵がかけてある床の間に向かって、胡坐をかいた。

 客のいない座敷、風情ある庭。なんだか殿様気分だ。案内の店員さん、お茶を運んできて、何に?と注文を聞く。店の名物は養老鍋だと言うので、メニュー見ず、じゃあーそれと声が出てしまった。お金、あったからいいようなもんの、である。一人で3500円夕食、土鍋がフツフツだ。きしめんとそば、湯波半の湯葉、麩嘉の生麩、いづ萬のひろうす、これに地鶏、海老、九条ねぎ、最後にもうこれ以上は菊菜?だ。美味しかった、高かった。

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2010年2月20日 (土)

消防署の寒い彫刻

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何と、寒い像だろう。丸裸、この寒空にぞおっとする。所謂、スッポンポン、一糸もまとっていない。両膝を寄せ、首をすくめ、上半身を左腕と右腕で抱え込んでいる。見ていて、ブルッと来る。足元は素足だ。身長1.6㍍、等身大の男性ブロンズ像。嗚呼、寒い!。

 京都市北消防署の玄関口にある彫像だ。近くの高麗美術館へ行っての帰り、北山通りを西へ歩いていて、見つけた。列島中が気温10度以下という寒い、寒い日だった。朝鮮虎展が2日前に終わり、美術館は展示替えで、見たかった鑑賞は空振りだった。トボトボと歩いて、無念さに寒さの追い討ち。像の題、これまた「寒」だ!。ぴったしカンカンだ。?

作者は?と確認したら、高名な彫刻家・山崎正義さんだ。京都教育大名誉教授で、南座前の阿国像や高校野の優勝盾の作者だ。その山崎さんが、何でまた消防署に「寒」の彫刻なのか、これは聞いてみなければと、一旦戻って電話した。山崎さん、北区にお住まいで、昭和50年9月、消防署創立20年のおり、シリーズ制作の「青春の四季」の冬像の寄贈だったという。春を迎える時のエネルギーの蓄えとか。彫刻の意図、ちょうだったのか。?

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2010年2月19日 (金)

お皿9枚のKYK

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 こっちかな、あっちかなーと見て歩いて、粋花―KYKへ入った。全国90店舗という大阪拠点のとんかつチエーン店である。京都近鉄構内、みやこみちの中だ。江戸川の鰻か、東洋亭のオムライスか、迷った末、手頃な値段のヘレひと口かつ定食1250円にした。

 チエーン店の口上はだいたい一緒だ。どことも、そう向上していない。ここKYKも全国共通のようだ。入り口近くの席、何度も同じ台詞が聞こえて来る。~おタバコお吸いになられますか~、喫煙か禁煙かの確認で始まる。次は店の中へ向かって~新規お客様○○名、△△へ、ご案内です~と言う。聞き飽きた頃、ひと口かつの、小皿の数々が出て来た。

 メーンの前のジャブだ。写真のとおりである。お代わりOKの大根サラダに湯葉豆腐、青菜、ゴボウと人参和え、漬物の6皿だ。続いてご飯とみそ汁。ひと口かつは豚のかつなのに、トリ?だった。全部揃ったテーブル、皿また皿である。カウンター席、右は突きあたり、左席は客がいない。カツも負けるもない。メーン皿のかつ回りに小皿をぐるり並べて、上から写真を撮った。皿は1枚、2枚、3枚…さらっと9枚だ。これ、みんな皿得た。?

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2010年2月18日 (木)

疏水で見たカモの群れ

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おっ、いる、いる!-、カモの夫婦だ。オシドリ?いや、違う。もう一匹いる。何というカモだろう。ヘイッ、こっちへ、カモン!。子連れの横断で良くニュースになるカルガモかな、それとも冬鳥のマガマもかな。おやっ、寒いのに頭を水面につけた。もぐった!。

京都市美へ向かって、疏水べりを歩いての出会いだ。夕方近く、疏水は川ざらえしたあとか、水量が少ない。西日が川の半分を照らしていている。反対のカモ観察側は日陰だ。寒いけどオーバーから手を出し、デジカメ構えた。逆立ちのもぐり。水面上に出ている尾っぽの先、ブルブルしている。魚の発見だろうか。1秒、2秒、3秒…、浮上まで長いぞ。

 あれっ、下流からもカモだ。頭が緑色、首は白い。マガモの雄だ。連れ添う黒褐色は雌だろう。おやっ、頭がチョコレート色のがいる。バレンタイン記念?そんなのではない。首は白く、尾が長そうだ。オナガガマかもしれない。カモたち、好天で気持ちが良いのか、よく逆立ちする。流線形に水紋描いて、ス~イス~イと上流へ進む。見とれていたら市美の閉館時間が迫ってきた。何時までもカモっていられない。カモナ・マイ・ハウスだ。♪?

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2010年2月17日 (水)

大仏殿の石垣はなお累々

 この巨石016、いっ043たい何個あるのだろう。これは…と思う大きな石、数えて歩いた。京都国立博物館の西南角、交番からだ。平常館を工事中の博物館西門を越え、豊国神社へ150㍍、方広寺へさらに50㍍だ。歩道を北へ北へ、40個、50個…大体で80個以上だ。

 

 北側の一番端に石碑があった。写真のとおり、縦で2・5㍍、横だと4㍍もの巨岩の前である。~大仏殿石垣 豊臣秀吉造営 天正14年~の文字が彫り込んである。昭和4年4月、京都教育会が建てた碑だ。歩いてきた京博も豊国神社もみんな方広寺の大仏殿の石垣だった、のだ。秀吉の大仏は奈良の東大寺以上―と記録にあり、石垣見て、まさにと思う。

どうしてこうも巨石を並べたのだろう。秀吉の派手好みの性格と自らの権力の大きさを誇示した-との説がある。現場検証は大事である。今度は巨石中の巨石を見つけに北から南へ折り返した。どれもこれも大きく見える。何でも蒲生氏郷と前田利長が運んだ石が大きいというが、良く分からない。幾度かの地震と火事で、方広寺の大仏殿は往時をとどめないが、石垣は変わらず、歴史の側面を今もいしいし…とだ。いや、ひしひしとだ。

 

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2010年2月16日 (火)

植物園のキンシャチ、天皇陛下のご質問

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 またかーと思われても京都府立植物園だ。単身赴任時代に行った東京調布市の神代植物園、旅行で訪ねた高知の牧野植物園と並ぶか、それ以上の植物園と思う。去年11月、開園以来86年ぶりで天皇皇后両陛下の行幸啓があった。園はそれでまた存在感を高めた。

 寒梅を見に行ったこの間、松谷園長が書く「きまぐれ園だより238号」に陛下のことが出ていた。このところ、毎号のように陛下のエピソードが書いてある。東アジアで最大規模という観覧温室でのことだ。アアソウカイのことは、陛下が復唱するように言われ、新聞にも載ったが、238号では砂漠サバンナ室のキンシャチ(金鯱)の陛下の質問だ。

 松谷園長が「この個体は国内で最も古い株です」と御進講すると、陛下は「花はどこに咲きますか?」と。この個体に対する答え?園長は「肩の上の部分に咲きます」と。そんなやりとりを思い浮かべ、縦横斜めにキンシャチをシャッチと眺めた。メキシコ産の球形サボテン、何個もポコポコだ。古そうなのは三段重ねに盛り上がっている。昭和5年に宮内庁献上の一つだという。肩の花はどんなのか、咲いたら陛下へ御報告があるのだろうか。

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2010年2月15日 (月)

駅前のたぬき、再び開店

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 京阪石坂線、島の関駅前の「たぬき」に暖簾が掛った。店が閉まって、半年以上にはなる。狸色の暖簾、久しぶりだ。信号待ち、道路の反対側から見ていたら、お店のお母さんが杖をついて、隣りのローソンへ。昼どき、帰りを待って、どうしていたのか?と入店した。

 お母さんも懐かしいのだろう。顔じゅうで笑っている。聞くと、転んでお尻を打ち圧迫骨折、大津日赤に入院していた。7か月休んでいて、5人の娘さんはもう店辞めたらというけど、また開けた。お年は?と聞くと、顔を赤めて77歳と言う。御主人を3年前に亡くして、今は店が生きがいのようだ。横ばいの通路、やっと二人掛け椅子…、前のままだ。

お母さん、きずしにご飯があうと言う。どうかな?と思ったけど素直に従った。ボリュームの大きいTVはバンクバー五輪の画面だ。パン食うば~?駄洒落が頭をよぎる。客は一人、奥で賄い中のお母さん、横顔をズームで撮る。レタス付きのきずし5切れ、おつゆに出汁巻き-お待たせ!と出て来た。きずしの酸っぱ味、確かに食欲そそる。さっきローソンで購入のバレンタインチョコ、帰りにどうぞという。お母さんの心づくし、健在なり。

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2010年2月14日 (日)

東本願寺の噴水デザインは?

 本は知093らないこと091を教えてくれる。出勤のバスの中、喫茶店の中、今は「百寺巡礼 第3巻 京都Ⅰ」(講談社)を読む。新聞小説「親鸞」を書き上げた五木寛之さんが全国のお寺を巡ったシリーズエッセイだ。百寺中の第26番・東本願寺の項で、噴水の記述があった。

 ~御影堂門が面する烏丸通りは 広場のようにふくらんでおり、中央が緑地帯になっている。そこには有名な日本画家、竹内栖鳳がデザインした蓮華形の噴水がある。その日は…~と書いてあり、初めてあの噴水が栖鳳作品だと知った。JR京都駅への行き来、何時も見ている噴水だ。蓮華形?そうだったかなあ-、本を読んで、改めて確認したくなった。

 小雪が舞った日、京都駅を出て、五木さんと同じように烏丸通りを北へ向かった。記述通り、歩いて5分で着いた。もう夕方、御影堂門は閉まっていたが、蓮の形をした噴水は、遠慮気味に水を少し噴き出していた。直径10㍍以上の円形の中、蓮の葉が一枚一枚かたどってある。こわごわ円のふちにあがり、1周した。蓮の葉は20枚近く、さすが栖鳳デザイン、精緻だ。真宗・東本願寺の宗祖・親鸞は知っていても、噴水デザインは誰か、しんらんかった。?

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2010年2月13日 (土)

日吉そばの電話は4番

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営業中の表示が出ているけど、午後4時半である。客はないだろうと入ったら案の定、誰もいない。どこでもOKのテーブル席、ストーブの隣に座った。家族経営か、40歳か50歳くらいの女性が出て来て、何しましょう?と言う。貼りだしの手書きのメニューを見た。

坂本は日吉大社、石の鳥居前にある日吉そばである。角から3軒目は、味は1番、電話は2番…で名前の通った鶴喜そばである。坂本まで来ると、大体は角の日吉そばを素通りして、鶴喜へ行ってしまう。参道脇に前日の雪が残ったあの日、一度ぐらいは…と入った。女性に何がいいか、逆に聞くと、寒い時は古代そばがよく出ますというので、それにした。

 客一人のままと思ったら、2人客と1人客が来た。中途半端な時間なのに?店内は4人の大入り?。2人客はきつねそば、1人客は古代そばとビールだ。湯葉とおろし生姜と蒲鉾、葱の古代そばが出て来た。これ、なんで古代?と聞く。女性、考えてイメージですと言う。いい答えだ。誇大広告ではない。おろし生姜がよく効いて、身体が温まり、630円は◎だ。帰りに電話番号を聞いたら4番だった。店は角の1軒目、味は何番?聞かなかった。

 

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2010年2月12日 (金)

炎の宗教ショーは一人一役

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 これぞ、一人一役のショーである。護摩木を放り投げる人、バケツに水を汲む人、真面目に?法螺貝を吹く人、大団扇を翳す人、太鼓を鳴らす人、読経を唱える人、護摩木を束ねる人、来賓を案内する人…一人一人がそれぞれの役割を担って、雨にも負けずである。

 毎年、招待状が届く阿含宗の護摩法要である。京都東山の将軍塚近く、山科からだと国道1号の東山トンネル近く…だ。開催は決まって、建国記念の日の2月11日である。自宅から徒歩20分ほどなので、第37回の今年も傘をさして雨の中を行った。道中で一人一役の案内の人、行きは「お帰りなさい」帰りは「行ってらっしゃい」の挨拶が習わしだ。

 来賓席で招待状渡し、乙羽寿司の折詰を頂戴して、観覧席へ。立ったまま小学校の校庭ぐらいの広場を見下ろした。護摩木が燃え上がる火床は二つ。正面は米俵、4斗樽など豪華な祭壇だ。全国から30万本とも云われる護摩木の山、崩して投げて、崩して投げて…だ。一人一役の山伏スタイルの信者さん、広場の中でどれくらいか。300人、いや500人だ。読経の中、護摩木は燃え続け、まさに炎の宗教ショーだ。少々の雨など…である。

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2010年2月11日 (木)

七条大橋は「志ちでう」

 078を渡りきった所080で、何となく振り返った。鴨川の七条大橋だ。北の欄干沿いに京博から京都駅へ歩いていた。橋の表示が旧仮名づかいの「志ちでうおほはし」だ。大理石に揮毫してある。なんとも風格はあるけど、読みの「志ちでう」…、古くて口ごもってしまう。

 南側の表示はどうだろう。信号を渡って見に行った。漢字で「七條大橋」だ。七条の条が「條」と本字を使ってある。ついでに東側はどうか…と、また引き返した。冬の陽はポカポカ、川を渡る風も心地良い。何事も確認が大事である。志ちでう?条は條?、じょうかな…と、間近で確かめた。条は条で、條ではない「七条大橋」だった。新しい揮毫だ。

 また信号を渡った。北東側は「鴨川」の表示だった。歩いて渡って橋の中ほど、青銅版で「土木学会選奨土木遺産 2008 七条大橋」とある。価値のある橋らしい。ちょっと洒落ると、橋は端から端まで長さは50㍍以上、コンクリートの橋である。竣工は明治時代らしい。西詰めの「志ちでう」と「條」の文字が重厚さを思わす。七は音でしち、訓でななーと読む。七条も「しちじょう」「ななじょう」があるが、この橋は「志ちでう」だ。

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2010年2月10日 (水)

日吉大社の渡れない橋

残雪の中、橋殿橋を見に行った。日吉大社の西本宮の西側、大宮川に架かる渡りきれない橋だ。滋賀会館ギャラリーで一009_4年に一度開催の日本の石橋展で、写真展示があり、見に行きたくなった。京阪石坂線の終点、坂本駅で降り、雪達磨のある参道の坂を上がった。 

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朱の鳥居を過ぎ、境内入りの受付で、300円の拝観料を払って聞いた。千切れている橋?ありますかと。~あります。この間、渡れた時の写真を持った方がお見えでした~と。それなりに有名な橋のようだ。雪の砂利道を上がって、床ですき焼きを食べたことのある飛龍の滝近くに橋はあった。幅は5㍍、長さ10㍍、橋は写真のとおり端で切れていた。?

 真下の大宮川、川底まで7、8㍍だ。こわごわ写真を撮り、帰りの社務所で権禰宜の須原紀彦さんに話を聞いた。親切、丁寧な須原さん、絵図と資料を持ち出し話し出した。橋は昭和47年9月の台風20号で、橋の半分が流された。橋は天正10年ころには、屋根があって、通称・極楽橋とも言ったという。見せてもらったコピー取りの絵図に太鼓橋とお宮さんらしい屋根が描いてある。禰宜さんの説明、ねきで聞くと、さすがによく分かった。?

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2010年2月 9日 (火)

魚字湯呑み、正答率は?

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 魚へんの漢字、エッヘンと言えるには…と、魚字の湯呑みをクルクル回した。京阪浜大津駅から徒歩2分の蕎麦屋「和楽屋」さんだ。昼過ぎに一人で行って、肉カレーうどん食べ終わって、お茶を飲みきってからである。魚字、縦に6字、横に8字並び、42字ある。

 右端の一番上、鮪はまぐろだ。これ、まぐれでない。鮃、鮑、鮒、鮫、鯰…、ひらめ、あわび、ふな、なまず…、この辺りは、スラスラと読める。鯔、鮠、鮸、鰙…これはパスだ。難しいのは、もう一度熟考してからだ。鮭はさけ、さける必要はない。鮫、鯛、鯖、鰹、鯵、鰻,鱧…、♪~スイスイ、スラスラ、スイスイスイ~♪だ。みんな植木等さんだ。?

 鮟??、うーん、そうだ。鮟鱇のあんこうだ。魳??、思い出した。魚絵カレンダーに出ていた。かますだ。市のちょんがなく、変なへんやなあと思って、記憶していたかますだ。鯨はくじら、哺乳類だけど魚、まあ、ここは単純に考えて、さかなでしないおこう。鱚、鰌は熟考の結果、きすとどじょうだ。鯔、鮸、鰙はもう降参だ。ぼら、いしもち、はや―だそうだ。鯣は何とするめと読む。正答率50%以下、恥ずかしい。もう、するめえ。

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2010年2月 8日 (月)

「美の脇役」に載った豊国さんの鯉

今から067_3思うと、ちょっとこい…のサインだったのかもしれない。京博のミュージアムショッ074_2プで、見つけた文庫本「美の脇役」である。豊国神社の国宝・唐門に彫ってある鯉の写真が載っている。秀吉を祀る豊国さんはすぐ北側だ。即本を買って、鯉を確認に行った。

 文庫本は産経新聞時代の司馬遼太郎が企画した連載だ。今を遡ること53年前の企画である。写真は社寺の欄間、襖の引き手などを部分アップ、俳人、学者、作家、僧呂が一文を添えている。当時、産経写真部に在籍していた井上博道さんの撮影だ。豊国さんの鯉は唐門の右側扉、一番下の段である。扉は開いて、賽銭箱の内側へ回り込み、覗きこんだ。

 買った本を開いた。鯉の執筆は日本画家・林司馬さんだ。当時は京都美大助教授で、古画の模写で業績があり、もうお亡くなりだ。~これはいつか自分が模しとった鯉ではないか。…桃山精神のあらわれた力強い、良い彫刻だな、と感心し…~との記述がある。そう読んで、目の前の鯉をみた。口髭に鱗に波模様…グイッ、グイッと彫り込んである。林さん、~こんな鯉、料理したら、どえらいこいこく(御威徳)に~と結んでいる。洒落は◎だ。

 

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2010年2月 7日 (日)

植物園、立春の花は?

 単行本1冊とデジカメ持って、自宅を出た。早朝、心配していたとおり丹波の太閤坦CCは積雪クローズの電話があった。 小雪が舞い続く昼、何処へ?ということなく、来たバスに乗った。河原町経由三条京阪行きだ。さてと?車内で思うと、やはり植物園である。 

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027下鉄に乗り換え、北山駅で降りて、園の入り口で年齢証明の運転免許証みせて…である。今年は初めても去年は7、8回行っている。いつもどおり松谷園長執筆のきまぐれ園だよりもらって、受付の職員さんに聞いた。写真になる立春の花、何か咲いてますか?と。ちょっと難解な質問だったか、間を置いて、梅ですかねえ…と。自信なげな返事だった。

 そう言えば、京都新聞に北野神社の早咲き梅が出ていた。植物園の梅林は60品種150本だ。毎年の観賞、北山口から3分足らずだ。白梅の玉牡丹と紅梅の紅冬至、馥郁と咲いて、7分咲きだ。もう5、6本、高い所で花が開いている。脚立のカメラマン、大きなレンズで梅に触れるが如くだ。負けじと小さなデジカメを向ける。清楚で凛とした梅―、うめく撮りたい。夢中で仰ぎ見ていて、開いた口に粉雪が入った。冷たくて、嗚呼ウメイ。?

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2010年2月 6日 (土)

カウンター席の向こう

 

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座っカウンター席、向かい側が見える。箸、醤油、ポット、漬物などが共用だ。開いている部分は3、40㌢ぐらい。顔までは見えないけど、何をどう食べているかよくわかる。覗いてはいけないーと思いながら、ついつい、デジカメ撮って、観察してしまった。

チエーン店のごはん処「やよい軒」である。京都市地下鉄烏丸御池駅を上がって、東南へ徒歩1分のところだ。入店はこれで2度目だ。自販機でミックスとじ定食を買って、この前と同じ席へ座った。前のお客さんは毛糸のセーター、若そうだ。左手で携帯を見て、右手に箸だ。テーブルは鍋の定食だ。デジカメを発光停止にして1枚2枚…、すみません。

テーブルの左に注文控え券がある。目を細めて覗いた。冬季限定のきりたんぽ鍋定食890円と1品の納豆100円だ。鍋から取り茶わんに移し移し、もりもりだ。あっ!立ち上がった。眼鏡かけた青年だ。お代わり自由、ご飯をよそってきた。2杯目は納豆だ。箸でグルグルご飯に混ぜた。慣れた手つきだ。観察から10分余り、鍋が底をついた。もう何もないのにお代わりだ。サービスのシナチク瓶で3杯目だ。この食欲、完敗して乾杯だ。?

 

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2010年2月 5日 (金)

妙法院門跡の蝋梅写真

 046_2んな楽しみ方、029独り占めでいいのか…と思う。そっと満開に咲いて、そっと花を落とす蝋梅の観賞だ。1月末のことだった。山科から京阪バスの馬町で降りた。東大路通りを南へ歩いて、何となく門跡寺院の妙法院境内へ入り、国宝の庫裏の北側で見た蝋梅である。

 枝先に数えきれないほど花を咲かせている。そばへ寄って、クンクン匂いをかぐ。中国伝来の蝋梅、これが楊貴妃の匂いなのかもしれない。そう勝手に思って、もう一度クンクン、いい匂いだ。木は細いけど背は高く2㍍以上ある。樹齢?幕末の七郷落ちで名を残す妙法院ほどの歴史の輝きでないにしても、枝ぶりと花の咲き具合い、かなりの年輪である。

 幹は太いのや細いのや8本だ。花は黄色く咲いて喜々としている。黄と喜々?、洒落て花マル、自己陶酔だ。最初に蝋梅見つけたのが1月23日で、それから1週間後の30日と2度行った。上の写真は二度目に撮った。南側の菰被りの蘇鉄を入れて逆光から何枚も…、反対側に回って鬼瓦が睨みをきかす庫裏の屋根を背景に何枚か…である。観光寺院でないので、土曜でも人はいない。蝋梅の独占撮影、臭うはクンクン、写してフムフム…。

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2010年2月 4日 (木)

吉田神社節分、河道屋の年越しそば

 

~熱い熱いお蕎麦です~、~毎年毎年、ご贔屓になります~、~中は千畳敷です~022、それこそ、毎年毎年の呼び込みである。何処でマイクを握っているのか、テンポが良くて、巧みな語り口だ。吉田神社の節分、河道屋がのれん会を挙げての恒例の年越しそば出店だ。

026 もう5、6年前からか、毎年毎年?行っている。東大路一条から屋台が並ぶ。鯛焼き、牛すじ、肉巻き…およそ千軒と言われる出店だ。右見て左見て、唾をぐっとこらえて、真っすぐ河道屋だ。テント販売の食券は600円。千畳敷の店内?赤いビニールを緋毛氈ふう敷いて床几が上から下へ並ぶ。通路の真ん中は、備長炭の炭火が赤々として、暖か~い。

 年越しそば?12月31日は晦日そばで、立春を迎える前日は季節替わりの年越しなのだ。呼び込みさんは言う。~蕎麦で福を持ち帰り、いい年を迎えて下さい~と。傍に蕎麦が来た。箸紙は「年越しそば 河道屋のれん会」だ。蕎麦、アツツだ。刻み海苔にワサビ入り大根おろし。青首の辛味大根だろうか、毎年毎年ピリッとしている。呼び込みさんがまた言う。~のれん会、節分出店50年です~と。毎年毎年、暮れて明けて、春が来る。

 

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2010年2月 3日 (水)

味めぐりはおこわと鯖寿司

   家なし子みたいに059また行った。JR京都伊勢丹の食彩味めぐりだ。JR大津駅から京都へ10分、今048週はどんなんかナ?とついつい行く。先週は上野やぶそば、浅草の今半など東京店だった。週が代わって、鯖寿司が出ている。長崎は五島のさば、幻のさばだという。

 ひと目あったその時?からでもう決めてはいたが、反対側の店にも回った。広島焼き、蟹寿司、真鶴の干物、それに福岡県大野城市からはおこわだ。明太子、豚角煮、高菜が乗り、もちっとして、美味しそうだ。伊勢丹閉店の10分前だ。半額です!300円引きです!…引いて引いてーの声がする。さて、買うと決めていた鯖寿司、何ぼになるかな…とお店へ行った。

 平野屋さんの大村寿司だ。愛想のよいお母さん、長崎県大村から来ている。鯖と太巻き詰め合わせ1365円を千円にするという。これは家もあるので、持ち帰り用に買う。大野城市のおこわは3個777円が500円だ。これも買って、これは家なし子で、いつも通り拉麺小路へ。テークアウト席、そう飲めないけどサントリーモルツを買って、写真撮って、紙包みを開ける。花金はおこわ、土曜は鯖寿司。週末の食人生、ここに幸あり。?

 

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2010年2月 2日 (火)

番外メニューのちゃんぽん麺

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食べても食べても…である。これだけ具が多いと、ひょっとして、ちゃんぽん中のちゃんぽんかもしれない。滋賀県庁前、大衆食堂「味さかえ」だ。旧東海道筋にあって、冬の鍋焼きと演劇人色紙のことは前に書いた。今回は時間外メニューで出すちゃんぽんである。

 どうして番外かというと、作るのに時間がかかるからだ。調理場はコンロが二つ、昼の客が多い時間は鍋焼きが占拠するから、余裕がないという。それで客が少なくなった午後1時以降に「ちゃんぽん麺、ちゃん?と出来ます」の貼り紙を出す。番外ちゃんぽん、写真のとおり、野菜たっぷり、量よし、味よしだ。この1週間、昼の時間外に3度も行った。

 具は何種類か、テーブルの口拭きのティシュに書きあげて見た。野菜は人参、モヤシ、白菜、葱、玉葱…だ。これに蒲鉾、木耳、豚肉、鶏肉、烏賊で、合わせて10種類、それもどれも量が多い。レンゲで汁を掬い切るまで、15分以上かかる。午後2時半回り、客一人のおり、店主の福田栄一さん(66)の許しで調理場に入った。鍋、釜、包丁、皿、まな板、肉、杓子…ここもちゃんぽんだ。この道30年の福田さん黙々、ちゃんと頑張る。?

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2010年2月 1日 (月)

粟津の晴嵐ー今は?

  昔を見て、今を見た。近江八景の一つ、粟津の晴嵐である。京阪石坂線に乗って、012_3

粟津駅014_3で降りた。浜大津駅から終点の石山寺へ8つ目だ。昔の粟津の晴嵐は?意外にも駅員さん、さあと首をかしげる。仕方がない。改札出て、湖岸の旧東海道方面へ向かって歩いた。

 すぐNEC晴嵐会館見つけた。社員向けか鍋3000円プランの看板、この付近だ。そこから東北へ2、3分だった。粟津中とNECに挟まれた旧東海道沿い、背の高い松が歩道に2本、少し離れてもう1本あった。膳所城と湖岸の間に500本もの松が植わっていて、歌川広重が浮世絵に残した、あの粟津の晴嵐だ。今は松3本、半導体のNECである。

 新しい粟津の晴嵐は、東へ200㍍だった。湖岸通りを経て、なぎさ公園の中、粟津中の陸上部員が松並木を走っていた。平成10年、大津市が植樹している。名勝の謂れを書いた駒札と石碑があった。地名の晴嵐、意味が分かった。晴れた風の強い日、松の枝葉が嵐の如くざわざわ…だった。東はJR東海道瀬田川陸橋、西は近江大橋だ。また粟津駅へ戻って、駅員さんに名勝の今昔を説明する。駅員さん、勉強になりましたと。エッヘン!。

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