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2007年1月

2007年1月31日 (水)

モットーはもっとも

Img_0016_4 Img_0023_1 どんな店かと、この間、フラリと入った。店の名は大衆食堂半田屋。JR二条駅の西側の商業ビル「Bivi」1階である。午後3時ごろで、お腹減っておらず、126円のソフトクリームで、客がまばらな店内をジロリ偵察した。

 レジで本社は?と聞くと、仙台だという。どうりで「生まれた時から丼めし」という子どもの顔より大きい丼めしポスターは、宮城産米のひとめぼれ。おふくろの味、セルフの定食屋、安くて美味い-がモットーらしい。カウンターとテーブル合わせて80席。備え付けの電子レンジで自らチンして、トーレの上げ膳も下げ膳も客の仕事のようだ。

 ごはん74円、豚汁84円、チキンカツ168円…、ライスカレー210円、天ぷらうどん189円、穴子天丼315円…、確かに値段はモットーどおりに安い。もっと安く、とは言いにくい。仙台の駅前横丁で創業して80年、いま15都道府県44店舗でFC展開、京都は初という。味のモットー、もっともか、次に偵察したい。

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2007年1月30日 (火)

本心知って300年

Img_0010_4  細い枝先に蕾が幾つもついている。山科・岩屋寺にある樹齢300年を超す梅の老木である。苔が樹皮にへばりついて、幹の中は朽ちて、洞穴になっている。骨と皮なのに今年も、一輪二輪と咲いて、あたたかさを呼んでくれそうである。

 この老木、忠臣蔵の大石内蔵助が山科で隠棲しているおり、念持仏があった岩屋寺に植えたという。今も生きて、内蔵助の本心を知る梅である。本懐遂げた内蔵助が「水にうつる花や もくずにうきかえて 散りしをうらむ 庭の梅ケ枝」と、幽閉中の江戸の細川邸で詠んだ辞世の句が木札にかかって、元禄の昔を今に甦らす。

 昨日、小春日和に誘われて行った。顔見知りの案内のおばさんに話を聞くと、毎年、樹液を注入して、幹回りを補強して…という。紅梅でも白梅でもなく、薄いピンク色だそうだ。今年もいつもと同じで、2月中旬に咲くだろうと話す。遥か3世紀も昔、内蔵助お手植えの歴史上の老樹かと-思うと、驚きで、目までクラクラする。

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2007年1月29日 (月)

メザシで目指す

Img_0008_4 Img_0011_13 元経団連会長土光敏夫さん、岡山の人である。「社会は豊かに 個人は質素に」を信条にメザシ食べて、昭和63年、91歳まで生きて国の財政再建を目指した。日に新た日々に新た、と読む中国古典の「日新日日新」が座右の銘である。

 27日昼、岡山駅降りて、後楽園の近くの土光敏夫記念苑へ行った。広さ千㎡の公園で、隣の県立美術館が管理する。真ん中に花崗岩台座の顕彰碑。土光さん筆跡の「日新日日新」の書と、眼鏡かけた柔和な顔の銅版レリーフ=写真=がはめ込んである。

 国の行革・臨調会長を引き受けたのが85歳の時である。無駄を省く-を貫き、正すべきは正す-で巨大省庁へ切り込んだ。桃太郎大通りの観光センターで映像ビデオ見た。生活ぶりは、誠に質素なり。家庭では穴の開いた帽子、食卓は大根葉とメザシ、書斎は静かに読書三昧。我が日々は?我が食卓は?振り返り、メザシ目指して、瞬間、心新たに…。

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2007年1月28日 (日)

ヒレかつでタラ、レバ

Img_0047_2  何? この人の列、と思う=写真=。今夕、遠征帰りのJR岡山駅ビル2階の食堂街。讃岐うどん、吾妻寿司、とんかつ新宿さぼてんなど有名店に伍して、一番人気は何と、京都から進出のラーメン屋さん。店の名は宝屋で、味が人を呼ぶのか、えらい人気である。

 この宝屋さん、「汁は最後の一滴まで」が売りである。極上コクうま醤油豚骨スープで、作り方は秘中の秘とか。京都駅ビル10階の拉麺小路でも京都代表で入店しており、札幌、博多、尾道の有名ラーメン店を確実に凌いでいる。一度すすったが、そうコテコテせず、昔風というのが受けるのだろうか。

 その人気ぶりに驚いたが、入店はお隣のトンカツ屋さん。ヒレかつ頼み、ゴマすりで黒ごま擦りつつ、今日の起伏激しい難コース・赤坂CC思い出す。前半のイン49、後半アウト7番ミドルのバーディー。ああ、それなのに…あの0B二つ。タラ、レバ、タラ、レバで、ヒレかつのタレまで器から外した。またOB…。

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2007年1月27日 (土)

お社の方向転換

Img_0011_12  節分といえば、恵方向いて、沈黙の巻寿司丸かぶり。今年の良い方角は、陰陽道でいう亥子、北北西である。監督ヒチコック、主演ケーリー・グラントの「北北西に進路をとれ」を思う。眼をむいて、黙って、口をモグモグ…、これぞ、サスペンスか。

 昨日、御池の神泉苑の中にある恵方社=写真=へ行った。その年の恵方へ向かって参拝できるお社で、日本で唯一という。1㍍四方の祠の、日本一小さいお社である。円くて大きい石の基壇に乗っていて、北北西に向いている。

神泉苑は東寺真言宗で、恵方社の向きは大晦日の晩、住職が念仏唱えて、信者さんら5、6人で力を合わせ、ヨイショと回転さすそうだ。念力でなく人力か-と思いつつ、北北西へ一礼二拍である。28日は岡山へ棒振り遠征、おおむね北北西の方向。百切り願って、お賽銭出して、護摩木に「百切り」と書く。ご利益?、10円と100円、少ないかな。

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2007年1月26日 (金)

モウ一度のコロッケ

Img_0013_3  包み紙を持って、かぶりつく。カリッ、サクッ、ホグホグ…美味~い。揚げ立ての、近江牛コロッケなり。肉の旨味がジャガイモに良くしみ込んでいる。ヒトかぶり、フタかぶり…、ソースは不要である。

 コロッケは名神下り線の大津SAに。200円、大ぶり。自販機で券を買って注文する。待つこと3分、ジュジュッと揚げてくれる。売店に「近江牛コロッケ」のノボリが立つ。販売は去年からで、近江牛ブランドが評判になっているという。

コロッケはアツアツがいいし、一個だけの立ち食いがいい。肉ミンチは近江牛、ジャガイモは北海道の男爵、玉ねぎは淡路島産かな。パン粉はカリカリした奴だろう。昨日はベアーズバウの6番110yd池越えショートで、バーディー。帰りの名神大津SAで一服して、モウ一度、あの感激、思い出してコロッケ。モウ言うことなし美味~い。

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2007年1月25日 (木)

うちなあのウチナー

 店の名は「海と空」という。四条小橋東南のビル3階で、昨日行った。カウンターの左端に座り、オリオンビールとゴーヤチャンプルを頼んだ。ハイサイ(こんにちは)めんそーれ!(いらっしゃ~い)の沖縄料理店である。

 オリImg_0015_5オンは沖縄の地ビール、あっさりして、すっと飲みやすい。ゴーヤチャンプルのゴーヤは、宮古島から直送で、この店の自慢という。スパムという缶詰のポーク、それに豆腐と卵で炒めてある。苦味がやさしく、ほのやかなである。

 

店内はみんなウチナー、ウチナー(沖縄)…。島唄が流れ、泡盛が並ぶ。壁に海ぶどう、島らっきょ、豚足、ソーキそば…紙切れメニュー。暖簾はハイビスカス、置物はシーサー。賄い兼務の女将さんが「ウチナあ、宮古島から京都来て9年で…、主人が海が好きで、それで店の名前は海を先にして海と空で …」と、喋りかけたところグルクン唐揚げの注文はいり、店はウチナー好きの客で混み出した。

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2007年1月24日 (水)

す・こ・や・か・だ効果

Img_0005_6  伝道掲示というそうナ。お寺の門塀にかかっている、仏門のお言葉(法話)である。昨日は歩いていて、山科の外環状三条下ル、浄土宗西念寺の硝子ケース入り伝道掲示板で、今風のダイエット法話に出会った=写真=

新年1月の掲示なのだろう。朱筆で「すこやかだ」とある。一筆ごとに

 「す」…酢(梅干し)

「こ」…米

「や」…野菜

「か」…かつお節

「だ」…大豆

と、カルタ調でわかりやすい。結びは「長生きは五食にあり」とある。

飽食の戒め、粗食も粗食。この五食、決して誤食ではない。最澄さんも空海さんも、法然さんも親鸞さんも…仏門の宗祖は揃って、五食長命である。痩せる納豆の素、大豆もちゃんと入り、分析データなくてもダイエット効果もありそうだ。それで五食の勧め、それで長生き…うーん、辛カア。

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2007年1月23日 (火)

○△□???

Img_002 Img_0019_2  さすが禅寺である。木札に「○△□乃庭」と書かれた庭=写真=がある。思わず腕を組む。??? 暫く眺め、自問自答してみたが、下手の考え休みに似たりで、お寺に聞いた。江戸時代の禅僧・仙崖和尚が描いた「○△□の絵(書)」(出光美術館所蔵)=写真=に由来しているという。

 この妙で変な庭、昨日行った創建800年の臨済宗大本山建仁寺にある。本坊で500円の拝観代払って、入ってすぐ。広さは縦10㍍、横20㍍くらい。○は椿の木の根元を苔で丸く、△は白砂を三角っぽく盛り上げて、□は古井戸の四角だという。答え聞いて、もう一度、四方八方から庭眺め、なるほど、○△□…。

 帰りがけ閉門準備の若いお坊さんに合掌して、問いかけた。何で○△□ですか?と。「ハイ、禅の教えでして、無駄を省く意味です。シンプル・イズ・ベストですね。ハイ」と。前にはなかったですね?。「ハイ、今の管長が2年ほど前に庭師さん入れて古い庭を○△□にしました。ハイ」。世の中、確かに複雑過ぎる…、いや、なるほど…であった。

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2007年1月22日 (月)

描いて描いて…97歳

 Img_0005_5 風が強いのだろう。標高千㍍の山で、フードをかぶって、100号のキャンバスに向かい、箱根の駒が岳を描いている=写真=。洋画家中川一政である。87歳の時に「身体全体でもって、自分の体力に応じた仕事をしていきたいと思ってね」と、喋っている。恐るべき87歳!。

 京都文博のNHK日曜美術館30年展、この間、見てきた。画も書も随筆も…で、97歳まで生きた中川一政画伯の放送は、昭和55年である。作家の尾崎一雄が神奈川県真鶴の、生きる達人と言われた中川邸を訪ねて、油絵へ関わり、真鶴のこと、長寿のことを聞いている。

 「戦争直後、真鶴へ来てね。ここの福浦港の景色、毎日描いて20年くらい、苦労した絵が風で海の中に飛んじゃって…、一番勉強した頃かな」と本人が話している。真鶴はゴッホばりの薔薇、向日葵、風景画の桜島、長崎風景、駒ケ岳など97歳まで描き続けた長寿画伯の原点だったようである。鶴は千年の…真鶴だったかな。

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2007年1月21日 (日)

舌がついつい

 Img_0032 昨日の昼下がり、二条城の南を歩いていて、「どろぼう」の張り紙を見た。表に緋毛氈の床机がある。昔なつ菓子・格子家=写真=という京町家の駄菓子家さんだった。暖簾くぐると、カルメラ焼き、貝ニッキ…、屋号通りの、昔懐かしいお菓子が所狭しである。

 Img_0043_1 今日はーと叫ぶ。二度三度四度、返事がない。ホンマに泥棒OKなのかと思ったら、奥の奥に年配の女将さんがいた。泥棒でなく、客と知ってもらって、400円の「どろぼう」=写真=を買い、話を聞いた。大正元年の創業で、3代目の息子さんが町家を生かして店舗販売もはじめ、雑誌やTVによく出るようになった…と。

 店の名物「どろぼう」は、油揚げしたおこしを沖縄・小浜島の黒砂糖に漬け込んである。妙な名前は、泥棒してでも食べたくなるからだ、という。黒光りして、かたそうだが、口に入れると、柔らかく、モチっとして、黒砂糖の甘~い風味が広がる。舌先が味を覚えて、一つまた一つと、手が伸びる。どろぼうは癖に-というが、確かに、ついつい…である。

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2007年1月20日 (土)

史蹟は湖泳いで、馬繋いで

 

 天正10Img_0016_3年というから、今から425年も前である。三日天下の光秀の娘婿で、福知山城主だった明智左馬助光春(秀満)が、琵琶湖を馬に乗って渡ったというウソのような話がある。打出浜から湖に入り、3㌔先の柳ケ崎で上がって、馬を松に繋いだそうだ。これを、左馬助の「湖水渡り」といい、「駒止めの松」という。

 本能寺の変で信長を攻め抜いた左馬助はImg_0011_11 、近江も制圧して安土城にいた。光秀が山崎で討たれたと聞いて、急いで明智一族の坂本城へ戻るおりの出来事という。いま、打出浜の琵琶湖文化館に石碑があり、柳ケ崎の湖畔公園駐車場には松と石碑=写真=があって、明治の画家・小林清親さんの描いた湖水渡りの立て札絵=写真=もある。

 柳ケ崎のび わ湖大津館(旧琵琶湖ホテル)まで18日昼に歩いて、語り継がれた松に出会い、小林画伯のまるで見たような絵も見た。馬が湖水から顔を上げ、甲冑つけた侍を乗せて泳いでいる。馬が繋がれという松は、植え替えなのか、背丈が3㍍足らず。ウソかホンマか、時代は様変わっても、大津の史蹟、左馬助サマサマなり…。

 

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2007年1月19日 (金)

長~いおつきあい

Img_0006_3  鞍馬寺に長~い表札がある。山門(仁王門)を正面から見て右に架かっている。長さは10㍍あって「鞍馬弘教総本山鞍馬寺」と書かれている。柔らかで、丸みある書体である。下から見上げて、首まで長~くなる。

書家の田中心外さん=写真=の筆である。表札は鞍馬山のヒノキ材で、幅50㌢、厚さ20㌢、節は一つもない。10の漢字が上から下へピタリと決まっている。定規ではかったかの如く、狂いがない。見事である。初代表札は田中さんの師で、故安井吾心の筆だったが、風化して、5年前に表札ごと架け替えた。

田中さんは10年ほど前から仏リヨンで、書の文化を広めている。心という漢字は心臓をハートのように現し、炎は燃えるが如く書く。瞑想の、新しい漢字文化である。ずっと前々からいた鞍馬の修養道場には、今も冬と夏に必ず戻って来る。この16日に鞍馬寺貫主・信楽香仁さんに会ったのも、田中さんの導きだった。長~い、お付き合いのようである。

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2007年1月18日 (木)

ハハン~、いい眺め

Img_0044_1  くらま温泉の露天風呂に入った。峰麓(ほうろく)湯という。お湯は無色で、透きとおっている。天然硫黄温泉。ヒノキ材の湯舟はゆったり、大きい。手ぬぐい頭に乗せ、真ん前の鞍馬山の杉林を眺める。いい湯だな、ハハン~である。

 この間、鞍馬寺で貫主さんに会った帰りに行った。山門から鞍馬街道を北へ250㍍、狭くて深い鞍馬川の橋を渡って、名前の通り、温泉は峰の麓にある。入浴券千百円、タオル200円。番台通って、階段上がり、暖簾をくぐれば、もうハハンの世界なり。

 桜、カエデ、冬なれば雪景色…。マル裸の四季折々、これぞ、恍惚かな、と思う。初入湯は3年前の春先。フランスの若い二人と一緒だった。垣根越しに桜が咲いていた。湯舟から出た二人が、眺め続ける。タオルで覆う習慣がないのだろう。堂々として、ぶらり。湯舟につかり、下から視線をどこにと、戸惑ったのを思い出す。いい眺め? ハハン。

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2007年1月17日 (水)

自然も人も宇宙エネルギーの中

Img_0022_5  大正13年生まれ、82歳の貫主さんに会った。鞍馬弘教総本山鞍馬寺の信楽香仁さんである。16日、鞍馬のお山に登って、話を聞いた。

 お山は標高400㍍で、金堂の前に雪があった。初寅に降った雪だそうだ。白髪が美しい香仁さんは、鞍馬は今頃からが身体がしまって、気持ちがいい頃という。元気の秘訣を聞くと、夢があるからですと。今年は鞍馬の山全体を自然科学博物苑にしたいという。花や鳥や、きのこや虫と出会ってもらって、自然を感じて、命が生かされていることを知って欲しいと話す。

鞍馬寺は観光寺院でもなく、檀家もない。宇宙=天を崇拝する思想で、60年前に天台宗から離れた。お山の経営維持は信者さんの支え、奉仕があってという。全長2百㍍の日本一短いケーブルが今年で50年になったこと、戦争はしたらあかんこと、下界に下りるのは嫌なこと、自然も人もご本尊の天尊(宇宙エネルギー)に生かされていること等など、話は目まぐるしく展開、1時間があっと言う間だった。(写真はお嫌い、と聞いていたが、同席の息子さんに撮してもらった)

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2007年1月16日 (火)

読んで見る橋

 今、昭和53年出版の「京の路地裏」を読んでいる。夜の河などで有名な、映画監督吉村公三郎Img_0001_9さん著作。京都の昔を綴る本人の思い出エッセーで、この間、山科の古本屋でパラパラめくって 、即買った。

 四条の橋が日本初の鉄の橋だったとは、知らなかった。木の橋が鴨川氾濫で何度も壊れるので、祇園新地(甲部)が工費出して、伏見の鉄工所へ注文して、今から133年前の明治7年に付け替えたという。それで、欄干に祇園甲Img_0005_3部の団子マークがあり、渡るのに資金回収名目で、橋銭がいった、という。

 市電が通り、車が増え、橋は変遷するが、当時の鉄の橋の銅版彫刻が、京阪電車四条駅近くにある御影石にはめ込んである。京阪電車が地下にもぐったおり記念に出来た碑で、与謝野寛、晶子夫妻の歌と裏表。鉄橋は長さ98㍍、幅7㍍、工費16万8千3百円だったと あり、別名くろがね橋と言ったなどの記述がある。「読んで、見る」-味わい深い勉強なり。

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2007年1月15日 (月)

今か今かで、ガンバレ!

Img_0050_2 昨日の全国女子駅伝、地下鉄で追いかけた。毛糸帽被って、スニーカー履いて、往きの3区、折り返しの5区、アンカーの9区を見た。駅のコンコースを走り、階段昇って降りて、沿道観戦はハラハラもし、ハアハアもし…だった。

 今か今かの、烏丸丸太町交差点。パトカー、TV中継車が来て、ゼッケン28番が来た。予想通りの兵庫。うんと差がついている。やっぱり独走や。国際会館の折り返し。あれっ、岡山、宮崎と来て、兵庫がおかしい。出遅れの26番、京都が追い上げて来た。さすが地元、凄い。

烏丸鞍馬口からアンカー決戦。「京都、トップや」-沿道が湧く。岡山、兵庫と続いて、宮崎、埼玉、群馬も…ガンバレッ。24番の岐阜、あっ、選手がいない。いた、いた。良かった。ガンバレッ。最後の最後の、タスキ渡し。先頭から10分、15分…、待って待って、来た、来た。47番の沖縄。ガンバレッ!チバレッ! 。都大路は冬枯れて、声かれて-。

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2007年1月14日 (日)

1円硬貨の効果

Img_0004_5  扇の要にImg_0005_2位置して、要石(かなめいし)という。そこに立つと、扇を開いたように京都の街が見える。京都タワー、東と西の本願寺…、いや、ホント、いい眺め。都会の喧騒が遠い東山・清閑寺にある庭の石、それが要石である。

 石垣に囲まれ、神々しく榊もさしてある。高さ60㌢、長さ1・5㍍近い大きな石で、ゴツゴツして尖がっている。賽銭箱もあって、願い事も叶うという。立て札に一首。「願いあらばあゆみをはこべ清閑寺庭に誓いの要石あり」と。まさに眺望も願望も-、である。

 この12日に行った。扇の景色を見て、心安らげ、棒振りの100切りもお願いした。硬貨が500円と1円しかなく、ちょっと気になったが、1円硬貨1枚で頭下げた。昨日の上賀茂コースは1ラウンド半。60、60、51…、嗚呼、あの時…。1円の効果てき面なり。世の中、なかなか一石二鳥とは…。

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2007年1月13日 (土)

食べられるお菓子???

 おかしなImg_0022_3話だが、これ、お菓子-と言われないと、わからない。そんな、お菓子を工芸菓子、飾り菓子という。洋菓子のバイカルさんが時代祭り=写真=をイメージしてつくったお菓子が、それである。岡崎の京都市観光情報センターに展示してある。

 ピーヒャラ~の維新勤皇隊、牛曳く御所車、打ちかけの女官列…平安神宮の朱の大鳥居をくぐって行く。大きな硝子のケースに入っている。粉砂糖、卵白、色素など使い、熟練の菓子職人3、4人が2ヶ月かけてつくったそうだ。去年秋の平安神宮献菓祭に出品して、話題を呼んだらしい。

 作品はみんな食べられる、という。そうは言っても、…である。賞味期限で、あのペコちゃんは、いま撤退中だが、この菓子に表示はない。食べて見たら…と思わないでもないが、職人さんが可愛そうだし、作品が消えてしまう。本来、お菓子は味わってナンボ…と思うが、見るだけとは、はやり、オカシなお菓子の話である。

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2007年1月12日 (金)

夕餉のしたく、今は遠く

Img_0010_2 じっと見る。もう一度見る。目が生きて、今にも動きそうだ。与勇輝(あたえ・ゆうき)さん制作の人形である。勇気を与える-、ありがたいお名前で、それ、本名という。いま、高島屋京都店で展覧会やっている。

ポスターの人形=写真=が会場入って、最初の展示だった。桶を持って、木綿のべんべの着物で、健気に働く女の子。夕餉の仕度だそうだ。目が一生懸命である。桶の水こぼさないよ―、と言っているみたいだ。ギュッと桶をつかむ右手、踏ん張る草履の両足…見ていて飽きない。

川崎市生まれの与さん、69歳。マネキン会社20年余り勤め、木綿の素朴さ、温かさに惹かれ、この世界に。もう500体近くつくり、木綿の彫刻家、人形に命を吹き込む作家と言われる。会場で見たどの人形にも純真さ、無邪気さがあって、昭和の、あの頃の、原風景が宿っている。日本人の心のふるさと呼び起こす人形、千金なり。

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2007年1月11日 (木)

おやじは麿の味

Img_012 Img_0014_2 精霊流しの、歌手さだまさしがぞっこん、である。お相手は、焼きそば専門店「おやじ」で、京都へ来る度に昼も夜も通うという。店は東山の大黒町通松原下ル、松原警察署(今、東山署)から西へ50㍍あたり。「おやじ」という店名だが、おばちゃんが3代目で、父を引き継ぎ、もう50年という。

 昨夜、8人で満席になる鉄板前カウンターに座った。そば1玉、キャベツ、豚肉、イカ…入れる具を紙に書き込み、甘口と言って渡す。そば玉をほぐし、具をまぜるおばちゃんの持つ大小二つのヘラさばきが一つの芸になっている。味は? 麿の如く、まろやか。ソースがしっぽり、そばに溶けて甘~い。もう、マロマロ、メロメロや。

 営業は昼と夜各2時間、大体、満員で暖簾外待機が多い。仏具販売の旦那が前回り手伝う。ソースは辛口、激辛、カレー味と独自調法、これ美味さの秘伝か。そば玉1個500円、具は豚、牛、桜海老、天カス…色々と。昨夜は900円コース。さだまさし来る?と聞いたら「しょっちゅうです」と。いや、ごちそうサマ。

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2007年1月10日 (水)

手を洗って…勝つ

 <AグルImg_0005_1ープ> 兵庫、岡山、京都  

 <Bグループ> 群馬、神奈川、宮崎  

 <Cグループ> 埼玉、愛知、長崎  

 <Dグループ> 和歌山、高知

 以上は14日、都大路を走る全国都道府県対抗女子駅伝の順位の占いである。昨日の記者会見=写真=で、京都陸協広報部が予想した。Aグループでは、兵庫が一番だそうだ。社会人、高校、中学生とバランスがとれているという。その次が岡山で、前回勝った京都は社会人が抜けて、コマ不足と指摘する。Dグループ以上は10位内のチームだという。

この大胆予測、徹底したデータ分析に基づく。過去のレースの流れ、47チーム611選手の持ちタイムを区間ごとに縦に横に、斜めにも切って、説得力がある。確かにデータ上は兵庫が優勝しそうだが、予想は予想、さて、さて…である。どのチームもお腹にノロ来て、ノロノロが怖い。手を洗い、手を尽くしての、真っ向勝負で走って欲しい。ふるさと代表、みんな、ガンバレッ!。

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2007年1月 9日 (火)

仰ぎ見て、自然崇拝

ご存知、Img_0013_2金次郎さんの上半身像である=写真=。薪背負わず、座って「大學」の書を読んでいる。目元涼しく、口元きりりである。今なら高校2年生、16歳の時の像という。岡崎の府立図書館入り口にあって、この間、仔細に見てきた。

世のお手本、金次郎さんの上半身像はそうはない。京都書籍雑誌商組合が昭和15年11月、紀元2600年奉祝記念で建てた。建設費、当時のお金で3500円という。像は2㍍の大理石台座の上なので、仰ぎ見てしまう。これぞ自然崇拝である。

制作はロダンに師事した文展審査員・小倉右一郎と文展入選・上田貴九丸の合作である。経歴は書家高橋義則が大理石碑文に調和体文字で以下のように書く。

先生 年十六にして 孤なり 家もなく 田畑もなし 仙了堤なる 不毛の廃地を拓き 油菜を植ゑて その稔るを待ち これを市にひさきて 燈油に代え                  終夜 習字 読書して 鶏鳴に及ぶを 常にせりといふ

金次郎さんは小田原生まれで、江戸後期の人。武士になって二宮尊徳に。農業復興に功績ある農政家で、思想家でもあり。70歳まで損得抜きで生きた。いつの世も立派は立派…。

 

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2007年1月 8日 (月)

いやもう、品種品種

Img_0026 ツバキ咲く~♪ 春なのに~♪ ではない。まだ寒の内、冬最中なのにツバキは咲く。雪が舞った昨日の植物園である。白、ピンク、赤のツバキが雪を背負って、寄り添うに…。春なら鼻歌だが、昨日は鼻水すすって、見た。

 ツバキ園は植物園北門側にある。4千平方と広く、万葉の時代からの古典品種含め250種400本もある。雪の中で、咲いていたのは、白い雪中花=写真=、ピンクの桃色雪中花、赤い八重の菊冬至。雪の中?、ぴったりすぎて洒落にならない。

 日本の風土に合うツバキは、室町から江戸にかけて、品種改良が盛んで、2千種はあるそうな。春を待つ品種、園内を回った。侘助、有樂…、これは茶花なので知っている。呉服、飛竜、伊予福娘、昭和の光となると…、さらに、光源氏、日光、月光、囲碁、韋駄天…品種名まだまだあって、もう、ヒンシュクである。花言葉は慎み深い。どこが?かな。

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2007年1月 7日 (日)

上がって下がって…この1点

Img_0012_2  昨日昼、京都市美の第38回日展を見て来た。日本画、洋画、彫刻、工芸、書の5科で、作品は計600点余り。展示は1、2階で20室近く。足ばやに、上がって下って、また上がって…、流し目で1時間半の観賞であった。

 洋画の1点、足が止まった。題は「朝茶」=写真=。湯飲み持つ皺々の太い腕、緩みきった顔、達磨ストーブの鉄びんがジンジン…おばあちゃん、誰と喋っているのかなあ。掘っ立て小屋のようである。田舎の味、ほのぼのとしている。

 作品は日展会員賞で、新潟県見附市の池山阿有さんが描いた。特選2回で、今は日展会員。60歳、人口4万3千人の町に住む。一貫して風土性にある人物像を描き続けている。描く眼がそうなのか、優しさが伝わってくる。安らぎ感じる一枚だった。

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2007年1月 6日 (土)

花ありて、刻み半世紀

Img_0028_2  神戸の花時計の図柄は今、イノシシ=写真=である。花は赤紫と白の葉牡丹。直径6㍍の花壇キャンパスに2400本も咲く。4日、三ノ宮から神戸市役所の北側まで歩いて見てきた。デジカメ撮影の時刻は3時20分。針が動いて、動かぬ証拠…である。

 神戸のシンボルの一つで、日本で最初という。昭和32年、スイスの花時計をヒントにして始まり、今年は50年目である。四季折々、年間8回以上は、図柄の模様を替えて、時を刻んで半世紀―というから、今更ながら「継続は花の力」と思う。

 あの11年前の震災のおりも2ヶ月後に「ちょうちょう」図柄で復活した。去年は神戸空港開港、兵庫国体開催のマスコットも図柄に。葉牡丹、パンジー、マリーゴールド、ベゴニア…と花の絵の具が神戸の歴史を刻む。神戸に、花高々の鼻時計あり。ハナ、ハテナ?。

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2007年1月 5日 (金)

こっちへ、コウコウと言うのに

Img_0014_1 Img_0012_1  名前は雄が興興(コウコウ)=写真右=で、雌は旦旦(タンタン)=左=という。中国四川省生まれ、11歳の、熟年・同期のパンダである。神戸王子動物園で8年目の正月を迎えたが、まだ愛の芽生えがない。昨日、叔母宅へ行って、帰りに興興旦旦の近況を園で聞いた。

 Q 今、見てきました。2頭とも眠っていましたが、寝正月ですか。

 A 寝てばかりって、よく言われるんです。寒い時は起きていることも多く、去年は雪が多く、喜んでいたんですが、今年は暖冬のせいでしょうか。

 Q 仲はどうですか。中国から10年間の期間限定入園ですね。赤ちゃん誕生は…。

 A 帰国まであと3年間です。気配がありません。相性がどうも…。お尻を押すわけにも行きませんしねえ。

 Q パンダ館、豪華ですねえ。個室で、至れり尽くせりでは。

 A 庭付き、プール付きです。3億円ですよ。飼育、繁殖の研究兼ねてますが。

 Q 居心地よくて、3年経っても中国へ帰りたくない、と言うのでは。

 A そうでしょうかねえ…。それより、このまま、子供出来なくて、興興旦旦の将来はどうなりますかねえ。

 どうやら興興がこっちへコウコウと招いても旦旦は我が道、タンタンのようである。

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2007年1月 4日 (木)

石にあたってワンワン

Img_0015_4  犬も歩けば棒に…だが、歩いて石にあたった。清水寺にある、昔むかしの基準点標石である。花崗岩の四角柱で、一辺が25㌢、高さ30㌢。明治初期に当時の地理寮(国土地理院)が京都市街地図をつくるのに置いたという歴史的な石である。

大晦日のもう夕方だった。五条坂から坂道をフーフー上がって、正面にある重文・仁王門の左下で見つけた。説明板に・英国の技術を導入して測量した・標石の上端に刻まれている対角線の中心が基準点・近代測量技術を知る貴重な資料-などとあった。

屈み込んで石柱を見た。側面に地理寮、側点、明治8年…の彫文字が浮かぶ。この石、前々は頭部分がちょっことだけ出ていて、「仁王門のへその石」と呼ばれていたそうだが、平成12年に門の修理で掘り起こして、初めて測量石という素性がわかったという。発見は、ここ掘れワンワンだった。ワン!。

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2007年1月 3日 (水)

神さま仏さまもグッズグッズ

Img_0065  元日、2日と、歩いて社寺を回った。毘沙門堂、平安神宮、六波羅蜜寺、安井金毘羅、八坂神社、栗田神社…、2日間で10ヶ所以上行った。ジーパンと運動靴参拝であっても、両手を合わせ、拍手打ち、頭垂れ、一年思うと、心が安らぐ。

 参拝終わり、お守り売店へ行く。お守りグッズの多いこと、多いこと。絵馬、お守り袋、念珠、福笹、初穂、ステッカー、お札…、まさに多種多様なグッズ商品である。神さま仏さまも、経済の時代。うかうか、グッズグッズしていられないのだろう。

 お守りのネーミング。ぼけ封じ(毘沙門堂)身体健勝(平安神宮)美=うつくし=守り(八坂神社)に、何と、降るほど儲かる、もうかり守り(安井金毘羅)というのも。ありがたさ通り越して、神さま、ステキ~である。値段も、八坂神社のご神矢は大中小とあり、3千円、2千円、千円コース。何処だったか、交通安全札も大中小。お願い事も選択と格差なり。これも、また時代なのか。

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2007年1月 2日 (火)

歩き初め、元気なればこそ

Img_0018_1  雑煮は白味噌で丸餅二つ。お腹にどっしり来る。腹ごなしには、歩きが一番と思い、元旦の町へぶらりと出た。ジーパン、運動靴、手袋、黒の毛糸帽の防寒スタイル。一年の計は歩きにあり-である。

バスで山科駅まで行く。歩く起点は初詣で賑わう毘沙門堂。勢いづけに甘酒、ぐいと飲んで、お賽銭5円を投げ入れる。5円はケチったわけではない。ご縁を願う5円。十分ご縁なら15円だが、余り欲を出しても、と遠慮した。

雑木林を抜け、谷川沿いの枯れ葉道をサクサクと行く。所々で、上って下がって、行き先選択の思案処=写真=に出る。大文字か、南禅寺か、来た道の毘沙門かーと、竹書きの案内がある。一服して、南禅寺への下り道を選ぶ。毘沙門堂から西北西へ、歩くこと1時間余り。歩き初め、改めて心と身体の元気を思う。

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2007年1月 1日 (月)

遅れてきた太陽に感謝

Img_0021_2 今か、今かで、出た。待って、待って、見続けていた峰の端の空が、一瞬パアッと光った。紛れもない。平成19年の太陽である。年初サービスか、輝きようが凄い。まるで目が眩むほどまばゆい。感激、感動、感嘆…、説明抜きでめでたい。万歳、万歳…、両手合わせ、頭垂れ、拍手打ち、…である。

 東山三十六峰の一つ、標高220㍍の華頂山にある将軍塚。三条通りの東山ドライブウエーからなら2、3分で着く。山科の自宅から車5分、朝6時の目覚し起床だった。頂上の公園東側のヘリポート基地が穴場の初日の出スポットである。西側の展望台は京都市内一望だが、元旦の朝は琵琶湖側の峰々展望である。

 初日の出は午前7時22分に上がった。大晦日のTVでは、近畿のご来光は7時2、3分と予報していたので、まだか、まだかで、ある。随分、遅刻かと思ったが、相手は宇宙の神様の一つ、太陽さんである。間違いはない。こちらの勝手予測だった。太陽の出を待ちながら思った。人は生かされている世界、今年も一日一日を大事に丁寧に生きたいと。これ、年頭所感なり。

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