マリーナ像と阪神大震災の記憶
時計の針は動かない。二つの針はあの日あの時を忘れないために止まっている。短針は5時、長針は46分を指し示している。丸い黒い時計、ローマ数字の文字盤だ。あの日、平成7年1月17日午前5時46分である。阪神大震災の記憶。あれから15年経った。
神戸市役所1号館の前、花時計と隣り合わせの彫刻時計だ。円柱の大理石の上に金色のマリーナ像がある。黒い時計を抱えて、魚の背中に乗っている。口は大きく、鰓のはった魚だ。像は所々、金箔が剥がれている。円柱の下に「1976 YURI SHINTANI」とある。作者名と制作年だろう。神戸市公園協会、昭和51年4月寄贈-の表示も。
暮れに花時計を見に行って、マリーナ像も撮っておいた。植え込みの一角、神戸市建設局が一枚のプレートがあった。「阪神大震災の記憶」の見出しと倒れたマリーナ像の当時のままの写真。震災の記憶を永遠にとどめるために~と説明してあった。あの日の記憶が甦った。京都も揺れたが、神戸があんなにだったとは…。六甲の叔母が小学校に避難した日だ。毎年の「1月17日午前5時46分」―、人それぞれの忘れ得ぬ記憶、今もである。
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コメント
そうですね~あの日から早や15年。あの日、私は東京に出張中でした。所用を済ませて、3日後に神戸に入りました。
梅田から阪神電車で神戸を目指しました。車内は縁戚や友人たちに届ける食料や日用物資を詰め込んだ大きなリックを担いだ人たちで満員。しかし電車は武庫川駅から先は不通。ここからバスと徒歩で三宮に向かいました。
横倒しになった高速道、ぺしゃんこにつぶれたビルや家屋~~疑うような風景を目の当たりにしながら、三宮に着いたのは梅田を出て3時間半後でした。
押しつぶされ、窓が飛び散りメディア機能を失った神戸新聞社。涙が止まりませんでした。
ハーバーランド近くに緊急に確保した神戸新聞臨時編集局を訪た後、まだ煙がたなびく菅原市場に入りました。カメラを肩に、そして花束を持って~すぐ近くに倒壊しつぶれた市民病院が~~
「どうしてるかなと心配しとったとよ。生きてたんやね」
神戸駅からハーバーランドに向かう地下道で、安否が分からないままだったのだろう、抱き合って号泣する女子高校生らしい友人同士の、あの光景が、今も目に焼きついて離れません。
投稿: | 2010年1月14日 (木) 10時23分