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2009年11月

2009年11月30日 (月)

なんてったってタラが出た

011 017  トロ箱に魚がいる、貝がいる。たたきにそんなに並んで、いいかい?と言うほど、色々いる。ノドグロ、ハタハタ、サザエ、つぶ貝…と出て、この間はタラ(鱈)まで出た。出鱈目でなく、ちゃんと出た。大津市菱屋町商店街の鮮魚販売・魚料理の「摩季詩」である。

 女店主の中村千代子さん(51)はタラをトロ箱に入れて出したら、来る客来る客みんなが、なんという魚かと聞くと言う。お腹がボコッと出て、上目づかいに目をむいて、トロ箱にがっぽり入っている。箱の横に赤字でオス4.2㌔と書いてある。でっかいタラありゃしない。名古屋の仕入れで、オスなのでお腹に白子(精巣)が入っているという。

 タラにも色々あるのでは?たらたら聞くと、スケソウダラ、コマイがいて、これはマダラ(真鱈)だそうだ。身体に斑点でマダラ?白子、そんなこと知らこ?と、洒落てみたが、余り通じずだ。真面目な所では、マダラは北半球の寒帯に分布して、日本では北海道の漁獲が60㌫という。この大きさで1万円、今なら刺身でもいけるが、時間をおくと切り身にするという。身は淡白で、冬場はタラチリ鍋一番である。汗もタラタラだ。これ◎だ。

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2009年11月29日 (日)

大覚寺の夜間拝観のブルー

145 152  どうしてこんなブルーになるのだろう。憂鬱さでなくて、色彩のブルーだ。太陽が沈んで、30分たった頃だ。帳の降りた空は暗い。そこで撮ったデジカメ写真をパソコンに取り込んで、自動修正を加えたら、空が一転して、限りないブルーになった。不思議である。

 嵯峨・大覚寺の夜間特別拝観で撮った左の写真がそれだ。開門を待っていたら午後5時ちょうど、ギギギーと門が開いた。内側からの観音開きだ。拝観料500円、ビニール袋に入れた靴を持って、夜間拝観ルート①②と書いた廊下を進む。写真を撮ったのはルート⑦あたりだった。黄色の薄いマップでは、正寝殿から御影堂へつながる細い渡り廊下だ。

夜空の半月と吊り灯篭とお堂の庇を入れて、屈みこんで撮った。写真のプロパティによると、撮影時間は5時17分だ。撮ったおり、時計など見ていなかったのにタチドコロに分かる。えらい時代だ。日没から時間が経っていないと、見た目で空が暗くても、写真では明るさが残っているのだ。右は大沢池の紅葉ライトアップ。洒落たつもりかの手前にお花が活けてある。撮影時間は5時22分だ。わずか5分差、ブルーふるうなっている。?

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2009年11月28日 (土)

伊勢丹でロケ弁と出会う

022 028  撮影がおした時、スタミナをつけるロケ弁だという。京都太秦の弁当屋さん、穂久彩がJR京都伊勢丹地階で、期間限定の出店だ。~おした時の意味は、長引いた時~と、模造紙に解説してある。職場帰り、JR京都駅まで出て、伊勢丹へフラッと入って見つけた。

爪楊枝で焼き豚のかけら試食した。焼き豚めし、新商品という。柔らかくて、いい味だ。女店員さんによると、店は3年前に出来て、社長は32歳という。ピザみたいに宅配するそうだ。ロケ弁は大物俳優の特注がきっかけとか。それ誰?と聞くと、必殺仕事人の藤田まことさんという。また焼き豚めしの豚、試食したので、買ってしまった。981円だ。

弁当はヌクヌクだ。持ち帰っては冷める。温かいうちにと、伊勢丹10階にある拉麺小路のテークアウト専用席へ行った。カウンター席、目の前は京都タワーだ。持ち込み?厳禁とは書いていない。スタートの撮影道具に「お疲れ様です!」とデザインした折り弁当を開けた。4時間煮込んだというトロ肉が4枚、あったかご飯に乗っている。ご飯は出汁がしみて、豚肉はサクサクして、甘みがあって◎だ。~秋深し 食の出会い 今まさに~

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2009年11月27日 (金)

湖南市の磨崖不動明王像

061 066  オオッツ!これかあっ!思わず声が出た。切り立った山肌…、眼を剥いた仏像が大きな岩石に彫り込まれている。右手に宝剣、左手には数珠、睨むように立っている。大きな仏像彫刻だ。湖南市(旧甲西町)の磨崖不動明王像である。見上げて、こわごわ対峙した。

 

濃い霧が出て、待てども晴れず、棒振りはとん挫した。折角の休み、紅葉でも…と、車は彷徨うように走って、まず湖南三山の善水寺へ。天台宗の国宝本堂、重々しく、風格があるお寺だ。道筋に入浴代600円の十二坊温泉。心癒し、身体温め、これで棒中止の無念は消えた。さらに行ったのが、磨崖不動明王像だ。山の中、温泉に車を停めて歩いた。

山道は砂防堰堤の工事中だ。渓谷の道、コツコツ行く。廃車が1台だけ、誰とも会わない。上って下って15分余り、磨崖不動明王像の案内表示。小さな川を渡り、右に左に垂直に階段を上った所にあった。大きさ、思った以上だ。アッと思う感動が走った。自然石の大きさ6㍍ぐらい、刻まれた不動明王は4㍍近くだ。誰が彫ったのか、湖南市指定の文化財で、江戸時代の作という。怒った顔、紅葉を入れて写真=右=撮ったら眼が細くなった。

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2009年11月26日 (木)

上田秋成の終焉地に歌碑

003 009  雨月物語を書いた上田秋成の歌碑がある。萩で有名な京都梨の木神社の境内だ。京都御苑の東、寺町広小路で、石の鳥居の西側だ。府立医大病院へ行った帰り、境内の秋色を見に行って発見した。石組の礎石、高さ1㍍の石版の歌碑だ。「上田秋成翁自詠選~」とある。

 ~ふみよめば…~、石版の歌、部分しか読み切れない。隣の木札も文字が消えている。歌碑の裏側に建立趣旨が出ていた。楷書文字、読める。「秋成翁の終焉地」だ。この場所のすぐ南側にあった盟友の羽倉信美邸で亡くなったという。文化6年(1809年)6月、翁76歳だった。記念行事の情報ないが、今年で没後200年になる。これ、発見なり。

歌碑は昭和37年3月、秋成翁敬慕有志之会の建立だ。歌碑の文字、上田秋成の系譜など気になって、書店を回った。ジュンク堂で店員さんが選んだ「新潮古典文学アルバム20-上田秋成」に歌はあった。~ふみよめば 絵を巻きみれば かにかくに 昔の人の しのばるるかな~だった。著者長島弘明氏が養子、紙油商、失明など秋成の人生と雨月物語9つの短編を解説している。西福寺所蔵の秋成陶像写真も載る。今は秋成、読書の秋成。?

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2009年11月25日 (水)

地方紙の味、福井で点検

110 032  地方には地方の新聞がある。もう10日も前、福井へ行ったおり、JR福井駅で京都行きの特急サンダーバードを待つ間、構内のキヨスクへ行った。ステーション-ピット「ちゃお」である。新聞コーナー、もう夜だったが、日曜付けの各紙朝刊、まだ随分あった。

 福井新聞100円、県民福井80円だ。お隣の石川県の地方紙、北國新聞130円と名古屋本社の中日新聞110円…、それに朝日、読売、毎日各130円、産経100円、日経140円だ。どこがどう違うのか、値段がこうも色々なのも変だけど、面白い。地元2紙に中日と北國買った。合わせて420円、ビニール袋入れて持ち帰り、福井を点検した。

 県内で80㌫以上、圧倒的シエア率誇る福井新聞。オバマ大統領が来日、東京都内で「福井県小浜市の皆さんに感謝する」と演説の中で触れたと1面扱いだ。地名と名前の同じ縁、ビッグニュースになった。ライバル、福井県民も小浜市民グループの喜び、社会面トップだ。県民は主催の新進文学賞の入賞発表が1面、創刊110周年の福井はコウノトリの欧州独自取材だ。共通項は三国のかに祭り、丸岡こども歌舞伎…、地方紙の味、健在なり。

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2009年11月24日 (火)

近江八幡駅で見た沈む太陽

079 084 JR近江八幡駅で沈みゆく太陽に出会った。改札を通って、2階から下り線ホームへ降りる時だ。新快速16時38分発播州赤穂行き到着まで、まだ10分ある。2階から雲間から光を出す太陽を見て、ホームへ降りた。行楽帰りか、混んでいて、ずっと前へ行った。

勤労感謝の日の夕方、晩秋である。播州赤穂行きの電車を待つホームだ。紅葉行楽の帰り、万障繰り合わせての乗車だろうか。???洒落、過ぎたかな。さっき見た太陽が雲間から出てきた。夕空を染めて、真っ赤だ。デジカメを3倍ズームにして、画面を覗いた。眩しい光、太陽がまるで目を射るようだ。見通しの良い2階へエスカレーターで戻った。

線路を挟んで、左側は近江富士だ。標高432㍍、低い山だ。右側は上り線ホームの屋根、スギ薬局、ビル…、ずっと向こうは何だろう。厚い雲が横たわっているように見えて、太陽がその中へ沈んでいく。3倍ズームでまた撮る。遥か遠くの太陽なのに大きく真っ赤に写る。手前は明るいのに画面は暗く、太陽は厚い雲に食い込み、歪んで写っている。不思議な一瞬である。太陽が落ち、ホームに晩秋の播州行きが着いた。???ひつこいかな。

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2009年11月23日 (月)

紅葉の夜間拝観、光線の先は

030 029  西へ西へ、青い光線の先は天竺だという。桜の春、紅葉の秋-、清水寺が毎年、夜間の特別拝観のおりに出す光である。レーザーか、ビームか、光の線は1本。清水寺の舞台の奥の奥、音羽山から出る。京都市街地を突き抜け、西山へ向かって真っすぐ伸びている。

 京都新聞に「グッと秋色 ドッと人波」と夕刊記事が載った。晩秋3連休が始まった20日付け1面だ。夕食済ませ、自宅から770円、MKで五条坂まで乗り、坂道を歩いた。人また人、ぞろぞろと行く。~左側通行です、狭くなっています、止まらないで…、押さないで~、警備員のマイク、絶え間がない。ドッと人波というよりも、ゾッと人混みだ。

 拝観料400円は特設テントの中だ。並んで待って、境内入り。人の頭越しに見てきた光線が、太くなった。発光源がもうそこなのだ。朱塗りの仁王門と三重の塔の間、コントラストが見事だ。足元は暗く、ぞろぞろ、そろそろと歩く。本堂前、赤く染まったカエデに人だかりだ。晴れた夜空に三日月が出ている。舞台から見下ろす町並みへ光線だ。調べると、光線は観音さんの慈悲の光だという。有難い慈悲、じひ、忘れないように-と!?。

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2009年11月22日 (日)

一筆啓上の丸岡城

078 079  先ずは~一筆啓上~である。福井市観光で、一乗谷朝倉氏遺跡から永平寺を通って、丸岡城へ行った。天正4年(1576年)、柴田勝家の甥で勝豊の築城である。日本最古の天守閣と、日本一短い手紙が人を寄せる。城の上がり口、一筆啓上茶屋で先ず一服である。

駐車場に大きな看板が立つ。~一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ~である。家康第一の功臣、本多作左衛門が陣中から妻に書き送った手紙である。お城と手紙の関係が文中のお仙だ。お仙?作左衛門の娘かと思ったら息子で、後々に丸岡城の6代目城主になる本多成重のことだった。書簡碑は天守閣石垣の東北にあったらしいが、見ずだった。

城は昭和23年の福井地震で倒壊までは国宝だったが、古材を十分使い復元して、今は重文だ。天守閣の高さ22㍍、石瓦は6000枚、総重量75トンという。復元とはいえ、苔むした石垣に日本最古を思わす。城の中、靴を脱いで、天守まで上がった。急で狭い階段、吊るされたロープを持って、3階までだ。お城の中なのにターザンみたいな気分だ。天守の窓、眼下に家並み、遠くに北の山並み…、~ア~ア、アッ~、~ア~ア、アッ~。

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2009年11月21日 (土)

JR山科駅の電飾Xマス

003 035  それはまあ、手が込んでいる。JR山科駅の上り4番線ホーム。1階からエスカレータ-上がってすぐだ。線路の北側にある民家のXマス電飾である。イルミネーションが点かない朝は朝で、大津行きの電車を待つ間、暫し見とれる。夜は本番、キラリ、キラリ…だ。

 この時期、Xマスまで、もう何年続いているだろう。年々、手が込んできている気がする。朝に見ると、赤い服のサンタさんが屋根に縄梯子をかけて、ヨイショ、ヨイショと上がっている。後ろ姿で顔は見えないが、背中に黒い袋を背負っている。どんなプレゼントなのか。靴下に入るぐらい、袋はそう大きくはない。誰がもらうのだろう。いいなあ!

夜に見ると、ジングルベルにお星さん…幾つも輝く。2階ベランダ、物干し台。ソリとトナカイが4頭だ。右側、屋根の上にも大きいのが1頭いる。正面向きのサンタさん3人、これぞ、サンタ!。民家はホームから2階しか見えない。どんなお宅か、出勤前、線路をくぐる地下道を通って、玄関先まで行った。枯れ葉マークのワゴン車が1台。表札は古く、奥村姓までしか読めない。ひょっとして、75歳以上になった、おらあ!サンタだ!さん。

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2009年11月20日 (金)

越前おろし蕎麦、ツンツン

013 106  きた!きた!ツンときた。辛み大根入り、福井県名物「越前おろし蕎麦」である。特急雷鳥で福井駅に昼に着いて、すぐ駅構内の手造り料理「八兆屋」へ入った。地元の福井新聞OBの紹介だ。福井県は1泊2日行である。食の始まり、海鮮丼とおろし蕎麦セットだ。

 書き出しでツンときた!と書いたが、この時はまだこなかった。おろし蕎麦は冷やしが本流なのに温かいのを頼んだからだ。大根の辛みが温かい出汁の中で消えてしまったようである。それにしても、甘海老に鮪の赤みの美しいこと、写真写りのいいこと。味の方?そこはご当地の知人推奨。値段含め◎だ。おろし蕎麦、この時が皮切りでに帰るまでだ。

 宿泊先のあわら市のホテルでは朝食、芦原ゴルフクラブ湖コースは昼食だ。ここからはずっと冷やしおろしだ。薬味は葱あり、カツオありだ。昭和22年、福井県入りの昭和天皇がよほど美味しくか、御代わりされたという。駅には専門店まであり、県内の大概の店におろし蕎麦メニューがある。要は鼻ツンがいいのだ。帰りにもう一度、最初の「八兆屋」へ行った。今度は冷たいおろし。これはもうツンツンきて、涙が出た。嬉しかった!?

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2009年11月19日 (木)

「酔象」は日本最古の重文駒

005 030  旅先の福井県で、妙な将棋の駒と出会った。一乗谷朝倉氏遺跡で出土した「酔象」という駒だ。重文だそうで、県立遺跡資料館にあった。昭和48年の発掘調査で、朝倉館の北濠から発見された174枚の駒のうちの1枚で、古典将棋で使う日本最古の駒という。

 パンフによると、王将のすぐ上に置いて使うそうだ。動きは真後ろ以外の7方向ヘ1マス移動できる。相手陣に入り、裏になると赤字の「太子」に変わり、王将と全く同じで、真後ろにも動ける。最大の特徴は、自軍の王将が打ち取られても「酔象」が「太子」になっていれば、王将の代わりとして、試合は続けられるそうだ。たいした「太子」ではある。?

 遺跡発掘現場の「復元町並」で、記念に「酔象」のストラップを買った。表は「酔象」裏は「太子」の駒も2枚ついていた。何で「酔象」か、調べてわかった。司馬遼太郎が街道を行く―の越前諸道編で書いていた。「酔象」は漢語。~酒を飲ませ酔い狂わせた象~の意味で、凶悪なものの譬えという。そんな、ゾッとする象が、将棋の「酔象」となれば、裏成りで王子の役目をするという。あまりの変身ぶり、如何にも困った駒だ。参ったか!

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2009年11月18日 (水)

朝倉氏遺跡の楓輝く

023 022 黄色い葉が変化して枝先では、赤く染まっている。紅葉のグラデーション、こうよ!?とでも、言っているような。幹周りには、枯れ落ちた葉が重なって円周を描いている。左右対称、大きく枝を広げた楓が1本、武家屋敷跡にどっしりと立つ。今が、夢の輝きだ。

福井市の特別史跡「一乗谷朝倉氏遺跡」へ行った。戦国時代、初代孝景から5代義景まで100年に亘って、越前を治めた朝倉氏、栄華の跡だ。信長に滅ぼされて、廃じんと化した城下町は400年も眠り続けていたという。昭和の代になって、福井県が遺構を発掘、職人の町屋と武家屋敷を結ぶ道路を当時に戻し「復元町並」として観光誘致している。

JR福井駅からマイクロバスで30分だ。歩いて4~50分、所々でビデオ見て、説明聞いて、入場券は210円だ。良心的である。屋敷は発掘礎石を使い、井戸に厠…リアルに再現してある。楓の木は、武家屋敷跡にあった。イベント用に夢舞台が特設してあるだけで、周りに何もない。遠くから見ても山裾の杉林の緑が紅葉を際立たせ、あっと思わす。楓は武家屋敷群発掘の後、植樹したそうだ。朝倉氏の夢の跡、いいでみて、帰った。?

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2009年11月17日 (火)

めん処「山城」の名物うどん

040 043 食べ終わって、店の主人が「意外とコシがあったでしょう」という。780円のよもぎ山掛けうどんだ。長芋はヌルヌル。うどんは主人の言うとおり、シコシコだ。混ぜ合わせて、トロトロ…だ。4年前、フジTVの朝番組で紹介されたという。後味もいい。◎だ。

 めん処「山城」の名物うどんだ。大和大路通七条上ル、豊国神社と方広寺の真ん前の店だ。初めて入ったおり、方広寺丼を頼んだら結局は玉子丼だったという、あの店だ。その時に手持ちの文庫本を置き忘れた気がしたのと、店主が自慢していたよもぎ山掛けうどんが気になって、この間、また行った。文庫本はなかったが、TVに出たうどんはあった。

 店のTVは、昼なのにニュースでなく、BSの時代劇スペシャルだ。市川染五郎の黄金の日々が流れている。カウンターの中、釜の湯がたぎりだした。TVより、名物うどんだ。顎髭、黒シャツの主人が茹で上げた瞬間、後ろから撮った。主人に聞くと、よもぎは伊吹山の新芽だそうだ。観光できた東京のお客さんがフジTVに売り込み、有名に…という。壁の貼り紙は、全国発送、名物、お持ち帰り…だ。よもやの、よもすがらの、よもぎかな。??

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2009年11月16日 (月)

中国古典の青木先生、菊を話す

062 006_2 菊は音読みで「きく」だという。訓読みかと思っていたらそうではないと、中国古典研究の京都教育大名誉教授、青木五郎氏(71)が話す。白髪がまじり、眉毛も白く、語りの優しい先生だ。中国から来た花の読み方では、梅の「うめ」もそうで、訓はないという。

 四条大橋の西南、東華菜館が主催する会費6千円の第103回春秋会に初めて参加した。会長挨拶、乾杯が終わり、料理長の王さんが自慢する塩味のフカヒレスープが出た頃だ。青木先生のミニ講演が始まった。何せ中国通、恒例になっているようだ。テーマは菊花の日中比較文化誌~重陽の節句に因んで~。重陽は9月9日、ちょうよ!我が誕生日なのだ。

 講演前にテーブルへ「重陽、私の誕生日でして」と挨拶しておいたら、講演の最初に紹介があった。嬉し、恥ずかしだ。頂戴した名詞に書屋を示した住所と電話。どう読むか、研究室ならしょや?なあ。先生の専門、司馬遷の史記という。菊の講演は20分余り。菊の花に真綿をかぶせ、朝露に濡れた綿で身をぬぐうと長寿になる「菊の着せ綿」の話や、菊の葉から滴る露を飲んで700歳の「菊慈童」伝説など、長寿に関わる菊の話、聴く。??

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2009年11月15日 (日)

インド料理はナンと?

005 006  何というナンだ。籠からはみ出ている。目分量で40㌢以上はある。思わず食べきれるかなと思う。カレーのル―は鶏肉とほうれん草のチキンサーグだ。激辛でなく中辛という。ナンを手で何べんもちぎり、ル―をルウとつける。そう、インド料理のナンなんです~。

 平日の夕方、三条大橋から河原町へ歩いていて見つけた。幕末、新撰組が急襲した池田屋付近だ。前はパチンコ屋さんだったのに海鮮居酒屋が出来て、その東隣りが開店から3カ月のインドダイニング「シャルマン」だ。店の前のナン見本につられて入った。客はまだだれもいない。コックはインド人のシバさん(26)とパンディさん(36)である。

 注文して、すぐコックさんの撮影だ。広島・福山出身で、京都学園大卒の若い社員店員さん、何でも喋ってくれる。さすがナンの店だ?。店のル―は水を使わず玉ねぎの水分でつくる…という。本社は金沢で、何と言ってもナンの大きさが自慢だそうだ。店名の「シャルマン」は?と聞くと、どんな人物か不明もインド人の名前とか。ナン焼き窯400度、客は女性が7割…、ルウ~と、ナンヤカンヤ話し続けて、支払いなんぼ?1050円ナン。

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2009年11月14日 (土)

「国家安康」「君臣豊楽」の鐘

087 084 国際日文研の白幡洋三郎教授は、日本史上、重大なエピソードを持つ鐘だという。京都東山・方広寺の鐘のことだ。昔の京都の写真を着色した著書「彩色の京都」で、そう書いている。方広寺に行ったおり、鐘楼から白線囲みの重大な鐘銘文字を撮っておいた。

「国家安康」で家と康を分断し、豊臣が「君臣豊楽」とは何事だ!と家康が言いがかりをつけた文字だ。豊臣家が滅びる引き金の鐘である。8日放映のNHK大河ドラマ「天地人」で、その鐘が出てきた。大坂の陣へ向けて、家康役の松方弘樹が鐘銘文字は豊臣家に下心あり…と報告を受けて、でかした!と膝を打ち、転げまわって、大袈裟に喜ぶ場面だ。

鐘は慶長19年(1614年)の鋳造で、高さ4・2㍍、外径2・8㍍、重さは何と?82・7トンだ。TV放送の翌日、9日付け京都新聞夕刊3面にも鐘楼の記事が載った。TVもだが、新聞も偶然だ。龍大非常勤講師の西野由紀さんが、梵鐘見物の様子を描いた江戸の図会を紹介している。見物20人以上、大変な賑わいだ。写真を撮った日も観光客が鐘楼を囲み、指を指していた。あれが「国家安康」「家内安全」と。少し違ったかな。?

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2009年11月13日 (金)

石田三成の銅像と肖像画

035 049  いやはや…と言っては失礼か。この1、2年、大河ドラマか漫画のせいか、歴史好きの女性が増え、歴女ブームだという。ここへきて、関ヶ原の戦いで敗れた西軍の将、石田三成もモテテいる。それまでそうでも無かったのに、今は義と愛の武将と評判になっている。

三成はイケメンだったのか。近江歴史回廊大学で、三成の居城だった佐和山城跡へ現地研修に行ったおり、銅像と肖像画に出会った。お城の麓、三成の菩提寺でもある禅寺・龍潭寺にあった。上の2枚の写真がそうだ。銅像は山門への道筋、高さ2㍍はある石柱の上で正座している。両手を膝にきちんと置き、正面を見据えた彫りの深い凛々しい顔立ちだ。

研修案内の長浜城歴博学芸員、太田浩司氏(4?)に似ていますか?と問いかけた。答えは威厳がありすぎる‐だった。三成の姻戚、青森・弘前の杉山家に伝わる肖像画が本人に近いのでは…と言う。龍潭寺の三成展示コーナー、右の肖像画がそれだ。太田さんは、あのように痩せていたのでは…と話す。肖像画、おでこは広いが、眼は細く、顎も尖がっている。三献の茶、五奉行、関ヶ原…三成41歳の波乱の人生、今また歴女の渦中だ。

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2009年11月12日 (木)

ガチンコの昭和レトロらぁ~麺

040 028  昭和30年代の中華そばを再現、味も価格も当時のままだという。自民党初代総裁が今の鳩山さんの父・一郎さんが就任し、TV、炊飯器、電気冷蔵庫の3種の神器が登場した年代だ。浜大津の湖岸、支那そば「大津 天下ご麺」が出す昭和レトロらぁ~麺である。

天気が良い昼休み、湖岸散歩を兼ねて時々行く。ついこの間は琵琶湖沖合いの噴水に虹が出た昼だった。自販機で前の客が昭和レトロ500円と明太子ご飯セットを買ったので、あれこれ思案するのもなので、追随した。店の開店は平成7年11月というから随分になる。TVの人気番組だったガチンコのラーメン道、3期生という藤井英次さん創業の店だ。

民家風の店内はずっとカウンター、20席以上だ。バンダナ、Tシャツ…店員さんは黒づくめだ。いらっしゃい!昭和一丁!ありがとう!…、客の出入りの度、声が大きい。待っていたら店員さん一人、皿を落とした。ガチャン!すみません!やはりでかい声だ。さすがガチンコ修行のラーメン道だ。昭和レトロが出てきた。麺は柔らかく、スープはどろっと、しなちくに蒲鉾は鳴門、焼き豚…昭和を回顧も今は平成の時、平静に食べきった。?

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2009年11月11日 (水)

大津に来た大津さん

019 043  大津さんと夕方、JR大津駅改札で会った。大津さんは東京勤務時代の知人だ。フルネームは大津大(おおつたかし)さんで、上から読んでも下から読んでも…である。大津に勤めていて、その大津さんが東京から大津に来る?という。昼間からワクワクである。

 大津は滋賀の県都で、天智天皇ゆかりの古都でもある。年々、人口が増えて今は33万人、今年4月から中核都市だ。大津さんに聞くと、早めに着いたので、駅前で自転車を500円で借り、市内を回ったという。大津は大きな港の意味で、津とは、船や筏が海岸や河川などに着く場所を指すらしい。そう思うと、全国で津が付く地名、つくづく多い。?

 三重の県都は津、静岡の焼津の沼津、千葉の木更津、佐賀の唐津…、確かにみんな大きな港町ある。荷物の積み降ろしで人が集まり、栄えたのだろう。津ほど大きくないのが、浦である。山本リンダのウララウララではない。小さな漁村に名前が多い浦だ。琵琶湖の北湖に丸子船の基地、大浦がそうだ。浦島太郎も漁村の青年だった?。津と浦、それで全国津津浦浦なのだ。東京から来た大津さんと駅前の居酒屋談義、ツーツーレロレロだった。

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2009年11月10日 (火)

琵琶湖岸の噴水虹

020 022  朝のラジオ、布団の中で聞いていたら「今日は南高北低ポッカポッカです」と、気象予報士が言っていた。比良と伊吹が西高東低の冬型で初冠雪の翌日だ。昼には昨日と一転して、うーんと暖かくなるという。昼休み、滋賀県庁前から徒歩10分余り、浜大津へ出た。

 気温15、6度だろうか、予報士が言っていたとおりだ。青い空に太陽が眩しく光り、暖かい。京阪石坂線浜大津駅の高架へ上がり、琵琶湖を見たら虹が出ている。沖合い18㍍、高さ40㍍、幅400㍍という滋賀県自慢の噴水の中だ。雨上がりではない。太陽を背にホースで水を撒いた時に出る、あの虹現象なのだろう。そう鮮明でなく、滲んだ虹だ。

 もっと近くでー高架から湖岸へ、にじり寄った。何色かなあ、7色あるかなあ。赤、橙、黄、緑、青…、どう見ても5色までだ。藍と紫は見えない。放射線状に出た噴水の下の湖面すれすれに出ている。アーチ型でなく、真ん中で切れている。あっち見ても、こっち見ても同じだ。虹の傍は防波堤、ヨット…ずっと向こうは高層マンションだ。西大津方面、1棟、2棟、3棟…随分増えたものだ。今、何時かなあ。2時ではない。12時半だ。??

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2009年11月 9日 (月)

ざんぐりの意外な八寸

061 070 四富会館へまた行った。会館が出来て50年、四条富小路上ルの東側だ。天ぷらバー、寿司店に続いて、今度は焼き肴バー「ざんぐり」だ。引き戸を開けたら座る隙間がない。戸惑っていると、オレンジの布団のところ上に…という。1坪半、わずか6席の店だ。

焼き魚八寸がお勧めと聞いていた。1人店主の奥村たけひろさん(3?)は商人帽に首から手ぬぐいだ。店名、なんで「ざんぐり」と聞いたら、京ことばのざっくりの意味で、それが自分の性格だからだという。店は狭さも狭し、秋の夕暮れ!だ。奥村さん、髭面で一見、怖そうだが、見慣れてくると童顔で優しい。焼き魚八寸が出てきて、またえっと思った。

柿の白和え、イクラの軍艦巻き、ウオゼの味噌漬け…、みんな手が込んでいる。味もミッシェランだ。狭い店の髭面店主の茶懐石八寸なのだ。ギャップに参ったと、告白すると、奥村さんはそう言われるのが嬉しいと笑う。左手の壁に「あまから手帳」に掲載の店の切り絵。その11月号が店にあった。切り絵作者の成田一徹さんが「この店構えで八寸が出てくる意外性に、目を丸くして、そして細くした」と文も書く。確かに…とんでも八寸??。

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2009年11月 8日 (日)

錦天満宮の獅子舞ロボット

016 020  ~ピーヒャラ、ピーヒャラ~、注連縄のあるガラスケース、獅子舞が中で動きだした。お神楽に合わせ、前髪を垂らした獅子頭が右に左にシシマイマイ…だ。踊りは2、3分だろうか。仁王立ち、頭を垂れて拝むようにして、おみくじを銜えて、一枚取り出した。

 どういう仕掛けなのか、賢い獅子舞ロボットだ。烏丸通りから京の台所、錦小路を真っすぐ東へ、新京極の突き当たりが錦天満宮である。学問の神様、菅原道真公を祀っている。この間の夕、お店を覗き続けて、何とは無しにたどりついた。社殿のすぐ左側、中国人観光客か、ワンヤン!チャンヤン!ワン!と騒いでいる。何かな?と見たら、獅子舞だった。

おみくじは初穂料200円だ。お金を入れたら、何を占うか、ボタンを押して下さいという。恋の行方?、うーん、子授け?、うーんと、迷って、総合おみくじにした。獅子舞が運び出したのは、神の教え。苦の時、喜の時…その時々だけの花火信仰はいけません。いや、すみません。帰りに受付の巫女さんにロボットのこと聞いたら、7代目を継いだ宮司さんは元設計技師さんだった。さすが菅公ゆかり、頭脳明晰!獅子舞仕掛けに拍手!。

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2009年11月 7日 (土)

老舗「うめもり」のしゃり

004 005  究極のしゃりだという。洒落ではない。これ以上ない、ご飯のことだ。梅酢でおにぎりをつくり、鯖か、海老か、鮭を乗せ、わさび葉で包んである。奈良市の老舗「うめもり」の、わさび葉寿しである。文化の日、名神下り線の大津インターSAで出張販売していた。

 奈良と言えば、~柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺~を思い出し、柿の葉寿しは有名だが、わさび葉寿しとは、これ如何に-である。それに究極のしゃりーときている。赤紫のコック帽が似合う年配の社員さんに話しかけた。名札は「カワバタ」さんだ。笑顔も愛想もまた究極だ。米は岡山あさひ、酢は紀州、鯖は長崎五島…どれこれも厳選してあるという。

 鯖寿司には目がない。持ち帰って朝に…と言うと、冷蔵庫の野菜チルドなら翌日の夜まで持つという。鯖、鰻各260円と古代あなら寿し司320円一つ買った。古代あなら寿しは、奈良漬けと古代米とあなごの大胆な組み合わせという。あなたなら?どうする…だ。カワバタさん、明日から正倉院展の会場へ行くそうだ。売れて売れて人出が足りないという。ワクワクの朝ごはん。鯖とわさび葉ごと、シャリッとかじった。究極のしゃりだった。

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2009年11月 6日 (金)

シャム猫の眼の先

016 004  猫君、振り返って何を見ているのだろう。足と尾は黒、毛色は金色だ。耳はピンと立っている。眼はきれいなブルーだ。シャム猫だ。真ん前に白いシャクナゲの大輪が二つ、花ひらいている。シャム猫君が見ている方向には、何も描かれていない。絵の向こう、何がいるのかなあ。

 文化勲章受章の日本画家、加山又造氏(1927-2004)が1984年に描いた作品である。今、京都文博で開催している「日本画」展、入り口から3番目に展示してある。展覧会は4半世紀前、ワコールと京セラが協力して、日本文化を発信しようとパリ、ロンドンなど欧米5カ国7都市で巡回した時の日本画家45人の作品をすべて並べている。

 池田遥邨、上村松篁、東山魁夷、片岡球子、奥田元宋…ら大家ばかりだ。揃って欧米巡回展に向けて、50号の新作を描いた。今年はワコール創立60周年、京セラ50周年を記念、両社で分蔵している当時の作品を公開した。会場にあった出品目録によると、加山作品はワコールの所蔵である。シャクナゲとシャム猫、いい絵だ。立ち止まり、吸い込まれる。シャム猫の眼の先、題名は「蝶」となっている。う~ん、そうか、ちょうだったのか。???

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2009年11月 5日 (木)

六道珍皇寺は摩訶不思議?

029 026 六道の辻は、この世とあの世の分岐点だという。六道とは、地獄、飢餓、畜生、修羅、人間、天上の冥界を指す。人が死後に行く六つの道だ。閻魔大王が、生前のオコナイを見抜いて「お前は地獄だ」「あんたは天上や」と、冥界での行く道を沙汰するのだそうだ。

いや、恐ろしや、恐ろしや…である。京都・松原通り東大路西入ル、六道珍皇寺はそういう怪な寺だ。この間、歩いていて、地獄図絵(熊野観心十界図)の100年ぶり修復記念・秋の特別公開をポスターで知って行った。昼から激しく雨の降る日だった。テント受付で拝観料500円を払い、薬師如来のある本堂へあがって、摩訶不思議な話を聞いた。

地獄絵図見て、ああ怖やと思ったが、百人一首の歌人、小野篁(たかむら)が夜な夜な、境内の井戸から冥界へ行って、閻魔さんの秘書を務めていたと聞いて、驚いた。その井戸を部屋から記念で撮ろうと思った時、京都SKY観光ガイドの春田正之さんが言った。あの井戸の敷居に篁の草履の跡が付いていて、辺りは霊が立ち込めています。前に写真撮った方、後で見たら何も写っていなかったそうですと。デジカメ引っ込め、ああ!篁篁???。

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2009年11月 4日 (水)

花博の輝きは今?

026 022  橋の欄干が所々で倒れている。この間の台風18号のせいだろうか。庭は枯れ葉が落ちたままだ。手入れはしないのだろうか。大津市瀬田の県立図書館の前にある「近江八景かがやきの庭」だ。滋賀県が1990年、大阪鶴見緑地の花博のおり出展した庭である。

 県立図書館はJR瀬田駅からバスで10分余り、文化ゾーンの中だ。すぐ隣が近代美術館なので、よく前を通る。県写真展の表彰式へ行ったおり、少し時間があったので、じっくり見た。庭の中、近江八景の瀬田の唐橋と堅田の浮御堂の模型がある。木柵のある庭園、5、6㍍ほどだ。ステンレス看板、シャクナゲの絵がある。かがやきの庭を表す県の花だ。

 庭園を移設した趣旨も書いてある。~緑こそは、生命を根源から生む力である。花はこの隠れた力の優美な表現であり、生命そのものの讃歌である―という花博の理念を継承して~と。移設した趣旨に異説?はない。花博当時のままのタイル板もある。唐橋のかかる瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の川、浮御堂は千年前に湖上安全を祈って建ったお堂…と世界への説明だ。半年で入場者2300万の花博。あの時の輝き、朽ちた庭に今を思う。

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2009年11月 3日 (火)

この骨、何の骨?

023 018  さて、さて、何の動物の骨だろう。ガラスケースの中、骨の化石が二つ陳列してある。左側は頭がい骨だ。先っぽが尖がっている。顔の長い動物やなあ。隣は下あごのようだ。歯が沢山、牙もニュッと出ている。馬かな、鹿かな、カバかな?違う違う。馬鹿やなあ。

 JR瀬田駅からバスで10分余り、イオンモール草津へ。琵琶湖寄りの駐車場スペースで始まったポップサーカスへ行って、1階レストラン街の一角、エコステーションで見つけた。琵琶湖博物館で開催中の企画展「骨の記憶」のPRコーナーだ。エスカレーターの前、掲示してあるポスターは「体の中に刻まれた5億年の記憶を知っていますか?」。

 5億年の記憶どころか、昨日のことも…である。ポスター、デザインも言葉も骨骨している。手と足はどっちが長い?あなたにもしっぽの骨はある?耳の中にアゴの骨ある?あなたの背骨は曲がっている?それとも真っすぐ?…、興味づけになかなか骨っぽい問いかけだ。さて、もう一度、最初に戻って、ケースの中の骨は何かだ。馬×鹿×カバ×である。さて答えは?机の上の画用紙を捲った。正解がでた。イノシシッ!

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2009年11月 2日 (月)

墓の上の太陽

003 001 自宅を出て、バス停へ向かう出勤の朝だった。東の空に上がった太陽、霧なのか、靄なのか、ぼんやり透けて見える。そう見られない朝の太陽だ。いつも腰に下げているデジカメ取り出した。歩きながら儚いなあと思って撮った一枚、お墓の上の太陽だった。??

撮った時は何気なくだったが、パソコンに移し替えて見ると、いいアングルだ。左の縦長写真はお墓があって、その向こうは住宅だ。屋根の上にパラボラ付きのアンテナが出ている。ヒュッヒュッと3本ある。右側の横長は墓が写らず、屋根の上のアンテナが1本増えて4本だ。構図からすると、このアンテナが効いて、いい太陽写真だ。自画自賛かな。

霧なのか、靄なのかと朝、職場で聞いたが分からない。大津から草津へ、業務で名神に乗って分かった。霧のため速度規制50㌔―と表示がでている。朝から、どっちかな?ともやもやしていたが、これで晴れた。もう一度、ネットで調べると、視界範囲が1㌔以内は霧、それ以上は靄だそうだ。太陽を透かす1㌔未満の薄い霧は低い霧で、英語でlow fogと出ていた。朝霧は秋の季語とも。そこで1句。~通勤の 朝の太陽 fog fog~??

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2009年11月 1日 (日)

ピーターグースのきのこ釜めしセット

012 014  こっちか、あっちか、思案六法で歩くうち、西友山科店まで来てしまった。JR山科駅を降り、三条通りから外環状線を南へ、もう10分は歩いた。今夜の探訪夕食、そのまま西友2階のレストラン「ピーターグース」へ入った。確か5、6年前に一度行っている。

 お客さん、ほとんどいない。何にしようか?また思案六法である。壁の貼り紙に「ピーターグースこの秋おすすめ―きのこ釜飯セット」と出ている。セットもセット、880円のきつねうどんから1536円のヒレステーキまで多彩だ。6種類の内、なかとって、1020円のサーモンのステーキにした。これがまあ、写真の通り、テーブルに一杯だ。

 何処から箸をと悩む。今夜はどうも思案六法続きだ。お膳を運んできた女子店員さんに何時も通り聞く。店名は…、創業は…。童話のピーターラビットとマザーグースの掛け合わせで、もう16年目という。ちょっとした老舗かな。店のおすすめは、秋がきのこ釜飯、夏は冷麺、冬はけんちん汁だそうだ。きのこ釜飯を3膳、鮭のサーモンもさけずに食べ切り、味噌汁にフルーツで終わりと思ったら、ワッフルも出てきた。これ以上ワッフルだ。?

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