« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2007年9月

2007年9月30日 (日)

特命転勤の驚き

Img_0008 Img_0003  ここまで、よう書いたなあ-と思った。吉原勇さん(69)の著書「特命転勤 毎日新聞を救え!」である。知己の吉原さん、温厚な紳士で学者タイプ。そんな吉原さんが、本を出した-と噂を聞いて、捜して、買った。文藝春秋社刊、ハードカバーで1500円。

 一気に223頁を読んだ。まあ、凄い。リアリティー。代議士、役人、社長、同僚…、登場人物の肉声がぽんぽんと。書きようは一人称で、まるでドラマを見ているよう。毎日新聞大阪本社の国有地転売、新社屋土地買収、旧社屋地売却など、灰色っぽかった話の回顧である。吉原さん、経済部から経営企画室に転勤して、その渦中にいた。

 多摩在住の吉原さんに携帯をかけた。あそこま、よく?単刀直入に聞く。「告発でなく、周囲で起こったことを忠実に…」との答え。反響は?「毎日社内は拍手と非難のようです」と。初版7千部、もう完売に近いらしい。毎日大阪では、社員に読むな-の指令もとか。読後感、吉原さんの人柄知るだけに驚きと敬服と…。今度は仁川からの引揚体験を書くという。なおの健筆祈りたい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年9月29日 (土)

妖怪ラーメンはあっさり味

Img_0022 Img_0016  「おまた~せっ~」と、出てきた。百鬼夜行の妖怪ラーメン。お鉢の赤い粉にドキッとして、ヒャッとする。汁もドス黒~い。箸で掬った麺は無気味な紫色だ。具はまた黒~い。いや、妖怪なり。味?、こってりかと思ったら、これが、あっさり。

 大将軍商店街の食事どころ「いのうえ」が考えた。商店街は北野神社南西で、今昔物語の故事にならい、一条通り・妖怪ストリートとして活性化を目論む。各店舗の前は、古道具お化けが並ぶ。「いのうえ」の妖怪ラーメンは、一杯750円。赤いのはパプリカ、汁はイカ墨、具はきくらげに椎茸の黒づくしで、豚のピータンも。

 妖怪、食べたさに行った。妖怪のこと?食べて聞くか、先に聞くか悩んで、後で聞いた。何時からです?店主の井上さん、去年1月からという。人気は?「TV各局がすべて取り上げてくれまして、お客さん横浜からも」と。一日どれくらい?土日は20杯はという。味?は、「誰の好みにもあうように」と。それで、あっさり味かーと、妖怪する、いや、了解する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月28日 (金)

武蔵決闘の地は?

Img_0009 Img_0011  北野の下ノ森-、昔は日本で最初のチンチン電車が走っていたところだ。そこの古い商店街を歩いて、足が止まった。「北野今昔物語 武蔵決闘の地」の垂れ幕が目に飛び込み、空き家店舗を少し改装した小さな資料館へ入った。

 宮本武蔵が吉岡一門と対決したのは、洛北の一乗寺下り松でなくて、ここの一条下り松だという。「宮本武蔵」を書いた小説家吉川英治氏が一乗と一条の勘違いした-のではと指摘する。下ノ森は一条通りにあり、昔は北野の松原といった。文献では「北野ノ七本松コレマタ下り松ト称ス」(擁州府誌)の記述、これが根拠である。

 この説、郷土史家竹村俊則さんの主張で、感覚的に説得力がある。吉川さんも決闘地の一乗寺は、後の随想のなかでそう自信がない、と述べている。このあたり、今も「七本松」「下ノ森」の地名と、お菓子の老舗「老松」の存在、近くに吉岡道場の史跡などを思うと、何だか一条違いかなあと。暗い資料室で、机の資料めくりながら、真偽論争、武蔵もむなしかろうと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月27日 (木)

貴方ならどうする?

08 Img_0009  どっちを先に-と悩んだ。近江牛のステーキか、匂いのマッタケか。貴方ならどうする!で、ステーキにした。肉の真ん中に赤みがあって、それはそれは、柔らか~い。さすが、今も昔も評判の近江牛。細く切ってあって、ワサビ醤油につけて、嗚呼、ウマか。

 目の前の、ちょっとマッタケは、我が口には今季初。国産ではなさそうだが、正真正銘のマッタケ。近江牛ステーキを三切れ食べたところで、鼻にして口にして…。うーん、いい匂い。小さくてもカサ付き。これは何も味つけず、そのまま、フンフンと。ころは中秋の名月、加えて味覚の秋なり。

 これ、琵琶湖汽船のシエフ特別メニューという。外輪船ミシガンの特別船室で、琵琶湖の満月見て、ステーキにマッタケ。いや、これはこれは-の夕べ。船室は汽船の中井社長含めて6人。大人げなく、異口同音に「嗚呼、柔らかい」「嗚呼、美味い」「ええ匂い」と言う。それで、最初に何から?は4人がステーキ、2人がマッタケ。この差、好み。この6人では、マッタケより素~敵だった。

 

 ※ 写真に登場の皆さん、無断掲載になりました。陳謝します

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年9月26日 (水)

源氏世界、石山寺に

9 36  姫君の「十二単」に光源氏の「直衣」だという。22日、石山寺本堂の秋月祭オープニング行事で、着付けの実演を見た。腰まで垂れる長い髪の姫君と、浅黒い顔の源氏のモデル2人、着付け係り4人が舞台にあがり、十二単研究家の峰村有紀さんが解説する。

 本堂の奥で秘仏の如意輪観音が見ている。来年の源氏物語千年紀プレ事業。中秋の名月が近い夕方、幽玄世界である。その十二単、重ねて合わせて十二枚と思ったら、それは俗称と。一枚また一枚で、それなら何枚?と、隣の人に聞く。「8枚かな?いや、下着もあるので、10枚かな?」と。重さは15㌔以上とか。

 試着は一枚に2、3分…、千年の時が流れるようである。解説の峰村さん、間持ちで、姫君に「どう」と聞いて「暑い」と言わせる。身長1㍍83の光源氏には、「本当の源氏は1㍍70、もっとセクシー?」と笑わす。1時間半の長~い着付け、やっと終わる。正装の直衣(のうし)を着た光源氏さん、15㌔重ね着の姫君の手をひき、ノウシ、ノウシと、歩いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月25日 (火)

円仁さん、人となり

 Img_0008 Img_0003 この人、第3代天台座主の円仁さんである。この間、滋賀近美であった展覧会「慈覚大師 円仁とその名宝」で、その人となりを見てきた。展覧会は円仁さんの故郷・栃木から宮城へ回り、滋賀へ来た。NHKの主催である。

 会場は土曜の午後で、やや閑散としていて、その分、じっくり観賞できた。画像と座像で、お名前どおり、円~るくて、鼻も耳も大きいと思う。眼も慈しむようで、これまた慈覚大師にふさわしい。展示は曼荼羅にお経の箱、書簡…、国宝に重文の数々、名品がずらり。うーん、と唸るも、仏の道はるか、凄さが見えない。

 会場出て、NHK制作のビデオ「円仁 はるかなる旅路」を10分見た。比叡山へ入山して、最澄の一番弟子に、3度の挑戦で唐に渡り、1700㌔歩いて天台の聖地・五台山で修学、9年滞在して、戻って61歳で天台座主に、山寺の立石寺、中尊寺、浅草寺を開祖…。現場から現場への大師さんとわかり、改めてたいしたものだと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月24日 (月)

四十八躰仏の歴史算術

 0001 Img_0037 滋賀県の指定史跡である「鵜川の四十八躰仏」は今、三十三躰である。どうして、そうなったか、算術で表すと、 48-13-2=33 になる。13躰は天海僧正により大津市坂本の慈眼大師廟に移り、2躰は昭和62年に盗難にあった。

この仏さん、阿弥陀如来座像で、花崗岩で出来ている。高さは1・6㍍、膝幅は1・3㍍。天文2年(1553年)に安土の観音城主・佐々木六角義賢が亡き母の菩提を弔うために建てた。鵜川はちょうど対岸で、48躰は弥陀48願にちなんでいる。そのおりは琵琶湖に向かい、六躰ずつ、8列の 6×8=48 の露座だったという。

この間、車で行って、史跡四十八躰仏の、三十三躰仏を確認してきた。湖中に鳥居が建つ、あの白髭神社から5分足らず。国道161号から少し入ったところだ。お参りして、よく見ると、十五躰抜けたせいで、列が乱れている。石仏によっては、お顔の風化も進んでいる。もう 2007-1553=454 も昔に。史跡48躰仏参拝は、掛けて引いて、足して、歴史+算術である

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月23日 (日)

そこで一句、白髭の~

Img_0018 Img_0027  境内は歌碑に句碑!。車で湖西へ行ったおり、湖中に丹塗りの鳥居が立つ白髭神社へ。国道161号のすぐそばだ。境内広く、200台は駐車できる。重文の本殿など、十分みて、境内を歩いて、そこで一句!。

 「しらひげの 神のみまえに わくいずみ これをむすべば ひとの清まる」。本殿北側にある与謝野鉄幹、晶子の歌碑。京都延齢会という旦那衆らが手水舎を寄贈したおり建立したという。上の句は鉄幹、下は晶子。大正元年、二人が参拝したおり、神社の湧き水の清らかさを詠った。二人の歌碑では全国で最も古いらしい。

石段を上がると、源氏物語の紫式部。「みおの海に 綱引く民の てまもなく 立ちゐにつけて 都恋しも」。紫式部が越前国司として福井へ赴任する父と一緒に、ここを通ったおりの歌という。芭蕉の句は47歳の時で「四方より 花吹き入て 鳰の湖」と詠んでいる。駐車の脇で、見上げるような石碑だ。安政4年に門人が建てた。昭和の詠み人、羽田岳水、中野照子の碑もあって、境内巡りはもうヒー、ヒー?。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月22日 (土)

秋なのに朝顔

Img_001 Img_0001 今日は何枚かなあ-、そう思って、通る。JR大津駅から朝の道筋、大津合同法務庁舎の向かいあたり。そう手入れされているとは思えない民家の花壇に朝顔が咲く。青紫の大きな朝顔だ。この夏、ずっと咲き続け、もう彼岸入りなのに、まだ咲いている。

 連休明けの18日(火)は二つ、19日(水)四つ、20日(木)六つで、昨日の21日(金)は五つ。夏のような暑さが続いていても、季節は秋である。朝顔は夏の花、それなのに何時までと思う。道路脇のこの花壇?7~8㍍はあるだろうか。朝顔のツルは好き放題に伸びて、道路の柵にまで巻きついて、背も高い。

 花の色は青紫一手。どういう品種かわからないが、長寿種であろう。何時まで咲き続けるものなのか、府立植物園に電話かけた。園芸相談の日(水曜、日曜)でなく、詳しく聞けなかったが、種を撒いた時期によるでしょうという。職場で雑談すると、肥料のやりようにもよるのでは…と。そこでまあ一句。「朝顔や 秋を忘れて 今も咲く」(千代女改め洋洋)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年9月21日 (金)

冬瓜~べんべん!

0001 0001_2  マッカのようでマッカでない。べんべん!。スイカのようでスイカでない。べんべん!。それは何かと尋ねたら、アッ、冬瓜、とうがん、トウガン~。この間、湖西路を車で行って、北小松から先の鵜川ふれあい交流館へ入って、それは見事な冬瓜を見つけた。

 野菜棚の上下に10個はあっただろうか。1個持ってみた。ずっしり重たい。2キロくらいありそうだ。まあ~るいのや、やや細長いのや、表面がへこんだのや。バーコード付きで、それぞれに値段と名札が貼ってある。値段、大きくて500円、小さいのは200円。生産者は山田富枝さん。売り場で聞くと、この土地の収穫という。

 冬瓜なのにキュウリと同じウリ科の夏野菜という。96㌫は水分とかで、むくみをとったり、熱を冷ますのによいらしい。ビタミンCが豊富で、夏バテにもよいようだ。お店で選ぶときは粉が均一についていて、ズシリと重いのがベターとか。それで、美味さはどうかと尋ねたら、味のない大根、だいこん、ダイコン~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月20日 (木)

朝の旭橋メモリー

Img_0031 Img_0029  北海道旭川に石狩川に架かる旭橋がある。この橋、道内52ある北海道遺産の一つだという。もう2週間たったが、旭川に泊まった朝、ホテルの起き抜けに15分ほど歩いて、朝の旭橋を見に行った。アーチ型で、柔らかな曲線が美しい。なるほど、ひと目見て、旭川シンボル!。

 橋の端っこに説明板があった。全長は225.43㍍、橋幅は18.3㍍だ。昭和7年に3年間かけて完成した。明治25年の木橋以来、4度目の架け替え橋で、昭和35年ころまでは市電も走っていたという。あの朝、悠々たり石狩川を見ながら長い橋を渡り、河川敷にも降りて、橋の端々からはしょらず橋を見た。

 台風9号、北海道上陸の朝だった。台風は勢力が落ち、増水具合を見に来たおばさんも「全然、大丈夫ですね」と。昔は堤防近くまで増水したり、パルプ工場の廃材が上流から流れて来ることがよくあったという。橋の向こうに高峰も見え、改めて北海道の雄大さを思う。帰り路、街路樹のナナカマドが少し色づいている。「早起きは散歩の徳?」の思いが甦る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月19日 (水)

楽さん、茶室への挑戦

 Img_0008 Img_0022 案内の誘導係りが「頭、お気をつけ下さい」「足元、危のうございます」という。滋賀県守山市の佐川美術館に誕生した楽吉左衛門館。この間、特別内覧会へ行って、頭を下げ、腰を屈め、足元そろりそろり。佐川急便50周年のビッグ事業、いや、お金がかかっている?。

楽家15代当主の楽吉左衛門氏(58)が創案し、自分で図面をひき、建築素材にこだわって完成させた。佐川急便から好きにどうぞ-と任されたからだ。二つの茶室は水庭に浮かぶ。いや、泥土掘っての難工事?。素材はジンバブエの黒花崗岩、バリ島の古材、水庭にガマの穂…、いや、厳選また厳選。楽さん着想、完成までラクではなかった?。

楽焼き400年の伝統引き継ぐが、新しい茶碗には新しい茶室がいると思っていたという。広く暗~い展示室、腰かけて、ケース入りの茶碗をじっと見る。ノツゴツしてキラキラして…。水庭の茶室、自然の光が水面から差し込む。この茶室、人と茶碗と空間、ぞれぞれの出会がテーマだという。いや、奥深~い。楽さんに通じる心、ラクじゃない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月18日 (火)

千切ってお食べ下さい

 4 2 「生かわら焼」-どんなんかな?。この間、札幌便の時間待ちで、神戸空港ロビーのカフェに入った。メニューにあったので、モノは試し。コーヒーとセットで頼んだ。お店はこの6月に空港店を開いた、菊水総本舗の茶廊。明治元年創業の、かわら煎餅の老舗である。

 出てきた。瓦の格好して、真ん中にどんと菊水マーク。漆塗りの赤い盆皿に白紙に乗っている。一枚が大きい。店員さんが「千切って、生クリームつけて、お食べ下さい」という。由緒ありそうな、菊水マーク眺めて、瓦の端っこを控え目に千切って、口に入れた。味?うーん?間違いない。ホットケーキ味!。

原材料は小麦、卵、乳。煎餅職人が伝統の技術を駆使した、新しい神戸スナックだという。コーヒーとよく合う。かじって飲んでの、変わりベンタン味、なかなかいける。本店は楠木公ゆかりの神戸・湊川神社。焼きごてで刻印の菊水印は、有栖川宮下賜で、まさに錦の御旗。千切っては食べ、千切っては食べ-、ピーヒャラドンドンなり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月17日 (月)

一番人気は平和の様相

 Img_0013 Img_0018 赤チョボのシールが付いている。ピカソ複製画の販売である。どの絵がどれくらいの値段で売れるのか。今、ピカソ展を開催中の京都伊勢丹7階の会場通路で、期間限定で販売している。二度、会場へ足を運んだ。

赤チョボ一番は、平和の様相=写真左=で、8個付いている。売れ行きトップである。この絵はピカソの一筆画で、鳩と女性を柔らかく描いる。シルクスクリーンの複製、サイズは635×530。値段は1万8千円。販売作品中、小さくて最も安い。5万コース、7万円などあって、高値一番は「酒人バッカスの祭り」の9万8千円。これに赤チョボ二つ。

本展の展示は、箱根彫刻の森所蔵で油彩、版画、陶芸と多彩だが、通路の複製展示も青い帽子の女、読書する女と見ごたえあり。大阪の業者の輸入販売で、担当の女性に聞くと、これまでに赤チョボは30個くらいと。最初に見た時に比べ増えていないので、今日は売れたの?と聞くと、「それは???」という。赤チョボも複製、いや失礼。複製画の販売、会期(8日)までどれだけ増えるかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月16日 (日)

講演-しゃれの山

Img_0006 Img_0008 喋ると、しゃれが出る。しゃれ、そんなにと思うほど出る。この間、琵琶湖ホテルで「驕るなかれ」と題して、講演した鳥羽水族館名誉館長・中村幸昭(はるあく)氏である。冒頭「私は昭和3年1月1日午前6時、日の出とともに生まれまして…」と話し出して、79歳とわかったが、その淀みない弁舌ぶり、いや若~い。

講演は1時間半。マイクを手に演題から離れて右に左に。いや、動物のことなら何処にでも話の引き出しがある。鯨のゲイボーイ、鶏のもうケッコウ、蝉のセミヌードと喋って、地元の伊勢志摩の海女さんへ話が飛んで、「海女さん、いつも鮑を食べていて視力が良い。もし眼鏡かけている海女さんがいたら、それモグリだ」と。

この中村さん、朝日新聞学芸部やめて、鳥羽水族館を立ち上げた。演技するラッコ、シロナガスの出産、お魚病院で話題を呼び、入館者は半世紀で5000万人という。しゃれまくって、「人間よ、驕るな。今の世の中、動物に学べ」と持論を話す。さすが元記者で著書多数、しゃれ付き講演は何処へでも…、恐るべき79歳なり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月15日 (土)

ゆばで三色はんなり

Img_0026 Img_0035  赤、青、黄-信号ではない。京の老舗「ひさご寿司」の、色付き巻き寿司のことである。定番の海苔でなく、三色の湯葉で巻いている。赤―焼き穴子に玉子、黄―海老にレタス、胡瓜のサラダ風、緑―牛蒡と人参、胡麻。今年の6月から四条河原町上ルの本店メニューになった。

 この三色巻き、京都新聞の経済面に載っていた。どんなものか、お店の2階に上がり840円のミニを食べた。緑色が少し薄いが、確かに三色ある。3個ずつ9個、出てきた。さて、どの色からーと思案を楽み、穴子の赤から入った。よう味がしみて、舌に。サラダ風の黄はやさしい味。緑は牛蒡が柔らかくて人参と合う。

巻き寿司は「京はんなり」という。記事によると、大津の比叡ゆば本舗・八木社長の講演がきっかけで、2ヶ月かけて商品開発したらしい。比叡ゆば仕入れの着色ゆばは、ウコン、ベニバナなど天然素材という。店員さんに聞くと、「はい、新聞に出て…」という。はんなり味、赤か、黄か、青か、どの信号かな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年9月14日 (金)

ラーメンは旭川?

Img_0039 Img_0007 確かに麺、細くて縮れている。スープ、なるほどあっさりだ。これ、旭川ラーメン。この間、野菜醤油を食べた。900円。野菜の具、モヤシに玉ねぎ、人参、ピーマン、白菜…、麺がみえない。底から麺、すくい上げて、スープとともに。味?旭川ラーメン!。

JR旭川駅前の大通り、ビルの地下1階にある「梅光軒」というお店。その昔、社会党の土井たか子さんも来ている。壁に有名人のサイン色紙と一緒に写真が貼ってある。客が店の前で並んで待っている。飛び込みで入ったが、有名な店らしい。注文を先にして、待っているおり、前裁きの元気なお兄さんに聞いた。

 札幌ラーメンとは、どう違うの?と。兄さん、待っていましたと、早口で一気に。「札幌は麺に卵まじって、太い。スープは豚骨で、こってり味。こっちは麺が小麦粉だけで、縮れて…、スープは魚ガラで…」と。そう聞いて、食べてみて、麺はグニャグニャしている。スープは油あぶらしていない。旭川ラーメン、アイシ-。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月13日 (木)

東京物語のキャスト、今?

Img_0002 Img_0009  顔が即、思い浮かぶ俳優さんの名前が並ぶ。小津安二郎監督の「東京物語」のキャスト。東京で生活する子供たちに広島・尾道の老夫婦が会い行く。夫婦と子供、老いと死を描く小津作品の名作中の名作。松竹配給、1953年のモノクロ映画である。

原節子 笠智衆 東山千恵子 香川京子 杉村春子 山村聡 三宅邦子 大坂志郎 東野英治郎 中村伸郎 十朱久雄

この間、滋賀会館大ホールで上映があって、ポスター見ながら、不謹慎にも、誰がご存命か-と。水戸黄門の東野英治郎さん、とうの?昔だし、文化功労賞の杉村春子さんも、東山千恵子さんも確か…。あっ、香川京子さんはまだTVに-などと思い、戻って、ネット検索で調べた。

 本名も「りゅうちしゅう」だった笠智衆さん88歳、山本五十六の山村聡さん90歳、食道がんの大坂志郎さん69歳、肺がんの十朱久雄さん77歳、三宅邦子76歳、中村伸郎83歳、東山さんと杉村さんはやはり90歳台で。ほとんどの方が鬼籍入りも、今88歳の原節子さん、鎌倉でご健在のようだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月12日 (水)

なるほど旭山動物園

Img_0048 Img_0062 旭川なのに何で旭山かと思って、人気の旭山動物園へ行く。答えは市内が見渡せる高台にあって、地名が旭山。この動物園、年間の入園者数は300万人を超し、上野を上回っているという。「ナンで、ナンで、ナンでえ~♪」と、この間の北海道旅行で、開門と同時に入った。

 小雨の朝、午前9時半に大人が200人も。子どもはそういない。ペンギン館。螺旋状の通路を上がる。足の短いのが出てきた。ガラス越しに二羽、三羽…、行って帰って、また行って。フンボルトペンギンだ。両手を後ろにチョコ、チョコ、チョコ…、腰の曲がったおばあさん役者みたいだ。異口同音の女性歓声―、「いや、カワイッ!」

大きなアザラシも、ホッキョククマも、一枚のガラス越し。アザラシの泳ぎも、クマの足も手も鼻も、もうそこ。これ、人気の秘密だ。動物の習性をどう見せるか。人間を中に引き込み、内側から動物を見せている。10年前までガラガラ動物園が、着想の転換でリニュアルして、この盛況である。旭山動物園40年、まさに山あり川あり…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月11日 (火)

アイヌ語の森はニドム

G_0001 G_0001_2  北海道の苫小牧へ行って、ニドムで、イコロのピリカとカムイ???。はて、さて、それは―である。これ、原野を切り開いた棒振り場。加えて、アシリにニスパも。この9日、コース回りながら、キャディーさんに何のこと?と聞く。答え、みんなアイヌ語という。

 ニドムはゴルフ場の名前で森。54ホールもあって、原野を切り開いてつくった。確かに蝦夷松、楢、唐松、白樺など、針葉樹に囲まれている。それに谷あり川あり、池もあれば丘も。まるで「あ~あ~」とターザン出そう。イコロは宝物で、そこにピリカ-美人と、カムイ-神様。もう一つのアシリは新しいの意。隣のニスパは首領だそうな。

 何せ広大、さすが北海道-でっかいどう。9日は台風一過で、暑くて30度越す。北海道のコースは18ホールを昼食抜きで、一気に回る。乗用カートはなく、なんだ坂こんな坂…テクテク、万歩計は2万歩15㌔に。いや、いや、もう十分歩いた。それで成績?それはコース名通り、イカレコレで、ピリカラ何番。もうニドコム?それとも、もう一度コム?。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月10日 (月)

マネ?モネ?

Img_0001 Img_0022 モネはマネでなく、マネはモネではない。モネはモネで、マネはマネなのだが、それが、どうもモネマネになって、ややこしい。どちらも印象派の、フランスの画家で、同時代に生きている。どうモネで、どうマネか、比べた。

 <モネ> 1840年パリ生まれ。没年82歳。

 <マネ> 1832年パリ生まれ。没年51歳。

 マネが8つ先輩だが、早くして病死している。これに対し、モネは43歳でジヴェルニに住んで、睡蓮を描いて長生きしている。モネは光の変化を描き、印象派の代表画家だったのに、マネは代表作のオランピアで裸体の娼婦を描くなど、そう印象派らしくない。

 名前こそモネマネだが、画家として特性はかなり違う。自画像=写真右=見ると、マネはおでこ広く、一徹そう。モネは自分をあまり描かいていない。日本人が描いたモネ像=写真左=は輪郭がもじゃもじゃしていて、晩年の睡蓮みたい。以上、モネマネ比較したつもりだが、やはりどこまで行ってもモネマネ???。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 9日 (日)

鳩と共に

Img_0016 Img_0021  合偏に鳥と書いて、子と豆の3字で、なんと「はとまめ」と読むそうな。東本願寺の鳩豆屋さんの看板にそう書いてある。字源も字通にも出ていない。前から雰囲気はあるが、妙な漢字だなあと思っていて、この間、鳩豆100円で買い、店のおじさんに「この字でハト?」と聞いた。

 おじさん、即「これ、台湾字じゃ」という。「台湾人に教えてもうた。字はわしが書いた。まあ九編に鳥やけど、台湾の人ならすぐわかる」と。いくら、漢字の国、中国でも、変な偏と思いつ、それ以上は詮索せず、この際で、話題切り替え、鳩の今を聞いた。おじさん、門前で鳩豆売って、もう60年という。

 最初に「鳩は増えてる?」と聞く。答えは意外。「天敵いるから変わらん」という。天敵って?と、また聞く。それ、人間かと思ったら「猫に蛇に鳶じゃ」と。鳩の数は?と質問浴びせると「わからんけど、グループは二つや」と。猿のような集団があるようだ。最後の鳩との関係?聞く。おじさん、はっとして「そりゃ、持ちつ持たれつじゃ」。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 8日 (土)

あの味、あの器…

Img_0025 Img_0036  お腹に入れば、それまでだが、あの料理のあの舌ざわりは今も思い出す。滋賀県東近江市八日市・招福楼の東京店。そりゃあ、値段もだが、やはり一品一品の味わいである。その料理、十二カ月風流会席という。

 最初に杯が出て、まず一献という。これ、会席料理の作法らしい。どこが十二カ月か?と思ったら最初の料理は虫かごで出てきた。頃は、もう秋の入り口だった。かごの中は白随喜とえびだった。料理の山場は二度、三度と来た。鯛と平目の刺身、鮎の塩焼き、鮑と茄子の煮物…、見た目の美しさ、優しさのある味覚…。

 イチジクの白味噌仕立て-、あれは今風で言うと、味と器のコラボレーションというやつだ。白味噌風味はイチジクにしみこみ、とろ~り。黒漆の御わんは露草文様。料理を運ぶ女性が「これ、博物館モン、なんですよ」という。お茶漬け出て、デザートとおうすで仕上げて十二カ月フルコース。思い出しても「満足じゃ」。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年9月 7日 (金)

老樹、老木…ああ、元気

Img_0045 Img_0075 なんとなんと-である。この間、山科・勧修寺境内をぐるりと回って、出会う木々の樹齢に驚いた。高齢社会の先取り。一体、どうなっているのと思うほどだ。お寺による、その推定樹齢は以下のとおり。

     ハイビャクシン-750年

     山桃―350年

     梅―300年

     百日紅―700年

 まさに老樹、老木…、どれもこれも元気である。書院前庭のハイビャクシン。ひのき科の常緑樹で、地は這うように低く伸びて、一面が草むらみたい。梅の老木は親子三代。根っこに親、子、孫の表示がある。百日紅は20㍍もの高木で、赤赤と咲く。山桃は落雷で幹が真っ二つに割れたらしいが、青青としている。

 幾世代も時代を見据えて、いまなお健在。元気みて、命を思って、我もまだまだなり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 6日 (木)

毎朝、桃太郎さん

Img_0001 Img_0008 毎朝のように桃太郎さんに会う。JRの通勤電車の中吊りビデオ、おいでませ-岡山!のキャンペーンである。新幹線で京都から1時間、大阪から40分、神戸から30分…。ビデオは岡山、倉敷、吉備、児島の名所を映して、きんしゃい、こんしゃい-という。

 桃太郎像、新幹線岡山駅東口の広場に立つ。この5月に行ったおり、デジカメで写真を撮った。車内ビデオでも一番に出てくる。両脇に犬と猿を従え、雉は右肩に乗っている。黍団子の袋は腰にぶらさげている。左手をかざして、鬼ケ島を見つめ、左足を一歩前へ。さあ出陣、リアル感のある凛々しい像だ。

 この像、昭和46年5月に地元の岡山西ロータリークラブが創立10周年を記念して寄贈した。制作は岡山出身の日展作家、岡本錦朋氏という。もう37年、すっかり岡山を代表する名物像に。今度、実物の像見るのは、11月の棒振り。♪~桃太郎さん、桃太郎さん~♪やと、思ううち、電車はJR大津駅へ。出勤の足取り?、重くもあり、軽くもあり、兎も角、ご苦労さん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 5日 (水)

あの木 何の木~

Img_0004 Img_0007 大津港の隣、シンボル緑地に木が一本。まるで砂漠の真ん中、ツリーのような木である。これまで何度か、琵琶湖汽船のミシガンを絡めて写真を撮ってきて、ずっと、木の名前が気になっていた。それこそ、日立さんのCMソング、♪~この木 何の木 気になる木~♪である。

琵琶湖汽船の中井保社長が実名のブログを持ち、この緑地公園が建築家・故井上武吉さんの設計だーと書いていたのを思い出した。それなら、木の名前も知っているだろうと携帯かけてみたが、意外にも「何やろねえ」という。二、三日置いて、ブログ熱心、仕事熱心の中井社長から携帯マナーに伝言が入り「ブログに書いた」と。

中井ブログを開く。~「あの木、何の木や」とK氏から電話があって、見に行った。多分、クスノキ?と思ったが、関連会社のK園芸のO女史に写真見せたら最初は「クスノキと違います」という。それで、もう一度、撮り直して見せたら、やっぱり、「クスノキよ」とクスクス?~と。結局、答えは♪~あの木 何の木 クスノキ~♪ ?

 ※ 中井さん、ブログの内容、一部オチ入れて改変しました。すみません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 4日 (火)

正解はみんな×

Img_0002 Img_0004  みんな×が正解だという。ことわざ・成句の日本語実力テスト。○×回答で、出題は5つ。どれもこれも間違っているという。どこがどう×なのか-、正解の解説を読んだ。この間、毎日新聞掲載の大修館書店「ことわざ成句・使い方辞典」の5段広告である。出題は次の5問。

     割れ鍋に閉じ蓋の似合いに夫婦

     砂をかむような苦しさを味わう

     人生の苦渋をなめ尽くす

     彼氏を袖に振る

     選挙で大敗し、ついに与党が野に下った

 みんな×である。広告は「間違っている人は、意外に多い」という。だから勉強して、2520円の辞典をどうぞ-と。新聞広告も生活情報、加えて勉強も、である。さて、この広告出題、間違い探しサテサテ!。正解の方、辞典の購入不要なり。

 答え ①割れ鍋に綴じ蓋 ②砂をかむような味気なさ ③苦渋をなめる ④彼氏を袖にする ⑤野に下る-は公職から民間の生活に入るで、与党が野に…と使うのは本来的でない

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 3日 (月)

免許更新異聞

Img_0009 Img_0023  昨日、伏見区の運転免許試験場へ行く。優良5年の免許更新すんで、警察職員のHさんに久々に会う。もう30年以上だが、何となく顔も名前も覚えていて「Hさん!」と声をかけた。Hさん、驚いて、更新の免許証みて、「ああ」と思い出してくれる。

<頭、白くなったなあ?> 「もう58歳や。警察に勤め38年に」 <(試験場)何時から?> 「ずっと府警本部で、ここは2年半前から」 <日曜更新、大変やなあ?> 「日曜は1500人。平日の倍以上も」 <誕生月の更新やけど、月ごとの顔の特徴は?> 「そんなん、わからん」 <仕事、手間かかる?> 「そう。生涯免許にしたら更新いらんのに」 <今、警察職員の採用は?> 「毎年10人くらい。男は1人、少なくなって」

立ち話、20分ほど、聞いて聞かれて…。喋っているうち遠い記憶も甦り、最初の出会いなど思い出し、話は弾む。警察官でない警察職員、その中での警察勤務一筋、ご苦労多かったことかと。 (以上、免許更新異聞)

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2007年9月 2日 (日)

副大臣の花

Img_0008 Img_0009  文部科学省副大臣池坊保子さんが描いた絵が一枚、掛かっている。滋賀県甲賀の富士スタジアムゴルフ倶楽部。2階の食堂へ上がるクラブハウスの踊り場で、この絵と一緒に撮った本人の写真も飾ってある。ゴルフ場はジャンボ尾崎の設計・監修を売りにしているが、まさかの副大臣登場である。

 ラウンド終わって、何で副大臣の絵かと、マスター室、食堂、フロントと聞いて回った。皆さん揃って「???」「さあ」と言う。せっかくの副大臣、かたなしである。何とか、知人を通じての寄贈、写真は平成8年11月11日の開場前の撮影―とまでわかったが、それ以上は???である。

 絵は20号の油絵で、金色の額に入っている。画題は花。ピンクのテーブルに大きな花瓶があって、花がまた豪華で、もう溢れんばかりである。百合が一本、二本…、薔薇が二本、三本…、ざっと20本は活けてある。そういえば、池坊さん、本職?は副大臣より生け花の池坊流。池の多い、このゴルフ場、池を避けよーの暗示であったか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 1日 (土)

野路の玉川

Img_0045_2  JR南草津駅へ向かう帰り、足が止まった。道路わきに真新しいステンレスの碑。「野路玉川古跡」とあり、版画が貼り付けてある。駅まで徒歩3分のところで、碑は贈・草津市野路東部土地区画整理組合となっていた。駅前開発が進む新しい街に昔の野路玉川-どんな昔があったのだろう。  

 版画は歌川広重の絵である。宮廷人らしい貴人が従者2人を連れて、川沿いに咲き乱れる萩を観賞している。左上に「明日も来む 野路の玉川 萩こえて 色なる波に 月宿りけり」と。藤原俊成の千載集の一句という。この野路の玉川、昔は琵琶湖にそそぐ小川で、「萩の玉川」の別名まであって、旅人の憩いの場だったらしい。

 Img_0046_2 ここ、野路玉川は「諸国六玉川」の一つという。その諸国の六玉川(むたまがわ)は何処か、むた?と思いつつ調べた。井手の玉川(山城)調布の玉川(武蔵)高野の玉川(紀伊)…と出ていた。どの土地の玉川も情緒豊かで、歌枕に使われ、浮世絵になった風流な川だったらしい。通りがかり、たまたま知った野路の玉川、今はもう遠く…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »