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2007年10月

2007年10月31日 (水)

お寺の掲示板二題

Img_0008 Img_0029  お寺の伝道掲示板、時にドキッとして、うーんと唸る。この1週間、そんな出会いが二度もあった。最初は日野町の浄土真宗のお寺さん。「何時か逝く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりしを 教専寺」と模造紙に書いてあった。

このお寺の先代ご住職が亡くなって、ご葬儀の日の掲示だった。ご住職は明治44年10月生まれで96歳になって、まだお元気だったが、散髪へ行ったその日に心筋梗塞で急にお亡くなりになった。職場の関係でお参りしたが、その掲示はまさに「何時か逝く~昨日今日とは~」のまさかであった。

もう一つは木之本の宝樹山明楽寺の掲示。「どちらにしたらいいのか わからないということは どちらにしても構わないということだ」と。北国街道沿いのお寺さんで、これも墨書の模造紙。28日の日曜、秋晴れの散策中に見つけて、暫し、この掲示板の前で足を止め、腕を組んだ。進むべきか退くべきか、OKかNOか-と、わからなければ、それで良しと。ホントに?わかんない。

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2007年10月30日 (火)

売られて行くめだか

Img_0020 Img_0042  これは驚いた。めだかに商札がついている。♪~めだかの学校は池の中~♪でなく、店の中-である。青いバケツの中をそっと覗いた。1、2、3、4~スウイ、スウイと、全部で11尾泳いでいる。お値段はバケツ込み750円という。

 JR北陸線の木之本駅。2階の改札を出て、1階に観光案内所を兼ねた「ふれあいステーションおかん」。キャベツなど地元の産品を売っていて、大きなかぼちゃの前にめだかが売りに出ていた。今や、絶滅種指定になっためだか、このあたりの川には健在だそうで、売りのめだかは駅から近くの黒田川産だという。

 バケツに値段と一緒に販売主の名前も書いてある。大高照夫さんで、黒田地区在住の方らしい。去年10月、木之本駅リニュアルで、おかん開店して以来の販売だそうで、最初は酸素ボンベ付きケースだったが、今はバケツ丸ごと販売になったと。それで売れ行き?お店のおかんに聞くと、結構大人が買って行くとか。買いの動機、郷愁?子供土産?と推測しつつ、可愛いめだか売買に何か寂寥感も。

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2007年10月29日 (月)

日野菜の海老漬け

Img_0001 Img_0011 日野菜のぬか漬け、さくら漬け、海老漬け。さて、どれにするか。この間、国道307号の近江日野観光特産品館へ行って、選択に悩んだ。少しずつ試食したが、まあ、どれもこれも、おいヒ~ノ。お店の人が「ぬか漬けがいい」と、ぬけぬけとすすめたが、それもさくら漬けもやめて、見たとおり海老のような海老漬けに。

心揺らいで買った日野菜に由来があった。室町時代に地元の蒲生の殿様が観音詣での道すがら、根が紅白の菜を見つけ、漬け物にしたら桜の花のように。味も風雅なので時の天皇に献上したら殿さまへ

「近江なる ひものの里の さくら漬 これぞ小春の しるしなるらん」

と詠んだお礼の和歌一首が届いたという。いや、おくゆかしい。

 日野出身の職場の人に見せて、海老漬けの味は?と聞くと、「ええっ海老漬け初めてや」という。ぬか漬けは?と聞くも、それも知らないと。やはり、日野菜はお礼の一首にあるピンク色のさくら漬けありきで、それが一番、おいヒーノ。

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2007年10月28日 (日)

わらべ地蔵の木彫り

Img_0004 Img_0006 初孫の成長を願って、彫り上げたという。身の丈15㌢、少し俯き加減の、可愛いわらべ地蔵である。月2回、滋賀会館の仏像彫刻教室に通って、初めて仕上げた作品だという。作者は高校同級の百木義忠君(6?)である。この間、滋賀会館ギャラリーで作品展があって、会場当番の百木さんに話を聞いた。

 

 Q 習って、どれくらい?

 A 会社生活終わってからで、1年半ほどかな

 Q 何から始める?

 A 刃を梳いて、木を丸めて、地彫りして…かな。

 Q 面白さって?

 A 教室にいる3時間、自分の世界に没頭できる。

 Q 初めて展示作品、出来具合は?

 A まだ仏さんじゃない。お顔、もっと手をいれたい。

 

 京都出身の百木君、アサヒビールの東京勤務を終えて、今は草津に住む。教室ではまだ1年生とかで、もっと仲間を増やしたいと。これまで京都、大阪、東京と住んで、琵琶湖のある滋賀が一番と住環境に惚れ込む。

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2007年10月27日 (土)

比内鶏は高く飛ぶ?

Img_0006 Img_0002  どんなんかナ?とコトクロスへ入った。四条河原町北東角に出来た阪急の新築ビルである。一人乗りのエスカレーターで、ブックファーストの3階、4階、5階と見て回り、エレベータで8階へ。食事の店は?と偵察のつもりだったが、ドアが開くと、もうそこは店。いきなり「いらっしゃいませ、どうぞ」という。

 東京、大阪に店がある鶏と烏賊の「今井屋茶寮」で、京都初登場という。「いや、どんな店かと思って」と二の足踏むと、「どうぞ、店内だけでもご見学を」という。それなら-と、ススッと入って、まあ、いいかと、秋田産の比内地鶏の串焼き3本と、格好付けて生ビールを頼み、野菜不足と思って、キャベツまで追加した。

注文とりのバイト嬢は山形出身の女子学生。「この比内鶏、本物?」「はい」「烏賊は?」「呼子産で、もうみんな出ました」「呼子って、知ってる?」「~ええっと、岡山かな」「佐賀だよ。透き通っていてね」「キャベツは?」「これは、群馬です」…バイト嬢と暫し雑談して支払い。「ハイ、3160円です」「……」。店が8階のせいか、比内鶏が飛ぶのか、どんなんかナ偵察も高く高く…。

 ※ 支払い内訳は、お通し400円、生ビール680円、比内手羽先400円、比内ねぎま500円、比内白レバー500円、パリキャべハーフ530円、消費税150円で合計3160円なり。

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2007年10月26日 (金)

芸術新潮の玉子サンド

Img_0010 Img_0021  玉子サンドが芸術新潮10月号に出ていた。古美術評論家の青柳恵介さんが「たべる」というコラムに書いている。祇園の夜、雑談しながら出前の玉子サンドを三人で分け合ったが、それがあまりに美味くて、ホントは全部一人で食べたかったという。

読んだその日、電話をかけて、尋ね尋ね行った。花見小路四条上ルで、餃子の眠眠の角を東に入り、最初を北へ少し。「TeaRoom サン」。玉子は部厚くて、ふわふわ。パンは薄く、手で掴むと玉子がにゅっと出る。味?柔らかくて、だし巻きみたい。お店の人にそう言うと、「よくそう言われます」と。

玉子、口の中で溶けてしまいそう。全部で6切れ、これぞぺロリキン。青柳さん、多分二切れ、もっと食べたかったの、良くわかる。このお店、もう31年にも。ご主人、大きなフライパンを万遍に丁寧に回す。コツ?火加減ですという。芸術新潮は8月に写真取材があったが、青柳さんのことは、知らないと。こちらも、青柳さんとは面識ないが、一人で800円全部食べて、青柳さん、すみません。

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2007年10月25日 (木)

朝顔、ヒマワリ…季節は何処へ

Img_0002 Img_0004  まだ朝顔が咲いている。ヒマワリもみかける。夏ではない。10月下旬、秋なのに-である。JR大津駅降りて、通勤の道すがら見る、民家の庭に咲く何時もの朝顔だ。9月ごろは暑い秋だから-と思っていたが、それが未だに咲き続けている。

 何でか?と周りに聞くと「そりゃあ、バイオの朝顔だろう」と。確かに品種改良の時代だし、そうかと納得したが、念のためにネットで「秋の朝顔」と入力検索したら、オーシャンブルーと出てきた。琉球朝顔とも言い、野生の変形亜種だそうで、6月から10月まで咲いて、冷えると夕方になっても萎まずブルーの色が赤くなって2日間は咲いているという。

 そう、それや-と思う。その民家の朝顔はブルー色にピンクが混じって、これまでより賑やかになっている。バイオではなかった。2日前の新聞には「東近江で夏のヒマワリ、秋でも見ごろに」と写真が出ていた。記事を読むと。地元の環境団体が休耕田を利用して8月に種をまいたという。その近くでは11月に秋のヒマワリ園が開園するとか。今は夏?、秋?、季節は何処へ-である。

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2007年10月24日 (水)

琵琶湖の八景

Img_0032 Img_0031 近江八景でなくて、琵琶湖八景である。四条烏丸下ルの滋賀銀行京都支店の大きなウインドウ。琵琶湖のどこが八景?と近づいてみた。大きな琵琶湖マップに八枚の写真が載っている。月明りの彦根城は幽玄、どの写真もいい。

八枚写真の八景は①新雪 賎ケ岳の大観 ②暁霧 海津大崎の岩礁 ③新緑 竹生島の沈影 ④涼風 雄松崎の白汀 ⑤月明 彦根の古城 ⑥煙雨 比叡の樹林 ⑦春色 安土・八幡の水郷 ⑧夕陽 瀬田・石山の清流-とタイトルが付く。瀬田の夕照など近江八景が南湖八景なのに対し、これは琵琶湖全体から選んでいる。

何時、誰が?と戻って、調べた。琵琶湖八景は滋賀県発行のガイドブックに昭和24年6月制定と出ている。もう58年も前である。それで、誰が、何でーと思って、県広報課、観光関係者にあたったが、回答が出ない。琵琶湖の国定公園指定で、毎日新聞が公募選定したーという話もあるが、定かでないらしい。要は???である。最後の手段、八景のことなら八卦見さんか。

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2007年10月23日 (火)

イロハニホヘト

Img_0025 Img_0020  希望が丘公園で、かえでの森まで歩いた。公園西口から2㌔余り。公園長の黒崎道雄氏と一緒に少し上りの道を行く。「ゴンズイです」「これはコナラ」と自然の木を教えてもらって、かえでの森に。青い葉が重なりあって、朝陽に透き通っている。

「イロハモミジのイロハというのは葉が7つに分かれていて、イロハニホヘトと数えられるからです」と公園長が言う。それで、イロハモミジ!。さっそく、葉先をイロハニホヘトと数える。なるほど、七つ。文字覚えの基礎学習、昔は自然に親しみながら、イロハニホヘト。いや、粋や。

また、公園長が言う。「これ、イロハモミジの種子です」と。よく見ると、ヘリコプターの羽のような、小さな種子が付いている。「親モミジの下には子モミジです」と、言って、屈んで地面を探す。子モミジは親心知らずでまだ育ってないようだったが、もう少し経つと、種子が竹トンボみたいにクルクル回って、落ちて行くそうだ。いや、風情や。公園の秋にあきることはない。

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2007年10月22日 (月)

浪裏富士に喝采

Img_0001 Img_0002  これこれ、この版画だ。富獄三十六景のうちの一つ、神奈川沖浪裏。オランダの画家ゴッホと、フランスの作曲家ドビッシーを驚嘆させた、その版画である。今、高島屋京都で開催中の「-画狂人-葛飾北斎展」で展示されている。

 もらった券で初日に行った。大きな波が舟を飲み込もうとしている。波の先が爪のようだ。その向こうに白い富士山が見える。ゴッホは弟テオに宛てた手紙の中で、この絵を激賞した。ドビッシーは仕事場に掲げて、交響曲「海」を作曲したという。そうか、そんな凄い版画かと、腕を組んで、もう一度見た。

 波頭が二つ、波まかせで漂う二艘の舟、大きな波と小さな富士山…、なるほど見飽きない。構図の大胆さ、尋常ではない。波の動きには思わず「ああっ」と声をあげてしまいそうだ。89歳まで生きた北斎、この一連の富獄シリーズは72歳の時だという。部屋が汚れる前にと、引越しは生涯93回とか。平成9年、米国ライフ誌が選んだ「この千年の、世界の偉人百人」の、ただ一人の日本人である。北斎、まさに喝采!

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2007年10月21日 (日)

そう言われても…

Img_0002 Img_0009  サービスとは、こういうことかと思う。ご飯の代わり、幾らでもどうぞ、という。生卵も、2個でも3個でも-と。4枚入りの板海苔も、どうぞ、どうぞ、という。味噌汁も何杯でもと。日替わりのA定食は刺身2点盛り、Bは和風おろしハンバーグ。どちらも500円!。

 海産物居酒屋「さくら水産」のランチタイムサービスだ。この8月、JR大津駅前に新規開店して、ランチは始まって1週間あまり。誘われて、2日続けて行った。店の前にノボリが立ち、地下の階段を下りると、入り口に自販機と日替わりのメニュー表示がある。最初の日は鯖の味噌煮、2日目はハンバーグを食べてみた。

 噂が広がったのか、500円客が増えているようだ。おばさん店員が、配膳にキリキリ舞い。「もう、こんなん忙しいの、嫌っ」とグチっていたが、2日目は二人体制に。同じおばさん、「今日はゆっくりですね」と余裕の応対。帰りに「明日もまたね」と。そう言われても3日連続は…。味はご飯○、定食○、味噌汁○かな。お代わり?、そう言われても、お腹が…である。

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2007年10月20日 (土)

杉の青いテープ

Img_0056 Img_0059  杉の木が縛られている。太い幹あたり、青く薄いビニールの紐テープがグルグルに巻きついている。一本ではない。何百本、いや、見た限り何千本もある。山の斜面に続く杉木立がみんなである。道から見上げると、如何にも奇妙な景色だ。

鯖街道の花折れ口から入った人工林である。海抜は5百㍍以上だろう。比叡山の行者道も兼ねて、道の両側斜面は鬱蒼としている。この間の探索ウオーク。鹿が甲高くピィッと鳴いて、仲間に人が来る!と知らせる。道の真ん中に猿がいて、人見て、森へ隠れた。猪が鼻で道を掘り返した跡がある。

青いビニール、これははクマ対策だった。山を降りて、地元の森林組合理事長に聞くと、クマは杉の樹皮をはぎ、樹液を吸うので、ああして、木を光らして、怖がらせているという。ほっておくと、枯れてしまうので、景色はよくないが、間伐で山に入ったおり、一緒に巻きつけ作業をやっていると。それでも、慣れるとテープを剥がすと。そんなクマ、くまった。いや、困った。

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2007年10月19日 (金)

土山名物かにが坂飴

Img_0015 0004  何とはなしに寄って見たくなった。国道1号の道の駅「あいの土山」である。あの馬子唄が聞こえてくるようだ。~「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」~。近くで地元TV局コンペがあって、長~い表彰式が終わり、入店したおりは、もう暗くなっていた。

 客は誰もいない。店員さん2人。ここだけの食べものは?と声をかけてみた。「土山はお茶が名産ですけど、これですかねえ」と、出てきたのが、かにが坂飴。この飴、ベッ甲色で、500玉くらいの大きさ。「原料は、麦芽糖です」という。すぐ前が坂ノ上田村麻呂を祀る田村神社で、厄除け効果があるという。

 買って、舐めた。ほんのりした味だ。舌の上で転がすと、じんわり、優しく甘さが伝わる。飴は地元の伝承で、その昔、旅人らを虐めたカニを偉い僧が説教で改心させ、甲羅が八つに割れて飴になったと。今は土山の蟹ケ坂地区の皆さんが組合つくり、伝承飴を製造販売しているとか。伝承守る地元の人にすれば♪~飴、飴、舐め、舐め、もっと舐め~♪。

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2007年10月18日 (木)

ミュンヘンでまずナマ

Img_0023 Img_0024  今も昔もミュンヘン。ずっと四条河原町上ル一筋目東入ルにある。そう、あの「ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキー」のミュンヘン。去年あたりから毎月第2木曜にここで例会がある。最初は当然のように「まずナマ」から始まる。

 このミュンヘン創業は1949年、昭和24年という。京都のビヤホールの草分け、あと2年で還暦だ。今、そこそこの年齢の人だと一度ならず二度三度はミュンヘンへ-だろう。昔は最初に「まずナマ」というより、ずっとナマだったと思うが、今はナマのあとは色々である。例会の会長さんは熱燗、理事長はウーロン茶、理事さんは赤ワイン、芋焼酎、黒ビア…。

 ナマには、ソーセージか、鶏の唐揚げが合うが、次の一杯へニューは盛りだくさんである。何とおばんざいの盛り合わせ、それに炙りマグロの大根サラダ、特性タコスもある。仕上げ?うどんのサラダ。いや、多種多彩で喝采なり。昔はミュンヘンと来れば、サッポロ、ミルウォーキーも、今は鹿児島、パリ、灘、伏見と何処へでも。飲むも、食べるも色々、口もエロエロ。

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2007年10月17日 (水)

峠の観月喫茶

Img_0008 Img_0033  金襴緞子の西陣の打掛が100枚、半月ごと2枚ずつ展示替えするという。座り心地の異なる臼の椅子が30以上も。玄関周りの燈籠は大小、形、様ざまに5、60基…。カエデの木は400本、枝垂れ桜は65本植わっている。

 喫茶店「庵 観月」という。所在は大津市伊香立途中町で、もう花折峠に近く、国道361号沿いにある。店の名に相応しく、観月台もあって、月の出は?と聞くと、比叡山の方からという。広さは100㍍四方以上もあり、15年前から造成はじめ、地元の人にオウム?と不審がられて、3年前に開店したと。

 店主は京都市伏見区出身の塩尻さん(64)で、普通のサラリーマンだったという。遊びせず、古いものを買い集め、お金貯めて…とか。かかったお金?億単位とも。人が良さそう人で、賄いの奥さんが、手綱を締めながらーらしい。何で?と聞くと「ワシ、古いもんともみじが好きでんねん」と。道楽が講じてらしいが、それにしても、お店も、人も、場所も…何とも摩訶不思議である。

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2007年10月16日 (火)

屋根の上のタラの木

Img_0041 Img_0043  おやっ、と足が止まった。廃車の屋根に幼木が一本、育っている。杉の葉っぱが腐葉土になり、そこから芽が出たようだ。車は何時ごろ、捨てられているのか、幼木はどうなるのか、人の勝手と自然の妙、そんな不思議な関係を思う。

 今は、人も行き来しない、かつての鯖街道を歩いて、見つけた。途中峠から上って、今の花折トンネルの手前から入り、10分ほど行った杉林だ。同行の一人が「この車、ホンダN360や。昭和40年代や。欲しかったんや」という。エンジンもタイヤもない。杉の葉をかぶり、地面に車体がのめり込んでいる。

 幼木はタラの木だという。大きくなると、タラの実をつけ、天ぷらにすると美味しいと人気がある。大きさは30㌢以上、細い幹からフンワリ葉が出ている。屋根の腐葉土は浅く、そう根っこは張れそうもない。このままだと大きくなれない。大地に移植してやれば、いいなあと。車を捨てた人の勝手、そうとは知らず芽吹いた哀れ、人の優しさが必要な時かもしれない。

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2007年10月15日 (月)

光秀、怒っている

Photo_3 Img_0013_3  あの明智光秀と向き合った。眉毛がつり上がっている。眼はギラリ、にらみつけるようだ。口元はぎゅっと締めている。まさに憤怒の様相である。優男で、文人的な光秀イメージとはほど遠い。これ、光秀の木像で、いま、大津市歴史博物館の「戦国の大津」展で陳列されている。

 この像、初公開というので、会場へ行った。切符を渡してすぐ、入り口の真ん前、光秀はいた。烏帽子をかぶり、右手に扇子をも持ち、胡坐をかいている。ガラスの陳列ケース入り、高さは61㌢の檜づくり。江戸時代の制作で、京都・京北にある慈眼寺が所蔵している。会場でこの展覧会を企画した樋爪学芸員に話を聞いた。

 これ初公開?「そうです。地元の人が光秀は逆賊だからと。それが、もういいかと」光秀の実像は?「わかりません。本徳寺(福知山)の画像が、文人風なんで、そういうイメージに。俳優で近藤正臣みたいな」 よく借れましたね?「はい。ぎりぎり…。ポスターは間に合わずで。ほれ、桔梗の紋まで消してあるでしょ。それだけ、逆賊意識あったんでしょうね」―、怖い光秀、平成の世で初登場なり。

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2007年10月14日 (日)

お酒になった児島惟謙

Img_0006_2 Img_0007_2 白い鬚フサフサ、どこか威厳が…。この人、大津事件を裁いた時の大審院長(最高裁長官)児島惟謙である。威厳があって「いけん」でなく、正しくは「これかた」と読む。この惟謙さんが「本醸造 児島惟謙」になっている。製造元は愛媛県西予市の緒方酒造で、父親の実家なので、「そりゃ、いけん」ともいえないようだ。

この間、愛媛松山へ行ったおり、地元のSTさんが通信販売で720ml瓶1本を入手していた。宝暦3年創業、もう250年も続く酒蔵で、「本醸造 児島惟謙」は平成3年の大津事件100周年記念で製造した。STさんの話では、大阪・適塾の緒方洪庵とも関わり深く、やはり「大吟醸 緒方洪庵」もある、とか。

あの大津事件、来遊中のロシア皇太子を沿道警備の巡査・津田三蔵が切りつけた。ロシアの報復を恐れた政府が死刑を主張したが、児島惟謙は干渉に負けず、無期懲役にして、司法の独立をも守りきった。護法の神様と云われる、その人のお酒である。グイと恐る恐る、いっぱいやった人の話では「一本筋が通っている味」とか。なるほど。

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2007年10月13日 (土)

八ツ橋のお味見

Img_0023 Img_0025  味見を丁寧語にして、「お味見しておくれやす」と言う。「チョコバナナもあります」「おぶをどうぞ」とも誘う。これ、京土産の八ツ橋の呼び込み。清水寺参道の西尾八ツ橋、一番古いお店という。半纏の店員さんの声につられて、入った。

 

 床几でおぶ=お茶を頂戴して、八ツ橋を見に行く。横長に陳列してあって、なんとまあ、生八ツ橋のオンパレード、これぞ多種多様。どれもこれも、お味見OKという。白ごま八ツ橋食べて、黒ゴマも食べて…、うん、味は薄めだ。チョコバナナ八ツ橋。これも一つ。あんことチョコのコラボレーションかな。

抹茶八ツ橋に焼き芋にニッキ八ツ橋も…、八種類の詰め合わせで、お楽しみ八ツ橋2100円も。お味見続けて、店員さんに聞く。新製品は?「この塩の八ツ橋です。あんこが繊細な味になっています」という。それならと、その塩もしおうがないので、お味見する。塩は少々?。種類はどれくらい?と聞く。「そうですね。期間限定もありますけど20種類以上は…」と。何とそんなに!お味見は、もうあじゃあ。

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2007年10月12日 (金)

おんまくラーメンって

Img_0011_4 Img_0015_4  地方には地方、地方の…である。「おんまく」、これ、愛媛県今治地方の方言。「おもいっきり」「一生懸命」「力いっぱい」という意味だそうだ。この間、香川・坂出から高速道路に乗って、松山道の石鎚山SAで一服したおり、おんまくラーメンに出会った。

 最初は「おんまく」って、何?と思ったが、解説があって、すぐ納得した。どう一生懸命なのか、とにかく食べて見た。チャーハン付きのセットもあったが、入り口で庄内米のお握り3個買っていたので、480円の単品にした。シナチク、海苔、もやし、煮ぬき卵の半分、焼き豚は3枚入りで、麺はやや細めだ。

 レンゲで最初にスープをすくった。いや、いける。味は濃くも、水臭くもなく…、喉ごしにすっと入る。見た目は何処にでもある定型ラーメン。それが、具もスープとよく合っている。お握りは3人で1個ずつ分けた。山形の庄内でなく、この付近の庄内米だそうで、ほんわかした味だ。お握りかじり、スープすすり、汗かきかき、食べるも作るも、おんまく、おんまく…。

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2007年10月11日 (木)

一休さんの円柱広告

Img_0003 Img_0004  オヤッツ、何?と思って、見る。そう思わせて、見せるのが、屋外広告のテクニック。JR京都駅構内に円柱広告、あれは、効果抜群だ。通行中、ついつい、である。通りがかりに聞く蔵(ぞう)、見る蔵である。

この円柱、通路の真ん中に立っている。直径2㍍、高さ2・5㍍ぐらい。間隔は5㍍ほどで6本ある。地下鉄、奈良線、八条口への流れにある駅構内で、朝な夕な、人通りは絶えない。6本とも同じ広告なので、余計に目立つ。両脇の壁広告は真っ直ぐ歩いていれば目に入らないが、この円柱広告、否応なしに見る。

今は城陽市に出来たスーパー温泉のオープン広告。「上方温泉・一休京都本館」。この広告、一休さんイメージを全面に押し出す。後ろ姿のツルツルの頭が出てきて、コピーは「ほっと 一つ 休んでみませんか」と語りかける。この間、JRから地下鉄への乗り継ぎで見た。つい、円柱の反対側まで回る。「たくさんの温もりがあなたを笑顔に~」。いや、一休さん、もうエエンチュウ(円柱)???。

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2007年10月10日 (水)

いも炊きの出合い

Img_0037 Img_0052  里芋、柔らか~い。ぬるぬるして甘~い。鶏肉、人参、おあげ、イイ蛸、コンニャク、肉団子、ネギ、椎茸、天ぷと入って、仕上げはうどん。出汁が煮込むほど染み込む。お玉の杓で、鍋から掬うこと、つい一度ならず、二度三度である。

 ここ、愛媛県は松山の「出合いのいも炊き」である。一級河川の重信川と石手川が出合う、大きな河原。それで出合い?。橋の名も出合い橋。秋の1ヶ月間、松山大衆飲食会が主催する。土手堤のテントで里芋と具をパックで買い込み、河原へ。提灯の会場は軽く千人は入れそう。雨は?と心配すると、橋の下で-と。

 地元新聞社OBのSTさん(63)の案内だった。「小京都の一つ、大洲市のいも炊きが始まりじゃけん」と言う。それが今は県内5ヶ所に-と。STさん、地元の坊ちゃん焼酎・赤シャツを青シャツで振る舞い「この川は足立重信が改修したけん」「司馬遼太郎が街道を行くで、人名の名前つく川は全国、ここだけと書いとるけん」と。いも炊きの出合い、重信川の由来とSTさんの博識も。

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2007年10月 9日 (火)

ワンコイン文庫

Img_0001 Img_0050創刊セールスの時、本10冊をポケットに入れて、「ほれ、こんなに」と、手品みたいに取り出したという。そんな本、ホントかなと、と思って、やってみた。背広のポケット、右と左に3冊ずつ、ズボンにも2冊ずつ。出版元のコトコト・日沖社長の言うとおり、10冊、みんな入った。

 この本、京都人が京都を知って学ぶ「らくたび文庫」である。枯山水編の庭ナビ、仏像ナビ、社寺参拝入門、京の豆腐、嵐電ぶらり、どの本も手のひらサイズ、88頁全カラーのコンパクト判。これ、一冊500円。この3月に一気に10冊つくって、ちんどんやまで動員して、京都の全書店とコンビで売り出した。

 この間、京都観光のフォーラムで、日沖社長らから文庫出版の秘話を聞き、庭ナビを読んだ。いや、実に面白い。著者は観光案内会社の若村亮さん(33)で、ガイド歴でいうと観光バスで5千人案内したという。そのせいか、視点が低くて、優しい。例えば、詩仙堂のくだり。「山荘の土地がでこぼこしていて、凸凹寮と呼ばれている」などと書く。持ち歩いて、旅の案内楽々ナビ、いや、楽々ナリ。

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2007年10月 8日 (月)

彼岸花と石仏

Img_0020 Img_0012  ちょっと不安で、ちょっと期待して、朝の清水寺へ行った。彼岸も大分過ぎて、もう10月もかなり経っている。彼岸花ことマンジュシャゲである。それが、どうだろう、期待以上に咲いている。長かった夏のせいか、ナンとまだタントウ群生している。

 

清水の舞台の真下である。苔むした石垣、風化した石仏、赤く咲く彼岸花…。そのコントラストが美しい。実はこんなにとは、まさかだった。2年前、石仏に1本の彼岸花が寄り添うように咲いているのを見た。あの場面がみたい-、そう思って出かけた結果だった。一本どころか、赤々と、タントウである。

結果は良かった。再び、そこに立って、一本でも、タントウでも良しである。花辞典は、マンジュシャゲは梵語で「天上の赤い花」の意味だそうだ。天上-、いや、ぴったりだと実感する。赤い群生の帯は100㍍余り。行って、戻って、また行って、タントウ写真を撮る。お彼岸に決まって咲く彼岸花、また来年タントウと願う。

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2007年10月 7日 (日)

大津祭りの山々

Img_0052 Img_0073  江戸初めから続く大津祭りの宵宮へ行った。昨日6日の夕刻、曳山は三輪で、からくり付きの13基である。滋賀県庁あたりから浜大津まで、飾り提灯を見つけては右に曲がり、左に入り、山から山へ旧大津市街を歩いた。

 滋賀会館の北は狸山。1635年の山で、巡行13基の中で一番古く、祇園祭の長刀鉾と同じで、くじ取らずで、いつも先頭を行く。一筋、北の琵琶湖側へ行くと、そこは旧東海道。老舗饅頭・藤屋匠近くに湯立山が立つ。旧知の藤屋匠当主遠藤仁兵衛さんが「この前掛けと胴掛けは応挙です。葵祭りの神馬を描いてます」という。

 湯立て山の意味は?と聞くと、「神さんの湯気です。湯気かぶると、病気治癒、五穀豊穣、商売繁盛です」と。立ち話暫し、遠藤さん、今、大津祭りを司る天孫神社の氏子総代だそうだ。そうだったか。殺生石山、神功皇后山…と見て歩き、紫式部の源氏山へ。源氏氏子で手芸会社の上野精一社長と会う。また、立ち話。紫式部のからくり、祭りの財源と話が進んで、もうよいやま??。

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2007年10月 6日 (土)

ミツバチのブルブル写真

Img_0022 Img_0011  会場へ入って、最初の一枚で、命を見た。羽をブルブル回して、ミツバチが飛びながらレンゲの蜜を吸っている。小さな命が生きている。レンゲが透き通るように赤い。バックは緑一色。まるで、その場面に出くわしたような気がする。

 写真家今森光彦さんの展覧会だ。大丸京都で開催中で、タイトルは里山、副題は未来におくる美しい自然-。カタクリとギフチョウ、ゲンゴロウの蛹、朝焼けの棚田…、その時、その瞬間でしかなかった一枚一枚、、不思議なほど心が和む。30年来、今森さんが撮り続けている琵琶湖の周辺だ。

 自然があって、人が住む里山―。この言葉、今森さんの写真集「里山物語」からだという。何気なく、何時も見ている風景。クモの巣、どんぐり、農具小屋の壁…、今森レンズはそれを新鮮に美しくみせる。パノラマに開いた琵琶湖の全景写真、ハッとする。小さく見せて、大きく見せて…、2100円の図録、躊躇なく買った!。

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2007年10月 5日 (金)

切手ツウ、話は切れず

Img_0005 Img_005  さすが一筋の道である。切手集めて40年という。東近江市郵趣会の藤本長蔵会長である。滋賀会館で8日まで開催中の秋の切手展で話を聞いた。初対面だったが、聞けば聞くほど、「そうか」「なるほど」「ヘエッ」である。

Q この切手展で一番の見所は?

A 中国56民族コスチュウム切手です。中国は漢族が52㌫とも56㌫とも言われて、あと55が少数民族でしょ。漢族は一子政策ですが、小数民族は二子OKです。この切手、建国50年記念ですが、政府が少数民族に気をつかっているのがわかります。

Q 切手集め、大変でしょう?

A いや、お金と時間さえあれば…。そんな蒐集でなく、世界中の人と交流して情報交換して集めるのが…。豆大使みたいな…。

Q 面白さは?

A 切手は、お国柄分かります。北朝鮮は金主席の顔、日本も昔は菊の御紋…。英国は大英帝国で国名抜き。米国のケネディー、世界24カ国で切手に…。

 切手の話、切っても切っても出てくる。「切手郵政民営化、関係ありませんねえ。伝達手段が変化して、廃れていくでしょうねえ」…、話は切れず。

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2007年10月 4日 (木)

城を救った石の鹿

Img_0046 Img_0052  石鹿と書いて、どう読むのかと思ったら「せきろく」という。「いしじか」でも「せっか」でもなかった。なるほど、響きはこれが一番だ。膳所城の別称である。この間、膳所城跡に近い文化ホールで、大津市文化祭があり、地元出演の膳所・石鹿太鼓を見た。

捻り鉢巻、法被の和太鼓5人衆。司会が「家康が関が原に勝って、瀬田の唐橋を制したおり、初めて建てたお城が膳所城です。その別称の石鹿城にちなんでいます」と紹介する。それで、石鹿が「せきろく」と知った。隣の膳所公民館の庭に石鹿橋があり、湖に突き出たお城跡に石鹿地蔵も。膳所は石鹿、せきろく-なんだと思う。

石鹿の意味は?、その答えは石鹿太鼓煎餅で出た。帰り道、2枚1組90円の煎餅3個買って、饅頭屋さんに聞いた。膳所城は、六万石の格を越える立派な構えなので、告げ口があり、幕府が検分に来た。鹿の死体で道が血で汚れていると、別の道から案内したので不審を抱かれなかったと。鹿の死体、実は犬の血を塗った石で、それで石鹿が膳所城を救ったと。太鼓ドンドン、煎餅バリバリ。

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2007年10月 3日 (水)

川端康成の楠並木

Img_0036_2 Img_0001  府立植物園の楠並木を歩いた。正面から入って、斜め右側である。道幅15㍍あって、直線にまっすぐ200㍍はあろうか。樹齢80年、高さは10㍍以上の楠が道の両側に90本も並んでいる。夏は涼しげな緑陰をつくり、さわやかな風が通り抜ける。

 この楠並木、戦後接収した進駐軍にも伐られず、開園以来である。ノーベル賞作家、川端康成が小説「古都」で、この楠並木を書いている。新潮文庫で、そのくだりを読んでみた。登場人物に「~ここの楠の並木道が好きで~樹齢は五六十年の楠どすやろけど、ゆっくりゆっくり通ってきました」と、京都弁で言わせている。

 植物園の板谷茂園長も「歩いて思索するのに最高です」という。歩いたのは、9月の終わり、雨降る日曜だった。この道が小説「古都」で登場して、もう二三十年もたったのかーと思う。雨のせいか、人の姿はまるでない。~楠の並木は、木ずえで、左と右の木が枝を交わしている。~川端康成はそう表現している。この日「古都」の主人公、千重子も、秀吉も現れず、思索も浮かばず、靴音だけがコトコト、それで楠クスクス…。

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2007年10月 2日 (火)

しみじみ対話

Img_0031 Img_0036  しじみ飯で、店のおばさんとしみじみ話し込んだ。石山寺参拝道の飲食店「松葉家」である。椅子は不揃い、店内は雑然、古くなった冷蔵庫はモノ入れ。ひと目見て老舗?。最初にどうぞ-と、出てきた朝刊、昼過ぎなのに読まれていない。

 しみじみ話「これ、瀬田川のしじみ?」で、始まった。「実がやせてねえ。昔はふっくらしてたのに」と。しじみ飯定食は950円。しじみのたいたんと、しじみ汁と、しじみの炊き込ご飯。「観光バスの客が行く、向こうの店は釜飯で出すけど、ここ、そんな面倒なことはねえ。船に乗るお客が、急くしねえ」と言う。

 釜でないお椀のしじみ飯、あっさり味だ。「しじみ汁で炊くと味がきつくて、私は嫌で、カツオ出汁なんよ」と言って、椅子に座り込む。・昔はガタガタ道で、お参りは歩いてだった・店の将来は「牛のよだれ」みたいに続ける・京都駅の伊勢丹まで30分と近い・今の石山寺座主は商社の出身で頑張り屋さん…、話はあっちへ、こっちへ。しみじみ話、味を忘れ、客を忘れ。

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2007年10月 1日 (月)

派手ハデ電車

Img_0054 Img_0059  「派手な電車やなあ」と宴会帰りで一緒のKさんがつぶやくように言う。この間、京阪浜大津駅の夜のベンチ。坂本から石山間を走る石坂線の電車が停まった。アユ、モロコ、ニゴロブナ…、車体で琵琶湖の魚の紹介である。これ、ラッピング電車というそうだ。

 バスに電車、何時から始まったのか。車体を塗り飾って、広告の役割を果たす。京阪電車の石坂線、どれくらいあって、どう走っているか、ベンチの夜の翌日、終点の石山寺まで乗った電車は坂本ケーブル80歳のお祝い。二両編成で、後ろはワインレッド、前が緑青だ。坂本ケーブル車体に合わせている。

 帰りはピタパ記念の電車。確か、機関車トーマス、豊かな海づくりも、と思う。膳所本町駅で聞くと、浜大津駅の改札なら時刻表が-という。それで、トーマス電車を撮ろうと浜大津まで乗る。ラッピング電車は今、5車両で、この日はお魚電車お休みで、4車両の登場と。「トーマスまであと20分です」と。また前夜と同じベンチで待って、トーマスを撮る。Kさん指摘通り、いや派手。

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