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2009年5月

2009年5月31日 (日)

列が出来た宮崎産の肉巻き

036 043  女子店員さんが「最後尾」の看板を持っている。ぐねぐねした狭い通路、お客が団子の塊りになって、並んでいる。京都伊勢丹7階の展覧会帰りだ。同じフロアで開催の九州うまかもん市の出店の一つだ。明太子、辛し蓮根、からすみ…と見て回って、この列だ。

 何かなーと列の向こうの看板見ると、赤い暖簾が下がり、肉巻き・宮崎産肉だわら―と出ている。もう少し近づいて良く見ると、商品写真が出ていて、おにぎりとわかった。塩としょう油の2種類で、税込みで1個300円だ。値段は手ごろだ。うまか―かなあと、「最後尾」の看板のある所に並んだ。マンゴ、地鶏…ではない宮崎新名産のようだ。

 並んで待って15分ほどだった。塩としょう油、1個ずつ買った。紙に包んでもらって、持つとヌクヌクだ。そのままエスカレーターで屋上まで上がり、熱いうちに-と紙包みを開けた。これぞ肉巻きおにぎり=写真=だ。しょう油からひとかぶり。ご飯に醤油と肉味がしみ込んでいる。にくにくしい味だ。塩は胡麻がしおしお~の味だ。チラシは地産地消の宮崎たべんしゃい~と。昼下がりの屋上、一人で二つ。うまか、うまか。よかよか!

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2009年5月30日 (土)

引っ越した五条大橋の牛若丸と弁慶像

063 061  あれっ、いない。どこへーと探すと、近くの広場に移っていた。♪~京の五条の橋の上~♪の、あの牛若丸と弁慶像だ。前の場所から割に近い五条通りの木屋町西北角だ。引っ越しは下水道の工事のせいで、3年間の仮住まい。像にはぞっとする長さ…である。

道路を挟んで東側は扇塚と公衆トイレ、その向こうは鴨川だ。引っ越しは今年1月から一体一体だったらしい。先に牛若丸。童謡のとおり♪~牛若丸は飛び退いて、持った扇を投げつけて、来い来い来いと欄干の、上へあがって手を叩く~♪だ。今度は弁慶の番。♪~大のおとこの弁慶は、長い薙刀振り上げて、牛若めがけて切りかかる~♪である。

弁慶は童謡に動揺したようだ。♪~ここと思えば、またあちら。燕のような早業に鬼の弁慶あやまった~♪である。仮住まいの広場で、鉢巻の弁慶と欄干の上の牛若丸、まじまじ見た。どっちもふっくらして、かわいい。京人形司の岡本庄三さん制作の御所人形を彫像にしている。1961年、今から48年前、京都青年会議所創立10周年記念のモニュメントだ。台座の大理石に当時の高山京都市長が「修練」と書く。時代は今こそ「修錬」!

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2009年5月29日 (金)

ベロタクシー、初乗り体験

048 051 指示器は手だ。右へは右手、左には左手を出す。エンジンは足だ。ペダル、せっせせっせと漕ぐ。3輪自転車のベロタクシーだ。平均時速は10㌔…、街中をゆっくりゆっくり走る。ベロの綴りはVELO、ドイツ語で自転車の意で、舌より先に顎が出そうだ。??

 JR京都駅前から烏丸通りを歩いていて出会った。卵型の車体は派手なラッピング、TaKaRaの直搾り広告だ。歩くぐらいの速さ、追いついて並んだおり、学生ふうの運転手君に声をかけた。自転車は前に1輪、後ろは2輪だ。運転手君、七条烏丸東南の交差点で停まって、運転席を離れて、ベロタクシーのこと、親切にベロベロと喋ってくれた。

<ドイツで97年に開発><日本では02年の京都が最初><運転は二種免許が必要><烏丸御池の新風館が車庫>…などと。乗り心地はどうかナと、乗ってみた。初乗り運賃は300円で500㍍だ。最初に立ち上がらないで…と注意があり、ヨイショ、ヨイショと動き出した。町のみんなが見ている。面白そうだ。烏丸五条の手前で500㍍、降りてもらった領収書に「100gのCO2が削減されました」と。恥ずかしながらの環境貢献なり。

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2009年5月28日 (木)

松富や壽いちえ

016 020  京野菜が多い店と噂を聞いて、「松富や壽いちえ」へ行った。京都市中京区柳馬場三条下ルで、綿生地屋さんだった町屋を改装している。雨が降りだした夕方、暖簾をくぐった。バンダナで出てきた町屋の女子店員さん、少しお待ちや。洒落たのか、さすがだ。???

 靴を脱いで上った部屋は、畳の上にテーブル。台所は通り庭、トイレは坪庭の方だ。床の間はとこかなと見たら、難しそうな軸が掛けてある。大正年間に建築の古い町屋という。昼は野菜バイキング、夜は京野菜たっぷりおまかせコースだ。お値段は税抜き2800円だ。お客は男女2組4人と若い男性3人だ。こちら1人、どんな野菜か取材兼ねている。

最初は自家製の豆腐だ。次はおばんざいで、きんぴら、焼き空豆、菜っぱ煮の3種。メモを取り出したら黒板に…という。なるほど書いてある。玄米ご飯と味噌汁はお代わり自由だ。もずく、ひろうす、地どり、グラタン、サラダ、コロッケ、ぜんざい…もうお腹がいっぱい。誠にご馳走様だ。帰りのレジで、店名の謂れ聞く。それは店主の祖母らの名前を重ねたと。松さん、富さん、壽さん、いちえさん。外は雨、店員さん親切に傘まちや。?

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2009年5月27日 (水)

瀬田唐橋の俵藤太像

008 016 上がり口がわからない。あの時、知人の案内で行ったのに…何処だったのか、あたりをクルクル回って、やっと見つけた。冬から初夏へ、草が茂り、狭い上がり口を隠していた。瀬田唐橋西詰めの中洲だ。百足退治のヒーロー、俵藤太は前見たとおりに立っていた。

 広場は草が茫々だ。真ん中に琵琶湖の水準点標識、凛々しい俵藤太の像は南側のマンション前だ。瀬田川の竜神さんに頼まれ、三上山の大ムカデを退治した藤太の立ち姿は、とうた!と言わんばかりである。この洒落、オロナイン軟膏は3つかな、五つかな。漫才師、大丸ラケット?の公開番組。塗ってみてみ!、つけてみてみ!だ。古すぎる?確かに。

藪蚊を気にしながら像に近づいた。藤太像、どこか俳優の菅原文太に似て、渋い顔だ。信楽焼きの像だ。石の台座の上、高さ3㍍、そこから唐橋がよく見える。ステンレスの銘板、俵藤太の功績が出ている。藤原秀郷が本名で、田原郷にいたので俵、朱雀天皇の命で平将門を征伐、その成果が百足伝説に…。昭和45年、唐橋の架け替えのおり、地元の晴嵐観光協会と有志が水陸安全を祈って設立…と。銘板読んで、とうたっだか、知った。???

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2009年5月26日 (火)

棟方志功の襖絵、初公開

012 054  わだばゴッホになるーと言った版画家棟方志功の襖絵は初公開だという。京都高島屋であった東本願寺の至宝展である。親鸞上人750年御遠忌を記念して、札幌に始まり、東京、大阪と回り、京都まできて、入場者が10万人超えた―と会場の入口に出ていた。

 朝日新聞主催、招待券があって行った。チラシに「念仏の教えを描く棟方志功の肉筆を初公開」と出ている。あの度のきつい眼鏡をかけたズーズー弁の青森出身、棟方志功だ。もう10年も前だろうか、青森市内にある志功美術館を訪ねた。倭人、天女、羅漢、釈迦、書画…、小さな美術館だった。作品を1点1点丁寧に観る大事さ教えられた。そんな思い出がある。

 高島屋会場、棟方志功の襖絵は出口近くだった。「天に伸ぶ杉木」=写真=と「河畔の呼吸」だ。杉木は反り返って丸くなっている。高野山の3千年の樹を見て命を描いている。筆の凄いが勢い。「河畔~」は渉成園の印月池に浮かぶ月だ。穏やかである。襖絵、展示会場では10面余りだが、非公開の園林堂(おんりんどう)には42面という。出口、図録は高そうなので、小学館の古寺巡る―東本願寺を580円で買った。志功の襖絵、載っていたダ。

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2009年5月25日 (月)

高月町の井上靖記念室は1億円

032 030  井上靖記念室は施錠してあるという。ご覧になりたい方は申し出て下さいーとあり、開けてもらった。観音の里、湖北は高月町の町立出会いの森図書館二階である。渡岸寺の国宝十一面観音を小説「星と祭」で書いた文化勲章作家の部屋へ、あの日ひとりで入った。

 近江歴史事業で、北村又郎・高月町長と役場で会って、町長手配で十一面観音を住職の解説付きで拝観したあとだった。渡岸寺の境内には当時の武村正義滋賀県知事揮ごうの文学碑があり、町が井上氏を大事にしているのはわかっていたが、記念室をみて、また驚いた。収集した著作がズラッだ。肖像写真が何枚もある。静岡にあった書斎模型も…だ。

 朝日新聞333回連載の小説「星と祭」の原稿がある。主人公架山に「凛として辺りを払っている~」と十一面観音のことを言わせている。井上さんが調べた観音さんの全国分布一覧表は、滋賀41、京都20、奈良32…だ。さすが元毎日新聞記者だ。83歳まで生きた井上さんの年譜を見た。平成元年、ふるさと創生事業で町が協力要請と出ている。記念室の経費はあの時の1億円だった。今、売り出しの1億円宝くじ買おうかなあ。??

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2009年5月24日 (日)

京都駅八条口のパスタパスタ

039 050  喫煙席しか空いていないという。待つよりいいかーと入った。カウンター席で、真ん前はウインドウだ。皆さん、入店前に思案している。JR京都駅八条口側にある廻る寿司の隣の「パスタモーレ」だ。座ってすぐ商品棚で決めていた木のこベーコンを頼んだ。

 一人だったのにカウンター席が埋まってきた。右端は若い女性2人、真ん中はでっぷりした髭の青いシャツの外人さん一人だ。隣は女子学生さんか、よく喋る二人だ。で上げパスタ…ゆうてあげるのに時間がかかるようだ。店内、若い女性と外人さんが…多い。店名のモーレ、日本語の漏れではない。恋愛、初恋…だ。パスタ、アモーレミオ…まだかな。

 Mですか、Lですか、LLですかーと聞かれて、L注文の木のこベーコンが出てきた。LはMの1.4倍だ。隣の二人はカルボナーラLLで、Mの2倍だ。注文は2人で一つ、小皿頼んで分け合っている。なかなか賢明だ。ここは、M、L、LLとも全サイズ全種類一緒の780円なのだ。髭の外人さん、生ビールと野菜サラダと何かのパスタだ。缶の粉チーズを振りかけている。それこそ何度も何度もだ。食生活の違いだろう。写真撮影、前から後から失礼!

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2009年5月23日 (土)

朝の挨拶、頑張る議員さん

005 002 さすが…というか、よく頭が下がる。ペコン、ペコンと、お辞儀をしては「おはようございます」「行ってらっしゃいませ」と言う。1分間にどれくらいだろう。少し離れて見ていたら2秒に1回は頭が下がる。1分間30回以上だ。通勤時、朝の議員さんの挨拶だ。

 姿勢がまたいい。背筋を伸ばし、両手を脇につけ直立だ。お辞儀の角度は腰から30度である。浅くもなく深くもない。大体、木曜日の朝だ。立つ場所は決まっている。大石内蔵助が山科に隠棲して祇園へ通った縁で、その名がついた大石道だ。清水焼団地に近い信号のない十字路である。バス停に近く、車の通行量が多い。顔見せには最高の場所だ。

 京都市議のTFさん(46)だ。M党に所属する。前回の市会議員選挙で初当選、市役所出身、1期目だ。朝の挨拶、2年前に当選してからずっとである。木曜は大石道だが、毎朝毎朝、山科の何処かに立つ。自分で運転のバン、名前を書いた等身大の看板、使わない地べたのハンドマイク…月月火水木金金…、ご苦労と思う。男は黙って酒を飲む…、いや違った。♪~行ってらっしゃい、行ってらっしゃい~♪と、議員さんは、頭を下げる。

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2009年5月22日 (金)

四富会館の天麩羅BAR

029 033  最初は肉厚の大きな椎茸が出た。揚げたてアツアツ…フガフガだ。天麩羅のコース、16種だ。おくら、鮎、なんば、ホタルイカ、水ナス、白アスパラ、鯵、インゲン、鱧、竹輪…と出て、最後にでっかい海老だ。最初と最後、店主はここがポイントだという。

 もう半世紀という四条富小路上ル「四富会館」の中だ。路地の1階北側2軒目、天麩羅BAR亀亀だ。天竜寺の花見宴席で名刺交換した亀山学さん(46)の店だ。近くの居酒屋が満席で、近くなので思い出して行った。どこが表かわからないドアを開けたら亀山さんが一人いた。一度だけなのに「この前はどうも」と言う。覚えのいい人だ。

 店はカウンター7席だ。店主と客、距離にして1㍍だ。天麩羅BAR?珍しいねと言うと、店主はここだけという。ドリンク2回付きのコース料理で3千円。天麩羅でこの安さもここだけという。写真、お願いしたら背中を向いた。撮影禁止でなく、シャツの背中にヘナヘナ文字があった。何語か不明だったが、店の住所という。ヘエッと驚いたので、ヘブライ語かも。店の亀亀デザインは甲羅だ。こうら、象形文字だ。亀山さん、こうら!。

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2009年5月21日 (木)

夕暮れの湖岸、ツーショット

006 019 琵琶湖は凪いでいた。風なく、波立たず…、静かだ。湖岸の夕暮れ、明るさが残るなぎさ公園を歩いた。湖面のブイは動かない。大津港を出た外輪船ミシガンが滑るように走っている。京阪浜大津駅へ、遠回りして帰る道筋だ。これだけ凪いだ琵琶湖、そうはない。?

 琵琶湖ホテルの前、ヨット係留の桟橋あたり。湖面を眺めていたら年配の男性が「穏やかですねえ」と話しかけてきた。ラフな服装、旅人らしい。あれは?と、湖岸に突き出た琵琶湖文化館のことを聞かれた。「別称、浮城って言いまして、文化財など所蔵しています。耐震性がないので、もう公開していないんです」と、知ったかぶりのかいつぶりだ。

南隣のびわ湖ホール、先の近江大橋…、聞かれる度に解説を加えた。傍に連れらしい女性がいる。フルムーンかな。男性が喋り出した。千葉からキャンピングカーで来た。明日は湖北の高月町へ行く。今夜は息子の関係で、宿泊代が安くなる琵琶湖ホテルに泊まる…と。話を聞いて、その場を去って、見るようで見なかった女性が気になった。うーんと離れて写真を撮った。湖岸を歩くツーショット、遠くてわからない。誰なのかなあ。???

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2009年5月20日 (水)

大津駅で見たコイコイのポスター

009 008  ちょっと来い!と言う。油断は出来ないが、近づいて間近で見た。JR大津駅の地下コンコースにあるポスターの一枚だ。大きくて白い鯉が派手な赤色をバックに泳いでいる。コピーは、赤地に白抜き字で、「み~んなコイコイ」という。良く目立って、すごい。??

広島県観光連盟の観光PRポスターだ。新広島球場の完成を記念、地元のプロ野球球団・広島カープの赤ヘルメットの赤をバックに鯉をイラストで使っている。大きな○の鱗に広島県内の観光地写真が入っている。鱗は12枚だ。思わず、何処かな覗いた。もうすっかり油断している。厳島神社、原爆ドーム…瀬戸大橋、いや違う。しまなみ海道の橋だ。

上から3番目の鱗は、名物・広島焼きだ。青海苔がふりかけてある。広島へ行ったおり、「みっちゃん」という店へ入ったのを思い出す。女子店員さん、みんなみっちゃんだった。花の鱗、鬼の鱗、滝の鱗…何処か、わかりゃあせんぞなモシ。これ、高知弁だったかな。左側は鯉に恋に来―と3個の漢字が並んで、やっぱコイ、コイ、コイという。鯉は広島カープ、恋は乙女の食欲。来は何?かナと思ったら「じゃけえ、来てつかぁさい」だった。

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2009年5月19日 (火)

青春一巡の功労賞、田辺晃義さん

010 021 聞きしに勝る―とは、こういう人だ。大津市在住、田辺晃義さん(83)=写真=である。立命スポーツフェロー(体育会OB会)から長距離で活躍した功績で功労賞を受賞した。表彰式のホテルで久々にお会いして、今なお益々の、元気ぶりに接した。

今は?とお聞きすると、この冬はびわ湖バレーでスキーの大回転を何回か…と言って、ビールを水を飲むようにあけた。北京から引き揚げてきて、五千、一万㍍の戦後の日本記録を樹立、国体は第1回から9年連続出場、駅伝は走った区間は全部1位―だったという。機戒工具店で働きながら一家を支え、練習時間はなく、全部ぶっつけ本番だったと話す。

隣の席、鞄から履歴書が出てきた。健康状態の項に「良好 平安学園勤続40年間病欠なし」と書いてあり、赤丸で囲ってある。平安高校の体育教員時代、一度も休んだことなく、これも日本記録―と言われると相好崩す。当時、冬場は自宅のあった膳所から走って学校へ―は語り草だ。手元にある立命陸上部史に田辺さんの写真が出ている。23歳、60年前だ。胸の張り、手の振り、足の伸び…、見惚れるフォームだ。青春一巡である。

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2009年5月18日 (月)

府立植物園の、なんじゃもんじゃ

058 059  雨の日曜、なんじゃもんじゃの花を見に行った。読売新聞に滋賀県安土町常楽寺の沙沙貴神社で満開―と出ていたのを思い出し、京都府立植物園でもーと、あてずっぽうで行ってみた。北山門で聞くと、それ、芝生広場近くで咲いているという。やはり、あった。

明治の頃、名前がわからず 「何の木じゃ?」と呼ばれているうち「なんじゃもんじゃ」になったという。ホンマかいなーと思うが、そうらしい。正式には木犀科のヒトツバタゴだ。芝生広場近くで、どんなもんじゃと探した。小さな花芽をつけ、モジャモジャした木がある。木札はないが、これかなーとあてずっぽうで近づいて、何枚か写真を撮った。

園内ぐるり回って、帰りがけに作業姿で仕事中の松谷園長に出会った。声をかけて、デジカメ写真をみせた。これ、なんじゃもんじゃですね―と確認すると、園長は首をかしげて、何処のなんじゃもんじゃ?と。いや、お恥ずかしい。違ったらしい。また、戻って、もう一度探した。園長の言う十文字のプロペラのような花だ。木は3本だ。雨で落花が始まっていたが、木札があり、今度は間違いはない。粘りの発見、どんなもんじゃ。???

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2009年5月17日 (日)

妙心寺展でみた白隠の大達磨

002 008  よくもまあ、これだけ大胆に…である。白隠の描いた達磨である。おでこが広い、耳は大きい、鼻は長い…見開いた眼はそれ以上だ。縦2㍍の画のうち3分の2が顔だ。「駿河に過ぎたるもの二つ、冨士のお山と原の白隠」と言われた静岡生まれの白隠、最晩年80歳代の名作だ。

 京博であった妙心寺展で出ていた。開山650年の記念展で、歴代名僧の墨蹟に肖像、屏風に襖絵など禅文化を彩る名品の展示、は急げと行った。第4室の国宝・瓢鮎図で、瓢箪で鯰をどう捕まえるか考え、第5室で花園法皇坐像の神々しさにホオッとして、第7室で白隠の大達磨に驚嘆した。足のない達磨は禅の境地、見ていて足が全然…動かずだ。

第7室のテーマは「近世の禅風―白隠登場」だ。開山から300年、難解だった禅の教えが白隠が絵画で平易にした。そのひとつ、大達磨は大分・万寿寺からの出展だった。左上に白抜き文字で「直指人心 見性成仏」とある。意味は、坐禅で心の本性を見極め、人の心と仏性は一つ―と悟ることと。要は無心無我かな。図録解説によると絵は「巧まざるがゆえのたまらない魅力」という。要は繕っていない絵だ。にらめっこ、そりゃあ強そうだ。??

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2009年5月16日 (土)

葵祭りの「およよ」

043 044  行列が進んで、腰輿と書く「およよ」が来た。勅使一行の本列から30分ほど経っている。「およよ」の中は第54代斎王代だ。今年は裏千家家元・千宗室さんの長女、立命大の千万紀子さんだ。観客の大方、携帯にビデオにデジカメ、それこそ、およよ、およよ…だ。?

 葵祭り、京都御所へ見に行った。行列が出発する建礼門に近い席だ。写真の撮影には後ろ過ぎたが、解説はよく聞こえる。マイクは行列保存会の副会長、出雲路啓直さん(73)だ。「から馬ですね。馬の機嫌が悪いみたいです」と、くだけて喋る。「ご覧下さい。牛車の牛、今は力が無くて、人が押しています。これでは人力車ですね」と笑わす。

 話聞きながら、時折立って写真を撮る。乗尻、素襖、検非違使志…色んな役柄があり、位で装束も色も異なると話す。行列は500人余、全部通過するのに40分以上だ。斎王代の腰輿について、出雲路さんが解説する。今は肩で担いでいますが、昔は腰の所で下げていて、それで腰輿でした。「およよ」は女房ことばです。腰の位置で担ぐと観客に見えませんけどねえ…と。撮った斎王代写真は上の2枚だ。やはり「およよ」だった。???

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2009年5月15日 (金)

しまや庵の鯛鍋

047_2 048_2 大きな鯛が出てきた。尾頭付きだ。どこの鯛?と聞く。店員さん、自慢そうに明石の鯛ですという。鯛と言えば明石が証(あかし)で、さんまではない。もう一つ聞いた。体長は?。ハイ、元気です。いや、体調でなく、鯛の体長?。それなら、大体40㌢です。?

 京都は高倉仏小路上ル「しまや庵」2階の宴席である。宴もたけなわ、メーン料理の鯛鍋になり、鯛の洒落で、酔いも回って、ワイワイたいちょうなことだ。宴席は全国から昔の仲間が集い10人だ。飲み代含め1人1万円。前採など出て、中ほどでオコゼの刺身、ヤマ場に鯛だ。金色の鍋が運ばれてきて、新キャベツが半分ドボって浸かっている。

出汁にはオコゼの粗も入り、鍋が煮立った頃合い、写真のとおり鯛が鍋を被った。店員さん、鯛を菜箸で突いて、汁をしみ込ませ、暫くして別の皿に移し替えた。鍋はキャベツがフンニャリ、相変わらずグツグツだ。小皿に一人分ずつのソーメンが出て、鯛そうめん。仕上げはおじや。見て楽しく、食べて美味しく…だ。名古屋の老舗「鯛めし楼」を知る知人、「あこより、いい味付けやったですタイ」と。名古屋弁、少し違ったい。???

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2009年5月14日 (木)

「そうだ京都へ行こう」の法然院

168 028 白砂壇?、びゃくさだん―と読む。京都の法然院だ。萱葺きの山門をくぐると、その白砂壇が敷石の両側にある。白い砂盛りに水紋、ここで心を清め、浄域に入る意味だ…そうだ。新緑の今、JR東海が出す「そうだ京都へ行こう」のポスターも…そうだ。??

JR東京駅の構内で、このポスターを見た。そのおり、写真を撮ったのを思い出して、法然院へ行った。ポスターのコピーは「~季節の匂い、人と緑のいい関係~」だった。もみじの青さと、白砂壇の白…、初夏ならではの瑞々しさを見事に写し出していた。同じ位置から写真を撮ってみようと、南禅寺、永観堂から哲学の道を経て、坂道を上った。

 初夏どころか、夏だ。汗拭き拭き、着いた山門は「入山は4時以後お断り」の立て札だ。少し遅く、がっかりしていたら、そこは法然さん、やはり仏の道だ。夕方、本堂で北インドの古典音楽会があり、裏側の鉄扉が開いていた。庭園歩き、本堂へ行くと「境内、猿が出没、注意を」の張り紙があり、中からビビビ~ンと響いて、リハーサル中だ。まさに猿が去る、リハーサルだ。帰りにポスターと逆方向で白砂壇の写真、これは本番だ。???

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2009年5月13日 (水)

帰り道の寄り道懐石

066 084  京博からの帰り道、新しい店やなあーと、温泉湯豆腐の提灯を見ていたら、店員さんが「4月から開店です。どうぞ」と言うので、ふらっと入った。お店は七条通り間之町東入ルで、「平林亭別邸 月隠れ」という。ひとり、長~いカウンターに座った。

 後ろの座席は若い団体客で満席だ。もう午後8時を回って宴たけなわだ。店長が出てきて、騒がしくて…と恐縮しながら名刺を出す。坊主刈りの倉橋慶さん=写真=だ。聞くと29歳、あちこちで料理の修行をしてきたそうだ。京博で2500円の図録買い、お金はそうないが…と言ったが「まあ一度」と、松竹梅懐石メニューのうち竹コースになってしまった。

 倉橋さん、一品一品説明しながら話す。一生懸命だ。店の名前、最初は豆腐屋三郎兵衛だったが、なぜか客入り振るわず4月半ばから月隠れに変えたと。店のメーン料理は美白温泉湯豆腐。南禅寺の豆腐と高野山の温泉水を鉄鍋で煮込んでいて、旨みが一味違うという。前菜、鯛のお椀に蒸し物、小鉢、揚げ物…仕上げはおじやにデザート。解説フンフンと聞いて食べて、所要時間は2時間近く、竹コースの支払いは3480円。京博から月隠れの帰り道は遠かった。?

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2009年5月12日 (火)

上桂の苔香居へ行く

005 050  崩し字で「苔香居」と書いてある。どう読むのかなあーと、思っていたが、むけむけに聞くのも恥ずかしく、聞き耳していたら「苔」の音読みで「たいこうきょ」とわかった。意味は苔の香りのする住まい。玄関の扁額は日本画家上村松篁氏の筆という。 

 ここで、着物の虫干し会があるというので、行った。阪急上桂駅で降りて、西へ10分だ。江戸時代から続く山口家住宅で、「苔香居」は茶人だった先々代が名付けた庵名という。代々庄屋さんの家柄、現当主の山口俊弘さんは20代目だ。東京勤めだった山口さんが戻ってきて、自然と共に暮らした昔の人たちの営みを~と四季折々に一般公開を始めた。

 

 すぎ苔と霧島つつじの庭、自然石を重ねた変な灯篭、先々代が着た婚礼衣装、お焦げの出来るおくどさん、冨士さんと雲を模った釘隠し、にじり口から上がって出る茶室、江戸を行き来した駕籠…まだある。民具小屋に大きな蜂の巣、ホワイトホースのジャンボボトル、阪急上桂駅ホームから撮影した昭和23年頃の写真…、そうそうまだだ。当主山口さんが自ら打った十割蕎麦、お焦げご飯も出て、庄屋の暮らし―ああ、しょうやたのか。

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2009年5月11日 (月)

交番の傍で虎が出ている

 047 051 頭の中が急にモヤッとした。妙心寺展を開催中の京博の南側入口まで東へあと100㍍の所だ。東山署大仏前交番の斜め上、こんもりした木立ちの中、今にも飛び出してきそうな大きな虎の看板がかかっている。頭のモヤモヤ、実はこの交番とその虎が原因だった。

 ふと、一休さんを思い出したのだ。「屏風の中の虎を縄で縛りなさい」「縛りますから、まずは屏風から追い出してください」という、お殿様と一休さんのやりとりだ。禅寺・大徳寺での昔話で、公案(こうあん)という禅問答だ。芥川賞作家で禅僧の玄侑宗久師は、あれはとんちで公案(禅問答)でない-と言うが、まあ、そんなことが頭をよぎった。

 虎は妙心寺展で展示中の狩野山楽が描く重文の龍虎図屏風の部分だ。午後8時閉館の金曜で、鑑賞へ行ったのは午後7時前で、もう辺りは暗くなっていた。目の前は秀吉ゆかりの大仏前交番だ。近所の人が虎を捕まえて!と言われたら、交番はどう公案して解決するのかと思ったのだ。バカバカしい発想だ。禅問答でもなく、とんちでもなく、単に洒落、それも駄の付く洒落…だ。京博の切符窓口にまた虎が出た。誠に困っとら…あだ。???

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2009年5月10日 (日)

関原父子の京人形展へ行く

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 知人から案内はがきが届き、関原紫水・紫光父子の京人形展へ行った。会場は京都駅前地下街のポルタギャラリー「華」だ。そう広くない会場を一巡して、知人の名前を出して居合わせた娘さんの紫光さんに話を聞いた。

―― どの人形も優雅で、精緻ですね。人形作りはもう何年ですか。

紫光 父は今年88歳で60年以上です。私はまだ半分以下です。

―― 京人形って、御所人形とか、色々ありますが、これは?。

紫光 これは時代風俗衣装人形と言います。

―― 髪型、着物、容姿…丁寧ですね。見ていると今にも踊り出しそうですね。

紫光 人形をイメージして、朝から晩まで作り続けて、一カ月かかります。

―― あのう…どれくらいのお値段でしょうか。

紫光 父の作品は100万クラス、私はその半分でしょうか。

お父さんの紫水さん平成4年に瑞宝単光賞を受賞している。本名は紫水さんが茂さん、娘の紫光さんは三恵子さんだ。云十万の人形は手が届かなかったが、知人の顔もあり、2800円の作品集はドール?と買った。 ※ 関原父子の写真はその作品集から転写だ。 ※ 展示会は入場無料で13日まで。

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2009年5月 9日 (土)

ゴイサギと釣り人

013 007_2 どういうつもりなのか。距離はわずか3㍍ほどしかない。体長5、60㌢のゴイサギが4人の釣り人に急接近、じっと見ている。釣り人は湖面のウキに夢中で、ゴイサギに気づいていない。ウキが引いて、魚が釣れると、どうなるのだろう。ウキウキして見た。

大津市打出浜のびわ湖ホールに近い琵琶湖岸だ。連休終わって、また土日連休を迎える8日の昼下がりだ。昼休み散策で湖岸を歩いて、目にした光景である。ゴイサギが湖面をス~イと飛んで、堰堤に舞い降り、羽を畳んで、トコトコと歩いて、釣り人の所へ近づいた。職場への帰り道だったが、結末を見届けようと、どうなるのか、その一瞬を待った。

堰堤の上から釣り人とゴイサギがよく見える。そっとデジカメ出した。釣り人は湖面を見、ゴイサギは釣り人を見て、どちらも動かない。5分、6分…、ゴイサギが先にしびれをきらした。伸ばしていた首を畳み、毛づくろいを始めた。釣り人の一人がやっと竿をあげた。何もかかっていない。ゴイサギ君、チラッと釣り人を見て、腕を見極めたのか、もうこれ以上はこめんと、湖面の方へ飛び立った。期待外れの結末、こめんね。???。

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2009年5月 8日 (金)

観音の里の鮎寿司

056 065  湖北は観音の里・高月町で、JR駅構内の観光案内所で聞いて、すぐ近くの郷土料理の店へ入った。国宝十一面観音像のある渡岸寺の前にもお店を出す御食事処「なかたに」だ。メニューに3千円の観音弁当…それは止めて、1200円の鮎寿司にした。

平日の昼、人気の少ない町だ。店は最初、閉まっていて、無理に開けて貰ったくらいで、店内だれもいない。話す相手はなく、さっき見て来た十一面観音のポストカードを眺めていたら別棟になっている調理場から鮎寿司が届いた。大きな青竹に入っている。直径7、8㌢、長さ30㌢の青竹の蓋を開けると、頭から尾まで12、3㌢はある鮎の姿寿司だ。

 座っていては中が見えない。立ち上がって写真を撮った。薄い昆布で巻いてある。頭はこんがり焼いてあり、丸かぶりした。鮎なのに香ばしいアジだ。器が粋で、味付けもこまやかで、これぞ湖国らしい料理である。食べ終わって、店の中谷佐敏さん(66)親子=写真=に聞いた。鮎は当然、琵琶湖産、ご飯も近江米だ。これまで滋賀を代表して全国郷土料理コンクールに出て、何度もを獲っていると。しょうだったのか。???

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2009年5月 7日 (木)

GWに箱中アートを観る

011_2 009_2  パタン、パタン…白い木の箱を開けていく。玉手箱ではなく、BOX美術館展の箱だ。BOXの中はで書く、びっくりアートだ。平安神宮の大鳥居のすぐ傍、京近美の玄関口だ。白い箱は45㌢四方の立方体で、写真のように縦横に25個、正方形に陳列されている。

 通りがかりに何かな?と近づいて、つでなく、一つ一つ開けた。作者名と作品名が箱書きしてある。藤沢憲彦さんは「尊敬の超働き者」だ。蓋を開けたら背広を着た蟻さん人形が2つ出てきた。作品説明は「真面目に頑張るってステキ!その姿に素直にステキと思えたら、あなたもステキ!」と書いてある。藤沢作品もステキ?かな。

 孝森亜希子さんの作品は「まる・まる・まる?」だ。まるい形の似たような造作物を入れてある。「同じまるですか?」と問いかける。情報過多の時代、見た目だけでなく、じっくり見てほしいと主張する。う~ん、花マル…だ。かっぱ、パンボーイ、地球家族…箱の中のアート、開けては閉じ、閉じては開けで、パタン、パタン…とみんな観た。近くのギャラリーはねうさぎさん主催で3年目とか。GW中の、いいパターンの屋外展示だった。

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2009年5月 6日 (水)

よこちょうのオニオコゼ

016 018  口をカアッと開けて、背びれを広げている。オニオコゼだ。眼が何処に何処にあるのかわからない。見るからに醜い。まだピクピクしていて、「背びれに毒があります。触らないで下さい」と、カンカンに入って、出てきた。名前のとおり、もの凄く怒っている。???

時折行く魚料理の「よこちょう」だ。京都川端二条東入ルの店で、活きたオコゼ料理を頼んだのは初めてだ。活カレイも貼り紙メニューに出ていて、二つともーという意見もあったが、出席の6人が揃っていず、ここぜはオコゼ一つにした。聞くと、このオコゼ、淡路島産で、1尾で6人分の造り、から揚げ、味噌汁が出来るという。体重は400㌘。

最初に薄造りで出てきた。身が透きとおっている。青葉と食用菊が添えられ…美しい。何事も見かけではない…のだ。ガラス皿二つ並べて、記念の写真を撮った。次にから揚げ、パリッとしている。最後に味噌汁と思ったら、肝がひと皿、番外で出た。もみじおろし付きだ。お腹を開いたら肝があったという。小さいオコゼでは滅多にないそうだ。値段は1尾で3450円。肝入りオコゼ、味よし、値段も6人で割って、やすしきよし…。???

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2009年5月 5日 (火)

大津市堅田の天然図画亭

076 084  何事もこうも古いと、二の句が出ない。滋賀県大津市の堅田2丁目にある湖岸の居初邸である。ご先祖は北面武士で、屋敷は天和元年(1681年)、今を遡ること328年だ。千利休の孫、藤村庸軒と堅田士族の北村幽安の合作で、庭は天然図画亭と言い、国の名勝指定を受けている。

 天然図画亭-「てんねんずえてい」と読み、庭から眺める借景がそのまま画になっている。日本アメニティー研究会関西支部主催の湖西散策で、北小松から和邇を経て、堅田へ行った。やはりというか、会の名前がアメニティーで、行く先々は不思議と雨に?なった。なんと29代目の当主という居初寅夫さん(83)が孤軍奮闘、何もかも解説する。

 茶席から庭を見て、琵琶湖を見て、東の対岸を見た。庭の松と躑躅が雨でしっとり濡れている。湖の向こう、右は近江冨士、左は琵琶湖大橋だ。なるほど四季折々の天然図画、うまいこと名付けたものだ。眉毛が白い居初さん、部屋を歩き、資料を出し、居初邸の先祖も含めて喋る。30代目は?娘に頼んだ。屋敷の管理は?夜にセンサーが作動して、ようピーピーなって寝られん。奥さんは?人嫌いじゃ。見学料500円、隠し事はない。

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2009年5月 4日 (月)

映画「キクとイサム」から50年

140 155  ♪~戦争に負けて、私は生まれた~♪と、黒人混血歌手・高橋エミさん(61)が自分の人生を歌った。大東映画の第1回製作作品「キクとイサム」で、小学校6年の姉・キクを演じた高橋さんだ。昭和34年3月の封切りからマルマル50年たっている。

 4月25日午後、千葉県市川市で、「キクとイサム」の上映と高橋さんの歌とトークがあった。高橋さんが「おふくろさん」と呼んだ脚本家の故水木洋子さんが市川市に自宅と1億円などを寄贈、毎年、市民グループが記念事業を開催している。今年は日本映画賞を総なめにした今井正監督の「キクとイサム」上映で、水木さんがシナリオを書いた作品だ。

 大東映画を興したのは、滋賀県草津市出身の故角三郎さん。高橋さんの弟で、イサム役の奥の山ジョージさんは今、草津市に住んでいる。そんな関係で、東京行のおり、偶然、この映画に興味を持つ知人に誘われて、会場へ行った。神社境内の市民会館キャパは900席、雨なのに満員だった。日本女性と米兵の間に生まれ、祖母に育てられた混血児姉弟。映画から50年、歌手になった高橋さんの♪~戦争に負けて、私は生まれた~♪の声が今も心に残る。

 

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2009年5月 3日 (日)

ちとせ屋さんの豆の日

092 127  何で、こんなに…である。朝早くから長い列だ。東京・人形町地下鉄A2の出入り口である。朝も朝、午前6時30分ごろだ。ホテルから散歩に出て、気にはなったが、起き抜けで聞くのも億劫で、通り過ぎて、帰りに見たら、また列がのびている=写真=。

 最初はシャッターが下りていて、何の店かわからなかったが、佃煮のちとせ屋さんだ。午前7時を回り、売り出しが始まっていた。ウインドウに「豆の日」と貼り紙がしてあり、紫花豆、うずら豆、佃煮どれも1折350円だ。なぜ4月25日が豆の日?と思ったが、兎も角お店の特売日のようで、皆さん、早朝からまめまめしく並んでいる。

ホテルをチェックアウト、帰りにお店へ行った。列はもう消えていて、お店へ入って聞いた。毎月25日は煮豆を始めた日なので、半額にしているという。3種類600個作っているが、今日は雨降りのせいで、まだあるという。話を聞いて、そうですかと出るわけにも行かず、1折ずつ3個買った。合わせて1150円―、早朝の列をこの目で現認知してからもう3時間近く経っている。豆購入、まめ?あって良かった。苦しいかな。???

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2009年5月 2日 (土)

ソフトクリーム撮影の失敗

037 035 失敗は成功のもと―という。ことわざ百科によると、失敗しても原因をさぐって、次に生かすことだそうだ。諺どおりだったかどうか、この間、東京有楽町の東京交通会館1階の北海道どさんこプラザへ行って、夕張メロンのソフトクリーム撮影に失敗した。

 平成11年開店、17年リニュアルして、年間90万人も来る都内一番のテナントショップだ。入り口にソフトクリームの看板が出ていて、みんなが通路で立ったまましゃぶっている。評判は聞こえており、二階の滋賀県観光情報センターを訪ねる前に寄って見た。バニラと夕張メロンとミックスだ。せっかくなので30円高い380円の夕張メロンにした。

 メロン色で、ふわふわだ。女性の店員さんが一番上まで絞り出してくれた。先っぽが落ちそうなので、少し食べて、撮影に入った。左手にクリーム、右手にデジカメだ。片手撮影、ピント合わすの難しいなあと思った瞬間、ソフトクリームはコーンの上半分、見事に床へ落下した。アア…ア。床のクリーム、ただ呆然と眺めていたら店員さん、もう一つ、絞ってくれた。料金は不要という。感謝して、今度は慎重にそうろと撮影した。失敗は成功のもとだ。意味、このケースでよかったかな、違ったかな。???

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2009年5月 1日 (金)

人形町の弁慶像

069 089 この像、人形町の武蔵坊弁慶だ。歌舞伎一八番の勧進帳。山伏姿の弁慶が左手に数珠、左足を前に出して、巻物を右手で鷲掴みにしている。義経一行が安宅の関を越えようとして関守の富樫に「あいや、待たれ」と見咎められ、弁慶がひと芝居を打つ場面だ。

 口を一文字に結んだ弁慶、ムムッと見得を切り始めている。弁慶像は丸~い大理石の上だ。1㍍少しで、そう大きくはない。所在は日本橋人形町2丁目だ。朝、近くのホテルから散歩に出て見つけた。文豪の谷崎潤一郎生家、親子丼で人の列ができる玉秀を通り、甘酒横丁をずっと歩いて、米倉涼子が出演中の浜町の明治座まで、もうすぐのところだった。

 どうしてここに弁慶像なのか、銅板の説明があった。今を遡ること350年も前だという。このあたりに操り人形の浄瑠璃小屋や歌舞伎を上演する芝居小屋があったので、中央区が緑道の拡張工事のおり、江戸歌舞伎の発祥地をメモリアルするために建てたという。緑道の入口、江戸情緒が漂う冠木門(かぶきもん)まである。関所のようで関所でない出入り自由の門だ。関守代わりの弁慶像、ぐっと睨みをきかすが、通行手形は不要だった。

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