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2008年2月

2008年2月29日 (金)

名物の、レンコンせんべい

Img_0025 Img_0034 これは、薄い。ホンマに薄い。そんなにしつこく「薄い、薄い」と強調して、どこが薄いかと言うと、レンコンが薄いのだ。頭じゃない。厚さは1・5㍉くらいだ。京都の烏丸通錦西入ル、和創作料理しんなりの名物「レンコンせんべい」である。

 しんなり―という店の名前は、京都言葉のしなやか、からだという。そのメニューにわざわざ名物と書いてあって、1品500円という。何か、面白そうなので、最初に頼んだら、それがあまりに薄かったのだ。こんがりと色が付いて、ぐにゃりと曲がっていて、穴の開いたポテトチップスだ。

 パリッと食べて、ウエーターさんに「これ、薄いねえ」と問いかけた。そしたら、「ハイ。これ、板前さんの包丁切りです。あんなに、よく薄く切れると思います」と、自慢そうに言う。機械のスライス切りではないらしい。同席していた食通によると、切ったあと冷蔵庫で一度、水分を飛ばしてから揚げているから、余計に薄くなっているーと解説する。喋ってパリッ、聞いてパリッ…、もう、飛んでパリ気分。???。

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2008年2月28日 (木)

大丸の孔雀

Img_0044 Img_0040 そうか、大丸の孔雀はヴォーリーズだったのか―。京都新聞の連載「ヴォーリーズ事務所100年」を読んでいて、関わりがわかった。米国出身のウィリアム・メレル・ヴォーリーズが設計した建築の魅力を紹介する記事である。

 大丸店社長・下村正太郎は1920年頃、妻を亡くし、大阪、京都店も全焼させ、失意の中にあった。かねて懇意のヴォーリーズが下村の再起の思いをフェニックス(不死鳥)レリーフでーと思ったが、想像上の鳥なので、孔雀にしたと、書いてある。陶製の孔雀は心斎橋店にもあるが、記事を読んで、京都店のを見に行った。

 孔雀は四条通りの大丸正面玄関の上にいた。南側のタクシー乗り場から眺めた。大きな羽だ。放射線状に内側と外側に15ずつ伸びている。直径で5㍍、胴体も2㍍、てっぺんに見事な鶏冠もついている。ズームで写真を撮って、1階受付へ確認に行った。「???。総務部で…」と、電話が回る。そこは「諸説ありまして…、大阪本店の…」と言う。電話、あっちへこっちへで、せっかくの孔雀伝説、くちゃくちゃ―である。

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2008年2月27日 (水)

京の京定

Img_0109 Img_0108  席に座わるなり、主人が言う。「おすすめは京都定食です」と。まさに間髪を入れず―である。思わず「じゃあ、それ」と言ってしまう。このご主人、客が入って来るたびに判で押したように「おすすめは…」である。京都東山の清水道バス停そばの食堂「楽語」だ。

店の前に派手な京都定食の垂れ幕が下がっている。京都の旨いもん付―と注釈がついている。値段は1480円だ。ご主人、この先手必勝作戦が決まると、高座風の大入り一番と書いた暖簾の奥へ向かって、「は~い、京定」と言う。京都定食を略して京定、妙に耳につく。今日の京定―、楽語さんの新語だ。

 京定の旨いもん御膳が出てきた。鯖の味噌煮、だしまき、冷やっこ、おぼろうどん、野菜天ぷら、ふりかけご飯、おしんこ。御膳を運んできた主人がまた先手を打つ。「うどんは最初に七味入れんといて。汁をすってから」と言う。汁はそのままが美味しいからーと。支払いのおり、「楽語」の店名の意味を聞くと、落語の脚本書いているからと。まだ開店して間なしなので、その話はゆっくり落ち着いてから…と、落ちをつけた。

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2008年2月26日 (火)

77歳のエイジジュート

Img_0020 Img_0021 そんな人がいるのか―と、ワクワクだった。滋賀県地元銀行の元専務さんで、I・Kさんだ。去年の秋、琵琶湖を見下ろす山岳コースの皇子山CCで、77歳の年齢よりまだ2つも低いグロス75のエージシュートを達成したという。

 職場研修会の講師で昨日、滋賀会館に来てもらった。講演の前、初対面の挨拶もそこそこに根掘り葉掘りと聞いた。バーディーはなかったという。ボギーが4つ。それも残りのホール、行ける、行けると言われ、緊張した結果…と。それでいて「75」である。全ホールでパー70だが、カートはなく、きついコースだ。

 ゴルフは昭和36年からでもう半世紀近くで、年間ラウンドは今も70回とか。10年前にホールインワンも経験しているとも。秘訣は?と聞く。ちょっと考えて、一に健康、二に家庭の理解、三に経済力という。ベッド横の絨毯で、パター練習していて、それも効果があるらしい。我がスコア、我が年齢を思う。それこそ雲の上の、そのまた雲の上の絨毯である。講演、これがまた明晰。会場パット明るく、黒板書きも、えい字だ。???

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2008年2月25日 (月)

雪舞う神前結婚式

 Img_0060 Img_0064あっ、神前結婚式や。八坂神社の境内、雪が舞っている。花嫁の白無垢に綿雪がふんわり、ふんわりと落ちて行く。どんな花嫁さんか、デジカメを構えて、画面を覗き込んだ。ぽっちゃり、ふくよかだ。にこやかで、笑みがあったかい。雪がすぐ解ける。

本殿前の舞殿で、三々九度がすんだところらしい。石畳を歩いて、50㍍ほど南側の社務所へ歩むところだ。お二人、幾つかな。黒紋付の花婿さん、顔はまあるく、円満そうだ。二人とも落ち着いて、若そうで、なさそうで…ある。目の前を通った。観光客から「おめでとう」の声がかかる。歩きはシズシズ、雪はフワフワ。

先導の神官が「花嫁、花婿が石畳を通ります。お開け下さい」と呼びかける。赤い和傘が一本、二本、三本…、花婿さんは自分で持ち、お付きの女性が手を引く花嫁さんには、白衣の神職が差しかける。黒い礼服のご親戚ご一行が二人の後ろをぞろぞろと従う。白い雪、赤い和傘、白無垢に黒紋付…、どうシャッターを切っても絵になる。シマッタアーはない。通りがかりの雪の縁である。二人の行き先、幸(ゆき)多く―と願う。

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2008年2月24日 (日)

京大構内の火葬塚

Img_0015 0001  へえっつ?火葬塚か。正方形に穴が掘ってあり、そこに土がこんもり盛ってあって、真ん中に松の木が1本、植わっている。何かなあ、変やなあ―と、つかつかと近づいて、12世紀の火葬塚の復元遺跡と分った。

この間、京大北部構内を歩いて、発見した。宇宙物理学教室などが理学研究棟の3号館と4号館の間の空き地である。火葬は古代からある有力者の葬法の一つで、遺骨の埋葬地のほかに、遺体の火葬地を「火葬塚」として祭っていたという。平安京北東のこの吉田山周辺が、そうした葬礼の舞台だったという。

 京大埋文研が30年前の1978年に調査発掘して、理学部の協力で地下に永久保存して、歴史資料として活用するために復元したという。「~火葬塚とみなしうることが~」「~火葬塚の実態が目にみえるかたちで~」「~古代葬方の一面を雄弁に伝えるものとして~」…、ステンレス説明板の発掘経過、慎重かつ大胆に書いてある。全国的に希少な遺跡だそうで、京都市の登録史跡の指定は、それを知ってからである。???

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2008年2月23日 (土)

紋屋さんのスクーター

Img_0036 Img_0037屋さんが「日の暮れはバタバタ忙しいもん」と洒落ている。紙書きで、三輪スクーターの荷台の箱に貼ってある。「~もん」が赤い字で強調してあって、如何にも、どんなもんだい―と、得意そうで、どこか可愛さがある。

スクーターは堀川通りの西側を歩いていて、見つけた。ちょうど堀川警察署の向かい側、松原を上がったところだ。屋根はないが、ピザ屋さんの宅配用と同じ大きさだ。箱に「堀川松原201 紋屋 藤野」と記入してある。お店はどこ?と、スクーターの停めてある付近を随分、捜したが、看板もなく、わからない。現場で悶々―である。

なんで日の暮れが忙しいのか、どんな紋屋さんか―知りたくて、戻って104で調べたが、電話番号は出んという。それなら―と、同じ番地の染み抜き屋さへ電話したら、わかった。スクーターの駐車してあったマンションの二階に自宅兼店があり、着物などに家紋を描く個人経営の上絵さんだという。ご主人、スクーターがお気に入りで、日暮れに注文があると、ヘイッ!カモン!ベービー!と、街中を颯爽とか。ホント???。

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2008年2月22日 (金)

老舗のとんかつ店

Img_0009 Img_0016  とんかつ老舗の主人が言う。ええ豚肉はねえ。包丁を拭いて切り、拭いて切りですよ。豚の脂がひっついて、スパスパとは切れないですよ。特選のヒレカツ、格別ですよ…と。京都市役所に近い「とんかつ処やまなか」(河原町夷川東南角)の主人で、店を始めて32年という。

 看板の金豚ブロンズに引き込まれて入った。1580円のヒレカツ定食を頼んだ。メニューに「脂身がなく柔らか」と書いてある。鹿児島産のもち豚だという。4切れ出てきた。そう大きくない1切れ、半分にして齧った。ふにゃっとして、噛んだ感じがない。ホント、ふにゃっ―である。「これ、美味しいねえ」と声を出した。

 

 それで、72歳の主人が一気に喋りだした。米は富山のコシヒカリでねえ。味噌は岡崎産。キャベツは千切っている。揚げる油、厳選でねえ。豚肉?、仕入れ先は開店以来、同じ所だなあ。店の自慢が一つ、それ従業員ずっと同じで…。TVに10回は出た。ジャパンタイムズにも紹介してもらった。金豚の置物?あれはミス・マミーという名前で…。よく写真一緒にって、言われるよ。話の展開、次から次へトントンと。???

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2008年2月21日 (木)

神の手はチエーンメール

Photo Img_0006 そうか、やっぱり―である。メール写真は「神の手」でなく、チエーン・メールという手だった。写真注釈の、~七人以上の人に送るとハッピーになれます~という件が、ひっかかった。それで、調べたら、偽りの手だった。

 写真は左のとおり、小高い丘の上に浮かぶ雲が両手に抱かれているようだ。沖縄で滅多に見られない雲で、これを「神の手」と言い、写真をみんなに送ると幸せになるという。この間、滋賀会館の喫茶室で「見て、見て」と、言われて、携帯の写真を覗いた。見た瞬間、確かに手に似ているなあ!と思う。

聞くと、沖縄へ旅行した友人からーと言うが、詳しくはわからないと。それで、ネットで「沖縄 神の雲」と検索して見た。何と、ヒット数は11万件もある。TVのお天気博士、森田正光さんのブログを開けた。森田さんも友人から写真が送られてきて、調べたら、海外の加工写真で、4年前から広まり出したチエーン・メールとわかったという。雲の形は色々だし、沖縄ならーと思ったが、そんな雲とは、くまった!ものだ。

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2008年2月20日 (水)

右か左か道標

0001_2 Img_0055  火袋付の道標だという。「火袋」を広辞苑で調べると、燈籠の火をともす所ーと、書いてある。なるほど、石造の道標の屋根が立派な行灯になっている。滋賀県・草津宿にある追分道標で、高さは火袋を含め、3・92㍍もある。

 「右 東海道いせみち」「左 中山道美のぢ」と刻んである。右側はお伊勢参り経由の東海道、左側は美濃路へ向かう中山道だ。この道標、文化13年(1816年)に全国の飛脚問屋の寄進で建ったという。JR草津駅を降りて、商店街のアーケードを抜け、天井川のトンネルを出た所にある。徒歩10分ほどかな。

 向かい側には、庶民に法令順守を呼びかけた高札が復元されている。少し行くと、大名や役人、公家が宿泊した草津宿本陣跡がある。道標は民家の庇より高い天井川の堤防下に見上げるように建っていて、草津市が昭和48年10月に文化財に指定している。江戸へ向かうのは、どっちでも同じだが、昔の旅人は「中山道か、東海道か」「右か、左か」と、道標を見つめ、さて、どうひょう???。

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2008年2月19日 (火)

五輪オーク

Photo  Img_0027顎を上げて見た。どうだろう、20㍍あるだろうか。高い樹だ。冬枯れ、すっかり葉を落としているが、枝先は空高く―である。1936年、ベルリン五輪の三段跳び。京大の田島直人、原田正夫両選手の金と銀メダル記念の樹である。

 この樹、オリンピック・オークという。京大農学部1周500㍍の大きなグラウンド北西角にある。田島選手が副賞で持ち帰ったドイツ柏の苗木が植えられて、もう70年である。この間、ウオーキング中に立ち寄って、金の樹を見た。そこから斜向かいを展望すると、五山の送り火の大の字が見える。大と金で、大金星の跳躍だった。

 御影石に顕彰の銅版が嵌め込んである。「本学出身の…」の書き出しで始まっている。~田島君は16㍍00の世界記録、僚友原田君は負傷を克服して準優勝~と、記してあり、君という字が若々しさを呼び起こす。もう少し読み進むと、樹の周りは白川砂で、樹下三辺はホップ、ステップ、ジャンプで飛翔と賞賛された優勝の3歩を意味していると。再び、金の樹オークを仰ぎ、今年の北京五輪、一人でもメダル多く…と思う。

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2008年2月18日 (月)

もうロウバイ

0001 Img_0002  春、ここだけみたいに満開だ。府立植物園の梅園に咲く一本のロウバイの木。それは、それは、今、見事に花が開いている。高さにして7㍍ぐらいだろうか。幹からすぐ枝分かれして、その先々で伸びた小枝に黄色で半透明な花弁が鈴なりだ。

 こんなのを、旬というのだろう。この間、昼から一気に積もった日の、朝の府立植物園だ。北山門から入って、歩いて5、6分で、このロウバイの木に出会った。例によって、板谷園長が直々、執筆するガリ版刷り風の「きまぐれ園だより」を手にする。No168号。やはり、ロウバイのこと書いてある。

 芳香VeryGood!とあって、花弁のイラストが描いてある。「これ袋果で、蓑虫ではありません。袋の中にゴキブリの卵に似た黒褐色の種子が数個以上入っている」と小さな字で解説してある。隣に平成7年からのロウバイ開花記録も出ている。まあ、年末から年明けで、今年度は12月16日だったと。それから一日一日、一輪二輪と咲き始め、ご覧の写真どおり満開に。見て、まさに狼狽。ありきたりに洒落た??かな。

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2008年2月17日 (日)

TVに出た「うばがもち」

Img_0001 Img_0005  今日TVに出るんです―という。えっそう、何処のTV?と聞く。8チャンネル・関西テレビの「はらぺこ亭」という番組で、漫才師ムーディー勝山さんが「おすすめの一品」で紹介するという。その一品、滋賀県草津名物「うばがもち」である。

 JR草津駅前のお店で、そう言われて、TV桟敷に座った。16日午後6時半、番組が始まった。漫才師のトミーズが司会して、美味しいお店を面白可笑しく…である。最初は西宮神社で福男になった天丼屋親子で、そこへ勝山さんがコンビの梶さんと登場してきた。5分、15分…、まだか。20分、25分、やっと、うばがもちが出た。

 勝山さんが草津出身で、大好物だったと。トミーズが食べて、「美味しいね」と言う。18個入り661円、安いねえとも。待って、待って、それでジ・エンド!。歴史とか、作り方とか…、期待は吹っ飛んだ。創業は永禄12年で、赤福より100年古く、小さく、もう400年。形は乳母が幼君に奉じた乳房に似せてある。草津宿で北斎も蕪村も家康も食べた…。モチモチ、TV局さん、あのう、そうな話が聞きたかったんデスウ~。

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2008年2月16日 (土)

作者不詳の油絵

Img_0035 Img_0037  門柱の前に一枚の絵が立てかけてある。両側の塀に自転車が雑然と並んでいて、生い茂った木の枝がよく伸びている。夏かなあ。正面は寮か何かの玄関が描かれていて、左端に「自転車も車も通る」と書き込んである。注意看板かなあ。

 京大吉田キャンパス西南の吉田寮前である。東山の近衛通りを30㍍ほど北へ行ったあたりだ。何か気になって、屈んで絵をよく見た。縦50㌢、横1㍍のベニヤ板に描いてある。油絵だ。黒屋根に鼠、木の枝に二羽の鳥が…、なんでかな。絵は野ざらしのせいか、下の方は朽ちている。誰が描いて、何時からだろう。

 絵を裏返して見た。エッと驚いた。黒地に白囲いの青い文字がぎっしりである。こう書いてある。「私たちは信じています この地球に恒久平和必ずくることを 遅れているけれど 必ずくることを 私たちは信じています」と。ホント、そう願いたい。純だ。門の中、南側に囲碁部、合唱団、ギタークラブ、書道部…の看板。構内は自転車いっぱいで、突き当たりが吉田寮。絵は意味不明、作者不詳…それで、かった。

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2008年2月15日 (金)

「最京」のキャンペーン

Img_0003 09  毎朝、通勤電車に乗って「最京」と出会う。京都冬の旅を誘う観光キャンペーンのキャッチフレーズだ。JR各社が1月から車内吊りポスターに使っており、3月23日まで期間限定で全国のどのJR車両に乗っても「最京」がある。

 吊り革持って、毎日眺めていると、この「最京」がどうも気になる。最強でもないし、西京でもない。まあ、「最高の京都」の縮小版と推定できるが、良いような、変なような―である。当然、広辞苑に記述は無い。それで、白川静氏の常用字解で「最」と「京」を調べ、二つを一つにして「愛する都」と理解する。

 最京ポスターは3種類。京都駅を「最京の駅」といい、知恩院の経蔵を「最京の絡燥」と捻っている。電車に毎日乗るので、だいたい頭に入ってしまう。もう一枚は武者小路千家の千和加子家元夫人のアップ写真。「この町には、不思議にも柔軟性があるのかしら。お寺、茶の湯…異国の良いところを取り入れて京都らしさに」と言う。古さに新しさ求める不易流行の最京と言わしたいらしい。、まあ、期間限定の、最初で最京。???。

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2008年2月14日 (木)

セツブンソウ早咲き写真

Img_0048 Img_0044  腰をぐっと屈めて、地面すれすれに構えた。買い替えたばかりのデジカメ。小さい被写体をアップで撮るデジタルマクロにセットして、一回、二回、三回…、何回目のシャッターだったろうか、この左の写真が、やっとのヤッタア!だった。

 早春一番咲きのセツブンソウだ。キンポウ科セツブンソウ属で、落葉広葉樹林の林床に咲く。節分の頃、開花するからーと、その名が付いているらしいが、実際には2月中旬から3月にかけてーという。花は1.5㌢ほどで、小さい。白くて、中は黄色くて、その中に紫色もあって、可憐で、見ていて飽きない。春の妖精という。

この一枚、府立植物園の生態園で撮った。京都府開庁100年記念で造成、日本の山野に自生する植物が約1000種も植わっているという。雪が降ったこの間、この生態園をクルクル回っていたら、防寒帽の中年カメラマンが、寝転ぶようにして、ずうっと撮っている。それが、セツブンソウだった。同じように真似て、頑張って、下から下から撮ったら、この一枚にピントがあった。福は下~だった。

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2008年2月13日 (水)

康成と魁夷

Img_0026 Ata1  雪がしんしんと降って瓦屋根に積もっていく。手前に描いた民家の格子窓から灯りが見えている。大晦日の京都、除夜の鐘が鳴っているという。500円の音声ガイド8番「年暮る」(としくるる)の前である。

この絵、東山魁夷の連作「京洛四季」の一つ。川端康成に「京都は今描いておいて下さい。京都のあるうちに~」と言われ、昭和39年から描き続けてきた仕上げの作品だ。高さ45㍍の時代の、京都ホテルから見ている。音声ガイド外して、観る。鐘の音消えて、雪が闇の中へ吸い込まれて行く。静かだ。灯りは家族団らんか、あったか~い。

 京文博の展覧会「川端康成と東山魁夷」である。二人の往復書簡が100通も見つかったのを記念して、開催中だ。目と耳でーと音声ガイドつけて、番号前で足止め、足止め、会場回った。康成は京都の町を歩き「山が見えない、山が見えない」と高層ビル建設を悲しんでいたという。だから魁夷に「今のうちに」だった。その年暮る、の京都ホテルは今、高さ60㍍。あれから40年、まさに京都変る(かわるる)に。

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2008年2月12日 (火)

五大力さんの鏡餅

Img_0010 070223_01  なるほど、でっかい。この23日、醍醐寺で行われる餅上げ力奉納に登場する「五大力さん」の鏡餅だ。上に紅、下に白の、紅白二段である。持ち上げやすいように木の台に乗っていて、厳かに紅白の布がかかっている。

今、JR京都駅前広場に小屋を設け、PR展示してある。この餅乗り三方を「ヨイショ!」と抱えて、どれだけ持ち堪えられるか、その時間を競うのだそうだ。正式には五大力尊仁王会「餅上げ力奉納」という。持ち続ける餅は男性150㌔、女性90㌔。盗難・災難除けのご利益を授かるためで、もう千百年の歴史があるという。

この鏡餅、ガラスケースに頭を付けて、しっかり見た。展示餅は「つるき餅本舗 謹製」と札がある。毎日新聞電子版によると、二代目店主・島田光雄さん(67)が醍醐寺の山伏という縁かららしい。餅は男性用が展示してあり、本物と同じ重さ150㌔、直径は上段50㌢、下段80㌢で、雪が舞った9日、山伏さんが般若心経を唱え入魂式があったという。餅上げ出場者は餅を抱えて、もちっとでも長く長くだろう。

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2008年2月11日 (月)

手づくり飴110年

Img_0007 Img_0021  たかが飴、されど飴…である。何しろ、飴づくり110年の店というから恐れ入る。大津市中央2丁目の下村製菓所だ。雨が降ろうが、降るまいが、明治28年以来という。今は下村善三郎(77)睦恵(74)夫妻が引き継ぎ三代目である。

 この間、ガラス戸開けて入った。善三郎さんが作業場で、水飴と砂糖の入った大きな鍋を杓でかき回している。聞くと、黒飴づくりという。奥から奥さんの睦恵さんが出てきた。一粒10円、袋入り210円。豆入り、ミックスなど買って、作業中の写真を撮らしてもらい、試食の飴を口にほうり込んで、三人でペチャペチャと喋った。

 暫くして、「あんたはん、フリーライター?」と、逆に聞かれて、「まあ、そのう…」と言いつつ、また聞く。夫婦でせっせと飴つくって50年という。息子さんは跡継ぎしないらしい。取材、多い?と聞くと、睦恵さんが奥へ入り、「スルッとKANSAI」という冊子を持ってきてくれた。夫婦の仕事場が載っている。いい写真だ。ネットか、百貨店で販売は?と言うと、「小さい店は小さいままがいい」と。飴の味、心にしみた。

 ※ 下村製菓所は京阪浜大津か島の関駅から徒歩7分で、℡077-522-4836

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2008年2月10日 (日)

植物園の洋ラン展

Img_0066 Img_0082  今年初の京都府立植物園へ昨日行く。北山門から入り、観覧温室まで来て、第16回洋ラン展を開催中の看板が出ている。寒い日でもあり、温室あったかそうで、洋ラン看板も「よーらんか」???と言っている。それで、覗いてみた。

 会場の特別展示室は、それはもうラン、ラン、ラン…だった。赤や、黄色や、白や…、蝶が自慢の羽をいっぱい広げて舞っているような…。出展は100点以上で、京都洋ラン研究会の人たちの作品という。一等の植物園長賞は、小西喜彦さんで、カトレアのノビリホールで、花の色は赤っぽく、紫っぽく―である。

 大きな花で、宙づりの鉢から花が5つ下がっている。会場当番の研究会の人に「なんで一等に」と聞く。園芸業者さんら5人が審査して決めるそうで、大きさと花色と品格と元気さ…などという。それでまた、一等作品見たが、どうも色あいが冴えないような。それで、そういうと、「確かに、旬がすんだみたいで」と。撮った写真、それで不鮮明に???。まあ、気分ランランランで温室出たら、今度は雪がコンコンコンと。

 ※ 洋ラン展は2月1日からで11日まで。60歳以上、証明有れば無料。

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2008年2月 9日 (土)

矢掛けの流しびな

Img_0026 Img_0021  お雛さんが小舟に乗っている。小舟はお雛さんごと電車に乗って、天井からぶら下がり、風もないのにガタンゴトンと揺れている。岡山・井原鉄道のワンマン電車の天井吊り。沿線の矢掛町で春3月2日に行われる「宿場町やかげの流しびな」のイベントPRだ。

 腰掛けて、車内吊りの説明を読む。室町時代からの風習で、紙とか藁で人形を作り、それで自分の身体を撫でて、身の穢れを払い、身代わりになってもらって、川に流す行事だそうだ。紙雛さん、赤に緑に黄色に…、艶やかだ。舟は20㌢くらいで、4体乗って、車内の前、後ろ、真ん中でぶらり、ぶらりである。

矢掛町は人口1万5千人、山陽道の宿場町として栄えた歴史の町という。JR伯備線を清音駅で降り、井原鉄道へ乗り換え五つ目の駅だ。参勤交代の大名が宿泊した石井家の矢掛本陣は国の重文指定文化財という。車内に流しびなの写真が出ている。桃の花を持った網代笠の女性が身代わり雛の乗った紙の舟をそっと押しだしている。舟は矢掛から、幸せ願って、やがて?流しびなのふるさとまで行くそうだ。

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2008年2月 8日 (金)

びっくりデザート

Img_0038 Img_0006  これぞ「おや、まあ」である。食パンをくり抜いて、抹茶アイスにチョコアイス、それに生クリーム。果物はキーウイ、さくらんぼ、スライス切りのりんご。色どりに目が眩む。それにベビーシュークリームがくっ付いて、形はモコモコだ。

 コース料理のデザートだ。この間、居酒屋「ももじろう」大津店で出てきた。一つは4人前という。箸、スプーン、ホークで、じわじわと突き崩すと、中に角型の蜂蜜トーストが4つも入っている。ベビーシュウは7個も。アイスも生クリームもたっぷり。仕上げにこれでもか、これでもか。おじさん、デザ-ト怖~い。

 刺身盛りに始まるコース料理、串かつ、レバー刺身、ハマグリ、牛たんと、脈絡なしに展開したが、デザートも…またびっくり。器代わりの食パンは、手で千切り取って、生クリーム塗って…、壊滅である。誰かが「名古屋の小倉トーストみたいなもん」と言う。不調和の美と形と味の満足?。この、度派手看板のももじろうチエーン、関西圏で今、店舗拡大中。本社は、大阪か?名古屋か?と思ったら、京都どした。何もかも意外どした。

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2008年2月 7日 (木)

滋賀会館ー線の内外展

Img_0002 Img_0003  ロビーのフロアに写真が敷き詰められている。サービス版の大きさで、枚数にして2600枚という。4時間かかって並べ、縦5㍍、横15㍍にも。中学時代から撮り溜めた写真で、犬、草、人、空、建物…、何でもあって、展示に脈略はないという。

 兎も角、ちゃんとした作品だ。今、滋賀会館で開催中の福田真和君(24)の展覧会「out I in line」(線の内外)の一つ。この写真は大ホール2階にあり、南館2階ギャラリーには糸くずと紙くずを丸めた作品が5つ、何となく並んでいる。これも、立派な作品なんだそうだ。

 制作者の福田君と喋った。岐阜県美濃加茂市出身で、2年前に成安造形大を卒業して、今、教員待ちという。大学は彫刻専攻、京展の入賞歴がある。今回は半世紀を越す滋賀会館を会場にしたイメージ展と話す。滋賀会館の古さ、複雑さ…その埃りっぽさと絡み合いを表現したという。ほのやかな記憶、見る人の立場で甦れば―と話す。年輪刻んだ建物とエッ?と思わす作品…、コラボからメモリーへである。

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2008年2月 6日 (水)

青蓮院の楠

Img_0017 Img_0030  通るたびに「いや、まあ」と、仰ぎ見る。兎も角、幹が太くて、枝ぶりは横に張って張って…、上には伸びて伸びて…である。京都五カ門跡の一つ、青蓮院にある樹齢800年の楠である。それが5本、みんな京都市登録の天然記念物だ。

川端康成が小説「古都」の中で、この楠のことを書いている。「千恵子たち三人は、その楠の前に立って、ながめて、なんとも言わなかった。じいっと、ながめていると、大楠の枝の、不思議な曲がり方に、のびひろがり、そして、交わった姿には、なにか不思議な力がこもっているようでもある」と。

同じようにじいっと眺めた。うん、いや、全く、いや、でかい。いや、大きい。文学的表現?それが、圧倒されて…。一本、二本…、南から順番に見ていくと、三本目が一番だ。京都市の案内札によると、幹回り5.94㍍、高さは26㍍と。根が地表でうねって、苔がへばりついている。根の間から南天の木まで出ている。親鸞さん、お手植えと伝えられているが、こんなになるとは、親鸞さんもしらんかったのでは…。

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2008年2月 5日 (火)

玉村方久斗展

 Img_0039 Img_0036 ストライクかなあ。アンパイヤのお母さんはどう判定するのだろう。画面の真ん中にボールが見える。投げた眼鏡の父さん、ミットを構える坊や。見守る黒のワンピースの、妙齢の女性、だれかな。休日の庭先、キャッチボールが絵になっている。

 今、京都国立近代美美術館で開催中の玉村方久斗(ほくと)展を見てきた。京都の下駄問屋で生まれ、大正、昭和と58歳まで生きた前衛の日本画家という。京都新聞の展覧会特集(1月6日付け)に「京都が生んだ異色の画家」の見出しが出ていた。どう異色なのかと、そう思って会場を回った。激しさ、大きさ、ほのやかさ…、変化に富んでいる。

 キャッチボールは昭和6年、37歳の時に描いている。新しい日本画を求め、自ら「方久斗社」をつくり、日常の生活断片をシリーズのように発表した頃という。書斎、玄関口、港町寸景…何気ない場面を描く。人物がどこか漫画チックで、ほのやかだ。今昔物語絵巻で首を切り飛ばした凄惨さ、山また山の重なりを俯瞰したスケールとは異なる。日本画変革へ方久斗の挑戦、北東から始まったのだろうか。???

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2008年2月 4日 (月)

立ち呑み経験

Img_0007 Img_0008 裸電球がぶら下がっている。土間のテーブルは腰の高さまである。割り箸立て、小皿、メニュー表、隅っこにはビール箱、焼酎瓶が雑然と積み上げてある。古民家を改装した立ち呑み屋さん。大衆酒場「清水家錦」という。

 烏丸通錦を西へ入って、すぐの南側である。表に「立ち飲みスタイルの居酒屋、一緒に働いてみませんか」の張り紙。店の西隣に「此付近 木下順庵邸址」の石碑が建つ。順庵は江戸時代の朱子学者。新旧が隣り合う。卵にゴボ天、大根に天ぷらのおでん4種盛り頼み、えっと、それから芋焼酎も。

 その、それから焼酎で、店内しょっちゅう見渡す。店の奥は坪庭。青天井で、植え木がライトアップしてある。若い客が多く、店員の頭はバンダナ。また、それから呑んで、女性店員に聞く。開店して2年目で、呉服屋さんを改装したと。通り庭にむき出しの梁。ゴチャゴチャ感が売りのようだ。どんなんカナ―と飛び込んだ立ち呑みウオッチ。鯖すしと、ウーロン茶追加して、1850円なり。これもまあ、人生経験。

 ※ それから焼酎お湯わり500円 おでん4種500円 鯖4切れ600円 ウーロン茶カップ250円 … でした。

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2008年2月 3日 (日)

総長カレー

Img_0052 Img_0058  賢い大学なのに、バカ売れなんだそうだ。京都大学の尾池和夫総長がプロデュースしたという総長カレーである。時計台のある正門から入り、すぐ南側の食堂「カンフォーラ」で食べた。昼をかなり回っていたが、総長カレーに変わりないらしい。

 節分前日で、吉田神社詣での人も多く、店内入りまで10分ほど並んだ。カウンター席に座り、即、総長カレー!と頼むと、「シーフードですか、ビーフですか、ステーキですか」と言う。それで、ビーフというと、今度は「ライスは白御飯ですか、五穀米ですか」と言う。さすが、京大だ。なかなか1回ではパスさせない。

 この総長カレー、小麦粉使わず、香味野菜と8種類の香辛料で仕上げたルーが自慢だという。始まりは2年前で、学生と食堂側が何回も試作品をつくり、カレー通の尾池総長にやっと合格点をもらったという。相当煮込んだらしいカレーをすくって白御飯にかけた。とろっとしている。一口、二口、三口…、舌、喉ごし、お腹…、通過するごとに緊張する。ビーフはたっぷり125㌘だ。味?それはもう、お腹に入るだけで、感激だ。

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2008年2月 2日 (土)

早雲の里は荏原

Img_0063 Img_0067  歴史は動いて、甦る。この間、岡山県の井原鉄道に乗り、早雲の里―荏原駅へ降りた時、そう思った。高架ホームの下にある駅前広場。赤い旗ざおが立ち並び、足を組んで、軍配を持つ鎧姿の北條早雲の石像がある。

 ギョロッと目をむいている。顔が妙にでっかく、足は太く短そうである。5頭身くらいだ。鎌倉執権の北條氏に対し、5代百年にわたって小田原を治めた後北條の初代、戦国武将の魁と言われた早雲である。ここ、荏原がホントの生誕の地だという。広場の石像は、鉄道開通1周年記念の平成12年に地元の石屋さん寄贈と。

 早雲は出生地も年齢も諸説あり、???マークの多い武将だった。「一介の素浪人から戦国大名に」「没年88歳、大器晩成」などと、小説、TVで登場してきた。それが時流れて、次第にベールが剥がれてきた。荏原にある宝泉寺の古文書を調べた学者さんの論文で、荏原生まれが明らかに。この石像も、その宝泉寺所蔵の画像から模したという。後北条の早雲、運もあとあと幸運だった。

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2008年2月 1日 (金)

お好み焼きやねん

Img_0013 Img_0021 キャベツが汗をかいている。豚肉はほんのり赤く…。カップの中で混ざり合った「ぶた玉」が、鉄板の上で、何と艶ややかなことか。山科駅前の大丸に隣り合う専門店ラクト4階、お好み焼きの「鶴橋風月」である。

こってり味の大阪風と思ったら、意外やねん。見た目も味も、それは上品である。つなぎが少なく、キャベツ多く、低カロリー。メニューによると、キャベツは普通で160㌘、80円足すとラージになり、230㌘に増える。カツオ、ソース…、焼きこんがりででサクサクして、舌にお腹にしっとりやねん。

 「鉄板熱いです」「裏返します」「火を止めます」「ハ~イ、出来上がりました」―何から何までスタッフまかせだ。キャベツは季節により産地も切り方も変えるという。今は何処のキャベツ?「長野産です」-、学生バイト?「そうです」―、家でも焼く?「いいえ」―、お手伝いせんと?「はい」―、お嫁に行ってもせんと?「はい」―。見ながら待つこと15分、すっかり、おっさんやねん。反省。

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