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2010年1月

2010年1月31日 (日)

ハッとした鳩の行方

 

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政権を獲った小鳩ではない。駅のホームの野鳩のことだ。平和の使者、鳩が駅に巣くって、益か、無益か-と駄洒落て、鳩のことを書く。あれは日曜の昼下がり、JR山科駅上り線ホームだった。鳩が目の前を飛び立って、思わずハッとしたことが話のきっかけだった。

ハッとして鳩、久しぶりに決まった…と、悦に入りつつ、鳩を目で追った。鳩はバタバタと飛んで、ホームのスレート葺き屋根の内側にとまった。毛づくろいしたり、顔を羽根に埋めたり…だ。足元を見たら3羽がチョコチョコしている。仲間か、親子か-、キヨスク売店の周り、パンくずでも探しているようだ。山科駅のホームに居つく野鳩のようだ。

 京阪電車勤務の知人に駅と野鳩の関係を聞いた。ホームや階段、何処にでも糞を落とすので、困っているという。ホームに販売店がある駅ほど、鳩が多く、追っても、追っても…だそうだ。JRと京阪と地下鉄が併設の山科駅、真ん中のアーケードに棒磁石をぶら下げてあると言う。設置当初は鳩がNSに感覚を失ってか、効果ありだったが、今はないという。雨の朝、見に行った。確かに磁石はあったが、鳩は群れて、フンという風だった。?

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2010年1月30日 (土)

湖岸に冬の満月、世の中まあ~るく

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 何気なく見上げた空、満月だ。県庁前の滋賀会館を出たところだ。真ん丸く照り輝くいて、こちらを見ている。何時頃からか、自然体で丸くなった頭、そっと撫でた。お月さんと一緒だ。帰り道、いつものJR大津駅でなく、反対の琵琶湖岸へ出て、なぎさを歩いた。

 如月まであと3日になった夜だ。コート着て、首にマフラー、寒くはない。満月見上げ見上げ歩いた。時折り雲間に入ってもすぐ出てくる。京阪石坂線の島の関駅から北へ行って、すぐ湖岸だ。水上警察から大噴水が見える。放物線の彩りアーチ、見事だ。琵琶湖汽船ビアンカの向こうだ。南側は琵琶湖ホテル。部屋の灯り、週末入りで宿泊客が多そうだ。 

ホテルの西にレジャー施設「アーカス」が隣接している。建物の曲線美、階段下から眺めて、カーブカーブしている。毎月第2、第4金曜はアーカスの日だそうだ。駅のポスターに出ていた。サーカスではなく、映画が千円で、夜は花火打ち上げという。この日はその第4と思ったら今年は元旦が金曜で、なんと第5金曜だった。年にそうはない第5金曜、花火の代わりに満月があがった。アーカスの曲線美と満月と…世の中まあ~るくまあ~るく…。

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2010年1月29日 (金)

新熊野神社の「さすり木」

044 058  拝むが先か、撫でるが先か、必ずのように撫でて触る。新熊野神社の大樟(くすのき)さんの「さすり木」である。ちょうど腰のあたり、高さ1㍍足らずで、てっぺんが平らだ。何時頃からそうなったのか、お参りの人々がタッチまたタッチで、真からツルツルである。

 京都は平安京から1200年の都、さすがにと思う。新を「いま」と読ませて、新熊野を「いまくまの」というのも歴史だ。本家紀州の古い熊野に対し、京都の新しい熊野というほどの意味らしい。社伝によれば、永歴元年(1160年)熊野信仰に厚かった後白河上皇が熊野の土砂、木材を持ちこんでの創建で、境内東南の大樟は上皇のお手植えという。

 この大樟の枝がお触り木になっているようだ。東山七条から歩いて2、3分、この1月に写真撮影兼ねて2度行った。樟社は弁天さんが祀ってあり、太い幹回りに注連縄が巻いてある。お賽銭入れ、ガランと鳴らして、真下から見上げれば、空中が樟だ。高さはどうだろう、15㍍か20㍍、枝は横に斜めに…。京都市は昭和58年、天然記念物に指定している。写真は下って下って撮った。歴史の樟は、健康祈願の樟。また戻って、擦ってパンパン。

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2010年1月28日 (木)

長谷川一男名作シリーズ健在なり

115 119  雪之丞変化、沓掛時次郎、残菊物語…3枚の絵看板が並び、長谷川一男名作シリーズだという。真栄鶏卵「松本」の調理場への入り口に飾ってある。京都中央市場の近く出汁巻きのお店だ。長谷川一男の看板のことが聞きたくて、2年ぶりに御主人に会いに行った。

 前もそうだったが、足が不自由でストーブの所で話を聞いた。大阪出身、満蒙開拓団を経験、一人で店を起こした松本常一さん、今年で86歳だ。少し話し出したら、こちらの顔を思い出して、能弁になってきた。~長谷川一男が大好きでねえ。30年前にこの店を始めたおり、看板屋さんに映画のネガを渡して、特別注文で描いてもらってね。1枚10万円で30万だった~。

 えっ、1枚10万、そんなに!と驚くと、~開店でチンドン屋さん呼んでもそれぐらいの値段はした。消えるより残るもんと思ってね~と長谷川一男にしたと話す。値段?嫁はんに2万円と言うてある。これ内緒やでえ…と。店を切り回す奥さんが横を通っていても平気で内緒や!と言うので、もう時効なのかもしれない。競演の女優は淡島千景?と聞くと、そうやという。南座の看板を描いていた絵師さんの作品だ。お宝看板、松本さんの思い出とともに…である。

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2010年1月27日 (水)

梅小路公園のレストランは「ん」

072 064  レストラン名は「ん」という。首を捻っても、眼を擦っても「ん」は「ん」だ。お店は梅小路公園・緑の館の中だ。JR京都駅から歩けば、西へ15分ぐらいだろう。夜の懇親会で何度か行っている。どうして「ん」なのか聞きたくて、初めて昼に一人で行って見た。

 緑の館の展示室から「ん」へ入った。吹き抜けの天井、店内に小さな川…座ったカウンターの前はガラス越しに池泉回遊式庭園の朱雀の庭だ。築山あり、花床あり、滝あり…一人では贅沢な眺望である。中央市場が近いせいか、魚料理が新鮮で安いと定評がある。注文は即決めていた。表看板の7種海鮮丼1100だ。昼をだいぶ回り、客はそう多くない。

 店名由来、注文と同時に聞いた。上下黒い制服の女子店員さん、よく聞かれるのだろう。即答えた。~運のんと、50音の一番下のん、這い上がる意味です~と。聞いて即了解して、ウンダ、ウンダ。お店は左京区の北白川が本店、荒神口、木屋町などあるという。店舗拡大、運あり、這い上がりのようだ。海鮮丼出て来て、朱雀の庭を借景にデジカメ撮った。鯖、鯛、鮪、烏賊、帆立、鮭、鯵…と1から7まで数えた。海鮮7種、ウンダウンダ!

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2010年1月26日 (火)

田中優子さんの江戸学講演を聞く

007 014  いつも着物姿だという。法政大学社会学部教授、田中優子さん(5?)だ。TBSのサンデーモーニングに月1回、コメンテーターとして出演している先生だ。琵琶湖ホールであった講演会で、著書の多い専門の江戸学を演壇のパワーポイントを操作しながら喋った。

 着物は派手でもない地味でもないベージュ色だ。サンデーモーニングもあまり見ていないし、芸術選奨新人賞の著書「江戸の想像力」も読んでいない。どんな女性で、どんな話なのか、会場の後ろか見て聞いた。~民主党政権になったらあまりコメントすることないかなと思ったんですが、同じでした~と、軽いジョークから入って、淡々と話しだした。

 近著に「カムイ伝講義」と「未来のための江戸学」がある。話しぶり、進めば進むほど、さすがに博学ーと思う。関西へ来ると歴史の深さで小さくなる-と言いながら着物は江戸か関西か―と言えば江戸小紋だという。浮世絵も江戸の発信だし、蘭学も長崎でなく、江戸の学問だと話す。ここで洒落るなら、えーど、えーど江戸かな。話はごみ、便所、水の長家のこと、肥問屋のことなど循環社会の大切さを説き、会場をうん、うんと唸らせた。

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2010年1月25日 (月)

滑り止めの砂で合格サポート

021 020  サッさ一杯のサでなく、砂でサポートのサだ。運転開始から100年の京阪電車が受験生を応援する合格祈願の勝利の砂ポートである。なかなかのアイデアである。京津線浜大津駅ホームに置いてあったので、砂入りの小さな袋、高校受験の孫娘を思って、ひとつ頂戴した。

 京阪神社の鳥居はホームの柱、自販機のところだ。お賽銭箱はない。手を合わせてパンパンだ。覗きこんだ箱、小さな砂袋はまだ5、60個入っている。鳥居の紙絵に御利益のほどが厳かに書いてある。職場帰り、京都市役所行き電車の発車まで、まだ間がある。ご利益を読む。袋に入っている砂は電車の滑り止めで、試験にすべらない砂デアルという。

 つまりはゲンかつぎの合格の砂なのだ。御利益のほど、もう少し書いてある。今までこの砂のサポートで合格した受験生から返還された砂も混じっていて、コウノ、アアノという以上に効能があるという。砂袋入りの箱、春蘭満の桜が咲いている。緑の台紙に鮮やかなピンク、合格祈願の絵馬に砂袋も写っている。沿線の受験生を応援する京阪電車の策、サクラ咲くだ。浜大津始発の折り返し電車が来た。孫娘土産の砂袋、ぎゅっと握って乗った。

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2010年1月24日 (日)

上野藪そばの穴子天丼

028 030  職場帰り、また行った。JR京都伊勢丹、地階の食品フロアだ。週替わりで人気店が出る今週の催し、東京のうまいものまつりだ。浅草今半の牛肉弁当に銀座の木村屋は酒パン…ごえもんカドヤの鯛焼き、その場で焼いて長い列が続く。ヌクヌクして、おいしそうだ。

 さてさて…である。コーナーぐるりと1周した。上野藪そばだ。そば屋の天丼、かき揚げ丼、穴子天丼が並んでいる。見ると、つい欲しくなる穴子天丼、縦長の折りに入っている。穴子の大きさに合わせてある。閉店30分前、1260円の値札が300円引きだ。千円出した。穴子天丼とタレもらい、写真撮った。お客さん!声かかってお釣り忘れだ。

 何時も通りーと言っても、これで3度目だが、EVで10階まで上がり、拉麺小路のテークアウトコーナーへ。相変わらず入店待ちの東大ラーメンの前だ。カウンター席に座り、ガサガサとビニール袋から穴子天丼取り出し、ここも何時も通り、記念撮影だ。真上から真横から撮る。ダレも見ていないかタレかけて、かぶりつく。さっき見た鯛焼き君と違って、冷え冷えしている。でもまあ、昼間なら千円以上の穴子天丼、アナナアナナ…だ。?

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2010年1月23日 (土)

応援法被で宮崎はココやが!

083 086 あの時から1週間経って、宮崎県の応援法被が出てきた。写真を取り込んだパソコン画面。カラフルな長い法被だ。17日の全国都道府県対抗女子駅伝である。ゴールの西京極競技場のスタンド。失礼と思いつつ、後ろから撮って、入力しておいたあの時の写真だ。

 派手も派手、大派手だ。法被は南国ブルーで染め抜いてある。背中は黄色で日本列島の地図だ。赤い丸の中、白抜きで「宮崎はココやが!」と書いてある。宮崎弁で九州南東に位置する県のところを指し示している。裾は椰子デザイン。4年前に行ったおり、道路の中央分離帯に植わっていた。地元の知人からワシントンパーム-と聞いたのを思い出す。

 法被の主は宮崎県人会の役員さんだ。電光掲示板のあるスタンドで、カメラを提げている。アンカーを待つ間、メーンスタンドにいる同郷の人と、しきりに携帯で連絡をとりあっている。暫くして、スタンド一番上の応援の横断幕が前へ移った。もっと目立つ場所へーという指示だった。宮崎は東国原知事の登場で、知名度は全国区である。昔のような宮崎どこやが!ではない。マンゴーに地鶏に焼酎…みんなが知っている今の宮崎、ココやが!である。

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2010年1月22日 (金)

両足院の伊藤若沖

020 031 話を聞いて、そうか…と見直した。建仁寺の塔頭、両足院が所蔵する伊若沖の軸絵「雪梅雄鶏図」だ。ガイドの女性がこまごまと解説する。赤い花の名、虫食い葉、萎れた水仙…、ついつい見逃してしまう箇所だ。絵師・若沖の写実力と描写力、ここにあり-と話す。

 両足院が元日から開催した新春特別公開だ。京に縁のある二人の絵師と題して、所蔵の作品を展覧した。最終日の17日、拝観料600円払い、両足院の玄関で両足の?靴を脱いで上がった。もう一人の絵師は没後400年、東京国博で記念展開催の長谷川等伯だ。両足院は七賢図屏風など2点の公開だ。庭園はおよそ3000坪、要所要所で説明がある。

 若沖の作品は書院の床の間だ。縦長の軸絵、畳に胡坐をかいて見た。庭園説明すんだガイド女性、若沖を語り始めた。京都・錦小路の青物商の長男で…、鶏の絵師と言われた…と若沖は得意の分野らしい。あの赤い花は椿か、山茶花か…と問う。~花びらが一枚一枚、落ちていたら山茶花ですが…。葉は虫食いのあとまで描いて、さすがですね。左端の隅っこ、水仙が萎れていますね~。解説は仔細、絵も微細、こちらの眼元も細目に…だ。?

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2010年1月21日 (木)

十二段家の大海老天丼

047 045  頭からガブリといった。白身、柔らかくフガフガ、甘みがある。二かぶり、三かぶり、もう一かぶり…合わせて4度だ。尾っぽ付近にもまだ身がある。ここは皮ごと、歯でガリッと齧った。ご飯少な目、大海老の天丼だ。海老の長さは10㌢以上、それが、2匹だ。

 京都・花見小路四条下ル、十二段家の昼だ。店先に写真付きで「大えび天丼 1850円」の二つ折り看板が出ている。一力茶屋の南隣り、風格のある黒格子の店構え。日本で最初にしゃぶしゃぶを始めた十二段家である。日曜の女子駅伝観戦、早めに自宅を出た日だった。どんな大海老の天丼か、思いきって、財布の紐ゆるめて、長い暖簾を潜り入った。

 半纏の女子店員さんがテーブル席か座敷かーと聞くので、靴を脱いで左の座敷へ。奥の奥、丸い卓袱台へ一人座った。民芸調、懐かしさ甦る。大海老天丼、物静かに出て来た。吸い物は三つ葉とワカメ。いいおつゆ具合だ。好物の出汁巻きは二つもあり、フワフワだ。天ぷらの衣は出汁がしみ込み、ご飯まで通り、醤油色だ。漬物の沢庵は浅漬けで、噛むとコリコリ音がする。見た目以上に大きな海老、こちらはコリコリではない。笑み笑みだ。?

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2010年1月20日 (水)

清少納言の歌碑との出会い

068 067  思わぬ所で、思わぬ歌碑によく出会う。この間は枕草子の清少納言の歌碑だ。御寺を「みてら」と読む御寺・泉涌寺の境内、仏殿の東側だった。縦横1㍍くらいの自然石で、昭和の名筆家・日比野玉鳳氏の揮毫だ。昭和49年11月 平安博物館設立-と記されている。

 歌碑の刻まれた自然石を覗き込む。名筆ゆえか、風化ゆえか、読めない。解説の駒札の所へ行く。これも墨が薄くなっている。一歩も二歩も近づいて、歌がわかった。~夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも 世にあふ坂の関は ゆるさじ~である。ああ、知っている。小倉百人一首、思わずハ~イだ。平安博物館の駒札、さすがに詳しく書いてある。

長徳3年(997年)3月、書道家・藤原行成に贈った歌だという。歌の意味は、夜が明けないのに鶏の鳴き声でだまして通ろうとしても私は通しません~ということらしい。鶏のそら音?昔もコケコッココウ!かなーと思う。これに対し、行成が返歌で清少納言をやり込めたとも出ている。清少納言は宮廷生活を終えた晩年、東山・月輪のこのあたりで隠棲していたらしい。駒札で学習、もう一度自然石をみるが、歌碑は読めず、甲斐はない。?

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2010年1月19日 (火)

キクとイサム、初の舞台共演

007 036  映画「キクとイサム」上映から51年たった。独立プロ・大東映画の第1回制作作品で、今井正さんが監督、その年の映画賞を総なめにした。主演はキクの高橋エミさん、イサムの奥の山ジョージさん。大きくなった姉弟、久々に会って、二人で初めて舞台に立った。

 滋賀の県立ホール・創造館だ。大東映画を興した角正太郎さんのふるさと・草津市にある。ジョージ君はあの映画の縁で、滋賀に来て、中学・高校を卒業、60歳を越えた今も新聞配達をして暮らす。歌手になった姉役のエミさんが「トークと歌」の舞台に上がった。持ち歌3、4曲終えた頃だろうか、左手の舞台の袖から花束を持ったジョージ君が出てきた。

 映画では12歳と9歳の姉弟も、実際は1つ違い。子役でもどっしりのエミさん、今も堂々としている。声はドスがきき、演歌の無法松の一生は迫力十分だ。ジョージ君、背がすらり。見上げるエミさん「大きくなったねえ」と。福島県ロケのこと、おばあちゃんの北林谷栄さんのこと…、思い出話に花が咲く。苦労も…とエミさんが言うと、ジョージさん、ロケは遠足気分…と笑ってかわす。偏見と差別の時は流れて、会場拍手に温もり思う。

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2010年1月18日 (月)

全国女子駅伝、チバリョ!沖縄

 068 097 まだか、まだか、沖縄の4区、前堂選手がピョンピョン跳び上がって待つ。丸太町河原町の第3中継点。トップ千葉に続いて、岡山、京都と上位チームが行って、もう随分経つ。45位岩手、46位和歌山の襷リレーもすんだ。47番・沖縄、やっと来た。チバリョ!

 都大路を走る全国女子駅伝、今年の第28回大会も観戦に行った。話題は京都が史上初の6連覇かどうか。もう一つの見所、沖縄が最下位を脱出するかどうか。沖縄の最下位は3年連続、過去最多の10回である。ゼッケン47番の最下位に再会?なんて洒落ている場合ではない。チバリョ!…携帯ワンセグ見ながらブルーのユニホームを追いかけ続けた。

 優勝争いは京都が意外に伸びず、岡山が折り返しから安定して走って初優勝だ。最下位争いは熾烈だった。4区の前堂選手、和歌山を抜いて46位に上がった。7区では岩手が最下位で、最終9区ではまた沖縄になったが、ワンセグの観戦では僅差だ。ゴールの西京極で待った。岡山がテープ切って、5分、10分…、45位は岩手、46位は和歌山だ。やはり沖縄47位、1周遅れのトラック、アンカー安里選手が一人走る。場内は温かい、チバリョ!

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2010年1月17日 (日)

七福神巡りの小豆がゆ

040 030 フーフー食べると、福が逃げて行くという。弁財天の戒光寺が七福神巡りで出す接待の小豆がゆだ。よほど有り難いのか、それは、長い列だ。右に折れ左に折れ、また右に折れて、たどり着いた。小豆がゆ、フーフーせず静かに…だ。幸い?夫婦でなく一人だった。

 御寺・泉涌寺の塔頭の一つ、戒光寺は七福神巡りの第2番・弁財天を祀る。ご開帳は年2回限定という融通弁財天。手が8本あって、お参りすると、金銭融通のご利益があるという。お賽銭投入に長い列、さらに長かったのが小豆がゆ。先着3千人。初めての七福神巡りのお参り、せっかくと並んだ。時間かけても前へ前へ-少しずつでも前進気分は良い。

 進んで行くと、見えてくるものがある。お堂の板戸に張り紙が1枚、2枚…。その一つはお供え表示。米30㌔は木村伊利さん、小豆5㌔は岡井孝臣さん。檀家さんか、さすがにお粥、痒い所に…だ。もう1枚は福ゆかりの小豆がゆ、フーフーせずに…だ。お多福さんの似顔絵入りだ。並んで20分、小豆がゆが見えた所で「お志し」だ。無料ではなかった。小銭入れを出した。幸か不幸か、5百円硬貨なく、百円硬貨。融通の効果期待だ。?

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2010年1月16日 (土)

来迎院の布袋船は定員オーバー

060 058 布袋さんの人形、どれくらいだろう。10、20、30…、大づかみに勘定して、100や200ではない。軽く1000体以上だ。新しいのや、朽ちかけたのや…、大きいの、小さいの…色々だ。長さ7、8㍍の石造りの屋形船、明らかに定員オーバーの乗船である。

毎年1月、成人式の日にある京都泉山七福神巡り。JRと京阪の東福寺駅から徒歩10分、皇室の菩提寺である御寺・泉涌寺の参道を入って、東山の麓にある塔頭を順番に回る。今年は3連休の最後、12日だった。年明け、京阪山科駅の掲示板でポスターを見て、初めて行った。布袋さんは第4番、来迎院だった。第3番、観音寺の恵比寿さんの次である。

境内入って、お参りの長い列が続く。お賽銭あげるまで10分、お寺さんから、ようお参り~の声がかかる。本堂の隣り、伏見人形の布袋さん販売中だ。大きさ色々あるなあーと買わず、三宝大荒神へ。階段あがって、またお賽銭あげて、左側を見たら、写真の布袋船だ。何でも、小さいのから毎年、順番に買い求め、7体揃って、この船へ奉納すると、ご利益があるのだそうだ。毎年の奉納が重なり、転落しそう布袋さんがいて、オーノー。??

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2010年1月15日 (金)

道場・田ごとの京風カレーうどん 

008 011  良い癖か、悪い癖か、何で?何で?と、聞いてしまう。京都の真ん中、新京極四条上ル100㍍にあるお店だ。店先に「道場・田ごと 京風カレーうどん そば」の看板が立てかけてあって、どこが京風か?何で店名に道場付くのか?-、それが聞きたくて入店した。

 店内は細長く、京風の鰻の寝床ふうだ。気温2、3度の寒い夜だ。男女客が帰って、1人になった。聞き安い環境だ。割烹着、ジーパン、草履ばきのお兄さんが答える。京風は出汁がカツオと昆布で薄味だからで、道場は店の所在地が昔、道場と言ったからだという。店の息子さんか、どんなことでも、どうじょ!?の構え。受け答えがしっかりしている。

 新京極が昔、道場とは…である。お店は明治の代からで130年、4代目の店主という。注文は京風カレーの鳥なんばうどん770円だった。鶏肉も葱も柔らかい。うどんは太くなく細くなく…。カレー出汁、レンゲで掬って、控え目にピリリッ。いい味、老舗の味だ。レジの前に「更科 田毎の月」の浮世絵一枚かかる。段々畑の一つ一つに満月が映っている。田ごと、これが店名由来-とお兄さん。何で?何で?と聞いて、おいし~、アイシ~。

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2010年1月14日 (木)

マリーナ像と阪神大震災の記憶

114 113  時計の針は動かない。二つの針はあの日あの時を忘れないために止まっている。短針は5時、長針は46分を指し示している。丸い黒い時計、ローマ数字の文字盤だ。あの日、平成7年1月17日午前5時46分である。阪神大震災の記憶。あれから15年経った。

 神戸市役所1号館の前、花時計と隣り合わせの彫刻時計だ。円柱の大理石の上に金色のマリーナ像がある。黒い時計を抱えて、魚の背中に乗っている。口は大きく、鰓のはった魚だ。像は所々、金箔が剥がれている。円柱の下に「1976 YURI SHINTANI」とある。作者名と制作年だろう。神戸市公園協会、昭和51年4月寄贈-の表示も。

 暮れに花時計を見に行って、マリーナ像も撮っておいた。植え込みの一角、神戸市建設局が一枚のプレートがあった。「阪神大震災の記憶」の見出しと倒れたマリーナ像の当時のままの写真。震災の記憶を永遠にとどめるために~と説明してあった。あの日の記憶が甦った。京都も揺れたが、神戸があんなにだったとは…。六甲の叔母が小学校に避難した日だ。毎年の「1月17日午前5時46分」―、人それぞれの忘れ得ぬ記憶、今もである。

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2010年1月13日 (水)

仁志出高福さんの花嫁と朝凪

001 066  日本画家・仁志出高福さん(83)の絵に即、出会った。京都市美で開催中の日展京都展である。仁志出さんは日展会友で、大津市在住の日本画の重鎮だ。病気を克服、見事に復活して、京都展主催の京都新聞社賞受賞という。どんな絵をどう描いたか、見たかった。

 玄関入って、階段上がり、真っ先に日本画会場へ行った。復活の仁志出作品は第1室の入り口側にあった。花嫁を描いている。長い髪、ロングドレス、手にブーケ。黒を基調している。花の赤色、手袋の白…、ガラスの向こうか、木々の薄い緑…、黒の濃淡を使った巧みな絵だ。縦長の130号である。題名を見た。~窓の向こうへ消えた冬~と出ている。

 何と意味深な題だろう。花嫁、やっとの春なのだろうか。ひょっとして、病魔を追いやった仁志出さんのことかもしれない。去年暮れ、大津市柳ケ崎のびわ湖大津館(旧琵琶湖ホテル)で、2階に展示してある仁志出さんの作品「朝凪」=写真右=を見た。凪いだ水面に浮かび出た杭を二重映しで描いている。色づかいに派手さはない。静かでいて、大きさを思わす絵だった。杭から花嫁へ、お名前の高福さんに肖り、見る「こうふく」を思う。?

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2010年1月12日 (火)

龍馬とお龍「結婚式場」跡

163 162  どうして「りゅう」の龍を「りょう」と読むのか、NHK大河ドラマの龍馬伝が始まった。妻のお龍もまた「おりゅう」でなく、「おりょう」である。国語辞典で「りょう」を引いても、石川遼の「遼」は出てくるが、「龍」は出てこない。以下は龍龍夫妻の話である。

 二人は今の京都の東山YHの所で祝言をあげたという。東山YHは京都市地下鉄東山駅を出て1分余り、東山三条を東へ行った南側だ。ここに去年、NPO法人京都龍馬会が、歴史学者・中村武生さんの解説文付きで石碑を立てた。高さ1㍍ぐらいで~坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡~と流麗文字で書かれている。部屋越しに龍龍夫妻の写真も貼ってある。

 通りがかり、つい足をとめて見てしまう。この間の日展帰りもそうだった。道行く人、大概がそうだ。りゅうまや!と若い二人、記念写真を撮る。発音はりょうまではない。解説文によると、ここは青蓮院の境内にあった金蔵寺の本堂で、二人は元治元年(1864年)8月に内祝言、つまり結婚式を挙げたという。246年前だ。明治まで生きたお龍さんの証言だそうだ。龍が「りゅう」でも「りょう」でも、りょうあってもめでたい話だ。?

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2010年1月11日 (月)

日展作家・池田良則さんの解説に出会う

010 150  京都市美で開催中の第41回日展へ行った。京都展は東京からの巡回展で、年末年始の開催が恒例だ。もう10年来、毎年のように鑑賞する。今年は3連休の9日だった。昼前、洋画会場へ足を運んだおり、地元の日展作家・池田良則氏(59)の列品解説に出会った。

 池田さん、文化勲章受章の日本画家・遥邨さんのお孫さんだ。青塔社率いるお父さんの道夫さん(8?)は日展の評議員で、今回も無鑑査出品している。お父さんとは面識あって存知あげているが、良則さんは作品知っていても、お顔を見るのは初めてだ。身長は1㍍65ぐらい、口髭を蓄えている。マイクによく乗る声で、解説ぶりは板についている。

 洋画第4室にご本人の作品=写真=がある。題は「坂道の町」だ。1977年に初入選以来、33回連続入選で、この所はメキシコの風景を描いている。先回りして待っていたら最後の最後に自分の作品を喋った。絵はやはりメキシコだった。銀山のあるタストという町で、宿泊ホテルの屋上から描いた。民家が縦横に密集していて、銀山への坂の道に心を奪われたという。解説聞いて、納得である。坂道~のポストカード、帰り道に買った。?

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2010年1月10日 (日)

琵琶湖を帯に照らす日の出

020 061 ジワジワ、ジワッ~湖面に光の帯が伸びて来た。これこれ、この光景なのだ。前々から撮りたかった琵琶湖の日の出だ。静かで眩しい輝き~、朝だ、光だ、湖だ!。近江大橋を挟んで、左は矢橋の帰帆の矢橋、右は粟津の晴嵐の粟津だ。近江八景の二つ、冬の朝だ。

大津市のTMさんに日の出写真のポイントを聞いていた。朝夕、琵琶湖の写真を撮り続け、何度か個展を開かれている。~大津プリンスから汀を近江大橋の見えるあたり。時間は6時半から7時半で、空の色の変化が素晴らしい~と。9日朝、山科駅6時31分発の京阪京津線に乗って、明け始めた浜大津まで行った。なぎさをTMさん指示どおり歩いた。

背中にホカロン、防寒服のポケットに温かいウーロン茶だ。琵琶湖ホテルからびわ湖ホールを過ぎたあたり、ビルの向こう朝焼けだ。黒い雲が滲むように赤く染まっている。釣り人が立つ湖面は凪いで、銀色だ。日の出ポイントまでまだ距離がある。走るように歩いた。大津プリンスホテル越えて、近江大橋が見えた。朝日は田上山から上る。頂きに雲、厚い。どうかなと思ったが、太陽は雲の壁を破って出て来て、さざ波を一直線に照らした。

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2010年1月 9日 (土)

黄ばんだ色紙サインの思い出

008 009 指を二本立てる「サインはV」のサインではない。著名人が書く色紙のサインのことである。飲食店がよく店内の壁に貼っている、あれだ。たいがい、誰のサインか、わからないことが多いが、それはそれで、店のステータスであり、自慢であり、大事なお宝なのだ。

 滋賀県庁前、旧東海道沿いにある飲食店「味さかえ」もそうだ。今の店主のお父さん、福田与一郎さんが斜向かいの滋賀会館に勤務していた。その縁か、会館ホールの舞台に上がった役者さんが食事をよくとりに来て、「味さかえさんへ」と色紙を書いた。店内のずっと奥、TVの下あたりだ。お相撲さんの手形含め、横2段と上下とで15、6枚は並ぶ。

 黄ばんできた色紙の一枚一枚、店主の奥さんが覚えている。頭の先から声を出すように言う。これは、加藤登紀子、新派の安井正二、宇野重吉劇団の米倉斉加年と日色ともえ…。日色さんの色紙は~1987 9 17~と日付入りだ。もう23年も前である。日色さんはその時の食事はソーメン。食の細い人と思ったという。米倉さんはすき焼き定食、右下の横山ホットブラザースは栄え定食だったと。記憶いいねえ?と言うと頭が若かったと。

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2010年1月 8日 (金)

洋麺屋・五右衛門の長い名前のパスタ

106 101 長いってもんではない。洋麺屋・五右衛門のパスタ「湯葉と海老と聖護院蕪おろしのクリームスープスパゲティー」である。どの商品名も長いが、これはとりわけだ。字数は何と28字もある。L字化した1行11字の今の新聞で書けば2行半も必要だ。いや、長い。

 JR京都駅構内のポルタ、レストラン街の中だ。時々行く四川飯店の西隣にある。年明けの5日夜だった。何時もは客が長~い列なのにカウンター席が空いていて、初めて入った。注文はウインドウで見た長い「湯葉と海老と~」だ。期間限定の冬のおすすめ3点のうちの一つだ。声を出すのもたいそうなので、メニュー表を指差して、これっ!と頼んだ。

座ったカウンター、端でないのに箸が出た。フォークでなく箸で食べる、五右衛門釜で茹で上げる…それが人気なのだ。左隣りは女性、女性…、右側も女性、女性…、後ろのテーブル席も…だ。真ん中でも、箸食べ?のパスタ、女性のトレンドか?と思う。壁絵の五右衛門を見て、5分、10分…待ち時間も長い。おじさん一人、待つ身は余計に長い。出てきた「湯葉と海老と聖護院蕪おろしのクリームスープスパゲティー」―、やっぱり長い。?

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2010年1月 7日 (木)

稲荷名物と洒落た色紙

052 051  洒落ているつもり…という洒落がある。店名を出すかどうか、少し迷ったが、良し悪しは人それぞれと思い、あえて出す。お食事処「野田屋」さんだ。伏見・稲荷大社に近いお店で、壁に貼ってある2枚の色紙のことだ。◎△×、読んで頂いて、各自ご判断願いたい。

 最初の1枚はこうだ。~わが店の味を干支にたとえたならば~で始まる。書体文字、勘定流でなく、かなかな流?だ。それで、本題に入って、どうたとえかと言うと、~馬かった 牛かった モーかった!~と。思わずオエッ、オエッとなりそうだが、お店の方は大得意なのだろう。???だ。その隣り~お客様のお陰で二升五合~とナゾナゾが出ている。

二升五合の答えは升が二つで「ますます」といい、五合は一升の半升で「はんじょう」という。これは、まあ努力賞だろう。お店は800円のきつねうどんを稲荷名物として、売り込んでいる。店のガラスケースに模造紙貼りで赤マル囲い。それが入店のきっかけだった。頼んで出てきたきつね、三角の甘い揚げ1枚とネギ少々である。どこがどう稲荷名物か、聞いても詮ないとツルツル、黙々と…である。味?稲荷でコ~ンコン!これぞ◎だ。

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2010年1月 6日 (水)

安土城址へ行く

 038 053 戦国小説を書く和田竜(41)は安土城の見どころをこう表現する。「本丸へ一直線に続くかのような大手道の異様な姿でしょう」と。標高199mの安土山を丸ごと城にしたという安土城である。信長、天下布武の城だ。暮れの30日、お葬式帰りに初めて登った。

 JR安土駅前で自転車を借りた。2時間以内なら500円、荷物置き賃200円だ。少し座高の高いサイクリング車、チリンチリンと城跡まで10分だ。信長ゆかりの総見寺が管理していて、最近になり拝観券500円が要るようになった。自販機で買い、関所窓口を通ると、真ん前は、和田さんが言う天主までズドーンと突き刺さるような大手道である。

案内の木札に頂上天主閣まで405段と出ている。両側高い石垣、幅は6㍍もあり、ドンと来い!と信長が言っているようだ。焼け跡発掘の仏石、それに天主までの道筋に利家、秀吉、蘭丸…屋敷跡の表示がある。中腹に信長菩提寺の総見寺。入らず、そうけん!と上へ上へ。ゆっくりで20分、天主閣跡に着いた。地下1階地上6階の柱石が整然と並ぶ。立った場所は地下1階だ。何というスケール…琵琶湖が見えた、空が見えた、天下が見えた。嗚呼、信長!

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2010年1月 5日 (火)

山越えの杉林を歩く

105 109  山道を歩いて、杉林を見つけた。杉は一本一本、真っすぐ、上へ上へ…だ。斜面いっぱい、ずっと杉だ。等間隔で、間伐も行き届いている。冬、スギ花粉はない。森閑として、いい景色だ。どれくらい植わっているのか。人ひとりの山道、歩いても歩いてもの杉林だ。

山科の毘紗門堂から南禅寺への山越えだ。南天を何点?の初詣でウオークの元日である。手打ち蕎麦の春秋荘、安朱上寺跡をすぎて山道入って、すぎの杉林だった。いやいや、すぐだ。今年も洒落訛りがなおらない。杉は直木と書いて、すぎとも読ます。常緑高木の針葉樹で、真っすぐ伸びるかららしい。直木―、木を見ての通りで、わかりやすい読み方だ。

歩きながら何度も写真を撮った。前を見て、振り返って…どう撮っても、どの画面も真っすぐの杉しか出てこない。どの杉も幹回りも高さが均一的だ。幹はほっそりして、見た目の高さは20㍍くらいだ。何とか画面に変化をつけたい。屈みこんで間伐を入れたり、勾配のある山道で見下ろして撮ったりした。そう変わりない。杉林に陽で差し込めばーと待ったが、曇ったままだ。くまったものである。また、洒落訛った。困ったものである。?

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2010年1月 4日 (月)

正月銭湯、初風呂気分

056 061  頭に手ぬぐい、首までごっぽり…だ。目をつむって、一~つ、二~つ…、身体の芯までヌクヌクである。初詣で帰りの2日、京阪五条駅で降り北東へ歩いて5、6分、旭湯という暖簾のかかる銭湯を見つけた。正月恒例の初風呂、朝風呂営業中、手ぶらで入った。

番台はお兄さんだ。貸しタオル30円込み440円払って、何時からと聞くと、昭和の初め頃からという。旭湯さん住居兼の3階建てビルだ。お兄さんは30歳代、二代目だろうか。下駄箱17番、脱衣箱2番…どの番号に?と思うところから懐かしい。裸のお客さんは2人だ。高い天窓、東隣りの女湯から「おめでとうさんどす」の声、新年の挨拶だ。

 深い湯舟にアツアツと足をつける。41、2度か、いい湯だ。ジエット湯、電気湯、水風呂、サウナ…緑色のよもぎ湯もある。あっちへじゃぶり、こっちへじゃぶりだ。洗い場の鏡は広告入り。中華のほうらい、渡辺葬儀所、タカハシカメラ…脈絡はない。裸のおじいちゃん、あばらの背中をこすっている。ずっとである。長風呂だ。湯冷め警戒、そこそこで上がって100円ラムネ。昔も今もスウッ~とだ。ゆ~ゆ~銭湯、ゆ~ゆ~正月なり。

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2010年1月 3日 (日)

雑踏のお稲荷さんへ初詣で

007 012  これぞ、雑踏というのだろうか。人また人…人の背中見て、一歩また一歩だ。商売繁盛の神様、伏見稲荷大社である。初詣で正月3が日の全国ランキングでは毎年250万人以上、ベスト5以内だ。どんな混み具合いか、好天の2日昼、お賽銭持ってお参りに行った。

 JR稲荷駅の真ん前から参道だ。両側、屋台がズズズ~ッと並ぶ。広島焼きか、焼きそばか、昼抜きで出て来たので、何かと思ったが、どこもいっぱい、後でと社殿へ進む。参拝の列、ピタッと動きが止まった。お参り制限実施中なのだ。本殿のお賽銭投入諦め、脇から千本鳥居へ回る。朱色また朱色…ここも鳥居の色ほどシュシュと行かず、ゆっくりだ。

お稲荷さん、来年10月がご鎮座1300年という。記念事業の本殿、社務所修復で40億円の奉賛金を募集中だ。隙間ないほど林立する鳥居また鳥居、実際は1万本近く立つとか。お山の神々巡り、上へ上だ。赤旗幟なのに白旗大明神とはこれ如何に?だ。足腰守護の腰神不動明王、線香モウモウ。高齢社会なのだ。脳天大神に大学大神…神様も色々だ。山から下りて本殿の参拝、まだ制限が続いている。持参のお賽銭?、財布の中でパンパン。

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2010年1月 2日 (土)

初詣は南天ウオーク

081 120  お寺は南天の赤い実がよく似合う。元日の昼、初詣を兼ねたウオーキング。JR山科駅までバスで行って、毘沙門堂と山科聖天を参拝して、小さな山を越えて南禅寺まで歩いた。TVならここで問題だ。~さて、赤い実の成る南天、お寺お寺で何点みたでしょう?~。

 南天は中国原産の常緑低木で、庭木によく使われる。大きくなって2㍍くらい、初夏に白い花を咲かせ、晩秋から初冬へ赤い小さな実をつける。南天の名前から難を転ずる縁起の良い木と言われ、鬼門や裏鬼門によく植えられるという。最初の毘沙門堂は背の高い南天、梅の老木と隣り合っていた。赤い実が目にしみ込むようにタワワに何点も何点も…だ。

毘沙門堂のすぐ西隣は山科聖天。曇天でも「せいてん」か?と思ったら、正しい読みは「しょうてん」とわかった。ここの境内、なんたって南天の実で赤々なのだ。あっちも南天、こっちも南天で、点数がつけらないほどなのだ。南禅寺は、応仁の乱で名のある山名宗全の墓所がある塔頭の真乗院だ。白い壁ぞいに南天が何本も植わっていて、白と赤のコントラストが美しい。ここで1句。~白壁に 南天映えて 初日(はつひ)かな~。さて、何点?。

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2010年1月 1日 (金)

方広寺の除夜の鐘

053 042  寒いな、寒いな-足踏み待ちで、住職さんが出てきた。待って50分、いよいよだ。大鐘への読経は鐘がチンチン鳴って短く終わった。住職が撞木の白い綱をぶら下がるように持った。クルッと後ろ向き、反動つけて、ついた。グオォ~ン…、108の最初の1だ。?

方広寺の除夜の鐘である。さすが住職、いい音色だ。かなりのお年、小さな身体…反動つけるあたり、巧者である。鐘は知恩院、東大寺と並ぶ日本三大名鐘の一つ、重文だ。鐘銘文字「国家安康」で、大坂の陣を起こした歴史の鐘でもある。山科の自宅から大晦日ウオークで行った。東山トンネル越え、京女学園のある馬町を通り、黙々と歩いて40分だった。

鐘つきは予約なしの先着順だ。午後11時に到着、鐘楼の回り、もうぐるっと人の列だった。住職の第1打から10打目あたりで年が明けた。列の中で~おめでとう~。何打目だろう、順番が来た。重さ82.7㌧、高さ4.2㍍の大鐘である。3人から5人が綱を持ってつく。つき方次第で、音色はゴンやらガア~ンやらだ。知らぬ若者4人の中、打ち合わせ無し。音はグオォーン~と鳴った。◎だ。去年の煩悩去り、雪が舞って、また煩悩の始まり…だ。

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