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2008年6月

2008年6月30日 (月)

タチアオイの志は4㍍

Img_0035 Img_0009 花言葉は「大きな志」という。タチアオイ、漢字で書くと立葵。アオイ科の多年草だ。梅雨のころから咲き始め、梅雨の間じゅう咲いているので「梅雨葵」の別名もあるらしい。原産地はギリシャ、クレタ島、中国にかけてと言い、室町時代に渡来したという。

 梅雨の日曜、府立植物園で見た。朝顔のような、ハイビスカスのような…、そんな花を咲かせている。北山門入ってすぐのところに色とりどりのタチアオイが揃っている。松谷園長さん執筆のきまぐれ園だよりに「一重、八重…、赤、ピンク、黄…多彩を見てね!」と書いてある。そのとおりで、そのように思って、写真を撮った。

 宿根草園でも、またタチアオイに出会った。これは赤の一重咲きで、なんともまあ、背が高い。ぐっと見上げて、高さを出そうと、曇り空を入れて、写真を撮った。軽く3㍍はありそうだ。草むしりしている園の職員さんがいたので、聞いた。最高で、どれくらいの高さに?と。土質と気象条件が合えば、4㍍くらいには…という。そんな大きな志を持って、空へ空へーと伸びるタチアオイに何時か、たちあってみたい。???

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2008年6月29日 (日)

私は誰でしょう?像

Img_0012 Img_0023_2 もう、かれこれ1ヶ月になる。大津市の滋賀会館文化サロン喫茶室カウンター。「わしが 誰かおわかりか」と書かれたレリーフ像がある。この像の人の名前がわからない。そのうち喫茶客の一人ぐらいは…の思惑外れ、時が流れている。

 口ひげがある。耳は大きく、眉毛濃く、目元は涼やかなだ。蝶ネクタイを結び、衿が幅広の背広で三つ揃いだ。スカッとした紳士だ。像は20㌢くらいで、銅製なのかどうか、わりに重くて、台座のところに笹の紋が入っている。この像の主を滋賀会館にオフィスを持つ滋賀県文化振興事業団総務担当の竹村憲男さん(4?)が探している。

半世紀の歴史を持つ滋賀会館の大ホールが9月で閉鎖になる。竹村さんは、その記念事業の仕事をしていて、会館近くの食堂・さかえの主人から「親父が昔、滋賀会館で働いていた。誰やわからんが、親父が持っていた記念の像や」と寄贈を受けたという。それで、竹村さんが像の主を知りたくて、喫茶室のお客さんに「知っている方はお知らせ下さい」と。像を手につぶさに見る。それなりの人物だ。さて、私は誰なんでしょう。

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2008年6月28日 (土)

G8の厳戒を見る

Img_0022 Img_0062  いや、確かにこれぞ厳戒ー。行く先々、警官また警官だ。G8外相会合-、新聞によると、京都は05年11月の日米首脳会談を上回る過去最高の6200人の警戒態勢だという。梅雨の晴れ間の27日昼、その厳戒ぶりをこの眼で確かめた。

 JR山科駅から地下鉄東西線に乗り換え、京都市役所まで行った。改札口は大阪府警の警官だった。ホテルオークラの地階入り口は封鎖中で、婦人が「駄目なの」と聞くと、上から入って下さいという。地上へ出た。市役所前広場もホテル前も赤色灯がクルクル回って、パトカー、装甲車が駐車している。奈良、なにわ、和泉に覆面パトは長崎ナンバー。

 警官の応援は27府県3100人だという。京都迎賓館のある京都御苑まで行った。府立医大前でバスを降りたら岡山県警が付近をガードしていた。河原町通りから寺町通りへ抜ける辻々にも警官が立ち、寺町を通過する車はすべて検問にかかっている。御苑の門という門は警官がこん棒持って仁王立ちだ。御苑は完全封鎖である。玄関口の京都駅はテロ警戒中の看板が出て、ロッカーはろっからも入れない。古都は警官が景観だった。

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2008年6月27日 (金)

号外の収集

Img_0086 Img_0089 どれくらい集めました?と聞いたら、23,800部だという。号外コレクターが集めに集めた部数である。何処に保管?と聞くと、自宅の和室6畳二間を全部使って、号外部屋にしていて、表の物置にもーという。いやはや、驚き桃の木号外。

 大津市滋賀里に住む山名隆三さん(71)だ。滋賀会館であった第21回近江趣楽会の展示撤収の日に出会った。何でまた?何時から?と矢継ぎ早に聞く。東京から亀岡に移り住んだ家が雷で焼失、その災害記録を新聞社に調べに行ったのが最初とか。京都で呉服商いしていて、昭和32年から本格的に収集を始めて、ちょうど50年になるという。

 古くは関が原の戦い、上野で彰義隊勝利ーなどの瓦版号外もあるとか。毎日TVでニュースを見ていて、号外!と思ったら大阪・梅田の配布現場まで行ったり、地方紙へ電話して送ってもらったりと。島根の山陰中央新報社だけが発行した「石見銀山の世界遺産登録」などは郵送だそうだ。号外はアイロンをかけ、奥さんが跨ぐと怒るという。号外発行は読売が一番、明るい号外が少ないとも話し、号外集めに後悔はないと。???

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2008年6月26日 (木)

カワセミだ!

Img_0027 06230001  大体、何時も何時も-である。地下鉄上がって北山門から府立植物園へ入り、針葉樹林から梅林を西へ行くと、大きな池がある。観月台のような茅葺の休憩所に大勢のカメラマンがたむろしてる。みんな三脚と大きな望遠レンズを抱えている。

 何を撮りに?と何時も思っていた。それまで、聞きそびれていたが、この間の日曜、それがわかった。急に3人ほどがダダッと走ってきて、あっちだという。一人が池の向こうの草むらを指差して、三脚をセットした。5、60㍍は離れていて、一緒になって見たが、何かわからない。聞いてみると、水辺に生息するカワセミだという。

 カワセミ?大石良雄が吉良邸討ち入りの折、狙った魚は確実に獲るというカワセミを例えに一句詠んだのは知っていたが、本物は見たことがない。休憩所から少し西側の蓮池で、また「いる、いる」の声がする。今度は20㍍ほど先、細い茎の上に曲芸のようにとまっている。デジカメ、ズームにした。とても届かない。隣のカメラマンは500㍉の望遠レンズだ。相手にならない。帰って、ネットで見た。嘴が長く、背中が水色で、それはそれは見事ななカオミセ?だった。

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2008年6月25日 (水)

醒ヶ井のバイカモ

Img_0042 Img_0040  屈んで、川の中に右手を入れた。おお、冷やこい。暫くつけていて、7、8秒で、手がキイッと痛くなる。水温はそれで、14度前後という。JR米原駅で大垣行きに乗り換え、一駅で醒ケ井である。清い水にバイガモが咲き、魚のハリヨが棲む地蔵川だ。

 梅雨の最中、蒸し蒸しする昼だった。本陣もある中山道の宿場町だ。地蔵川沿い、歴史と情緒を感じる。新聞やポスターのようなバイカモ(梅花藻)の写真が撮れるかなーと初めて行った。川の中のバイカモ、小さく白い。水の流れが紋を描く。水中カメラがあればーと場所移動していたら川から浮き出たバイカモに出会った。

 今度はハリヨ。探していたらお寺の前の水槽に。絶滅種指定だ。体長4㌢ほど、背中の針は3本、折り畳むらしい。観賞用に閉じ込められてか、3尾とも口を尖がらしている。地蔵川の源流、居醒(いさめ)の清水まで歩く。川幅4㍍、蒸気が白く、モヤッと立ちこめている。そこでまた屈んで右手を突っ込む。濡れた手を水ごと頭に二度、三度…、目にも一度…、シャンとする。ええ気持ちだ。ここは、頭も目も、醒めがい。???

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2008年6月24日 (火)

龍安寺の雲関と通気

Img_0042 Img_0074 最初の一字、筆はグイと横へ-である。勢いに乗ってか、筆はグイグイ動いて、空に浮かぶ雲になった。これに関と続いて「雲関」―、大雲山龍安寺の玄関口を意味するそうだ。この漢書、拝観料払って、庫裏へ上がり、左側の衝立に書いてあった。

 虎の子渡しの庭を見て、心静かに戻るおり、衝立の裏側に「通気」の字があるのに気づいた。この二文字、さっきの「雲関」とは対照的だ。シュッシュッと、一気に流れる如く書いてある。説明によると、気を通ず-と読み、概ね、万物が育つ根元力というほどの意味だそうだ。「風通しがよい」ではない、と念を押してある。

 明治の漢学者・寺西乾山師の筆だ。雅号は「紫芝山人」という。ししさんにん、と読むらしい。4×4=16でなくて、3人???。この人、龍安寺の前に住んでいて、昭和11年に臨済宗大学教授を辞めるまで40年間、妙心寺派の子弟を教えていた。筆は人物を現すという。確かに人間の豪胆さを感じさす。沈思黙考の庭、吾唯足知の蹲、それに最初と最後の「雲関」「通気」の禅語。お寺を出る時、前後不覚に。???

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2008年6月23日 (月)

忠太郎食堂の写真

Img_0066 Img_0076  琵琶湖汽船の中井社長が米原の忠太郎食堂に飾ってある一枚の写真をブログに載せて、「誰だかわかる?今、滋賀で活躍している人の若い頃?」と電話してきた。ブログを開けてみたが、わからず、会ったおりに聞くと、NHK大津放送局の三原渡局長だと言う。

 この間、その三原さんに会って、話を聞いて、写真の現場まで行って来た。三原さん、25年の前のことだと言う。ふるさと紹介の朝の番組で、長谷川伸原作、瞼の母の番場の忠太郎に扮して、「おっかっさん、わしっでござんす」と、番場地先にある、忠太郎食堂から中継したそうで、「その時の写真です…。いや、お恥ずかしい」と。

 忠太郎食堂は名神米原インター降りてすぐ。国道21号沿いで、昔でいう中仙道だ。食堂の斜向かいの経営者・土田家の前に合羽からげて…の忠太郎像がある。大きい駐車場あって、暖簾をくぐって、広い食堂の正面奥の右側に若い三原アナがいた。写真は7、8枚並んでいて、宍戸錠の隣だ。着流しの三原さん、着物のおっかさん?と喋っている。写真下に「HNK・三原アナ S58.10」と。いや、おなつかしゅう、ござんす。

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2008年6月22日 (日)

ときめきの景観2題

Img_0025 Img_0109  時にハッと思う光景がある。この間、岡山市から山陽道を車で高梁まで行ったおり、そんな景色に二度出会った。一つは棚田の煙だ。標高5-600㍍の高速道を出て、高梁市内へ向かうところで谷の向こうにモクモクと幾筋も白い煙が上がっている。

 助手席から見ていて、写真が撮りたい-と停めてもらった。緑濃い段々畑、村の人というか市町村合併で町の人か、ちょうど日曜で皆が出て、刈った草を燃やしているところらしい。深い谷底の向こう、煙にまかれないよう何度か場所を変えた。左の写真は備北バス玉坂口の停留所から撮った。まさに、たまさか???の、出会いだった。

 二度目のハッとは吹屋ふるさと村の広兼邸だった。ハッと、ハッと-で、ほっとする光景だった。右の写真とおりで、武者返しの石垣がお城のようである。1820年代、ベンガラの生産で大儲けした庄屋さん宅である。車を停めて、急坂を上って、屋敷跡拝観の道中だった。写真は石垣の段差のところで、横一直線に帯のように咲いている赤い躑躅が生きている。梅雨最中の6月15日である。そんな光景に出会うとは、つゆ知らずだった。

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2008年6月21日 (土)

人見さんと有森さんの像

Img_0138 Img_0135 ゴールの瞬間だろう。広げた両手を高く挙げている。今から100年前、アムステルダム五輪女子800㍍で銀メダルの人見絹江さんだ。東側へ50㍍離れて、バルセロナ銀、アトランタ銅と、五輪女子マラソン連続メダルの有森裕子さんがいる。

 岡山県総合グラウンド、桃太郎スタジアムの正面である。二人の等身大のブロンズ像があると聞いて、行った。有森像は「animo有森裕子」と書いた円柱の上だ。アニモはスペイン語で魂・勇気・気力の意味という。バルセロナのおり、有森さんは沿道の「アニモ、アニモ」の声が自分の名前を呼んでいると思って、頑張れたという。

 人見像は銘版に「郷土が生んだ陸の女王」とあり、栄光の経歴が刻まれている。有森像は山陽新聞に対し、こちらは岡山日日新聞の寄贈という。24歳の若さで生涯を閉じた人見さんは、毎日新聞大阪本社運動部の記者だった。毎日は今も毎年のスポーツ人顕彰で、200万円と人見さんのブロンズ像を贈っている。国体開催で真新しくなったスタジアムの正面広場。若者のダンス練習の喧騒の中、二人の像は夕日を浴びて、輝いていた。

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2008年6月20日 (金)

世代を超えた取材現場

Img_005 Img_0006 若い記者が年配の3人に話を聞いている。県庁前の滋賀会館ギャラリーで開催中の「第21回近江趣楽会」の取材だ。その場面に出くわして、記者さん声をかけた。幾つですか?と。「ハイ23歳です。京都新聞滋賀本社の1年生です」という。

 取材されている会長の上田啓さんは82歳だ。ご一緒のお二人も70歳以上だ。記者からすれば、年齢3倍の人生の先輩が取材相手である。新聞の号外、箸袋、郵便スタンプなど個人収集のコレクションが細長いギャラリーの端から端へ並ぶ。記者が場所を移動しながら聞き、3人も連れもって一生懸命答えている。世代を超えた取材風景である。

 何時載るの?と聞くと「明日です」という。取材ぶり、ハキハキして、好感が持てる。研修経て、5月に配属の新人さん。どんな原稿になるか、ちょっと心配で、翌日一番に京都新聞を開いた。滋賀版に出ていた。行数25行少しの記事だが、よく見て、よく聞いて、要所を外さず書いている。花丸だ。取材された上田さんも「上手に書いてもらった」という。新潟出身の逸見祐介君で、新聞社へ尋ねたら、記者はまだ帰社していなかった。???

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2008年6月19日 (木)

ツバメの巣を撮る

Img_0100 Img_0101 デジカメ構えて口を開けた。ヒナのいるツバメの巣だ。親鳥が餌を口にくわえて、運んで来る。ヒナが一斉に口を開け、ピーピー鳴く。親鳥はヒナの口に餌を放り込むと、またすぐ飛び立つ。ほんの一瞬である。写真撮りに夢中、開いた口が塞がらない。???

 親ツバメは行って、帰って、また行って…。巣のヒナは3羽だ。みんなに公平、3往復は行き来したかな。ベンガラの古民家の軒先である。泥をつけた巣箱は10㌢くらい、2㍍ほど先だ。デジカメをズームにして、待って、撮って、待って、撮って…。餌やりは1、2秒で、兎に角速い。シャッター切るたび、しゃったあ???。

 岡山県高梁市の吹屋ふるさと村だ。幕府直轄の銅山があって、その銅を精製してベンガラをつくった町だ。往時そのままのベンガラ塀の民家が並び、情緒感で観光地になっている。ツバメの餌やり写真はそこで撮った。上の写真は何枚かのうち傑作2枚だ。3羽がヒナが口を開けたところと、親鳥が餌を与えたところだ。多少は先を急ぐ旅、開けた口は町の突き当たりにあった田舎うどんとお握りを食べて、閉じた。

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2008年6月18日 (水)

金婚さん、いらっしゃ~い

Img_0036 Img_0001  地方には地方の、イベントがある。岩手・宮城で大震度があった日だった。岡山へ行って、宿泊ホテルで見た山陽新聞夕刊である。一面トップはもちろん、黒字に白抜きの地震報道だが、その隣は金婚夫婦お祝いの集いが記事になっている。

 見出しは「苦楽ともに半世紀」である。写真はなんと427組もの金婚夫婦が倉敷市の会場を埋め尽くしている。山陽新聞主催で、今年で10回目という。記事を読んだ。華燭の典は昭和33年だった。ステージで当時流行していた裕次郎の「嵐を呼ぶ男」の演奏と戦後から現在まで出来事を綴ったビデオの上映と式典があったという。

 夫婦でフーフーと続いて50年、そのお祝いを地元新聞が主催する。なかなか粋なイベントだ。この日の427組は岡山県西地区の金婚さんらで、県都の岡山市内を対象にした集いでは、千組以上が参加するという。新聞社は参加者に祝辞状、金杯、記念写真、それに昭和33年の元旦紙面を贈るという。翌日の朝刊にも、金婚夫婦の喜びの表情が出ていて、まさに至れり尽くせり。地方は地方で、キンコンカンコン~キンコンである。

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2008年6月17日 (火)

岡山のままかり

Img_0013 Img_0151 隣の家へ、まま(ご飯)を借りに行くほど旨いから「ままかり」だという。前々からホンマかいな、そうかいなあーと思っていて、この間、岡山へ行ったおり、各県の人が集まった宴席で、酒の肴にままかりを話題にしてみた。

 ホストの岡山人が方言で言う。「酢で食べらあ、最高じゃて、じゃが今頃、中南米から来ちょるけん、いかんとが」と。向かいに座った香川の人は「あの魚は、猫またぎ言うて、猫も避けて通る、ちゅうけどなあ」と。ままかりの本名はサッパ(ニシン科)といい、瀬戸内でよく獲れるという。それでどうか、日本海側の島根の人は、さっぱり知らないと。

 神戸の人は、ままかりより、高砂の穴子という。宴席の備前ばら寿司=写真左=に夢中で、話に乗ってこない。もう一人、宮崎の人は、そのまんま東である。???。魚も人も、お国ぶりが出る。帰り、駅構内の飲食店で、今人気の焼きままかり。皿に三尾、450円だ。頭からがぶり。小骨も出たが、酢味と香ばしさが混ざって、いい味だ。隣へままかりに~と行きたいところだが、隣はラーメン屋さん。そこの店の穴子茶漬けで、腹をおさめた。

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2008年6月16日 (月)

貫通石のお守り

Img_0008 Img_007 貫通石のお守り-、どんな石か覗いてみたくなった。結んである白いひもを解いて、ピンクの袋の中を見た。ガチガチした1㌢くらいの石だ。何か悪いことしているようで、取り出さず、また結んで、そのまま机の中にしまった。

表側に「京都 新十条通 貫通石」とあり、裏側には「祈願成就」と金文字が貼り付けてある。6月1日の阪神高速8号京都稲荷山トンネルの開通記念ウオークに参加したおり、買った。山科から伏見へ抜ける真ん中あたりで、記念販売していて、確か1個500円だった。覗いたついで、販売先の阪神高速道路会社の関連事業室へ電話してみた。

何も書いてないので、何のご利益が?と聞く。貫通石はふつう、安産とか、受験用らしいが、この石は神社祈祷せず、あくまで貫通記念でつくったという。千個だけの限定で、これまでにほぼ裁けたと。聞いてもわからないと思ったが、念のために石の種類は?と聞く。わざわざ担当課へ尋ねてもら、調べてもらったところ、丹波層群のチャート質の石だという。不意の電話にこれだけ、ちゃーと、答えてもらって、ありがたかった。

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2008年6月15日 (日)

哲学の道のホタル

Img_0019 Img_0023 何時以来かなあ-、哲学の道へゲンジボタルを見に行った。夕方から雨-の予報が外れた日だった。鹿ケ谷通りの食事処「わかば」で、夕飯してホタルの出を待った。主人に聞くと、昨夜は2匹しか出てない。よう目を凝らさんとあかんよーという。

 復活とか乱舞とかーそんな新聞記事が出ると、あかんという。仕方ないなあと、哲学の道へ上がり、疎水を覗いた。出会ったお二人さんに、どうですかーと聞くと、あっちで2匹見たと。主人が良く出ると言う大豊神社まで行った。京都市自然200選、ゲンジボタル生息地の立て札があり、ホタルが好むカワニナが多いと書いてある。

 闇夜に目を凝らした。光った。2匹、3匹の点滅で、また闇夜になった。三脚抱えて、岐阜から写真撮りに来た青年と出会った。岐阜は市内から10分でホタル乱舞と言い、2匹、3匹では当てが外れたようだ。暫くして、また1匹、2匹…。今夜はこんなもんか、哲学者・西田幾太郎も見たかなあ-考えて帰り道、急に飛び出した。5匹、6匹…、いた、いた!、綺麗!と歓声が上がる。午後8時すぎ、ホタル出番の時間だった。

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2008年6月14日 (土)

スイス人画家アンカー

Img_0017 Img_0015 JR京都伊勢丹で開催中の「アンカー展」へ行った。スイスの自然派の写実画家で、日本初の回顧展という触れ込みだ。安価?どころか、招待券があって、無料で入った。日本ではそうなじみはないが、スイスでは国民的画家として、今なお人気が高いという。

作品は故郷・スイスの村のぬくもりを描いている。子ども、母と子、祖母と祖父、静物、教育など展示は100点余り。1831-1910で、生涯年齢は79歳である。招待券の強み?、仕事帰りに予備知識ゼロで観賞した。作品を見ていて、一点一点に足が止まった。村の人々の素朴な表情が出ている。心に沁みて、じわっときた。

その一つは「学校の遠足」=写真右=だった。1872年、アンカーが41歳の時に描いている。5、6分は観賞しただろうか。主役は女先生1人に生徒20人だ。背景は青い空が広がり、空気が澄んでいる。緑の溢れる丘陵地で、子どもが花を摘み、裸足になって、弾んでいる。子どもの手をぎゅっと握る先生、花を持って「先生!見て、見て!」と叫ぶ子ども-、自然とほのぼのとした味わい。こんな遠足、いま、どこにアンカー。???

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2008年6月13日 (金)

吾唯足知の圧縮タオル

Img_0006 Img_0009 これが、これである-???。「水につけよ」-書いてあるので、その通りにしたら、暫くして開いてきて、ハンドタオルになった。写真のとおり、左のこれが、右のこれである。京都・龍安寺の土産物売り場で買った「吾唯足知」ロゴ入りの圧縮タオルだ。

どんな土産が?と、店内を覗き込んでいて、見つけた。白くて、丸くて、最初は干菓子かーと思った。売店のおばさんに聞くと、2年前から置いていて、多くはないが、少しは売れているという。喋りようからすると、そうお勧めではなさそうだったが、吾唯、どうなるか、知りたくて買った。1つ500円。ビニール袋に「禅の心」とある。

 職場に持ち帰ってやってみた。水道水を上からジャアッとかけた。堅いままなので、灰皿に水を浸してつけてみた。10秒、20秒…下から少しずつ捲れてきて、最後は手で引き伸ばした。20㌢四方の白いタオルだ。右下に「大雲山 龍安寺」の文字と銭型のロゴが入っている。口を真ん中の時計回りで、4つの漢字が「吾唯足ることを知る」-と。禅の格言から茶道の真髄を知る圧縮タオル、その謎、水で解けた。

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2008年6月12日 (木)

3本入り穴子天丼

Img_0023 Img_0027 路地を入って、「天周」の暖簾をくぐった。長~いカウンター席、20人は座れる。開店間なしの午前11時すぎだ。店前の看板どおり「お昼のおすすめ 3本入り1100円 穴子天丼」を頼んだ。店員さん、鸚鵡返しに「ハイ、穴子イチ」とイチイチ言う。

 店は大和小路四条東入ル、北側だ。昼の時間は天丼一手、夜はコース料理だ。ここの穴子天丼、食べたかった。板前さんは一人で、主人のようだ。2本の菜箸を使いこなして天ぷらを揚げている。木の太い菜箸で穴子を掴み、畳み込むように衣をつける。今度はカネの菜箸に持ち替え、ごま油がたぎる鍋にすべりこます。菜箸が手のようだ。

 漆塗りのお椀の丼が出てきた。穴子3個、丼を覆っている。一口、ワカメのお汁を吸って、手前のから口にした。天麩羅はからっとーでなく、ジクッとしている。隙間からタレご飯を掘り起こす。穴子に山椒と一味の薬味をふりかける。アツアツ感に甘みが広がる。これ、これ、この味だ。兵庫県高砂産の穴子という。タレご飯から穴子、汁すすり、またタレご飯-、隣の客もその隣も、たれも、そうしている。美味しかった。!

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2008年6月11日 (水)

チエンソーの木彫りアート

Img_0008 Img_0012  身体全体の三分の一が顔だ。団子鼻が大きく、黒い目はへこんでいる。口元は真一文字に結び、ぴょんと聞き耳を立てている。名前のプレートなのか「しが」と書いた板を左手に抱えている。チエンソーで創った間伐材の木彫りアートという。

 大津市の滋賀県庁新館の3階にある。この間、古文書公開コーナーへ行ったおり、見つけた。名前どおり、しがない顔をしている。係りの女性にこれ熊?と、聞いた。申し訳なさそうに「いいえ、犬…」という。もう一度、よく見た。馬?とか、冗談ぽく鹿?か、と言う人もいるとか。馬か、鹿かとは、それは幾ら何でも、馬鹿にしている。???

 どうして、ここへーと聞くと、滋賀県多賀町高取に「チエンソー・アートクラブ」があって、去年の秋に貰ってきたと。愛好家がチエンソー・アート普及へ、公共施設に寄贈しているという。3人掛けのベンチで、犬の反対側の木彫りはふくろうだ。杉の間伐材でつくってあり、制作するのに2時間がかりとか。愛好家が全国各地にいて、動物彫刻その他、色んなアートぶりを競う世界大会もある-と聞いて、あっと驚いた。

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2008年6月10日 (火)

居酒屋「蔵倉「の上下

Img_0024 Img_0017 JR京都駅から、歩いて5分の居酒屋「蔵倉」(七条東洞院上ル)へ行った。集合時間6時半に遅れて、暗くなって?だった。「蔵倉」は昔の酒蔵を改造した店。暖簾をくぐり、重い戸をガラガラ引いて、一歩入って、溢れる酒の匂いにくらっときた。

先の二人は始めていた。この店を指定した幹事はまだ来ていないという。どうして、ここなのかと知りたかったが、それは後にして、まず、店員さんに聞いた。蔵倉の店名、なんで蔵が先なの?と。店員さん、さあーと首かしげた。調理場で聞いてきて「前は倉が先でしたが、何年か前に蔵を前にして、反対にしたんです」という。

そうだったのかーと、妙に納得した。蔵には重みがある。字数の少ない倉が上の「倉蔵」が治まりがいい。それを逆にした理由を尋ねようとしたら幹事が着いた。そこで、何でこの店?と問うと、ネットで調べて、安くて、品数が豊富そうだからと。大正13年の酒蔵で、五栄正宗という酒をつくり、東本願寺に納めていたと。そうか、そうかと、食べて、喋って、クラクラ飲んで、蔵が上の訳、聞かずに足元フラフラ。ウイッ!

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2008年6月 9日 (月)

勧修寺の看板案内

0001 Img_0054_3    JR京都駅の観光案内所に「初夏の京都へ」のポスターがあり、山科・勧修寺の睡蓮が紹介してある。梅雨の晴れ間、しょうか?と出かけた。入園料400円。入り口にお寺さんらしく「希望に起き 愉快に働き 感謝に眠る」と、毎日の心構え掲示してある。

 境内入ると、また書き紙がある。「説明を聞きたい方はボタンを押して下さい」と。指示どおり、ボタンを押すと、寺の由緒がテープで流れる。黄門さんの燈籠、ハイビャクシンなどの庭の途中で、「この木、うるしにつき注意」の断り書き。池の回りは「ここから自然観察」とか「正面に鷺の巣」と書いて→表示も。いや、丁寧である。

 池をぐるり回ろうとして、また看板だ。「この先 行かれるのは自由ですが 大いに危険」と。「大いに危険」に赤の線が引いてある。進むべきか、留まるべきかー悩んで進んだ。木々鬱蒼、道は細いが、危険というほどではーと進んだら、また看板が出た。「魚は盗るな、釣るな!不法は110番」と。110番は赤字だ。看板にドギマギして、1周したら「このシバフに休息して下さい この先出口に至ります」と。看板、かんばっている。

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2008年6月 8日 (日)

定食370円の店

Img_0046 Img_0039  店の看板に味がある。横長で「幾年月、真心そえて京の味」と。三条大橋から東へ百㍍、南側の食堂で、白い暖簾に「みどりや」とある。三条通りを歩く度にレトロやなあーと思っていた。だしまき定食が370円という。どんなんか?と、初めて入った。

 テーブルは二つ。回りは骨董品が所狭しである。座ってすぐ、正面の古時計がボーン、ボーン…、12時だ。こんな安い定食はあんまりないねえ-と話しかけてみた。注文聞いた店の男の人、そうでっしゃろと。おかずケースからもう一品、炊いた茄子とりだし、店は何年目?と聞く。賄いのお母さんか、中から「昭和13年、2代目!です」と。

 だしまきに味噌汁、漬け物…、真心の味だ。昼時でも客は来ず、話が弾む。この日は留守のご主人が、骨董趣味だそうだ。瓢箪、人形、石鏡、銅鑼、土器…、雑然と置いてある。「ホラホラとアレアレだけで解る仲」と書いた模造紙も。もう一枚捲ると「石橋を叩き過ぎたか乗り遅れ」と出てきた。ご主人の自作という。看板と同じで、味がある。その主人のお年は?と聞くと80歳と、年下のお母さんが言う。だしまきに味、人生に味!。

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2008年6月 7日 (土)

水槽の熱帯ナマズ

Img_0006 Img_0007 喫茶店「赤とんぼ」に変なナマズがいる。体長70㌢ぐらいだ。毎日毎日、大きな水槽の中でじっとしている。頭と口はでっかく、目は小さい。自慢の髭はシュッと6本だ。このナマズの出生の秘密が聞きたくて、ある昼下がり、350円のコーヒーを飲んだ。

 お店はJR大津駅東隣の平和堂2階にある。営業は20年来、夫婦でやっていて、この時は女将さん一人だった。座ってすぐ、ナマズですね?と確認した。「ハイ、熱帯です」という。少しずつ、質問を絞って行って、南米のアマゾン産で、お客さんから預かって、5年目とわかった。ナマズにしては変?と思ったのは、舶来産だからだった。

 エッヘン?は髭だが、最も変なのは、尾ひれだ。国産のビワコナマズは平らだが、縦長だ。色も黒でなく、お腹回りが白くて、まだらである。女将さんも正面はナマズだが、後ろからだと変な魚みたいという。女将さん、去年一度、急に暴れましてね-と言う。どうして?と思ったら、地震が来て、店が揺れたそうだ。でも、あのタイミングでは逃げる暇はなかったと。普段、水槽でナマッていて、地震予知は大幅に遅れたようだ。?

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2008年6月 6日 (金)

60歳から本番

Muno116 Img_0002 日経新聞はいつも終面の文化欄から見る。この間、小説の上のコラム「交遊抄」の見出しが目にとまった。「60歳から本番」と。ノンフィクション作家、黒岩比佐子さん(50)が書いている。読んでみて、切り抜いて、手元に置いた。

 この言葉、黒岩さんが10年来、文通する1915年生まれ、93歳の、むの・たけじ(武野武治)=写真=さんから言われたという。「60歳からが人生の本番。人間は60年間苦労して、やっと物事がわかるようになる」と。無名のライターだった黒岩さんは、むのさんから激励の言葉とともに、歴史の見方や物書きとして矜持を教えてもらったという。

 むのさん、朝日新聞の記者だった。敗戦で記者として責任をとり、故郷の秋田に戻り、タブロイド版の週刊新聞「たいまつ」を30年間、発行続けた。黒岩さんは97年にむのさんに出会い、マスコミ批判の舌鋒と全身に溢れるエネルギーに圧倒され、一通の礼状を書いてからの文通交際だ-と書いている。むのさん、どんな人か、ネットで見た。新聞社辞めず、留まって、書くべきだったーと振り返っている。こういうコラムはいい。

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2008年6月 5日 (木)

日本の石橋展

Img_0005 Img_0019の写真がからまで並んでいた。滋賀会館ギャラリーであった「日本の石橋展in大津」である。眼鏡橋、太鼓橋、水路橋…、全国の石橋写真が400枚以上も。この間の撤収の日、一人で展覧会を主催する森野秀三さん(49)に何で石橋?と聞いた。

 大きな体格の人だ。もうじき100キロになるので、気をつけているという。滋賀県生まれで、かつて阪急宝塚沿線石橋駅近くの洋服屋さんで働いていた。石橋?それがきっかけといえばきっかけとか。会社の空きスペースで、石橋展をやって以来、石橋を訪ね歩いて写真を撮り、年3回は全国どこかで展覧会をやっているという。もう17年にもなるそうだ。

 森野さん、展示ケースの中で、写真4隅の押しピンを一個ずつ外す。半日かかりで、汗が吹き出している。これも快感という。もらった名刺は「日本の石橋展 森野秀三」と。石橋写真の撮影で、今までに全国600ケ所は回ったという。石橋は九州に多い、台風洪水で流されないからだ、生活の橋だが、文化財的な価値も高い、今年は秋田、岩手を回ってどんな石橋があるか調査したい…、話は石橋をたたくが如く慎重?、スト~ンと終わらない。???

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2008年6月 4日 (水)

湖岸の夕暮れを撮る

Img_0022 Img_0024 あっ眩しい。湖岸の夕暮れ、西日が真っ正面だ。標高848㍍、比叡山頂上から湖をオレンジ色に染めている。夕日に向き合って、デジカメのシャッターを切って見た。左前方の琵琶湖ホテルが真っ黒に写った。傾く夕陽は滲んで光っている。

 朝方、雨がダアッと降った日だ。いつの間にか降り止んで、夕方近くに陽が射し出した。滋賀県庁前から京阪石坂線へ下り、島ノ関駅の踏み切りを渡って、浜大津まで湖岸を歩く。緑の風、湖の風、みんなブルーの風だ。なぎさ公園の一歩一歩が心地良い。時計の針は午後6時半だ。右手は琵琶湖、凪いでいる。一日の終わり、鏡のように静かだ。

 外輪船ミシガンが沖を行く。この日の最終便、たそがれ航行だ。大津署水上派出所あたりで、振り向いた。人影が伸びている。足の長い影だ。誰かなーと確認したら、もう一人の自分だ。元々、足が長く、棒振りに不向きだが、それにしても、こうまで長いとは。頭から足元まで10㍍はある。今度は反対に西日に背を向け、写真を撮った。びわ湖ホール、大津プリンス…、はるか近江富士まで照らすようだ。西海浄土の輝き、いま琵琶湖に-である。

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2008年6月 3日 (火)

奈良の天馬展

Img_0021 Img_0020  京都から近鉄で、奈良博の天馬展へ行った。天馬、空(くう)を行くーでなく、天馬、電車で行く?。天馬展、上からも読んでも下から読んでも「てんばてん」と思いながら見た。奈良駅から公園内歩いて博物館への道のり、鹿もしかと見た?。

 主催は奈良博も特別協力に競馬のJRA。お金を出す相手、うまいこと考えた。それでか、会場入り口に競走馬が展示してある。入場料は一般千円。会場はさすが国立、広くゆったりしている。副題はシルクロードを翔ける夢の馬。奈良がシルクロードの東の終着駅と云われておりお、それで奈良が会場に。なるほど、習う?ことが多い。

 展示会場は紀元前1千年からの、馬また馬。圧巻はポスター写真のペガサスだ。古代ローマのマルス神殿から出土した装飾片で、大理石づくりの真っ白な有翼馬だ。ギリシャ神話に登場する英雄の馬で、初公開という。ペガサス、雨の日で傘さす?甲斐あった。隣りの会場に鍍金馬がいる=写真右=。これぞ駿馬だ。今にも走り出しそう。漢の武帝が欲した一日千里500㌔、血の汗をかく汗血馬だ。じっくり見ほれて、観賞を完結した。???

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2008年6月 2日 (月)

稲荷山のトンネルウオーク

Img_0016 Img_0028  号砲が鳴って、風船が舞った。ドンドン、ピッピッ…、笛と太鼓のマーチングバンドが先頭を行く。トンネルウオークの始まり。山科側の入り口は忠臣蔵の大石良雄を祀る大石神社の近く。1日朝、開通式典があり、全長2・4㌔を歩いた。

 阪神高速8号京都線稲荷山トンネルという。稲荷山は東山三十六峰の第1峰である。着工から丸13年かかった。総工費700億円という。胸に白バラ、背広姿の阪神高速道路の木下博夫社長もみんなと一緒に歩いていた。面識があって、横へ寄って、やっとですねーと声をかけた。住民交渉、強制代執行などで、5年は遅れました―と言う。

 木下社長は思いを込めて話す。京大出身のキャリア。京都市都市計画局長、京都市助役通じ、このトンネル工事と関わり、本省の国土庁事務次官で退任して、民営化になった阪神高速の社長就任でまた…という縁である。構想、鍬入れ、開通式―すべて関係することになったと。最初で最後の開通お披露目ウオーク、西からも東からも人の列が続く。山科からは東山区、伏見区の下を歩き、トンネルを出たら「鴨川東」だった。

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2008年6月 1日 (日)

ホタル好みの庭

Img_0050 Img_0055  利休好みの庭だという。ツツジ、石塔、池…、真言宗智山派の総本山・智積院の名勝庭園である。今からホタルが飛ぶという。襖が外された大書院に胡坐をかいて、ひたすら暗闇を待つ人、最前列に20人、後ろへ5列で100人はいる。東山七条の寺院である。

 ホタル観賞代は800円だ。ウエット・ティシュと生茶がつく。30日から週末3日間の期間限定だという。午後7時過ぎに入り、ビニール袋に入れた靴を持って、4列目に座った。書院内は暗いが、庭はまだ明るく、ツツジが咲いている。待つこと10分、20分…、薄暗くなって、葉陰からポオッと一つ、光った。それが始まりだった。

 オオッ!と、どよめきが出た。あちらでポオッ、こちらでポオッ…、ぼおっとしていられない。シュルルル…書院まで入ってきて、ウオッ!と最高潮だ。後ろの女性「これが蛍の光?、ハンカチがいる~」と。お寺さんサービス、別会場に蚊帳吊って、ホタルを触るコーナーも。兵庫県で仕入れたゲンジボタルだそうで、300匹放していると。名勝の庭を使った創作観賞、利休さんからホタル好みの庭へ、切り替えかな。

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