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2009年9月

2009年9月30日 (水)

和歌山55万石は伏虎城

063 080  和歌山城は、伏虎城と言うそうだ。紀州55万石、徳川御三家の居城である。市街地から天守閣のある山を眺めると、虎が伏せているように見える-からだという。JR和歌山駅前からけやき大通り、城を目指して歩いたが「伏虎の城」とはしろなかった。△かな?。

 入り口は何処の門かと、悶々として、探して、入った。天守閣への登り道、近道だという裏坂を上がった。坂道は急できつく、やっと上りきった所で、虎が出て来た。昭和34年に建った2代目の伏虎像という。銅版の伏虎二字は当時の和歌山市長、高垣善一氏の揮毫だ。戦争で供出した初代銅像は、有吉佐和子の小説「紀ノ川」に登場しているという。

 虎は石垣の前、鉄柵の中だ。尾っぽを巻いて、寝そべっている。顔が大きく、胴が長い。2代目は銅像かどうか、わからないが、じっくり見ていると、どうだ!と言っているようでもある。駒札には、江戸時代から別名で虎伏山竹垣城と呼ばれていた。海から見ると、お城の山が虎は虎でも猛虎に似ている-と書いてある。とらあえず、天守閣へ上がった。いや、とりあえず…だ。どうも変な癖がついている。とらしたことだろう。困っトラ。?

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2009年9月29日 (火)

拉麺小路呼び込みNo1

 041 042 「いらっしゃい」「いらっしゃい」-、それは、それは、良く通る声だ。どの店にと思っていたので、声なる方へ…だ。京都伊勢丹7階の拉麺小路である。尾道、札幌、銀座…全国からラーメン屋さん7店舗が入店している。大方は食べた店たが、声の店はまだだった。

豚骨ラーメンの博多・一幸舎だ。店の前の呼び込みは若い女店員さん。黒シャツに野球帽と前掛け、足元はスニーカー。「博多で今、大変人気の一幸舎です」「女性に優しい細麺ですよ」「今ならすぐ座れますよ」「店の回転が早いですよ」…、合間は「いらっしゃい」の連発だ。「しゃい」の語尾が「シャイ!」と上がって、シャイだ。声に引き込まれた。

黒ラーメン850円、入り口側のテーブルに座った。待つ間、呼び込み聞いていた。「チャーハン、お得です」というのもあるが、台詞パターンは5つか6つだ。それを繰り返して、つなぎが「いらっシャイ」だ。兎も角、声がでかく、拉麺小路No1である。細麺の黒ラーメン、平らげて、店の外の質問で「博多から来たの?」と計った。△かな。女店員さん、京都の学生さんで半年前からのバイトという。集客力ある声、就職どこでも◎だ。

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2009年9月28日 (月)

伊吹の里の緞帳を見る

019 013  右に日本武尊、左にお市の方だ。二人は標高1337㍍の伊吹山山頂に立って、両側から眼下の琵琶湖を指し示している。日本一の湖だ。足元は伊吹の草花だ。ワレモコウ、桔梗、トラノオ…、手前は鈴鹿山脈、湖西側は比良の山並み。はるか向こうは海、日本海だ。

 日本画家鈴木靖将さんが描いた緞帳の絵だ。米原市の伊吹薬草の里文化センター、キャパ200席のホールにかかっている。ホールの職員さんにお願いして、誰もいない客席から見た。横15㍍、縦7㍍だという。ホールは米原市に合併前、伊吹町時代の平成6年3月に出来た。鈴木さんは当時、町長だった辻村克・現滋賀県会議長の依頼で描いたという。

 県会議長の辻村さん宛に滋賀会館の存続要望を出すという鈴木さんに、その時の話を聞いた。国を描いてくれ―と言われ、伊吹山へ上がって、イメージをつくったという。日本武尊は熊に襲われ伊吹の薬草で傷を治した故事がある。お市は信長の妹、戦乱をしたたかに生きた浅井3姉妹の母だ。再来年、NHK大河ドラマになる。琵琶湖、日本国…、スケールの大きい絵だ。緞帳見学、どうちょうか迷ったが、見て心がドンと大きくなった。

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2009年9月27日 (日)

山あいの町・千ケ畑

029 049  やはり、撮らなきゃあ―、道端でブレキーを踏んだ。棒振り帰りのマイカー、山あいの峠道だ。フロントガラス越しに過ぎゆく秋の風情、いいなあ、いいなあと心を奪われ、ついに車を停めた。彼岸花は畦道に行儀よく咲き、コスモスは群れて風に静かに揺れている。

 南丹市のるり渓から亀岡市へ入った府道だ。対向車に出会うとググッとハンドルを踏むような道だ。スコアは反省また反省、救いは癒しの秋の景色だ。デジカメ持って、車から降りた。さっき見たコスモスと彼岸花、何処だったかな。段々畑が谷底まで続いている。刈り入れがすんで、所々、藁を燃やした跡がある。山並みと青い空と、何処を見ても秋だ。

 コスモスと彼岸花のコラボ写真を撮りたい。車を停めた場所から歩いて随分、逆戻りだ。モシモシ、モスモス…と探して、コスモスが出て来た。道端から何枚か撮って、彼岸花の咲く段々畑へ降りた。彼岸花とモスコス、いやコスモスだ。畦道にしゃがんで、ローアングルで狙った。右上の写真がそうだ。車まで戻って、どの当たりかなと思ったら、真ん前にバス停だ。「千ケ畑」と表示が出ている。彼岸花とコスモス咲く山あいの町・千ケ畑だ。

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2009年9月26日 (土)

藤袴と蝶と虻と

 111 108 秋連休の初日夕、府立植物園へ行って、フジバカマ(藤袴)の写真を撮った。萩、女郎花、葛など、秋の七草の一つである。あの朝、京都新聞の園だよりに今が見頃と出ていた。園北西の宿根草園、淡い紫の小さな花が房状いっぱい、新聞の掲載どおりに開いている。

キク科の多年草という。新聞によると、藤袴は奈良時代から親しまれてきたが、近年は街中で自生は見られないそうだ。茎の長さは2㍍、豆粒みたいな小さな花が先端に群れるように、こぼれる如く咲いている。照り返しの強い夕方、日差しを背にデジカメだ。蝶が次から次と蜜を吸いに来る。ちょうだ!、藤袴と蝶だ!と、デジカメを構え直した。

蝶はちょっと吸い、ちょっと吸い、飛び回る。ブーン、虻が来た。頭の上、あっ、危ない?身を屈めたら藤袴にとまった。また蝶を撮って、せっかくなので、虻さんにもカメラを向けた。小さいのと怖いのと、照準が合いにくいけど、何枚も何枚撮った。蝶と虻と藤袴、上の2枚がまあベストショットだ。蝶の名前は?とネットで「藤袴と蝶」と入れて、検索した。翅の紋からキタテハだ。虻の名前?えっと、危ないアブ?、そうテルアビブだ。?

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2009年9月25日 (金)

伊吹山麓のそば畑

028 023  白い花の咲くそば畑が続いていた。伊吹山の麓までずっと…だ。足元の畦に彼岸花が2本、真っ赤だ。秋の連休中、米原までJRで行って、そこから車で30分ほど、伊吹へ走った。田んぼ一面の白いそば畑は、国道365号の道の駅・伊吹の里のすぐそばだった。

車の運転は伊吹山の麓に住む地元のKさん(5?)だ。ちょうど、そばの花が咲きだした頃だという。そば処「伊吹野」の駐車場に車を止め、そば畑のそばまで行った。幾ら洒落好きでも、こうも「そば、そば」と重なると、そばアレルギーになりそうだ。伊吹のそば畑は何時から?と、Kさんに聞く。減反政策で10年ほど前から町を挙げて、という。

白い花、畦道まで飛んで咲いている。屈んで手に持って、マクロで撮った。小さくて、可愛い花だ。花弁は5枚、芯は米粒より小さく赤い。昼はすんでいて、中途半端だったが、駐車場へ戻って、Kさんの案内御礼を兼ねて、店へ入った。店のパンフによると、伊吹は日本そば発祥の地だという。説明では奈良時代、修行僧が唐からそばの種を持ち帰り、栽培したのが始まりと。遠来の連休客か、店内は満員だ。注文?そばからそばから…そばだ。

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2009年9月24日 (木)

自民党総裁選の街頭演説

035 039  和歌山へ行った日、偶然にもJR駅前で自民党総裁選の街頭演説会に出会った。秋の5連休2日目の20日だ。和歌山県立美術館の展覧会鑑賞へ行った日である。JR駅前のけやき通り、ホテルグランビア前だ。美術館へ向かって歩いて、大きなマイク音で気づいた。

美術館のある和歌山城方向とは反対だが、時間は十分ある。滅多にない和歌山行での、珍しい出会いと思って、交差点を渡った。車に谷垣、河野、西村-3人の候補者の垂れ幕が下がり、演台上は地元の議員さんが並ぶ。県連会長の二階さん、比例復活の石田さん、参議院の世耕さん、鶴保さん…、前座の顔見世演説だ。皆さん、出直しです-と熱弁である。

党員さんがタブロイド版の自民党機関紙を配る。「再生への第1歩」-赤文字の大見出しだ。若手の世耕さんが野に下った悲哀を話す。「総裁選ニュース、昨日のTVは天気予報のあとのローカルニュースなんです」と。そんなもんかなあと-聞きながら、3人の候補者を待ったが、高速道路の事故で到着が遅れているという。そうは待てないと、群れから抜けた。翌朝の朝日新聞、記事はどこにと広げた。1面捲っての2面、扱いは2段、写真抜き。自民、野はいやや?。

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2009年9月23日 (水)

井出商店の和歌山ラーメン

030 031  情報どおり、人、人、人だ。和歌山ラーメンの井出商店である。TVで、味比べ一番になって、評判になっているようだ。観光センターで聞いて、観光マップを見ながら歩いて行った。JR和歌山駅から500㍍だ。広いけやき通りから国体通りへ曲がってすぐだった。

赤い暖簾と提灯、黄色の看板は「中華そば専門店」だ。午前11時半の開店、30分前なのにもう列が出来ている。知人からの案内で、和歌山県立美術館の展覧会へ出かけ、昼前にJR和歌山駅に着いた。鑑賞前の腹ごなしは、事前のネット調査で知った和歌山ラーメンだ。早く並んだので、最初の入店になった。カウンターとテーブル、15人ほどで満席だ。

 メニューは中華でそば1本、並と特と大盛と特大盛の4種類だ。麺は細く、具はめんま、チャーシュー、葱、桜型の蒲鉾…だ。まあ、定番の中華ラーメンかなと、スープを丼から直接すすった。喉越しにぐぐっときた。どろっとして、とろみがあり、さらっとしている。豚骨スープと醤油の絡みが絶妙なのだ。昭和29年、屋台創業の店主のお母さんが作りだした味だという。あじな味やと600円払って出た店外、列はずっと先まで伸びていた。

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2009年9月22日 (火)

夕顔か夜顔か

116 137  何時の朝だったか、NHKラジオで「今日の誕生花はでヒルガオ科の夕顔です。花言葉は妖艶です」と聞いた。確か9月の初めの放送だった。秋の5連休の始まり、府立植物園へ行って北山門で聞いて見た。「夕顔?夜顔ならそこです。今から咲きます」という。

 ラジオは寝起きだった。夕顔と夜顔の聞き間違いかも…と、そこへ行った。高さ1㍍ほどの鉢につるが巻きついている。同じヒルガオ科、朝顔、昼顔と一緒だ。松谷園長のきまぐれ園だより229号に夜顔の記述があった。「花は夕方、開きます。芳香、白。夕顔ではない!」と。時間は午後3時45分、これからだ。NHKの誕生花、夜顔だったようだ。

花の蕾は細長くてロール状だ。園内をひと回りして帰る頃、咲いているだろうと、宿根草園へ行った。京都新聞市民版に出ていた秋の七草の一つ、藤袴を見て、瓜の棚へ行った。何とユウガオだ。写真の通り、籠付きで重たそうにぶら下がっている。「ユウガオ(干瓢)」の表示だ。やはり白い花が咲き、実の皮が干瓢になるという。源氏物語の夕顔はこっちのようだ。閉園の午後5時が近づいた。北山門の夜顔、白化粧して妖艶に咲き始めていた。

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2009年9月21日 (月)

秋の雲を撮る

028 088

朝と夕、時には昼も空を仰いで雲を見る。秋の雲、高くて、ゆっくり動く。

正岡子規によると「夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く」という。子規が四季折々に言う通り、秋の空は青く、雲はこまやかだ。秋が来ているのにあきが来ない?。これ、◎が三つだ。

 

出勤のバス停、職場の窓、帰りの夕暮れ…、この所、毎日のようにデジカメを空に向ける。休日、電車の窓側に座った時も…、だ。雲に魅せられ写真を撮り続ける気象予報士の村井昭夫さんも「秋は雲好きにとって、とても楽しい季節だ」という。雲撮り間なしでも、同感だ。雲は10種類で、高さと形で見分けるそうだ。

 村井さん、山の高さと比較して、見分け方を指南している。低いのは層雲、積雲、層積雲で、富士山より高いのは高層運、高積雲、乱層運、積乱運…という。頷いてウン、ウンだ。秋の雲はみんな高く、うろこ雲の卷積雲、ベールが覆うような卷層雲はエベレスト級と言う。それより高いのが巻雲で、刷毛で掃いたような雲だ。上の写真がそうで、知恩院と滋賀県庁で撮った。そう書いていたら前に蜘蛛が出た。洒落でなく本当だ。何という蜘蛛だ。

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2009年9月20日 (日)

こゝよりひがし五條坂

159 125  道案内の石碑に「こゝよりひがし五條坂」とある。東山大和大路五条の東北角だ。古くは條が條の五條坂も、今は條が条の五条坂で通る。石碑から5、600㍍東に立つ真新しい京都市の駒札は「五条坂」だ。條が条でも、上りが続く「じょうじょうの道」なのだ。

 こゝこよりひがし~国道1号に沿っている。山科への帰り、高架下の京阪バス五条坂停留所までよく歩く。京都の伝統産業、清水焼発祥の道だ。戦前は登り窯が15、6基あったという。駒札には室町時代に始まる由来、野々村仁清を祖とする六兵衛、竹泉、道八…ら陶匠の名がある。毎夏、とうしょうか?と思う陶器祭りは8月7日から10日までだ。

 歩くには北側の道だ。こゝより~からだと、木村寅之助商店、竹虎堂、壷屋いかい…と清水焼を扱う陶器屋さんが続く。紅葉を描く大壷、滝の絵皿…1軒ごとのショウウインドウは高価な陶器が陳列してある。買わず見るだけで、とうきとうき?する。陶匠真清水蔵六宅跡の石碑、今もある人間国宝・清水卯一さんの表札、昔は登り窯だったであろう翔瑞窯に文斎窯…清水焼発祥の地の石碑と若宮八幡宮…、とうき時、ゆっくり歩いて、上々だ。

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2009年9月19日 (土)

秋コレの案山子は怖いぞ!

013 009  ファッション案山子―とでも言うのかなあ。どれもこれも別嬪さんで、それはそれはスタイルがいい。色とりどりの帽子をかぶり、サングラスをかけている。秋茄子と菊の花が咲く畑地、4体立っている。カーディガン、ネッカチーフ…秋コレ向きの案山子だろうか。

 旧農家が並ぶ守山市播磨田町の一角だ。陽射しの強い秋の一日だった。国道1号の林西交差点を琵琶湖側へ入り、野洲川の橋を越え、10分ほど走った当たりだ。季刊誌販売でお世話になったSOさん(72)宅へ、お礼に伺ったおり、ご自宅を探していて、迷い込んで発見した。一緒に行った職場の同僚に聞くと、多分、カラス除けでしょうーと言う。

 マネキンの案山子だ。畑地の大半は黒ビニールが被せてある。大根か蕪か、冬野菜の種まきがすんだ所だろう。湖北に住む同僚、我が家の畑もカラスによくやられるんですと嘆く。これで効くのかなあ、仕掛けは?と、案山子に近づいた。よく見えなかったが、何と、帽子から細い針が何本も突き出ている。カラスが帽子に着地すれば、アイタタ!アイタタ!だ。♪~山田の中の 別嬪さんの案山子~♪ カラスの勝手にはさせない案山子なのだ!。

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2009年9月18日 (金)

ベローチェの朝は光った!

007 004  それは、いや、まことに…艶々している。低い衝立カウンターの向こうだ。顔から上半分、通路越しに男性の頭が出ていて、見れば見るほど、光っているのだ。ライトのせいでなく、頭そのものが発光しているのだ。京都駅前のコーヒー店「ベローチェ」の朝だ。

遠回り出勤の朝、入った。塩小路通りに面し、京都中央郵便局の北側だ。通勤前のモーニングだろうか、サンドイッチとコーヒー客が次から次だ。並んで受け取ったコーヒー持って、L字型の店内の奥へ座った。距離にして2㍍ほど、正面だった。衝立カウンターは6人掛けで、手前に新聞を読む男性客が一人いて、朝の主役はその向こう側の男性である。

我が頭髪忘れて、つい、悪い心が出てきた。デジカメを発光停止にして、店内の撮影を装い、衝立からポコンで出ている頭だけを狙った。デジカメ、反射せず、よかった。どんな人なのか。吊り目がねをかけて、何かを読んでいる。革靴の片一方、脱いでいる。紙コップの水を飲み干し立ち上がった。出口へ行く。ノーネクタイ、白い半そでシャツ、左手に黒い鞄だ。サラリーマン、50歳代かな。許可得ず、頭の光開の公開、お許しを!。

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2009年9月17日 (木)

西本願寺に咲く紅白彼岸花

020 018  滋賀県庁前にある比叡ゆばの八木幸子社長から彼岸花の情報をいただいた。京都・西本願寺の樹齢370年の銀杏の幹周りに紅白の彼岸花が可憐に咲いて、秋の風情を感じる-という。職場のパソコンに15日夕届いたメールだ。翌朝早起き、出勤前に行って見た。

 自宅の山科から東山・馬町でバスを降り、MKタクシーに乗り換えた。七条通りの東本願寺を過ぎ、堀川通り面した西本願寺まですぐだ。八木社長が言う銀杏の老樹は御影堂の真ん前だった。石囲いの中、幹の低い所から枝が水平に広がり、特異な形をしている。植栽時から行き届いた剪定があったからーと説明があり、京都市指定の天然記念物という。

 彼岸花、情報どおりに咲いていた。太くて、節くれて、年輪を思う幹の前だ。白い彼岸花は3本かな、いや4本だ。囲いの外から写真を撮った。そうは見られない白い彼岸花、わりに背が高く、楚々としている。赤い彼岸花は2本ずつ数えて、2本、4本、6本…蕾も沢山あって、数え切れない。彼岸の入りはもう近い。朝の御影堂、読経と説教が聞こえてきた。世の中、安穏なれーだ。あのう?そろそろ出勤時間だ。アンノンとは…である。

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2009年9月16日 (水)

左馬之助に見る、のびやか書道

007 008 今、82歳の大田左享さんは、滋賀県教育書道の先達である。「書は上手も下手もない。のびやかに書けば」という。湖北の西浅井町出身、中学と高校で教鞭をとり、書の道60年だ。大津市打出浜の湖岸に立つ「明智左馬之助湖水渡」の石碑は、大田さんの揮毫だ。

 明智の2字が石碑から飛び出しそうだ。側面の天正十年六月ものびのびしている。書はかくなり-と言わんがばかりで、それでいて親しみを覚える。何時だったか、びわ湖ホール前館長上原恵美さんの出版パーティーで、挨拶した太田さんが、この碑のことを話していた。話の流れは忘れたが「あの碑、下の字が土盛りで隠れてしまいましてね」と。

 滋賀の教育書道は、わが道を行く。鋳型にはまらず、力強く元気に書けば、ハナマルなのだ。それが大田さんらの教えで、今も県書初め展などで滋賀流が続く。思い立って、太田さんに電話した。「あっ、あれねえ」と、石碑の揮毫は30年前だった、JAの近江米の書体は植樹祭の時に天皇陛下へ書いた、今も大津市内で隔週の書道教室を開いている…などなど、左馬之助のサマの縁で、昔話を様々に聞いた。声と書は同一、のびやかだった。

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2009年9月15日 (火)

知恩院の瓜生石はどこ?

109 117  探して、探して、なあんだ!ここだったのか-だ。知恩院の7不思議の一つ、瓜生石である。石は大きくて、名所旧跡のような所に-と思い込んでいた。場所は車が通る一般道の三叉路の真ん中だった。石がまた平べったくて目立たず…である。何事も先入観は…だ。

知恩院境内案内図で、瓜生石に気付いた。親戚の法事帰り、円山公園を抜けての帰り道、何気なく、だ。瓜生石-、左甚五郎の忘れ傘などと並ぶ7不思議の一つとは、知っていたが、見たことなかった。案内図から北へ50㍍、知恩院黒門の前だ。歩いてすぐ着いたのにわからず、周辺をクルクル回って、また案内図へ戻って、聞いて、聞いての発見だった。

石柵の中、覗きこんだ。黒ずんだ石で、表面はぶつぶつしている。火星のクレーターみたいで、隕石説もうなづける。表面は25㌢ほどしか出ていない。それで、石は地中の底まで続いているとか、石を掘ると二条城までの抜け道の穴があるとか言われる。そうだとすると、アナ不思議だ。瓜生石の由来は、瓜のつるが勝手に伸びて実がなった説、八坂神社の牛頭天王が瓜生山へ降臨説など、諸説紛々だ。発見までうりうりする説もありそうだ。

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2009年9月14日 (月)

駅ビル屋上の竹林を照らす

058 070  京都駅ビルの屋上だから、高さは60㍍だろうか。竹林があって、芝生があって、初秋の今、耳を澄ますと、リーンリーンと虫の音がする。所々、ベンチもある。駅ビルの大空広場だ。京都伊勢丹に併設する大階段に沿う長~いエスカレーターを乗りきった所だ。

西山の夕陽が落ちかけていた。駅ビルの屋上が赤く、階段下から1枚、2枚…デジカメ写真を撮った。前を行く男女がシルエットになった。これなら肖像権、心配はない。屋上に上がって、すぐ竹林だ。モウソウチク、ミヤコザサ…看板は「葉っぴいてらす」横文字で「Happy Trrace」と出ていて、行った時は、夕陽が照らす…だった。◎だ。

竹林はコンクリートのプランター植えだ。大空広場の緑地面積320平方で、竹林プランターは20個以上ある。ランタナ、シロガネヨシなど四季のプランターに音やイベントで、京の歳時記を演出するという。屋上の西から西山に沈む夕陽を見て、もう半月になった空を見上げ、北側から京都タワー、南側から東寺を眺め、また竹林をクルクル回って、時にベンチに一服して…である。屋上緑化の癒しの植え込み、これ以上はない上だ。

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2009年9月13日 (日)

パンプキンの善悪

003 022  パンプキンはパンプキンでも…だ。ええ方に悪方がある。ええ方-、って言い方、少し古くさいかもしれない。要するに善玉のことである。朝日新聞の9月8日付け第2社会面に「空中ふわりパンプキン」と写真付きの記事が出ていた。これは、ええ方=善玉なのだ。

 記事によると、北海道空知地方で温室の枠に弦を這わせて栽培するかぼちゃで、「空飛ぶパンプキン」と名付けて、東京に出荷、今が収穫期だそうだ。土との接地面がないので、実が変形せず、オレンジ色も変色しないらしい。悪方は「戦争と市民」展の開催で、大津市歴史博物館が調べに調べて製作した実物模型のパンプキン爆弾だ。これ、悪玉の典型だ。

 展覧会最終日の8月30日に行くと、玄関入った所に展示してあった。本物のモノクロ写真2枚もあって、そっくりだった。長崎投下の原爆(ファットマン)と全く同型で、ずんぐりした形だ。学芸員によると、模型の中身は発泡スチロールで、米国かぼちゃのパンプキン色に仕上げるのに苦労したという。模型の製作は国内では初めてで、保管して、要望あれば貸し出すと話す。戦争、本物はもうごめんだ。模型―、もっけの幸いで十分だ。

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2009年9月12日 (土)

和心豚はなんと読む

036 032 中華の赤坂飯店か、和食のいそべか、うどんか、串か…、どこにしようか、吹き抜けフロアを一回り、二回りした。西武大津百貨店の7階レストラン街だ。昼食の遠出、そうゆっくりもできない。店舗10軒を見て回って、琵琶湖側にある黒豚の「和心豚」を選んだ。

入って、すぐ店名どう読むのか?と思った。店内を見渡し、メニュー表を見た。「和心豚」の下に小さく「WASHIN-TON」とローマ字が振ってある。そうか、ワシントンと洒落ているのか、トンとしらなかった…だ。兎も角、店長おすすめのメニューを頼んだ。表の立て看板に写真入りで出ていた、冷やし長崎・五島うどんと黒豚そぼろご飯セットだ。

西武大津店は昭和50年代に出来た。開店当初は確か、鹿児島・池田湖の怪獣ネッシーが琵琶湖に出た!ーという宣伝だった。レストラン街へ上がるEVの中、おばさん二人が「ここが滋賀で最初のデパートなのよ」と話していたので、思い出した。「和心豚」の豚はどれもこれも鹿児島産の黒豚だという。出て来たうどんと豚、追憶の池田湖ネッシー、「和心豚」=ワシントン…、頭の中はもう、♪~飛んで、飛んで、イスタンブール~♪だ。

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2009年9月11日 (金)

琵琶湖の藻、もうもう

040 039  まあ、見て下さい。湖岸から沖合いへ、ズズッと藻である。写真は大津市打出浜の琵琶湖岸だ。源氏物語の作者・紫式部が父の赴任に伴い、越前(福井県武生)へ旅立った場所だ。今は浮城の愛称を持つ琵琶湖文化館前だ。青い湖面がもうもうと緑色に変わっている。

 ここのところ、藻の異常繁殖はもう、毎年毎年である。夏から秋へかけて、南湖を中心に発生して、漁船のスクリューや釣り人の糸に意図せず、絡んだり、異臭を発生させたり…、皆さんが「もうかなわん」と言う。藻のつく洒落、もっともっと、出てきそうだが、これは入賞作かも知れない。話を学術的に戻すと、この藻のことを「流れ藻」と呼ぶ。

 湖底付近の水草が成長して、茎が切れて浮かびあがり、塊りになって湖岸へ流れているという。流れ藻の種類はクロモ、マツモ、ホザキノフサモ、センニンモ…、それこそ、もう沢山ある。これは選外かな。滋賀県は毎年のようにボランティアを募って、藻刈りまっか大会を開いているが、これぐらいでは追いつかない。日本画家鈴木靖将さんが、藻のバイオ燃料を研究、会社つくれば、儲かるのにーと言っていたのを思い出す。もういいかい。

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2009年9月10日 (木)

岡田前阪神監督、日曜版で語る

004 009 京都新聞の日曜版に前阪神監督・岡田彰布さんが出ていた。連載「ソフィアがやってきた」の夏休み特集で、岡田さんが8月4日に同志社大学寒梅館で親子連れ600人を前に喋った内容が表裏2頁にまとめてある。日曜版は9月6日付け、写真、記事とも◎だ。

 岡田さん、我が野球人生を熱く語っている。小学校5年の時、今はない大阪球場で左中間に本塁打を打ったのが野球人生の始まりだという。リトルリーグ、北陽高校、早稲田大学、阪神タイガース…だ。「道一筋、あこがれを大事に努力することだ」と説いている。成長期は体づくり、単調な練習に耐える精神力、それで技術が初めてつく-と話している。

記事は分りやすく書いてある。最後に(文・辻恒人、写真・坂東勇)と記者とカメラマンの名前が出ている。辻さん、元は文化部長で、今は編集委員だ。さすが-の文章力だ。子ども意識して、優しく…だ。紙面になった日、取材した辻さんに会った。岡田さんの印象を聞くと、シャイな人だけど、頭の良さを感じたという。顔、よく言われる藤山寛美さんに似ていた?と問うと、見ればみるほど、あのう、もしもし…、そっくりさんだったと。

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2009年9月 9日 (水)

芭蕉、重陽の節句に一句

011 007 芭蕉に「草の戸や 日暮れてくれし 菊の酒」の句がある。元禄4年(1691年)重陽の節句に苦も無く詠んだ句だ。重陽の節句=9月9日、我が誕生日でもある。前日の8日昼休み、句碑を見に大津市におの浜2丁目、湖岸通りの馬場児童公園まで出かけた。

 誕生から6?歳―随分、大きくなってしまった。京阪石坂線の膳所駅を降りて、通称ときめき坂を下って、西武大津百貨店の真ん前の交差点だ。公園の石碑は道路側にあり、縦1㍍、横50㌢で、崩し文字である。右隣に楷書の解説がないと、読めない。誕生記念で写真を撮り、クッククックと読んだ。芭蕉は句碑の近くの義仲寺の庵に住んでいたようだ。

 元禄4年、芭蕉48歳の句だ。大津市が悔いのないように句意を書いている。「侘しい草庵の生活、祝い事もない夕暮れに門人乙州(おつくに)が酒一樽を持って来て、菊の花を盃に浮かべ酌み交わした」と。菊の花は健康長寿の印しだ。芭蕉が眠る義仲寺は西南へ100㍍ほどなので行った。拝観代200円だが、入らず門前から境内を覗いた。義仲の供養塔と芭蕉の墓がある。ここで一句。「覗き見る 儚き墓に 句々重ね」-、どうかな。 

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2009年9月 8日 (火)

「火天の城」ー観てから読んだ

 036 031 ~朝もやの向こうに馬蹄の音が聞こえた。5騎か、6騎、こちらに向かってくる~。直木賞作家、山本兼一の原作「火天の城」の書き出しだ。映画も土煙りが上がって、パカパカパカッと駆けてきて、ヒヒ~ンといななく始まり。小説も映画も最初は一緒でグーだ。

 特別試写会で映画を先に見て、後で原作を読んだ。映画は上映時間2時間を越え、原作の文春文庫も421頁の長編だ。信長が熱田の宮大工、岡部又右衛門に「山一つ、丸ごと城にせよ」と命じた安土城の話である。3年かけて築城、3年で消えた幻の城だ。映画は映画で、4年かけて、安曇川、淡路島でセットを組み、台湾にもロケした力作である。

小説と映画、どう違うかなーである。映画は西田敏行が主役の大工の棟梁を演じ、小説に記述のない娘が登場する。映画には女優さんが要るのだ?。娘役は人気の福田沙紀さん。小説では跡取り息子だ。以俊(もちとし)と言い、安土城の八角天守を設計する。ラストシーン、小説はお城炎上なのに映画は築城完成で終わる。興行を意識してハッピーエンドの結末という。原作者の山本兼一さん、了解ずみとか。観て読んで、初めて違いが判る…。

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2009年9月 7日 (月)

四川飯店で隣り合った外国人家族

105 106 どこの外国人かなあ。隣の4人掛け席、家族4人が向き合って、中華料理の晩御飯だ。右隣の席から、チラッ、チラッと見る。会話にも聞き耳を立てた。お父さんは体格よく毛深い。対面のお母さんは目が青く小柄だ。半ズボンの息子さん2人、高校生と中学生かな。

JR京都駅地下街のポルタ、時折り行く四川飯店だ。土曜の夕のホリデーセット。イカと野菜のオイスターソース炒めにマーボ豆腐、スープ、サラダ、漬物で1000円だ。店内は満席。やっと空いて、座った席の隣が外国人家族だった。会話は英語ではない。顔かたち-、どうやらボンジュールで、こんにちわーである。会話の弾む仲の良い家族だ。

お父さんは天津飯、左隣の息子は焼き飯だ。大きい息子さんは餃子と海老のチリソース煮、お母さんは焼きおにぎりかな?。家族4人、みんな箸を握りしめている。お父さん、箸でご飯かき集めている。あっ、米粒が顎についたのに、箸の持ち方か?息子さんと夢中で喋っている。請求伝票、みんなで回し出した。それ何ボ、これ何ボ-だ。食事中の写真、撮りたかったけど、家族が店を出てきて、後ろから撮った。ナニモイワズニスミマセン。

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2009年9月 6日 (日)

万豚記の黒ゴマ坦々麺

003 023  看板も店内もトコトン、豚だ。店名は万豚記だ。万はワン、豚はツー、記はチィと読ませて、ワンツーチィである。坦々麺が売りの中華屋さん。京都市中京区錦小路通り高倉西入ル、要は京都大丸の東隣だ。錦を歩いていて、前からこんな店あったかなあと、入った。

 入り口は商人宿ふう。オープン・ザ・ドアで、入りやすい店だ。鉤型のカウンター、4番に座った。店内見渡すと、和風ダンスがあり、ラムネも売っている。板壁には、黒豚と白豚が向かいあってラーメンを食べている絵が掛っていて、「世界に誇る坦々麺」と出ている。坦々麺は世界一辛い、汁なし、赤い屋台などあり、注文はゴマの黒か白かで黒にした。

 出て来た黒ゴマ坦々麺、写真のとおり真っ黒だ。これ880円で、加えて3個390円のでかい餃子も、どうデカイのか、確認兼ねて頼んだ。これも写真のとおりで、10㌢以上ある。味は味として、珍奇さが際立つ。店員さんに聞くと、去年12月からの出店という。戻って、万豚記とネット検索した。いやまあ、あるある子豚だ。親会社は際コーポレーション。東京中心に和洋中華と全国展開しており、店は万とあって、それこそワンだ。

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2009年9月 5日 (土)

南草津駅から大津駅までの車窓

041 043 稲穂が垂れて、畑一面が黄色くなり始めている。もうすぐ収穫だ。JR琵琶湖線南草津から網干行きの普通電車に乗った。座席は進行に向かって右側だ。木曜の昼下がり、職場のある大津駅までだ。瀬田駅までの車窓、秋を感じる稲田の広がりにデジカメを向けた。

 今は県内全域が近江米。昔はこの草津あたりで獲れるのを江州米と言った。「ごうしゅうまい」-と読んで、人気ブランドだった。瀬田駅を出て、今度は瀬田川の陸橋を渡る所で一枚狙った。石山駅までの車窓だ。湖面キラキラ、何時もウットリする一瞬の通過風景である。デジカメ構えて、瀬田川だーと思った時、陸橋の上で上り線とすれ違いになった。

 動く電車から動く被写体、プロでないので難しい。ぶれて、またぶれて…だ。次は膳所だ。琵琶湖のランドタワー、大津プリンスホテルが高~く、高~くだ。膳所駅、この駅名は国内でも一、二の難解名だと、成安造形大の木村至宏前学長が言っていた。地元の人には簡単だが、ぜんしょ?ぜんどころ?だろう。ぜぜの有無に関わらず「ぜぜ」は、すっと出ない。南草津駅から乗車して4つ目、所要時間10分で、大津駅だ。酸素一杯のOツ-。?

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2009年9月 4日 (金)

若沖の像と鯨の屏風は初公開

012 007  座り込んだ象が、鯨に向かって、鼻を高く上げている。鯨は鯨で、潮をピュッと噴き上げて、象に応えている。江戸の絵師、伊藤若沖の「象と鯨図屏風」だ。哲学者梅原猛さんは、この絵を見て、陸の象と海の鯨のエールの交換だ―と新聞に感想文を寄せたという。

 信楽のMIHO美術館で開催中の「若沖ワンダーランド展」だ。内覧会へ行って、梅原さんが感想文に書いた「象と鯨」を見た。MIHO美術館の辻惟雄館長が図録の中で、それを引用していた。何しろ、動植綵絵で若沖を世に出した美術史家の辻館長である。石川・金沢の旧家にあった象と鯨を鑑定、MIHOが買い上げ、補修しての初公開である。

内覧会、相変わらずの若沖人気だ。MIHO開催の展覧会では史上最高の460人で、式典会場は、椅子が足りず立ち聞きまで出た。若沖研究第一人者の辻館長がどう話すか、興味津津、一番前で聞いた。若沖、最晩年の82歳の作品だという。見どころは3点。優しさ、力強さ、巧みさだと。そう聞いて、象と鯨の屏風の前に立った。なるほど象の目が優しい。落款は八二とあり、逞しい。絵はまさにエール交換だ。賢者の視点、誠に…だ。

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2009年9月 3日 (木)

変色の堤康次郎像

029 033 ぞうして?、いや、どうして、こんな色のに…だ。顔、背広、ズボン、靴までも部分、部分が赤茶けている。一代で西武王国を築いた滋賀県秦荘町(現愛知郡愛荘町)出身、故堤康次郎氏である。大津市歴史博物館の高台下、急坂を降りた屋外展示場にすっと建っている。

企画展「戦争と市民」を見て、帰りに寄った。大きくがっちりした像だ。黒御影の台石の上、2㍍以上ある。三つ揃いの背広だ。右手で杖の先を抑えるようにして立ち、左手はポケットの奥深く突っ込んでいる。得意のポーズなのだろう。米軍キャンプ地の大津市返還などの功績で、大津市名誉市民だ。像は平成10年、市制100周年事業で建った。

赤茶けてしまった像、誰が制作したのか。後ろに回って、確認すると足元に「山下」のサイン。衆議院選挙で政権が民主に移った翌日、かつて大津歴博に勤務の知人に会って、聞いた。制作は堤家が指定した彫刻家の山下さんで、像は衆議院議長になった昭和28年(64歳)の頃のイメージという。最初は土色だったが、酸性雨で変色していると。後継の三男、義明氏失脚、保守王国・滋賀から自民議員消滅…あまりの変貌に像まで変わった。?? 

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2009年9月 2日 (水)

舞妓さんと京の夏を撮ろう

047_3 050 白いおしろい、赤い口紅…、艶やかな舞妓さんが2人、非毛氈の腰掛の両端に座っている。後ろは金屏風だ。次の方、どうぞ!-で、持参のデジカメか、携帯を係りに渡し、舞妓さんの間に座り、ハイポーズ-だ。舞妓さんと一緒に撮る、京都の夏の思い出である。

 JR京都駅2階西口の改札前、京都伊勢丹側のスペースだ。京都タワーの書店へ行って、山科へ帰るおりだった。人だかりがしている。寄って見たら、舞妓さんと思い出を作ろう-という京都市観光協会主催のイベントだ。7月25日から9月6日まで、土日ごと1日2回、舞妓さんの舞の披露と記念撮影会である。舞の披露すみ、記念撮影の最中だった。

 土曜の午後4時前、もう終わりですーのマイクに列の後ろに並んだ。子ども連れ、アベック、女性連れ…大体が観光客のようだ。舞妓さんの簪、一人は花火、一人は朝顔だ。凝っている。確かに夏の思い出だ。二人は上七軒の勝瑠さんと市照さんという。順番が来て、真ん中に座った。なぜか、緊張している。撮影は2回限定だ。係りに2枚目のおり、笑って!の指摘あり、ニィッとしたが、やはり堅い。~行く夏に 照れて記念の 舞妓撮り~

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2009年9月 1日 (火)

野洲市の「おいで野洲」

031 036 あった、あった。もう諦めて、帰ろうかなーと部屋を出ようとした時だった。帰り口のドアに「また おいで野洲」とあり、入り口側には「おいで野洲」と。パソコンのワードアートで作った貼り紙である。探していたのは、これ、これ、この案内書きだった。

滋賀県野洲市は「おいで野洲」と洒落ている。教育長の南出儀一郎さんが野洲市の希望が丘公園であった第2回まんなか共和国マレットゴルフ大会の開会式に出て、歓迎の挨拶で使った。日本のまんなか、福井、岐阜、三重と地元の滋賀の人たち150人余が集うニュースポーツの大会。そこで来賓の教育長が「野洲市です。皆さん、おいで野洲」と。

地方は地方なりの歓迎の弁である。土曜のあの日、開会式が終わり、看板探しに町を歩いた。野洲駅の南口にも北口にもない。コミセン野洲の窓口もさあーと言う。当直体制の市役所。駅前の観光案内があり、看板も出ていたが、古くなって取り外したと。詳しい観光課は休みでして…と言う。また、駅へ戻り、念のために近くの中央公民館へ行く。サロン内を見て、土壇場の発見だった。今頃は閉会式。「皆さん!また やすしきよし」かな。?

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