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2007年11月

2007年11月30日 (金)

ホソから始めよ!

Img_0026 Img_0027  ホソから始め、テッチャンへいって、コリコリだ。これ、実は「たまらんアジェ」店の白身のホルモン焼き。店は高瀬川沿いで、西木屋町松原上ルにあって、開店から今年で丸10年という。兎も角、人気、人気…、何時行っても満員である。

 この間、店の前のボードに名前を書いて、待った。隣に呼び込み待ちの部屋がある。本を読んで、待つこと1時間15分。若い兄ちゃんが「お待たせ、どうぞ」と、呼んでくれた。店の名前は正式にはアジェ。韓国語のおじんの意味だという。たまらんアジェは、味がたまらんと洒落らたしい。アジャまあーと思う。

 店内は煙モウモウ、匂いフンフン。カウンターに10人、テーブルで20人、満席である。客若く、スタッフ若く、どこがどう、おじんかと思う。店内メニューは、ハラミ、チゲ、ハソ…、よく分らず、お任せにしたら、ホソが出てきて、コリコリへ。網焼きでジューと焼きながら聞くと「腸です」「大腸です」「皮です」「近江牛の内臓です」と。そうか

それで何もかホルモンかア???。

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2007年11月29日 (木)

近江八幡のなつかし館

Img_0033 Img_0034  こんにちはーと入って、は~いーと、出てきたご主人、喋る、喋る。「これ、飴と読むんですよ」と、のっけから切り出す。近江八幡市の商人道商店街にある「なつかし館」である。飴と館―そう言われて、よく見ると、飴みたいな館である。

 なるほど、昔なつかし-である。チンジャラのパチンコ機、黒い電話、ビー玉、めんこ、竹とんぼ…、土間から居間へ、江州音頭の手ぬぐいに芸子名の団扇まで、どこをどう見てよいのか、雑然と並んでいる。陽気なご主人、この古民家が廃屋になりかけていましてね、4年前に地域活性で友人とやりだしたという。

 京都の西陣で働いていて、今は第二の人生と。子供連れの観光客が入ってきた。「ほれ、このトンボ、ポンと裏返るよ」と、自ら実演してみせる。ここで一押しの商品は?と聞くと「松山恵子のボンカレーですよ。ここだけです」と。近江八幡特産の赤コンニャクと丁稚あられを買った支払いのレジは、お風呂屋さんの番台。帰りに表から店の写真撮ると、ご本人が出てきて「ハイ、チーズ」と。これも三方良し?。

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2007年11月28日 (水)

岡山の鮒めし

Img_0027 Img_0028  岡山の郷土料理、鮒めしは鮒の骨をトントントンと叩くのだそうだ。♪~トントントン~与作は骨を叩く~トントントン~与作~♪である。叩くのは出刃包丁という。時間をかけて、叩くのがコツとかで、その昔、岡山の家庭では、晩秋から冬にかけて、それこそトントントン、トントントンだったとか。

この間、初めて鮒めしを食べた。人参、大根、牛蒡、麩、蒟蒻…、汁がたっぷりの野菜雑炊である。鮒は何処かと、レンゲで掬って、出てきた。鮒の姿形はどこにもない。それこそ叩きのめされて、目茶目茶ミンチになっている。黒っぽく、細切れ。噛むとジャリとして、それで、ああ骨だったかーと。

岡山は干拓地でクリークが多く、鮒は手網でも獲れるそうだ。寒に入ると、餌を食べないので、臭みがないという。この鮒めし、岡山CCクラブハウスで出る、今の時期の限定メニュー。味は?雑炊雑炊していて、汁汁している。鮒ミンチもご飯も沈みきっている。一緒に食べた地元のパートナーも「こりゃあ、汁が多すぎて、いけん」と。鮒めし、まさに知るひとぞ知るなり。いや、うまい。???

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2007年11月27日 (火)

野間のNOーMA

Img_0017 Img_0020  野間さんちのNO-MAへ行った。古い町家のボーダレスギャラリー。近江八幡市の旧市街、商人道の少し外れにある。ニューヨークの近代美術館NOMAと同じなので、NOとMOの間に-を入れているという。

 ギャラリーになって4年目に入り、もう2万人の来館があったという。祝日の夕方、この日25人目の来館者だった。入場料300円で、若い女性が出てきて、何を聞くにも親切に答えてくれた。1階は床、2階は和室、庭へ出て蔵―みんな展示室だ。東と西の写真家がとらえたアウトサイダー・アート写真展を開催中である。

 NO―MAの展示コンセプトは障害の有無を超え、作品を通じて、人が持つ表現のエネルギーを紹介することだという。二人の写真家は、スイスのマリオさんと日本の大西暢夫さんだ。この二人、変な?芸術家を撮りまくっている。マリオさんはカナダで無秩序な建造物を制作したリチャードさんの作品、大西さんは空き缶ハウスなど障害者のアート作品だ。何ともいえぬ迫力、オオッ、NO―MAである。

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2007年11月26日 (月)

二度、鯖のなれずし

Img_0058_2 Img_0083  お膳に一切れだった鯖のなれずし、二度目は大皿で盛って出てきた。「お好きな方、どうぞ」と、大皿が回ってきた。せっかくのもてなし。最初は「いや、なかなか、いけますねえ」とは言ったが…。今度は頭つきで、いっぱい。匂いぷーん、どうするかなあ。

 この秋、鯖のなれずしに二度出会った。最初は北国街道沿い木の本であった昼の会食会。次は鯖街道のある朽木の温泉施設の土産物コーナー。同じなれずしで、琵琶湖特産の鮒ずしは何度も経験しているが、鯖は食べるも見るも初めてだ。臭くても、保存がきく健康食で、美味しくって、海のチーズと言う。

 木の本の鯖は、地元のお母さんの手づくり。同席していた地元の岩根町長が話す。「塩漬けした鯖の腹を開いて、ご飯つめて発酵させるんです」と。朽木の土産物店では、漫画で分かり易い作り方解説があって、値段は1本1260円だった。それで、最初の話に戻って、大皿のうち一切れだけとった。見ていた町長がまた言う。「鮒ずしみたいに臭くないでしょう」と。「ハッ、ハイ」と。ナルホド、なれずし!。

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2007年11月25日 (日)

福嶋教授の源氏物語

Img_0003 Img_0007  この人、源氏物語をまるで講談のように喋る。原文をスラスラと読み上げて、テンポ良く今風に説き起こす。講師は園田学園女子大の福嶋昭治教授(59)で、この間、近江八幡市であった文芸講演会で、空蝉物語の一コマと題して話した。

「源氏は空蝉に1勝2敗ですね」「今年の阪神タイガースみたいです」「源氏に抱き上げられた空蝉の体重は40㌔です」「うちのは…70㌔で…」-、いやまあ、古典をコテンコテンにジョークして、話す。源氏の恋の成り行き、ハハハ、ハハハと聞いていて、「帚木(ははきぎ)」から「空蝉」へ、知らず知らずに勉強していた。

福嶋教授、源氏物語に関わって40年という。大阪の高校時代、少し変で熱心な古典の先生がいて、それが契機だったと。以来、阪大生、大学院生、高校教師、今の大学教授と、ずっと源氏源氏だという。名著「源氏物語五十四帖を歩く」そのままの人生で、どこを切っても源氏で、講演も熱が入って1時間を超え、「私の頭に免じてお許し下さい」と冗談で締めたが、確かに光源氏だった。

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2007年11月24日 (土)

おらが村の百貨店

Img_0058 Img_0069  そうか、朽木土産は、くつきバナナか。栃の実の庵が入って、バナナ型だ。1個120円で、コピーは「朽木のお猿さんも大好きっ!」と。これ、人気の東京バナナもびっくり!。手づくりむかし飴、ふろよもぎ、桐下駄、、本醸造鯖街道、朽木黒米、つづらかご…、さすが、俺が村の「丸八百貨店」である。

この間、高島の朽木にデパートがある-と聞いて、行った。若狭から京都へ、鯖街道の真ん中で、この間まで村だった。木製ドア開けて「こんにちは」と一歩中へ。1階奥は喫茶コーナーなのか、おばあちゃんが一人でぜんざいを食べている。もう一度「こんにちは」と、「ハイハイ」と、年配のおかあちゃんが…。

昭和8年に建って、70年という。木造3階建て。村史によると、開店当初は京阪神から問屋も来て流行った。日支事変から屋上が防空監視所に、戦後は持ち主も転々、今は地元婦人会が運営している。せっかくの訪問、スリッパで3階まで上がった。2階はがらんとして、3階は紬の展示、1階コーナーでは朽木の今昔写真展と、予約で家庭料理販売も。この村自慢の百貨店、国の登録有形文化財という。

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2007年11月23日 (金)

ジューサーバーの会話

Img_0014 Img_0015  緑のサンバイザー帽被ったバイト嬢が言う。「お客さん、クルトン入れますか」と。念のため、クルトンって?と聞くと「パンの耳です」と言う。頭がクルトン?というわけでもなく、それなら-とお願いする。これ、地下鉄京都駅のジューサーバーで、オニオンスープを頼んだおりの、やりとりである。

 このジューサーバーは、京阪電車系列の会社で、年毎にターミナル中心に店舗も商品も拡大しているようだ。カウンター越しのバイトさんも3人も。その一人にクルトン入りのスープふうふうしながら話を聞く。ホットスープは11月から始まり、ジューサーの種類は12種あって、売れ筋ならミックスジュースだと即答する。

 京都店では11月の最初、ジュースNo1を決める投票をやったそうだ。それで、ミックスが55票とり、2位のバナナ24票に差をつけて、トップに。ちなみに3位カシスヨーグルト15票、4位マンゴジュース12票、5位宇治抹茶ヨーグルト9票だったという。そこで、バナナはまさかの2位に、そんなバナナ(馬鹿な)と。5位でも先のある宇治抹茶は、ちょっと待ちや!と。???。

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2007年11月22日 (木)

毛ガニは公平

Img_0004 Img_0003  「よこちょう」で、毛ガニを食べた。毛がなくても、毛ガニは美味しい。毛ある人、無い人に美味しさは公平である。この「よこちょう」、川端二条東入ル50㍍南側。鹿児島出身で、近くのマンションに住むTNさんの常連店だ。3年前、お好み屋さんから魚料理に変わって、大当たりという。

 話は毛ガニに戻って、この間は6人で行って、集まりは前後したが、一人一皿で、気兼ねせず食べきった。毛深い足3本、爪1本、甲羅の半身二つである。隣の皿、チラッとみても、大きさも数量も変わりはないようだ。これも公平である。それはそれで、良かったが、その前に出た刺身皿は、6人で2皿7種類だ。

 

 皿には、青森の天然活平目、対馬のよこわ、五島の剣先イカ、岡山・下津井のタコ、三陸のアワビに生ウニ、甘エビである。遅れて来る人わかっていて、早いもん勝ちというわけには…、と思うが、好物のよこわは、四きれしかない。中途半端にヒト切れおいて置くより…と、相方が言う。それも妙案と、二人ですっかり頂戴して、跡形を消して、遅れてきたNTさんとワイワイ。支払い?それはみんな公平に。

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2007年11月21日 (水)

木と山の紅葉

Img_0009 Img_0045  冷えた朝、比良山系の山すそ・葛川は零下だったという。その日は、17日の土曜だった。背筋がキュンとする冷気と、この秋一番の青い空。紅葉を求めて、車で堅田から途中を抜けて、晩秋の葛川沿いを走った。所々で車を降りるラン&ウオークである。

 紅葉ぶり色々撮って、気に入ったのは、この2枚の写真だ。左は一本の木と、右は山の稜線である。木を見て森を見ず-でなく、木も山も見て…。一本の木は、葛川少年の家の庭に。その一本、奇妙なほど際立って染まっていた。朝の光りが葉裏まで透かしていて、それを、逆光で撮って、紅葉効果がこよなくあがった。

 山の写真は、葛川の橋の上からだ。比良山系の千㍍級の一つだろう。赤、黄色、橙…、斑に点々と全山が紅葉している。これを「山が燃える」と表現するのだろうか。肉眼で見て、レンズを通して見て、ズームアップで…。山の俯瞰をレンズをふかず、見たまま切り取って写した。山の稜線と真っ青な空。ズームは思った以上にはっきり、くっきり、紅葉の効用が出た。???

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2007年11月20日 (火)

展望ハイレベル

Img_0008 Img_0012  足がすくんだ。総ガラス張り、風がヒューと通り抜ける。足元は真っ逆さまに220㍍である。展望階の高さでは日本一だという。この3月、JR名古屋駅前に出来た「ミッドランド スクエア」のスカイプロムナードである。

 エレベータで一気に41階まで上がった。そこからエスカレーターに乗り換え、右に左にスルスルとまた上がって、44階である。自販機購入の観覧料は高校生以上700円、シニア500円、小学生300円。金鯱の名古屋城、マッチ箱のよう。電車も車も蟻さんだ。スカッと晴れると、遠く白山、伊吹山…という。

 さすが、世界のトヨタ資本、やることがハイレベル。風を体感しながら回遊するオアシス空間だという。一歩、一歩、あまり足元を見ずに行く。案内ガイドに聞いた。怖がるお客は?「滅多にないですが、進まず、帰られる方も…」と言う。こちらのドギマギした思いもあって、そうだろうなあーと納得する。西から南へ、このパノラマ展望、21世紀の絶景かな、世界の絶景かな…である。

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2007年11月19日 (月)

待ったなしで永徳展

Img_0009 Img_0015  何か、得をしたーというのは、こんなことを言うのだろうか。60分は常識、ピークは180分待ちだったのに「待ったなし」である。京博の特別展「狩野永徳」は連日押すな、押すなーと聞いていて、ゆっくり観賞できるのは、最終日の夜では、と思っていた。

 昨日18日が会期1ヶ月の最終日。ずばり勘は当たった。すっと入り、500円音声ガイドを耳に、永徳の細心で、大胆な絵を間近で、存分にみた。圧巻はやはり「上杉本洛中洛外図屏風」だ。人物が一体、どれくらい描かれているのか。祖父元信が認めた才、この作品は23歳の時という。微細の極致、これぞ国宝である。

 晩年の永徳、微から一転して大画へ。2枚のポスターになった「唐獅子図屏風」と「檜図屏風」=写真=は、画の線が迫ってくるような。48歳の生涯、旅立ちの年だ。絵師永徳の凄さ、心に残して、会場を出た。手持ち無沙汰な学生バイトに聞く。鑑賞者数は?と。「1日1万人平均で、30万人以上では?」という。永徳さん人気、今の評価基準で言うとならば、まさにA特???である。

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2007年11月18日 (日)

金のゆりかご

Img_001 Img_0002  この逸品、金のゆりかごである。それは、それは、もう目が眩めく。何しろ、宝石が2千個だという。ダイヤモンド、エメラルド、ルビー、電気石…、木製のゆりかごが金で覆われ、宝石が埋め込まれている。今、京都文博で開催中の「トプカプ宮殿の至宝展」に特別展示中だ。

 トプカプ宮殿?ってーと思って行った。世界史に疎く、よく知らなかったが、オスマン帝国の宮殿だった。15世紀から20世紀にかけ、アジア、ヨーロッパ、アフリカを席巻した、世界の帝国である。金のゆりかごは、この帝国で王子が誕生すると、君主スルタン、生母、大宰相が三つ贈ったという。

 文博3階の一室に金のゆりかごが一つ、トプカプ、ピカピカ展示されていた。トルコ政府が秋篠宮に男児誕生をお祝いして特別出展したという。日本初公開で、ガラスケースに入り厳々しい。長さ110㌢、幅79㌢、18世紀に宮殿内の工房で作られたという。はるか300年もの昔、金のゆりかごの王子さま、あまりに眩く「ゆうら、ゆうら、ゆれて~」、オジオジと眠れなかった?かな。

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2007年11月17日 (土)

本場の味噌煮込み

Img_0021 Img_0023  ひと口、レンゲで最初に汁をすする。ほどよく味噌がしみこんでいる。細麺のうどんは、腰があって、歯応えがある。これ、名物の味噌煮込みうどん。この間、名古屋へ行ったおり、駅前の地下街で食べた。やっぱり、本場の味噌、味にミス?はない。

 

 本命は「ひつまぶし」だった。仕上げでお茶漬けサラサラ、一度で三度の味わう名物料理は、昼時で時間待ち40分という。次の予定あって、1890円の見本写真で我慢して、場所を変えた。地下鉄東山線の駅近く、ランチサービス中の看板のかかった店に入って、750円のご飯、香物付きの味噌煮込みうどん。

店の名前はカテリア。どうやらパフェなど甘党喫茶系だが、昼はハンバーグ、カレーがあって、味噌カツに味噌煮込みうどんも。何か、脈絡ないとは思うが、それが名古屋、とも感心もする。小さく切ったオアゲ、味噌沁みてフニャフニャ。小さな鶏肉。名古屋コーチンなのか、歯にコチン?と当たって、シコシコする。卵は半熟。白ご飯がまた味噌と合わさって、ミソをつけようがなかった。???

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2007年11月16日 (金)

狸の絵

Img_0029 Img_0030_2 滋賀会館の信楽狸が絵になった。街角スケッチの大津市膳所、中島宏さん(71)がこの間、何で滋賀会館に狸?と思って、描いたという。「狸そのものも信楽の里にあるのと、風貌がどこか違っていますしねえ」と、絵にした動機を話す。

 この狸、そばに子狸もいる。親狸は身長2㍍、子狸は1㍍20で、親狸は痩せていて、口をポカンと開け、目に眼球はない。設置者の滋賀会館によると、昭和29年6月の開館当時、地元・信楽の業者から物産コーナー用に寄贈を受けた。県備品台帳では親子で70万円(寄付額換算)の資産になっているという。

 中島さんのスケッチ狸は、あっけらかんとした表情を巧みに描いている。あえて「滋賀会館」の看板文字を書き込み、何でかなーと問いかけたという。この狸親子、3年前の会館創立50年記念のおり、それまでの館内保存を会館正面の東南側に移したが、間もなく、親狸愛用の徳利が盗難にあった。会館側は移設の方位が東南で盗難にあったのかーと、今も悔やんでいるらしい。???。

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2007年11月15日 (木)

紫式部の家

Img_0026 Img_0034 名づけて「源氏の庭」という。そこが、紫式部が源氏物語を書いた旧宅跡だ-そうだ。根拠は?考古学の権威・角田文衛さん(故人)の考証である。古い文献を調べ抜いた結果で、昭和40年に「式部の屋敷跡はここ!」と言った。高尚な判断だった。

庭は節分の赤鬼おどりで有名な廬山寺にある。寺町広小路上ルで、京都御所清和院御門のすぐ東側だ。お寺の入り口にある「源氏物語執筆地 紫式部邸宅址」と墨字で書いた木札が目立つ。秋の特別拝観で、この庭を眺めた。庭南東の石碑に広辞苑編纂の新村出氏(故人)が「邸宅址」と揮毫している。角田考証を記念して、という。

「どうして考証したのか、知りたい」と、受付の女性に交渉した。受付女性は「これを見て下さい」と、角田氏が執筆した「紫式部の居宅」「紫式部 生涯と遺勲」という見本と判子のある2冊の本を見せてくれた。庭先へ持ち込んで、パラパラと捲った。河海抄巻2、権中納言兼輔卿集、政事要略…、古い文献事例がいっぱい出てくる。さすがは考古学者、こうこまで調べてかと、頭が下がった。

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2007年11月14日 (水)

親子2代、煮豆はバン

Img_0012 Img_0016  車体ボディーに「青木の煮豆と昆布巻 なつかしい昔の味」と買いてある。車は軽のバンで、後ろの荷台は金時豆、黒豆、青豆、とら豆、大豆…と、まさに豆々しく並び、豆でないゴマメに昆布巻き、塩昆布まである。

この煮豆バン、毎月第2、第4木曜の昼ごろ、大津市京町の県庁前郵便局前にやって来る。運転兼務の行商主は、帽子と水色ジャンバーのお兄ちゃん。聞くと、父親のリヤカー時代から始まり、親子2代で75年目という。大津市二本松の「青木煮豆店」で、今も母親が仕込み、一日置きにお兄ちゃんが売りに出ている。

 大津市内を回って、自宅に戻ると夜7時だという。行く場所は曜日ごとに決まっていて、「いつも買う人、買われる豆、同じです」という。豆は北海道仕入れで、100グラム単位で売る。売れ筋は、一に金時豆、二に黒豆、三に昆布巻きというので、合わせて670円で買った。職場の同僚に味見評価は◎が三つ。親子2代75年、リヤカーからバンへ変わっても、煮豆の味は不変らしい。

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2007年11月13日 (火)

オイコラ、今は昔

Img_0002 I007  あれも駄目、これも駄目かと思ったら、違った。「どうぞ、どうぞ」という。警察警備のスマートさ、驚いた。昨日朝、全国豊かな海づくり大会で湖国入りの天皇皇后両陛下がJR大津駅からお召し列車で、信楽へ行かれるのをお見送りした。

 駅周辺は人また人。大津駅に通じる30㍍道路にはお見送り特設ゾーン。その前で警官が見送り方を説明している。「車の③の番号は、3分前の意味です。両陛下の車には旗があります」と、それは丁寧だ。写真撮影は?と聞くと「一瞬ですからタイミングが大事ですよ。上手に撮ってください」と、どこまでも親切である。

 写真撮影の場所を探していると、警察官が「ここから歩かれる所が見えます」と言う。確かに道路を挟んで、駅の前がよく見える。女性警官が「10時19分のご到着です。間もなくです」と案内する。静かなさんざめき、両陛下のご到着だ。美智子皇后が手を振られている良い写真が撮れた。お二人のお姿が駅構内へ消えて、また警察がマイクする。「皆さん、ご苦労さまでした」。オイコラ時代、遠くなり、近代警察を思う。

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2007年11月12日 (月)

五重塔の特別拝観

Img_0035 Img_0037  当時はどうだったかと、この間、特別拝観中の東寺へ行った。頂戴していた拝観券で、真っ先に五重塔へ。石段上がって、東口から腰を屈めて入った。特別拝観中は社寺研究サークルの学生さんがガイドをしてくれる。五重塔の1階、初層といい、薄暗くて、目慣れするまで時間がかかる。

 お客さん、溜まったところでガイドが始まる。「高さは55㍍で、現存する国内の塔では最古です」と、当時を振り返る。女性の学生ガイド、喋りは3分。「真ん中の柱は心柱で、大日如来に見立ています。塔全体を支えているのは、この心柱でなく周囲の柱です」と、暗記した説明をテープの如く-である。

 時計と反対回りで、須弥壇上の仏様みて、壁面の龍絵みて、押し出されるように拝観する。何か、物足りないと思って、もう一度入り直して、またガイド聞く。龍の絵は塔が4度焼けて、徳川家光が5度目の再建したおり、もう火事に合わないように水と縁がある龍を描いたと。そうか!5度目の塔で、高さは55㍍で、それで五重塔でーと、脈絡あるかないかー勝手に五のご縁を思う。

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2007年11月11日 (日)

ナンキンハゼの紅葉

015 Img_0019  希望が丘公園でナンキンハゼの紅葉を見てきた。テニスコートへの道筋、両側に9本ずつ合わせて18本あって、色合いは1本ずつ違うが、全体を見渡すと、赤々と、まさに燃えるようだった。黒崎公園長からメールで情報が届いていて、この前から「来よう、来よう」と思っていた。

 昨日10日、黒崎公園長に現場を案内してもらった。「あの枝先を見て下さい」と言われて、よ~く見ると、白い実が数え切れないくらいついている。葉が落ちると、果皮から白い実が出てきて、クリスマスツリーみたいになるのだそうだ。階段の上からみると、今から白い実が点々とついている。紅葉に宝石が散り込められたみたいだ。

白い実は3個で、ろう質だそうだ。それも良質の脂肪で、ロウソクにも石鹸にも、縁はないが頭髪油にもなるという。このナンキンハゼ、名前のとおり中国原産の落葉高木で、公園や街路樹に多いという。葉っぱはスペード型で、木の高さは6㍍くらいだ。6月頃には枝先に細長い円錐状の花の房も付くという。四季折々、明日があり、実がある希望の樹なり。 ※ 左の写真は、黒崎公園長撮影。

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2007年11月10日 (土)

菊づくりを聞く

Img_0002 Img_0003  これ、どういう種類です?と、のことを聞く。「懸崖です」と言う。いや、種類なんですが?と、聞く。「懸崖菊ですが、種類は…」と。大津市梅林に住む元商社マンの山口定七さん(71)で、自宅に丹精込めた菊が百鉢以上あり、菊づくり30年という。

 自慢の菊一鉢、この間、滋賀会館の文化サロンに持ち込んできた。赤い小さい菊花が見事に咲いている。鉢いっぱい、こんもりとこぼれんばかり。白とか黄色の大輪はよく見かけるが、この種の赤い小輪はあまり見ない。それで、種類は?と聞いたのが始まり。山口さんも「そんなにない種類ですねえ」と言う。

 それで、また、聞く。育てるコツは?。水遣りだという。多くても少なくても駄目で、その加減が大事だそうだ。この菊は咲くまでどれくらい?。6か月という。花芽から鉢植え、大きくなって移し変えと進み、花芽一つを二つに、二つを四つに…と倍々に増やしていくのだそうだ。やはり、知らないことは聞くに限る。???。

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2007年11月 9日 (金)

あの日あの時あの人

Img_0011 Img_0007  元会社の同僚から自分史が届いた。タイトルは著者が「あの日あの時あの人」と筆書きしている。さすがは元記者、と言ってはしかられそうだが、こなれたリズム感のある文章だ。著者67年の人生が、180頁に凝縮されている。

 小学校5年生。大勢の人の見ている前で、動物園の柵を乗り越え、ラクダに乗っている。それが絵日記に描いてある。滋賀県政の記者時代。3期目の武村正義知事が一緒に行ったカラオケで「3年目の浮気」を歌った。それが国政転出へのシグナルだった-と振り返る。職場のこと、父と母のこと…折々の事柄が14章に巧みに整理してある。

小学生時代の絵日記、セピア色の写真、新聞記事の切り抜き、過去の年賀状…、豊富な資料が「あの日あの時あの人」を甦らす。著者があとがきに書いている。「執筆にあたっては資料を繋いで、当時を再現し、客観性をもたそうとした」と。2日前、宴席で本人にあった。よくやったなあーと言うと、「資料があったから」と照れ気味だったが、どこか達成感のある満足そうな顔があった。

 

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2007年11月 8日 (木)

花噴水の孤独

Img_0040 Img_0027  湖面いっぱい、まるで消防出初式の一斉放水のようだ。1、2、3…、放水口は横一線に10個ある。これ、びわ湖花噴水という。長さ440㍍は、恐らく世界最大級だろうーと興行主の滋賀県は自慢する。

噴水は大津港の沖合い180㍍、防波堤に沿って設置されている。この間、通勤帰りにじっくり見た。噴水ショーは朝、昼は1時間で、夜は午後6時から30分延長の特別興行だ。湖岸席はすべて、かぶりつきで、無料である。興行主の狙いは琵琶湖への客寄せ。ショーは客がなくても始まる。しょうがないのだろう。

夜間噴水はライトアップで、緑、橙、白の色がついている。上がり方は、パッと開く花のように、ドドンと花火のように…、時間によって色々なパターンがあって、千変万化である。興行主の説明では、コンピューター制御で、放射口は66本あって、高さは40㍍まで上がるという。幻想的で、ロマンチックだが、どうしたわけか客はいない。勝手にシンドバッドなのだろう。

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2007年11月 7日 (水)

駅弁空弁うにいくら

Img_0015 Img_0020  どれにするか、悩んだ。あれも食べたいし、これも美味そうだし、嗚呼…。山科の大石神社近くのスーパー。2日間限定で全国駅弁・空弁まつりのノボリが2本あがった。空弁?それ、空港弁当のことだった。それで、お腹がクー。

 この駅弁・空弁コーナー、それこそ全国津々浦々だ。駅弁は青森駅のほたて美人、広島駅のかきめし、敦賀駅のあったか蟹飯、それに新神戸駅のN700系新幹線弁当が初登場なり。空弁は、中部国際空港では名古屋の味噌カツサンドに若狭の焼き鯖寿司、新千歳空港では北の海鮮鮨…、どれを食うか、迷いに迷う。

 弁当コーナー、二度三度と回る。若狭牛のステーキ重をいったん持ちながら、北海道・南千歳駅のうにいくら弁当に。自宅に戻って、TVの大学駅伝を観ながら駅弁を開ける。これぞツー。赤い粒々のイクラ、黄色いウニウニ、なんと美しい。覆うようにご飯に乗っていて、味が舌にジワッとしみる。期待どおりだ。それで、その、うにいくら弁当、いくら!1200円!。

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2007年11月 6日 (火)

遊亀さんの絶筆

Img_0005 Img_0012  滋賀近美で、小倉遊亀のポストカードを一枚買った。105歳まで生き、200年(平成12年)で亡くなった、その年に描いた作品である。画題は盛花。赤、白、紅白の椿が9つ、溢れる如く活けてあって、白い椿が一輪だけ、床に落ちている。

 色使い、構図…、これが105歳の筆致か、と思う驚きがある。滋賀近美の企画展へ行くと、必ず小倉さんの常設展へも行く。大津市出身で、日本画の文化勲章画家。常設展には小倉さんが寄贈した作品が20点余り展示してある。絶筆と言われるこの盛花、じっと見ていると、9つの椿で自らの人生を描いているような気がする。

 小さい作品(55×46㌢)なのに、不思議なほど大きく思う。近美の高梨純二学芸課長は「先生の80歳頃の全盛時に比べることは出来ませんが、絵の品格はかわりませんねえ」と、驚嘆する。長寿画家のルノアール、ピカソでも90歳台、小倉さん100歳を超えて描いている。そう思って、もう一度、このポストカードを見ると、一輪一輪の椿がどれも眩しく見える。

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2007年11月 5日 (月)

傘寿の青春

Img_0029 25  この人のエネルギー、何処からと思う。80歳の歴史作家、童門冬二さんである。3日に滋賀会館で、歴史に学ぶコミュニケーション術と題して、1時間半の講演。全く、話に淀みがなく、歴史に今の社会現象を織り込み、最後は「つまらない話を聞かせて、どうもすみません」と洒落て、演壇を降りた。

 何しろ、書いた本はもう500冊という。東京都庁勤めで、51歳で局長になり、美濃部都政の終わりと同時に退職して、56歳から作家の道へ。今も雑誌などに20本連載やって、講演は月に15回という。寝る時間は3時間。昭和2年10月19日生まれで、80歳の傘寿。「人生これから。相撲で言えば、まだ十両ですよ」と。

 講演、聴衆をひきこんでいく。織田信長と千利休、明智光秀、近江商人、中江藤樹…、話の展開が早く。白板使い、身振り手振り-聞いて、ウンウンと思う。「話、面白かったです」と言うと、「落語の高座に上がったつもりでして」…と。若さ、活力の秘密は?とさらに聞くと、「私には起承転結の結はありません。転が二つで、起承転転なんです。青春は心模様ですよ」と。いや、どうも、参りました。

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2007年11月 4日 (日)

知事賞作家、照れる

Img_0011 Img_0002  知事賞作家、どんな女性かと思った。3日、滋賀近代美術館での表彰式終わって、話を聞いて、作品の前で写真撮影をお願いした。「えっ、イヤヤワアッ。そんな、恥ずかしい」という。何とか、横から撮っても「ああ、恥ずかしい」とテレまたテレ。

 この人、大津市小野に住む中泉雅子さん。第12回湖国を描く絵画展で、「日吉大社への橋」(日本画)を描いて、一席の滋賀県知事賞をとった。作品は苔むした石橋と瑞々しい緑が、力強く描かれている。審査のおり日本画の中路融人さんが、作品の前にしゃがんで「これ日本画?。洋画みたいや。迫力、情熱ヤ、川の水が動いているワ」と賞賛していた。

 中泉さんに聞くと、7月の雨上がりの日で、緑が冴えていたのと、石橋の歴史の重々しさみたいなものを感じて、描いたという。洋画みたいって言われていますよーと話すと、「岩絵の具、たくさん使いました。恥ずかしい」と。絵画歴10年、我流で描き続け、受賞歴はこの絵画展で特選3回とか。そんな話を聞くにも「恥ずかしい」の連発。作品見て、作家を知って、絵を見る楽しさ一段となり…。

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2007年11月 3日 (土)

善左衛門さん

Img_0039 Img_0040  玄関入って、「善」の暖簾がかかっている。築100年という町家である。文室善左衛門さんのお宅で、木之本の北国街道沿いにある。代々、善左衛門さんで、今の当主は6代目だ。この間、お宅に上がり、80歳の善左衛門さんから四方山話を聞いた。

 昔は綿屋だったという。善左衛門さん、ファイルを持ち出して、「これ、今でいうチラシでして、当時は引き札と言って、これは私の店のです」と。大黒さんが「糸綿売捌所~文室善左衛門」と書いた綴りを持っている。昭和10年代の引き札という。「昔の善左衛門は貸布団屋もやっていたようです」と話す。

 この木之本、昔は江戸、金沢、京都へ…の交通の要衝で、旅籠、酒屋が軒を並べていた。年一度の牛馬市もあって、一豊と千代の名馬物語もここで生まれたという。善左衛門さん宅はこの牛馬市に近く、布団リースは繁盛したらしい。善左衛門さんは「ほれ、この12畳が昔の店先でしてね。昔を感じる佇まいあるでしょう」と。100年の町家と、代々の善左衛門さん。家あって人、人あって家-を思う。

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2007年11月 2日 (金)

ナンです

Img_0006 Img_0020  ネパールでは標高3千㍍は山でなく、丘だという。マナスル、エベレスト、アンナプルナ…8千㍍の山々が並んでいるからだ。そんなヒマラヤの山々の写真が表にかかっていて、店の名前が牛と雪男を意味する「ヤク&イエティ」という。ネパール料理の店で、錦小路通りから御幸町を50㍍下がった東側の路地にある。

 なんか、面白そうと入って、ナンを食べた。ナンはネパールの主食。小麦粉を柔く焼いたぺちゃんこのパン。野菜のAセットを頼んだら、出てきたナン二つ、何とまた大きい。千切って、ベジタルカレー味をつける。ピリ辛が効いている。ダールという豆の汁もあって、これにもつけて、何度も代わりベンタンに口にした。

 店は京都で開店して5年という。シェフも店回りの母娘もネパールのカトマンズから来たという。アチャール、これはネパールの漬け物のこと。ベジタルモモ、これは野菜入り蒸し餃子。サフジ、これは野菜で、サフジブチコというと野菜炒めとか。ネパール料理のネパール語、お店でねぱって、聞いて覚えた。それで、ナン入りの野菜セットの値段が何ぼかというと、1785円なんデス。

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2007年11月 1日 (木)

スキャナでスキャン

Img_0133 Img_0141  明快で爽やかな声だ。「解像度とは1インチあたりの点の数をいいます」―、室内に沁み込むように聞こえる。そんな声に思わず、引き込まれた。大阪・梅田のキャノンデジタルハウスの無料セミナーである。デジカメの液晶画面を交換に行って、時間待ちでフラッと入った。テーマは「楽しく選ぼう!キヤノスキャン」。

 「点の単位はDPIです。ドットパーインチと言います」「600DPIはこんな細かさです」-、講師は20歳台の清楚な女性。髪を後ろに束ね、手振りも交えて、パソコンと映写画面、それにスキャナーを操作しながら話す。聞いているのは大阪のおばちゃん一人。途中から仲間に入り、スキャナのスキャンを聞く。

 「ここ押すとスキャンします。押してみますか」と言われ、スキャナを触った。「ハイ、動いていますね」―、いや、わかりやすい。隣のおばちゃんも、メモとりながらウン、ウンと。20分ほど話聞いて、「あんた、話が上手やねえ」と言うと、おばちゃんも「この人、ええでしょ。私も好きやん」と相槌を打つ。聞くとまだ入社1年目とか。知識あって、さわやかで、すぐスキャンされそう。

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