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2009年1月

2009年1月31日 (土)

瀬田「ちか定」のひつまぶし

Img_3641 Img_3636 最初はそのまま混ぜて、二度目は薬味を入れて、仕上げは出し汁かけてお茶漬けの如く…である。名古屋名物の、ひつまぶしだ。大津市瀬田にある鰻料理店「ちか定」へ半年ぶりに行った。前回はうなぎ丼、今度はお店が自慢するひつまぶしだ。

 漆塗りの丸~いお櫃が出てきた。蓋をとると、こんがりした鰻に醤油色のご飯が入っている。トレーには葱の薬味、出し汁、浸け物の小皿だ。メニューに記載の食べ方指南どおり、志野焼き茶碗に最初の1杯目をよそった。鰻は5、6㌢に切ってあり、数えると10切れだ。仕上げのお茶漬けまでどう配分するか、考えて、やや少なめから入った。

 鰻は皮がカリカリ、脂がよく乗っている。旨いなあ。2杯目、薬味の葱を加えた。トロッとした味がキリッと変わった。旨さが、違う。3杯目、葱を多めにした。ウン、やっぱり、旨かあ。最後の一杯、お櫃をさらえ切って、出し汁をかけた。出し汁は薄味で、口の中がさわやかだ。後味は小カブラの漬け物。いや、1700円の価値あり。食べ終わって、壁の色紙に1句。「ちか定の うなぎの旨し 湖の風」と。句も鰻も、旨し冬。

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2009年1月30日 (金)

鴨、琵琶湖を飛ぶ

Img_3534 Img_3535 晴れてはいたが、風が出て、冷たい午後だった。びわ湖ホールへ向かって、デジカメ下げて、湖岸を一人歩いていた。頭の上を鴨の群れが飛んで来たのは、その時だった。なぎさ公園の打出浜あたりだったろうか。左側に雪の比良、正面に近江富士が見えていた。

羽音がバサバサとして、見上げると、凄い数だ。そう高くないところを飛んでいて、琵琶湖へ向かって降りて行く。急いで、デジカメを飛翔する鴨へ向けた。シャッター、1回、2回、3回…と切った。鴨は次々に琵琶湖へ着水する。湖岸から遠く降りて、もう点々としか見えない。気づいて、見上げて、撮って…、この間、1分足らずだった。

出会いは一瞬だ。鴨の群舞、どう写っているかな。自宅のパソコンにデジカメ写真を取り込んで、見た。ちゃんと、写っている。鴨が羽を水平に広げグライダーみたいだ。1羽、2羽…、数えると20羽は写っている。もう一枚は、着水シーン。鴨は白い雲に点々、湖面に点々と…。鴨の数は100羽どころではない。冬の琵琶湖と青い空と近江富士と…、鴨が景色を作っている。ちょっと撮ったのにナイスショットだった。???

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2009年1月29日 (木)

百均の立ち飲み店

Img_3595 Img_3610 紺地の暖簾に百と染め抜いてある。百の下は英語で「1coin Standing Bar」と綴ってある。要するに立ち呑み百円店だ。東洞院錦東入ル、京都大丸の北口正面側で、通りがかりに入った。店内掲示、ひゃっくりが出そうなほど百また百…だ。

 ビールの生もシングルで百円だ。まず1杯頼んで、1個百円おでんの黒板メニューから大根とゴボ天とこんにゃくを選んだ。左右にカウンター、真ん中にテーブル3つ。満員で20人は入れそうだ。店員さんは男女2人。儲かっている?と聞くと、バイトなのだろう。「2年も続いているから、いいんじゃないですか」と。なるほど、そのとおりだ。

 夕方6時半ごろ、店内の客は7、8人かな。芋のお湯焼酎、白ワイン、塩鯖とヒジキを追加した。安い百円の塩鯖、店内の電子レンジで、チンして席に戻った。隣の客は血液型のこと、後ろの4人連れは職場の給料のこと…、話は筒抜けだ。外人さん、テーブルで一人、英字紙を読む。待ち合わせか、勤め帰りの1杯か…、みんな人生背負っている。それで支払い、チャージ代百円含め900円なり。百均の立ち呑み、それもまた人生!。

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2009年1月28日 (水)

滋賀で見たこと展

Img_3593 Img_3579 会場は烏丸四条下ル「COCON烏丸」3階だ。「COCON」は古今東西の古今の意で京セラが作った。そこのギャラリーで、東京在住のライターと写真家が「滋賀の田園を歩いて見たこと」という二人展を開いていて、それが京都新聞朝刊・京日記に載った。

 写真家はMOTOKOさん(42)、作家は井上英樹さん(36)だ。取材は2人が会場に来た展覧会初日のようで、写真が出ていた。東京の人が何で滋賀の田園か?ーと新聞読んで、会場へ行った。MOTOKOさんは写真で田植え、野焼き、台所など滋賀の田園を切り取り、井上さんは「滋賀で見たこと」を文と写真で10分間の画面に編集している。

 井上さんの画面、じっと見た。1画面10秒で切り替わる。撮影禁止の断りがないので1枚1枚撮って、文はパソコンで読んだ。「軟らかな田んぼ、粘りのある田んぼ、硬い田んぼ。農家数だけ田んぼがある」「日本の東西を結ぶ要所。豊富な水。西に京都。南に大阪。東に大きな平野~」など滋賀を書いている。写真は祭りと農業、合間に文が入る。10分間で60枚だ。滋賀人が気づいていない滋賀の魅力を引き出している。◎三つだ。

  ※ 展覧会は2月1日(日)まで。京都新聞紙面掲載は1月10日付け朝刊。

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2009年1月27日 (火)

応天門の扁額に思う筆の誤り

Img_2763 Img_2765 平安神宮へ行くと、「弘法も筆の誤り」を思う。弘法大師の空海が平安京大内裏の応天門の額に「応」の一番上の点を書き忘れたという話である。空海は真言宗の開祖で、嵯峨天皇、橘逸勢と並ぶ三筆だ。ホンマかいなと思うが、今昔物語に出ているらしい。

 平安神宮の初詣で、応天門の扁額を見上げ、写真を撮った。応天門の2階部分、高さ7、8㍍はあった。デジカメを望遠にして、アップで撮った。扁額は金網の中で、応は本字の難しい「應」だが、確認すると、一番上の点はついていた。平安神宮は明治28年、遷都1100年記念の創建だ。書は弘法大師でない。さてさて、誰が書いたか、である。

 神社史によると、大阿闇利の宮小路康文さんの筆という。比叡山で天台の学を修め、権大僧正になったが、太宰府に戻り還俗した。名筆家で、殊に空海の書法を極めた人だそうだ。平安遷都協賛会に扁額の揮ごう依頼を受け、高野山で斎戒沐浴して入洛、大極殿で精魂傾けて空海の筆意を模写したという。空海の誤り、知っていたのだろう。何処にも誤りはない。扁額見上げて、誰しもある誤り、正す大事さ、今も変わらず-を思う。

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2009年1月26日 (月)

琵琶湖の新船はめぐみ

Img_3522 Photo  琵琶湖に新船が誕生した。琵琶湖汽船が2億円かけ建造した中型クルーズ船「megumi(めぐみ)」号だ。平成2年のビアンカ以来、19年ぶりの新船という。琵琶湖汽船の中井保社長は、環境に良くて、用途が多くて、使い易くて…、という。

 雨の夜、初乗り会があった。大津港から近江大橋を折り返しコースだ。時速は16ノット。行って10分、戻って10分だ。陸でいうと、30㌔の速度だそうだが、船内にいると、動いているのを感じない。静かで、それでいて速い。菜種油を混ぜ、環境配慮のバイオ燃料を使う。乗り心地は◎だ。雨のデッキ、夜景を見ながら出来のよさを思う。

命名は、琵琶湖の恵みに感謝してという。全長35㍍、110トン、200人乗りだ。船体は白く、平たく、角型だ。ガラス面が多く、船室はゆったりしている。湖面を行くオープンカフェを感じさす。デッキから水面に手が届きそうだ。琵琶湖がそこだ。夜の初乗り、写真がうまく撮れず、2日後に停泊の桟橋へ行った。ちょうど、試運転中で、白い船体が桟橋を離れて、港内をクルッと回って戻ってきた。クルーズ船らしかった。

   右の写真、後ろ姿は洋洋の筆者。元職場の同僚NY氏(6?)写す。

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2009年1月25日 (日)

和気清麻呂公とイノシシ

Img_3474 Img_3485  境内一歩入って、猪、いのしし、イノシシ…である。絵馬に像に剥製に人形に…、それこそ、イノシシあるある事典である。京都御所蛤御門の西向かいの、護王神社で、平安建都を勧めた、あの和気清麻呂公を祀っている。地下鉄烏丸丸太町から北へ3分だ。

 よく歩く道筋で、イノシシ神社とは知っていた。そのうち、そのうち…が続いて、この間やっと、そのうちが実現した。境内はそう広くない。本殿の木製ジャンボ絵馬はさすがに丑年の牛だが、それ以外は境内至るところがイノシシである。イノシシと祭神の和気清麻呂公の関わり、よほどワケがあるのだろうと思ったら、なるほど!のワケがあった。

 ワケは縁起札に書いてあった。清麻呂公がその昔、権勢を奮っていた天皇の側臣に怒りを買い、鹿児島へ左遷の道中、足を痛め難渋したおり、300頭のイノシシが現れ、お助けしたという。清麻呂公は復権して、「鳴くよ鴬平安京」の794年に長岡京から先頭して遷都するが、護王神社はそんな訳で、「足腰の守護神・イノシシ神社」の冠幟旗を境内の内外に立てて、イの一番にいらっしゃ~い、と呼びこむ。さて、文中、幾ら洒落たかな。

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2009年1月24日 (土)

ワシントンの手嶋さん、大津に来る

Img_3425 Img_3435  そう、あの声だ。衛星中継で「ワシントンの手嶋さん」と問われて「ハイ、ワシントンの手嶋です」と応答する、あのやりとりだ。あれ、TVで何度、聞いたことだろう。元NHKワシントン支局長の手嶋龍一氏(59)だ。22日、その手嶋さんが大津に来た。

 琵琶湖ホテルの講演だ。変革のオバマ(47)が第44代米大統領に就任して、2日後の、まさにタイムリーな講演だ。NHKを05年6月に退社して、現在は外交ジャーナリストで、20万部発売の小説「ウルトラ・ダラー」の著者でもある。会場の一番後ろから見た手嶋さん、髪は黒グロして、テロや湾岸戦争のTV画面より、ずっと若い。

 話が始まった。演壇から出て、身ぶり手ぶりで、全くどみがない。国も人も、よくまあ―と思うほど、アメリカを知っている。オバマ人脈、新政権閣僚…、縦横斜めでまさにツーだ。「~と、~の、つまり、もし」…、途中で一呼吸を置く語りはTVと同じである。オバマとは4年前、無名の青年政治家の時に会っていて、その時からオーラを感じていた。地球が米国に使わした神の子だ…という。米国にぞっこん、オバマにぞっこん、ツーツーレロレロだ。???

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2009年1月23日 (金)

銀だこはポヨヨンの味

Img_3331 Img_3397 たこ焼きはたこ焼きでも「築地の銀だこ」という。落語家笑福亭仁鶴さんではないけど、どんなんかナア~!と、食べて見た。JR京都駅地下ポルタの東側で、京樽とロッテリアの間にある。メニュー3種類の中で、思い切って、ねぎ焼きにした。

 注文を取るお兄ちゃんが色々と聞いてくる。「5個にします、8個にします」「ドリンクは入ります」「青海苔、カツオかけます」「スタンプカードつくります」、一言一言が流れる如く、マニュアルどおりだ。銀だこは群馬が本社、銀座が東京本部で、チエーン店は11年で全国300店舗以上という。佐瀬社長はHPで「たこ焼き一本勝負」と檄を飛ばす。

 5個で400円のねぎ焼きが舟で出てきた。天つゆに大根おろし付きだ。大きく、外はカリッと、中はフワフワ、天つゆの甘みが加わり、安くて旨いなあと思う。座ったカウンター前にたこ焼き考コラム。「たこ焼きは安らぎの世界が潜んでいて、ポヨヨンという言葉がよく似合う。アツアツをほおばるとき、みんながポヨヨンという表情になる平和な食べ物だ」と。そうか、ポヨヨンねえ。ねぎ焼き一つ、二つ…、なるほど、ポヨヨン!。

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2009年1月22日 (木)

写楽の描いた石部金吉とグニャ富

Img_3387 Img_3403  見れば、見るほど…味がある。口は一文字、眼はにらんでいる。どう見ても、怒っている。黒くて太い眉、大きなわし鼻…、怪異なる表情だ。右腕に持って行った左の手が、また妙に小さくて、けったいだ。この人、嵐龍蔵の「金貸し石部金吉」だそうだ。

 この怪異な金吉さん、会場へ入って、すぐ出てきた。京都伊勢丹7階の美術館「駅」で開催の「4大浮世絵師」展だ。正体不明、なぞの絵師と言われる東洲斎写楽が描いたデビュー作という。寛政5年(1793年)5月、この絵を描いて11か月間で、また消えている。絵も変、絵師も変で、それが興味をそそり、今も写楽研究、写楽人気が続く。

 会場はこの写楽に美人画の歌麿、風景画の北斎と広重の作品170点が並んでいて、最初が写楽だ。得意の役者絵20点が出ていて、中山富三郎の女形・宮城野が、これまた怪異だ。黒い上がり眉毛とゾウのような眼、やはりわし鼻だ。大きな顎に小さな受け口で、美人女形にほど遠い。中山富三郎はこの絵で気の毒に「グニャ富」と言われたとか。帰りに金吉さんとグニャ富のポストカードを買った。そんなこと、シャラップかな。???

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2009年1月21日 (水)

地下鉄車内で中学入試の漢字に挑む

Img_3333 Img_3341 はて、さて、うーん…である。京都・洛南高校付属中学入試の問題だ。京都市地下鉄で国際会館まで乗車、席に座って、フト吊り革の向こうを見ると、昨年度の国語・漢字の出題が1問、ポスターになっている。それで、ナニナニ?と腕を組んで考えた。

 出題は「語」も「話」もごんべんで、五、千の漢数字を含んでいる。次の①~③の条件にあう漢字を答えなさいという。①うかんむりで百を含む②りっとうのつくりで七を含む③さんずいへんで八を含む―、それはどんな漢字か、と問うている。たかが中学と思ったら、されど入試…だ。卒業して、もう××年、即答が出ない。いや、困った。

出題ポスター見上げて、到着するまでにはと、苦悶した。京都市の地下鉄、今日はやけに速い。京都駅から乗って、ポスターの気づきは今出川駅だ。鞍馬口、北大路、北山、松ヶ崎…終点の国際会館まであと一駅…う~ん、う~ん。いや、これは、予想外の難問だ。降車直前、回答確認に立って、ポスターを間近で見たら左下に小さく出ていた。答えは①宿②劇③沿だ。なるほど、百、七、八入りだ。こちらは、三入りで、降参だ。???

 

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2009年1月20日 (火)

ノリタケ洋食器の100年展

Img_3300 Img_3313  展示壁面に皿が縦横に並んでいる。皿を正面に縁どりと底のデザインの変遷ぶりを見せている。洋食ディナーの白い皿だ。日本で初めて白色硬質磁器を開発したノリタケの、大正から昭和にかけてお皿だ。歴史の皿が100個以上、サラのように展示してある。

 京都文化博物館で開催中の「ノリタケデザイン100年の歴史展」だ。もう7、8年前だろうか、JR名古屋駅から北西にあるノリタケの森へ行ったことがある。日本の食器産業を起こし、洋食皿の欧米輸出で外貨を稼いだ窯跡を公園化してあり、創業者の森村記念館や往時のレンガ工場も見た。文博の展示会場を回りながらサラッと思い出した。

 会場入り口の8分ビデオを2度見た。ディナー皿は1913年(大正2年)の制作・完成まで20年の歳月を要したという。純白で、形のよい当時で八寸皿、今でいう25㌢サイズの焼成は、技術者の試行錯誤の結果だったと。ディナーの最後、ジュジュッと厚い肉が乗ったあの皿だ。スープ皿にケーキ皿、コーヒーカップもそうだ。1904年(明治37年)創業のノリタケが人と手間をかけ製作した食器の数々、会場でおさらいした。???

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2009年1月19日 (月)

京都御苑の早咲き梅

Img_3248_2  Img_3258  咲いているかな、どうかな、と17日昼に行った。京都御苑の梅林苑だ。梅の名所・北野神社では、去年暮れの新聞記事で半月も早く開花した―と出ていた。御苑でも早咲きの一輪ぐらいは?―と烏丸通りの下立売御門から入り、開花の紅梅を1本見つけた。

 梅林苑はまだ蕾堅く、開花梅は砂利道を挟んで南側の芝地だ。寒紅梅だろうか、一輪どころか、枝先に二輪、三輪…。離れてみると、木は膨らみ始めた蕾で赤々している。下からデジカメ構え、腕を伸ばして、あっちの一輪、こっちの一輪と写真を撮っていたら、チリンチリンとベルが鳴った。自転車で苑内を巡回中の職員さんだ。降りて寄って来た。

笑いながら「毎年、この梅の木が一番早くてねえ」という。去年は1月9日、今年は7日の開花だったと。環境省御苑管理事務所の職員さんだ。梅の花は下の枝から上へ咲くこと、今年春の御所一般公開は陛下結婚50周年記念で見どころが多い…などと話し、白梅とロウバイも咲いているよーとチリンチリン案内も。いや、親切この上なしである。そこで替え句。「御所来れば 思い起こせよ 梅の花 主なしとて 親切わするな」-、チリン。

   東風吹かばにほひをこせよ梅花 主なしとて春を忘るな (拾遺和歌集)

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2009年1月18日 (日)

書き初め展、山の審査

Img_3213 Img_3220  審査は1枚に1秒もかからない。平均05秒ぐらいだろうか。選外は右、合格は左…、一瞬パッとみて右に左に流れ作業の如く早業だ。何しろ応募総数3万9千点である。テーブルに積み上がった作品は、山盛りだ。ひと山、ふた山、み山…、山また山である。

 京都新聞第24回滋賀書き初め展だ。作品は滋賀県内の小学、中学、高校、養護295校と、133の塾からである。審査は県庁前の滋賀会館であった。主催者にお願いして1時間ほど見せてもらった。聞くと応募作品の整理に4日間、審査員20人にバイト25人だそうだ。審査当日、朝から書の山に分け入り、一日がかりでヨイショ?!ヨイショ?という。。

 小学校4年生部門7700点の審査を見た。はつ春、竹馬、ふじ山、宝の山、光る海…、野球魂に牛歩も。縦長の半紙にはみ出る如く墨痕黒々だ。審査員2人とバイトさん1人。~の、が惜しいなあ、ダイナミックや、あっ!これいいなあ―、阿吽の呼吸だ。審査員二人の会話を聞いていると、合否はバランス、元気さ、線の流れがポイントかなあと。それに墨の濃淡、半紙へ滲み…これも、隅で見ていて隅に置けないなあと。

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2009年1月17日 (土)

京極スタンドの揚げそば

Img_3192 Img_3205 底上げでも嵩上げでもない、正真正銘の揚げそばだ。写真のとおり、器の底からだと高さ、20㌢はあろうか。盛り盛りだ。どこからどう箸を入れて、揚げそばの山を切り崩そうかと思う。新京極四条上ル、昭和レトロの大衆食堂「京極スタンド」だ。

入店は去年から3度目だ。前に入ったおり、客が食べていて、ありゃ何だ!と思っていた。それで、まあ一度と、黒板書きのメニューに揚げそば750円とあり、店員さんに「盛ったそばやねえ」と確認して頼んだ。何時も座る大理石カウンターは向こうにも客がいて、知らぬ同士で1対1の差し向かいだ。揚げそばが来て、これこれと、写真を撮った。

デジカメ画面に差し向かい相手の腕が写っている。狭い空間、横へ―とも言えず仕方がない。撮影はそこそこに食べた。玉ねぎ、白菜、人参、もやし、牛肉があんかけ風に盛ってある。下から揚げそばを引っ張り出す。パリパリ、バリバリ…食べても食べても…だ。途中、2度中休みして、何とか平らげた。店員さんにお腹パンパンです―と言うと「大概、2人で食べられます」と。それ、最初に言ってあげて、欲しかった。嗚呼、パンパン。

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2009年1月16日 (金)

三条京阪地下駅構内の天窓

Img_3078 Img_3076 雨が降ったら…、雪が降ったら…と、気になっていた。三条京阪駅地下構内にある天然の天窓だ。改札口北東側、エスカレータ前の空間で、天窓は朝も昼も晩も年中、ずっと開いている。雪が霙になり、雨に変わった夜、どうなっているかな?と見に行った。

 見上げると、天然窓まで10㍍はある。広さはどうだろう。変形で5㍍四方かなあ。京都芸大卒の彫刻家・富樫実さん(77)制作の屋外彫刻が天窓に向かって立っている。命名は「鴨川ピラー」だ。ピラー?ってと、知人に聞くと、軸とか柱とかいう意味だろうと。ピラッと説明読むと、日本橋と対峙する三条にふさわしいゲート―と書いてある。

ピラーの柱は3本とも雨で濡れていた。ピラーの回りの床もまた、ぴちゃぴちゃだ。傘をさすほどのスペースではないけど、どうして雨が降るのに、天然窓にしたのかと思う。上から写真―と、エスカレータで地上へ出た。天窓は垣根で囲まれ、覗き込めない。また、ふと思った。昼に太陽、夜にお星さん、お月さんが見えるのだろうか、と。今度は晴れた日の夜、ピラーにピラッと身体を寄せて、天然窓を見上げたら何が見えるかなあ。

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2009年1月15日 (木)

京のつくね家へ一人行く

Img_2974 Img_2968 一人、つくねんと座った。鶏料理の「京のつくね家」だ。お店は川端丸太町東入ル一筋目上ルで、京阪・神宮丸太町駅4番出口を出てすぐである。ポケット版「らくたび文庫」を見て、行った。女将さんが昔、働いていたという同じ鶏料理の「八起庵」の東隣だ。

 店の中はそう広くはない。座った席で店内が見渡せる。日展鑑賞帰り、昼を少し過ぎていた。「らくたび文庫」推奨の、つくね揚げ定食を頼んだ。メニューで一番安い1150円である。入って来る客は大概、若いアベックだ。みんな、親子でもないのに親子、親子!と1360円の丼を注文する。どうやら名物料理のようだ。隣席の親子丼、気にしていたら、つくねが来た。

 直径3㌢、ボール型のつくねだ。何個かなと、数えたら8個だ。キャベツ、ご飯、菜の花和え、赤出汁付き。つくね1個、最初に丸ごとほうばった。柔らかく、鶏を潰した旨みが走る。安曇川、八瀬で平飼いの鶏だという。次の2個目、半分に齧って割って、ボールの中、全部つくねだ。3個、4個…8個、高くつくねんと食べて、レジ支払い中にアベックの親子丼を覗いたら、君君(きみきみ)と言うが如く、色鮮やかな黄身だった。???

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2009年1月14日 (水)

七代目小川治兵衛宅を覗く

Img_2756 Img_2762 もう、これで何度、覗いたことだろう。名代の庭師、七代目小川治兵衛の旧宅である。何時だったか、東隣の並河靖之七宝記念館へ行ったおり、館勤めの知人に「お隣が七代目治兵衛さんのお宅です」と聞いた。今は主不在だが、家も庭も当時のままだという。

 小川宅の覗きは、あの時が最初だった。住所で言うと、東山区三条通北裏白川筋東入ルだ。地下鉄東山駅を降りて北東へ徒歩2分だ。木々に囲まれた2階建ての居宅で、杉板塀が20㍍近く続き、西側は白川が流れている。昭和の初めまで住まれていたのだろうか。勝手口に「小川」と横書きされた蛍光灯と、錆びて停まった電気メーターがある。

 七代目の作庭は、平安神宮、円山公園、無鄰菴など数々だ。池と石を巧みに配した池泉式庭園は、近代日本庭園の先駆者と言われる。明治12年に七代目を襲名、73歳の昭和8年まで活躍した。年明け、京都市美への道筋に寄り道して、破れた杉板塀からデジカメを差し込んだ。色あせた引き戸、雑然と並んだ大小の燈籠、朽ちた葉が積もる庭石、倒れたトタン板…、見てはならない風雪の庭が出てきた。覗きはやはりご法度だ。反省!。

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2009年1月13日 (火)

日展の日本画解説を聞く

Img_3062 40hokutokazumori  京都市美で第40回日展を見た。朝一番、日本画作品の作品解説を聞いた。日展常務理事の岩倉寿さん、総理大臣賞受賞の山崎隆夫さん、新審査員の北斗一守さんの3人が交代でマイクを持った。聞き手は5、60人だろうか。およそ1時間、展示会場を回った。

 岩倉さんが最初に言う。「解説で絵がわかるものではない。知識が増えるだけだ。絵は感じるものだ」と。なるほどと思う。第1室に北斗さんの作品「星釣り」=写真右=があり、自作を解説した。水溜りを見つめて、星が映るとどうかなーと、宇宙からの視点で描いたと話す。変な絵と思っていたが、聞いて、ハハ~ン、そうだったのかと感じる。

 第3室、加藤美代三さんの「花の庭」=同左=。元京都芸大教授の山崎さんが「毎日スケッチを欠かさない方です。頭が下がります」と紹介する。岩倉さんが「97歳ですよ」と。緻密さ、97歳!、ただただ驚く。第5室は大物作家が並ぶ。岩倉さんの「北の奥池」山崎さんの総理大臣賞「沼宴」が偶然、隣り合っている。自作解説、どう言うかなと楽しみにしたら二人とも「自分の絵はどうも…」と照れた。エエッだ。???

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2009年1月12日 (月)

女子駅伝、笑顔のゴール写真

Img_3028 Img_3029  笑顔が弾ける優勝ゴールを見に西京極へ行った。第27回全国女子駅伝である。ゴールラインが正面に見える南側スタンドに座った。真下はカメラマン席、指定の黄色のゼッケン…100人近くいる。大きなカメラ構え、みんな揃って、その一瞬を狙っている。

 競技場の通告アナ、声が高くなった。満員のメーンスタンドに歓声が湧いて、ランナーが入って来た。やはり評判の京都だ。競技場へ来るまで、鴨川の丸太町橋で見ていた。京都が岡山を追い掛けていた。四条駅まで乗った京阪特急のTVは、まだ岡山が先頭だった。阪急で競技場に着くと、スタンドの大型画面は、京都が1番だ。移動中の逆転だ。

 スタンドから立ち上がって、ゴール写真を狙った。テープまで5、60㍍はある。デジカメの望遠ではきつい。それならカメラマンを入れて撮ろうと、スタンドの上へ行って、京都の優勝ゴールを狙った。さあ、ゴールの一瞬だ。来た、来た、今だ。京都の小島選手、右手の5本の指を広げ、5連勝!と満面の笑顔でテープを切った。写真の電光掲示板は2時間15分38秒、公式タイムより1秒早い。シャッター、シマッタア。???

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2009年1月11日 (日)

昭和30年代の味、二つで一つ

Img_2859 Img_2860 トレーに中華そばとカレーライスが二ついっぺんに出てきた。どれからトレーか?やや迷って、スープの冷めない距離で、中華そばから箸をつけた。瀬田GCが北コース開業30周年を記念した期間限定のレトロメニューだ。二つで一つ、1580円である。

 特別作成のメニュー表には「昭和30年代の懐かしい味を再現しました」とある。トレーに中華そば用の胡椒、カレーライス用のソースが乗っている。中華そば、スープの色が懐かしい。レンゲでひと掬い、舌と口回りにあぶらがべとつく。これこれ、この味だ。力道山の空手チョップを思い出す。長島の天覧試合のサヨナラホームランも…だ。

 カレーライスは?琴姫七変化の松山容子だ。大塚のボンカレー。隣の相方に聞くと、まだあのルー売っている所があるという。テレビは白黒からカラーへ、皇太子御成婚…、高度成長期へ入った頃だろうか。ご飯とカレーが線を引いたようにきれいに分かれていて、これがまたレトロだ。人参にジャガイモ…肉少々だ。ご飯にカレーをまぜ、スプーンで2度、3度…底までさらえて、昭和を「しょうだった、しょうだった」と感じた。

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2009年1月10日 (土)

子午線の街の子午煎餅

Img_2656 Img_2923 子午せんは、子午線の煎餅だ。子午線の街、明石市にある菓子店「人丸」を代表する銘菓である。1枚、四五=20円かというと、そうでもない。「人丸」はJR明石駅から南へ徒歩3分、明石銀座にあり、最初は「大丸」かと、店名よく見たら「人丸」だった。

 去年暮れ、明石銀座を歩いていて、人丸ウインドウに陳列してある「子午せん」に引き込まれた。時刻はピッピッピッ、ピ~ッ…の正午をかなり過ぎていた。さすが地元を代表する銘菓店。猿の絵入り焼き菓子「刻」(こく)に海老せんでない明石の蛸せん…、色々ある。写真が撮りたくて、5枚箱入りの子午せんと「刻」一個を買って店を出た。

 大きさは直径5㌢ぐらいだろうか。煎餅に白砂糖で日本列島を描き、明石の子午線が引いてある。うーん、なるほどと思う。箱に栞入り。「子午せんは明石・人丸山上を通過する東経135度の子午線にちなんだ煎餅。バターと卵をふんだんに使って、サクッとした歯ざわり」と書いてある。今年はガリレオが空へ望遠鏡を向けて400年、世界天文年という。年明け、私語せんと、静かにかじった。バリッ、ガリッ…、正午か近づいていた。

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2009年1月 9日 (金)

ひこにゃんに年賀状多数

Img_2907 Img_2911 ニャンと、ひこにゃんに年賀状が1283通という。♪~ひこニャン、ひこニャン、ひこ、ニャンニャン~♪で、人気はいっこうに衰えない。7日付けの各紙は彦根市が発表したひこにゃん年賀を大きく取り上げた。朝日新聞はニャンとまあ、一面扱いである。

 元日紙面では、読売新聞が第4部「ふるさと新聞」で、全国ゆるきゃら特集を出していた。全国47都道府県に勤務する記者が独断と偏見で選んだご当地マスコットキャラクター、所謂ゆるきゃら一覧が出ていて、そこでもひこにゃんは群を抜いていた。「すこ~し愛して、ゆる~く愛して」の見出しで、見開き紙面の真ん中、ビッグな扱いだ。

 それにしても…である。年賀住所は彦根城か、彦根市役所で、全国44都道府県から届いていると。差し出し人の大半が女性で「月に一度は会いにいきます」「結婚しました」「赤ちゃん授かりました」などの添え書きがあるという。読売の全国ゆるきゃら特集では、物議をかもした奈良のせんとくくん、なーむくんも人気-と書いてあったが、何といってもゆるきゃらブームの牽引するのは、ひこにゃん。「今年もみんな頑張るにゃん」???。

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2009年1月 8日 (木)

大津港の繋留ヨット、夜に輝く

Img_2887 Img_2901 あの先の、湖岸べりの、きらめきは何だろうと、足が向いた。琵琶湖西岸に林立するマンションの輝きより、もっと近くでキラキラしている。夕方、滋賀県庁前から湖岸へ出て、京阪浜大津駅へ歩いていて見つけ、遠回りして現場へ確認に行った。

 きらめきは、繋留ヨットのイルミネーションだった。琵琶湖汽船乗り場から150㍍ほど西にある大津港マリーナだ。大寒、気温は3.4度だろうか。夜の寂しい湖岸、さすがに冷える。そのせいか、こんなに輝いているのに誰も見ていない。一人で佇み、デジカメ取り出した。マリーナの柵越しに2枚、3枚…4枚まで???シャッターを押した。

 湖面に淡いブルーが反射している。デインギーだろうか、クルーザーだろうか。三角の帆柱に飾ってあるイルミネーションの影だ。小さな波に静かに揺れている。青、赤、黄…、繋留ヨットは20艇以上ありそうだ。桟橋に英字の「OTSUKO MARINA」が黄色く光っている。マリーナの指定管理者・関西メンテナンス滋賀が毎年冬に行っており、これで三度目という。「冬の湖(うみ) 光りの彼方 ヨット出(い)で」―、もうチ、ヨットかな。??? 

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2009年1月 7日 (水)

日本最古の御茶は日吉茶園

Img_2903 Img_2422 車内に「御茶」が出ている。乗ったばかりなのに、ホット一服、そろそろお茶にしませんか―という。京阪京津線の車内吊りポスターだ。京阪がシリーズで掲載している石坂線の「達人の文化財案内」である。今回は坂本駅東側にある「日吉茶園」の紹介だ。

比叡山の開祖・伝教大師、最澄が唐から茶実を持ち帰り、日本で初めて茶実を撒いて、栽培した場所だという。去年暮れ、坂本駅へ行ったので、記憶が甦ってきた。茶園は竹垣で囲ってあり、御茶の木が20本近く植わっていて、細長い石碑に「日吉神社御茶園」と刻んであった。車内吊りポスターの「御茶」は、この石碑を部の拡大してある。

ポスターを読むと、「日吉茶園」は日本人のソフトドリンクの始まりだという。理由はどうも弘仁6年(815年)に嵯峨天皇が初めて茶の接待を受けたのが、ここらしい。日本後記という文献にそう記述があるという。栽培された新茶は、4月の日吉大社山王祭や6月の最澄御命日にある延暦寺長講会で献じられ、香りの高さを今に伝えている。日本の御茶の発祥の地は、大津坂本の「日吉茶園」―と、茶がちゃんと示している。???

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2009年1月 6日 (火)

本場の明石焼きは、玉子焼き

Img_2661 Img_2670 「アツアツでフワフワ、コリコリしている食べ物、なあ~に」―、ナゾナゾならそう問いかけるのだろうか。明石名物の明石焼、地元では玉子焼だ。JR明石駅を降りて、構内の観光案内所で、明石焼ならと評判の店「たこ磯」がどこか、聞いた。

 問い合わせが多いのだろう。すぐ19年版明石焼マップが出てきた。さすが、明石焼、タコの町だ。お店は市内で70軒もあるそうだ。「たこ磯」は駅近く魚の棚にあり、明石銀座から入ってすぐだった。歩いて5分、店の前にお持ち帰りの屋台が出て、客の列が出来ている。待つのかなと思ったが、入り口近くの一人席が空いていて、すぐ入れた。

 いい席だ。バンダナ兄さんが菜箸を扱っている所が見える。明石焼は小麦粉に沈粉を混ぜ、卵とだし汁で生地をつくる。タコはご当地、明石ダコだ。鉄板15個の穴に生地とタコを入れ、菜箸でクルクル回す。鮮やか、巧みな手つきだ。斜めのあげ板に黄色く丸い明石焼が15個も乗っている。これで650円、食べられるかナ。昆布だしにつけて、一つ、二つ…アツアツなのでフガフガしていたら旨タコがコロリ、15個イチコロだった。

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2009年1月 5日 (月)

本の新聞広告新年版

 Img_2866 Img_2869 ゴホンといえば龍角散ではない。ゴホンといえば本である。新聞広告は貴重な生活情報だが、何処が不況?と思うほど、元日紙面は捲って捲って、全頁広告が次から次へ出てきた。秀逸はご本広告だった。講談社、集英社、小学館、新潮文庫…と出ていた。

 今年創業100周年の講談社、キャッチコピーが良かった。「本が読みたい」の大きな活字が躍っている。右隣りの散文、上手い文だ。「ときどき無性に読みたくなるのは、なぜだろう。しばらく読まないと不安になるのは、なぜだろう」で始まり「マンガ読みたい。絵本が読みたい。雑誌が読みたい。小説が読みたい」と続く。リズムが小気味よい。

 さすがに講談社、本の広告はこうだーと言わんばかりだ。幸田露半でなくて、新潮文庫は太宰治と松本清張の生誕100年広告が出た。二人の写真が左右対照で載り、誕生年の1909年(明治42年)からの作家歴を年譜にしている。太宰39歳、清張82歳の人生、一目瞭然だ。集英社は「人は、本と向き合いながら自分と向き合っている」と主張し、小学館の児童書は「本は愛を伝える」と広告する。どれもこれもホントだ。???

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2009年1月 4日 (日)

屋台の玉子せんべいは若者仕様

Img_2818 Img_2812  玉子せんべい、くじ引き付きという。平安神宮の初詣で出ていた大鳥居下の屋台だ。一つ200円で、目玉焼きがえびせんに乗っている。えびせんは大きくわらじ型で、ソースをつけて、天かすパラパラとふりかけ、マヨネーズをぬってある。

 白い防寒服のお兄ちゃん3人だ。バンダナの一人は服に赤マジックで「恋人募集中」と書いている。パフォーマンスかな。一つ!と言うと、くじをどうぞ!と鸚鵡返しで言う。当たると目玉焼きが二つだそうな。後から来た女性客、当たりが出て、赤マジックのお兄さんがラッキーガール!と声弾ます。こちらには「残念で~す」と。若者の店かな。

 屋台の横から作業ぶりを見た。目玉焼きはハートの鋳型で焼いている。半熟がポイント?と聞くと、そうですが、堅いのがいいという人もと。立ち食いで端からバリッ、バリッと、ひとかぶり、ふたかぶり。かじりながらまた聞いた。玉子せんべい屋台、そうないねえと。京都はそうだが、大阪では多いとか。せんべいの持ちよう、かじりよう、若者仕様か、意外と難しい。喋っていて、半熟の黄身が服にタラタラ…、アララ、アララ。

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2009年1月 3日 (土)

平安神宮初詣のおみくじ

Img_2808 Img_2798  臨時おみくじ結び所とでもいうのだろうか。境内の真ん中、玉砂利に竹棒を差し込んで、紐でつないである。高さ1.5㍍の間に紐は6本、長さにして30㍍はあろうか。結んだおみくじ、二重にも三重にも、落ちているのもある。おみくじラッシュだ。

 平安神宮の初詣出だ。正月三が日で毎年30万人余のお参りがあるという。降って晴れて、狐の嫁入りのような2日昼過ぎに行った。境内見渡すと、おみくじ結び所は左近の桜周辺、神苑入口当たりにも…何カ所もだ。お札授与所とおみくじ所はテント張りで、お参りの人が群がっている。正月くじは、凶抜きの吉の争いか。大吉か中吉か、小か末か。

 大極殿へ参拝して、戻って、くじを引いた。真ん中のテントで番号を引き出す金棒くじは14番が出た。おみくじ代は200円。巫女バイトさんが指定の番号棚からおみくじを出す。何番まであるの?と聞くと、25番までと言う。小さい数が大吉かなあ。14番は~待人―来たらずとも吉報あり、失物―遅くとも出る~の中吉だ。暮れに地下鉄車内で忘れたデジカメ、尋ね回って諦めかけた最後の駅で出てきた。中吉、当たっている。

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2009年1月 2日 (金)

元日の新聞6紙を読んで

Img_2745 Img_2748  元日の朝、JR山科駅のキヨスクで、新聞をまとめて買った。朝日と京都は自宅購読しており、日経、産経、読売、毎日の4紙だ。元旦号は少し高く、売店の叔母さん、計算機を使って「540円です」と。大口販売なのか、紙袋に4紙を束ねて入れてくれた。

 自宅分含め6紙で、頁数は何と600頁以上だ。一年の始まりは新聞!と、各紙を読み比べた。産経は論説委員長が「日本人の流儀にこそ活路」と書き、毎日も主筆が「人に優しい社会を」と説く。1面から主張で真っ向勝負だ。朝日と読売、トップ記事は特ダネだ。朝日が西松建設の裏金使って原発対策、読売は生体認証を破る韓国女性の不正入国と大阪府の監査が事務局の台本どおりーと二本立てだ。ニュースはやはり迫力がある。

創刊130年の地元紙、京都は連載「命ときめきの日に」をトップに据えた。読ませる記事だ。毎日もトップ企画「アメリカよ」で、今の時代を問う。特集は「ガリレオ望遠鏡400年」(産経)種の起源の「ダーウイン生誕200年」(毎日)などで、節目の年を知る。あれこれ読んで、我が心境、毎日の1面川柳「もう一年もう一年の年が明け」。

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2009年1月 1日 (木)

建仁寺の除夜の鐘を衝く

Img_2741 Img_2739  ゴウォ~オ~ン…、余韻のあるいい音色だ。総本山建仁寺の陀羅尼の鐘だ。大晦日の夜、生まれて初めて除夜の鐘を衝いた。自宅からTAXで940円の距離だ。鐘衝きの整理券は午後11時から交付だが、1時間前にもう列が出来ていた。何せ108枚しかない。

 本坊の南東、陀羅尼の鐘の前だ。携帯のワンセグで紅白見て待った。列は寒空にぐんぐん伸びた。定刻、クリクリ頭のお坊さんが庫裡から出てきて整理券を配った。貰った番号は21番だ。衝く順番ではないという。打ち始めの11時50分前に再度、集合だそうだ。整理券は裏側に写真入りで鐘の謂れが書いてある。記念にお持ち帰りを―という。

除夜の鐘は一年の煩悩を取り除き、清らかな心で新年を迎える行事だ。午前零時を境に108回衝く。お坊さんの読経がすんだ。鐘楼の中入り、お賽銭をあげて1人1回縛りで衝く。順番は30番目だ。さいぜんから賽銭なんぼ?と、考えて、210円にした。整理券の番号記念だ。鐘が平安時代作で、名前が陀羅尼(だらに)でもシャンとして、衝いた。その瞬間、時計を見たら12時だ。いや、ハッピーニューイヤー。???

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