« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月

2009年6月30日 (火)

女子マラソン・加納由理さんの壮行会

008 014  あのエネルギー、どこに…と思う。目の前で本人を見た。いや、小柄だ。1㍍50㌢位だ。女子マラソンの加納由理さん(30)である。この夏、ベルリンで開く世界陸上の日本代表だ。母校の立命館大陸上部OB・0G会が京都タワーホテルで壮行会を開いた。

 受付でOB・OG、現役が日の丸に寄せ書きだ。「世界にはばたけ」「いつものかっこ良い走りで」…。出席は200人近くだ。OB会長の先導で川越学コーチと一緒に加納さんが入場、主賓席に座った。やっぱり小さい。会長らが挨拶で代表への道のりを話す。兵庫県出身、全日本インカレ1万連覇、立命女子駅伝黄金時代の礎…等など、経歴が輝く。

 大学卒業して資生堂へ、2年前に川越コーチが創設したセカンドウィンドACへ。セカンドウィンド?最初は苦しくても続けていれば楽に…だ。主役の加納さんが壇に上がった。マイク位置を下げた。どう喋るか、会場が静まる。今あるのは立命時代の心地よさが原点という。落ち着いて、芯のある語りだ。今度で6度目のマラソン、最高の状態で3位以内を…と。金か銀か銅だ。8月23日(日)日本の夕、加納さんは可能性求めて走る。がんばれ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月29日 (月)

小町の化粧水と井戸

024 031  いつも情報をくれる元高島屋の久さん(6?)が西洞院四条の東南角に小野小町の化粧水の碑があるという。もう陽が落ちかけた頃、職場帰りに行ってみた。地下鉄四条烏丸から徒歩3分だ。日本で最初のチンチン電車が走った通り。時代は変わり、今はローソンだ。

 狭い植垣があり、化粧水と彫り込まれた碑と駒札が立っていた。昭和61年8月、地元の妙傳寺町が制作した駒札を読んだ。風雨に晒され、もう文字が薄くなっている。うんと目を細めた。安永九年の都名所図会によると、ここに小町の別荘があった。西洞院には清流の井戸があり、小町が生活に使って以来、化粧水と親しまれた…云々と書いてある。

 小町は平安時代の六歌仙の一人。百人一首の「花の色はうつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」と駒札にも書きこまれていた。思わずハーイだ。情報源の久さんが、向かい側にその名も小町という食堂がり、奥に井戸があるーと聞いたので、晩御飯兼ねて行った。井戸は?と店員に聞くと、???だ。翌日、久さんに確認すると、それは食堂でなくて、その隣のふつうの京町屋の奥だと。聞き違い、ちょっとまちや!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月28日 (日)

日本一のうなぎの回答

005 014  どうして…、何で…と前から思っていた。日本一のうなぎ・かねよの、日本一である。味が日本一、とセールスしているのはわかるが、何かもっと、根拠があるのかなあと、行ってみた。京阪京津線の無人駅、大谷駅を降りて逢坂関所跡へ向かって50㍍だ。

お店は東海道の旧道を挟んで両側にある。800坪の庭がある座敷と100人の客席がある和風レストランだ。屋根の上の旗竿、店の前の看板…、どれもこれも「日本一」「日本一」だ。階段でレストランへ上がった。聞く前に、兎も角、まあ、うなぎだ。鰻すき焼き、鰻定食…、上をみればきりがないので、18??円の蒲焼きと5??円の出し巻きにした。

最初の、ベテランふうの女店員さんに何で日本一?と聞く。「そりゃあ、お味です」と定番な答えだ。何処のうなぎ?と更に聞くと、声が大きくなって「浜松です」と。若い女店員さんにも同じ質問だ。「良く聞かれます」と、はしがきの裏を見せた。「華よし野 うなぎはかねよ 日本一」と崩し字で書いてある。読み人は紅葉山人だ。吉野の桜と、ここのうなぎの日本一を掛けてありますと。うーん、答えが知的だ。あっぱれ、あっぱれ!。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月27日 (土)

九雀さん、めだまに喋らす

025_2 028_2  落語家桂九雀さんが寅さん映画の山田洋次監督の創作落語「めだま」を高座にかけた。初めてで、多少のプレッシャーがあったのか。「私の話、面白くなかったら、それは原作のせいで…」と、ユーモアにして、断りを入れた。芸暦30年の九雀さん、さすがに巧みだ。

 「めだま」は山田監督が故柳家小さんに書いた落語だ。九雀さんの上演はそれ以来という。県庁前の滋賀会館の会場ロビー、山田監督の祝い花が届いている。滋賀県の嘉田知事も来ている。読売の記者も取材に来ている。客席150席は満員だ。大津市在住の日本画家鈴木靖将さんの描いた原画が20年ぶりに絵本にもなり、かなり話題になっている。

 高座の九雀さん「原作も絵本も、骨だけにしました」と言う。徹底したケチぶりで財を成した、べっこう問屋の大旦那のめだまがオランダの秘薬で、甕の中で生き続ける話だ。九雀さん、扇子で自分のめだまを落語のめだまにして、笑わす。うまい芸だ。話し始めて20分、いよいよ落ちだ。どう落ちるかだ。原作も絵本も喋らないめだまに「こら藪医者、こんな高い薬、けしからん」と怒らせた。~ハイ、目は口ほどものを言うでして~。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年6月26日 (金)

大道芸の独り言

029 045 独り言なのか、呼びかけなのか…。ワイヤレスマイクを口にあて、一人でブツブツ喋っている。「暑いです」「とても暑いです」「大道芸、始めたいと思います」「暑いので、いい所だけやって、早く切り上げます」…一人で喋って、ボールを二つ三つ投げ始めた。

京都・円山公園の瓢箪池の前だ。池の端、時計は午後3時50分だ。西の太陽がきつい。東山に入道雲だ。しだれ桜の石垣に腰をおろして、法然さんのペット茶を飲んでいた。長い髪を後ろに束ねた、あの芸人さんだ。黒のシャツ、ジーパン…、この場所で出会うのは3度目だ。口調も演技パーターンもわかっている。5分、10分…、客は集まらない。

前方10㍍ぐらい、ぼんやり見ていた。アベックが行く。おじさんもおばさん、通り過ぎて行く。「ああ、暑いです」「せっかく京都まで来ました」「暑いけどやります」…、孤独な演技が続く。箱掴み、棒投げ、よく落とす。やはり、気合いが入らないようだ。開始から15分、やっと母子連れが座った。それがきっかけか、急に客が増えだした。不思議なものだ。「一人だと練習みたいなので、嬉しいです」-芸人さん、続けていて、良かったね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月25日 (木)

法然さん800年の茶

014 024 法然上人とご縁を結ぶ「知恩院のお茶」という。手を合わせ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…である。浄土宗総本山知恩院の販売だ。500ml入りのペットボトル1本130円。法然上人800年大遠忌記念で、市販より安い。ありがたや、ありがたや…である。

 梅雨なのに一向に雨のない午後だった。知恩院の三門を過ぎ、江戸時代からの南門を円山公園側へ入って、すぐだ。自動販売機が三台並んでいて、左端が「知恩院のお茶」だった。隣の2台の自販機はお茶、缶コーヒーなどだが、知恩院さんのは緑色のお茶ボトルだけで、どれもこれも、法然さん、法然さん…である。去年8月からの特別セールという。

 額から汗、喉も渇いていた。とき、ところ良しだ。お賽銭が如く、100円玉1枚、10円玉3枚…チャラッ、チャラッと投入、法然茶がガチャと出てきた。いや、もったいない。法然さんは建暦2年(1212年)に亡くなり、2年後の平成23年(2011)が800回忌だ。法然さん、そうねん。ボトルの印刷に「お念仏を唱えれば、誰でも極楽往生へ」と。暑い夏、ガブッと一口、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。ああ、極楽、極楽。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月24日 (水)

コアユは、天ぷらか塩焼きか

056 060 あの魚料理「よこちょう」で、琵琶湖産のコアユが出た。月に一度行く、京都の川端二条東入ルの、あの店だ。あの日は5人が出席した。注文の順番はまずジャガサラ、全員揃って、造りの盛り合わせだ。アワビ、鱧、ヒラメ、甘海老、ヨコア…豪華な造りだ。

もう何度か行っているので、どれだけ頼んだら、幾ら…と割り勘値段の見当はついている。仕上げのひと口鯖ずしは品切れになるので、早めに注文しておいて、出し巻き、サンド豆…そして、だれ言うとなく、高級魚のノドグロ2人前だ。黒板書きのメニューからもう一点で、琵琶湖産のコアユになった。全員、滋賀県勤務の経験者、思い入れがある。

 天ぷらか、塩焼きか、意見が分かれた。この際―と写真のとおり、二つともだ。コアユは体長10㌢前後で、溯上せず、一生を湖で過ごす。天ぷらの味付け、塩もおつゆも…。小海老、椎茸もあり、左の写真は2人の箸が絡み合っている。前に座っていたのは誰だったかなあ。塩焼きはレモンに酢醤油だ。こんがり、よく焼けている。天ぷら一つ口に入れ、塩焼きへ。さっぱりして、後味がいい。コアユは初夏が旬という。しょうか!…。???

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月23日 (火)

百歳の小野小町像

028 033  思わず、エエッ…である。あの美人の、小野小町だという。写真は頬がこけ、歯はむき出しで大口を開けている。平安時代の歌人で、楊貴妃にも例えられた、あの小町だ。もう一度、本をよく見た。見出しは「小野小町百歳像 個性の執念の妖気」となっている。

 今から30年前に発刊の「近江美術の表情」(白川書院)の84頁だ。毎日新聞滋賀版の連載を当時デスクの作家徳永真一郎氏がまとめた本だ。どこでどんな本と出あうかわからない。京都御苑の中、閑院宮跡にある国民公園資料室の本棚で、何気なく見つけた。信長、芭蕉、三成、式部…近江ゆかりの人物が文化財の像や絵画で紹介されている。いい企画だ。

 小町百歳像は月心寺の裏のお堂に祀ってある。逢坂山を京都へ降りた所で、かつてNHK朝ドラで野際陽子がそこの尼さんを演じていた。本の84頁には、小町は生没年不詳とあり、もしも百歳まで…の像だろうと。~右膝を立てて胡坐を組み、左手に短冊、右手に筆~あばら骨、垂れきった乳房をはだけて、哄笑する顔は、何かを訴え、世の中はすべてむなしいと言っているのだろうか~と書く。小町、こまっちゃうナ…と言うかナ。???

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月22日 (月)

尾張屋からの、タイサンボク観賞

023 108  終わりでなく、最初に尾張屋へ行った。梅雨時に花を咲かすというタイサンボク観賞だ。烏丸御池から北東へ徒歩5分、創業から500年余の老舗の蕎麦屋さん。玄関先のタイサンボク、店の大屋根を超えて、もう20㍍近い。幾つか、白い花はずっと上で咲いている。

 話を聞くのに玉子丼の小ときつね蕎麦を頼んだ。もう何代目かの女将さんが出てきた。ご先祖は尾張から京都の黒谷へ来て菓子屋が始まり…と、店の歴史から始まった。どこで終わりや?と思ったが、蕎麦が伸びますねえ!と、タイサンボクの話になった。明治の頃から店の目印で、白い花は今、南隣りの自宅兼工場のビル4階から見ると最高と言う。

 次は京都御苑だ。管理事務所に聞いて、西北角の乾御門近くへ行く。やはり高い木だ。花は白モクレンみたいで、まだ開いていない。今度が終わりで、府立植物園だ。事務所のある植物園会館の真ん前、眼の位置で純白の花が開いている。プロペラみたいだ。直径15㌢、大きな花だ。芳香はどうだろう。花に鼻、いや鼻に花…、ややこしいが、兎も角ぐっと近づいた。レモンの匂いだ。花言葉は威厳。これ以上嗅いだら威厳、威厳…。???

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月21日 (日)

噴火とつつじ、山の写真届く

Cimg0860 P1020300  ……、パソコンのメール受信の左下、……の緑色が進まない。誰からのメールだろう。1分、2分…、やっと開いた。愛媛のTSさん(6?)だ。開くのが遅いはずだ。写真の添付が12枚もある。左側の1枚、まずクリックした。あっ!噴火の写真。桜島だ。

 TSさんよると、6月初めに鹿児島へ旅をして、桜島の観光名所・溶岩台地展望台にいたおり、急に噴煙が上がったらしい。案内役の地元の友人も「地元の人間でもこんなチャンスはそうはない」と言っていたという。その時の写真だ。ゴツゴツした溶岩の向こう、白い煙が空へモクモク…。プロパティの詳細見ると、噴火の撮影は6月3日10時10分だ。

 時折り、遠来の知人からメール写真が届く。5月の連休明けだったか、岡山のMKさん(6?)から同時送信なのだろう。「山と自然を愛する方々へ」と、四国・西赤石山(1626m)のアケボノツツジ写真だ。5月10日に山岳部OB会で登ったおりという。手前にピンク満開のツツジ、その向こう遠望する山並みは瀬戸内海方向という。いずれも行ってみたくなる見事な写真だ。TSさん、MKさん、写真無断公開の出来心、お許しを!。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月20日 (土)

「海と空」のゴーヤ

030 033 ゴーヤのこと、ああや、こうや…と話した。久しぶりに行った沖縄料理の店「海と空」である。四条小橋からすぐ西側、アイブリ屋ビルの3階だ。トントンと階段上がった店内、ゴヤゴヤしている。シーサー飾り、青い海のポスター各種、お客の沖縄ツアー写真…。

 窓側はテーブル席だ。若者のコンパか、夜8時を回っていて、騒々しい。泡盛がかなり回っているようだ。客のいないカウンターに座った。前と同じで、左端から2番目だ。飲みものは?と聞かれ、地産地消のオリオンだ。メニュー表の最初の頁、ゴーヤが並ぶ。ちゃんぷる、ひらやち、そば、天ぷら…みんなゴーヤの冠が付いて、どーや?である。??

 眼のクリッとした女主人が客1人を相手してくれる。店の自慢は?と聞くと、ゴーヤのちゃんぷるとサラダと言う。国内産のゴーヤとどう違うかー質問する。ここのは宮古島産で、太陽の輝きが違うと言う。ビタミンの質も…と。国内産のゴーヤは喉を通る時、苦みがきついけど、ここのはスッと通ると。ちゃんぷるは卵とハムを混ぜて、サラダはトマトとレタスが一緒、写真のとおりだ。味を5点満点で評価すると、3や4ではない。ゴーヤ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月19日 (金)

マンポはトンネル方言

 007 005 マンポは方言でトンネルのこと-という。今、滋賀会館ギャラリーで「忘れていないか 君のマンポ展」を開催している。毎日新聞と京都新聞が取り上げた。正直言って、マンポ=トンネルは、結びつかない。せいぜい♪~マンボ、ウッ~♪か、歩いて万歩?ぐらいだ。

 JR大津駅から何歩だったか、県庁前の滋賀会館へ行く。細長い通路ギャラリーの右側は君のマンポ展で、左側は同時開催の「神の石橋展」である。展示は甲賀市出身の森野秀三さん(50)だ。全国を巡る石橋展ツアーが本業?だが、今回は石橋取材のおり撮りためたトンネル写真80枚の初公開だ。トンネルだ!トンネルだ!~嬉しいな!だ。

 展示コーナーの一角「まんぽの語源」が解説してある。東京出まれの谷崎潤一郎が関西の一部の人にしか通用しない古い方言のマンポ、マンブウが気に入り、小説「細雪」のお春に「マンボウ」と言わせている。谷崎は、ここでは短いトンネル、ガードみたいな意味で使っている。~国境の長いトンネル~の雪国は、川端康成。売れっ子のトンネルズもトンネル。??マンポ展の鑑賞で思うこと、なんぼでも…だ。森野さん、すみません。

   マンポ展と神の石橋展の開催は23日まで。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年6月18日 (木)

やっこと丸干しとコロッケと

032 041 雑多さが売りなのだろう。まあ、なんやかんや…だ。壁に駅構内にあった古い三条京阪駅の時刻表、天井は何年か前の南座ポスターなど各種、カウンターの向こうは視力検査表…思わず片目をつむった。三条京阪駅を出て北東へ歩いて1分の「万長酒場」だ。

 店の前を歩くたびに「京都で一番おいしいやっこ 200円!」の立て看が気になっていた。行こう!行こう!野を山へ!で初めて行った。入ったら長いカウンター。14年目という主人が「全席禁煙です」「撮影は許可を」「注文はスローで…」と色々と注文を言う。店内は一人客2人、アベック連れ1組だ。夕方6時半、まだ明るい。これから酒場だ。

 品書きもまた…各種だ。韓国のり、ピーナッツの隣に上等丸干し500円と出ている。どんな上等か?頼んだ。小皿に6匹、1匹は5㌢ほどだ。主人が北海道のシシャモも2匹…と言う。特別のようだ。何しろ1匹100円、もうそれで上等だ。山科コロッケも追加して、何で山科?と聞くと「山科に住んでますから」と。?。店の売りのやっこは南禅寺・服部商店のおぼろ豆腐と言う。主人曰く。「これ究極の豆腐」と。味プラス講釈も一番!。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月17日 (水)

高速道路の始まりは名神山科

 006 008 日本の高速道路の始まりは名神だという。名神上り線の大津SAの駐車場エリア北西角にこれを記念する「名神起工の地」の案内板がある。ステンレス製で縦2・5㍍、横3・5㍍だ。昭和33年の鍬入れの碑と昭和38年の開通当時の写真が貼り付けてある。

 案内板があるのは前から知っていた。瀬田西から乗り、京都東で出るおり、大津SAに寄って、暫し休憩で暫し見た。工事の始まりは京都山科だという。大津SAから南へ7㌔の中央分離帯に「起工の地」の碑があるという。案内板の写真には「昭和33年10月19日、日本道路公団初代総裁・岸道三 この地に鍬入れす」と。今から50年前だ。

 開通はそれから5年後の昭和38年、東京五輪の前年である。開通写真はどの地点なのか、黒塗りの乗用車が2台しか写っていない。道路の向こうは♪~畑が飛ぶ飛ぶ~家も飛ぶ~♪だ。ビルはない。今、高速道路は日本列島を東へ西へ伸び、料金所自動通過のETCが出来て、土日は千円…だ。案内板を見て思う。山科の中央分離帯にあるという本物の「起工の地の碑」、どんな地なのか、ちと見てみたいなあ…と。車車で、ちと無理かな。??

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月16日 (火)

志度CC東コース5番の写真撮影

105 107  入ったのかな、どうかな。そう長くないパットのようだが…。それよりも何よりも、何という見事な景観だろう。グリーンはまさに波打ちぎわ。青い海と白くかすんだ山並み。緑の芝とポールの赤い旗…。主役4人のパットもだが、写真撮影が一番パットしている。

 写真のホールは、志度カントリークラブ東コース5番だ。打ちおろし166ydのショートである。志度CCは香川県さぬき市小田にあり、昭和39年に開場した国内でも有数のシーサイドコースという。宿泊の高松から車で40分ほどだ。今年3月15日と6月7日と2度行った。最初は東と西、この間は東と中を回り、東の5番は2度経験した。

 ホスト役の地元のHFさん(6?)が「天気はよくて…御免ね」と冗談を言ったとおり、2度とも快晴この上なし。どのコースも、上がって下がって、大体ずっと、瀬戸内海が見えて、東5番の向こうは小豆島だ。写真は24でなく、年かさの8つ瞳である。前の組で打ち終わり、余裕の写真撮影と言いたいが、スコアカードみると、シーサイドに再度挑んで、この5番は二度とも0Bの1パットのダボだった。撮影だけがパー。志度は二度三度でなく、やはり四度でないと…、ああしんど。???

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月15日 (月)

漢語催事記の「瓢鮎(ひょうねん)」

 006 001 毎朝毎朝、京都新聞の朝刊に漢語催事記が出ている。1面下の囲みで、今年の4月から始まった連載だ。筆者は元京都国立博物館長で、中国文学者の興膳宏氏(72)である。写真の「瓢鮎(ひょうねん)」は6月4日付け朝刊で、連載から63回目の漢語催事記だ。

 あの朝、新聞広げて、国宝「瓢鮎図」を思い出した。京博であった妙心寺展で見て、2500円の図録を買ったからだ。意味は丸くてすべすべした瓢箪で、ヌルヌルしたナマズを捕まよーという公案(問題)である。将軍足利義持の命で、画家・如拙(じょせつ)がこれを絵にして、国宝として今に伝わる。妙心寺退蔵院の所蔵だ。右の写真は図録の部分ズームだ。

 京博の会場で、ガラスに顔をひっつけるようにして見た。絵の中の瓢箪とナマズが小さいのだ。図録ではよくわかる。川にいるナマズは大きい。瓢箪を持つ男は顔が毛むくじゃらだ。絵の右上で、どう捕まえるか、31人の僧がそれぞれに回答しているが、難しくて読めない。新聞の漢語催事記の記事。鮎は今アユで、本来はナマズ。それでああいう、こういう-を区別するのに国字の「鯰」のナマズが生まれたと。「瓢鮎」って、そうねん!。???

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月14日 (日)

水原と三原の監督像

078 084  一人は勇将と言われ、一人は知将と呼ばれる。二人の将はプロ野球殿堂入りの名将だ。少々のことで動じない。野球王国・高松が生んだ勇将の水原茂と、知将の三原修である。二人の銅像どうぞ見て下さい!と高松市役所前の球場跡地の公園に建っている。

 再びか、三度か、更に高松の話である。栗林公園の花菖蒲、讃岐うどんをすませ、JR高松駅へ向かって歩く道筋で、銅像に出会った。最初の発見は、菊池寛像だった。文藝春秋を興した、父帰るの菊池寛だ。ああ、そうか、高松出身だったのかと見上げて、そのすぐ北西側にユニホーム姿の水原・三原像があった。そうそう、二人もまた高松出身だった。

 銅像は高い台座の上だ。正面から見ると、左が水原だ。高松商業から慶応、隣の三原より二つ年上だ。監督歴は巨人、東映など優勝9回である。両手を腰にあてた、あの懐かしいポーズだ。高松中から早稲田の三原は、巨人、西鉄、大洋、近鉄、ヤクルトで監督、優勝6回だ。右手は前、左手は背中へ回している。二人の像は西日の中、更に輝き増していて、まぶしい。背番号は?と後ろに回った。水原30、三原60だった。バン!バン!。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月13日 (土)

日吉山荘の床のすき焼き

023 063  行って、ゆかったなあ?ーと思うがある。比叡山の麓、大津市坂本の日吉山荘が経営する川床だ。大宮川の清流と鬱蒼とした木立、まさに神域である。京阪坂本駅から石積みの町を上り、日吉大社の鳥居をくぐって行く。坂道が続き、歩くには覚悟が必要だ。

あの時でもう何度目になるだろう。単身赴任の知人の送別会があって、ワクワクして、行った。雨上がりの夕方、床は?と心配していたら、川床は7月中ごろから営業という。宴席は2階座敷だった。2階から飛龍の滝という滝つぼが見える。飛沫をあげる二筋の流れが龍の髭のよう…なのだ。暗闇と赤提灯と、滝がザアッ、さあ~、近江牛のすき焼きだ。

 参加は10人、テーブルは二つだ。隣の知人は茨城出身で、すき焼きになじみがないという。白い脂身をひいた鍋に最初は肉だけ焼く。色が付いたところで、下地だ。茨城の人が言う。関東は葱、豆腐、蒟蒻を最初から煮込むし、肉と言えば、牛でなく豚という。焼くと煮る-の差ですねえと。右隣の京都人は、三島亭のすき焼きは、最初に下地して、それから肉だという。高い、少し憎々しい。話して食べて、床でなくても、やはりゆかった。?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月12日 (金)

これが本場の讃岐うどん

016 018  この旨さ…、この安さ…である。もう午後2時を回っているのに店内は、まだセルフセルフしている。丼のうどん一玉をザルに移し、お湯で通して、出汁をかけて、天麩羅1枚乗せて、ねきにあった葱も加えて…である。カウンターで、立ってスルスル、スウッ~だ。

 四国は香川、これぞ本場の讃岐うどんだ。美味しかったなあ。さすがに本場、ほんまに…だ。高松市中野町2-2、松下製麺所の手打ちうどんである。栗林公園北門から歩いて6、7分だ。地元の四国新聞の元役員、HFさん(68)の案内である。四国新聞とはもっと近くて、そこからなら2、3分だ。HFさん、在職中、通い続けたのか、顔だ。

 旨さが評判を呼ぶのだろう。朝からずっと列が出来るという。演歌の中村美津子、タレントの野々村真…店内は有名人の色紙が並ぶ。壁に県消費者協から感謝状3枚も。主人のお名前は松下守さんだ。キャッチコピーは「食べてニッコリ、満麺笑顔」だ。トッピングなしのHFさん、食べるのが、まあ、早い。うどんは喉を通るときに味わうもんや…とツウぶる。~ツウツウレロレロ、ツウレロレ~だ。値段二人で440円。なんつう安さだ。?

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年6月11日 (木)

鳴門の渦潮、高速バスから撮る

068 069  ポイント、ポイントでよう撮れている。初めて乗ったJR高速バスからのデジカメ撮影だ。行先は♪~京都から博多まで~♪と違って、高松までだ。朝9時40分、4800円の乗車券買って、京都駅前から乗った。座席は6番A、真ん中の窓側、いい位置だ。

 トイレどうかな、と思ったら後部にある。シートは後ろに倒せる。テープは言う。万一、道路渋滞で大幅に遅延してもお金は返しませんと。そりゃまあ、仕方がない。あの日は土曜で12人ほどの乗車だ。二人掛けに一人、ゆったりだ。読みかけの文庫本「大老井伊直弼」は間もなく桜田門外の変だ。車窓の合間合間に読む。高松までは3時間半という。

 出発、暫くして、千円高速で中国道が渋滞しており、吹田から阪神高速へ迂回します-とワンマン運転手が言う。世は千円高速ばやり、渋滞はせんない。迂回どうかなーと思ったが、意外と順調だ。明石大橋を渡った。座ったまま吊り橋を撮った。立ちたかったが、気恥ずかしい。淡路島を越え、大鳴門橋へ来た。乗った時から渦潮はどうかなーとうずうずしていた。あっ、観潮船がいる。窓越しに1枚、2枚…、船と渦潮、見事にうずった。???

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年6月10日 (水)

栗林公園の花菖蒲に思う

008 010  朝、眼が覚めると、最初に寝床でNHKラジオを聴く。香川県高松へ行く前日の朝だった。アナウンサーが高松のリスナーから届いたFAXを読んでいた。今、栗林公園の花菖蒲が満開だという。高松では何処へーと思案していたので、それで行く先が決まった。

 京都始発の高速バス、栗林公園前で降りた。地元の知人に話していたが、バス停で待ってくれていた。翌日は棒振り勝負、今日は花菖蒲?だ。切符売り場で2人分!と言うと、知人は「これが…」と赤い表紙の長寿手帳を出した。香川県のお墨付き、無料という。入り口でまた「これが…」と出した。黄門さんの角さんみたいだ。6?歳、格好いい。

 旅人は400円の切符で「これで…」と続いた。つくづく「これが…」と「これで…」の差を思う。栗林公園は北湖、南湖、西湖…回遊式の庭園が続き、国の特別名勝だ。知人は地元の新聞社OB。今も嘱託記者として、シニア特集「人生二毛作」を書いている。企画は毎週あって、もう2年半という。もう不毛の名作?いや、不朽の…だ。取材する人、される人、「これが…」「これが…」だ。人生の花菖蒲、今、見事に咲いている。

 【注】 栗林公園、6月6日午後1時30分撮影。赤い長寿手帳、写真撮り忘れ…。残念!

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年6月 9日 (火)

「近江八景の幻影」翻訳者インタヴュー

013 016 <昨日の続き> ドイツ人作家、M・ダイテンダイさんの短編小説「近江八景の幻影」を翻訳した大津市在住、高橋勉さん(77)に県庁前の滋賀会館2階文化サロンで会った。高橋さんはもう絶版という貴重な翻訳本を一冊持参してもらった。以下、インタヴュー。

 Q-翻訳大変だったでしょう。 A-1年半かかりました。 Q-難しかったところは。 A-リーベの訳し方ですね。日本人は愛の表現はほれる、恋する、愛しい…など語彙が豊かですが、ドイツはみんなリーベでして。 Q-どんな小説ですか。 A-男女の情愛を描いた純文学作品です。近江八景とは直接、関係なく、8つの短編に仕上げています。 

Q-どいつでは有名な作家さんなんですね。 A-詩人でもあります。幾つも全集が出ていて、この「近江八景の幻影」は必ず入っています。 Q-翻訳の動機は。 A―横浜の友人が、この本を知って、ふるさとのお役に立ちたいと言って来て。大津―横浜で、FAXのやりとり山のようでした。 Q-意味のある翻訳ですね。 A―04年の姉妹都市パーティーで、向こうのダイテンダイ協会からお褒めのメダルいただきました。

 

   翻訳本は04年、文化書院発行。膳所中同級生の川瀬文太郎との共訳。初版3千、2版2千発行

   姉妹都市の問い合わせは大津市国際交流課。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 8日 (月)

何で大津市とヴュルツブルク市が姉妹都市?

012 038 大津市とヴュルツブルク市(独)は姉妹都市だ。どうして姉妹都市か?、知っている人は意外と…である。滋賀県大津市に琵琶湖があり、湖が結ぶ縁かなあと、思うが、実はそうではない。ご縁はドイツの作家、M・ダイテンダイさん(故人)が書いた小説だ。

 男女の情愛を描いた短編小説「近江八景の幻影」だ。ダイテンダイさんはヴュルツ市出身で、日本で言う夏目漱石みたいな作家という。ドイツではその名を冠にした文学賞があるらしい。明治39年、世界一周旅行のダイテンダイさんが日本を訪問、京都から大津へ旅して、そのおりの思いを重ねて小説にしたという。もう100年も前のことだ。

 ヴュルツ市側からの要請で、大津市は昭和54年に姉妹都市になった。縁はいなもので、この小説が縁になった。大津市なぎさ公園に粋な独レストラン「ヴュルツブルクハウス」がある。2階は姉妹都市の資料室になっていて、ダイテンダイさんの写真と縁結びの小説が飾ってある。ダイテンダイさんにすれば、今更ナニイッテンダイ?だが、「近江八景の幻影」を翻訳した大津市在住の高橋勉さん(77)に登場願って、裏話を聞いた。<続きは明日に>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 7日 (日)

去年の号外展示に思う

026 013  山名号外がまた出た。号外集めて50年の、大津市滋賀里に住む山名隆三さん(72)である。滋賀会館ギャラリーで毎年開催の近江趣楽会の展示会。山名さんは今年も「号外で見る平成20年度」と題して、頭と足で収集した昨年の号外15枚を並べた。

 展示会は5月10日から1週間だった。去年開催の折、お会いして、号外集めの動機、方法、保管の仕方を聞いた。桜田門外の変-のかわら版から収集枚数は2万4千点、いつもTVでニュース見ていて、号外だと思うと、京都駅前などへ走ると聞いた。並々ならぬ努力である。ガラスケースの外から眺め、写真を1枚1枚撮って、昨年を思い出した。

 そうか、橋下大阪知事の誕生は去年1月だったのか。うん?、福田さん辞任から麻生さんへ、まだ1年たたずか。時津風親方逮捕、秋葉原無差別殺傷、王監督勇退…読売新聞の号外多いなあ。去年の夏は北京五輪。北島連続2冠、上野3連投だった。岩手日報の地震号外、山名さんが新聞社から送ってもらった?。さすがリーマン破たんの号外は日経だ。ノーベル物理学賞の日本人の共同受賞、良かったなあ。号外展示みて、こうだったか、ああだったかと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 6日 (土)

京都御苑の巨樹一番はイチヨウ

064 062 幹周りが5㍍53㌢という。大人が両手を広げて2人半だ。京都御苑で一番の巨樹というイチョウである。樹高は29㍍だ。御苑の資料に出ていたので、どのイチョウか、いちよう現場へ確認に行った。葉が多数でもイチヨウだ。久々にレベル高いかな??

 イチョウは丸太町通り側の堺町御門のすぐ西側だ。時代祭、葵祭の列が出て行く、あの門からすぐだ。これだ、これだ!と見たイチョウ、御苑内周の細い道で鬱蒼としていた。樹の大きさ、どうしたらが撮れるか、近づき離れ、また近づきだ。幹周はずんどう。樹高は4㍍くらいから二股だ。上の写真がそうだが、どうかな。大きさの表現、いや難しい。

 京都御苑は東西7百㍍、南北千3百㍍だ。御苑内の樹木は、楠、欅、榎、イチョウ…5万本という。旧閑院宮邸跡内にある国民公園協会のデータでは、幹周り3㍍以上の巨樹は100本余りという。写真のイチョウが幹周1位、樹高2位で、御苑NO1だ。幹周の2位はエノキの5㍍50㌢で、3㌢差だ。樹高1位はケヤキで30㍍…。データは幹周、樹高とも10位まである。誰が何時、何処で…それを思うと、誠にご苦労さま…ではある。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年6月 5日 (金)

地下鉄蹴上駅のZOO案内

024 007 ZOOがずっ…とだ。キリンのZOOがあり、ゾウのZOOがある。猿もペンギンもマントヒヒも…だ。動物園へ道順を示す動物イラストと写真の案内表示だ。地下鉄蹴上駅の改札を出て、二つの長いエスカレーターに乗り、地上の出口まで、ずっとZOOだ。

 前に蹴上駅で降りたおり、ずっと続く動物園案内のイラストを見て、これは行けると思った。「Z00がずっ…と」の洒落を思いついたのだ。その時は改めて…と、通路写真を撮っていなかった。この間の日曜に出かけたが…、その時は動物園は東山駅と思い込んでいた。改札を出ても、通路にあの時のZOOがなく、そうか!蹴上駅だった…と思い出した。

 動物園は東山駅が一番近いのに何でかな?と、ひと駅戻った。謎は蹴上駅の出口表示で解けた。4月から琵琶湖疎水記念館の隣、動物園の東入口が開設したのだ。東入口なら蹴上駅が近い。それで改札口からZOOまたZOO、およそ40枚の啓発PRだ。案内の通りに下り坂を歩くと、5分で着いた。プレハブの切符売り場で入場料500円払い、ゾウはぞうしているかなと入った。推定8歳の愛称美都(ミト)さん、ぞうぞうとしていた。???

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 4日 (木)

安蘭けいのマル秘情報

005 006 アラッ…と洒落ていいのか、安蘭(あらん)けいのマル秘情報だ。安蘭けいさん、4月に宝塚歌劇を退団した星組男役トップスターだ。実は…である。けいさんが滋賀県出身なので、滋賀県文化振興事業団が季刊誌『湖国と文化』夏号で特集を組んだのが、わかったのだ。

 大仰にマル秘…というのは、この内容がゲラで発売前に手に入ったのだ。けいさんのファンは全国にごまんといて、内容を知ることはそれこそ垂涎の的かと思って、少し披露する。表紙写真は08年6月舞台のスカーレット・ピンパーネルで、湖国の星―安蘭けい退団記念号となっている。記事のゲラは4枚あって「頂点を極めた娘と父」の見出しだ。

 中井二三雄編集長が直々に書いている。「安蘭けいは強い女性(ひと)だ。不屈の闘志で夢をめざし、その頂点を極めた。そこには力の限り応援する父の姿があった。~」と、思わず引き込まれる書き出しだ。音楽学校入学式の娘と父、高校時代…、写真はモノクロだ。記事はアボジと呼ばれる父が見た娘けいを浮き彫りにしている。平坦でなかったトップへの道、アリラン伝説から生まれた芸名…。オッと、これ以上はけいけいだ。買って読もう。

 ※ 「湖国と文化」夏号は7月1日から滋賀県内で書店販売 ※ 問い合わせは滋賀県大津市京町3丁目4-22 県文化振興事業団内 ℡077(522)8369

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 3日 (水)

新福菜館と第一旭

084 089  そうや!たかばしラーメンや!―、土曜の夕、JR京都駅を降りて、足は塩小路を東へ高倉を南へ。JRの跨線橋の手前だ。向かって右は新福菜館、左側は第一旭である。昔むかしからのラーメン屋さん2軒。どちらにと悩んで、ワンヤンチャンヤン…ワンだ。

 今は両店とも名が売れ、列が出来る店だ。考えてというか、屋台創業から71年、古い方の新福菜館を選んだ。昔、旭食堂といった第一旭でも56年の老舗だ。新福が本店、旭が本家といい、どちらも3階建てのビルである。黄色の旭、赤の新福と、お互い切磋琢磨の成果なのだろう。旭側から若者10人ほど出てきたあと、新福はどうかなと入った。

 持ち帰り客が1人いて、4人掛けテーブル6つとカウンターは満員だ。アベックと相席になった。並み650円頼み、アベックの見て、やきめし追加した。回転が勝負か、すぐ出てきた。醤油ダレに煮豚の煮汁を使っているというスープは、真っ黒だけど意外とあっさりしている。お腹ポンポン、外は夕立ち。軒下で雨宿りしながら両店の客入りウオッチだ。多摩ナンバーの若いアベック、遠くから心服しているのか、新福だった。???

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 2日 (火)

「わが人生の歌がたり」を聴く

003_3 003_4  作家五木寛之の「わが人生の歌がたり」を2夜連続で聴いた。午前4時から始まるNHKのラジオ深夜便だ。何時もは月末の日曜放送だが、この時は何夜か連続で昨年のアンコール放送をやっていた。聴いたのは、出来事が多発した昭和47年と48年である。

 最初の夜は何となく目覚めて、スイッチを入れた。ジャンプ金銀銅の札幌五輪。テーマソング「虹と雪のバラード」が流れていた。ウトウト聞いていたら、明日の夜は休筆して京都で過ごした48年の思い出を話すという。百寺巡礼第9巻―京都編を文庫で読んでいるおりだ。京都のお寺、どう話すのか、目覚ましをセット、メモを用意して起きた。

最初に新聞小説「親鸞」の話だ。北海道新聞など全国27の地方紙1300万部に書く…と。今、京都新聞にも連載中だが、そんなに多くの新聞にーとは、しんらんかった??。京都はエキゾチックな町で、古本屋さん回りをして過ごした。あの年は雑誌の対談が多かった、面白半分の編集長を引き受け、本の帯大賞を作った…とも。今か今かの百寺巡礼の話は出ずで、眠い朝が開けて、朝刊を見ると、なんと百寺巡礼の広告…。ああ、ちょうか!。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 1日 (月)

世界遺産・びわ湖へ湖上シンポ

022 033  あっ、浮御堂!―、嘉田滋賀県知事が声を上げた。湖上シンポジウム―世界遺産・びわ湖夢見る会だ。成安造形の木村前学長が基調講演で、琵琶湖では往時、6千もの丸子舟と平舟が行き来して、港が70もありと…と話した折だ。船はちょうど堅田へ来ていた。

大津港を離れて50分たっていた。琵琶湖汽船ビアンカだ。パネリストでもある嘉田知事が4階最前列に座っていて、船内から左手を指差して、そう叫んだ。木村さん、いいタイミングと話す。堅田は湖族と言われ、中世の頃、最も栄えました。浮御堂は琵琶湖から見るのが正面です。一休さんは堅田で一休禅師になりました。あそこは出島灯台です…。

船は琵琶湖大橋をくぐった。木村さん、昔は南湖、北湖の区分はなかったが、琵琶湖大橋が出来てからという。どの話もフムフム、メモ帳が何枚もいる。シンポの舞台はパネルディスカッションへ。船は沖島水道へ入り、知事が話し始めたおり、沖島のそばだ。あそこが民宿、そこが弁天さん、昔の火葬場…まるで住人の如くだ。さすが学者知事、よくご存知だ。沖島を回り帰港まで4時間のシンポ。頭脳は進歩、身体はしんぽう…。???

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »