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2007年12月

2007年12月31日 (月)

花時計、行く年来る年

Img_0067 Img_08  イノシシとネズミ、二つの干支を並べてみた。写真は神戸三宮の花時計である。この2枚、今年の1月と2日前の29日に撮った。イノシシ写真はエッと、何処に仕舞いこんだかと、PCデータの写真フォルダを探し出し、見合わせた。

 干支のバトンタッチである。右に送るイノシシ、左は迎えるネズミ。図柄を並べると、ピッタリ左右対象だ。まるで見比べを想定していたように良く出来ている。ネズミは長い尾っぽ、イノシシは尖がった牙で特徴を出している。冬の花、葉牡丹で、どちらも赤紫1200本、白1200本を巧み使いこなしているという。

 この花時計、神戸名物で昭和32年4月に始まる。神戸市役所の新庁舎落成を記念して、神戸フラワーソサエティーという団体が作ったという。今は市役所建設局が管理して、一年に何度か旬の花で模様替えしている。時計の針は、お隣の市役所屋上にある太陽光発電設備の電気でカチカチと動く。CO2削減に一役、時代である。大晦日、干支の花時計を見比べて、行く年来る年を思う。去るイノシシ、駄洒落てイイノ、来るネズミはエエ年に-と。???

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2007年12月30日 (日)

ツイン丼のラーメン

Img_0033 Img_0038 どんぶりがツインだ。そこに2種類のラーメンが入っていて、一つのどんぶりで二つの味が楽しめる。ラーメンのアイデアル?。「らーめんの郷 古今」の、イチオシのメニュー~デアル。お店は阪急四条河原町の7階食堂街にあり、11月からの出店デアル。

ツイン丼の片方はチャンポンで、定番という。もう一方は3種類のメニューから一つを選ぶ。とんこつか、鶏塩か、それとも醤油か。暮れに興味本位で飛び込んで、鶏塩を選択した。チャンポン、具たくさんだったが、ちゃんと食べて、鶏の塩はシオシオと箸を進めた。まさにツイン味、麺とスープが協調して美味しい。

 値段?これも二つが一つで1000円。本店は梅田の阪急3番街にあり、京都は初進出という。客入りはどう?売れ筋はどう?と、手持ち無沙汰な女子店員に相手になっていたら、店長が出てきた。白い前掛けのままである。「梅田の店はチャンポンが売りでして…、お客さんはこれからです。まず、古今を認知してもらうことでして…ハイ」と、殊勝デアル。頑張って-と励まし、また、ここん所へココン?と。

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2007年12月29日 (土)

美智子様とユリカモメ

Img_0058 Photo  デッキに出られた美智子様が「あの白い鳥は?」とお聞きになったという。琵琶湖汽船の中井保社長は、今も、その時を思い出す。今年10月、滋賀県で開催した全国豊かな海づくり大会。両陛下が琵琶湖汽船のリオグランデに乗船された時のことだ。

 白い鳥は、湖上を優雅に舞っていたユリカモメ。時折り「ギューイ」と海鳥のように鳴いて、群れて飛んでいたらしい。それで、美智子様がお尋ねになったのだ。中井社長は「毎年、越冬でシベリヤ大陸から飛んできます。毎日、琵琶湖から京都の鴨川まで通勤しますので、都鳥とも言います」と、緊張してお答えしたという。

 ユリカモメがその時、琵琶湖に姿を見せるかどうか、実は、冷や冷やだったという。何時もは、もっと早く来るのに、今年は海づくり大会の直前2日前、ぎりぎりの飛来だったと。琵琶湖のユリカモメ、見てもらいたかったので、口をからからにして、そんな風にも話したという。美智子様からは「かわいいい鳥ですね」と、お言葉があったと。この間、大津港のユリカモメ見ながら中井社長の話を思い出した。

※ 右の写真は中井社長(左から3人目、陛下ご案内役)のブログ「びわこ便り」から転載しました。

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2007年12月28日 (金)

晩鐘、一撞き300円

Img_0019 Img_0020  近江八景「三井の晩鐘」を撞いた。音は日産改革の「ゴーン」でなくて、「グォッ~ウォ~ン」と、奥深く、静かに響く。さすが、音の三井寺だ。形の平等院、銘の神護寺と並ぶ日本三銘鐘の一つ。その響き、平成8年には「残したい日本の音風景百選」(環境省)にもなって、より一層「グォッ~ウォ~ン」と鳴る。

 鐘は、伝説の弁慶の引摺り鐘を継いでいる。高さ208㌢、口径124㌢、重さ2250㌔で、豊臣家が1602年に鋳造した。鐘楼は重文。この鐘になって、もう400年以上も鳴り続けている。鐘守りさんによると、何時からか、音がお金になって、お値段は鐘由来書きパンフが付いて、ヒト叩き3百円だ。

 撞く人は、平日10人、多いと500人という。鐘は1、2、3と反動を付けて、引く時に力を入れて、最後は放り投げると、良く響くという。大晦日の除夜の鐘は午後10時半に集合、福矢付きで2千円に。108人で締め切り?と聞くと、いやいや、撞く人ある限りエンドレスという。煩悩は108では、言うと、人間の煩悩、そんなに少なくないでしょうと。この発想、お寺の「ゴーン」。

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2007年12月27日 (木)

駅ビルの輝き

Img_0017 Img_0027  京都駅ビルはえらく派手に輝いていた。ピッカピッカ、何万球の電飾ツリーが、点って、消えて、また点った。Xマスイヴ。190段の名物階段の上り口。夕暮れに周囲10㍍、高さ20㍍の大きなツリーを見た。

 下からも横からも斜めからも…、そして真上からも見た。夕闇が濃くなり、ツリーが変わった。橙一色から、赤、緑、青と色合いが増えて、輝きのバージョンが幾通りにもなった。トコトン、トコトン…エスカレーターの最上階、真下のツリーは3本に?。よく見ると、両面のガラスにツリーが。隙間から京都タワーも。

空があって、光があって、人がいて、街があって…、不思議な空間である。京都駅ビルの設計者、原廣司さんは言う。京都は歴史への門だ…、駅舎は人びとの離合集散の舞台…、出会いの経路だ…。原さんがビル設計趣旨にそう書いている。駅ビルは幅27㍍、高さ60㍍で、長さは470㍍で日本一という。古くて新しい京都の象徴ーそう感じつつ、また、長~いエスカレーターをトコトン降りた。

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2007年12月26日 (水)

中華店の品格

Img_0014 Img_0021  ホオッ!うま~い!-、だから「鳳舞」(ほうまい)と言う?のかどうか。この間、広東料理の、この中華店で昼を食べた。鴨川のすぐそば、紫明通りの南側である。洋風か、中国ふうか、石造りで、外観はとても中華店とは思えない。知る人ぞ知るふうだ。

 何度か行っているので、最初から決めていた。カシワテンプラである。忘れられないというほどでないが、辛子醤油をつけて、アツアツで口に入れる美味さ、舌が覚えていた。出てきたカシワテン、大きさは不統一で10個以上。味の特徴、テンプラと鶏肉の融合?である。二つが一つに…上手に揚げてある。

この店、もう40年も続いていて、スタッフの顔ぶれに変化はなさそう。ベテランのおばちゃんが多く、懇切丁寧だ。「唐揚げと違うね。945円のカシワテンやねえ」と写真付きメニュー見せて、確認する。「スープ150円、白ご飯105円も一緒やねえ」と、さっさと注文取りも。これぞ先手必勝である。国家の品格、女性の品格、そして中華の品格…それは言うまい?鳳舞?。

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2007年12月25日 (火)

館蔵品の始まりは無料?

Img_0008 Img_02  雨なのに-である。京都国立博物館―傘さして、人がぞろぞろと行く。何でかなーと思ったら無料だった。ただほど安いものはない。この土曜、師走3連休の始まり。毎月第2、第4土曜は入場料はいらないという。それならと、ロダンのように思案せず、入った。

 平常館の受付で「多いですね」と聞くと「皆さん、無料をよくご存知です」と。2階展示室では4日間限定の特集陳列「館蔵品のはじまりー京都博物館からの贈り物」を開催中だ。これ、無料観賞?いいなあと、入ったが、書跡・文献・文書がずうっと。いや、わかりません。それでも、今、館収蔵品は12500件とは、知った。

 見るようで見ずに隣の仏画展示へ。布袋、十六羅漢、釈迦…、ここは落ち着く。10号室に江戸時代の異端の絵師・曽我簫白の達磨、鍾馗と鬼が展示してあって、絵が型破りで面白い。疾病除けの神さんである鍾馗さんが鬼に耳かきで掃除してもらって、快感の様子。達磨図には「曽我簫白―鎮酔画」とあるが、酔を鎮めて描いたにしては、破天荒すぎる描きよう。まあ、仏画と雨と無料に手を合わせ、謝々!。

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2007年12月24日 (月)

高校駅伝、頑張れっ!

Img_0006 Img_0004  「もう北大路通りじゃけん。あと10分じゃて」-携帯のワンセグ覗きこんで、お国なまりが飛び交う。「ほら、来たさあ。頑張れッ」-、昨日の都大路は全国高校駅伝。沿道フィバーを見に烏丸鞍馬口へ行った。

 朝は第19回女子、昼は第58回男子だ。烏丸鞍馬口は地下鉄駅で降りれば、そこは女子は折り返し点、男子は花の1区、後半はレース山場になる中継点である。見るならここ-と思ったが、さすがに人また人。世羅、大曲、名護、室蘭大谷…沿道のカラー幟は丸ごと日本列島だ。それに駅伝七つ道具の、デジカメ、ラジオ、携帯電話…。

 手ぶら応援でも回りから情報が刻々と入る。陸協役員のランナー呼び出しが始まる。26番、22番、33番…、ランナーがぴょんぴょん跳ねる。見ていてもドキドキだ。トップは京都だ。凄い、頑張れっ。滋賀はどうした?。まだか、まだか?来たあっ、47番目だ。頑張れッ!タスキ渡って、追い上げ急だ。最下位脱出、いいぞっ。応援の沿道に混じって、ストレス発散、気持ちいいぞっ!。

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2007年12月23日 (日)

81歳の元気

Img_0006 Img_0016  笑顔がいい。帽子がいい。ネクタイがいい。81歳の梶原権次郎さんが今、故郷・大津の滋賀会館ギャラリーで、61歳の息子さんと第12回親子展を開いている。毎日、朝からずっと会場に詰め、鑑賞者と「生と死」を語っている。

 会場入ってすぐ、骸骨が横たわっている。「明日死ぬよう今日大切に生きる 八十一歳」と墨書してある。油彩、水墨画など40点近く並び、最後に白紙の真ん中に1㌢の「死」の文字一つ。意味は死に気付いてもらう事、という。だから一日一日、生かされていることを知って欲しいーという。

 黒い防寒帽、イタリアで買って40年と。長い間、イタリアに住んで、大らかさが最高の国だという。「南無阿弥陀仏」と経入りネクタイは、中国で買ったと。これ、締めていて、いつお迎えあってもーと話す。小学校まで大津に住み、3歳の時、百日咳で死にかけたこと、博覧会で戦後、全国行脚したこと、外国にいるお孫さんのこと、話はどんどん展開して行く。聞いていて、ホントに81歳?と思わす元気がいい。

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2007年12月22日 (土)

猪、暴れ年

01 Img_0074  芝生がモコモコしている。これ、猪の仕業だという。毎朝毎晩のように出てきて、ミミズ欲しさに芝生を捲り上げ、裏返すそうだ。あっちでモコモコ、こっちでモコモコ…、直しても直してもで、イタチゴッコでなくて、猪ゴッコだという。

 そこは、希望が丘公園スポーツゾーン(滋賀県野洲市)の芝生ランド。今まではそうでもなかったのに10月ごろから頻繁に出没しているという。それで、とうとう京都新聞にも「イノシシ ミミズ狙い 悪行」と大きく出た。公園側も「困ってま~す」と、最近になって、ポスターを掲示、荒れる芝生に利用者の理解を求めている。

 このイノ公対策だが、なかなか妙案はない。電気柵、夜間灯、異臭薬、ワナの設置、猟友会依頼―、といった対応策も決め手にはならないという。専門家によると、イノ公は臆病なので人サマを徹底して警戒する。そのうえ智恵があって、人サマの仕掛けをすぐ見抜くというからホント意のままにならない。深刻な話で洒落ている場合でないが、今年は猪年だけに余計にエッと思う。

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2007年12月21日 (金)

幻想の北山門

Img_0007 Img_0016 大きな木が、凍りついたように白く光っている。夜空を仰ぐと、雲間に半月。噴水が時折り、シュッと音を立てる。吹き上がる水は青、緑、紫…。池には二重映しの白いツリー。これぞタジタジの、ファンタジーである。

京都府立植物園のXマス・イルミネーションだ。15日から始まり、Xマスイブの24日まで毎日続く。今年で3年目の夜間開園である。地元のKBSラジオで、板谷園長が「北山門からは幻想的です。観覧温室はUFOみたいです」と、話していたので、この間、コートの衿を立て見に行った。

点灯の時間に北山門から入った。園長の言葉どおり、そこは幻想の世界。謳い文句は「凛と輝く花と光のファンタジー」だ。北山から観覧温室を通り、正門への道筋、色とりどりの発光ダイオードに導かれて、王道を行く。トナカイ、サンタ、ラッパ奏者…おとぎの国を歩くようだ。観覧温室はどういうふうUFOかーと思ったら、温室内側の光が闇夜に浮かぶ、そういうふうUFOだった。ああ、しんどっ!。

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2007年12月20日 (木)

復刻堂の自販機

Img_0009 Img_0011 最初、何かと思った。黒い板壁に大きな自販機が4台はめ込んである。正面に復刻堂商店の看板があがっている。板壁も看板もレトロ調だ。それが、何処かというと、名神高速上り線の菩提寺SA駐車場だ。奇をてらって、面食らわせての、商いである。

 缶コーヒー1個120円、コイン口に入れた。「ようこそ、おおきに」「気をつけて運転してや」-、どこからか大阪弁の声がする。おやおやと思う。同時に電光のデジタル数字がチカチカ動く。7777が出たらもう1本サービスという。外れだったが、おやまあと思う。謳い文句は「おいし、なつかし、あたらし」と。それ、シッシッシ?。

 どこの会社かなーとみたらDyDoと書いてある。大阪に本社のあるダイドーだ。コーヒー中心に嗜好飲料を自販機で売る会社で、ネットでHP見ると、全国に自販機29万台、連結の売り上げ1558億円という。TVのCMに元プロ野球の新庄剛志を起用、缶コーヒーは1000万ケース突破だそうだ。20年度決算も増収増益予想とか。レトロ+アイデア+場所=自販機商法、もう一つ追加で「おそろし」。

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2007年12月19日 (水)

舞妓さんの満点デビュー

Img_0030 Img_0023  祇園新橋の料理屋さんで、舞妓さんの宴席デビューに立ち会った。宮川町の「ふく帆ちゃん」という。青森県弘前市出身の16歳だ。畳みに両手をついて「よろしうおたのみ申します」と言う。もう、津軽弁ではない。ベンベン。ちりとてちん、いやチントンシャン。

 「なんで、舞妓さん?なんで、なんでえっ~」の質問の矢が飛ぶ。中学の時、TVを観ていて、憧れた。反対する両親を説得して、母親の知り合い通じで、一年前に京都へ来た。若柳流の日本舞踊の稽古、とても楽しい。三味線?、難しおすけど…とも。「京都、どこも行ってません。連れておくれやす」と。

 名前はだれが?その髷は?その簪は?…、席を代わるごとに-である。名前は、おふく姉さんの名前と出身地の青森の帆立から「ふく帆」になったという。簪は顔見世の招き簪になっていて、藤十郎と襲名披露の錦之助をつけていると。鼻が高いねえ?と言うと、鼻筋に白粉つけると、高う見えるんどっせと。どんな質問にも、さらりさらり、写真もどうぞ、どうぞ。道に入った振る舞い、満点デビュー。ふく帆ちゃん、頑張れ!。

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2007年12月18日 (火)

人気のカレーうどん

Img_0009 Img_0010 肉か、鳥か、ワカメか、あげ刻みかー迷って、肉にした。今、評判のカレーうどん。お店は永観堂から北へ100㍍、鹿ケ谷通りに面した「日の出うどん」である。雑誌サライの京都美味処72軒に載っている。

 この土曜、混む前に入った。カレーうどんの辛さ、普通、中辛、辛口、激辛の4段階あるという。「普通でいいです」と言うと、今度は「エプロンします?」と聞いてくる。洋食じゃあるまいし、と思ったが、カレー汁が飛び散る対策だという。「それなら」と頼んで、首から紙エプロンかけて、箸とレンゲで、噂のカレーうどん。800円。

 うん、なるほどカレーえ。うどん玉はまあ平均点、肉は柔らかい。カレー汁は玉ねぎ入り。小ライスは、漬け物がついて150円。うどんをすくい、ご飯食べ、辛い汁フーフー。汗が額から頭へ、じわり吹き出て来る。この汗、人気の秘密かな。レジで係りの女性に950円払って聞いた。このお店は何時から?と聞くと「古おすえ」と言う。その答えさすがになかなか枯れ~ている。

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2007年12月17日 (月)

白川の一本橋

Img_0008 Img_0016  橋は橋でも一本橋である。二本でも三本でもない。ベンベン。この橋、比叡山の阿闍梨修行の行者さんが千日回峰行を達成して、粟田口の尊勝院(元三大師)へ報告して、初めて京都入りするおりに渡る。それで、行者橋とも阿闍梨橋ともいう。ベンベン。

 橋は白川に架かっている。川の両側の柳の緑が美しい。三条通古川町商店街の南入り口あたりだ。石造りで、丁度、人ひとり歩ける幅である。手すりも何も無く、細い橋一つ、長さは15㍍ほどだろう。知恩院総門へ行く古門のそばで、川清く、古都らしい情緒感もあり、映画、TVのロケがよくあるという。

 この間、三条通りから柳の川沿いを歩いた。念のため、かど掃き中のお母さんに一本橋は?と聞いた。即「もうすぐ」と、答えが返ってきた。さすが地元、よく知られている。橋のたもと、暫く、渡る人を見ていた。女学生、買い物のおばさん…、いや結構多い。一列縦隊、対面通行、ちょっとしたスリル…、橋の上で記念写真の観光客も。意外な人気である。満行の阿闍梨さんも、あじゃあ~!。

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2007年12月16日 (日)

大津駅の山吹地蔵

Img_0005 Img_0008  JR大津駅西側に小さな祠がある。木曽義仲の愛妾、山吹御前を祀ってあり、何時からか、誰いうとなく「山吹地蔵」と呼ばれているという。この間、駅方面へ昼食に行って、この祠、そこらにはないなあと、覗き込んだ。

 お地蔵さんは1体かーと思ったら、何と石仏が12体も入っている。三壇になっていて、上から3体、4体、5体と雛壇のようだ。みんな石仏で、人形のようなの、石に地蔵を掘り込んだの、どうみても石だけの-と、大きさも形も色々である。どれがご本尊かわからないが、どの石仏も祠に入って、どこか誇らしそうだ。

 この山吹御前、義仲が頼朝の鎌倉軍に粟津ケ原で敗れて戦死したおり、逢坂山を越えてきて、このあたりの竹薮で敵刃に倒れたという。その哀れを思った人々が、昔あったお寺の境内にお地蔵さんをつくり、大正10年に大津駅になり、お寺が移っても、鉄道官舎の女性らが祠をつくって、お参りしてきたという。そばに銅板の句碑が立つ。「木曽どのを したいし山吹 ちりにけり」と。今も昔も純な心、哀れを思う。

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2007年12月15日 (土)

とんでとんで紙芝居

Img_0029 Img_0032  両手を右に左に~とんで、とんで~と合唱する。この間、滋賀会館地下の薬屋さんの隣にある空き部屋で、通称まあばあちゃんが自作の紙芝居を見せて、演じた。買い物ついでに見に来たご近所の、普通のばあちゃんたち、まあ-と喜んだ。

 主役のまあばあちゃんが、~とんで、とんで~と掛け声かけると、最初に小さなカンガールがぴょんと出てくる。普通のばあちゃんが声を合わすと、大きなカンガールが出て、ぴょんと跳ねる。ウサギがとんで、バッタがとんで、ジャンプまたジャンプ。あれれっ、手のひらに描いたノミまでとんだ。

 まあばあちゃんの自慢は棒高跳びの、とんだ。ロシアのイシンバエア選手を描いている。5㍍01の世界記録を持ち、大阪の世界陸上でも4㍍80で軽々と優勝した。「このとんだ、いいでしょう、この選手、覚えておいてね」という。縦じま半纏のまあばあちゃん、定年で勤め終わり、ボランティアで紙芝居を始め、もう4年とか。創作とんだシリーズはまだまだ、今度はイスタンブールまでとんで、とんで~かな。

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2007年12月14日 (金)

山と川ときんつば

Img_0024 Img_0019  人目忍んで、逢瀬を重ね「山」「川」と呼び合ったという。大正ロマンに生きた不世出の画家、竹下夢二と、運命的な恋に落ちたという笠井彦乃である。この二人が暮らした寓居跡が京都東山の二年坂にある。

 今、寓居跡は、きんつばが美味い。夢二の専門ショップの港屋さん(本社東京)が芋、栗、黒豆など1個120円から140円で売っている。夢二の木版画、一筆箋などより、人気がある。世間から逃れるように、二人が住んだのは大正6年ごろ、今から90年前である。まさか、きんつば?の恋ではなかろうが、一緒に住んだのは事実のようだ。

 話を聞こうと芋きん、一つ買った。きんつば焼いて、売ってのお兄さんは忙しそう。電話の手が離れた年配の女性に聞いた。店内に一杯ある夢二が描いた、しなやかな女性絵のグッズ見て、「どの女性が彦乃ですか」と。多忙なのか、そう愛想は良くないが、それでも「黒猫抱いているノ」という。色白、細面、黒猫を抱く白い手がしなやかだ。山あり川あり、谷も、きんつばも?の人生を思う。

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2007年12月13日 (木)

アンネのバラ一輪

Img_0002 Img_0004  アンネのバラが1つ、咲いていた。衣笠の立命館大学平和ミュージアムの玄関口。歩いて、行き過ぎようとしたら、そのバラが「あんねえ」と、洒落て、問いかけてくるような気がして、立ち止まった。

 淡いピンク色だ。通りに面して、顔を向けるように、細い枝先で、輝いている。葉はまだ青々しているが、バラはもう、みんな咲き終わり、私が最後よ-と言っているようだ。バラはアンネの日記に由来する。アンネ・フランク、13歳のおり、ユダヤの弾圧から逃れたオランダの隠れ家で書いた。平和を想う、その日記ゆかりのバラである。

 このバラの品種、アンネ・フランクの形見という。日記に感動したオランダの園芸家が8年かけて育苗した。朱の蕾から黄色、そしてピンクへ、変化する。日本には50年前に、夫でなく、お父さんのオットー・フランクさん通じて入って来て、さし木、さし木で広まっている。立命のバラも15年前に聖イエス会嵯峨野教会で開花した、さし木だという。バラ見て、アンネ知って、平和を願い-である。

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2007年12月12日 (水)

衣笠のお絵かき村

Img_0018 Img_0019  [KYOTOきぬがさ絵描き村]-、意外に鑑賞者が多い。堂本印象美術館の企画展である。美術館は立命館大学の前に建つ。堂本さんが京都府に建物ごと寄贈して、府立の美術館になり、それを立命館大学が指定管理者として、去年6月から運営している。

 絵描き村の画家は、抽象画の印象、竹の平八郎、筍の神泉、海の竹喬、動物の華楊である。この5人、みんな文化勲章作家で、美術館のある衣笠界隈に住んでいたという。合縁奇縁である。師走の日曜、最終日に行った。お客さんが多いので、帰りに受付に聞くと、一日に2~300人で、指定管理になって、入館者が増えているという。

 それ、企画力だそうで、副館長を兼ねる立命館大の島田康寛教授が担当している。島田教授の前職は京近美の元学芸課長で、近現代の美術は十八番でもある。今回は大正から昭和へ、衣笠に住んだ画家を調べ、図録で昭和23年当時、衣笠に70人も画家が居住していたと、住所一覧と地図を載せている。その代表がこの5人という。その道一筋、人あり企画ありーを改めて思う。

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2007年12月11日 (火)

読んだ本のベスト5

Img_0001 Img_0010  バスの中、電車の中-、持って出て読んだ本、今年はどれが面白かったかなあ。師走-、やがて一年の終わりに、ふと、そう思う。書棚の背表紙見ながら、思い出して、ベスト5を以下に選んだ。

     反転(田中森一、幻冬社、1700円)

     特命転勤(吉原勇、文藝春秋、1500円)

     ことば遊びの楽しみ(阿刀田高、岩波新書、700円)

     湖の南(富岡多恵子、新潮社、1600円)

     古都(川端康成、新潮文庫、400円)

 反転、特捜検事から裏社会の弁護人になった「なぜ」を書く。大阪地検担当で著者を知る元産経記者のMS氏が、この間の宴席で、「あの話はホンマや」と。毎日新聞経済部者だった吉原さんの特命転勤は、温厚な著者を知っているだけに、興味倍加だった。毎日新聞大阪本社建設の裏舞台が生々しい。大津事件の謎を掘り起こした湖の南は、エピソードが真に迫る。冬に読む本、御本に注意。???。

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2007年12月10日 (月)

フウが燃える

Img_0032 Img_0044  京都府立植物園の大木「フウ」が今、赤く燃えている。見上げてフウ、眩くてフウ…、それで名前が「フウ」という。???。板谷園長は自ら執筆している旬の園だよりで、フウのことを「王者の風格 西日本最大級 これを見ずに帰れない!」と書く。

 いや、まさに…と思う。遠くからも、そこだけ明りが差している。近づくと、紅紫に黄色に、その変幻自在な色づきにドギマギする。枝が空を覆うように張っている。高さで20㍍はあろうか。樹齢90年という。樹木手帳には、マンサク科の落葉高木で、300年前に中国から渡来したーとある。

この週末、陽が西に傾きかけた頃に見た。フウは正面入り口から植物園会館を経て東へ150㍍あたり、アジサイ園に立つ。さすが、今が一番人気、現場は人、カメラ、人…である。大木見上げながら周りをクルクルと回った。脚立を抱えたおじさんが言う。「この木、大きすぎて、毎年来ているけど、うまく撮れん」と。下から見上げてか、うんと離れてか、確かに写真撮るにも、一人で見てもフウフウ。???。

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2007年12月 9日 (日)

宙吊りの蛸足

Img_0002 Img_0012 蛸の足が糸で吊ってある。天井にレールがあり、蛸は糸で右にも左にも動く。何を意図しているのか、女将さんに聞いた。「遊び心でして」と言う。テーブルにハサミが一人一個ずつ置いてあり、足を切って食べるのだそうだ。これ、あしからず-か。

このお店、魚料理の「魚宏」さんで、JR大津駅から滋賀県庁へ徒歩2分だ。この間、忘年会で行った。蛸の足は各テーブルに一つ、合わせて4本吊ってある。吸盤からして、大きな蛸のようだ。女将さんにどこの蛸?と問うと、どう証しを立てたのか、「明石の蛸です」という。今朝仕入れて、茹でて焼いてあると。

目の前の蛸、糸をたぐり、ハサミを持つ。蛸、ぬるっとして、すべる。簡単に切れない。経験のあるHYさん、左手で蛸をぐっと掴む。大胆にチョッキンと切って、みんなの皿に配る。蛸の足大きく、噛み噛み、ガムの如く。暫し、蛸談義が続き、蛸の足は8本、あとの4本の足との行方が気になる。もう一度、女将さんに聞いたら「さあ、どうなったのでしょう」と、答えたか、どうか。???。

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2007年12月 8日 (土)

大津ことば、おいんなぁー

Img_011 Img_0005  「おいんなぁー」-、これ、何のこと?と思ったら大津の方言だという。桂三枝さんが言う「いらっしゃ~い」である。大津市がJR大津駅前の広場に設置した看板に書いてある。来年秋のスポレク祭へ向けて、大津弁で歓迎という趣旨だ。

 看板は丸太囲いで、縦1㍍、横2㍍の大きさ。琵琶湖の水色地に14の大津言葉が2列に並んでいる。この間、記事が京都新聞滋賀版に写真入りで出た。「ええもん、ほかす-など、関西弁と同じ言い回しもあるが、しまける(時雨もよう)せつろしい(せわしない)などは大津の個性を感じさす」と記者が書いている。

 おどぼ(ぬかづけの漬物)けなりい(うらやましい)ほかす(捨てる)…など、忘れられていた大津の方言が、この看板で甦った。大津市は「ことば、音、におい…、目に見えないものに町の個性がある」と記者に語っている。この方言、町のオアシスという市民グループのHPに載っている。それによると、町の古老がかなり苦労して集めたらしい。方言復活、「ええもん」(よいもの)である。

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2007年12月 7日 (金)

青森のりんごジュース

Img_0007 Img_0009  夜のJR山科駅ロータリーで、りんごジュースを1本買った。何で買ったか、出来心?かなあ。駅近く居酒屋の宴会帰り、最終バスへの道筋だった。軽のバンに乗った若い2人のお兄ちゃんが寄って来て「青森のりんごジュース、買ってえ」と。こちらも少し、酔っていて、ついつい-だった。

 最初、青森の何処のりんご?、と聞いた。「南津軽の大鰐です」という。「青森は板柳が一番や。大相撲の高見盛の出身地でなあ。あそこ行ったんや。隣の浪岡町が生産量一番やけどなあ」と返す。また聞く。大鰐から売りに?と。「いいえ、違います。伏見の大亀谷からです。委託販売です」という。

 バンの荷台を覗いた。りんごジュースとりんご酢が箱に詰まっている。買ったのは1㍑瓶800円のジュース。便秘解消の酢は3000円という。二人の年齢聞くと、23歳と24歳。今朝は9時から滋賀の石部、瀬田など回って来たという。給料は歩合いだそうだ。二人の写真も撮って、やりとり、7、8分。最後に「りんご酢も買って」と、頼まれたが、財布はスースー。

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2007年12月 6日 (木)

都TXAの百人一首

Img_0017 Img_002  「花の色は~ うつりにけりな いたずらに~ わが身世にふる ながめせしまに~」―、思わず、ハ~イと手が出そうだ。居酒屋で同席した客が小野小町の百人一首カルタを持っていた。都タクシーの運転手さんにもらったと言う。もう一枚、清少納言も持っていて、どこか、自慢そうである。

 この間、都タクシーに乗った。運転手さん?カルタくれると、座席から声をかけた。あっ、あれなくなったんですと言う。聞くと、10月から京都商工会議所が120周年記念で進める小倉百人一首プロジェクトを応援して、乗客サービスで始めたそうだが、運転手割り当てが一人10枚で、すぐなくなったと。

 都タクシーは600台で、運転手さんは二倍で1200人iいるそうだ。一人10枚とすると、カード枚数は1万2千枚が乗客の手に-である。座席のシートカバーに天智天皇カルタの写真がある。お客さんの反応は?と、聞いてみる。10枚配って、関心示したお客さんは一人だけで、みんな、嗚呼そうか-だった、とか。「客の心は~ うつりにけりな いたずらに~」かな。

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2007年12月 5日 (水)

寒い時は、なべてい

Img_0002 Img_0004  前の席も後ろも、相席の前の客も、である。来た客の大半が「なべてい!」と言う。お茶を出して女子店員が「なべてい、一丁」と、鸚鵡返しに言う。暫く、待って、鍋がグツグツ、湯気がふわっと「お待たせ!」と出てきた。

 正式には、なべ焼きうどん小ライス付き定食という。お店は「味さかえ」。滋賀県庁から琵琶湖岸へ2分ほど、旧東海道ぞいにある。師走入り、小雨がそぼ降る肌寒い昼、この店自慢のなべていは、一気にフィーバーした。大きな海老天が二つ入っている。玉子に鶏肉に豚肉…。値段は650円、ライス抜き600円。

 野菜は青ねぎ、椎茸、白菜、えのき…。壁にこの店の「鍋定」を紹介した去年12月15日付け中日新聞が拡大して貼ってある。記事の見出しはあったか鍋やきうどん、写真は暖簾の下に立つご主人で、「庶民的な味が人気」と書いてある。味は記事どおり、寄せ鍋ふうで、汁は具がよく沁みている。ご飯、汁、具…、身体が次第にポカポカと。舌も馴染んで、レンゲで鍋の底まで、なべてい。???。

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2007年12月 4日 (火)

天智天皇の日時計

Img_0040 Img_0039  山科御陵の天智天皇稜、参道入り口に日時計がある。高さ1.7㍍の石の碑で、天智天皇が漏刻(水時計)を作った古事に由来して、昭和13年6月、京都時計商組合が建てたという。この間、地下鉄御陵駅から三条通り東へ歩いて見てきた。

 時間を示す鉄の棒の影は、13を差していた。携帯のデジタル時計みたら13時、ぴったりである。碑に刻まれた数字は、逆右回り。左上の6で始まり、真下が12で、右上の18まで。何でかなと、思ったが、太陽が出ている午前6時から午後6時までの限定時計なのだ。だから陽の出る碑の、日時計。

 碑の上に刻まれた4つの文字、「天恩」に続く2文字が読めない。甲骨か、篆刻かー、天智天皇に感謝して「天恩時計」ではと思い、白川静氏の常用字解を開いて、「時」「計」の2文字を調べたが、違う。碑の前になぜか、けいとの花が咲いている。時計とけいと?これは、またどうして、と思う。読めない二文字、けいとの花―、頭を左から右に巡らすも、なかなか解けいない。

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2007年12月 3日 (月)

吉備団子の元祖とむかし

Img_0014 Img_0016_2 年配の運転手さんだった。JR岡山駅前からホテルへ、近距離TAXに乗った。以下は、その時の車内での会話である。

 Q 運転手さん、岡山の人って、吉備団子食べます?

 A 食べんけん。うまくねえけ。

 Q 岡山名物ですよ。

 A 名物にうまいもんなしじゃろ。

 Q 駅の売店、チョコ、きなこ、あん…仰山の種類が。

 A ワシの小さい頃はほんまのキビじゃったけ。今はなあ。でも、広島も紅葉饅頭よりうまいけんなあ。

 まるで岡山弁の運転手さんと、ホテルまで吉備団子対話に。1泊2日の帰り、吉備団子を土産に買う。商品は「元祖」と「むかし」。どう違う?と売り子さんに聞くと「賞味期間の違いです」と。答えも動作も機敏きびきびとだが、元祖とむかし、意味は、わかりゃあせん。あの運転手さんの岡山弁は、むかし、それとも元祖???。

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2007年12月 2日 (日)

知子さんは自由

Img_0035 Img_0016  草津市山寺の若竹会の重度肢体不自由、町田知子さん(44)が今、滋賀会館ギャラリーで、作品展を開いている。08年カレンダー原画、心の詩と書など、30点余り展示してある。この間、本人が車椅子で2人の介添えと一緒に会場に来て、記者に取材されていた。

 知子さん、どう思って書いたのですか?と記者が聞く。介添えが差し出した紙に「その時…」と書く。介添えが「その時…の気持ちです」と、中継ぎする。また、記者が聞く。自分で書いた字、どれが好きですか?と。知子さん、入り口近くに展示してある「自由」という字のところへ行って、これだという。

 記者がそこで写真を撮る。知子さん、はにかんでいる。来年のカレンダーで、どの詩が一番ですかと、記者が帰ってから聞いた。7月の「頑張れ、頑張れ、何をどう頑張るの?どこまで頑張れば満足するのかな、人の欲望は果てしなく続くものなのに」だという。17歳の時書いたエッセイで、水上勉さんに「これぞ、本」と絶賛されている。最初の書は「宙」という字だった。知子さんの心は、今も宙なのだろう。

 

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2007年12月 1日 (土)

書の見方ー妙

Img_0005 Img_0008  滋賀近美の県展へ行って、書の見方という公開講座に出た。書展―漢字、かな、調和体とあって、いつも、どれがいいのかーと思う。講師は元高校教諭の書家北川邦之氏(66)である。書部門の県展委員で、この道おおかた半世紀という。

 書の見方、まずは、どれが一番かな、と思って会場を一巡することだという。それで、作品から離れて全体の構図、雰囲気を見る。今度は近づいて、筆触の細部を読み解く。再び、作品から離れて、もう一度眺める。そんな繰り返しで、作者がどうして、そういうふうに書いたのか、疑問が解けてくると、北川さんは言う。

 そうかなと思って、書の会場へ足を運んだ。委員出展の北川さんの作品がある。離れて、近づいて、また離れて見た。「妙」という漢字一字で、縦2㍍、横1㍍の額装入り。大きな筆なのだろう。墨をたっぷり、左上から一気にスイ、スイと流れるが如く筆勢である。会場に来た北川さんに聞いた。何で、題が「妙」ですかと。北川さん、……暫く、目を瞑るように考えて「いや、妙ですねえ」。

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