米原は迷い原だった!
そうか、迷い原だったのか。米原はかつて琵琶湖から続く内湖と葦原が中山道までつながっていた。背の高い葦の原に人が入り込むと、方向がわからなくなり、迷い原と呼ばれていた。その迷い原が何時からか米原という地名になったと、そう書いてある。
近江鉄道の終点、米原駅の駅舎前にある地名由来の駒札書きだ。JR米原駅の整備事業が3年がかりで終わり、西口と東口が自由に行き来出来るようになった。東口にある近江鉄道がそれを記念して立てた新しい駒札だ。ベニヤ板を貼り付け、ペンキ字でクニャクニャと迷う如く書いてある。葦の中に人の顔とハテナの?だ。絵解きが面白い。
米原の県立文産会館へ行った。JR米原駅の改札正面に「祝 米原駅東西自由通路 開通」の横断幕が出ている。今までは西へ東へグネグネの駅舎がすっきりしている。新幹線、北陸線、東海道線を跨ぐ橋上駅だ。草津・京都は②③番、長浜・敦賀は⑤⑥番、大垣・名古屋は⑦⑧番、新幹線は⑪⑫番だ。1日約2万人の利用者があるという。新しい通路は東西230㍍、まっすぐだ。近江鉄道への東口、もう迷う原はない。
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