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2009年3月

2009年3月31日 (火)

米原は迷い原だった!

033 017 そうか、迷い原だったのか。米原はかつて琵琶湖から続く内湖と葦原が中山道までつながっていた。背の高い葦の原に人が入り込むと、方向がわからなくなり、迷い原と呼ばれていた。その迷い原が何時からか米原という地名になったと、そう書いてある。

  近江鉄道の終点、米原駅の駅舎前にある地名由来の駒札書きだ。JR米原駅の整備事業が3年がかりで終わり、西口と東口が自由に行き来出来るようになった。東口にある近江鉄道がそれを記念して立てた新しい駒札だ。ベニヤ板を貼り付け、ペンキ字でクニャクニャと迷う如く書いてある。葦の中に人の顔とハテナの?だ。絵解きが面白い。

  米原の県立文産会館へ行った。JR米原駅の改札正面に「祝 米原駅東西自由通路 開通」の横断幕が出ている。今までは西へ東へグネグネの駅舎がすっきりしている。新幹線、北陸線、東海道線を跨ぐ橋上駅だ。草津・京都は②③番、長浜・敦賀は⑤⑥番、大垣・名古屋は⑦⑧番、新幹線は⑪⑫番だ。1日約2万人の利用者があるという。新しい通路は東西230㍍、まっすぐだ。近江鉄道への東口、もう迷う原はない。

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2009年3月30日 (月)

JR西日本の一筆「心」

044 040  つり革の向こうに「心」がある。書道家、武田双雲氏の一筆だ。筆遣いはふんわりと優しく丸~い。最後の点々、まるで心臓の鼓動が波打っている。毎朝毎夕の電車内、ときどき見てドキドキする。JR西日本マナー啓発のシリーズポスターの一筆である。

 NHK大河ドラマ「天地人」の題字も双雲氏の書だ、しょうだ。ネットで検索したら双雲氏、随分と若い。昭和50年5月生まれの33歳だ。熊本出身で、三歳の時から母親で書家の双葉さんに習い、パフォーマンス書道、たけしやさんまのTV、デパート個展、朝日新聞の企画題字…と凄いモテようだ。携帯の待受け画面も20万以上のアクセスとか。

 JR西日本はこの一年、人気の双雲氏を「一筆マナー」で起用してきた。電車の中では一人でも多く座れるように―の「間」に始まり、優先座席配慮の「優」、車内で携帯禁止の「喋」と出て、煙にまく筆跡の指定場所喫煙の「煙」があって、ヘッドフォンの音漏れ防止では、一筆かどうか音符の「♪」も出た。今は相手の立場を考え、気づかい合う優しい心の「心」だ。JR山科から大津駅へ、一駅5分、座らず、心して立っている。

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2009年3月29日 (日)

開戦通告の遅れは長い葬儀だった!

016 025 そうだったのかーと話を聞いた。今から67年前、日米開戦の日のことだ。日本が宣戦布告せず、真珠湾を攻撃したと言われる1941年12月7日である。「開戦通告はなぜ遅れたか」と題する講演だった。講師はノンフィクション作家・斉藤充功さんだ。

斉藤さんは開戦年の昭和16年生まれ、67歳だ。昭和史の著書が多数ある。陸軍中野学校、下山事件などだ。講演の舞台は琵琶湖ホテル。テーブル席から演台へ上がった斎藤さん、写真のとおり頭髪も顎鬚も口ひげも白い。スーツの上下も白い。副題の~運命の日 真珠湾攻撃の秘話~、白一色でホワット話し始めた。どんなホワイトか、耳を傾けた。

通告の遅れは開戦の日、大使館の近くの陸軍主計大佐の葬儀が長引いたからという。なぜか牧師の悼辞が長く、5時間もかかった。最後通牒を届ける野村大使らが列席していて、終わってフルスピードで米国務省へ駆けつけたが、開戦から1時間過ぎていた。その事実を斎藤さんは当時の1等書記官の対談録で、知ったという。開戦遅れは暗号問題など仮説に通説、いろいろあるが、この長い葬儀がホワット???だ、と壇上を降りた。

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2009年3月28日 (土)

京阪石坂線の青春電車

053 051 毎日毎日、青春が走っている。京阪電車石坂線、ラッピング電車だ。2両編成の車体の一つは「隣に座った君を見ず 窓に映った君を見る」だ。直接には顔を見ることが出来ない初々しい恋心である。大阪府の重本健吾君(21)の作品で、石坂洋次郎賞という。

 毎年の卒業シーズン、京阪電車は石坂青春号を走らす。電車と青春と初恋を綴る21文字を全国公募している。今年の応募総数は2017点と新聞に出ていた。青春号来るまで待って、何度も乗った。最終審査員の俵万智さんが車内吊りで講評している。「~今年は若い人の健闘が目立った。携帯メールの効用か、短い言葉の表現に慣れている」と。

 電車や駅は青春の舞台だという。出会いがあり、別れがあり、思い出があり…、毎日毎日、電車はドラマを乗せて走る。入選は100点だ。ラッピングは優秀作4点、入賞作20点は車内にポスター吊りしてある。石坂線と青春小説の石坂洋二郎を重ねた企画だ。青い山脈、陽の当たる坂道…、吉永小百合がいて、石原裕次郎がいる。今年の青春号は8日からで29日までの走行という。もう日がない。お早くお乗り下さい!。チンチン!

 石坂賞の他の優秀作は以下のとおり。

 行かないで、ドアが閉まれば言えるのに(初恋賞)

 二駅を遠距離と泣いた眩しき日(さわやか賞)

 電車って助手席よりもくっつける(スマイル賞)

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2009年3月27日 (金)

京都駅地下街ポルタの天窓開く

012 003 ズ、ズ、ズ…と窓が開いていく。ズ、ズ、ズ…ゆっくり、ゆっくりだ。京都駅地下街ポルタ広場の天窓である。ポルタの職員が窓の開閉テストをしている。偶然、通りがかって、目も口も開けて見た。開き切るまでの時間、職員が計っていて、30秒だった。

ポルタが出来て今年で30年だ。中央広場で、今、開業当時の懐かしの写真展を開催している。昭和55年(1980年)11月、京都新聞提供のシロクロ写真だ。その中の一枚、天窓が開いた当時の写真がある。地下街は人、人、人…大変な賑わいぶり。開いた窓、京都タワーが見えている。時を経て、ズ、ズ、ズ…今、開いている同じ場所だ。

ポルタにはよく行くが、天窓が開いていたとはない。どんな時に開閉するのだろう。写真展に関わっている知人から電話があったので、質問事項を挙げ、ポルタに聞いてもらった。一日置いて、FAXで回答が届いた。「開閉は気候の良い時で、冬場や虫が入る夏場は開けない。去年30年経って、モーターを取り替えた。今回はリニュアルオープンで開けたが久しぶりで、何時以来か不明」と。窓の開閉、京都タワーだけが知っている。???

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2009年3月26日 (木)

由一の豆腐

002 005 手元に一枚のポストカードがある。日本洋画の先駆者、高橋由一の「豆腐」だ。この間、讃岐の金刀比羅宮にある高橋由一館へ行ったおり、作品集と一緒に買った。今から130年以上前、明治10年に描いた作品だ。たかが豆腐、されど豆腐-見事な豆腐だ。

 文政11年生まれの高橋は、幼名が猪之助、維新後に由一と名乗り、今も「ゆいち、ゆいち」と言われる。荒縄にぶら下がった半身の鮭、教科書で何度みただろう。今も鮮明に思い出す。由一の常設館が金刀比羅さんにあると知って、あの鮭を見たくて500円で入館した。江ノ島、二見ケ浦の風景画、鯛、豆腐の静物画…展示は29点だった。

 監視員一人、鑑賞者一人…、靴音クツクツと会場を2度回った。見たい鮭がない。作品集にも載っていない。避けたのか?ーと思ったが、鮭は東京藝大美術館の所蔵で、最初からなかった。それでというわけではないが、豆腐をしっかり見た。油揚げ2枚、焼き豆腐2丁、豆腐1丁…、古そうなまな板の上だ。豆腐の水が板をぬらしている。川端康成が絶賛した描写力、なるほど凄い。鮭はなくても豆腐があり、とうふから来た甲斐があった。?

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2009年3月25日 (水)

万葉チーズの蘇を食す

085 088 初めての蘇(そ)、そうか?と、味わった。蘇のそれは万葉時代の、今でいうチーズだという。クラッカーより小さく、薄紅色をしている。お皿に短冊状に綺麗に盛り付けしてあり、そうろと一つ抜き出した。口の中、舌の上…、万葉の味、とろけて消えた。

 よみがえる大津京~万葉料理と万葉歌の宴~へ、行った。大津市歴博と併設の大津市民文化会館、会費5000円だ。雅楽とフルートの舞台が終わり、会場を模様替えして、万葉の料理が出てきた。鱒の塩焼き、鹿肉と根菜、赤米のおにぎり、にしんの麹漬け、鮒寿司…30種以上の豪華版だ。天網恢恢、疎にして漏らさず?で、まず蘇を選んだ。

 蘇は牛乳をじっくり煮詰めてあるという。万葉の時代、渡来人が持っていた製法で、シルクロードを渡ってきた。文武天皇の時、作られたという記録がある。今も奈良県橿原市の生乳加工業者が作っている。会場の皆さん、これがその蘇うかと、洒落れて、賞味している。チーズのような匂いはなく、乳っぽい味だ。当時は天皇、貴族しか口に入らなかった珍味中の珍味だ。そう聞いて、もう一度、洒落たくなった。そうか、そうかと。

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2009年3月24日 (火)

小泉広明さんのピエロシリーズ

026 032  白い仮面に黄色い帽子、ジャンバーの腕から手は出ていない。関西二紀会所属の画家小泉広明さん(46)の作品で、ピエロシリーズの主役だ。帽子から紐がぶら下がっていて、仮面の目は音符みたいだ。このピエロ、無言でいて、強烈に何かを訴えている。

 この間、小泉さんの個展へ行った。大津市中央1丁目のギャラリー古今だ。古本屋さんの2階上がって、ドアを押すと部屋の真ん中に小泉さんが座っていた。「見せて下さい」と声かけて、時計と反対回りに見た。ピエロは3年前からだそうで、滋賀県展芸術文化祭賞「ミチクサ」と関西二紀会賞「ゴメンチャイ」は中央に展示してあった。

 ひととおり見て、小泉さんに聞いた。主張のある絵ですね?何時から描いていますか?絵で食べられますか?…、聞き過ぎかなと思ったが、聞いた。小泉さん答えは明快だった。ミチクサはNYの9・11事件、ゴメンチャイはアポロ計画を描いた。表情のないピエロで、米国の嘘みたいなものを…という。絵は膳所高時代に大津市展に入選してからずっとで、今は絵画教室など食べていると。写真、小泉さんの表情を隠して後ろから撮った。

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2009年3月23日 (月)

文人パネル展で「一休諧謔図」知る

019 018  一休さん、いくらトンチに秀でている―とはいえである。京都・山科の蓮如さんのお寺へ行って、留守だったので仏壇から阿弥陀さんを下して、枕にして鼾をかいて寝てしまったという。一休さん、仏に仕える身である。これはチト度が過ぎると思ったが…である。

 戻って来た蓮如さんも蓮如さんだった。寝ている一休さんを揺り起こして、一休さん、一休さん!それは、わしの米櫃、倒したら困りますがな―と、阿弥陀さんを米櫃に例えて、少しも騒がず、怒らずで、それどころか、ハハハハと二人で大笑いしたという。この逸話、真偽のほどは?だが、物事の大事さを問う、おおらかないい話では…ある。

この逸話を画にしたのは、文人画大家・富岡鉄斎である。画の題は「一休諧謔(かいぎゃく)図」で、滋賀県高月町の財団布施美術館の所蔵という。京都東山花灯路で文人回廊という京都ゆかりの文人10人のパネル展があって、鉄斎コーナーで、この逸話を知った。生涯年齢88歳、1万点余を描いた鉄斎のことは、まあ知っていたが、一休諧謔図の諧謔がユーモアで、布施美術館が滋賀県所在とは知らなかった。我が無知にモシモシ!ムチムチ…だ。

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2009年3月22日 (日)

円山公園の街角パフォーマンス

037 065  ちょっとのつもりが、ついつい見た。若そうな兄ちゃんの街角パフォーマンスだ。ボール、コマ、輪、棒…次々に持ち出し、投げて、回して、キャッチして…多彩な技を何度も何度も見せる。あまりの難度技に自然と集まった観客は、何度も拍手する。

開花宣言の出た京都の円山公園、瓢箪池の前だ。長い髪を後ろで束ね、黒い半そでシャツと黒いズボンだ。口元でこもりがちなワイヤレスマイク、ザアザアと聞こえる。観客の禁句は三つあると聞こえた。リンクのマジックは「見えた」「わかった」「知っている」と声がかかると、傷つくと。ハイ、ここで拍手、もっと拍手―と言うわりには、わりにデリケートだ。

地面にロープをひいた平面の即席会場だ。観客は次第に増え5、60人はいる。ボールをお手玉のように投げ、背中で掴み、5つ投げて掴み…曲芸だ。コマを空中7、8㍍高く投げ、紐でキャッチ失敗すると「難しい技だということです」と。なるほど、説得力がある。仕上げはファイヤーショー。揺れる円筒台に乗り、火の棒をキャッチした。米国の街頭ショー2位の技という。拍手多く、もう一度かと思ったら一度。やはり難度―。???

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2009年3月21日 (土)

応挙の虎、パリから帰る

005 065  どれこもれも、虎だ。阪神の虎ではない。円山応挙が描いた虎だ。ガラス越し、薄暗い部屋の中、光の反射を避け、頭をつけるように見た。讃岐の金刀比羅宮・表書院にある応挙の障壁画だ。水を呑む虎、寝そべる虎、1匹、2匹、3匹…、虎づくしだ。

 本宮へ参拝して帰りだ。「応挙帰る」の虎入りポスターが境内の随所に貼ってある。フランスはパリの国立美術館ギメから帰って来たという。日仏文化交流150周年記念で、去年10月から1カ月半も行って、大好評を博して戻って来たという。東京皮切りの国内巡回展含めて30万人の観客があり、今はパリ凱旋帰国展と銘打ち、4月末まで帰る展だ。

表書院、靴脱いで上がった。パリでの展覧会の大きな写真が出ている。やはり虎、虎、虎だ。猫みたいだけど虎だ。応挙が天命7年(1787年)55歳の時、虎を見ずして描いたイメージ虎だ。拝観代500円と引き換えにもらった案内チラシに襖絵の虎の顔8匹がアップしてある。一番上の2匹は、向かいあって水を呑む親子だ。看板ポスターの虎は親の方だ。正面を見据える虎、横を向く虎…、どの虎も、にゃんとら言えない。???

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2009年3月20日 (金)

魔季詩メニューは筒抜け

006 003 鉄火丼、お造り定食…、模造紙に魔季詩メニューと出ている。どういう意味と聞くと、魔季詩(まきし)は屋号で、漢字一字一字に意味があるという。大津市の菱屋町商店街で、2年半前から店を出している魚屋さんだ。昼は食堂、夜は居酒屋を兼ねている。

 河豚、ぶり、ハマチ…トロ箱が無造作に置いている。隣が食堂で、テーブル一つとカウンターだ。威勢のいいお姉さんが魚も売り、包丁も持って、料理もつくる。魔季詩の意味は大将が知っているけど…私は知らないとあっけらかんと話す。昼食にもう三度行った。最初は海鮮丼、二度目はお造り定食、この間はサーモンイクラ丼だ。味は◎が三つだ。

店内は風通しが良いというのか、何を喋っても筒抜け。6人掛けのテーブルは相席が多い。この間は夫婦連れ、その前は年配のおじさんが一人、刺身とお酒だ。会話みんなで聞いている。カニは金沢で仕入れ、魚は名古屋へ行く。交通費払っても安い。京都の山科西野、東山・古川町商店街でやっていて、ここへ来たと。夜の宴会、予算次第でOKよ―とも。みなさん、聞くだけ聞いて、食べている。海鮮市場・魔季詩さん、摩訶不思議!。??

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2009年3月19日 (木)

プロペラで金刀比羅フネフネ

034 037 神社奉納にも色々あるもんだ。幸福の黄色バージョン、讃岐の金刀比羅さんに巨大なプロペラがある。長い階段、だんだんと上がり629段の旭社前の広場に、耳の大きなアフリカ象と並んでいる。象にもゾオッだが、外国人がそれ以上に、オーノーと驚く。???

 プロペラ奉納は、愛媛に本社がある今治造船だ。明治34年創業で、これまでに新造船1500隻の実績を持つビッグな船会社だ。総本宮の785段まであと少しのところで、このプロペラ・スクリューに出会った。いやまあ、でかい。立て札説明によると、直径6㍍、重量19・2㌧で、50台の自動車を運搬する船の真鍮製プロペラだという。

 ハアハア上がって来た参拝者の一服ところだ。野球帽、ジーパン参拝のご主人、奥さんに写真撮ってもらっている=写真左=。奥さんが奉と納の真ん中に立ってーと言う。元自衛隊風のご主人、ポケットに両手を突っ込み、カッコいい。こちらは一人、プロペラ乗せた大理石の回りをクルクル回った。今治造船、創業家の桧垣家一族だろう。正司、文昌、俊幸、孝則、栄治の名前が刻まれている。今治造船、先祖代々の金刀比羅フネフネ!。

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2009年3月18日 (水)

彦根仏壇、大津進出の実演

076 090  彦根仏壇の永楽屋さんが大津に出てきた。京阪の浜大津駅から徒歩5分、菱屋町商店街の中だ。今年1月からの出店で、仏具づくりの工程を期間限定で実演している―と聞いて、この間、行ってみた。胸の名札の元待久雄さん、仏のように優しく、丁寧な説明だ。

 何を聞いても100㌫回答だ。知らないはない。創業は文政3年で、今年で189年になり、商いは戦時の武具から平和産業の仏具に変わった。工部七職といって、木地、彫刻、蒔絵、金箔押しなど、職人ひとりひとりの技で、元待さんはウルシ塗り一筋でもう40年という。実演は女性職人の金箔押し。貼るのでなく、押し込むから金箔押しと。オシオシと見る。

 工部七職の20分ビデオが流れている。工程を見ていると、元待さんの塗り場面が出ている。ウルシかぶれは?と聞くと、今は全くないと、女性の髪の毛で作ってある刷毛と両手を見せてくれた。塗り一筋、大きな優しそうな手だ。女性の大津店長が出てきて、この人は刷毛バカだという。失礼な?と思ったが、元待さんはニコニコしている。バカはバカでも一筋の道の意味あるバカらしい。店の奥、展示の仏壇、伝統の技でワザワザと輝く。???

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2009年3月17日 (火)

金刀比羅さんは黄色バージョン

048 051 讃岐の金刀比羅さん、こんなに黄色かったのか。JR琴平駅降りて、一気に785段上がった。参道にある神社の看板、どれもこれも黄色だ。誰が賛同したのだろう。どうやら金刀比羅さんの統一バージョンのようだ。上がりきれば、幸せの黄色いハンカチ?と上った。

 先々に石鳥居があり、黄色の看板が下がっている。「しあわせさん こんぴらさん」と書いてある。古い鳥居と黄色の看板、奇異な感じだが、饅頭屋さんも讃岐うどん屋さんも店の内外、同じポスター貼っている。山田洋次監督、高倉健と倍賞千恵子出演の、あの映画からか?と思って、土産物屋さんで聞くと、何年か前の遷宮祭からだという。

翌日の志度CCラウンド考え、ゆっくり上がった。200段、300段、500段…NHKの朝ドラ、だんだんは島根弁のありがとう―だが、こちらは足も心臓もきつくなる段々だ。頂上の総本宮社務所は、ハンカチ代販で、幸福の黄色いお守りを売る。ここでだけと限定販売なので、売れて売れて…だ。何で黄色?、神社の説明によると、恵みと愛、稔りと豊穣、力強さ…の色だからという。黄のお守り、いつ効くかな。

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2009年3月16日 (月)

創作落語「めだま」の絵

057 064 源兵衛さん、何という顔をしているのか。糸に吊るしてある梅干を眺めてご飯を食べている。お膳におかずはない。唾液を出しながら食欲を誘っているようだ。長い鼻に大きな口だ。目は寄り目でギョロ目だ。お膳の前、算盤に大判小判、ザクザク…。

大津市在住の日本画家、鈴木靖将さん(6?)の絵だ。映画監督山田洋次さんの創作落語「めだま」の主人公、近江屋源兵衛を描いている。べっこう問屋でのケチケチぶり、死へ旅立ち、名医玄庵の登場、目玉繰り抜き手術、オランダの妙薬、壷の中の目玉…、絵は落語ストーリーの25枚だ。1枚、1枚…、どれを見てもハハハ、ハハハ…だ。

県庁前の滋賀会館で開催の、笑って元気に~の「わらげん寄席」のおり、寄席の事務局長でもある鈴木さんから原画コピーを頂戴した。近く本になって、東京・銀座で出版披露があり、多分、山田監督も出席するという。落語はどう落ちるかだが、壷の中で生きる源兵衛さん目玉が6千両もする妙薬代の勘定書きを見て、壷から飛び出る。それが落ちだが、落ちてからどうなったかーと思うと、心配でオチオチ眠れない。???落ちついたかな。

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2009年3月15日 (日)

老舗「をハリや」の衣笠丼

Img_5003 Img_4995  文庫本をパラパラ捲っていたら衣笠丼の事が出ていた。京都人が書いた「京都」の本(PHP文庫)だ。ずっと昔、衣笠山近くの中学に通っていて、甘辛く炊いた刻み揚げと葱を玉子でとじた衣笠丼を食堂で良く食べた。庶民の丼で、読んで懐かしさが甦った。

 今でも京都なら何処でも、ということはない。寛正6年(1465年)創業の本家尾張屋ならと、中京区車屋町通り二条下ルの本店まで行った。日曜の昼、相変らず混んでいて、名前を名乗って一人待った。店の庭、樹齢200年か300年、大きな泰山木だ。暖簾に御用蕎麦司、提灯屋号は「をハリや」だ。「おわりや」では終わり、なのだろう。???

 声が掛かって、すれ違いの出来ない階段あがり、右のテーブル席へ。御志ながきに衣笠丼788円と出ている。さすがに老舗、予想どおりだ。かけ蕎麦と一緒に本どおりの衣笠丼が来た。何で衣笠丼?とかねて用意の質問をする。女子店員さん、いやっ、それっ、この間TVでやっていたけど!?…と。代わりに帳場の店員さんが上がって来て、衣笠山が絹の衣を被せたような山でして、それに肖って…と。これ、山はらず正解のような。

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2009年3月14日 (土)

俳人17人、国道沿いの墓地に眠る

Img_4891 Img_4882  芭蕉の門弟たち、この環境ならどう詠むだろう。大津市の竜が丘墓地に17人の俳人が眠っている。前は国道1号、琵琶湖側はJRと京阪電車だ。大津市は昭和40年に蕉門の俳人がこれだけ一堂に…と墓地を指定文化財にした。隣のラーメン来来亭はその後だ。

 大津市民病院へお見舞いに行っての帰りだ。JR膳所駅へ、ボチボチ、いやトボトボ、いやトコトコと歩いて、墓地を見つけた。やはりボチボチ歩行のおかげだ。史積の碑があり、石段を5、6段上がって、墓地を見た。大津市教委の立て札に「~小さな自然石の墓がまるで句座でも開くように~」と書いてあり、17個の墓石が半円形に並んでいた。

 墓石は丸いのや、台付きのや、角ばったのや…そこはかとなく、隣り合っている。表現、違ったかな。真ん中の墓石は丈草、その右は正英だ。この2人、優れた高弟10人を指す蕉門の十哲に入っていて、墓地の句座をリードしているようだ。立て札によると、もともと芭蕉の眠る義仲寺の寺領で、雑木林の広がる静かな地だったが、今は騒音で昔の面影はすっかり消えたと。そこで季語のない一句。「句座開き 隣りの一句 聞こえぬ句」?

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2009年3月13日 (金)

椿昇の現代美術、何だろう?

Img_4896 Img_4941  どう言うのかなあ…、ワアッ!とでも言うのかなあ。京都国立近代美術館で開催中の「椿昇のゴールド、ホワイト、ブラック」展だ。椿さん(56)は、京都市生まれで…、京都造形芸術大教授で…、時代劇の椿三十郎みたいな風貌の?世界的な現代美術家だ。

 京近美入口の自動ドアが開いたらもう作品だ。白い巨大な風船が1階のエントランス一杯に展示してある。風船はドド~ンとミサイルを撃ち込むICBM(大陸間弾道弾)だ。目の前、噴射孔か、ボコボコの穴がついている。兎にも角にも大きい。端から端へ30㍍以上はある。日の丸マーク入りで、どうやら国産ICBM工場見立てているらしい。

何時もは受付が階段上がって3階なので、写真撮りながら行くと、今回は1階からEVで直接3階へーという。そこからが正規の展示入り口だ。鉱山労働者の何枚もの巨大写真、ヘブライ文字、牛の生贄ビデオ…、眼はクラクラ、頭は何じゃモンジャ…。監視の女性にわかる?と声かけたら、首を振る。同じで安心した。京都新聞7日付け美術欄に椿さんの記事とポーズ写真。「皆が何だろうと思う作品にしたい~」と。掛け値なし、何だろう。

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2009年3月12日 (木)

六角堂の人を噛む白鳥

Img_4974 Img_4989 ホントに噛みつくのだろうか。池の竹垣に掲示板があって「かみつきますので、近づかないように~」と出ている。池の中は鯉と白鳥だ。でっかい鯉がたくさんいて、時折バシャとはね上がるが、噛み付くのは、どうやら白鳥らしい。体長1㍍、大きな白鳥だ。

 京都の烏丸通り六角西入ル、六角堂の白鳥だ。六角堂は華道・池坊発祥の地で、正式な寺名は頂法寺である。ビルに囲まれた都心の一角、西国三十三ヶ所十八番札所でふだんからお参りが多い。久々に行って、本堂で拝んで、裏側に回り、聖徳太子沐浴と説明のある池で、白鳥に出会った。春の到来を思わす陽気、池の前で、人を噛む白鳥を観察した。

 プールみたいな池だ。横15㍍、縦10㍍の大きさである。池の中、5羽のうち3羽の白鳥が写真のとおり一緒に行動している。首を伸ばして、ヒソヒソ話でもするように寄り添っている。噛む相談?まさかと思って見ていると、毛づくろいを始め、終わると、長い首を羽に埋めて、昼寝でもするように…じっとしている。噛んだこと言わず語らずだ。何時何処で噛む噛むエブリデーだったのか、寝ずにはくちょうして欲しかった。???

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2009年3月11日 (水)

ちゃんぽんの大きな鉢

Img_4845 Img_4849  「重いですよ」と、ちゃんと出てきた。長崎ちゃんぽんだ。表の看板イラスト通り、髭ズラで眼鏡をかけたご主人だ。少し高いカウンター台から両手でちゃんと下ろした。主人の言うとおり、重かったが、それ以上に鉢の大きさに驚いた。顔が丸ごと入りそうである。

 JR石山駅から徒歩2分のラーメン藤だ。最初は飛び込みで入り、二度目のこの間は何でラーメン屋でちゃんぽんいか、どうしてそんなに大きな鉢か?とインタヴュー兼ねて行った。雨の昼時、客が少なく、一人になったおり聞いた。開店から20年のチェーン店だが、ちゃんぽんと皿うどんは、オリジナルだという。理由?奥さんが長崎出身かららしい。

 鉢は直径にして30㌢か?と尋ねたら、そんなには―と言うが、割り箸を横にして測っても足りない。薄味の汁、レンゲですすったが、を傾けたとすると、顔と鉢合わせは間違いない。鉢は信楽焼き?とまた聞くと、何処で買ったかなと、主人はっちりしない。具も汁も鉢が大きく真ん中より下だ。白菜、筍、人参、もやし、木耳、ピーマン、豚肉、小海老、もう終わりかと思ったら底からホタテも出てきて、二度目も美味かった。

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2009年3月10日 (火)

平安神宮の沢飛びの臥龍橋

Img_4916 Img_4931  そろり、そろり、ゆっくり渡った。平安神宮庭園、中神苑の臥龍池だ。右から左へ、池の中の、丸く小さな石は14個、最初と最後の長い石を含むと20個ある。秀吉が天正17年に造った三条、五条大橋の脚柱を利用している。7代目小川治兵衛の作庭だ。

臥龍-、我流のがりゅうではない。龍が伏す姿を象った、沢飛びの「臥龍橋」(がりゅうきょう)だ。長さにして20㍍くらいだろうか。近くの京都近美で難解な現代美術を鑑賞した帰りに寄った。白梅が咲く西神苑を歩き、大極殿の裏側を回って中神苑へ。平安神宮創建時の明治28年に西神苑とともに完成、初夏には杜若、睡蓮が情趣深く咲く。

池の石橋、渡っていけないとは書いてない。昔は脚柱石だった白川石、大きさは直径70㌢くらいだ。1個、2個…と数えて、渡りきった。東屋の茶店でコーヒーを飲み、まさかとは思ったが、転落する人は?と聞いた。それが、あるという。落ちても膝までだが、ヌルっとして汚れが大変で、夏場に外人さんが多いとか。驚いて聞いていたら外人さんの団体客が渡り出した。コーヒーそこそこに茶店出てデジカメ構えた。大丈夫だった。?

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2009年3月 9日 (月)

京都御苑の黒木の梅

Img_5052 Img_5054  何ともまあ、ピンクピンクしていることか。樹は7、8㍍、見事なまでに均整がとれている。上にも下にも、左にも右にも、枝の先々まで梅、梅、梅…だ。遠くからみると、木が丸ごとピンクだ。これほどの1本梅、かつて見たことがない。遅咲き梅、今まさに満開だ。

 京都御苑内にあり、黒木の梅という。時代祭りが行く建礼門前大通り、旧九条邸池の前の芝地の中だ。何百本とある御苑の梅林から離れて、こんな見事な1本、ここに植わっているとは知らなかった。8日の昼下がり、丸太町通りの間ノ町口から入って見つけた。距離にして右前方200㍍余り、ピンク梅が真っ先に眼に飛び込んできた。

 遠くから見て良し、近づいて良しである。幹の中、少し空洞が出来ている。かなりの老樹だろうに、咲きようは恐ろしいほどだ。どうして黒木の梅と言うのか、由来含めて、御苑管理事務所へ行った。(財)国民公園協会の腕章つけた女性が「黒木の梅は表皮が黒いからです」と即答する。由来は御苑ニュース春号を持ち出し「元は旧九条邸にあり、移植で枯死して、現在は接木による2代目」と。梅見て良し、聞いて良しだった。

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2009年3月 8日 (日)

雨の日のカラス

Img_4827 Img_4774 強い雨の朝、今日はどうかナ?と思っていたら来た。獰猛なハシブトか、温和なハシボソか―、兎も角、カラスだ。毎朝、滋賀会館3階の窓側にある街灯にとまり来る。激しく降った6日も来て、傘もささずに濡れていた。雨の日も…で精勤だ。

羽根休めか、餌探しか、それとも、高見から世の中見下しか。カラスの勝手だろうが、今日も来た、来た!で、ガラス越しに見る。机とは5、6㍍の距離で、向こうからも見えるはずだが、2年余り目を合わしたことはない。カラスの街灯滞在はそう長くはない。せいぜい5、6分だ。首を上げ下げ、街灯の上を動くだけだ。

この間から机を離れて、よくデジカメを向ける。雨の日もそうだった。抜き足差し足で窓際へ。県庁西側の朝日新聞大津総局を入れたアングルだ。足が3本なら八咫(やた)ガラスだ。神武天皇東征の神話、日本サッカー協会のシンボル…。先日の昇任祝いは京料理店の祇おん「八咫」だった。もしも、このカラスが3本足なら、ニュース、ニュースで「ヤッタア」だ。そう思って足元アップの瞬間、カラスはアホウと、雨の中へ消えた。?

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2009年3月 7日 (土)

江戸のお雛さん拝見

Img_4800_2 Img_4801_2 部屋から部屋へ、雛また雛だ。5日夕、大津市の旧東海道沿いの旧家で、代々伝わる雛人形を拝見した。表の間、奥の間、離れの間…、奥へ奥へーズズ~イと行って、昭和の雛、明治の雛、江戸の雛を見た。そうは経験できない綱渡り、いや、雛渡りだ。

 大津市中央3丁目、堀井幸男さん宅である。県庁前の滋賀会館文化サロンに「お雛様と一緒に春の足音を感じませんか」と案内の葉書きがあった。琵琶湖側へ歩いて2分、大津市議の堀井さん、玄関を掃除中だ。「見せて下さい」とお願いすると、を置いて、ハキハキ「どうぞどうぞ」と言う。奥の奥、改築した離れで、江戸時代のお雛さんに会った。

 右に内裏様、左に姫様だ。目は細く、のっぺりとしている。これ、7年前に部屋の改装で、見つかったんです―と。お雛さんの顔形から、どうも江戸中期の享保雛の可能性が強いらしい。300年以上前、先祖代々だ。堀井さん「お顔をよく見て下さい。明治、昭和のお雛さんと違います」と言う。それで、言われるままに「ちこう、ちこう」にじり寄って、恐れ多くも、下からお顔を覗き込んだ。さすがに殿は殿、姫は姫だった。???

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2009年3月 6日 (金)

荒木さんのモダン人形

Img_4731 Img_4732 大きな目だ。鼻は小さい。右手は顎に乗せ、ホッペを突いている。ブルーのファッション帽、水晶のイヤリング。長~い首の首輪、細~い腕の腕輪、色は同じブルー色だ。3Dアーティスト荒木啓子さん制作のモダンドールだ。人形の名は「ベルフラワー2」という。

JR京都駅地下のポルタ広場を歩いて、見つけた。荒木さんの作品展で、「Keiko Dolls」と紹介してある。どこか、オリエンタルぽい人形が一つ一つ名前付きでケース入りで展示してある。西側のコーヒーのスタバに向けて撮った「ベルフラワー2」もその一つだ。スタバの女神入りマークが反射して写っていて、今の今を感じさすドールだ。

荒木さんは28年前に京都芸術短大を卒業、キャラクター制作会社に9年在籍して独立、国内で個展を開催するなどフリーで活躍している。粘土と合成樹脂で型を作り、和紙、綿、ガラスビーズなどで創っている。あでやかさ、しとやかなさは「現代の観音像」と評されているらしい。ケース入りのドール、どれどれと見て回った。名前は馴染みのモンブラン、バニラ、ジャスミン、…それにミントも。どのドールもよくよくミントだ。???

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2009年3月 5日 (木)

男前セットと別嬪セット

Img_4499 Img_4511 男前セットに別嬪セットだ―という。どこが男前で、どんな別嬪なのか、目を擦って黒板のメニューをもう一度、見た。色チョークを使って、言い訳なのか、なんやかんや書き込んである。男前も別嬪もハートマーク入りで、人気NO1のおすすめセットだそうだ。

 お店は「まめ お豆腐きっちん くっしゃん」だ。京阪電鉄が経営する大津港すぐ隣のアーカスの中にある。浜大津駅から高架歩道で行ける。オープンスペースで店内が見渡せる。つい、足元がふらついて、入ってしまった。女性店員は着物のユニホームだ。カウンターの注文、少し気恥ずかしかったが、男前!?と言った。先払いで750円だ。

 何で男前?と聞くと、食べて元気になるから…と。男前の3点セットで出てきた。近江米炊きたてご飯の牛丼、ダブルスープの塩ラーメン、天かす入りのきつねうどん―だ。カロリーオーバーが気になったが、黒板書きの表示どおり、どれもこれもミニで、器の底は浅い。翌日昼、今度はどんな別嬪?と点検した。カレーライスと讃岐うどんにワンドリンクで、680円だ。別嬪向きのダイエット仕様か、やはり器の底をそこそこだった。???

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2009年3月 4日 (水)

瀬田唐橋でマラソン観戦

Img_4678 Img_4679 瀬田の唐橋東詰めで、ランナーを待った。カネボウ、コニカ、旭化成…カラフルな応援旗が川沿いに並ぶ。京阪石坂線の唐橋前駅で降り、橋を渡ってきた応援団だ。1日の第64回びわ湖毎日マラソンである。往路、南郷洗堰から瀬田川北上の17㌔地点だ。

 携帯ワンセグ、先頭はまだ集団だ。そろそろかなーと見ていたら、近所のおばさんが「もう来るねえ」と話しかけてきた。毎年、TVを見ていて、近づくと沿道へ出て、10年来の観戦だという。今年は新聞社の応援小旗がない、対岸にマンションが林立して山並みが見えなくなった…など、観戦風景を解説してくれる。普段着、農家のおばさんらしい。

白バイ、TV中継車が来て、トップ集団が来た。20人以上の塊りだ。「あれが、双子の清水選手の兄や」「ペースメーカーがいなくなってからが勝負ねえ」とおばさん。マラソン、熟知している。聞きながら写真2枚、撮った。左の写真、先頭はゼッケン50番台のペースメーカー3人だ。右はゴールでゼッケンどおりの順位になった1番1位テルガド、2番2位リオスが写っている。日本人1位の清水兄36番も、マンションも…だ。おばさん、写真褒めてくれるかな。

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2009年3月 3日 (火)

蝶ネクタイの結び方を学ぶ

Img_4565 Img_4572  蝶ネクタイの結び方、ミニ講習に出た。講師は創業300年余の「増田徳兵衛商店」第14代蔵元の増田泉彦さん(55)だ。口髭がトレードマークで、縦縞ストライプのワイシャツに格子縞の蝶ネクタイが良く似合う。これぞお手本、バタフライ結びだ。

 増田商店といえば、月の桂のにごり酒。最初に白酒グイグイとやった生徒さん、やや赤顔の受講だ。生徒さん(6?)の一人は、蝶ネクタイ持参である。今ごろは金具か、テープ付き蝶ネクタイはあっても、結ぶボウタイは1年にお客さんが1人有る無しで、どこも売っていず、蝶ちょ、蝶ちょと、追いかけ求め、京都伊勢丹でやっと見つけたという。

「父は何処へ行くのも蝶ネクタイでして、母から吉本みたいって、言われてまして」と、増田さんの講習が始まった。蝶ネクタイは親子2代の伝統のようだ。結びは左を長く、左を上に―という。普通のネクタイとは逆で、帯どめと同じだそうだ。生徒さん、白酒のにごりで、手元もふらりふらりで、ああやこうやで、それぞれの首に蝶に蛾?に蝉?がとまった。会場に鏡がなく「自分がわからない」と生徒さん。いや、わからない方が…。??

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2009年3月 2日 (月)

卒業制作の明るい花輪

Img_4659 Img_4654  大きな花輪だ。開店祝い?そうでもなさそうだ。花輪の真ん中が、「笑」になっている。なかよし、親子、ラブラブ、京都…、言葉の断片が総天然色で差し込まれている。贈り主へのメッセージを読むと、どうやら一緒に就職活動する友達への連帯のようだ。

 京都造形芸術大卒業制作展の一つだ。花輪は直径1㍍、メッセージ幕を含むと高さは2㍍以上ある。空間演出デザイン学科、古畑幸恵さんの制作した作品だ。赤い縁取りメッセージにはこう書いてある。「同じくらいキビチイ状況 就活いっちょにがんばろぉ なかがわ様 」と。左端に小さく「なんとかなるよ」とも。☆付き、赤文字(笑)付きだ。

 花輪の左側、古畑幸恵さんがワードで作品解説している。「~不景気 リストラ…暗い時代と言われるけれど 世の中にはこのような明るい花がある だから大丈夫 きっとこんな暗い時代も なんとか乗り越えられる(笑)」と。友を励まし、自らを励まし…、世の暗さも明るくとらえ…だ。何と、けな気な作品だろう。日常への接触をテーマにした京都造形芸術大卒業制作展、京都市美で通りがかりに見た。古畑さん、なかがわ様、頑張れっ!

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2009年3月 1日 (日)

鉄道忘れ物市拝見

Img_4525 Img_4529  JR山科駅前の大丸で、鉄道忘れもの掘り出し市をやっていた。忘却とは忘れ去ることなり…ではあるが、人は何を忘れるのか、我が事さておいて、ぶらり見に入った。傘に本に眼鏡…これは想定内だ。ギター、ゴルフバッグ、財布、時計…どうして?と思う。

 会場は4階の特設コーナー、本屋さんの北隣だ。入口に白黒の鉄道マーク入りの幟が立って、列島縦断の冠が付いている。店員さん聞くと、全国を巡回していて、山科大丸では3年ぶり開催という。そう言えば、随分昔に名古屋駅前の松坂屋1階でやっていたのを思い出した。今回は金融の質流れ品含め3千点揃え、初日にかなり裁けたという。

 話を聞いて会場ぐるっと回った。午後7時半ごろ、閉店間際の会場はガランとしていた。忘れ本、単行本で100円均一だ。傘、カサカサある。あれだけお忘れないように―と車内マイクしているのに、だ。我が傘?ないかなあ。値札は10円、50円、100円…。この間、JRで米原へ行ったおり、車内に判子入りの紙袋を忘れた。確定申告押印用に買った新品だ。~忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ~。嗚呼、君の名は…。???

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