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2009年8月

2009年8月31日 (月)

あるひとつの発見…新幹線の跨線橋

009 014  これは、ある一つの…発見なのかも知れない。元巨人の長島さんの語りを借りれば…である。前々から普通にあるのに発見!とは変だが、感覚的には、やはり、ある一つの…なのだ。京都市山科区花山で、新幹線の跨線橋が、至近距離に2つも並んでいるのだ。

 駅の構内や古い在来線の跨線橋ではない。全国そうはない新幹線の跨線橋である。それも距離にして200㍍ほどの間である。何時も行き来するところで、ずっと何とも思わなかったが、最近になって、ちょっと待てよーと。JR東海に確認したわけでもないが、これは極めて珍しいことではないかと。何でそうなったか、「不思議!発見!」と思うのだ。

 場所は東山トンネルの山科側である。一つは国道1号から清水焼団地へ入ってすぐだ。橋の銘板は「花山こ線人道橋」で、なぜか跨が平仮名だ。常用漢字のこだわり?とバス停へ行く道筋で、勝手に悩んでいて、もう一つの階段の跨線橋を思い出した次第だ。こちらは片方42段、反対側28段で、急こう配の橋だ。どちらにも「25000V電線 危険」「投げ込み禁止」と掲示板がある。網目は小さく、鉄条網は高く、とてもコセンない。??

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2009年8月30日 (日)

上方ざんまい屋さんの内モンゴル?

054 050  最初のひとすすり、どうかな。麺の下にレンゲを潜り込ませ、まずはスープだ。ラーメンの上方ざんまい屋さん。京都駅伊勢丹10階、拉麺小路の中の1軒だ。関西でのあっさりラーメンの火付け役…だという。どんなあっさりか?、何でざんまいか?-入った。

 内モンゴル塩ラーメン730円が売れ筋1位だという。拉麺小路フロアの一角に出店しているお店の特徴と売れ筋ランキングが出ていた。食券渡し、入り口近くのカウンターに座った。キムチは自由のお取り下さいという。待つ間、小皿に少し盛って、濃青エプロンの女店員さんに質問のジャブを出した。大阪が本社かな?店名のざんまい屋さんって?と。

店員さん、バイトなのでと、即、奥へ聞きに戻った。大阪は福島の五郎衛門が本家で、京都駅周辺ではポルタの京熊五郎、アバンティの百年屋が系列店という。ざんまい屋は?と再質問すると、店長が出てきた。つけ麺にあっさりに豚骨醤油の、味の三昧でして…という。注文の内モンゴルが出てきた。チャーシュー、ワンタン、あっさりスープ…。そうだ、何で内モンゴル?聞き忘れた。これ以上は…と仕方なく、モンゴル、モンゴル食べた。??

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2009年8月29日 (土)

茶わん坂、筋向いで内閣総理大臣賞

027 032 ああ、そうや-お二人とも内閣総理大臣賞やった。京都五条坂から清水寺へ通じる茶わん坂を歩き、そう思い出した。陶芸家の故谷口良三さんと河合誓徳さんである。自宅は茶わん坂の入り口近く、筋向いで隣り合っていて、玄関わきの飾り窓に作品が展示してある。

 もう何年前になるだろう。谷口さんの「夕照」が日展の内閣総理大臣賞に輝いた。日展会場の東京都美で偶然、お会いして、お祝いを述べた。そのおり、河合誓徳さんもご一緒だった。谷口さんが亡くなり、暫くして今度は、河合さんが日本新工芸展の内閣総理大臣賞を受賞した。そんなことを思い出し、お二人の自宅の前を行き来して、飾り窓を見た。

河合さんは、今や日本芸術院会員、陶芸界の大御所だ。簾の前の作品は、芙蓉を描いた花入れである。白磁に芙蓉の芯は黄色く、葉は蒼く…品格がある。谷口家は京教大教授の長男・淳一さんが彫刻家、二男正典さんが陶芸家で跡を継ぐ。淳一さんは日展の特選作家で、悠久のまほろばをテーマにしている。格子桟の玄関横、小さな女性の粘土像だ。お父さんと同じで、優しさを感じさす。さすがに茶わん坂、ともにちゃ~んとした作品だ

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2009年8月28日 (金)

麻生総理の街頭演説を撮る

023 028  口元、歪めて話すかなあ-、27日の昼、麻生太郎総理を見に街頭演説会場の京都・烏丸御池へ行った。大津からJRと地下鉄を乗り継いで、聞きにではなく、麻生総理の写真を撮りに行った。どんなんかな~、気持ちはもう完全にミーちゃん、ハーちゃんである。

 麻生太郎総裁来る!、26日付け京都新聞朝刊、自民党の選挙広告に予告が出ていた。同じ日の夕刊には共同通信の配信記事か、候補者から応援要請が少ないと言われていた麻生首相の街頭演説が選挙終盤になって、千葉、東京、埼玉などで聴衆が身動きできないほどだと書いてあった。興味本位の声もーの見出しもあったが、要するに人が集まるのだ。

 地下鉄烏丸御池駅を駆け上がった。警察官多数が警戒に当たり、まだ京都選挙区の各候補者が交代で演説中だ。昼休み、聴衆はもう溢れている。大型選挙カーは西南角、井門ビルの前だ。総理はまだかなあ―と、大津への職場復帰が気になりだした頃、来た。黒塗りの車から選挙カーに上がった。青い長袖シャツの腕まくりだ。聴衆はカメラ付き携帯突き出す。夕刊の記事と同じだ。道路挟んで北側からデジカメ撮った。喋る口元、歪んでいた。

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2009年8月27日 (木)

清水寺の裏門

016 009_2  これが<This is 裏門>と言うのだろうか。年中、喧騒の表門(西門)に比べて、ひっそりしている。あの京都・清水寺の、そうは知られていない南側の門である。二つの石柱の間に何時も施錠中の鉄扉、人の出入りは左端からだ。裏門中の裏門なのだ。

注意書き看板がある。門の前は防災道路なので、駐停車は禁止だ。くぐり戸の開門は午前6時、閉門は午後5時半という。裏門=南門への道順、説明が難しい。国道1号の京阪バス停・清閑寺池田町が目安、東山トンネルの手前だ。清閑寺と高倉・六条天皇陵への坂道を上がり、車一台が通れる細い山道を徒歩でトホトホと歩いて5分だ。わかるかなあ。

裏門から入ってすぐ、安産信仰の重文・子安塔が建つ。清水寺の表門に通じる三年坂が産寧坂と言われる由縁の塔だ。高さは15㍍、江戸時代初期の建物。今、ちょうど全体を修復中で、復元完成図が工事を被う簾に描いてある。塔の下から舞台の本堂、高さ30㍍の三重塔が一望だ。その先は京都市街、京都タワーも見える。表門からだと、奥の院を降りて帰り道になり、意外と気づかない。裏門から入る眺め、うららうらら裏裏―なのだ。

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2009年8月26日 (水)

新装開店のお店、初見参

019 035  なんやかんや…書いてあるものだ。店の垂れ幕は「年中無休」?いや違う、「年中夢中」だ。写真入りメニュー看板に勝売、傷売、昇売、消売…と商売をもじり、「やっぱり笑売をしよう」と。反対側は「幸せだから感謝するのでない。感謝しているから幸せなのだ」と。

 「ろまん家」山科駅前店だ。旧三条通り山科京極の入り口で、8月に楕円形のカウンターがあった「安加郎」という居酒屋のあとに新装開店した。店の表の「ろまん家」看板には串だいにんぐ、炭焼、ピンク地に白抜きで「べっぴん」と出ている。何事も百聞は一見に如かず―、お盆明け、一人でカウンターに座った。店内の店員さん、みんな女性だ。

 客の出入りの度、黄色い声だ。注文もオーム返しだ。バンダナの店員さん、胸に名札カードを下げている。ミーちゃん、奈々ちゃん、あっちゃん…だ。メニューを見た。なんやかんや…だ。社長の福井将一さんが、人生に疑問を持っている奴、やる気のホコ先がわからない奴が集まって生まれた店…と書く。京都・伏見が始まり、山科店は6店舗目だ。店開きは仏滅、最悪から-が元担ぎという。ああやこうや、何を頼むか、頭が白くなった。

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2009年8月25日 (火)

琵琶湖疏水の竪坑を見た

033 039  入ったらいけないんですが、我慢ならない人はそっと「どうぞ」―という。京都橘大学の織田直文教授の現地説明である。変な見学許可?が出たのは、小関越えにある琵琶湖疏水の竪坑だ。京都市水道局の管理で、道沿いの杭に鉄線があり、レンガの竪坑はその下だ。

 見えている部分で高さ2㍍、直径で5㍍はある。ザル見たいな屋根から水蒸気が上がっている。真下は見えないが、長等山から続くトンネルだ。琵琶湖から取水した水が流れているはずだ。深さは?と織田教授に聞くと、45㍍だという。この竪坑こそ、琵琶湖疏水の始まりだ。完成まで湧水との戦いで8カ月、1日平均21㌢の難工事だったという。

 京都から大津への小関越え、これまで2度、3度と歩いている。織田教授に「ここです」と言われて、初めて知った。琵琶湖疏水は明治18年から5年間かけ完成した近代日本の魁となる偉業だ。京阪石坂線の三井寺駅から小関越えで山科へ、近江歴史回廊大学の街づくり講座の現地研修である。織田教授に琵琶湖疏水の話を聞きつつ歩いた。東大出の若き技師、田辺朔郎が測量した道だ。歴史の竪坑へ、鉄線をそっと跨いだ。我慢が出来なかった。

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2009年8月24日 (月)

二つの大学の白い意匠看板

009 075  何でかな?とふと考え込んでしまう。駅構内にある二つの大学の広告看板である。一つは成安造形大学だ。JR京都駅地下1階東口のそれだ。卒業生でイラストレイターの永田萌さんが描いていた看板だ。花の妖精たちが画面一杯だったのに、今は真っ白なのだ。

 意匠制作はこれからかな?と思っていたが、5月、6月、7月と…、何時までも変わらない。それでまじかによって、よく見ると、右端に「2010年春、成安造形大学が変わります」と。芸術学部芸術学科の1学部1学科になり、総合、イラストレーション、メディアデザインなど5つの領域が誕生するという。これから―を意図した意匠だったのだ。

 デザイン学部がある京都精華大学も…だ。五山送り火観賞で、行き来した京都市地下鉄の丸太町駅の構内にあった。左上に「京都に学ぶ 京都で学ぶ」と書いてあるが、イラストはなく、画面全体が白いのだ。上の方が少し青いので、白さは雲のデザインなのかもしれない。成安造形も左下に黒い線と90の数字がある。意味はよくわからないが、それがデザインかも…。気を衒い、意表を突く白い意匠。電車が来て、いしょいしょと乗った。

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2009年8月23日 (日)

手書き映画看板復活

004 020  これぞ、昔を今に…だ。県庁前の滋賀会館に手書きの映画看板が上がった。町人姿の森雅之の背中にお姫様の京マチ子が左手を添えて寄りかかっている。ヴエネチア国際映画賞を獲った溝口健二監督作品の「雨月物語」の看板である。何とまあ、懐かしいことか。

 昭和28年封切りの大映映画で、もう56年前だ。看板は当時のもの?でなく、尼崎市在住の元看板絵師、小林忠市さん(62)が滋賀会館シネマで、文化庁優秀映画鑑賞推進事業として、溝口作品を上映するにあたり、42年ぶりに描いた。この21日付け京都新聞滋賀版に載っていて、見に行った。縦1㍍、横4㍍と大きい。山椒大夫も描いてある。

 雨月物語は「男は大きな野心を抱き、女は小さな幸せを望んだ」と。筋書き浮き彫りのキャプションだ。山椒大夫は「もう一度、母さんに会いたい」である。これもイメージがわく。香川京子の似顔絵も巧みだ。看板見上げて、モノクロ~ク、オモシロ~クである。記事に今はイラストレーターの小林さんの談話が出ている。「看板づくり、懐かしいより必死だった。ブランクはあったが、よく出来た」と。看板づくり、かんばった結果だった。?

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2009年8月22日 (土)

なせ、伊右衛門は売れたのか

013 018 ついつい、買って、読んだ。日経文庫の新刊「なせ、伊右衛門は売れたのか」である。サントリーの緑茶飲料「伊右衛門」のことだ。年間5千万ケース、1千億円売れているという。どうして「伊右衛門」が、そんなブランドに成長したか…、舞台裏を描いている。

 JR京都駅地下1階、おみやげ小路の三省堂書店で見つけた。ビジネス本の書棚、2段ぶち抜きだ。表紙を向けて、端から端へ並び、茶碗まで置いてある。えらい力の入れようだ。「今、三省堂書店はこの本をおすすめします」のカードが貼ってある。▽老舗福寿園とのコラボ▽本木雅弘と宮沢りえの起用…など、読み筋のポイントが手書きしてある。

 著者は峰如之介さん、なおのすけーと読み、兵庫生まれの53歳だ。プレジデント、週刊エコノミストなどに執筆という。税込み1冊700円、237頁だ。神戸の親戚へ阪急で行き、JRで帰ったおり、車中で読みきった。創業200年の福寿園の初代福井伊右衛門の商品名、最初は福寿園がウンと言わなかったこと、その前のプーアール茶「熟茶」に失敗したこと、売れるまでの苦労がわかる。自販機はついつい「伊右衛門」へ手が行く。

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2009年8月21日 (金)

大先輩から来たメール情報

 003 008 毎日の新聞、何処にどんな記事が…である。ついこの間、高校陸上部の大先輩からメールが来た。なぜか、天ちゃんという愛称がある、大にもう一つ大がつく先輩だ。メールには「16日の京都新聞朝刊、14頁に私に妹のことが載っています」と書いてある。

 内容はそれだけ、読みなさい-ということらしい。大先輩は新制高校の第1回卒で、確かもう80歳近い。その妹さんとなると…思いながら、古新聞を仕舞い込んだ棚から16日付けの新聞を探し出した。先輩の言う14頁は、文化報道部が担当する「暮らし」欄だ。手紙が語る戦争-どうか、元気で-子ども編に、75歳の妹さんのことが載っていた。

 記事は小学校1年生だった妹さんが昭和15年、出征中の知人男性からもらった絵手紙のことだ。妹さんや男性の似顔絵入りの手紙で、写真が載っている。文面は小学校に通い始めた妹さんを励まし、自分のことを「元気で支那兵やっています」などと書いてあり、戦時中なのに、どこかほのぼの感がある。妹さんは「戦争の片鱗がうかがえる絵手紙」として、今、住んでいる宇治市の歴史資料館に寄贈した-という。いい記事、発見である。

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2009年8月20日 (木)

丼から丼へ渡り食べ

017 008  どん、どん食べて…と、JR大津駅前に丼の専門店が出来た。夜は立ち呑み屋さんに変わり、二足の食の草鞋を履く。駅から県庁側へ徒歩1分足らずだ。赤い提灯は「丼と立ち呑み」と出ている。8月に入り、なぜか丼づいていて、最初はこの丼店からドンと行く。

店名は雷恩という。最初に入って、穴子天丼のおり、店名の由来を聞くと、ワンマン経営の若い主人が自分の頭髪がライオンのようだからと。髪型をみると、なるほど雌ライオンのような。丼は日替わりで2種類、525円からだ。写真の焼き豚丼に温玉子乗せて550円だ。丼づくりのコツ?聞くと、ご飯に何かを乗せれば、丼!-と回答は丼勘定だ。

雷恩のライバルは階段下の豚丼信玄だ。豚を炭火でブーブーでなく、モウモウと焼く。写真は並盛セット780円だ。野菜サラダと味噌汁がつく。ここは小林さんの経営で、丼は豚の炭火一筋だ。朽木ゴルフ倶楽部の昼も丼だった。午前中のラウンドで、いかんなあーと、特別メニューのイカ丼にした。若狭のイカに葱と山芋のトロロが乗っていた。成績思い出し、涙までトロトロ?。どの丼がどうだったか品定め、うーん、みんなドンと◎だ。

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2009年8月19日 (水)

ある写真家とは、野島康三さん

014 002  サブタイトルがある写真家が見た日本近代」という。ある写真家とは、生誕120年の野島康三氏である。どんな写真家なのか、<Who is 野島康三> を知りに展覧会を開催中の京近美へ行った。明治22年生まれ、日本の近代を代表する写真家さんという。

康三はどう読むか、展覧会タイトルにYASUZO-の横文字があり「やすぞう」だ。会場には題名不詳の肖像、裸婦写真…知人で交流のあった彫刻家中原悌定次郎氏や陶芸家富本憲吉氏の作品写真が並ぶ。東京・神田に画廊を持ち、画家梅原龍三郎、中川一政らの個展を開き、経済支援者にもなり、写真とは何かを問う雑誌光画も創刊している。

展示会場を回り、そうか、そうだったのか―である。本人はどんなお顔?-と1階の売店で、図録などを点検した。渋谷区立松涛美術館発行の作品と資料集に本人写真が載っている。1500円もする。招待券鑑賞、有料の観賞券を買ったと思えば…で買った。松涛美術館は遺族との関係で、多くの作品を所蔵しているようだ。右は昭和29年、65歳の時だ。葉山に自宅を新築、日本写真協会賞を受賞した年である。いい顔、写真は人の真を写すなり…。

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2009年8月18日 (火)

京都御苑から見た大文字

029_2 060_2 赤い点が瞬間、線になった。一画、二画、三画…、白煙の中、大の字が漆黒の山に浮かんだ。京都五山の送り火は、東山の如意が岳から始まる。点火は毎年、決まって午後8時だ。赤々と点ったの字はくっきりして、どうだい!と言っているようだい。○かな。

毎年16日の送り火、どこかで見る。去年は吉田山の中腹からだった。今年は初めて京都御苑まで行った。地下鉄烏丸丸太町で降りて、街灯だけの薄暗い御苑内を歩いた。見える場所は分っている。葵祭と時代祭が出発する京都御所の建礼門の前だ。梨木神社のある寺町広小路、東の方向を仰げば良い。砂利道をジャリジャリ進み、5、6分で着いた。

観賞の人、どれくらいか?、すかすと闇夜に沢山だ。ビニールシート、持ち運びの腰掛け…、浴衣姿に団扇、三脚つきの望遠カメラ…自転車…。御苑は何しろ広いので、ざわざわしていないが、300人どころか500人、いや、もっともっとかもしれない。大が点ると、携帯かデジカメか、バシャバシャと一斉射撃のようだ。こちらも例によって、愛用デジカメの3倍ズーム。前へ前へと進んで撮って、上の2枚だ。我が大、どうだい。??

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2009年8月17日 (月)

朽木ゴルフ倶楽部の銅像

059 063  スイングとはこうぞ!と言わんばかりだ。両足が地面をしっかり掴み、胸と両腕は三角形だ。腰はよく入り、クラブも振りきっている。滋賀県湖西の朽木ゴルフ倶楽部の玄関に建つ創始者・前田建造翁の銅像である。お手本にどうぞ!とスイングを披露している。

 明治35年6月、朽木村宮の前生まれだ。米国に渡り、ゴルフの王様、アーノルド・パーマのゴルフ場設計を習い、奈良・京都の府県境にある美加の原ゴルフ場はじめ、この朽木などゴルフ場を幾つか設計している。もう息子さんの代になっているが、銅像は37年前に功績を讃えて建ったらしい。石の台から見上げると、3㍍はある大きな銅像である。

 ロッジで宿泊のゴルフだ。時間に余裕があって、着いた夕方、銅像をしっかり見た。眉毛がもう白そうで、年齢を重ねての像のようだ。後ろは根元の幹から分かれた大きな樹だ。クラブに聞くと、あばれ欅と言い、珍しいという。一枚岩の石もある。地元の石材屋さんからのモニュメント寄贈という。功績の銘板に座右の銘「ひねもす ×我夢中」と。×が読みづらく、何かなあと夢中で考えていて、ロッジへ行く時間に。ロッジかなあ。???

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2009年8月16日 (日)

お盆の甲子園、寄り道観戦

025 034  お盆の甲子園へ行った。昨日15日、雨で2日流れた大会は第6日2回戦だ。神戸の親戚から京都へ帰りがけの寄り道だ。満員の外野席、12段目の通路脇が空いていた。見上げたバックボードは寒川‐日本文理と出ている。2回裏、寒川の攻撃が始まったところだ。

予備知識なしの観戦、どこがどうかわからない。外野席23号門で手荷物検査のあと、手にした朝日新聞大会特集が観戦の手引きだ。寒川って、何県?と頁をくると、香川県代表で初出場だ。さむかわ?かんかわ?かと思ったら「さんがわ」だ。香川・高松のHFさん、TVで観戦だろうか。1塁側の日大文理は新潟代表だ。香川と新潟の対戦…なのだ。

新潟は右の本格派だ。ネット裏のスピード表示、130㌔が出る。ズームを3倍にしてデジカメを向けた。投打の瞬間、とうだ?と、撮った。やはり遠すぎた。振り返ると、カメラマンの望遠レンズ。大きいこと、おおきいこと。寒川の左腕はテンポがいい。守りも堅実だ。寒川が3回裏先制した。5回裏で雨がポトッと来た。席を立って、球場の外「ワアッ」と歓声が上がった。同点かな。有無は別に?、後ろ髪をひかれ、甲子園を去った。

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2009年8月15日 (土)

お盆の鑑賞の列、食事の列…

024 027 人はこうも並ぶものなのだろうか。暑かった昨日14日の昼下がりだ。京都・岡崎界隈へ行って、人の列を一度ならず二度三度と見た。お盆休暇。それにしても…長~い列が続いていた。ちょっとではない。待って、待って…だ。どんな列だったか、報告する。

京都市美のルーブル展。雨天兼用の特設テントが入り口から20張り、100㍍近くある。列は軽くはみ出て、鑑賞者はテントに入るまで館側が用意した銀色の日傘を差して並んでいる。会期中、最高の入り、1万人以上だろう。バイト君が看板を持って、「ここが最後尾です」と叫んでいる。待ち時間は30分、40分、50分…時間とともにだ。

市美から東北の岡崎道通り。中華、蕎麦、グリル、麺…、どの店も列だ。午後1時を回っているのに…並んでいる。一番長い列は、手打ちうどんの山元麺蔵さんだ。店員さん、表へ出て注文をとる。聞くと、食べるまで1時間という。ゆでたてのうどんを氷水でギュッとしめたざるが人気らしい。人か、麺か、のび比べ?。ルーブル展はフェルメール「レースを編む」がお目当てのようだ。鑑賞の列、食事の列…どれも烈々たる熱烈な列だった。??

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2009年8月14日 (金)

昼ご飯、府県境を越えた

003 007 府県境を越えて昼ご飯へ行った。滋賀の大津市から京都の山科へ…だ。職場は滋賀県庁前で、通勤定期はJRの京都-大津だ。昼の1時間以内、山科で食べて大津へ戻ってこれる―と前から思っていた。お盆前の、つい、この間、県境越えの昼食に初めて挑んだ。

 昼の休憩を知らせるチャイムが鳴った。JR大津駅へ急がず普通に歩いた。上り坂、5~6分はかかる。改札から下り線のホームへ上がる。電車は12時13分の加古川行きの普通だ。府県境を跨ぐ昼食、粋なものだ。乗ってトンネルを越えると、もう「山科~、山科~」である。所要時間、僅か4分だ。滋賀・大津と京都・山科の近さを今更ながら思う。

 昼食は駅から徒歩3分の千成餅食堂だ。山科大丸の西側、安くてボリュームがあって、おいしい。食の3拍子が揃い、昼時はいつも満員の人気店だ。やはり待って、6人掛けテーブルの相席だ。きつねうどん、鉄火巻き、ほうれん草のおひたしのセットで500円である。食べ終わって12時38分、駅へUターンだ。急げば…だった12時41分が出て、56分の野洲行き、待って乗って、大津着は13時0分だ。府県越え昼食に手応えあり。

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2009年8月13日 (木)

西瓜とビールは水の中

096 018 まあ、見てください!この写真!…である。これぞ「涼」を呼ぶ一枚だ。優良可で採点すれば、優なのに良?いや良でも優だ。そんな洒落は、りょうでもいいことで、兎も角、写真が良である。撮影は醒ヶ井の地蔵川だ。梅花藻が咲き、ハリヨが生息する川だ。

 西瓜を網に入れて、橋の上から紐で繋いで、川の水で冷やしている。数えて、1個、2個、3個…、もう一つの網には2個入っていて、合わせて5個だ。西瓜の紐は水の流れで、ピーンと張っている。どれもこれも、大きな西瓜だ。水温は前にも書いたが、夏でも冬でも14度だ。手をつけて10秒で、痛くなった、あの水だ。西瓜、冷えて冷えて…だろう。

 もう一枚の写真は、細い溝に箱ごとつけたビール瓶だ。山水、いかにも冷たそうだ。湖西の坊村、比良山荘の玄関先である。比良の武奈岳の登り口だ。ビールは二ダース24本だ。キリンか、アサヒか、よく見なかった。朽木へ行く途中、車を停めての発見だ。溝に小さな水車がクルクル回っている。これまた、涼中の涼だ。西瓜の写真は8月2日の日曜に撮り、ビールは一週間後の8日だ。誰が食べて、飲んだのか。冷えてただろうなあ。

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2009年8月12日 (水)

「街道をゆく」に載った興聖寺

001 003 滋賀県の湖西、朽木の名刹・興聖寺へ行った。司馬遼が「街道をゆく」第1巻で紹介したお寺だ。~むかしは近江における曹洞宗の巨刹として栄えたらしいが、今は~と、お寺もパンフに載せている。12代将軍足利義晴が三好・松永の乱を逃れて、滞在した寺としても名がある。

訪ねたのは2年前に鯖街道のトレイル調査で立ち寄って以来だ。朽木の中心・市場まですぐで、道の駅・新本陣がそこだ。道路わきの田んぼに「興聖寺・足利庭園」の大きな案内板がある。司馬遼は2度、来ている。最初の時、子供が石の上に乗って遊んでいるのを見て、足利将軍の庭園では?と寺に確認して、2度目は日本画家須田剋太氏を案内している。

 取材は何時ごろだったのだろう。鶴石と亀石がある、銀閣寺ふうの庭園を見て、拝観料300円の本堂へ上がった。ご本尊は国の重文で、平安朝時代の阿弥陀如来坐像だ。写真撮影は?と聞くと、ご住職夫人か、意外にも「どうぞ、どうぞ」という。いいのかなと思いながらご本尊、正面から撮って、帰りに娘さんに司馬遼のことを聞く。「母は抱かれていて、大おばあちゃんが応対したようです」と。はるか司馬遼取材、感慨しばし…なり。??

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2009年8月11日 (火)

新幹線新大阪ホームの明石焼きうどん

028 023  たこ焼きうどんがあれば、明石焼きうどんもある。さぬきの生醤油うどんにおすすめの半熟たまごうどん。お急ぎは乗車まで10分でOKの肉、天ぷら、きつねうどんだ。新幹線新大阪駅下り線ホームに赤提灯、屋根付きのお店、何でもアルアルうどん屋さんだ。

 車窓の東寺見て、京都へ引き返すホームだ。ちょうど昼の空腹どきである。明石焼きうどんとは、これ如何に―と530円の食券買って、入った。カウンターの店内、湯気がモオッとしている。食券出して、明石焼きうどんって珍しいねえ?と言う。頭に茶色の頭巾帽と紺制服の店員さんが2人だ。30代後半、40代前半…、大阪のおばちゃんらしい。

 即、答えが返ってきた。明石焼きって、お汁につけて、食べるでしょ、だから、うどん汁でも一緒…と言う。わかりやすい解説だ。明石焼き3個、蒲鉾1枚と葱だ。熱いからやけどしないようにねえと、親切だ。確かにアツツ、アツツ…。客の一人が頼んだたこ焼きうどん。おばちゃんの一人がわざわざ「これよ」と。青海苔付き、説明はなかったが、中はうどんだ。帰りに店名を聞くと、二人が何やった?と顔見合わせて、グルメ2号よ!と。

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2009年8月10日 (月)

車窓の東寺と「眼福」とキセルと?

161 012 京都は通過したけど、世界遺産の国宝を見たという。JR東海の「着くまでも旅―東海道新幹線」というポスターだ。主役は車窓から見た東寺の五重塔。京都のシンボルで、高さは57㍍だ。座っての鑑賞を「眼福」と表現している。ポスター、JR醒ケ井駅で見た。

 あの日から4日経って、ポスター確認に行った。職場の昼休み、新幹線京都駅の下りホームだ。東寺の五重塔、一番西端なら見えるとの思惑は外れた。伸びあがっても見えない。新大阪行きの「こだま」が入ってきた。車窓から確認するには乗るしかない。出発直前、120円の入場券で飛び乗った。がらんとした1号車、乗客は前と後ろに4人だけだ。

席はどこでもOKだ。左側の真ん中、窓際に座った。「次は終点、大阪~大阪~」とアナウンス。車窓に寄ってデジカメ開けた。新都ホテルを過ぎて、すぐだった。松竹梅の看板の向こう、五重塔が見えた。ポスター通りだ。当時も今も東寺だ。う~ん、これが車窓の「眼福」か-と納得して、15分で新大阪駅到着である。入場券で引き返し?、一瞬、脳裏にキセル?イケン、イケンと戒め、清算は「眼福」代1380円…。嗚呼、幸せ!?

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2009年8月 9日 (日)

花火と消えるはかなさ

038 094  びわ湖花火、4階の窓ガラス越しと、屋上で見た。バカバカ、バカ~ンなのか、ドンドン、ロンド~ン!なのか、音響は聞く人の耳次第だが、トリの大玉25連発となると、それはもう…ド迫力である。1億円1万発の、今年の立秋花火、県庁前の滋賀会館で見た。

 日本画家北村恵美子さん(63)が京都新聞の花火特集で書いていた。「人が花火に心ひかれるのは、華やかでありながら一瞬にして消えてしまうはかなさに美を感じるからだろう」と。消えるから少しでも長くと思い、尾を引くような余韻の長い花火に人気が集まると書く。消えるはかなさ…、いい表現やと思いつつ、「はかなさ」にデジカメを向けた。

 パーン、パーン…、プロローグから撮った。山場はまだまだなのに早め早めのシャッターだ。窓ガラスはキャンパス。赤、青、白…パッと光って、サッと消える。打ち上げは浜大津側と大津プリンス側だ。屋上からは夜の琵琶湖が高く広く―。滋賀会館は、これ以上ない特別席だ。デジカメ撮影、勢いがついて軽く100回越え、さあ、いよいよ山場と思った頃、バッテリー交換して下さいと。バカバカ、バカッ…これも、,消えるはかなさか。?

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2009年8月 8日 (土)

鱒どころ、醒ケ井の鱒

039 036 さて、あなたならどうする?だ。滋賀県米原市の醒ケ井まで行って、淡水魚の希少種・ハリヨを見た、あの日の昼食である。駅前におふくろの味で有名なバイキング店があると聞いて、寄ってみたが、何と30分待ちとあって、諦めて近くの和洋食店へ飛び込んだ。

 店の名前は、何がかなわないのか、「かなや」と出ている。コックさん人形などあり、新しい店やなあと思って入って、聞くと、開店して1年足らずという。カウンターとテーブル席が3つだ。黒板メニューが一番よく見える奥の席に座った。客は誰もだったのに、あとから豆乳ケーキの女性客二人、横浜の夫婦も入って、賑わいが出てきた。福の神かな。

 さて、黒板メニュー見て、何を選ぶかだ。あなたならどうする?だ。醒ケ井と言えば、鱒である。鱒フライ、鱒唐揚げ、焼き鱒どれもこれも鱒で、ますます悩みそうなので、地元知名の醒井定食を選んだ。900円、値段は一番だ。ここは鱒どころ、丁寧に「醒井定食にします」と注文した。定食のメーンは、やはり、まず、鱒だ。頭と尾を二つに分けた甘露煮だ。いものじく、小鮎の佃煮、高野豆腐、冷奴も…だ。味?まず、まずまずだ。??

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2009年8月 7日 (金)

読売の編集手帳、文は人なり

011 004  恋とはいつの世も一人悲しむものである、という。読売新聞1面の朝刊コラム「編集手帳」のくだりだろうか。万葉集には「恋」という言葉に「古非」や「古比」に交じって「孤悲」とあてた歌もーと書いている。恋とは、孤独で悲しい―なるほどなあ、と思うのだ。

 JR京都駅構内の大きな広告である。京都市地下鉄方面への出口、3番線と4番線の間の地下だ。今、読売新聞が掲出している広告の内容だ。瞳の美しい女子高校生の横顔と、恋を解釈するフレーズが出ている。世相を500字で切る、朝刊コラム「編集手帳」を全面に押し出す。読売新聞の字は小さく、それでいて効果的に「読売」の顔を売る。

 毎朝の読売、職場で編集手帳から読む。1面の左下が指定席だ。朝日なら天声人語、毎日は余録、京都は凡語、産経はサンケイ抄。どれが名文かなあと読み比べる。今は筆者が固定の読売の編集手帳が一番と思う。文に博があって、流れがあり、読後感の余韻がある。新聞者勤めの知人に聞くと、筆者は長野県出身の竹内政明さん(54)と言い、北海道大文学部哲学科卒で、若い頃は経済・金融の担当、物静かな記者だったと。文は人なり-か。

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2009年8月 6日 (木)

醒ケ井のハリヨ

125 121  からだはブクッとして、目はギョロッとしている。滋賀県米原市醒ケ井の地蔵川に生息するハリヨだ。トゲウオ科イトヨ属で、体長は4~5㌢である。背中に折り畳みが出来るハリを3本、胸にうろこも6枚持っている。滋賀県が希少種に指定する貴重な淡水魚だ。

 JR醒ケ井駅は米原から東海道線大垣行きへ乗り換えて、ひと駅だ。梅花藻と鱒とハリヨの里である。名水百選で名を上げた居醒(いさめ)の清水が流れる。夏でも冬でも水温14度の地蔵川にハリヨは住む。雨上がりの日曜に行った。醒ケ井は前に梅花藻を見に行っており2度目だ。そのおり、ハリヨがお寺の境内の水槽で飼われているのを知っていた。

ハリヨ写真はこの水槽で撮った。苔むした屋根付の小屋だ。地蔵川の水をポンプアップしている。水槽のガラスが曇るので、手でアラヨと拭くと、左奥からハリヨと出てきた。夫婦だろうか、2匹だ。デジカメを水槽にくっ付け、何度もシャッターを押した。ガラス越し、焦点があいにくい。観光客らしい夫婦も見に来た。奥さんが言う。「あんた、オヨヨよ」と。旦那さんが「馬鹿!ハリヨだ。お前、漫才師か」と笑う。奥さんが返す。ソウヨ。???

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2009年8月 5日 (水)

蜘蛛の巣の大作を撮る

008 006  何と長くて、大きな蜘蛛の巣だろう。立ち止まって、見上げて、デジカメを向けた。雨上がりの曇り空だ。蜘蛛の巣の白、空の雲の白…、どう撮るべきか、考えて、木々の緑をバックにした。蜘蛛の巣は透明、デジカメ画面では確認できず、何枚も撮っておいた。

 京都府立植物園の朝顔展へ行ったおりだ。北山門から入り、竹笹園、紫陽花園がある園内の東側をけやき並木へ向かう道中だった。蜘蛛の糸が幅8㍍もある道路を横切って、真ん中で大きな巣を張っている。高さ3㍍くらい、ちょうど見上げる位置だ。糸渡しはモミの木から蘇鉄へ、3段掛けだ。巣は直径1㍍はあって、扇風機みたいなデザインだ。

 そうお目にかかれない大作ではないか。デジカメ構え、蜘蛛の意図はどうか、張った糸を仔細に見た。最初の1本はどう引いたかな。どんな蜘蛛がどれくらいかけて制作したか。思う事はいといと…いや、色々だ?。パソコンで撮った写真を見た。木の緑が効いて、蜘蛛の糸は意外としっかり写っていた。最初の1本はどうか、世界へ張る蜘蛛の巣、WWWで調べた。風が吹いている時、お尻から飛ばすようにーと出ていた。WWWの蜘蛛は、くまった時によい。??

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2009年8月 4日 (火)

みやこみちは「竹善」の女将さん

 005 013 万願寺とうがらし、加茂茄子…、京野菜のおばんざいのメニューを見て、入った。京都近鉄・みやこみちレストラン街の和食料理「竹善」である。JR大津駅で元会社の同僚と偶然の出会いだった。せっかくなのでと、京都駅まで足を伸ばしての居酒屋探訪だ。

 所謂、ちょっと軽く―である。カウンター席を超し、ズズッと奥のテーブルへ。店員さん6、7人…、客も多数だ。おばんざいに湯葉、串揚げを注文する。薔薇デザインの赤の派手なワンピース、女将さんだろうか、店内を動き回っている。声をかけて見た。確か、前の近鉄商店街からあった店やねえ?と。ニコッと笑った。やはり、女将さんだった。

「そうですえ。お客さんも見たことがある?」と愛想がよい。リニューアル前は隣にあって、竹という店名だった。良くなるように善を加え、「竹善」に改名したという。京野菜のメニュー増やして、店も垢ぬけしている?と言うと、おかげさんで善を加えて、お客が随分、増えたという。近鉄商店街の時でも一番古い店では…と聞くと、「そうですよ」と頷いて、笑って、それ以上聞かんといて、歳わかるからと。何処にいても目立つ女将さんだ。

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2009年8月 3日 (月)

朝顔展の銘花は7輪

037 057 色は濃いピンクだ。花輪の直径、15㌢以上ある。鉢はそう大きくないのに沢山咲いている。幾らあるのか、デジカメ構え、上から、斜めから、数えた。一輪、二輪、三輪…六つ?かな。良く見ると、後ろにも一輪ある。何と七輪も…だ。右の写真がその朝顔だ。

 京都府立植物園の朝顔展である。毎夏恒例、今年は50回記念の特別展だ。京都新聞1日付け夕刊1面に記事と写真が大きく出ていた。開園は午前6時半からで、朝10時までが見頃という。花の命は短く…である。去年は昼から行って、萎れた朝顔だった。今年こそで、2日朝、TAXと地下鉄を乗り継いで行った。夜中の激しい雨、もう小やみだ。

展示会場はけやき並木の西側だ。朝一番、主催者の京都朝顔半日会の愛好家らが持ち込んだ鉢と鉢が並んでいる。500鉢…これ、ホントの鉢合わせ…?。午前7時過ぎ、役員さんら審査が始まり、今朝一番の銘花が決まった。鉢の中の数、色、バランスなどを競う京風数咲き作りだ。銘花は展示コーナーの真ん中の特別席へ。短冊に「優等 左京一笑 寺澤」と出ている。左京一笑は品種らしいが、寺澤さんには記念の嬉しい一勝(笑)?。

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2009年8月 2日 (日)

後ろから撮った写真

090 086 後ろから、ナイスショットである。旦那さんの左手が奥さんの右手をしっかり握っている。夫婦を後ろから撮った一枚である。旅行中だろうか、山口百恵が歌った「いい日旅立ち」みたいだ。店内に額に入れて飾ってある。見れば見るほど、いかにも、微笑ましい。

 お二人は、京都・四条通富小路下ルで、居酒屋を経営する夫婦だ。お店の名前は、時おり行く「トミオー」。写真の奥さんは「おおきに、おおきに」と言い、そんな値段?と思うほど安い、サラリーマンの店だ。何時だったか、店を入って左側の棚に飾ってあるのに気づいた。聞くと、一緒に旅行したお客さんの一人、SNさん(5?)が撮ったという。

 名前の出たSNさん、知っていた。宴席で会ったおり、経過を聞いた。トミオーさんのある四条繁栄会・立売東町内会の年1回の旅行会で、今年4月に山口県へ行ったおりだという。幕末に活躍した吉田松陰が祀ってある松蔭神社で撮ったそうだ。どうして後ろから?と聞くと、旦那さんが足のよくない奥さんを労わっている様子がよく出ていたから…という。旦那さんが差しのべた手、後ろからが生きている。SNさん、写真センス◎だ。

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2009年8月 1日 (土)

ホッキ貝を食べて

013 021  貝汁の旨みが口の中でスウッと走る。味醂少々で、味付けしてある。これにレモンを絞り込むと、味がまた変化する。実はしこしこしている。一つので、味わいが2回、3回だ。さすがに貝だ?。何回か行った京都・川端二条東入ル、魚料理の店「よこちょう」の2階だ。

北の漁場から来たホッキ貝の話である。そうかい、そうかい…と聞いてもらえば良い。兎も角、大きなホッキ貝だった。一個500円のホッキ貝焼で、5人で4個頼んだ。左の写真はバイトの女子店員さんが金たらいに入れて、「これです」と見せにきてくれた食前の貝だ。一つが手のひらに入るくらい、表面が艶々している。食べても、いい貝!だ。

ホッキは漢字で「北寄」と書き、北海道が主産地だ。北海道のどこ?と女店員さんに聞くと、調理場へ聞き返してくれて「室蘭」という。一つのホッキ貝を開いて、蓋を二つにして焼いて、一つの皿に4つで、二皿で八つ…。これを5人で分けると…である。結構、一人分の計算がややこしい。左の写真を見て、あの時を思い出すと、好みが貝汁派と貝実派に分かれて、大きな混乱は…だった。まあ、分別ある大人の会、いい会だった。そうかい。??

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