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2007年2月

2007年2月28日 (水)

懐かしのチンチン

 Img_020 Img_023 平安神宮の南神苑にチンチン電車が保存してある。この間、お庭拝見中に知って、何で?と、説明板を読んだ。「平安神宮の創建と深い関係があって…」と書いてある。チンチン電車と、どんな深い関係?と、思ったら、どうやら明治28年の建都千百年事業で誕生した同期のよしみらしい。ご縁を大事にする平安神宮、さすが?である。

 

 保存展示の電車は、狭軌の北野線を走っていた車両らしい。運転台に扉はなく、運転手がボタン踏んで、鈴をチンチンと鳴らして発車の合図をする、あの電車である。北野神社―京都駅間6・5㌔、西洞院通りでは民家のひさし、すれすれだった。見ていると、セピア色の世界になって、懐かしい。

 チンチン電車は、日本の電車の始まり。明治、大正、昭和と83年走り、もう30年ほど前に消えた。払い下げで保存、幼稚園へ身売り、解体して消滅など、電車の行くえは様々だが、広島の広電、愛媛の伊予電で、今も現役で活躍している車両もある。バスに乗り換えた京都市も今また、LRTとかで、路面電車を復活という。捨てておいて、今さら何で…、チンチン!。

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2007年2月27日 (火)

修行は仕事

Img_0008_6  京都の街を行くと、思わぬ光景によく出会う。昨日は建仁寺の境内を四条通りへ通り抜けたおり、若い僧が禅堂近くの参道で、長い竹の棒を持って、ガサガサ、バサバサと木を揺すっていた。

 何の修行かと、見ていたら、石畳わきにある木々の枯れ枝落とし、だった。杉にヒノキ、クスノキ、高い木が多い。若い僧は坊主頭を手ぬぐいで包み、作務衣で地下足袋はいている。竹の長さは、7、8㍍、重そう。秋田の夏祭り、竿灯みたいに立て、辛くとも無言無心の作業のようだ。

 どの僧も、若々しい。10人近くいて、修行中?の一人に声をかけた。 「大変だね?―ハイ。 何処から?-神奈川です。 実家がお寺さん?―ハイ。 ここ何年?―1年目です。 辛い?―ハア。でも、仕事ですから。 そう、頑張って-ハイ」 気持ち良い受け答えだったが、最後の「仕事」が気になった。修行=仕事、今の時代かナ。

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2007年2月26日 (月)

タコと具とソース、調和の味

Img_0024_2 Img_0025_1  たこ焼きなら天神さんが一番だという。何時だったか、山科駅前の居酒屋でたこ焼き談義になって、そんな話を聞いた。月に一度、25日の縁日だけに店を出す-というので、思い出して、昨日出かけて見た。

聞いていたとおり、北野天満宮大鳥居の西側、今出川通りに面して出ていた。噂どおり、客の列が続き、流行っている。タコ、キャベツ、天かす、カツオ粉、生姜…、そう特別仕立てではないが、9個で3百円とは安い。アツアツ、店の裏に回り、食べた。ソースにタコと具がよく絡んでいる。一体感があって、ほどよい調和の味…、◎である。

注文待ちのおり、話を聞いた。「おっちゃんが、いやはった頃は、山科でも出してはったけど…」と、お手伝いの親戚の女性が言う。屋台の中で、腰を屈めたおばあちゃんが座っている。80歳以上かな。山科に住む服部さんで、天神さんの縁日出店は、もう40年、いや50年は…という。そんなやりとりにおばあちゃん、恥ずかしそうにこちらを見上げた。

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2007年2月25日 (日)

伸びて縮んで、アさてアさて…

Img_0018_3 Img_0023_2  アさて、アさて、これは南京玉すだれ…。あのリズム、一度聞くと、頭の中まで沁み込む。昨日昼、平安神宮応手門前の大道芸で、南京玉すだれと蝦蟇の油売りを見た。それで、帰る道筋、何を見ても、アさて、アさて…に。それこそ、額に油がたら~りたらり。

この大道芸、岡崎公園の「京の朝市」イベントの一つ。南京玉すだれは、東映映画村の女優さんがやった。青い帽子と半纏、黄色の袴に赤いタスキ。「遠山の金さんで、女中役やってま~す」と、自己紹介して、アさて、アさて…と、始まった。釣リ竿にして、ひょいと戻して、また、兜、東京タワー…、アさて、アさて-と、軽やかに続く。

南京玉すだれは、富山県が発祥の地で、民謡からという。江戸時代、旅のモノ売り口上で広まっていったらしい。今、神戸に日本南京玉すだれ協会。会員は全国の支部400人も。玉すだれ、伸びて縮んで、また伸びて、拍子木に合わせて、ステップ踏んで、アさて、アさて…暫く、頭から離れそうにない。アさて…。

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2007年2月24日 (土)

本にゴッホン

 Img_0005_8 本は並べ読みである。とっかえ、ひっかえ読む。22日は山科図書館で、佐野眞一著の凡宰伝を借りて、同時進行が一冊増えた。読んだ本、いま読む本…、こんな本である。

     佐賀のがばいばあちゃん(徳間書店・島田洋七)=写真=

     癒しの島、沖縄の真実(ソフトバンク・野里洋)=写真=

     関西人の正体(小学館・井上章一)

     博士が愛した数式(講談社・小川洋子)

     凡宰伝(文藝春秋・佐野眞一)=写真=

 漫才師・島田洋七の「佐賀の-」は泣ける。貧乏、頑張り、思いやり、故郷、母…、何度かぐっと来た。凄いばあちゃんがいたもんだ。「凡宰伝」は故小渕首相の伝記。フィクション作家・佐野眞一の本は、どれも、事実を丁寧に調べている。小渕首相の人となり、感じさす。「癒し-」は著者の琉球新報の野里洋氏からの寄贈本。去年6月、退職して、一気に書き上げたという。記者の眼で見た沖縄、思いが込もっている。

 本は選ぶ楽しさ、読む楽しさ…、それで、ゴッホン。

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2007年2月23日 (金)

象と鯛

 象が言う。 「所得税と住民税、変わるゾウ」

 鯛が聞く。 「どう変わるんダイ」

 これ、税源移譲に伴う国の啓発ポスター。青い象さん、赤の鯛さんのイラストあって…多色刷り。「…ゾウ」と言い、「…ダイ」と聞くフレーズが目に飛び込Img_0013_4み、思わず何っと、掲示板に近づく。この間、確定申告の会場にもあったが、このところ、町の告知板でよく見かける。

 1月から国の所得税が減り、その代わり、この6月から地方に納める住民税が増えるというお知らせ。地方分権の推進で、国から地方へ3兆円規模の財源を移す措置だが、払う方はどこに納めるかだけで、税金の額に変わりはない。

 また、象と鯛が言う。

象―「いや、ゾオッとさせました。ぞうもすみません」

鯛―「だいたい、そうかと思っておりましたデスタイ」

 

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2007年2月22日 (木)

すずしろサラダ

 須々代Img_0024_1?、何かなImg_0025と思う。春の七草の一つですずしろ、大根の古名である。須々代と言うと、どこか神代の響きがあって、厳か。大根と発音すると、女性の太い足、下手な役者に繋がっていく。漢字、言葉…言いようで、感じ方の不思議を思う。

春の七草、平安神宮の西神苑に植わっている。正月、七草粥で食べるあの七草。「せり なずな 御形 はこべら 仏の座 すずな すずしろ」である。その一つの須々代、この19日、庭園散策で、白い根が、葉っぱをいっぱいつけて黒い土から半分、出ているのを見た 。木枠の中にあって、大根なのによそよそしい。須々代のせいかな。

須々代と書くすずしろは、万葉調かもしれない。広辞苑で引くと、「蘿蔔」と出てくる。大根の意味は変わらないが、漢字は天眼鏡がいる。古名のすずしろ、何時から、今の大根に-と思う。たまには万葉の時代に遡って、すずしろ足、すずしろ役者…、なかなか品が増す。今度、居酒屋で「すずしろサラダ下さい」と言って、注文してみようかなあ。どうかな。

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2007年2月21日 (水)

本邦初の混凝土橋

Img_0047_3 Img_0054  歩いていると、日本で最初-によく出くわす。この間、山科疎水を日ノ岡まで行って、第3トンネルの手前で「本邦最初鉄筋混凝土橋記念碑」=写真=と、刻んである大きな石碑を見つけた。

コンクリートは漢字で「混凝土」?、なるほどと思い、石碑の後ろ回る。「明治36年7月竣工、工学博士・田辺朔郎之書」とあり、疎水をひいた田辺さんが架けた橋らしい。石碑の前の橋は、幅は2㍍、長さは10㍍のアーチ型=写真=。金網の柵があって、石碑なければ、何の変哲もない。それが、鉄筋コンクリートで日本初、国の史蹟だという。

鉄筋橋で日本初と言えば、明治10年ごろ竣工の四条大橋も確かそうだった。どっちがホントと調べると、四条は鉄筋だけ、山科疎水は鉄筋にコンクリート入りで初めてとわかった。四条大橋も明治の終わりに、市電併用橋になって、鉄筋コンクリート橋になったという。日本初もややこしい。コンクリートを混凝土と書く漢字、これも日本初。これまた、勉強なり。

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2007年2月20日 (火)

駄洒落・・ランラン

  月Img_0016_6一度の府立植物Img_0056園デジカメ散策、18日に行った。地下鉄北山駅から上がって、入り口で免許証見せる。適正年齢?で、フリーパス。旬の花を紹介する手書きの「きまぐれ園だより」持って、そろり、ぶらりと園内を行く。

 ビニールテントの中で早春の草花展。パンジー、菜の花、サクラソウ…、長さ40㍍のテント内は、「もうすぐ春ですヨオッ~♪}である。梅林は今が旬。紅梅、白梅、ピンクにロウバイ…60品種150本も。香り、馥郁たり。観覧温室の洋ランみて、植物園会館で一服して、どうした訳か、この日は駄洒落が次々に-である。

     あの花は何の花? 菜の花

     洋ラン温室、寄らんかな

     ロウバイ芳香に老婆も狼狽

     ふうの樹見上げて、フー

     梅林見ごろで、ええ塩梅?

 花より団子、花見て駄洒落…、どうかな。水準いってるかな。

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2007年2月19日 (月)

申告、触って5分

申告もImg_0009_2納税も「e-Tax」だという。昨日、確定申告へ行ってきた。係員指示どおり、タッチパネルに数字を打ち込む。還付か追徴か、ピッピッピッで、即答えが出た。難解作業がホントに簡単、e―でイイのかなあと思う。

 池坊Img_0014_7短大の申告センターへ出かけた。午後は1時からだが10分前には申告の人で溢れている。順番待っていると、係員が「パソコン出来る人!」と言う。手を挙げて、タッチパネルコーナーへ=写真=。若い人に交じると、シニアの優等生みたい。また椅子に座って、指導の係員とパネルが空くのを待つ。

 会場を見渡すと係員は、赤、青、黄色のジャンバー。赤は資産相談、青は個人所得、黄色は会場雑務が担当だという。日曜開設は相談・申告者多く、税務署から20人も動員だそうだ。会場のあちこちに家庭申告の「e-」誘いポスター=写真=。手間省けて、イイぞ、イイぞと。順番が来た。タッチパネル3分…。待った時間30分…。

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2007年2月18日 (日)

目覚めると質問

P060527_10 Img_0006_5  そうか、ライオンは竹内栖鳳が初めて描いたのか。昨日、立命館土曜講座に行って、京近美元学芸課長、島田康寛・立命館文学部教授の講演で知った。栖鳳が西洋画を学びに欧州旅行したおりに見たそうだ。スライドに映るライオンの絵は、雄雄しく、立派である=写真=。さすが東の大観、西の栖鳳と思う。

 講演のテーマは、京都における日本画の近代化。島田教授はスライドを映しながら淡々と話す=写真=。栖鳳のくだりは耳も目もしっかりも、次第に睡魔が襲う。「土田麦僊のこの絵、セザンヌの影響が濃いですねえ」「国画創作協会は…荒いスケッチ…」「写生より写意が…」「村上華岳、堂本印象…」…夢の中で話の断片が聞こえてくる。

 会場がパッと明るくなって、目が覚めた。聴衆は100人近く。司会が先生にご質問を-と言う。手が何本もあがる。▽どうして、西洋画を取り入れる必要あったのか▽国画創作協会はなぜ、早く消えたのか▽入江波光の展覧会はまだか▽日本画の美人画は正面が多いのはなぜか…、皆さん、熱心に聴いていたようだ。

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2007年2月17日 (土)

鳳凰で慶賀

首長Img_0020_4く、尾長く、羽は青、赤、緑…、伝説の鳥・鳳凰である。京博の京都御所障壁画展で、昨日見てきた。金箔の襖絵4面に一羽が舞い、一羽が桐の樹に立っている。鳳凰飛ぶ襖絵は会場の中央室に重々しく展示してあり、腕組んで「ホオッ」と観賞した。

Img_0021_5の襖絵は桐竹鳳凰図といい、狩野永岳が描いた。いつもは天皇が日常暮らしていた京都 御所・御常御殿の正面にある。鳳凰は、徳高い天子の兆しあるところに現れるという。宇治平等院、金閣寺の鳳凰もそれで…、と思う。鳳凰は1万円札の裏のデザインにも。1万円も、やはり、徳高いところに現れれる ?…。

展覧会は京都御所ブランドか、観賞者が多い。会期中、京都御所の御常御殿、御学問所の襖絵は取り外してあり、すき間風がスースーという。何しろ狩野派、土佐派、岸派、円山派…の絵師作品200面、初の一挙公開である。入場者は18日の会期までに15万人は確実とか。鳳凰の1万円札、主催者に舞い込み、慶賀、慶賀…である。

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2007年2月16日 (金)

梅見て一首???

Img_0027_1 Img_0035 「霞立つ 春来にけりと 此花を 見るにぞ 鳥の声も 待たるる」…、春がそこまで来ている。そんな情景が浮かんでくる。作者は平安時代の女流歌人、和泉式部である。此花を…とは、式部が愛でて、眺めた「軒端の梅」(のきばのうめ)をさす。

歌碑と梅の木は、新京極の誠心院=写真=にある。14日にふらりと入って、見てきた。背丈2㍍ほどの梅は、お堂北側に植わっていて、紅梅をつけている=写真=。もう1本の白梅も二輪、三輪…ひそやかに咲く。新京極の喧騒と、お寺の静寂…、楚々とした梅を眺め、そこで一首。「梅をみてうめくばかりなり…」???。

 和泉式部は恋多き女性だったという。そのあたりの事情は、あの和泉式部日記に詳しい。時の権力者・藤原道長には「浮かれる女」と言われたそうな。だからこそか、恋の歌は247首も。百人一首に、その一つ。「あらざらむ この世のほかの思い出に いまひとたびの あふこともかは」…、切なくて、うめえ。

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2007年2月15日 (木)

今日は京風で

Img_0036 Img_0040  何、たこせん?、えっ、つゆたこ?…、京風のたこ焼き?…。それって、ドンナンカナで、よく流行っている。

 このお店、「蛸益」(たこえき)さん。新京極蛸薬師北西角にある。昨日夕方、新京極を歩いていて、京風たこやきの看板=写真=見て、ビニール張りの露天ベンチ席に腰掛けて、たこ焼きオーダーしたが、客はたこせん、たこつゆ…。

<たこせん> たこが太いせんべいに挟んである。1枚150円。 <つゆたこ> 素揚げしたたこ焼きがカツオ汁に。お碗一杯、200円。 <京風たこ焼き> 外がカリカリ、中は牛乳と卵でトロリ。1舟8個350円=写真=。

 隣の芝生でないけど、隣の、たこせん、つゆたこ…美味そうである。周りのお客、高校生ばかり。追加注文? 心が揺れたが、たこ焼きは大ぶりで8個も。シニア客は1人。カロリー過多に加え、年齢過多…、ぐっとこらえた。今度来たら…と決めて、今日は京風でよしとする。これ、大人の分別? 値段もまあ、タコうない。

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2007年2月14日 (水)

漬け物石の討ち入り

Img_0014_5 Img_0020_3 昨日昼、散策途中で、山科の大石神社宝物殿に入った。誰もいない。「見せてもらいます」と、声をかけたが、返事はなく、黙ってお宝を拝見した。室内は薄暗く、静寂が不気味さを呼ぶ。一人拝観は、泥棒でもないのに何か落ち着かない。

お宝、どんな?。入り口付近に漬け物石の内蔵助討ち入り像=写真=がある。一族の進藤源四郎が内蔵助隠棲宅で使用していた漬け物石で作った、という。漬け物石製のお宝、これはこれは…である。像は、最初からか、形崩れか、丸くなっている。漬け物石に戻して、大石漬けにして土産販売…。いや、お宝、失礼。

部屋の上を見る。ああ、懐かしい。内蔵助俳優の、額入り写真が並ぶ。片岡知恵蔵、市川右太衛門…、オヨヨッと訛る大河内伝次郎=写真=も。東映太秦映画村が宝物殿開館で特別に奉納したという。お宝は軸、陶板、屏風…昭和10年創建時の寄贈品が多い。まあ、無料公開、納得かな。宝物殿、写真だけ撮(と)って、そっと出た。

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2007年2月13日 (火)

道真のテンパイ

 この絵=写真=、あの菅原道真が天の神になった瞬間だそうな。明治10年代ころ Image01、狩野派の浮世絵師・小林永濯(えいたく)が描いた。「道真天拝山祈祷の図」で、ボストン美術館が所蔵している。

 今、岡崎の京近美で開催中の「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」展で、里帰り展示されている。この10日、観てきた。日本画?かな、と思う一風変わった絵で、迫力が凄い。衣冠装束が乱れ、烏帽子は宙に飛んでいる。これぞ、北野天満宮の始まり-と思うと感慨深い。

 太宰府に流された道真が天拝山(てんぱいざん)に登って、無実を祈り続け、百日目に神に変わったという伝説の一瞬を描く。標高254㍍の天拝山は福岡県筑紫野市にあり、頂上には、祠もあって、まさに天を拝む山である。絵は、道真がやっと聴牌(テンパイ)して、ローン(神あがり)と叫んだ瞬間か。???。

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2007年2月12日 (月)

今もなお…山は紫

Img_0014_4 Img_0015_6  東山は紫色に…、鴨川は澄み、水清く…、である。鴨川にかかる丸太町橋あたり=写真=。江戸後期の儒学者・頼山陽が住み、書斎を山紫水明処と名づけた。歩きに出て時折り、橋の上から遥か北山を眺め、鴨川堤に降りて、正面の東山連邦を見る。

丸太町橋の西北側、中古書店の真ん前。「国定史蹟 頼山陽書斎 山紫水明処 此ノ北 右」と刻んだ道標がある。幕末志士の思想に大きな影響を与えた著書「日本外史」などを書いた頼山陽の書斎の場所を示している。旧跡保存会理事長で頼家5代目が管理している。

 

道標みて、どうしょうかと思ったが、この間、ぶらり訪ねた。書斎はその道標から50㍍ほど入った民家の一角にあり、見学希望は事前の往復はがき申し込み必要となっていた。格子戸の奥=写真=を覗き込んで、もう一度、丸太町に出て、鴨川側に回って、書斎庭方向から東山連邦を見た。大文字、比叡山…霞かかって薄紫色に、鴨川は水ぬるみ、きらり光る。今もなお、山紫水明処と思う。

 

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2007年2月11日 (日)

回る味は五分と五分

Img_0030_1 Img_0002_7  回る寿司を2軒、回った。山科西野の国道1号、500㍍の間で競う「くら寿司」と「あきんど」である。ともに大阪からの進出で、どれもこれも、消費税込みのひと皿105円なり。この8日と9日の昼、食べ比べでハシゴした。

 味? どっちかなあ。くら寿司さん。とろける穴子…名前に誘われ、手が皿に。柔らかく、甘~い。特注はタッチパネル。メニュー画面を触っておくと、ピーピー鳴って、ハイ、一丁上がり。あきんどは、魚の赤だしがいける。寒ぶりの具がたっぷり。うどんも美味く、食べ過ぎ注意なり。両店、五分と五分かな。

 

 焼豚ねぎまみれ、ハンバーグ、牛すき焼きふう軍艦…、メニュー見て、何と…である。江戸前寿司からすれば、そんなの、寿司じゃあねえ…かな。両店とも目下、全国へ店舗を広げている。くら寿司(本社・堺)が168店、売り上げ408億円に対し、あきんど(豊中)は、191店、510億円。あきんど一歩リードだが、いずれにしろ、知恵と工夫の寿司商売、おそるべしである。

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2007年2月10日 (土)

笑って泣いて

 寅さん!Img_0033_1さくら!―である。男はつらいよ、の「山田洋次の原風景」展=写真=が京都高島屋でやっていて、この8日に見てきた。映画監督45周年記念、時代とともに-の副題がつき、作品ポスター、寅さんの茶の間セット=写真=、山田監督が語るビデオ上映がある。

 山田監督は豊中出身、75歳。父親が満鉄勤めで、大連から引き揚げて、東大出て、この道入る。1961年のデビュー作「二階の他人」から故渥美清の寅さん48本含め、今上映中の武士の一分まで、全78本である。どの作品にも、移り変わり行く日本があり、美しい日本の風景がImg_0038_2あり、人情の機微とほのやかさがある。

 寅さんで可笑しみこらえ、黄色いハンカチでグッときて、たそがれ清兵衛で切なさ感じたこと思い出す。山田監督は言う 。見ているうちに他人事でなくなってしまう映画、登場人物と一緒に泣いたり笑ったりする映画…、ハリウッドではつくれないそんな日本の映画をこれからもつくりたいと、ビデオで語っている。

 

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2007年2月 9日 (金)

安らぎは波の間に間に

Img_0003_7 Img_0004_6  今日は今津か、長浜か~♪ で、この間、JR湖西線に乗り、今津へ行った。駅から徒歩3分の琵琶湖周航の歌資料館=写真=。何度か入って、勝手知った、奥のディスクコーナー。ヘッドホンを当てれば「われは湖の子 さす~らいの」…、波の間に間に漂う気分である。

 歌は、旧三高(京大)寮歌の一つ。大正6年6月というから90年前にボート部の小口太郎が三高伝統の琵琶湖周航に出て、2日目の今津の宿で、この詞をつくり、当時流行のひつじ草(吉田千秋作曲)のメロディーで合唱したのが始まりという。「旅しあれば しみじみと~ 昇る狭霧や~」…、口ずさむと、心がやすらぐ。

 曲のヒットは昭和46年の加藤登紀子。レコードは50種近く出ているが、資料館のディスクには36曲入っている=写真=。都はるみ、小林旭、舟木一夫…何と松方弘樹も歌っている。ペギー葉山が原曲に近く、加藤より10秒も長い。目を瞑って、「仏の御手に抱かれて~」、時を忘れて「行方定めぬ 波枕~」…、ボートを漕ぐが如くなり。

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2007年2月 8日 (木)

ウインドウの愛

 Img_0008_5   「愛してる?」―、いきなりで、ドキッとした。山科大丸東側、駐輪場前のショーウインドウである=写真=。良くみると、大丸経営のクリエーター専門学校で学ぶ生徒の作品展示だった。テーマは愛。6人の生徒が色んな素材を用いて、それそれの愛を表現している。

 展示作品の愛6つは以下のとおり。

     故郷 綿で裏山を作り郷愁の想いを出す。=写真=

     自然 命の誕生と進化の過程をスパイラルに。

     友人 アルバム写真で友人との楽しさを表す。

     家族 ネクタイ、エプロンなどで5枚の花弁を家族の仕立て、包み込む優しさを出す。

     恋人 赤と黒のラインが男女の心模様を示す。

     平和 使われなくなった戦車に鳩が舞い降りて、平和を思わす。

 愛、Img_0014_3ねえ。そう、愛かあ。この間、ウインドー前を、通りがかりに聞く蔵(ぞう)でなく、しばし見る蔵(ぞう)で、6つの愛を見つめた。忘却の愛、再びの愛、チョコレートの愛…。今更ながら愛、大事やなあと。愛…アイ、アイ。

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2007年2月 7日 (水)

カニさんの、リフレッシュ休暇

Img_0022_6 Img_010   カニさん、カニさん、どうしたの? 。寺町三条角、かに道楽京都本店の、あの大きな看板かにが姿を消した。ピチピチ、トレトレ~と毎日毎日、10本の大きな足を上へ下へ動かしていたのに、「ただ今 リフレッシュ中」=写真=だという。

 去年の暮れ、真っ赤な甲羅に「少々 過労気味により 只今 休憩中」と、布切れ張って、足止め宣言=写真=していたが、昨日見ると、かにさん不在で、布に描いたコピーカニが代役に。お店に聞くと、創業からずっと、静かに動いていたのに昨年11月、急に「ギイギイ、ガアガア」と、悲鳴をあげ出したので…という。

かに道楽の本家・大阪道頓堀は創業45年、京都は43年である。動くかにを看板に、ヨコへヨコへと、全国にネット店を広げ、今や年商199億円という。カニさんも毎日12時間も黙って動いて、働きづめだった。道頓堀のかにさん、阪神ファンの優勝騒ぎで足を折り、リニュアルしているが、京都店は初のリタイヤ。暫くは、ごゆっくり、どうぞ。

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2007年2月 6日 (火)

トントン、コンコン、サマサマ

Img_0005_7 Img_0003_6  ここ掘れ、南無阿弥陀仏!だったそうな。延徳元年(1489年)、今から518年前である。本願寺18世・蓮如さんが74歳のおり、御杖でトントンと、指し示されたら、そこから清水がコンコンと湧き出たという。それで、蓮如上人御指図の井戸=写真=、と言うそうだ。

トントン効果の井戸は、今は住宅街の中だが、昔は本願寺南殿にあって、蓮如さんの隠居所だった。山科の国道1号東野交差から北東へ700㍍辺り。蓮如さん御隠居500年記念でつくった立派な屋根がある。井戸は直径2㍍、金網で覆ってある。昨日、上から覗き込んだが、5㍍以上あって、底は暗くて見えない。

この辺り、音羽の里という。地元区誌によると、諸国行脚のお坊さんが水を欲しいと頼んだが、里の女性が嫌がらせした。それ以来、里の井戸水が枯れていた。それが蓮如さんが隠居して井戸水が出て、里に偏執な人もいなくなったという。蓮如さん、サマサマというわけである。ホンマかな?と思うが、これ伝説なり。

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2007年2月 5日 (月)

ああ、それは富士山

 富士Img_0003_5山は何時、Img_0019_4何処で見てもいい。雄大で、崇高で、凛々しい。昨日、京都伊勢丹美術館の「富士と桜展」へ行った。横山大観、奥村土牛、橋本関雪、小松均ら巨匠が描く富士山を観て、うっとり見惚れてきた。

展示は最初に富士 作品、続いて桜だが、また戻って富士を見た。展覧会ポスター=写真=になっている大観の作品は昭和8年制作。富士と雲が墨、太陽が小さく赤く…で、神秘的である。大観は生涯で富士を1500点も描き「富士山を描くことは、富士にうつる自分の心を描くことだ」と言っている。

白寿(100歳)まで生きた奥村土牛の「山中湖富士」は、夏の青い富士を描いていて、何とも清々しい。もう1点の「山なみ」=写真=は、真っ白い富士で、気高い。「富士山を見ると、幾つになっても心が洗われる」と言って、90歳になっても富士のスケッチを続けたという。大観、土牛の富士を観て、心を写す画を思う。

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2007年2月 4日 (日)

ありがたやアリガタヤ

Img_0029_2  有り難いの、なんの…である。昨日の節分、その名も満足稲荷神社=写真=に参拝して、お金をいただいた。御種銭(おたねせん)と言って、財布に入れて置くと、小遣いに不自由しないし、資本金に組み入れると、資本は倍増するのだそうだ。いや、アリガタイ。

 この満足稲荷さん、東山三条上ルにある。昔はは伏見桃山城にあって、秀吉の守護神だImg_001ったという。霊験あらたかで、何事も首尾よく運ぶので、秀吉が「満足じゃ満足じゃ」と言って、社名まで満足神社にした。元禄の時代、綱吉が今の場所に移したが、やはりご利益あって、ご近所近隣が栄えたという。

御種銭は福豆(400円福引付き)買ってもらった。オレンジの袋に「神明擁護 一粒万倍 商売繁盛 家内豊楽」とあって、中に半紙に包んだ5円玉が入っていた=写真=。お賽銭あげてナンボなのに、お金が増える5円玉もらうとは…、いまどき奇特な神さまでは、アル。誠に満足、アリガタヤ。

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2007年2月 3日 (土)

牛すじ屋さんの帽子

Img_0018_2 Img_0016_5 もう厭だいーというほどの屋台である。吉田神社の節分祭。参道の両側に並ぶ屋台、それはそれはで、千店近いという。その一つが、山形屋米沢牛のすじ味噌煮込み。あそこは美味い-と、聞いて、前夜祭の昨夕、探しに行った。

夫婦屋台で、奥さんは東一条から百㍍の北側=写真=、旦那さんはずっと上の参道で店を出していた。150グラム500円で、捻りコンニャクにネギ入り。屋台の奥さんが「滅茶ウマでしょう」と言う。シコシコして、コリコリして、何とも言えぬトロ味…。おっしゃるとおりである。西京味噌も、よく沁みている。

 いっぺんに1万円も買う客、屋台を追いかけて来る客までいるそうな。5年前まで帽子屋の旦那さんが、亀岡の自宅で味付けして、トラックに屋台積んで、全国各地の祭礼を回る。大阪人で、山形県出身でないが、米沢牛のすじ仕入れが出来て、転業したという。奥さんに話聞いて、上の店へ行って、ハッと思った。旦那さん、帽子屋さんの帽子かぶって、は~い、いらっしゃ~い。

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2007年2月 2日 (金)

3×5=15にプラス1

Img_0042 Img_0041_1 肌が艶々して、透き透るよう。コンロの炭火で網焼きする。ジュッと30秒、裏かえして、また30秒足らず…脂がじんわり沁み出てくる。生姜醤油をつけて、頭からほおばる。身も骨もとろけるよう。柔らかくて、甘~い。舌が「もっと、もっと」と言う。

琵琶湖産の本モロコ。この間、JR湖西線で今津の古い料理旅館・丁子屋へ行った。名物・鴨鍋の前座で出てきた。1尾10センチはあって、丸々している。旅館の庭先に雪の塊があった去年のより、うんと大きい。焼け加減見る店の女性が「暖冬のせいでしょうかねえ」と不思議そうに話す。

円テーブルに5人座って、モロコは16尾。5人×3尾=15尾ならわかるが、なぜかプラス1尾ある。案じたとおり、網に1尾残った。ジャンケンも大人げない。遠慮の固まりも-と思い、網のこちらで焼けていたので「近いので…」と頂戴した。箸持つ4人の視線、今も気になっている。これ、ホント。

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2007年2月 1日 (木)

名水を言っとく

 京都のImg_0019_3名水の一つに威徳水がある。水源は今、枯れているが、井戸跡があって、お地蔵さんを祀ってある=写真=。場所は中京区下立売通り西大路西入ル50㍍あたり。椿の大木の根元から湧いていたので椿の水とも言われたという。

 この間、山城高校同窓会の会議へ行く道中、見つけた。駒札、碑、由来書などあって、色々なことが書いてある。・北野神社の神官の居があった・長谷寺があった・井戸は空海が掘った・秀吉が北野大茶会につかった・威徳の名は菅原道真の「天満大自在威徳天神」に由来する…などなど。威徳名水のこと、一度、言っとく…のようである。

 名水はいつ枯れたのか。井戸跡の少し西には北野神社の御旅所があって、古くからの商店街が続く。今住む人に聞くと、近くに威徳湯という銭湯もあったが、今はそこもマンションが建つという。斜め向かいは阪神の元監督・吉田義男の生家で、炭屋さんだったとも。名水余聞は出ても、名水は出ず、迷水のままである。

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