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2009年4月

2009年4月30日 (木)

だんだんのたんたん麺

027 028 着いてだんだん、帰りにもだんだん…だ。東京銀座の支那麺「はしご」のだんだんである。だんだん?つまり担担麺のことで、この店ではたんたんめんと言わず、だ-と濁らす。そんな言葉のせいか、一度喉を通ると、味がだんだん、忘れられなくなる。

 東京行2泊3日で二度も行った。到着して所用をすませて、直ぐの昼だ。JR有楽町から迷わず歩けば3分余り、東芝ビルの銀座パルミの地下1階だ。馬蹄形のカウンター、食券買うと、お一人ですかーと語尾上がりで聞いてくる。座ると、ご飯いりますかあーと。ご飯は無料だ。お茶碗によそって貰って、待つと、だんだん麺が赤々と辛そうに出た。

 細い麺をレンゲに箸で乗せて、赤汁と一緒に口に運ぶ。だんだんは普通辛、中辛、大辛とだんだんある。普通辛が、喉を過ぎて暫く、辛さがぐっとくる。忘れられなくなるのは、この味だ。一掬い、二掬い…の汁がそこそこになると、額に汗が滲む。切り刻んだ大根の香こを乗せたご飯との相性がいい。満足して、汗ふいて立つと、席を待つサラリーマンの列がずっと続く。帰りは雨の土曜の夕方。シュウマイ2個加えて、一人たんたんと…だ。???

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2009年4月29日 (水)

向田邦子が通った喫茶店

105 108作家・向田邦子が何時もコーヒーを飲んでいた―と聞いた。日本橋人形町にある「喫茶去・快生軒」だ。大正8年8月8日創業で、末広がりの「8」が3つも並び、もう90年も続いている。どんな店か、雨の朝、近くのホテルをチックアウトして、行ってみた。

 店の軒先になぜか赤い木魚が吊るしてある。店内は2人席、4人席…、40人は入れそうだ。ブレンドを注文して、ラックから東京新聞を取り出し、新聞読むふりして、店内の装飾、出入りの客を見定めた。「喫茶去」(きっさこ)と書いた扁額が架かり、永平寺第77世管主の揮毫と説明がある。「喫茶去」は禅語、それで店先の木魚と関係していた。

 コーヒー450円、酸い味がある。向田邦子はマーマレードのトーストをよく頼んでいたーと後で知ったが、向い側の客はトーストだ。客は次から次へ入って来る。4代目というマスターは若そうだ。さすが老舗、古い豆ひき道具もまだある。タバコの煙りが来た。隣の女性が新聞を読んでふかしている。女流小説家なあ。爪にマニキュア、違うなあ。東京新聞、読むようで読まず、「快生軒」(かいせいけん)を出た。まだやった。???

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2009年4月28日 (火)

いつも行くブリジストン美術館

012 014  東京へ行くと、大体決まって行く所がある。昭和27年開館のブリジストン美術館である。JR東京駅を降りて八重洲口から真っ直ぐ、右側歩道を歩いて5分だ。ブリジストンの創業者・石橋正二郎氏が戦前から蒐集した作品を色々と考え、巧みに展示している。

 東京赴任時代も含めて、それこそもう、何度もなので、作品はあらかた知っている。ピカソ、ルノアール、セザンヌ、モネ…、藤島武雄、青木繁、佐伯祐二…。会場1階EVの所に石のストーンと橋のブリッジの会社創業者・石橋氏の、眼鏡をかけたレリーフ像が嵌め込んである=写真=。この人の眼鏡で集めた作品は絵画に彫刻…1200点余だ。

 つい、この間も行った。企画展「マチスの時代」をやっていた。入館料800円、お金が戻るコインロッカーに荷物入れて、2階会場へ上がる。いつも展示の並べ方を工夫して、同じでない。「マチスの時代」はマチス語録が白い壁に赤文字で直接、綴って張り付けてあった。▽絵に空間と奥行きを与えるのは想像力▽私の絵で平和とやすらぎを▽人生から感じ取ったものをそのまま絵に…、マチスの言葉と絵がマチスしていた。???

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2009年4月27日 (月)

人形町のビーフカツは◎

120 126  東京は日本橋人形町に名物のビーフカツ店があるという。創業明治2年、洋食の老舗「キラク」である。宿泊ホテルから地図を持って行った。雨の中、歩いて5、6分、人形町2丁目交差点だった。開店は午前11時、少し待って、白い暖簾が掛かかるとすぐ入った。

 前夜、知人に聞いていた通り、カウンターだけの店だ。鍵形の端に座って、前を見るとナイフとホークでなく箸だ。先にライスが出て「すぐ揚がりますから」という。白い帽子のコックさん、揚げ立てのカツを丁寧に切って、優しく乗せた。マカロニとキャベツが添えてある。カウンターの前、ビーフ叩き、パン粉まぶし、ラード揚げ…全部公開だ。

 お店に断って記念に写真を撮った。ビーフカツは濃いこげ茶色だ。小さく切って、数えると10個だ。最初はソースをかけず、端から箸で持ち上げた。切り口に赤みがある。トンじゃなく、ビーフのあかしだ。一枚、口に入れた。思わず目の前のコックさんに感想を言った。「柔らかいねえ」と。2枚、3枚…、ライスとかわりべんたん、10枚ぺろりだ。女主人に1800円払って、店の奥の招き猫見ると、左手で「また、いらっしゃ~い」!。

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2009年4月26日 (日)

松園の楊貴妃、ぽっちゃり美人

006 003  思ったより、ふっくらしている。おでこは広く、目は細く、おちょぼ口だ。鼻筋はさすがにすっと通っている。女性で初めて文化勲章を受賞の日本画家・上村松園=写真右=が描いた、絶世の美女・楊貴妃である。大正11年(1922年)、松園47歳の時の作品だ。

 京都高島屋であった上村松園・松篁・敦之三代展で見た。展示は松園作品からだ。四季美人図、ほたる、待月、花がたみ…優美で気品のある美人また美人をボオッと見て歩いて、楊貴妃に出会った。唐の皇帝・玄宗の妃だ。あまりに美しすぎて、皇帝が見とれてばかりで仕事を怠け、それが引き金で安史の乱を招いたという傾城の美女である。

 史実だと、恐ろしいばかりの美女だ。今から1200年前の唐のことである。松園の描く楊貴妃、目をしっかり開いて、時間をかけて見た。湯上りか、肌がほんのり色づき、乳首も見えている。解説を読むと、侍女に身を任せる姿に格調高い内面が象徴的に表現されているという。へえ、そうか内面かーとまた前へ出て、陽気に?楊貴妃を見た。最初に思ったとおり、絵はどう見ても、ぽちゃっとしている。美女の定義、時代時代で様々に…である。

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2009年4月25日 (土)

希望が丘公園のコバノミツバツツジ

016 011  あんなに広いのに、どこへ行っても…だ。滋賀県希望が丘公園は今、赤紫のコバノミツバツツジが凄い。公園は野洲、湖南、竜王の2市1町にまたがり、甲子園球場の110倍という広さである。そんな広い広い公園の、どこへ行っても赤紫の花また花だ。

コバノミツバツツジ―、名前の由来は「小葉の三つ葉つつじ」だ。ツツジ科ツツジ属の落葉低木で、茎端から3枚の葉を出すミツバツツジの仲間だが、そのなかでも特に小さな葉を持つから、そう命名されたらしい。葉が枝先に3枚輪生して、

1本のめしべに10本のおしべがある。毎年、桜が散った頃から出番で、5月半ば頃まで咲き続ける。

希望が丘公園へ行ったのは、4月半ばだった。スポーツ合宿など斡旋する大阪の会社社長らと公園職員と一緒に回った。東ゾーンの研修施設からキャンプ場を見て、車で移動して、4㌔離れたスポーツゾーンへ行った。その行く先々、どこへ行っても写真のようなコバノミツバツツジである。公園内、どれだけあるのか、職員さんに聞いた。千本?2千本?と。「山の奥もなので、もっとでしょうけど…」と、コバノの答えにこばったようだった。

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2009年4月24日 (金)

奴茶屋、これよりどこへ

Img_4946 015   貼り紙が出て、やがて2か月だ。「お客様各位 奴茶屋は本年1月31日をもって閉店致しました ごひいき賜りましたお客様に感謝し~ 2月1日 店主」と、今も自動ドアの入口2か所にある。JR山科駅前、ラクトビル2階の日本料理「奴茶屋」だ。

 閉店は大分前に朝日新聞京都版で知った。何しろ南北朝時代から続く店で、創業から500年余り。地元の史誌には・山賊横行の難所だったが、丑兵衛が弓矢を携えて旅人を送迎した・桃山、徳川と時代が移り本陣となった・幕末には皇女和宮が宿泊された・明治時代には、明治天皇が四回も休憩されたーなどと記述がある。そんな由緒の「奴茶屋」だ。

 山科駅前開発があり、この10年来はビル営業に変わっていた。何時だったか、懐石料理で行った思いではある。ビル1階の入口すぐ、石碑が一つ埋め込んである。「従是東…」「毘沙門堂御門跡…」の字が見える。ビルに不釣り合いでも、茶屋の歴史を感じさせす。この間も通りがかりに覗いて見た。閉店の貼り紙がめくれ加減になり、2階へ通じる廊下は、ゴミが溜まっていた。「従是東…」の石碑、これよりどうなるのだろうか。???

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2009年4月23日 (木)

近江八幡の金塊ティッシュ

019 020  JR近江八幡駅北口観光案内所だ。駅に着いて、徒歩2分のホテルニューオオミである出版記念祝賀会にはまだ時間がある。ホテルとは反対側の観光案内所、何となく寄って、驚いた。丁稚羊羹、赤蒟蒻…地元のお土産品紹介する陳列ケースの上に金塊がある。

 高さ4㌢、長さ30㌢はあろうか。合わせて7本、無造作に積んである。こんなところに金塊、いいんかい…だ。いい洒落、◎かな。店員さんに聞いた。近江八幡と金塊?どうして?と聞いた。店員さん、ニコニコ笑って言う。「ハイ、近江八幡は近江商人発祥の町ですし、お金に縁のある商品を集めました」と。薄っぺらく光る金塊へ、ぐっと近づいた。

 何と軽々と持ち上がる。金の抜け殻…ホンガラだ。それもそのはず、金塊はジッス・イズ・ティッシュだ。「金の延べ棒ティッシュ」で、値段表示は100円だ。店員さんに聞くと、ネットで50個仕入れて、置いて見たら、わりに売れて、もうそれだけになりましたと。出版記念祝賀会の帰り、金塊が気になって、もう一度寄った。売れたかな、と見たらまだ7本ある。小銭入れに百円玉あった。こんな金塊土産で、いいんかい…と買った。???

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2009年4月22日 (水)

京都駅ビルのEVと東広場

012 015  誰もがそう知らないだろうEVがある。京都駅ビルの東南側で、5、6人乗りの小さなEVだ。表側になくて、ホテル駐車場側の裏側にある。年間3700万人も利用する駅ビルなのに、従業員専用の断りがないのに、何時行っても誰も乗っていない。

一人そんなことが自慢で、空中径路を経て西側の拉麺小路へ行くおり、よく利用する。一番上は7階で、ドアが開いて細い通路を行くと、そこは「チェントチェント」という名のスパゲティー料理店がちゃんとある東広場だ。教会の結婚式場の鐘もあって、誰もが座れる椅子も沢山あって、400㍍も西の大階段が見通せて…、眼が彷徨する広場だ。

何度も来ているのにこの間は、青い光を発光する樹木に気付いた。広場の回り、数えると5㍍間隔で8本ある。発光ダイオードの豆球が枝にいっぱい括りついている。何という樹木だろうか、高さは3㍍ほど、どれもこんもりして、初夏の夜のXマスツリーだ。広場の真ん中から…、空中径路に通じるエスカレータに乗って…、写真を何枚も撮った。上の2枚がそうだ。「チェントチェント」ちゃんと写っているかな。?もう一つかな。反省。

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2009年4月21日 (火)

必臭!の大丁字ガマズミ

053 050  必見!必臭!だという。府立植物園の「オオチョウジガマズミ」だ。観覧温室に牛の舌のような葉の「ウシノシタ」があると、朝日新聞に載っていて、夕方に行くと観覧温室はもう閉まっていて、代りに必見!必臭!の「オオチョウジガマズミ」に出会った。

 必見!必臭!は例によって、松谷園長の「きまぐれ園だより」の記述だ。09年4月17日付けでNo212号である。晴天はうれしいけど、植物園は雨を待っている!と小さく添え書きしてある。草木に優しい人だ。さて、「オオチョウジガマズミ」の咲いている方向はどこだろうと、園だよりをもう一度見ると「芳香!抜群!」と書いてある。???

 何しろ、必見!に加えて必臭!だ。方向ほうぼう探して、北側の宿根草園の入口で見つけた。観賞者が花に近づきクンクン、フンフンしている。カタカナが多くて、難解な花やなあと思ったら、花筒が長く、漢字の「丁」に似ているから「大丁字ガマズミ」と言う―と説明してある。要はガマズミなのだ。背丈ほどあり、小さな白い花がコデマリみたい咲いている。やはりクンクンした。確かに芳香抜群、必臭!だ。もう一度、フンフン。

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2009年4月20日 (月)

風景画家山本満さんの8号変

003 012  画題は「雪景8号変」である。雪景色を描いた雪景はわかる。絵の大きさ8号もわかるが、変がどうも変?で、作者の山本満さん(7?)に聞いた。山本さんも「初めて8号を変にしたんです」という。変、つまり、8号サイズの横長の意味なのである。

 風景画を描く洋画家山本さん、今、大津市中央1丁目の商店街にある「ぎゃらりい古今」で個展を開催している。「雪景8号変」は去年の暮れ、積雪の朝、自宅のある湖西の和邇北浜から湖岸の住宅街と琵琶湖と対岸を描いたという。会心作なのだろう、会場の入口の個展案内板にコピー展示してある。会場でも同じ位置からの変作品を3点並べている。

 変について、元美術教師の山本さんが話す。教え子が自宅へ遊びに来ましてね。高島から湖西の和邇に住んで30年、湖岸の風景が好きで、描き続けているんですが、あの時、先生一度、横長で…と言ってくれたのがヒントでして…と。そう聞いて、8号の変をもう一度見た。「雪景」「雪の朝」「山と湖」の3作品が変だ。作品は小さくても、描いた対象の大きさ、深さを思わす。いい変ですねと言うと、風邪気味か山本さん「エッヘン」と。???

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2009年4月19日 (日)

新生活応援の300円牛めし

036 044  通勤帰りの足が止まった。何と、牛めしが300円だという。JR山科駅前の松屋フーズだ。店の前、サクラ色の派手な垂れ幕が出ている。新生活応援キャンペーンで4月20日午後3時までの期間限定サービスだ。どんな300円牛めしか、しめしめと入った。

 普段は380円だが、今だけが80円引きだという。新生活ご苦労さん代という。値段だけなら、ウッシッシなのだが、これで晩御飯となると、やや侘びしい。期間限定だし、格安だしと、自らを納得させ、300円牛めしに180円の豚汁を加え、コの字のカウンターに座った。前方、隣り、斜め向かい…300円客どんなかなと、見ないようで見た。

みんな1人で黙々と…だ。午後7時過ぎである。背広にネクタイ客が5人いる。新生活?勤め帰りだろうか。お金がないのかなあと、推測していたら、牛めしと豚汁が揃って出て来た。牛めし、写真のとおり玉ねぎ入りで肉が乗っている。肉、モチモチして口の中で持ちはいい。豚汁、これは具が沢山で◎だ。みんなと同じように金曜でも黙々、食べて…480円がお腹入りだ。満腹感で、侘びしさ消えて、牛めしの出会いに感謝なり。

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2009年4月18日 (土)

道の駅の藤樹先生孝養像

003 005 母 「与右衛門、どうして、戻って来たの」

与右衛門 「ハイ、母さんのあか切れが心配で…、これ、お薬です」

 近江聖人・中江藤樹、少年の頃の逸話だ。祖父の縁で、伊予(愛媛)大洲藩に仕えていて、故郷・近江にいる病弱の母が心配で、はるばる大洲から戻ってきて、あか切れの塗り薬を差し出す場面だ。幼少期、与右衛門(よえもん)といった藤樹先生、15歳の頃の話である。高島市安曇川にある「藤樹先生孝養像」だ。

 湖北の西浅井町・大浦へ行ったおりだ。休憩で寄った道の駅「藤樹の里」の駐車場の入り口にあった。ブロンズの母子像で、高さ1㍍ほどだ。藁草鞋を履いた旅姿の藤樹少年が右手の薬を大事そうにお母さんに差し出している。像は写真のとおり表情が純だ。お母さんも目を細めて「まあ」と言っているような。この孝養像の「孝養」とは、子が親に尽くすことである。像を建てた高島市は藤樹先生に学び「人の道はこうよ」と教えている。

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2009年4月17日 (金)

東洋亭の「ふんわり卵のオムライス」

035 038 とろけるような卵に特製のソース―とウインドウに出ている。創業明治30年、洋食の老舗・東洋亭の「ふんわり卵のオムライス」だ。彩り鮮やか、値段も頃合いの987円である。どんなんかナと、好奇心だけで、みやこみちの近鉄京都駅店へ入った。

店の女子店員、胸の名札がみんな片仮名だ。何でかナと思う。案内は「ナカミチ」さん。ガラス張りの厨房が見えるカウンターに座った。ふんわかオムレツは人気かナ?と聞いた。ナカミチさんが「ハイ、注文多いです」と。頼んでから5分~10分…、ナカナカ出てこない。片仮名の名前でナカナカのせいかナ?と勝手に洒落ていたら出てきた。???

これぞ!ビューフティフル…である。とろけるような卵と、デミグラスとかいう特製ソースが真ん中で分離している。ツートンカラーだ。卵の上、ピンクの小海老に赤いプチトマト、青菜も一切れ乗っている。暫く眺めて、写真を上から1枚、お皿をくるりと回して、反対からも1枚だ。何時まで見ていても食が進まない。曲がらない銀のスプーンで、ソースをかけ、すっとと口へ運んだ。味?間違いなくオフサイドのオムライスだ。???

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2009年4月16日 (木)

瑞応院の庭は阿弥陀さん

080 064 あれは梅が散り始めた頃だった。比叡山の麓、坂本の里坊の一つ、瑞応院へお伺いした時のことだ。比叡山長籠、山田能裕師(8?)のご自宅である。ご本人は急用でご不在だったが、厚かましくも奥様にお願いして、普段は非公開というお庭を拝見した。

 能裕師の尊父で、天台座主だった恵諦師の思いがこもる庭だ。京都の庭師、重森三玲氏が恵諦師の依頼で作った。源信僧都が書いた国宝「阿弥陀25菩薩来迎図」を構想している。庭の真ん中にある巨石が阿弥陀仏だ。それを囲むように配置された25個の様々な石が菩薩様で、白砂と苔は雲を表している。そう奥さんに聞いて、思わず手を合わせた。

エピソードが二つあるそうだ。巨石は昭和9年の室戸台風の折、日吉川から流されてきた。恵諦師は庭石にと思ったが、大きすぎて動かず、20年以上経ってから石積みの穴太衆が庭に運び込んだという。天台座主を20年間務めた恵諦師は、99歳で亡くなったが、大津市民病院に入院中に「あの庭が見たい」と願われ、自宅に戻って、阿弥陀仏の庭を見ながら息を引きとられたという。あの時のを思い出しての、かな記述なり。?

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2009年4月15日 (水)

奥琵琶湖の桜うらうら

043 069  奥琵琶湖の大浦港まで行って、お花見船に乗った。大津市堅田のレークウエスト観光が今年から桜開花期間に限定して運航の船だ。大浦のうらと、菅浦のうらを重ね合わせて、「桜うらうら」という。雨の14日朝、表から~ウララウララ~と湾内を1周した。???

 乗った船は定員12人のコメット号だ。舵を握る操従席は若い女性である。客席からもしや、コメットさん?と聞いたら「小林とも子です」という。船舶運転免許取って4年目、今だけ頼まれての運転という。白で桜うらうらと染めたピンクのジャンパーだ。主舵(おもかじ)いっぱい!なのに?軽々とハンドル回す。時速は15㌔、船はゆっくりだ。

 水鳥が湖面すれすれに飛んで行く。鴨か鵜か、マンボ~ウッか。湖面に散った桜が帯になって、波間に漂う。咲く桜も、散り行く桜も…風情だ。船は進んでも進んでも桜だ。大浦から菅浦まで4000本という。奥琵琶湖パークウエーが見える半島先端のつづら尾崎。ヘアピンカーブの所、桜が二重だ。コメットのとも子船長、「一番の見どころです」とコメットする。海津大崎を回って、ぐるり1時間、裏も表もなく、ウララと桜に酔った。??

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2009年4月14日 (火)

大津絵の店の藁草履

022 030  大津絵の5代目高橋信介さんが出てきた。4代目松山さんの息子さんだ。木彫りの鬼念仏を持ち出し、玄関の白壁で撮影している。カタログ用だろうか。春らんまん、撮影日和である。通りがかり、少し凹んだ店先で、珍しい古株とわら草履を見ていたおりだ。

 大津市三井町の大津絵の店が新しくなり4、5年か。近くにあった古いお店で、信介さんには一度会ってはいるが、もうお忘れだろうし、初対面も同然だ。古株は高さ1㍍、ぐにゃぐにゃで、骸骨みたいだ。名刺渡さず、「何時ごろのモノですか」と聞いた。信介さん「店が出来た頃からでしょうかねえ」と答える。何しろ大津絵の歴史は250年だ。

古株の上に「大津絵之由来」と書いた古めかしい駒札がある。「東海道五十三次にも名高い大津逢坂の関…一画工が居を構え~行く来ふ旅人客に自由奔放な~珍奇百態~軽妙洒脱~」などと出ている。古株にかかった藁草鞋はなぜか三足だ。何時からの草履か?三足の意味は?と、質問の追いうちをかけた。「昭和の藁草履でしょう。三足、意味はないのでは…、単にあしらいでしょう」という。なるほど藁草鞋で軽くあしらい。???

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2009年4月13日 (月)

魚さかなの日替わり注文

 020 035 もう何度、通ったかなあ。海鮮食堂「摩季詩」の昼ごはんだ。大津市の菱屋町商店街にあり、職場から歩いて15分、食べて25分、戻って15分である。白板に手書きでメニューが書いてある。魚また魚で、20品以上ある。行く度、日替わりで注文している。

通い始めは3月12日だった。店の中、左側の魚屋さんから入り、右側の食堂へ行く。食べる前にデジカメで撮影だ。最初は海鮮丼。ブリ、ヨコア、海老、サーモンが乗っていて、どれもいい味だった。あれからサーモン漬け丼にお造り定食、あなご丼と進んだ。鯵フライ定食は、口の中で身がとろけて、舌が美味いと。まさに新鮮な鯵の味だ。???。

取りこんだパソコンデータによると、3月に5回、4月には6回通っている。直近は貝柱フライ定食だ。毎日のように行くと、お店からお勧めがある。貝柱もそうだった。ホタテの貝柱、1個1個が大きく甘味があった。値段は千円から700円だ。天然ぶり漬け丼は800円で、プラス100円は天然代だ。焼魚定食は、お腹を開いた鯵が出た。小骨はずし、はずし…食べていたら昼ご飯タイムをかなりオーバー、あじゃーと戻った。???

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2009年4月12日 (日)

閉院宮邸のカエルマタ

125 127  「あれをご覧下さい。カエルマタです」という。カエルマタ?!と、解説の若い女性が指差す方向を見た。横柱に「蟇股」と書いてある。「蟇」の漢字が難しいが、平仮名が振ってあって、カエルが股を開いているように見える。解説員もまた?、悪びれず説明する。

京都御苑内の閉院宮邸跡(かんいんのみや)だ。国が2年5ヶ月かけて修復した公家屋敷である。地下鉄烏丸丸太町駅から徒歩3分、御苑の南西角だ。3年前に修復がすみ、ずっと一般公開していたらしいが、今年になって知った。玄関でスリッパに履き替え、名前を書き、邸内と庭、展示品が予約なしで無料鑑賞できる。結構、面白くもう3度も行った。

解説役はいつも杉林江里香さんだ。ネームプレートにそう書いてある。国民公園協会京都御苑の職員さんだ。休日は一日に三回出てきて、邸内の見どころを解説する。蟇股は南棟応接室の中だ。蟇股に続いて、天井の化粧ばりを喋り、足元の床は御苑内の欅で作ってあるーなどと話す。杉林さん、よく勉強している。「国民公園協会は皇居外苑、新宿御苑とここを管理しています」と職場のPRも忘れない。何時かまた解説聞きにカエルマタ。??

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2009年4月11日 (土)

道楽絵はがきの見立て

056 017 着ぐるみの虎が舞台を降りて、フウッと一服している。タバコの煙が新体操のリボンのようだ。組んだ右足が左膝に掛かっている。ぎりぎりだ。かなり足の短い役者さんのようである。乗せ方にどこか無理が…。田中緑紅さんの大正15年、丙寅年の年賀状だ。

 「道楽絵はがき」展のポスター絵の一枚である。大津市歴史博物館でいま、大正、昭和のコレクターたちが集めた絵はがきを展示している。着ぐるみの虎は会場入り口、イの一番にあった。キャプションを読むと、演劇は近松門左衛門作の国性爺合戦だという。中国人の父、日本人の母を持つ和藤内が明国・千里ケ竹で、虎を退治した場面らしい。

 はがきにある舞台の幕は千里ケ竹のようだ。年代別に並んだ道楽絵はがきを見て歩いて「見立て」という言葉に出会った。「見立て」…???、謎々だそうだ。着ぐるみの虎も竹薮の幕が謎かけだそうだ。屏風の前に縄の賀状は一休さんのトンチ話。祝儀袋に「寅の子1万両」と洒落たのもある。絵はがきをどう見たかでなく、どう見立てかが、ポイントだそうだ。賀状は賀状でも、粋に一捻りしてある。鑑賞の皆さん、しっかり、みたてっヤ。???

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2009年4月10日 (金)

佐渡裕、リハーサルで語る

030 034  世界の指揮者、佐渡裕が口で♪~ジャジャジャン~♪と言う。ベートベンの交響曲第5番「運命」の、あのジャンだ。大津市のびわ湖ホールであった「佐渡裕&兵庫芸術文化センター管弦楽団」の公開リハーサルである。会場に向かって、ジャジャン話しかけた。

 ブラームスの交響曲第1番ハ短調だ。第1章から第4章、暗から明へ…佐渡は1章ごとに指揮棒をマイクに替えた。朝日TVの題名ない音楽会の、あの司会だ。ブラームスを語るにベートベンを抜きにできない。だからジャンで例えた。マージャンでも競輪の最後の1周でもない。ブラームスが如何にベートベンを敬愛していたか、ジャジャジャンと説明した。

 第1章、佐渡がタクトを振った。コントラバスもヴァイオリンもオーボエも…、音が弾んだ。佐渡の指先の動き、足の運び、身体の揺れ…、オーケストラが一つになって、軽く、静かに、強く、激しく…だ。曲目が空気になって会場に伝わってくる。演奏終えて笛が好きで教室でタイガーマスクを演奏して受けたこと、フルートは楽屋まで押しかけて習ったこと、楽器には誰しも得手不得手があること…、どんなことでもジャンと喋った。

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2009年4月 9日 (木)

国の花はサクラ!

016 016_2 みんなが桜、さくら、サクラという。寅さんの妹・さくらではない。春、みんなが言う日本の国花・さくらだ。平安神宮の朱塗りの大極殿前にある山桜を見ていると、これぞ、さくら!と言いたくなる。寅さんの気持ちがわかる。???意味、違ったかナ。

右近の橘に対し、左近の桜という。手前から見ると反対だが、大極殿側から、つまり天子が着座して見ると、左右正解で合っている。見方を味方にしないと…である。???意味、変かな。みんなが見上げて、さくら!と感嘆の声あげて、記念写真を撮っている。つぼみの頃と満開の時と、2度行った。上の写真がその対比だ。

大極殿の大屋根、右端の瓦をまん中にして、同じ位置で撮った。瓦は「鴟尾」と書いて、しびと読む。宮殿建築の飾りだ。金ピカ、美しさにしびれる。???。写真2枚、まあ、使用前と使用後みたいだ。3月20日と4月5日の撮影だ。満開の桜、スケールが大きく、またしびれる。駒札に国学者・本居宣長の1句。「敷島の 大和心を 人とはば 朝日ににほふ 山ざくらばな」と57577。最後にもう一つ「な」をつければ、バナナ。???

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2009年4月 8日 (水)

四川料理の赤い赤い坦々麺

067 071 それは、赤い糸でなく、結びようのない赤いスープだ。とんがらし色の赤だ。ウインドウ見本の坦々麺である。近鉄京都駅商店街・みやこみちの中華風食堂「洛楽」だ。四川料理の中華、さぞ、辛いだろうな…と思いつつ、自然と足が店の中へ入った。

 「いらっしゃいませ~」と、ませ~が半音あがる女子店員が言う。中国人の学生バイトのようだ。「お一人ですか~」と、ですか~が、また半音あがって、カウンター席に案内された。席の前、ガラス越しに調理場が見える。陳さんかな、長さんかな、お顔が中国人の板前さんだ。本場の四川料理。単品で800円の坦々麺が出てきた。見本と同じだ。

 脂の浮いたスープの赤、瑞々しいチンゲンサイの青、小さく盛った肉粒、沈んでいる中細の麺…。辛いかなーとまずスープ。舌にピリッツ、喉越しでピリピリ…、辛さ具合、期待通り?そう、期待通り。ジャスミンティ飲んで、また、恐る恐る一口、二口…、やっぱり辛い。210円のミニチャーハン追加。スープに合い間に麺とご飯、食べて、まだ底にスープ。もうよそうと思っているのに舌がまた…。辛さ、たんたん病みつきに…である。

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2009年4月 7日 (火)

京近美で出会った○の中の桜

054 057  まるで不可解に廻る。直径5㍍あるステンレス製のリングだ。廻るたびに結んで開いて…をやっているみたいだ。○かと思えば、無限大の∞を縦にした8になったり、風船見たいにプウッと膨らんだり…だ。どういう仕掛けか、ゆったり、ゆったり廻っている。

造形家・伊藤隆道さんの「廻るリング」で1976年の制作だ。国立京都近代美術館が所蔵していて、展示ロビーの西側ガラス越しの前、野外に展示してある。京近美の疎水べりに咲く桜、ロビーのガラス越しに見たかった。展覧会行っては、ロビーで一服することは多かったが、これまで桜のシーズンとは縁がなかった。この5日が初めてだった。

春や春…天気良し、桜良しのサクラサンデー。京都の桜どころ、花より団子よりも、花より人だ。平安神宮のある岡崎界隈、人がぞろぞろ歩き、喧騒の花見客が溢れるのに京近美のロビーの中は、不思議なほど静かだ。ガラスの前、観賞用なのか、椅子が窓枠ごとに7、9、7と並んでいる。ここは入場料はいらない。動く彫刻の第一人者と言われる伊藤さんの作品、ロビーで出会った。8から○になった○の中は満開の桜、○で○だ。???

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2009年4月 6日 (月)

京都御苑の桜松

 025 029 思わず、これは…だ。花札の松に鶴、桜に幕ではない。自然の、松に桜だ。作今、コラボ流行りとはいえ、こりゃあと驚く。立て札には、見たとおり「マツにはえたサクラ」とある。松はクロマツで樹齢100年、桜は葉先が赤いヤマザクラで40年という。

 松に桜、京都御苑ニュースで知った。御苑内に事務所を持つ国民公園協会の発行で昭和59年以来、101号という。写真を撮りたくて、ちらほら咲き、3分咲き、7分咲きと、3度も通った。御苑内東側の学修院跡の芝地だが、京都迎賓館の南西側と言った方が分かりやすい。「桜松」とも「松木の桜」とも言われ、見れば見るほど不思議である。

 松は芝地に倒れて、朽ちている。長さ10㍍はある。幹元は空洞、そこから桜の木が根付いている。枝を上へ上へと伸ばし、葉先から可憐な薄ピンクの花を幾つも咲かせている。倒れた松の木の先は、桜が幹になって地を這っている。何処までが松で何処からが桜か、わからない。自然の不思議と生命力を思う。平成14年春の御苑ニュースはこの桜松を特集していて、見出しが何と「花報は寝てマツ」と。マツマツかな。???

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2009年4月 5日 (日)

JR大津駅の願い事咲かす桜

036 024  色んな桜があったもんだ。願い事を咲かすポスターの桜だ。ポスターはJR大津駅の通路に2枚ある。京都方面の3、4番ホームへ上がるところだ。No1のポスターは願い事の書いてある花びらが20枚以上、満開近しだ。もう一枚は2枚、つぼみ堅しだ。

 花冷えの夜、ホームへ上がらず、通路の電車待ちで見つけた。南口の改札側の柱にあり、縦15㍍、横1㍍ほどだ。新生活に向けて一言どうぞ!と桜型の紙とボールペンが置いてある。一言書き終われば、裏の両面テープをはがし、絵のツリーの好きなところに貼り付ける趣向だ。願い事、欲張らなければ、2拍1礼でおつりが出そうだ。??

 電車はまだ来ない。どんな願い花かと一枚一枚、覗きこんだ。一番上は近藤直也君の花だ。「カップラーメン生活、卒業します」と。社会人1年生かな。美歩ちゃんは「家族が病気になりませんように」と優しい。まなちゃんは「彼氏が欲しい」と正直だ。匿名の一言も。「貯金するぞ」「青春の17歳、返せ」などだ。我が願いもーとペン握ったら「お~つ、お~つ」と電車が入って来た。そうも、おつおつできず、慌てて階段駆け上がった。

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2009年4月 4日 (土)

豆腐料理の店「はしがき」

012 019  そうか、朝が早いのか。案内された部屋は6畳一間だ。聞いてはいたが、店の壁に断りの張り紙があった。「誠に勝手ながら八時三十分で閉店させていただきます」と。JR大津駅から寺町商店街を琵琶湖側歩いて5分、豆腐料理の店「はしがき」だ。

 料理はおまかせ5千円という。ビールに酒、焼酎込み込みでも同じだ。この間の送別の宴、3度目だった。この店の豆腐料理、尋常じゃない。出るわ出るわ、あきれるほど出る。唐揚げに蒲焼き、グラタンに茶碗むし…、10品以上出て、いつもお腹がギブアップするほどだ。大将は何せ、豆腐の創作料理が趣味で、もう50種類以上というからあきれる。

 大将は店名どおりの橋垣麓さん(5?)だ。作務衣姿で、自ら料理を運んできて、創作の一品一品を説明する。「唐揚げは木耳を入れています。固めるのに苦労しました」と。おからも湯葉の刺身も…おいしい。秘訣は?と聞くと、♪~それは、それは、秘密、秘密、秘密のあっこちゃん~♪と言いながら「豆乳の温度と湿度、にがりを入れるタイミング」だとあかす。ト―フ!ト―フ!と店の終わりまで話を聞いて、とふとふ、この道何年?、を聞き忘れた。

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2009年4月 3日 (金)

霜ふりうどん、どんなんかなあ

038 054  堤灯は天狗、垂れ幕は霜ふりうどんだ。天狗は食堂で、店構えからみて、天狗の店名にそう驚くことはないが、霜ふりうどんは何?何?何?だ。当店唯一と出て、もう少し詳しくということか、()付きで、かす汁煮込み―と書いてある。兎も角、まあ入ってみた。

 河原町通り荒神口上ルだ。京都府立病院へ行って、職場へ戻る道すがらだ。昼に少し早かったが、「霜ふり」に引き込まれた。店内掲示は冬季限定、990円と出ている。隣に書いてある海鮮皿うどんも気になったが、ここは初志貫徹だ。待つ間、古い新聞がファイルに入れて、店内に置いてある。昭和63年3月17日付け京都新聞夕刊の記事だ。

連載「都の界隈」荒神口編だ。店のくだりが赤で囲んである。「主人の柄崎みよさんは74歳。店は3代目」と。さっきの女主人、そうかな。いや、20足すと94歳?。それなら年配の娘さん、今の74歳かなあ。古い店の、古い新聞で考え込むうち霜ふりが出て来た。底の深い鉢だ。レンゲで小鉢に移した出汁は、霜降る頃の酒かす、それで霜ふり。そうだったのかと、生唐辛子加えたら、ハアハア、ハアハア…、もう何もかも霜ふり。??

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2009年4月 2日 (木)

みやこみちの水のアート

058 096  水がアートしている。五重塔を描き、英語でLOVEと書く。面となって流れ落ちる水の一瞬の早業、あっと驚く。水は高さ2・5㍍ぐらいから出ている。落ちるまで、どうだろう、0.1秒か、0.2秒だ。近鉄京都駅の構内商店街「みやこみち」の中だ。

人が確実に足を止める水のアートは、グリル東洋亭の隣だ。去年10月に装い新たにした「みやこみち」の西、突き当たりに近い。京都駅で降りたおり、デジカメ持って、見に行った。かぶりついて、後ろに下がって、裏側に回って…、見た。多彩で、テンポが速くて、芸が細かくて、何とも不思議で…、見ていて飽きない。絵は犬も亀も猿もハートも出た。

傑作は水のダンスだ。線になった水が右に左に揺れて、踊っている。腰を振るフラダンスだ。水のアート、ひとサイクルはどれくらいだったかなあ。5分、いや10分かもしれない。デジカメ撮影に夢中でわからなかった。もう一度、もう一度で、戻って調べると99回もシャッター押していた。ちゃんと写っていたのは10枚足らずだ。そのうちの2枚が上の写真だ。0.1、2秒、一瞬撮影の難しさ、この水を見ずして語れない。???

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2009年4月 1日 (水)

京都御苑の木蓮、今が盛り

015 017  この咲きよう、どう形容したらいいのだろう。大きいの、小さいの、白いシャボン玉みたいだし、五線譜に書いた白い音符のようにも見える。耳をすますと♪~ドはドーナツのド、レは木蓮のレ~♪だ。京都御苑の春、赤紫の木蓮と白い木蓮が満開だ。

 寺町通りの清和院御門から入った。「この世をば わが世とぞ思う 望月の~」と権勢を誇った藤原道長の邸宅があった芝地のずっと北側だ。何か引き込まれるように近づいた。芝地に植え込んであった「バッタガ原」の木札に目もくれず、傍へ行った。もう一度、言っておこう。目…もくれずに、だ。どうかなあ、わかってもらえたかなあ。その木蓮…。

 木は4本あった。白い木蓮3本、今が真っ盛りだ。花びらがパラパラと一枚一枚落ちていなので、良く似ている辛夷(こぶし)ではない。花ごと落ちる木蓮だ。近づいて良く見ると、花びらの幅は広く厚い。どの花も上を向いて咲いている。名前はみんな九ちゃんかなあ。赤紫の木蓮は1本、低木だ。腰のあたり、目の前で咲く。写真撮って、花びらを覗き込むと、内側は白い。赤紫木蓮の証しだ。花言葉は「持続性」という。何によらず大事なことだ

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