« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »

2008年3月

2008年3月31日 (月)

門が切り取った春の景色

Img_0006 Img_0010  歩いていて、おやっーと感嘆して、思わずカメラを向けた。お寺の門、その向こうに庭。老木だろうか。鮮やかなピンクの花が咲いている。白い築地塀、緑の松…、真っ四角な門塀が額縁になっていて、庭を一枚の絵にして、見せている。

 浄土宗華階寺(けかいじ)だ。大きな二本の銀杏と俵藤太の館跡で有名である。JR大津駅前の通称30㍍道路、真っ直ぐ琵琶湖へ向かって3百㍍ほど、バス停の真ん前のお寺だ。気持ちよく晴れた日、浜大津へ行く途中にこの絵も言われぬような、こんな景色に出会った。暫し、春―茫然、門前に立ち尽くした。

 あのピンクの木、何かな。門から少し距離あって、定かでない。桜には早い。梅かな、桃かな、それと杏かな。勝手口があるが、庭へは直接入れそうでもないので、職場に戻って電話してみた。電話に出た女性は、紅梅だという。住職は留守でわからないが、樹齢30年?50年?いや、もっとでしょうか―と。切り取ったような景色ですねーと言うと、ハイ、みなさんによく…と。♪~春は、どこから来るかしら~♪である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月30日 (日)

ゴボウのカリカリサラダ

Img_0038 Img_0045  ちょっと塩味で、カリカリしている。ちょっと曲がりくねっていて、しゃきっとしている。水菜と絡めて口にすると、カリカリが無茶苦茶になって、ムニャムニャする。これ、普通に喋っていても、ゴボウのカリカリサラダという。

JR京都伊勢丹9階にある創作料理店「市場小路」自慢のメニューだ。ゴボウをスライスして、小麦粉を少しまぶして、油で素揚げしてあるらしい。一皿3、4人分で720円。副店長の露口鉄平さんによると、去年3月からの新メニューで、野菜サラダ5品目の中では明太子ソースの大根サラダについで、2番人気に上ってきたという。

長さは7、8㌢、香ばしい味だ。向かい側の相方、なぜか時折りゴボ、ゴボと咳き込みながら話す。東京ディズニーのレストランでは、このゴボウサラダが立って出てくるという。曲がらすに?と聞くと、スティックみたいだそうで、ウエーターが「どうです」と、得意そうに運んで来るという。興行で全国を回る相方は、物知りで、そのウエーターの名前は「確か、ゴボちゃんだったかな」と言って、また、ゴボン、ゴボン…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月29日 (土)

290円の中華そば

Img_0029 Img_0039  名神京都東インター下りてすぐ、国道1号沿いに「創業昭和二十九年 中華そば 290円」の看板が出ている。瀬田からの棒振り帰り。マイカーの中から、290円の味って―、と前々から思っていて、この間、初めて、口にした。

 麺、コシがある。スープも喉こし、スッと通る。シナチクが8個も、焼き豚は薄いけど3枚入り。評価?そりゃあ、290円なら◎が三つだ。麺は中太ちじれ、スープは鳥、豚、野菜を混ぜたトリプルスープだ。駐車場は40台、終日禁煙の店内60席、ゆったりしている。福島県郡山市に本社のある「幸楽苑」のFC店で、3年前に開店したという。

平日の午後7時過ぎである。客入りは?、儲かっているかな…と、店内見渡して、ひとすすり、ふたすすり。母娘客、手抜きかな。一人客?運転手さんかな。禁煙、いいのかな。子ども6人の団体、今ごろどうして…。客の注文?290円ばかりじゃなさそう。炒飯、ざるラーメン、餃子、トッピング色々、デザートも。この味ならと、野菜餃子とグラスビール1杯追加した。支払いレジ、734円に。最初の290円、どこへ?。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月28日 (金)

代代、光秀饅頭

Img_0048 Img_0061  代代―、江戸から数えて、15代目の饅頭屋「餅寅」さんが、光秀塚をお守りし続けている。お店には黒糖の「光秀饅頭」も売っている。光秀塚は店の北側の路地を東に入った突き当たり。5個入り光秀饅頭買って、つかつかとお参りした。

 三条白川を川沿いに50㍍ほど南へ下がったところだ。饅頭屋さんから10㍍ほどで、明智光秀の首が埋められた場所に近いという。秀吉軍に敗れ、坂本へ逃げ帰るおり、小栗栖で農民に襲われ、自刃した。家来が光秀の首を刎ね、知恩院で灰にせよと―いう遺言どおり、知恩院近くまできて、夜が明けたので、山麓に埋めたと伝えられている。

 祠に位牌と骨壷があるという。格子から覗いたが、鍵が架かっていて、饅頭屋さんに戻って、確認した。15代川嶋正幸さん(60)と14代故登さんの奥さんが、代代続くアルバムを見せてくれる。「これ、骨壷写真です。ばあちゃん、小さい時、中を見たんやねえ」と15代奥さんが言うと、14代がうんと頷く。新聞の切り抜き、週刊誌…、光秀資料が次から次へ。饅頭屋さん、家族揃って光秀塚の学芸員だ。代代、そのようだい

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月27日 (木)

子子子…はコ、ネ、シ

Img_0004 Img_0009 子の字が12個並んでいる。「子子子子子子子子子子子子」である。さて、これをどう読むかと、嵯峨天皇が小野篁(おののたかむら)に問うた。何せ、諸芸百般、誉れの高い篁である。即座に答えた。「猫の子の子猫 獅子の子の子獅子―です」と。

これ、JR西日本の車内ポスターに出ている。3月末まで続く京の冬の旅のキャンペーン。「最京の才」として、12の子を解読した小野篁を紹介している。その篁が言う。子にはコとネとシという読み方がある。だから「子(ネ)子(コ)の子(コ)の子子子(コネコ) 子子(シシ)の子(コ)の子(コ)子子(シシ)」と読めばよいと。

等身大の篁像がいま、東大路通松原西入ルの六道珍皇寺で、特別公開中という。閻魔大王像の隣に並んであるらしい。昼は嵯峨天皇に仕え、夜は閻魔さんの傍で、地獄の沙汰の差配をふるっていたという。通勤電車で、見上げる篁像のポスターは上半身のアップだ。目を細めて、人を奥の奥から静かに見下しているようだ。珍皇寺には篁が冥土へ通った伝説の井戸もある。摩訶不思議、あの子(ネ)の子(ネ)の篁さん、やる子(ネ)え。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月26日 (水)

池大雅の肖像

Img_0003 Img_0014  この肖像、文人画家の池大雅だという。江戸中期の人で、川端康成蒐集の「十便図」は国宝になっている。京都生まれの京都育ちで、蕪村と並ぶ大家だが、この肖像、どう見ても風采があがらない。目はトロンと落ち込み、髭もモサっとしている。

東山花灯路・文人回廊で見た。青連院北側の、あおくすの庭に東山ゆかりの10人がベニヤ板でパネル展示してあり、ライトアップされていた。西行、吉井勇、芭蕉、富岡鉄斎…とあって、中ほどに池大雅と玉欄夫妻が出ていた。それぞれに写真、肖像画あって、みんなカッコいいのに、この大雅は気の毒である。

文人回廊、勉強になるので昼にも行った。肖像説明は「大雅堂に伝来した肖像画で月峰の作と伝えられている」と。それ以上書いてないので、作者の月峰や大雅堂を調べたが、何時ごろ描かれた絵なのかわからない。大雅は安永5年(1776年)52歳で亡くなっている。晩年ほど画よし、書よし、遊んでよし―と言われた。実像は洒脱な、男前のはずだ。大雅にすれば、たいがいにせよ。???

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月25日 (火)

笑う猫の写真

Photo Img_0073  喫茶店に笑った猫の写真が飾ってあるという。そんな情報を教えてもらって、地下鉄とバスを乗り継いで、行ってみた。「ボア」という名の喫茶店だ。京都地裁の南側、竹屋町通りを少し西である。土曜の昼、店内はやや年配の女主人がひとり。

 コーヒー頼んで、店内を見渡す。どこを見ても写真はない。あの~う、笑い猫の写真は?と。「この間、お客さんに差し上げました。一カ月ほど貼ってたんですけど」という。写真のコピーはないという。笑っていました―と聞く。「はい。三毛猫で、目じりが下がって、ニィッと。私もお客さんからもらったんですけど…」という。

 こちらの残念そうな様子に「インターネットで見られるらしいですよ。笑う猫で検索されたら」と女主人。なるほどーと、戻って検索したら、出てきた。上の写真がそうだ。猫が微笑んでいる。こちらまで、ニコニコしてくる。ホンマかなあ、あまりに出来すぎ、ではある。喫茶店の女主人が「あれ、合成かも。持ち主不明ですし、猫の垂れ目って聞きませんし…」と、言っていたのを思い出す。嘘か真か、真か嘘か―どちらか、にゃあ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年3月24日 (月)

極楽橋で下乗

Img_0040 Img_0044  昔、そんなことがあったのか。JR山科駅から坂道を歩いて10分、毘沙門堂の入り口に「下乗」を指示する石碑が建っている。馬上でも、車でもなく、最初からトボトボの徒歩で、何の問題もないが、そこで下乗の意味を知って、へえっと、佇んだ。

 石碑の前は、極楽橋だ。幅3㍍、石の欄干にギボシがある。何となく、ありがたそうだ。その感じ方、黒御影に彫り込んである謂われを読んで、当たっていた。何でも、第111代後西(ごさい)天皇がここへ行幸されたおり、あまりの美しさに「ここは極楽浄土じゃ」と感嘆され、それで、極楽へ通じる橋との勅命を賜ったからだという。

 以来、何人も下乗して参拝だった、そうだ。極楽浄土へ、赤い幟のある上り階段を上がった。毘沙門堂は、春は桜、秋は紅葉だ。JR東海の「そうだ!京都へ」のポスターにもなった。後西天皇の行幸の17世紀頃も、そうだったのだろう。ハアハア上がって、本堂でお参りした。お賽銭は、十分ご縁の15円。お願いの中心は、まず棒の100切り。帰りに見た「下乗」指示の石碑の裏側は「平常心是道」と。了解!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月23日 (日)

定説疑う何必館

Img_0002 Img_0022  何必館と書いて、音読みで「かひつかん」という。それ、何の館かというと、京都現代美術館である。花見小路四条東入ル、用事あれば行く「よーじや」の東隣だ。いま、春の特別展、名品との出会い「何必館拾遺展」を開催中である。

 過日、何必の意味は?と、観賞した。21歳で村上華岳の「太子樹下禅那」と出会い、美の世界へ入った館長の梶川芳友さんが言う。学問でも芸術でも、人は定説にしばられて自由を失っている。定説を「何ぞ、必ずしも」と疑う自由な精神を持ち続けたいという、そんな気持ちで命名したという。そんな丁寧な加筆があって、納得した。

 何必館、梶川館長が自ら設計、1981年に開館した。5階の展示室は空が見えて、苔の庭に楓の樹が植わっている。何々、これも何必?と驚いた。建物はこうだーという定説はない。自由な発想だ。春と秋の特別展は美の極致を求める。今は華岳、魯山人ら12人の作品を展示、梶川さんとの劇的な出会いを書いている。梶川さんの文章綴り、巧みだ。名品もだが、腹がたつほどの名文もまた、定説のない出会いだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月22日 (土)

叡山すみれは今…

Img_0005 Img_0007  育てるのが難しくて、絶滅種になるかも…という。平成3年3月、大津市が市の花に指定した「叡山すみれ」である。芭蕉が京都から小関越えで大津入りしたおり「山路きて なにやらゆかし すみれ草」と詠んだ、あの名句のすみれだ。

 滋賀会館文化サロンの喫茶室で、今、鉢植えの叡山すみれが咲いている。窓の外、雨に濡れて、白い可憐な花が一層みずみずしい。サロンに鉢を提供した花博士の山口定七さん(72)が話す。「大津市から叡すみれの里親に委嘱されましてねえ。環境の変化か、うまく咲かないんです。ほかの方もたいがい、ギブアップです。これ、よく咲きました」と。

 昔は名前の通り、比叡山で群生していたtという。今は極端に減って、大津市は里親栽培で今一度という思惑らしいが、苦戦しているようだ。市に「何処に咲いていますか」と念のために電話してみたら、やはり、「あのう、そのう…」で、瀬田の緑のふれあいセンターに専門家がいるので、そちらに―だった。サロンの叡山すみれ、窓の外から取り出して、よく見た。小さい花は1、2、3と数えて5枚ある。4枚(しまい)ではなかった。???

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年3月21日 (金)

おおつ光ルくんの登場

Img_0014 Img_0020  光る、光る―と声がかかるので、思わず頭に手をやって、何が光るのかと思ったら源氏物語千年紀in湖都大津のキャラクターの「おおつ光ルくん」だった。この18日のオープニングセレモニーで着ぐるみが初めて登場した。

 カバの顔かな。ほっぺはピンク色。眉毛も目も小さい。鼻も小さく、豆みたいで、まん丸だ。ちょこんと烏帽子を被り、紫色の束帯をつけている。身長は1㍍60㌢くらいだ。千年紀実行委員会によると、大津生まれで21世紀版の光源氏だという。一見ホンワカしているが、歌もスポーツも得意で、なんでもこなせる元気な子どもだそうだ。

 ホテルの式典。司会が「さあ、光ルくんで-~す」と声高にマイクすると、会場がパッと明るくなって、腰をふりふり出てきた。おおっつ、可愛いい。石山寺の山門前。園児たちがワアッと取り囲み、揉みくちゃだ。デビュー初日から、えらい人気だ。この光ルくんデザイン100万、着ぐるみ代に80万とか。実行委はこのマスコットで、事業の盛り上がりを狙っており、思惑どおりいけば、頭で光る人たちも感慨はひとしお。???。はい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月20日 (木)

京風 もち汁

Img_0058 Img_0054  バンダナと半纏のお兄ちゃんが「ハイ、いらっしゃい。美味しいよ」と言う。看板は「京風 もち汁 あつあつ 1杯400円」となっている。地下鉄東山駅下車して、夕暮れの花灯路をとうろり、とうろり歩いて、見つけた。

 知恩院三門前、円山公園入り口の南側特設テントだ。お腹がすいてきたおりでもあり、どんなものか、注文してみた。団子風のもち三個がプラスチック容器に浮いている。ミンチに湯葉いりで、うすい汁はカツオ出汁。もち1個とりだして半分、かじった。ミンチを包んだ餅がぬべっとして、つるっとしている。餅とミンチ、あう。適性コラボだ。

うん、うまい。残り、半分も、残り2個も一気だ。おつゆをすする。べちゃべちゃ感がさわやかさ変化する。知るひとぞ知る、いい汁や。細切れの三つ葉、お茶漬けあられの香り…これ、京風か。座った赤い毛氈の床几も、風がなくて京風。プラスチック容器の底を見て、兄ちゃん、これ美味いがな。本店はどこ?と聞く。新商品で、花灯路開催期間中の限定だという。店は伏見のミレー工房?とか。いつかまた花灯路でミレー。??

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月19日 (水)

蕪村の図録

Img_0012 Img_0052  ずっしりーとは、このことか、と思う。「与謝蕪村―翔(か)けめぐる創意(おもい)―」展の図録である。ハードカバーの400頁。この間、持ち帰って、自宅で開いた。頁めくるごとにググッと来た。どうやら感動というやつらしい。いい図録だ。

そういえば、滋賀県信楽のMIHO MUSEUMで始まった展覧会の開会式で、美術史家でMIHO館長の辻維夫さんが挨拶していた。「展覧会もいい出来ですが、それ以上にお持ち帰り願う図録が力作でして…」と。その時はなんとなく聞き流していたが、いや驚いた。俳人、画人、詩人のマルチ蕪村を見事に表現している。

展覧会は俳人・蕪村をどう登場さすかだが、各章のテーマごとに写真家・野中昭夫さんの写真が載っている。雲間の満月、荒れる海、山また山、彼岸花…、俳句イメージだ。蕪村の賛と俳句も。画人蕪村は随所に観音開きで見せる。展覧会開催動機になった本邦初公開の銀地「山水図屏風」もその一つ。鼻を持上げて食事する徒然草の僧侶のアップもそうだ。蕪村の創意(おもい)を表す図録、さすがに重い。拍手。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月18日 (火)

花回廊はハナナ

Img_0004 Img_0055  ♪~もうすぐ春ですよおっ~♪と、キャンディーズ気分で、京都府立植物園の「花の回廊―早春の草花展」へ行った。もうすぐどころか、春や、春―ランランだ。ビニール覆いのテントの中、色々な花が香りを色々に放って、鼻も花キューン。

 北山門広場の特設会場である。確かに花の回廊―テントの中、長~い。北へ上って、南へ下って総延長100㍍という。今年で3回目の早春展、規模は去年の3倍とか。ポスターは「植物園に春が来た!回廊を満たす草花の鮮やかな彩り、豊かな芳香に感動!」とワクワクコピーだ。花の種類、70種200品目、2万株という。

 回廊は右も左も前も花花だ。松谷茂公園長は最初、右側をずっと見て、もう一度入り直して、今度は左側をーと言う。園長さん、えんちょは入らないと。花の名、ラベルに書いてある。キンギョソウ、カスミソウ…、赤色、白色、黄色…、色々だ。一番目立つ黄色の花は、「ハナナ」となっている。花菜でハナナという。菜の花の一つで、アブラナ科。野菜のナバナも菜種油のアブラナも菜の花という。ハテナ、ハナナで、そんなバナナ。?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月17日 (月)

男前の信長像

Img_0010 Img_0008_2  まじまじと見た。いわゆる、美形である。濃いまつ毛、すっと通った高い鼻筋、澄んだ眼差し、髭はスターリンだ。織田信長の肖像画だ。ホンマかなーと思う。2001年8月、日テレの「知ってるつもり?!」で放送されたという。

 安土町立「信長の館」で見た。スペイン・セビリア万博(1992年開催)で復元展示された安土城5、6階部分が移築されていて、二階の上がり口に複製の写真が展示してあった。ヨーロッパの宣教師が木炭で描いた細密画という。信長像の中で最もよく似ているとも言われ、放映以来、注目度が増しているとか。

 山形県天童市の織田家菩提寺、三宝寺所蔵という。天童は信長の二男信雄の直系の藩で、お寺の御霊屋には肖像画と歴代藩主の位牌が安置してあり、今も供養法要が続くという。そんな説明文を読んで、それで天童かと思い、また肖像みて、やっぱり男前やーと。館内には、りんごを齧る馬上の信長人形や、セビリア展示再現など見所多く、初めて信長の館(やかた)へ来て、やかった!。???

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月16日 (日)

伝来のホットヌードル

Img_0006 Img_0008  横文字にすると、「Hot-boild noodls」という。焼きうどんのことで、明治の時代にうどんを洋食ふうに食べたのが始まりらしい。祇園町北側の「珈琲カトレア」に野菜たっぷり、本家伝来の焼きうどんがあるというので、入った。

四条通りの北側、斜向かいが八坂神社だ。店の前は昼に夜によく歩いている。もう70年来の店だそうだが、初めてだ。自慢の焼きうどんのこと、店先の看板に、沁みがしみた和紙に書いてある。ワシしかしらない味?という。カウンター席に英語版付きのメニューがあり、コーヒー付き(with coffee)1200円で注文した。

 漆盆に乗り、ソースと一緒に出てきた。箸はケース入り。細切り、ちれじれキャベツがこんもり。キュウリ、炒り卵、ベーコンが見える。麺1本、キャベツの中から引っ張り出した。舌先、さわやかだ。昔ながらの、和と洋のブレンド味だ。外人さん多い?と店の女性に聞く。「ハイ、よくヌッと入って来られます」と。伝統の店内見回し、話しながらまた1本…麺をヌッと。そうか、だから、うどんはヌートル。???

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月15日 (土)

蕪村、終焉の地

Img_0038 Img_0021  そうか、そうかーと読んだ。烏丸りから仏光寺通りを西へ入り、50㍍ほどである。呉服の総合商社という町屋ふう建物の啓明商事の真ん前である。「与謝蕪村宅跡(終焉の地)」という石碑と由来書きの駒札が建っている。

 摂津、今の大阪・都島生まれの蕪村は、20歳で江戸に出て、俳諧の道に入り、関東・東北を遊歴して、36歳で京都に来た。最初は知恩院あたりに3年住み、丹後の宮津へ行き、再び戻って、42歳で谷口性から与謝と改め、妻帯したという。晩婚だ。この烏丸仏光寺西入ルの釘隠町は、68歳で亡くなるまで暮らしたという。

 啓明商事の野瀬社長が平成10年に建てた駒札、なかなか面白い。蕪村59歳の時の幻の日記を引用して、奥さんが見つけて来て、住みかにした経緯を記述している。「~狭いながらも前より一間多く、猫のひたいの庭に緑も少々あって、画絹ものびのびと拡がられる心地なり。~」などと。日記には、今もある日吉神社、お地蔵さん、釘隠町という町名なども出てきて、蕪村身近なり。そこで一句。「蕪村宅 終の住みかに 足とまる」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月14日 (金)

人それぞれの休憩室

Img_0006 Img_0007 テーブル席は何をする人ぞ!である。読書の人、メールの人、お喋りの人…、一人の人、二人の人、ワイワイ3~4人の人…、テーブル脇を通り抜けて、それぞれの人がそれぞれ何をしているか、ウオッチする。時折々の公開覗き、人生思う瞬間である。

JR山科駅前に大丸と専門店ラクトの中にある休憩室だ。両店の真ん中、5階まで吹き抜けになっていて、3階と4階の東側に長さ20㍍、幅5㍍のスペースがあり、丸テーブルが6つ、ステンレス椅子が4つずつ置いてある。ときどき、4階のレストラン街で食事をする。この間、西側から写真を撮って、何しているかーと素通りしてみた。

 エスカレーターが北と南にあり、4階から3階へ、下がって、上がって、また、下がって…である。午後8時閉店の前、食事の後先、2度も回って、一人の人を重点に観察した。時刻表を点検している。何処へ行くのかなあ。蛍光ペンで本をなぞっている。何の勉強かなあ。窓の向こうをぼんやり見ている。家庭に何かあったのかなあ。仲間入りで、一人で座ってみた。この間も100切れんかったなあ。人生、一日一日!人、それぞれ!。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月13日 (木)

初恋の味ポスター

E2f05f14s  Img_0026_2 シルクハットの黒人はストローでカルピスを吸っている。真っ赤な唇、夢見るような青い目―、チュウチュウと音が聞こえてきそうだ。コピーは「初恋の味がある」だ。見ているだけで、酸っぱくて、甘~いあの味が甦ってきそうだ。

カルピスの懐かしいポスターだ。京都近美で開催中の「ドイツ・ポスター1890-1933」展で久しぶりに見た。作者はドイツ人のオットー・デュンケルンさん。1924年のカルピス国際懸賞応募ポスターで三等になった作品だ。日本がドイツのポスターをどう受け入れたか、というコーナーで、入賞作品が展示してあり、その一枚だった。

この国際懸賞応募はカルピスの創業者・三島海雲が第一次大戦後、インフレでドイツ人画家が苦しんでいるのを知って、救済を目的に実施したのだという。それでかどうか、1等から入賞作はドイツ人の作品が並んでいた。3等の黒人ポスターは、広告によく出ていて最も記憶にあるが、作品目録によると、カルピス側が人種差別の社会的認識の高まりで、1990年に自主的に使用を止めたという。作者のオットーさん、オットットかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月12日 (水)

上野のヘブンアーティスト

Img_0078 Img_0076  ♪~タラララッラッ~ラァラァッ~♪―、思わず、足元が弾み、身体まで揺れるようなメロディーだ。早春の上野公園、動物園前広場である。赤いマントを肩かかけて、ヴァイオリン、笛、太鼓と3人の奏者が南米ペルーの伝統音楽を奏でている。

 立ち止まって、聴いた。ステージはないが、東京都の銀杏マーク入りの旗と看板に「ヘブンアーティスト」と書いてある。「ヘブンって何かな」と、聴いていたが、チラシを配っている女性がいるので、聞いてみたら、ヘブンは街頭芸の意味で、都が審査して、旗と看板をライセンス代わりに渡し、公共の場所を提供しているのだそうだ。

 公共の場所?池袋、新宿、丸の内…公園とか地下鉄とか。認定アーティスト?曲芸などパーフォーマンスと音楽部門で、百グループはあるとか。再び、♪~タラララッラッ~♪を聴く。前に黒い鞄があって、千円札が投げ込んである。CDも販売しているらしい。3人は南米ペルーから来た「ロス アウキス」で、インカの王子とか、山の精霊という意味らしい。いい調べ、心ウキウキだ。お金どうしよう?先を急ぐ、まあ、イインカ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月11日 (火)

30品目元気ごはん

Img_0004 Img_0018  野菜たっぷり30品目元気ごはんがあるという。三条神宮道の北東角である。道路に黒板メニューの看板が出ていた。矢印案内どおりに階段を上って、ドアを開けた。店の名はカフェ「カネル」という。座って、勢いよく「30品目下さい」と頼んだ。

 ハンチング帽の女性店主が小さな黒板を出して来た。「どれにしますか」と聞くので「30品目です…」と。すると「最初にこの黒板からメイン料理を一つ選んで下さい」と言う。30品目は、ちょこちょこおかずと言って、メイン料理と一緒についてくるのだそうだ。暫くして、30品目がメインで頼んだ和風ハンバーグよりも先に出てきた。

確かにちょこちょこだ。レンコン半分、おくら1つ、もやし、人参と水菜の細切り…。「30品目あります?」と聞く。「できるだけ多くです」と言う。ご飯の五穀米、コーヒー含めて、880円だ。値段からすれば、大体で30品目、そんなものかも。店名のカネルの意味は、フランス語でシナモンだそうだ。女性店主、注文を聞いて、料理をつくって、店名どおり、一人でみな兼ね~る。30品目もそんなことシナモン?かな。ごめん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月10日 (月)

菅大臣神社の隠れ梅

 Img_0066 Img_0067 梅の写真を撮るなら―と、KBS京都ラジオで言っていたという。菅原道真を祭神とする菅大臣(かんだいじん)神社で、隠れスポットとかで、地元のプロ写真家が紹介していたらしい。西洞院仏光寺下ルで、京都の町の真ん中だ。

 地下鉄四条駅の南口から出て、歩いて行った。京都に住んで、この方、北野の天神さんは庭のように知っていたが、菅大臣さんは初めてだ。五条署の手前、仏光寺通りを西へ西へ、5分ほどであった。天満宮降誕の地の碑、石の鳥居、ガレージ、椿の花、民家…、なんか雑然としているが、境内は広い。目指す梅、本殿の前、牛とともに―である。

紅しだれ梅が満開だ。白梅は5分咲きか。駒札で神社の由緒知る。道真の産湯の井戸があり、ずっと道真の邸だったという。右大臣になった道真が、大宰府へ流されたおり、「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ」と詠まれた飛梅もある。鳥居の北側、まだ蕾だ。境内は静か、参拝の人はない。馥郁、いっぱいに花開いた紅梅、右から左から、下から撮って、撮って…、うめく撮れたかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 9日 (日)

ゴッホの庭、駆け込み観賞

Img_0006 Img_0007 エスカレーターを7階まで一気に駆け上がった。JR京都伊勢丹7階の美術館で開催中のフランス絵画近代名作展、午後8時の閉館20分前である。コローもルノアールも素通りして、何が何でも―で、ゴッホの「ドービニーの庭」へ直行した。

警備員が直立で警戒している。ひろしま美術館所蔵の逸品中の逸品だ。ポスターもチラシも看板も、ゴッホだが、早足で来たせいか、咳き込んで、ゴッホ、ゴッホと絵を見た。縦50㌢、横1㍍、1対2比率の横長ワイドだ。パリ郊外、敬愛するパルピゾン派の画家ドービニーの邸宅と庭を描いている。1890年5月、最晩年の作品だ。

会場を出て物販コーナーの図録で、解説を読んだ。極めて謎の多い油彩だという。ピストル自殺する2週間前に描いて、どうして、これだけ明るく爽快なのか。画面中央下、茶色の部分は黒猫を塗りつぶした痕跡という。個人所蔵の、同一同構想のもう一枚の絵には、庭を左へ駆け抜ける黒猫がいる。この絵で黒猫を消したのは、本人なのか、別人なのか―。ゴッホの謎また謎を知って、立ち読み図禄、良いゴッホンと閉じた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 8日 (土)

廣誠院の短期特別公開

Img_0013 Img_0029 軒から庇(ひさし)がにゅっと出ている。庭の南側と茶室の東側、何と3㍍もある。北山杉の長い丸太が通って、庇を支えている。庭池の真ん中の石橋は、花崗岩で、長さが8㍍も。庭へ降りる沓脱石は、加茂川採取の大きな真黒石という。

 どれを見ても、何を聞いて、へえっ!である。京都ホテルオークラの西側にある「廣誠院」(こうせいいん)だ。5日間期間限定の特別拝観が3月にあり、初日と最終日に行った。数奇屋風建築で、明治25年に薩摩の実業家・伊集院兼常が贅を尽くして建てた。今は臨済宗のお寺だが、116年経った今も往時のままだという。

 京都の文化財を守る会の人たちが、ボランティアで解説していた。男性も女性も、ベテラン揃いだ。「書院の桐と菊の欄間は山縣有朋が…、屏風は呉春で…、箱の絵はナポレオンで三国同盟の…」「書院から庭へ、高低差があって見下す形に」「ここは借景を利用しない庭でねえ」「高瀬川の水を庭園へ引き込み、また戻してねえ…」―。この特別公開は2年に一度しかない。後悔しないようにしっかりと見て、聞いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 7日 (金)

紫式部の硯千年紀

Img_0036 Img_0045  紫式部が使用した硯だという。東京高島屋で開催の大近江展のおり、1階正面の陳列ケースに特別展示してあった。大津・石山寺に伝わる脚付きの硯で、紫メノウという。「伝 紫式部料 古硯」の表示で、赤い毛氈の上にデンとあった。

石山寺資料文献による―という説明には「紫式部が使ったとされる硯。太陽と月を現した円相が彫られ、牛と鯉が刻まれています」と書いてある。確かに大きな○が二つ見える。○の中の牛は?、鯉は?…と、陳列ガラスケースに頭を引っ付けて、覗き込んだが、千年で磨り減ったのか、ガラス反射のせいか、○の中はまるで見えなかった。

 今年は源氏物語54帖がすべて完成した寛弘5年(1008年)から数えて、千年という。それにちなんで、紫式部ゆかりの京都、大津、宇治は千年紀イベントに専念している。石山寺は紫式部が源氏物語のストーリーを練った寺だという関わりだ。硯の隣には紫式部が、石山寺に奉納したという大般若経の書き写しも。ゆかりの品、どれもこれも「~とされる○○「~と伝えられている」と推定形である。何しろ千年…、失念も…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 6日 (木)

しゃなりしゃなりのポーズ

Img_0042 Img_0045  これが、しゃなり、しゃなりーという奴か。右手の甲を右腰にあて、どおっ?というポーズである。一人が出てきて、戻ると、また一人出て来る。音楽に合わせ、交代交代で幾度も幾度も。これが、真のかわりベンタン。

 ゼスト御池でコーヒー飲んでいたら、広場でファッションショーがあると言う。歩く道が20㍍ほどあって、その先はステージである。回りを囲むように人だかりが出来ている。配布チラシによると、旧の大丸ドレメ、今のディーズファッション専門学校の主催で、もう47回目とか。生徒さんの作品披露の場だという。

 ショーはテレビでは見たが、初めてだ。立って、一番後ろから眺めた。最初は生徒さんが自分で作って、自分でモデルする自作自演という。ドレスはヒラヒラ、歩いてフワフワ。まあ、子供のショー。後半からはプロモデルの登場だ。うーん、八頭身や。ツンとすまして、歩く姿も決まっている。歩幅一定、舞台に上って、対角でポーズとって、客席に眼差しをどおっ?と送ってくる。うーん、これぞ、プロポーズ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 5日 (水)

逆さで「福」来たる

Img_0007 Img_0012 逆さま字の「福」の飾り紙が店内の板壁に貼ってある。階段の踊り場から2階へ、何枚もあり、まっすぐの「福」字もある。JR大津駅前から徒歩2分という台湾料理「味鮮」(みせん)大津店だ。店名は何で?、どうして逆さ福?―である。

 経営者の上原剛さん(41)のお母さんは旧満州のハルピンの残留孤児で、20年前に祖国へ戻ってきたという。剛さんはハルピンで中国人の奥さんをもらい、お母さんの友人のツテで、滋賀県へ来て、夫婦で中国料理店を始めた。最初は草津で店を立ち上げ、去年4月から王将撤退の後の店舗を引き継いで大津店を営業している。

 店名「味鮮」は味を見セン―でなく、味が新鮮だから―という。逆さ福は、中国の旧正月「春節」の慣わしで、日本の節分と同じで「福は内」の意味だそうだ。中国漢字で逆さは「倒」、来るは「到」と書く。福逆さまの「福倒了」も、福が来るの「福到了」も中国語で発音すると、どちらも「フータオラ」だという。料理も日本語もうま~い中国人の奥さんが紙に書いて、説明してくれた。残留孤児二世の、この夫婦にフータオラ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 4日 (火)

二つの駅伝の碑

Img_0014_2 Img_0050  あった、あった!ここだったのか!-、上野不忍池の「駅伝の碑」である。弁天堂正面の右側、蓮池の前だ。日本陸連に電話して、碑の場所は「不忍池のほとり」と聞いていたが、上野公園の階段を降りて、動物園通りを渡って、すぐに見つけた。

 マラソンの父、金栗四三が東京高師の学生、27歳のおり、関東軍のアンカーとして、ここへゴールした。首都が京都から東京へ移り50年目で、公園一帯は記念の大博覧会が開催されていた。地下足袋の金栗は、関西軍を1時間24分も離して、広小路あたりから大観衆にもみくちゃになりながらテープを切ったという。

 三条大橋東北角の「駅伝の碑」は、02年に建って以来、よく見ていた。大正6年4月27日午後2時、ここから上野不忍池まで、23区間508㌔を走った。東軍と西軍、夜はカンテラを提げて昼夜兼行だった。日本最初の駅伝「東海道駅伝徒歩競走」だ。ゴールは3日目の29日午前11時34分だったという。写真左が三条大橋、右が不忍池。二つの駅伝の碑、ずっと前から並べたかった。やっと、ゴール!。今も昔もご苦労!。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 3日 (月)

大観、同級生を描く

Img_0014 Img_0091 赤いチャンチャンコを着た猿が牛の背中で踊っている。大きな牛は目を細めて笑っているような。杉木立に囲まれた広場。編み笠を被るのは恩師の橋本雅邦先生、ヤンヤヤンヤと猿回し芸を楽しむ11人の童たちは同級生だという。

この絵は、横山大観の東京美術学校卒業制作で、村童観猿翁(そんどうえんおうをみる)という。明治26年(1893年)大観25歳の時の作品だ。今、東京六本木の新国立美術館で開催中の没後50年の横山大観展で見た。東京藝術大が所蔵しており、幅2㍍、高さ1㍍の大きさである。

展覧会は平日なのに20分並んで入った。大観と言えば、もう日本画の代名詞のようで、展覧会やれば、大人気である。買った図録で、村童作品の項目を読むと、大観はこの絵で同級生の幼い頃の顔を想像して童たちを描いたという。学生たちは「どれだ、おれの顔は」などと関心を寄せていたーと自叙伝で回想している。評論家内山武夫氏は、こうした「発想の妙、構想の妙」が大観絵画の基盤だ―と解説している。大観、体感なり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 2日 (日)

上野のサクラはサクラ

Img_0065 Img_0070 おやっ、あれっ、サクラや。もう、七分咲きである。東京・上野恩賜公園の宮さん銅像前で、花開いている。28日、京成上野駅から公園へ入り、動物園方向へ歩いていて見つけた。まだ寒いのに、はて、さて、何サクラかな。

公園事務所に電話で聞くと、カンヒサクラ(寒緋桜)だという。何時も今頃咲くそうで、噴水回りに10本あるという。ネット調査では、沖縄では桜と言えば、カンヒサクラのことで、日本で一番早く咲くらしい。ヒカンサクラ(緋寒桜)とも言い、ヒガンザクラ(彼岸桜)とカとガが違うだけなので、官費に頼らず、逆さまにして、カンヒにしたとか。

 これ、嘘みたいなホントらしい。それはそれとして、もう一度、よくサクラを見る。伏見宮第8子で、鳥羽・伏見の戦いの征夷大将軍、赤十字社総裁を務めた小松宮の馬上凛々しい銅像と、よくマッチしている。それが、調べたカンヒサクラに比べ、色が淡い。それで、もう一度、ネットで調べたら、大寒桜だった。上野公園の開花記録では2週間遅れだそうだ。寒緋と大寒、サクラのサクラだった。???。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 1日 (土)

富士山の車窓撮影

Img_0007 Img_0022 トンネルを出た瞬間、視界が広がった。標高3776㍍、日本一の富士山だ。ゆったりすそ野を広げている。真っ白い雪、三合目あたりまでかぶっている。空は一点の曇りもない。真っ青だ。これぞ、はっきり、くっきりである。

 新幹線の時速、260㌔くらいだろうか。静岡を過ぎるあたりで、座席を立って、デッキへ出て、左側の窓にひっついた。28日、久々の東京行。京都駅発6時20分のぞみ200号だ。米原あたりの降雪で、「遅れています」と、車内アナはあったが、東へ進むごとに晴れ間が広がる。天気良し。今か、今か―と、デジカメを構えた。

 長いトンネル、一つ、二つ…、三つ目を出て富士が現れた。川端康成の小説「雪国」の書き出し。「国境のトンネルを抜けると雪国だった。夜の底が白くなった~」を思い出す。シャッター、切って、また切って。電線、鉄塔、工場の屋根…、おまけに手ぶれ…。車窓からの富士撮影、5~6分しかなかった。戻った座席で、画面点検すると27枚、写っていた。そのうち及第点は?まあ5、6枚か。新幹線はホンマに速~い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »