内蔵助の、一服大石
ヨッコラセと腰を落とした。立て札に大石内蔵助良雄一服の石とある。あの忠臣蔵の内蔵助が、花魁遊びで郭へ通う道筋にあって、ひと息ついた石だという。幅にして1㍍、高さは60㌢くらい。昨日の朝、腰を掛けて、内蔵助になってみた。いい座り心地ではある。
その一服の大きな石は、山科から今熊野へ抜ける滑り石街道にある。内蔵助隠棲の閑居跡から1㌔、太閤坦ゴルフ場入り口に近い。伏見の撞木町にしろ、祇園一力にしろ、まだ一里、4㌔余りはあるだろう。内蔵助が峠道を上がって、一休みするのにちょうど、頃合いの場所であるが、真偽のほどはどうだろう。
何しろ、山科での隠棲は討ち入り前の一年、300年も昔である。郭遊びは吉良の目を欺くためだったのか、内蔵助がもともと好きだったのか、今は2節あるらしいが、それは本人の胸のうちである。一服の石にしても、石に聞くしかないが、この石も内蔵助に忠義立てしてか、本心は喋りそうにない。討ち入りの日まで2週間である。
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