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2009年2月

2009年2月28日 (土)

埋文センターの、まいぞおおきニッ

Img_4536 Img_4400 洒落て、洒落て…、どこまでも、である。滋賀県埋蔵文化センターのリーフレットだ。埋蔵を「まいぞ」と詰まらせ、大喜笑を「おおきニッ」と読ます。笑はニッコリの「ニッ」という。それで、埋蔵大喜笑を「まいぞ おおきニッ!」と。字解を理解して、笑!だ。

 発行元の滋賀県教委によると、「まいぞ おおきニッ!」は発掘調査で出土した土器、石器を貸し出す事業の愛称だそうだ。リーフレットはA4版4頁のカラー刷り。隋所に写真とマンガ入り。見開き面は「出土品の体感バイキング」「出土品の地場産御膳」と現代ぽく洒落て、裏面は「埋文 出リ場リ」のデリバリで、当て字を起用して、洒落ている。

この貸出事業、21、22の両日あった。米原市・県文産会館の「アートはみんなのもの」に出展していた。教科書に掲載の須恵器、石包丁、古銭…、古代人の装飾品だった勾玉(まがたま)…、少しまがっている。これ洒落のお返し。出張展示、どれも御触りOKで、粟津湖底遺跡で出土の貝殻はお持ち帰り自由という。貝は縄文時代4500年前のシジミだ。出展、さすがに出リ場リが効いている。いや、目リ張リが…だ。???

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2009年2月27日 (金)

炭火工房「KANAZAWA」の焼鳥

Img_4495 Img_4490 ももが出て、心が出た。心って?と聞くと、心臓だという。味、心に沁みる。ねぎまは、葱が間に刺してある。手羽先、バタバタと飛ぶが如くだ。ネック、何がネックなのかと思ったら首だ。きつい?。ずり、つくね…、串の焼鶏、これ何?、それ何?と問うた。

 JR山科駅から南へ徒歩2分、炭火工房「KANAZAWA」である。鯖寿司「京都にしひがし」の主人から、あそこの焼鳥は格別や!と聞いていて、勤め帰りに寄った。カウンターの隅に座った。炭は備長炭だ。店員さん、1本ずつ、丁寧に何度も裏返して、万遍に焼きあげている。パッパッと塩のふりかけも巧みだ。串焼きの技、隅に置けない。?

最初に焼鳥7種を頼んだ。それが、心、もも、ネック…だ。店の名前の「KANAZAWA」は?と聞くと「私の名前が金澤憲輔でして」と若い主人が名刺付きで名乗り出た。板前から独立、開店して7年目という。店内、DVDでジャズ画面が流れる。焼鶏とジャズ?どんな関係と思ったうが、金澤さんの好みのようだ。ロケット(軟骨)三角(皮)むね(胸肉)親鳥(ひねたもも)…、クシ1本1本、シクシク(粛々)と追加した。???

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2009年2月26日 (木)

希望が丘公園のマンサク

Img_4423 Img_4420 春に先駆けて、まず咲くから「マンサク」というらしい。訛っていて、名前としては、まんず、まんずだ。漢字で書くと、「満作」だそうだ。花がたくさん咲くので「豊年満作」の意味という。「万作」と書く場合もあり、これは、田吾作からかな。???

 このマンサクの、満作さん、いま、滋賀県の希望が丘公園で咲いている。公園パークフレンドの会員になると、四季折々の公園情報がメールで届く。今はふきのとうとマンサクの花を配信している。何しろ、甲子園球場の400倍という広大な公園、マンサクが何処に咲いているか、まるで見当つかず、会員担当の職員さんに案内してもらった。

公園東ゲートから歩いて5分余り、スイレン池の道筋だった。あれですーと指差された木は、ひょろっとしている。その枝先に小さい黄色い花が幾つも付いている。一つ2㌢くらいだ。花弁がシワシワにひも状に伸びていて、小さなクラゲみたいだ。職員さんによると、開花時期は1月末からで、葉っぱは枯れて落ちても、花は3月末頃まで咲き続けるという。花言葉は「幸福の再来」。早春の花、まんざ~い。万歳、訛ったかな。???

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2009年2月25日 (水)

おろしそばの「あ」と「つ」

Img_4322 Img_4328  あったかいのも、冷たいのも、盛りつけは一緒だった。京阪浜大津駅から徒歩5分、丸屋町商店街の角、うどん・そば処「津ノ清」のおろしそばである。最近の3日間、昼休みに通い続けて、あったかいのを2回、冷たいのを1回、比較で食べてみた。

 店に入り、あったかいおろしそば!と注文すると、聞いた奥さんが賄いの旦那に向かって、「おろしそば、あ」と言う。略し方もあるものだなあーと思って、待って出てきた「あ」は写真のとおりだ。大根おろしがお餅のようにふんわり。かつお、ねぎ、海苔、椎茸、わかめ、蒲鉾に、この店の特色で胡麻を入れている。見て美、食して味-、美味だ。

 津ノ清さん、レジでお店は何年?と聞くと、ここで30年以上という。店内に古そうな大津絵が掛かっていて、先代の高橋松山さんの作品という。冷たいおろしそばを頼んだのは、3日目だった。「あ」に対して、どう略すかなと、聞き耳立てた。期待どおりというか、予測の範囲というか。略称は何のことはない、冷たいの「つ」だった。出てきた「つ」の盛りつけも「あ」と同じだったが、小雪舞う日の「つ」は冷たかった。ブルブル!。

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2009年2月24日 (火)

カズマサさんのひまわり1500万円

Img_4393 Img_4394  えっと思うほど、ええ絵が並んでいる。版画と合わせて、1000点のバザールである。大丸京都6階、文房具品売り場の北側特設会場だ。小野竹喬、熊谷守一、池田遥邨、福田平八郎…、人気作家の作品だ。どれもこれも本物でござ~るの、バザールという。

 大丸店内、西側のエスカレーターで6階まで上がった。何時も展覧会を開催している大丸ミュージアムをぶち抜いて、会場いっぱいに洋画、日本画が陳列してある。文具店で判子を一つ買って、絵を見に行った。担当の若い男性に「買わないけど一番高い絵はどれ?」と変な聞き方をした。???という顔して「カズマサさんです」と、作品の前へ案内してくれた。

 「カズマサさん」は会場2列目の真ん中にいた。文化勲章受章、絵よし、版画よし、97歳まで生きた中川一政氏のひまわりである。値札は12号で1500万円だ。案内の男性、本当は2000万ですよ、と言って、買わない相手から立ち去った。大きな花瓶から顔を出したひまわり、一輪一輪見ていて飽きない。絵は値段より見る心だ。女性店員に聞くと、この不況、明るい絵がよく売れていると。そうか、絵で心を明るく―、か。

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2009年2月23日 (月)

言葉の出会いコトコト

Img_4344 Img_4349  街を歩いていると、人に出会い、風景に出会い、言葉に出会う。昼間でも10度を超えない寒い日だった。コートの襟を立て、二つの古都をコトコト歩いていて、昼と夜二つの言葉に出会い、佇んで、感じて、写真を撮った。

 一つは昼に冷たいおろし蕎麦を食べての帰りだった。大津市中央1丁目、昔の大津百町名でいう橋本町で、浄土真宗常円寺の伝道掲示板である。写真のとおり「どんな一年になるかと愚案を廻らすよりもどんな私を生きるのかと問い歩む一年でありたい」と味のある筆跡で書いてある。見ていて「愚案」にグア~ンと来て、ハッとした。

 夜はNPO法人会議帰りの京都駅地下東側の構内通路だった。毎月更新を続ける大分の麦焼酎「いいちこ」のB倍ポスター2月版だ。木1本と繁る葉、大きな岩と石積みを正面から写している。キャッチコピーは「歴史が止まった街で。」人の行き通う地下構内で足を止め、歴史停止の街はどこかなあと。iichikoのロゴは小さく、下町のナポレオンの焼酎瓶はさりげなく…だ。目で見る、何気ない言葉の出会い、今日もまた…。

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2009年2月22日 (日)

弘法さんの一番桜

Img_4366 Img_4368  そう、桜です。東寺の弘法さんへ行って見つけました。今頃咲く桜ですから多分、寒桜でしょう。今年の一番桜です。「桜、さくら、サクラ~」です。昼過ぎに出かけました。風が冷たくて、寒かったんですが、この桜の発見で、一気に春気分になりました。

 東寺は当時から東寺です。洒落じゃなくて、1200年前の平安遷都から、南大門、金堂、講堂、食堂と一直線に並んでいて、当時のまんま何だそうです。毎月21日の弘法さん、この市は当時どうだったんでしょうか。JR京都駅から西へ行って南へ下がって、歩いて10分ほどです。休日のウオーキングには、適度な距離で、苦になりません。

植木の露店が並ぶ東門から入りました。骨董屋、ハギレ屋、タコ焼き屋…まあ、縁日とフリーマの合体した市で、あまり多いのでイチイチ見るのは大変です。これは、正味洒落です。桜ですが、境内を西へ西へ行って、もう大宮通りに近い鐘楼のある大日堂あたりでした。幹は細く、高さは3㍍ほどですが、この寒いのに7分咲きです。左の写真、しょうろと?後ろに鐘楼入れて撮りました。しょうろと?見て下さい。すみません。

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2009年2月21日 (土)

山科の風船マスコット「もてなすくん」

Img_4313 Img_4316 赤い風船でなく、パアッ~プルと膨らむの風船だ。JR山科駅前にある山科商店会のマスコットで、ビニールの風船「もてなすくん」である。目はくりくり、口は一本線を大きく引いて、頭はナスのへただ。京野菜の一つ、山科なすに似せてある。

 もてなすくん、朝日新聞京都版の週刊まちぶらに載っていた。山科銀座ともいう商店会、山科大丸の西側にある。通勤の朝、遠回りして見に行った。洋品雑貨屋さん、焼肉屋さん、饅頭屋さん…、紫の風船が軒先にぶら下がり、冬の冷たい風に吹かれて、ぶうらぶらだ。風船は直径50㌢くらい、裏側は「まっせ」の文字。何の意味か?と思う。

夕方、もう少し知りたくて、焼肉「凡楽」へ。琵琶湖汽船で調理をやっていたという店長に聞くと、風船は去年、山科駅前開発10周年で登場して、夜な夜な、盗まれるほど人気が出て、TV放送もあったという。それでも「まっせ」の意味は知らないというので、再調査に北側の居酒屋「はなさき」へ行った。店内へ一歩入り、マスターに聞こうと思ったらカウンターの向こうから「いらっしゃいまっせ」。???

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2009年2月20日 (金)

マクド・ユニホームの背中

Img_4246 Img_4307 いま、マクドの背中が面白い。店員さんの新しいユニホームだ。黒色で、袖口は赤のマクド色、格好いい。面白いのは、背中の文字だ。店員さん一人一人、異なる文字を背負っている。読むとけったい、笑いそうだ。マクドへ入店、後ろ向きの写真、二度撮った。

最初はJR大津駅北側のマクドだ。1杯120円のコーヒーを飲みに入って、変な背中に気づいた。「夢がデカイ 嘘がデカイ 足がデカイ なんだっていい」と書いてある。正面の胸に研修中の名札。バイトなら「なんだっていい」ようだ。コーヒーが出たおり、後ろ姿をお願いする。赤と白の文字がデカイ。バイトさんの足は?、カウンターの中。

もう一回はJR山科駅前のラクト1階のマクドだ。お母さん店員の背中は「腹から日本を元気にするで」…だ。写真撮影の依頼に笑って「後ろだけでいいんですか」と。さすがベテランだ。声はお腹から、日本の母は元気だ。新ユニホームの背中文字、数々あるそうだ。「食べることは生きることや」「全部読むと腹減ってしまうで」「大口顧客求ム」…、今度はどこのマクドで、どんな背中と出会うのだろう。後ろ姿に時々ドキドキだ。

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2009年2月19日 (木)

石塔寺の阿育王山

Img_3866 Img_3876 境内は石また石だ。お寺は石塔寺で、「いしどうじ」と読む。所在は今は東近江市で、合併前は蒲生町だった。湖東地区である。東近江市役所へ行った帰り、一緒だったKさん(6?)に「ここまで来たら」と誘われて、カーナビ案内で行って、10分余りで着いた。

 雨の平日、まるで人気はない。聖徳太子の創建と言われ、天台宗で「阿育王山」の門札があり「あしょか」という。インドのアショカ王に由来するらしい。ああしょうか?と400円の拝観料払い、190段余の階段を上がった。一段また一段、立ち止まって息を継ぐと、かたわらに○△□の石、五輪塔だ。風雪で顔が朽ちた石仏も累々とある。

 ハアハアと石段、上りきった。広場の真ん中、奇妙な塔が建つ。見慣れない石の三重の塔だ。高さ7㍍以上、周りは五輪塔と石仏、無数だ。昔は国宝、今は重文という。7世紀ごろ、朝鮮半島から来た渡来人が、故郷に熱い思いを寄せて造ったのでは、と云われている。司馬遼太郎は「あの風景のあやしさ、生涯わすれることができない」と文春の歴史紀行で書いている。聖徳太子、天台宗、渡来人、阿育王…、知れば知るほど、ああしょうか

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2009年2月18日 (水)

甦った琵琶湖の夕陽

Img_3840 Img_3838 乳白色にもやっていたせいか。赤い夕陽が滲んで見える。一日の終わり、山の端に沈みかけた太陽が湖面を照らし、光りが帯のように伸びている。琵琶湖の冬の夕景、目にしみ込む。写真はあの日あの時の2枚だ。偶然、一瞬、感動…写真もまた一期一会だ。

 守山市の佐川美術館で「伊東久重・御所人形の世界展」を見た帰りだった。天井が開く左ハンドルの、そうはない高級ベンツに乗せてもらい、JR堅田駅へ向かっていた。琵琶湖大橋のゲート手前だった。真西に見えた夕陽、何という不思議な輝きだろう。思わず運転中のYWさん(6?)に声をかけた。「すみません。写真撮らせて下さい」。

料金ゲートまであと200㍍だった。ベンツを降り、デジカメを夕陽に向けた。対岸の家並み、シルエットのようだ。琵琶湖大橋の真下はエリの仕掛け、そばでマガモが群れている。比良山系の山並み、陰影が濃い。滲んだ夕陽、アップで見ると回りに輪郭が出来ている。湖岸べりを10㍍ほど移動して5、6枚撮ったのを思い出す。パソコンに取り込んだ写真で、日付けを確認すると、2月2日午後5時0分だ。あの夕陽が甦った。

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2009年2月17日 (火)

白洲正子さん好みの着物

Img_4215 Img_4224  京都・西陣織物館で「白洲正子展」と聞いて、行った。随筆家白洲正子さんで、夫の次郎氏とともに今、人となり、暮らしぶりが、ブームである。西陣織と白洲さん、どんな関係かナと、知識なしで史料室へ入ると、白洲さんが好んだという紬の着物が並んでいた。

 企画展「西陣と各産地の紬~白洲正子好みの織物~」だ。去年12月1日から始まって、展示は2月24日までという。入口に主催者挨拶の看板。~紬は素朴な風合い、手づくりの希少性など人気がある。白洲さんから昭和期中頃、注文があり、好み仕上げた作品が~と書いてある。史料室の一番奥の奥、白洲好みの紬は、着物3点と帯3点だ。

 ガラスケースの中、撮影禁止だ。着物のキャプション、何度も読んで、頭の体操、イチ、ニ、サン…だ。鼠地に赤縞の本紬、縞御召風紬…、作者は鷲猪越三五郎、中村昭子…。昭和30年代の注文で、中村さんは「あなた面白いから面白いもの出来るわ」と白洲さんに言われて織ったと挿話が出ている。紀行、歴史…、白洲著書は数々。その中の白洲正子のきもの」で選ぶ眼と着る心を述べているそんな白洲さんのこと、つゆ知らす。???

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2009年2月16日 (月)

賢聖障子絵、観てから読む

Img_4204 Img_4212  読んで観るか、観てから読むか―で、観て読んだ。今、京都国立博物館で開催中の特別展「京都御所ゆかりの至宝」の京都新聞美術蘭の記事だ。鑑賞したのは雨降る13日の金曜日夜で、取り置いていた記事(1月24日付け)は鑑賞翌日に読んだ。

 招待券があり、入場料代わりに音声ガイドを耳にした。入場料1200円、ガイド500円だ。ナレーションは元NHKアナの加賀美幸子さん。ドスが聞いて、切れがある声だ。ふだんは3、40分の入場待ちらしいが、外は夜の冷たい雨、ゆっくり鑑賞できて、何か得をしたような。圧巻は紫宸殿の荘厳―賢聖障子絵―だった。天井の高い第6室だ。

 「狩野孝信が描いた現存最古の~」と、加賀美アナもトーンが高い。賢聖障子絵は、けんじょうそうじえ―と読むという。広い室内、漢の武帝の故事に倣う賢人聖人32人の絵がずらり並んでいる。二度、室内を回った。どの顔も髭、髭…髭は賢聖人の必須?、ひげい髭はない。美術欄の山中英之記者も「中でも見逃せないのは~」と、賢聖障子絵の由来を詳述している。観て読んで、ガイド聞いて、障子絵はそうじえ、なるほど、フフ~ン。

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2009年2月15日 (日)

ふじの木茶屋の特製弁慶そば

Img_4179 Img_4197  うなぎと餅入りで、特製弁慶そばだという。三井寺山門近くの飲食店「ふじの木茶屋」だ。京阪石坂線三井寺駅から疎水べりに歩いて5分、昼休みの散策でぶらっと入った。うなぎに餅-、力が付きそうだ。三井寺の弁慶の引きずり鐘に因んだメニューである。

 ご夫婦で30年来の営業、ご主人は脱サラだ。何で弁慶そば?と聞くと、開店のおりに何か一つ特色をと考えたという。JTBが02年発刊の「るるぶ滋賀」にお店の紹介が出て、ご主人が「ここ、ここ」と、すっかり古くなった冊子を捲ってくれた。~5月には花の長さが1㍍にもなる評判の店、おススメは特製弁慶そば~と出ている。

 カウンターで750円の特製弁慶そばをすすった。お餅は二つ、うなぎは一切れ、蒲鉾二枚、葱入りの薄味だ。お餅も入ってベタベタと~の柳亭痴楽でなく、そうモチモチせずだ。きつね、玉子は450円、鳥なんば500円…値上げは一度だけという。今度は店の奥から額入り写真が出てきた。フジが店の暖簾前で幾筋も垂れている。これぞ、ふじの木茶屋だ。半プロの写真家さん撮影という。昼休みが長くなった。モチモチ帰らないと。

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2009年2月14日 (土)

比叡山、京都と大津から見比べて…

Img_4044 Img_4065 山容、こうも違うものか、と思う。京都から見る比叡山と大津から見る比叡山である。滋賀・京都の府県境にまたがり、主峰の大比叡は標高848㍍、次峰の四明岳は標高838㍍だ。双耳峰なので比叡山というらしい。伝教大師・最澄が開いた祈りの山だ。

 京都と大津を行ったり来たりで、よく眺め比べる。左の写真は京都府立植物園からだ。正門入って東側のバラ園から撮った。山頂の展望台が小さく見えている。松谷公園長は植物園から見る比叡山は、遮るものが何もないという。寝たる姿や~の、東山三十六峰の第一峰、頭の部分でもある。二等辺三角形、稜線美しく、すっきり聳えている。

 琵琶湖岸からはどうだろう。JR大津駅から湖岸へ徒歩5分、なぎさ公園から眺めると、雪を被った比良山の山並みが北側に続く。比叡山は南側だ。湖岸に壁のように建ち出したビル群の向こうだ。ふんわりとして、お椀のようで、右の写真がそうだ。京都側で見慣れていると、あれが!と思うほど低く思う。山の所在地を示す三角点は大津市で、山の表側も大津側だという。暫く見上げていると、比叡おろしの風がひえいっと冷たい。

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2009年2月13日 (金)

星まつりの新聞報道

Img_4124 Img_4174 そうか、護摩木は3千万本も、だったのか。毎年、2月12日の祝日にある阿含の星まつりだ。第36回の今年も京都山科区の阿含宗本殿境内地であり、翌日の京都新聞朝刊に「天焦がす 景気回復の祈り」と載り、どれだけか、知りたかった護摩木の数がわかった。

朝一番、始まり告げる花火がバババ~ンと鳴った。自宅から北花山の境内地がわりに近く、知人から今年も招待状が届いていたので、国道1号沿いの南参道から上がった。階段は300段近く、道筋に風林火山の幟が立ち、祈りの読経が集音マイクで流れる。ブルー法被の信者さんが出迎えて「お帰りなさい」と両手を合わせ、会場へ案内する。

中央会場、二つの護摩壇から炎がメラメラあがる。新聞によると、護摩木を投げ込み、焚き上げる山伏姿の修行者は600人、炎の高さは20㍍だ。特設スタンド席へ行くと、熱くて、顔がほてる。会場周辺を歩く。愛のおみくじ、特別加護祈祷の走り大黒天、管長御創案のサブリメント…、信者さん次々に来て、押すな押すな、だ。その参拝数?10万か、20万かと、京都新聞読むと「全国各地から多数の~」と。これ正解、さすが新聞。

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2009年2月12日 (木)

夢二が描いた加賀温泉の彦乃

Img_4069 Img_4078  竹久夢二が愛した彦乃の絵を見た。浜松の富豪、TKさんの個人所蔵で、そうは見られないという。値段にすれば、3500万とか。大津市瀬田唐橋の呉服商「べっぴん屋にしよ」が特別に借り出して、お店で今、彦乃の原画を公開展示している。

 原画はべっぴん屋さんの奥の奥、床の間だ。大きさは縦60㌢、横30㌢位だろうか。上から吊してあり、腕を組んで正面からウーンと見た。何と愁いのある立ち姿だろう。おちょぼ口に赤い口紅、眼はどこかうつろだ。頭は既婚女性を示す丸髷、身体はほっそりしている。八頭身だ。絵の右側に金沢加賀の湯涌温泉の彦乃と、書いてある。夢二の筆跡だ。

東京・紙問屋の娘、笠井彦乃である。父親は離婚歴のある夢二との仲を許さず、二人はお互いを「川」「山」と呼びあい、大正6年6月から京都の二年坂で隠れ暮らした。加賀温泉旅行はそのときのことだ。べっぴん屋さんにお願いして、絵をおろしてもらい、加賀で撮影の二人の写真と並べた。着物の裾、縞模様が原画と写真が一緒だ。病身の彦乃はその後、父親に連れ戻され、結核で亡くなっている。23歳の生涯だった。絵は彦乃ひと時の幸せを描いている。

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2009年2月11日 (水)

植物園でランの講演を聴く

Img_4034 Img_4039  ラン研究の日本の第一人者が京都府立植物園で講演した。国立科学博物館・筑波実験植物園勤務、理学博士の遊川(ゆかわ)知久さん(47)で、テーマは「絶滅の恐れあるランを調べ、守り、次世代に伝える」だ。植物園温室で開催中の洋ラン展絡む記念講演だ。

 講演は8日昼、植物園会館2階研修室であった。デジカメ提げて、久しぶりに植物園へ行って、講演を知って、飛びこみで話を聞いた。松谷茂公園長が「生きた植物を生きたまま後世に伝える仕事、理解してもらえませんが、難しい仕事です」と前触れで立ち、講師の遊川さんを紹介した。パワーポイントを使い、室内を暗くして、話し始めた。

 頭髪は刈り上げ、若さが溢れる。会場はラン愛好者だろう、5、60人は来ている。ランの話、受講者も講師先生も眼はランランだ。生物多様性とは何か、生物多様性には遺伝子、種、生態系の3ランク…、多角的多面的、順応的対応…さすが学者先生である。講演というより講義だ。少しずつ難解度が増し、何回も睡魔が襲う。3、40分は経ったのだろうか。司会が「先生にもう一度大きな拍手」の声。いや、大変失礼しました。ラン展、赤点かな。

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2009年2月10日 (火)

拉麺小路に出た富山ブラック

Img_3964 Img_3959  人呼んで富山ブラック!の筆太字に引き込まれた。黒ラーメン―、味はコクがあり、あっさりしているとPRしてある。1月末に京都伊勢丹10階、拉麺小路にオープンした富山の「麺屋いろは」だ。どんな味か、自販機で780円の黒ラーメン選んだ。

 入店まで列が出来ている。夕方、ビックカメラ帰り、開店から1週間ころだった。入り口に開店お祝いのスタンド花が飾ってある。贈り手は福島カツオなどだ。待つ間、店の前の派手な看板眺め、ガラス越しに店内を覗く。「秘伝の黒醤油 独自の製法で~」「熟成深層水麺 富山の海洋深層水で~」などの表示が出ている。店内ポスターは立山、富山米。

 待つこと10分余り、窓際の席に座った。また、待つこと10分余り、黒ラーメンが出た。スープ、確かに黒~い。麺は中細でちじれている。焼き豚は2枚だ。器は赤く、レンゲは白く、細切り葱は緑々して、スープは黒く…いろいろだ。黒スープをひと掬い、舌先で味わい、喉に通す。うーん??、味、どう表現したらよいかなあ。まあ、シュウッとして、どろっとより、さらっとだ。兎も角、ラーメン・ブラック。アーメンではない。???。

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2009年2月 9日 (月)

伊東家300年の草刈童子

Img_3812 Img_3807  まさに幾星霜、時を経ること、300年という。御所人形司、伊東久重家に代々伝わる人形・草刈童子である。今、守山市の佐川美術館で開催中の「12世伊東久重 御所人形の世界」展で、特別出品中だ。内覧会があり、遠い時を思い、まじまじと見た。

 初代、庄五郎が江戸時代、享保年間(1716~1736)に制作した人形という。会場最初の展示で、大きなケースの中だ。左膝を立て、右手に草刈鎌を持って、どっしり座っている。大きな鼻、厚い唇、黒い眼、おかっぱ頭…、幾つぐらいだろうか、体格のいい童だ。足と手の皮、とことどころ剥がれていて、それが年代モノを感じさす。

 会場に由来の説明書きがある。薬種商だった庄五郎が人形師に転職、病除けの願いを込めてつくったという。三代目の頃、京に疫病がはやり、戸口に人形を置くと治まって、時の帝が「有職御人形司 伊東久重」の名を与えたと。会場にいた羽織袴の12代伊東久重さん(64)に話を聞くと、人形は家の守り神で、今も何かあると「草刈さん」「草刈さん」と手を合わすという。300歳、どうして童子。???

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2009年2月 8日 (日)

夕刊に載った「画室の栖鳳」展

Img_4008 Img_4016  何というタイミングだ。朝日新聞の夕刊、何気なく捲っていたら5面文化欄に「画室の栖鳳」展の美術評が載っている。7日夕、閉館間際の京都市美へ飛び込んで、200円で鑑賞してきた、その日である。記者はどう観て、どう書いたのか、読んだ。

 記事は森本俊司編集委員の署名入りだ。写真は栖鳳が描いた「絵になる最初」の本画と下絵だ。これも1枚50円で買ったポストカードと同じ絵だ。夕刊、どこまでも縁がある。森本編集員は「栖鳳は実証的な精神の持ち主で、自分の眼で確かめないと納得しなかったようだ」と書き出している。見出しは「細密につかみ 大胆に変える」である。

 カモメを描くのに敦賀で生け捕って自宅で飼った、枝ぶりのいい崖の赤松を描くのに作業員に宙ずりしてもらったーなどの逸話を紹介する。だからといって、見たとおりでなく、自分流に描いており「目を使っても、目に使われなかった」と巧みに評している。「絵になる最初」も下絵と完成作は着物の柄は微妙に違うと書く。京都市美所蔵の作品100点が並ぶ「画室の栖鳳」展。西方で観賞して、その日のうちに「夕刊の栖鳳」になった。

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2009年2月 7日 (土)

蕎麦商「山した」のこだわり

Img_3718 Img_3713  一つ一つがさりげない。からし色の暖簾、木彫りの看板、板塀にかけたブリキ彫りの表札…。どれもこれも、こだわりがある。それがまたさりげなく、だ。古川町商店街の蕎麦商「山した」である。東山三条東入ルの古川町通りを50㍍ほど南へ行った東側だ。

屋号を山下でなく「山した」にしている。店の入口には蕎麦をひく石臼がゴロン、蕎麦商の看板は地面に置いてある。引き戸を開けて入ると、長いカウンターだ。品書きはちれじれの和紙だ。品数、かけ、せいろ、にしん…お通し、飲みもの10点あまりしかない。店内は「山した」の山下さん一人だけだ。30歳過ぎだろうか、まだお若い。

とろろ蕎麦を頼んだ。こだわり代入りか、1200円だ。カウンターの向こう、お湯のたぎる大釜、湯がいた蕎麦を大きなざるで掬い、盛りつける。山下さん、関東の有名な蕎麦屋で修行して、去年5月から独立して、京都へ来たという。とろろの卵の黄身、いい色だ。細いそばは福井産だ。ツウ~と喉を通る。とろろブレンド、いい味だ。良く見ると箸には落款あり、店主の黒シャツに「山した」ロゴあり。こだわり、恐るべし…。

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2009年2月 6日 (金)

近江八幡名物は赤こん

Img_3742 Img_3741 赤こんは、医療同源美味健康という。どうしてか、ノンカロリ―のヘルシー食品で、ダイエットに最適だからという。赤こん=赤こんにゃくだ。近江八幡名物である。地元では「赤こん」が通り名で、最近「赤こんバス」が走リ出したと、新聞に出ていた。

赤こん元祖の「乃利松」へ行った。JR近江八幡駅から歩いて15分、商人屋敷の中に製造工場とお店がある。明治24年の創業から118年余り、今の店主は4代目だ。代々、赤こんをつくってきた工場を隙間から覗いて、背中合わせのお店に回った。店の左手に井戸があり、信楽狸がいて、店内のガラスケースに赤こんと天ぷらが並んでいる。

お店の女性が出てきた。味付け赤こん二袋買って話を聞いた。何で赤こん?地元の奇祭・左義長祭で信長が赤の長襦袢を着て踊りまくったからだ、と。赤は?三二酸化鉄の着色で、鉄骨こんにゃくとも言うと。こんにゃく玉は群馬産だ。店内に沢山、賞状が掛かっていて、その中になぜか「壱拾佰仟萬億兆京垓梯…大∞」の額も。壱に始まり∞までお金の単位を示す23個の漢字だ。これ何で?と聞き忘れ、あかんなあ、またこんなあと。反省。

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2009年2月 5日 (木)

車窓から見る比良の山々

Img_3788 Img_3794 遠い山並みがひと駅ひと駅、近づいてくる。山容の見え方、高く低く、左に右に…、電車の進行方向で微妙に変わる。JR湖西線の車窓から見る比良の山々。標高1000㍍級の峰が6つ、東西15㌔、南北20㌔である。琵琶湖の水源、比良は西に連なる。

 JR琵琶湖線と湖西線の分岐駅、山科から乗った。ひと駅で大津京駅だ。おごと温泉駅と一緒に地元陳情で西大津駅から改名した。6両編成の各停、停まるとガタンと響く旧型車両だ。びわ湖バレーの小川隆社長と出会いに志賀駅まで乗った。昼過ぎ、電車はガランとすいていた。進行方向に向かって、左側の窓際に座って、山をぼんやり眺めた。

 唐崎駅、比叡山坂本駅を過ぎて、雪の比良が気になり出した。流れ行く鉄塔の隙間からデジカメを向けた。堅田、小野では、比良はまだ遠く、和邇で山容が迫って来た。十年来、湖西線に乗り続ける小川社長は言う。写真撮影は和邇駅、比良の正面眺望は蓬莱駅、山に最接近は志賀駅だと。風に弱い高架線、湖に山に…景観には強い。志賀駅のホームに降りて、また山を見た。権現山、打見山、武奈岳、堂満岳…、湖西にある個性の山だ。???

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2009年2月 4日 (水)

節分の日の節分セット

Img_3908 Img_3905  セット、セットで、節分セットという。どんなセットかと言うと、焼いたイワシが丸ごと一匹出て、鉄火の巻きずしが半分つく。これに、おあげ2枚入りのきつねうどんの三点セットだ。節分当日、一年に一度のことで、お得なセット料金は550円という。

 夕方、JR山科駅を降りた。地下鉄に乗り換え、鬼が出る吉田神社へ行こうか、行くまいか、迷って、降り続く冷たい雨に負けて、駅から徒歩2分、南南西の千成食堂へ、方向転換した。今年の恵方は東北東、反対方向だが、仕方がない。店内に入り、黒板メニューを見ると、ピンクのマジックで「節分セット」と出ている。これ、これ、これだ。

 吉田神社を断念して、即のタイミングだ。店のお母さんが「節分やからねえ」と自慢そうに言う。セットのイワシが大方、骨になった頃、年配の男女客が入って来た。やはりセットを頼み、恵方は?と聞く。賄い口から声がして、あっちと指をさす。二人はそっちへ向いて、鉄火をかじる。黙して語らずパクパクだ。暫くして来た男性客がまた、恵方は?と。また、「東北東、あっち」と言う。お客さん、そうイワシないな…かな。???。

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2009年2月 3日 (火)

鶴房健蔵さんに地域文化功労賞

 Img_3762 Img_3772 洋画家・鶴房健蔵さん(74)が金屏風の前に立った。ダブルの礼服、胸に大きな黄色いリボン。胸ポケットの眼鏡をかけて、緊張気味に喋りだした。「私は好きなことを好きにしていただけなのに…」と、控え目に淡々と話す。顔色艶やか、白髪が似合う。

 演壇の左側、賞状が飾ってある。文部科学省の地域文化功労賞だ。去年11月28日の受賞で「永年にわたり地域文化の振興に尽力し~」とある。鶴房さんが受賞理由を明かす。家に届いた文章に滋賀県美術協会理事長や近江八幡文化協会会長をしていた功績―と書いてあったと。祝賀会に出席の人たちの名前あげ「御蔭様で」と礼を言う。謙虚な人だ。

 滋賀大学教授など教員生活40年余り、今なおNHK文化教室で、絵油を教え、自らも描く。祝賀会出席者へのお礼は、鶴房さんが所属する光風会展に出展した作品カード。「ご覧いただいてご指導賜れば…」の挨拶文にも人柄が出る。会場で教室のお母さん生徒が「小さなアーチスト」歌った。鶴房さんの作詞だ。「~心ときめく想いを燃やし 好きな絵をかく 楽しさに 何だか不思議 ピカソもにこり~」と。鶴房さん、ニコリニコリ。

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2009年2月 2日 (月)

図書館で京都の映画100年企画

Img_3691 Img_3704  オヨヨッの大河内伝次郎がいて、アラカンがいる。アラカン、黒頭巾の嵐寛寿郎だ。丹下左膳、鞍馬天狗…。京都で日本初の劇映画が制作されて100年という。京都府立図書館が今、シナリオ、DVD、書籍など日本映画の歩みを知るコーナーを設けている。

 雨の金曜夕、京近美が閉館になっていて、北隣の図書館へ入って知った。入口すぐ左側のガラスケースの中だ。鞍馬天狗のシナリオが開いてある。上から覗き込んだ。~杉作「天狗の小父さん、何してるんだろうな」~沖田「隊長、またも天狗の回状が投げ込まれておりました」~、そんな台詞の一節一節、映画のワンカットが甦って来る。不思議だ。

 日本初の劇映画は明治41年、京都「千本座」の座主・マキノ省三が制作している。その11年前の明治30年、京都の稲垣勝太郎がパリで発明のシネマトグラフを持ち帰り、新京極の小屋で初めて試写したそうだ。映画の始まりを勉強して、書棚から「鞍馬天狗とは何者か」を選んだ。窓際に座り、閉館まで30分、雨音と一緒にパラパラと捲った。さて天狗は?それはどうやら、強きをくじき弱きを助ける作者・大仏次郎だった。

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2009年2月 1日 (日)

山科駅前で半額祭を叫ぶ

Img_3681 Img_3683  改札を出ると、「半額で~す」「半額祭りで~す」と毎夕、叫ぶようにいう。JR山科駅だ。初日は男女2人、翌日は男子1人、昨夜は女性1人だ。それがまあ、大きな声で、良く聞こえる。何が半額かというと居酒屋チエーンの「魚民」「笑笑」で、食事すると半額だと言う。

 呼び込み役は店員さんか、バイトさんか―。いずれにせよ、出会った三日間、皆さん若く元気だ。オレンジの防寒服に黄色のメガホン。それだけでも派手なのに首から全身を覆うような大きな看板もぶら下げている。人間イコール看板だ。それには「半額祭」と出ている。祭りも色々だが、半額祭りとは珍しく、昨夜の当番女性に声をかけた。

 どう半額祭りなの?と聞くと、祭りは1月29、30、31日の3日間に限り、食事した金額の半額のチケットを渡す祭りだという。食事代が半額でない半額祭りだ。チケットは全国どこのチエーン店でも使えるが、半額効果が出るのは二度目からという。確かに看板よく見ると「会計50%チケット還元」と書いてある。一度目は全額支払い、二度目は一度目の半額で支払い、それで初めて半額祭りだ。祭り色々、商法色々…ワッショイ、ワッショイか。

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