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2006年11月

2006年11月30日 (木)

内蔵助の、一服大石

ヨッコラImg_0008_2セと腰を落とした。立て札に大石内蔵助良雄一服の石とある。あの忠臣蔵の内蔵助が、花魁遊びで郭へ通う道筋にあって、ひと息ついた石だという。幅にして1㍍、高さは60㌢くらい。昨日の朝、腰を掛けて、内蔵助になってみた。いい座り心地ではある。

その一服の大きな石は、山科から今熊野へ抜ける滑り石街道にある。内蔵助隠棲の閑居跡から1㌔、太閤坦ゴルフ場入り口に近い。伏見の撞木町にしろ、祇園一力にしろ、まだ一里、4㌔余りはあるだろう。内蔵助が峠道を上がって、一休みするのにちょうど、頃合いの場所であるが、真偽のほどはどうだろう。

何しろ、山科での隠棲は討ち入り前の一年、300年も昔である。郭遊びは吉良の目を欺くためだったのか、内蔵助がもともと好きだったのか、今は2節あるらしいが、それは本人の胸のうちである。一服の石にしても、石に聞くしかないが、この石も内蔵助に忠義立てしてか、本心は喋りそうにない。討ち入りの日まで2週間である。

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2006年11月28日 (火)

紅葉の道、吾は行くなり

 歩いて、見Img_0006_1て、また歩いた。今が見ごろの紅葉ウオーク。地下鉄蹴上駅から出て、南禅寺へ。平日なのに人、紅葉、人、紅葉ーである。三門と本堂の間の広い苔の庭。赤く、黄色く…、染まるが如くである。

 南禅寺から湯豆腐の奥丹へ。入り口の門から道まで列が続く。どれくらい待つのか、受付で聞くと、30分は?と言う。我慢の湯豆腐なり。みかえり阿弥陀像の永観堂。拝観料千円は回避したが、紅葉は通りからあふれ出ている。ただ見拝観では、なんの見返りもなさそうだが、満足なり。

 若王子から哲学の道へ。春は桜、夏はホタル、秋は紅葉…今や思索より四季折々の道に。人の流れは、後ろからも前からも。そのうち一方通行の規制か、と思う。山すそ側に上がって、そこに法然院。茅葺の屋根や青苔に色づいた葉が舞い落ちる。人多くても、妙に心が静かである。また疎水道に戻る。橋のそばに哲学者西田幾多郎の句碑があった。 ~人は人吾はわれ也とにかくに吾行く行なり~  帰り道、 今更ながら、さて、どう生きるか、思索した。

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2006年11月27日 (月)

ああ美味か、鯖寿司

 厚い身Img_0019_1がご飯に食い込む。背中の縞模様が青く光る。竹皮で〆られた鯖寿司に包丁が入った。ひと切れ、ふた切れ…見ているだけで、舌先から生唾が出てきて、喉がゴクンと鳴った。今日昼、京都中央市場近くへ、鯖寿司を買いに行った。

 創業200年の鯖寿司の「いづう」で50年も〆てきた職人さんが独立した店で、注文で作って、即販売する。味は、いづうである。山科の飲み屋で知り会った間柄、ずけずけ聞いた。鯖は済州島の、海の底深くいて、油が乗っているのを仕入れる。シャリは近江米、それも能登川米。昆布は北海道の道南で、酢は秘伝だが、一番大事なのは鯖の身とご飯のバランスと〆方だという。

 開店から2ヶ月半、これからの店だが、スーパーでの実演販売も始め、秋祭りのころには、一日300本も〆たという。値段はいづうの3分2くらいかな。高くもなく安くもなくである。今日は2本で特別に2400円。奥多摩の酒差し入れが効いたのか、それとも暖簾の縁か。味? そりゃあ、もう…、まだ口の中に。思い出すと、また生唾出そうである。お店の名前は「京都にし ひがし」という。

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2006年11月26日 (日)

昔は学帽の破れ、今ジーンズ

 両腕を胸Img_0047元でグッと組む。ボロの学生服にマント、破れた学帽に高下駄。目を見開いて、遠くを見つめる。青雲の志である。この彫像、青春感謝の像という。JR岡山駅新幹線の東口広場にある。昨日今日の岡山行で見てきた。

 身長は160㌢ぐらいで、細身である。顔は木村拓哉をニヒルにしたみたいで、なかなかのイケメン、つまり男前。日展彫刻作家で京教大教授谷口淳一さんが制作した。旧六高(岡山大)の同窓会長の叔父さんに百年記念で頼まれたと、だいぶ前に聞いていた。6年前の制作で、まだ新しく、今度会ったら、だれのイメージだったのか、聞いてみたい。

 彫像の、あのスタイル、明治の旧制高校では大流行だったらしい。弊衣破帽という四字熟語がある。ハイカラに対するバンカラでもある。若者は今も昔も破れが好きなのか、今は破れジーンズが流行っている。膝頭が見えるくらい破れているのもある。注意などできない。それ、自然体ファッションらしい。それが昔は学帽だった。  

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2006年11月25日 (土)

諸説は諸説

  坂道Img_0029_1の名前には諸説あるという。清水寺へ行くあの坂道のことである。坂道は高台寺へ通じる46の階段。七味屋さんの南側に立て札がある。墨文字が風雪で薄くなっているが、この間の散歩で、目を凝らして読んだ。坂道の諸説は千年前からあるそうで、

     産寧坂 清水寺にある子安の塔へ妊婦が安産を思って行く坂

     三年坂 坂上田村麻呂が大同3年に切り開かれた坂

     再念坂 参拝者が再び念願を深くする坂

 とあって、一般的には産寧坂だろうと書いてある。昔からこの坂で転ぶと3年以内に災いが起きるとか、瓢箪持っていれば七転び八起きで厄除けになるーとも言われている。どうも妊婦さん向けの言い伝えみたいで、産寧坂と関わりが深そうである。

 そう思って、納得したが、続く二つの坂道の名前がややこしい。二寧坂、二年坂、一念坂、一年坂など、また諸説の表示がある。これだと、妊婦さんの産寧坂と繋がらない。やはり、所詮、諸説は諸説か。

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2006年11月24日 (金)

サザンカは3×3=9

Img_0009  あれ、サザンカかな、ツバキかな、と思う。見た目は、よく似ているというより、同じである。見分けるコツは、ツバキが首を落とすように花ごと散るのに対し、サザンカは花びらが一枚一枚、散り落ちる。地面の落ち方を見れば、一目瞭然である。

 今日、秋晴れのジャパンエースゴルフ倶楽部で、赤いサザンカを見た。ホールごとに咲いて、赤さが目にしみる。二重咲きで、花弁は5、6枚だったかな。1本の木に大きな花、小さい花、それに蕾もいっぱい付けている。余裕で、♪サザンカ サザンカ 咲いた路…♪と、口ずさみたいところだが、右に左にボールの行方探し路である。

 サザンカは漢字で山茶花と書く。かつて山茶花究という俳優さんがいたが、3×3=9から名づけたとか。ゴルフでパー3のショートホールで9も叩けば、それこそ散々窮で、もう万事休すだが、今日のパー3は5番3、8番6、13番7、16番4だった。採点すれば、◎××○で、総合的には△かな。サザンカ=散々窮でなく、やれやれか。

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2006年11月23日 (木)

銅閣の絶景

Img_0055  確かに京都は奥が深い。京都検定では、銅閣の出題あったかな。円山公園の南にある祇園閣の別称である。昭和3年、大倉財閥の大倉喜八郎が90歳でつくった。屋根が銅葺きなので、それで銅閣なのだ。知らなかった。コンクリート製の三層、高さは36㍍で、鉾頭には金の鶏が羽ばたいている。

 今朝、展望代600円払って、初めて祇園閣に上った。南に八坂の五重の塔が見える。東は霊仙の観音さんが頭を出す。西は京都市内が一望である。北東は比叡山、そこから寝たる姿の東山の峰々が連なる。深まる秋、所々、赤く染まって、見飽きない。360度展望、ええ眺めである。

 この祇園閣は信長・信忠の墓がある大雲院が境内で管理している。非公開寺院だが、東山ブラリの紅葉散策中に、展望階を特別公開しているのに出会った。景色見て、写真撮って、えらく徳した気分である。これも紅葉歩きの、効用である。また来ようーと思う。信長・信忠の墓も見たが、なぜか、あの石川五右衛門の墓もあって、今一度、絶景の縁を思った。

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マネコ鑑定の珈琲

Img_0028_1   昨日の東京日帰り行、銀座4丁目で1250円のコーヒーを飲んだ。コクあり、苦味あり、甘さあり、三拍子揃っている。器はマイセンの白磁。何時もの、マクドの紙コップ百円コーヒーとは、えらい変わりようである。財布もそうだが、舌が一番、驚いたようだ。

 この1250円コーヒー、「マネコのスペッシャルコーヒー」という。マネコって、ホンモンの真猫かと思ったら、れっきとしたブラジルのコーヒー鑑定士さんの名前。コーヒー豆産地のサントス市にあるコーヒー会社の部長で、缶コーヒーのジョージアのCMにも出ている。そんな有名な人が、特別コーヒーと折り紙をつけた。しかも、数が少ないので、来年2月までの限定メニューである。

 そう説明聞くと、余計に味わいが深くなる。この東京、今度は何時来るわからない。限定期間の2月までは無理である。それならーと、財布は気になったが、お代わり半値のメニュー表示もあって、もう一杯と注文した。今度はマネコ鑑定の味、しっかり舌にしみた。

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2006年11月21日 (火)

嗚呼!オークモント

 はるばるオークモントへ来た。アメリカ合衆国東部にあるペンシルバニア州の、ではない。奈Img_0001_4良県は山添村のオークモントである。バブル最盛期の平成2年に出来た。大和高原の山を切り開いている。山また山、標高は450㍍である。奈良と行っても、近鉄名張駅からバスで15分、おおかた三重県境にある。

 どうして名前がオークモントなのか。とりわけ樫の木(オーク)が、おおく、あるわけではない。聞いてわかった。名づけ親は、あのジヤック・ニクラウスだった。頼まれて、このコースを設計したが、大変気にいったので、自分が初優勝した1962年の全米オープンのコースだったオークモントCCを思い出し、記念に命名したのだそうだ。

 コースは東、西、南と54ホールある。ニクラウスさん、何がお気入りだったのか、今日、東から西へ回ってわかった。見晴らしも、広さも申し分なしであったが、あの大きな池、フエアウエー横切るあの川、ひろ~いグリーン…、なるほど難攻不落なコース設計になっている。その極致はホールごとの、あのバンカー。壁のよう切り立って深い。叩いても、叫んでも…嗚呼。壁に撥ね返される度にニクラウスの、嬉しそうな顔が浮かんで消えた。

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2006年11月20日 (月)

雨のたこ公園、静かなり

Img_0001_3  人はたこの公園と呼ぶ。山科郵便局の隣の団地の中にある。高さで3㍍少し、横幅は7、8㍍くらいで、8本の足が滑り台になっている。ゆでだこそのままにピンク色していて、ハチマキの可愛い子たこもいて、絵になる。

 今朝、傘さして山科図書館へ行く途中、写真を撮った。小雨降る公園は親子たこしかいない。たこさん、どこか人恋しそうである。公園の向こうに築35年という11階建ての市営山科団地。どのベランダも静かである。人は見えない。公園を囲む桜の木々の葉は色づいて、朽ちて、サラサラと舞い落ちている。

 冬を呼ぶ秋かな、どこか寂寥感を思う。写真はいいアングルである。季節は日に日に移ろう。やがて、春が来る。公園の桜はいっぱいに花咲かせ、団地の窓という窓は大きく開く。たこには子供たちが争うように群がる。今日の静寂は、何時の日、喧騒に変わる。たこの公園に時の流れ思い、人生思う。うーん、なかなかロマンチックや。

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2006年11月19日 (日)

東の箱根、西のびわ湖

Img_0002_5   びわ湖大学駅伝、どんな扱いかーと思って、コンビニで読売を買った。さすが主催新聞である。昨日の夕刊、今日の朝刊と派手である。昨日の夕刊は1面に結果入れ、今日はスポーツ面で1ページ割いている。関西学生のマイナーな大会、いくら主催でも、これだけの扱い、何か訳ありそうな。

 そう、裏はあった。滋賀県から5700万出ている。県か読売か、どちらが言い出したのか、東の箱根のようにーと始まったらしい。箱根は関東大学駅伝で、正月2、3日に開催、日本TVがサッポロビールから何億と貰って生中継している。家庭滞在の多い正月、抜きつ抜かれつのドラマは面白く、視聴率30㌫以上というから凄い。

 あの箱根のようにびわ湖もーの思惑である。今は片道コースだが、3年先にはびわ湖1周2日間に…という。うまくいけばいいけど、お金はもっといる。そんなに県がお金出していいのか。開催時期、テレビ生中継、協賛企業…ハードルは高い。読売以外の報道、京都新聞は純に扱ったが、朝日、毎日、産経の知らん顔、これも思惑なのか。

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 アフリカの留学生ランナー

 いやはや速い、強い。昨日のびわ湖大学駅伝で、ケニアの留学生ランナーを見た。第一Img_0020工大の一年生(鹿児島)のムタイ選手。筋肉質でスラリとしている。足はカモシカのようで細く、黒光りしている。

 いま、大学駅伝はアフリカの留学生ランナーばやりである。箱根駅伝で、アフリカの走る留学生を起用して、山梨学院大が優勝して以来かな。手っ取り早く名前を売りたい新興私学はみんな同じである。大相撲はどの部屋もモンゴル頼みだが、大学駅伝はアフリカ勢が助っ人になっている。

 昨日のムタイ選手、最長区間の7区15.1キロを43分59秒で走った。すごい区間新である。2位以下に1分半も差をつけた。特急と急行、強すぎる。区間2位も奈良産大のムリュウ選手で、滋賀学園出身の留学生である。このままでは留学生大学駅伝の心配まで出て来て、箱根も、このびわ湖も留学生起用は1大学1人と規制した。そうはいっても、あの風が吹くごとき走り、また見たい。

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2006年11月17日 (金)

狸は悪玉から善玉へ

 玉玉ではない。再びの狸考である。信楽の狸は、どうも近世になって狸イメージを進化させたようである。昔話の狸は悪役だった。かちかち山でも、文福茶釜でも、人間を騙す役柄だったが、信楽の陶器狸は愛嬌があって、人なつっこい。阿呆ふうで、それが受けに受けて、商いの店先にも家の玄関にも鎮座する。

 信楽狸をImg_0013よおーく観察してみた。平均的な雄狸は、口をポカンと開けている。黒い目は視点が定まらない。下半身は丸出しである。大きなお腹突き出し、徳利下げて、借金通帳を持つ。どう見ても、だらしない風体である。今風で言えばメタボリック、アル中狸。それゆえ、人間対比で好かれているのかもしれない。

 昨日の多羅尾温泉で夫婦狸がいて、雌狸はどうかーとみたら、これは上品で、そこは葉っぱで覆われていた。雄狸は八畳敷きと言うとか、信楽で天皇行幸の狸の飾り迎えは、信楽に人が少なくて、狸に応援求めて歓迎したーとか、今日の宴席で知ったが、替え歌が本歌になった「タンタン狸の○○は風に吹かれて…」はじめ、狸親爺に狸寝入りなど、今も人の口に狸は尽きずである。

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大狸の謎解き

 いや、でっかい狸である。背丈は悠に5㍍ある。陶器の里・信楽へ行くと、いやでも目につく。どうImg_0019して、あんな狸つくったのか、窯焼きにしては大きすぎるし…、ずっと、悩んでいた。昨日の信楽行で、悩みはやっと解消した。

 正体は、実はコンクリート製だった。大狸の鋳型にを流し込み、色づけしてあるという。全体を4分割した窯焼きもあるそうだが、10個ほどある信楽ジャンボ狸の主流は鋳型とか。夕暮れ、飛び込みで聞きに入った「コタニ陶器」の若主人に教えてもらった。帰りに、化かされていないか、店先のジャンボ狸の玉二つ、触って見たら、堅かった。間違いない。

 近くの県立陶芸の森にも行って見た。信楽はなんで狸陶器で有名?と、副館長に聞く。そこから話が弾む。「昭和25年に信楽へ天皇行幸のおり、歓迎の狸陶器をつくったのが最初で、それ以来でしょう」と。「狐は神、狸は庶民」「狸はマーキングしない」など、狸談義続き、来年3月には狸展を開催すると。その副題、おもしろき日本の狸表現とか。あの堅いコンクリート狸も一役買うかな。

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2006年11月15日 (水)

洋画百年、人はおおらか

 Img_0030 そうか、あの梅原龍三郎もここにーと思う。関西美術院は百年前に京都で生まれた洋画の研究所で、今も活動が続く。市美で開催の「浅井忠と関西美術院展」をみて、歩いて5分足らず、その関西美術院へ行った。

 平安神宮の西側、ちょっと路地へ入る。展覧会ポスターとおり、赤レンガの塀があって、門に木札がかかる。案内を乞う。中から人が出てきて、スリッパ出してもらい、どうぞと。写真撮影はーと聞くと、どうぞーと。大きな達磨ストーブあって、乱雑な室内に裸婦デッサン描きかけのイーゼルなど。案内人も消え、生徒もいない。客一人きりだが、お好きにどうぞ、のようである。洋画人はおおらか?、でないと、塗って塗って、思い切りのいい画は描けないのだろう。

 スリッパ置いて、外観を見る。百年の重みか、建物もいかにも風雪に耐えている。薔薇の梅原龍三郎、浅間山の安井曾太郎、東大寺の須田国太郎らも生徒として、ここへ通っていた。今日見た展覧会、創設者・浅井忠はじめ黒田重太郎、鹿子木孟ら教授陣、そして梅原ら60作家200点の作品が出ている。明治後期から昭和初期へ、日本洋画草創期の初々しさ、伸びやかさを見た。

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2006年11月14日 (火)

心の不純物

 よくも、まあImg_0002_3、これだけーと思う。ゴルフの本である。本箱から取り出して、積んで見た。なんと25冊も。良く見ると、えっ、同じの2冊?。それ、読んでない証なのだろう。どの本も、読み通していない。みんな、ちょいかじり。

 非力のゴルフ、頭で100を切る、負けて覚える、マナーでうまくなる…、どの本もタイトルは魅力的である。著者は金井清一、坂田信弘、田原紘…ら歴戦の勇士ばかり。買って本を手にした瞬間、上手くなると思ってしまう。本に間違いないが、どうも読者に錯覚があるようである。

 この間、積んだ文庫本の中から「中部銀次郎 ゴルフの心」を取り出して読んだ。日本アマ6勝の中部語録の一つに「心の中から不純物をとりのぞけ」があると知った。今日は大津CCで3組10人の平日コンペ。平常心、つまり、心の不純物除去を思って、クラブ振ったが、うーん。ニアピンとったが、スコアは内緒で、成績は下から2番。それって、BB。ハイ。表彰式、心の不純物なく、顔で笑って、心で泣いて…。ゴルフは、いや男は辛い。

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誰がつくりし人形

 人形展、Img_0005やはり年甲斐もなくかなあ。自分でそう思いつつ、昨日、堀川寺之内東入ルの宝鏡寺へ、初めて足を運んだ。きっかけは、拝観招待券があってのことだが、思っていたとおり、男性の拝観者には会わなかった。年が年、ハイ、実は65歳、いまさら恥ずかしがる年でもないが、やはりまだ男、面映さはあった。

 女性陣に混じって、男一人わかったように鑑賞する。本堂の巡回コースを行くごとに廊下がギシギシきしむ。人形より、お寺の歴史を思う。公武合体で第13代徳川家茂に嫁いだ皇女和宮の遊んだ庭、円山応挙の襖絵などがある。庭の苔が真っ青に広がり、紅葉せず朽ちた葉が落ちている。内に外に見惚れる。

 忘れていた人形を見る。人形師・伊東久重氏制作の王朝で遊ぶ人形が部屋ごとに並ぶ。十二単の、黒目の、お顔の白く、ふっくらした新しい人形である。重文級の古いのは小ぶり。御所人形、嵯峨人形、伏見人形、賀茂人形…、みんな御所下賜の京人形という。観賞終わって、武者小路実篤の一筆ある人形塚を見た。そうそう、ここは人形供養のお寺で有名だった。塚に「人形よ 誰がつくりしか 誰に愛されしか 知らねども 愛された事実こそ 汝が成仏の誠なれ 実篤」とあった。

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2006年11月13日 (月)

背中合わせで咲く

 Img_0050_1 面白いし、変だし、それでいて、妙で可愛い。昨日、一月に一度行く府立植物園で、そんな花を見つけた。花が対になって、背中合わせで咲いている。お互い顔を合わすことはない。けれど、咲くときは何時も一緒というのだ。

 花の名はマルバノキ。葉っぱが丸の形に近いので、そういう名前がついている。マンサク科の一種で、本州、四国に分布しているという。花の色は赤紫で、うんと近づかないと良くわからないくらいちっさい。枝から直接咲いていて、よーく見ると、花弁は5つあって、縮れている。イソギンチャクのようでもある。

 前から見て、裏へ回る。確かに対で合体している。暫し見とれて、アップで写真撮るが、どうしても正面しか見えない。帰りに北門の園のみどころ案内のおばさんに「マルバノキ、いいねえ」と声を掛けた。その反応が凄かった。「良かったでしょう。私の推奨花なんです。何時も一緒でいて、一緒になれない。不憫でねえ。それが花言葉は早熟ですって。失礼でしょ」と、我が事が如くである。まさに花惚れた案内人。花色々、人色々か。

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2006年11月11日 (土)

講演に酔う

 また、聞Img_0015きほれた。こういうのを話の引き出しが多い人というのだろう。成安造形大学長の木村至宏さん(71)のことである。今日、木村さんは自らの大学の公開講座の講師を務め、比叡山麓の歴史と文化をテーマに喋った。聞くのは2度目だが、今度も90分、耳が離れなかった。

 話は公開講座のポスター写真から始まった。湖東側から見た黒い比叡山が夕陽を背に浮かび、さざなみの琵琶湖が紅く染まっている。「近江と言えば琵琶湖と周辺の山々、それも山は比叡山ですね。この写真、好きなんです。琵琶湖を泳いで山までいきたくなりますね」と、最初から聴衆を前のめりにさせた。

 坂本の百本灯篭の意味、聖衆来迎寺にある石廊下、志賀廼家天海の500首の里歌…スライドを映して説明する。坂本、雄琴、堅田と、自ら現場へ行って撮った社寺、遺構の写真なので、説得力がある。スライド40枚、90分は早かった。木村さん半世紀の学問は、足を運んで、伝承を確認する。何でーと思うことは納得行くまで調べる。言うなら、足でかせぐ歴史学者だから話に深みがある。木村講演、追いかけの値打ちあり。

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2006年11月10日 (金)

和と洋ミックスの日替わり

Img_0002_2   今日は四条烏丸まで出て、昼に悩んだ。蕎麦、うどん、それともーと、界隈をグルグル回って、自然食料理の日替わりランチにした。何でかーと言うと、値段が手ごろで、美味しそうで、一人で入りやすそうな店だったからだ。

 京セラ・ここん地階の「麹」(こうじ)が、その店である。入って、すぐカウンター席に座った。注文は店頭見本で決めていた750円の日替わり。牛肉のカルビソース炒めと肉じゃがコロッケ。それにひじきと梅干がついて、五穀米と味噌汁。パンフに和と洋を程よくミックスした創作料理ーとあったが、出て来た献立はまさにーである。

 肉、見た目は柔らかそうだったが、うーん。量もねえ。お碗の味噌汁、これはいい。手のひらにこっぽり乗せてすする。湯葉のソーメン入り。味噌は当然、この店の売りで塩分控えめ、文句なし。和洋折衷、採点するなら和は◎、洋は△かな。でもキャベツ、レタス、玉ねぎと野菜もあって、値段を考えれば総合点は○だろう。悩んだ昼、選択に間違い無し、と思っておこう。

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お墓あっての、出張所別院

 Img_0004_3 お寺の別院というと、何か厳かに聞こえるが、今ふうに言うと、出張所なんだそうだ。昨日、西本願寺の山科出張所である、本願寺山科別院へ行った。ところは山階小近くで、西御坊ともいう。西があれば、東があるーで、北西に100㍍行くと、東本願寺の別院、東御坊もある。

 訪ねた、ことさらの理由はない。山科住んで35年、一度は…と思って、だった。西も東も、歴史を遡れば一つ。親鸞さん開祖の浄土真宗本願寺は第8世宗主の蓮如が出てきて、隆盛を極めた。蓮如さんは、今ならギネス級の13男14女まで儲けて、85歳まで生きた。中興の祖と言われ、境内地43万坪もの、それはそれは壮大な山科本願寺を築いた。おおよそ500年も前のことである。

 西の別院も、東も、その往時を引き継いでいない。両別院の真ん中あたりに、蓮如さんの御廟、お墓がある。本山のお参りで足を伸ばす遠来の信徒さんの一服場所が始まりで、出張所は次第に大きくなった。どちらにも大屋根の本堂、鐘楼あり、70年以上の大イチョウも桜もある。それでも山科では、名所でも、旧跡でもないのは、どこか寂しい。時の将軍、細川晴元らの襲撃で消滅するまで53年、光り輝いた山科本願寺はいま何処にーである。

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2006年11月 9日 (木)

 蛸の中は蛸

 Img_0007_5 熱い、舌先でフガフガと転がす。ややあって、蛸。シコシコと噛む。うーん、美味い。口の中が蛸、蛸、蛸…。昨日、蛸焼き通から、一押しと聞いて、一乗寺下り松の「縁蛸」(ENーTAKO)へ行った。9個500円。確かに噂の蛸味、なるほど蛸味だった。

 最初から焼いてない。注文聞いて焼き始める。3人ぐらいで満員の店内で、15分待った。44歳の店主はコンピューター会社からの脱サラ。京都、大阪、広島と転勤たびに鉄板持ち歩くほどの趣味が高じて、7年前に極める世界へ入った。待つ間、1対1で、この店の、蛸味こだわりを聞く。

 蛸の中の蛸味を出すこと、と言う。だから蛸の味を消すソースもちろん、紅ショウガも青ノリも使わない。蛸は山口県の周防瀬戸から直接仕入れ、手間かかるが店主が塩もみする。足だけ出す。秘訣の一つらしい。店の名前は蛸が結ぶ人の縁で、「縁蛸」とつけたが、何よりも、たこ焼き屋でなく、蛸の旨みを出す「たこ味焼き」でありたいと話す。たこ焼き人生、いや失礼、たこ味焼き人生、ここになり。

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2006年11月 8日 (水)

 101歳に最敬礼

 Img_0024 今頃、何を?と言われそうだ。世界をまたに駆けた現役最長老の音楽家が京都市出身だったとは。中川牧三さん、明治35年12月生まれ、103歳である。講談社が2年前に出した文化庁長官河合隼雄さんとの対談集「101歳の人生をきく」を山科図書館から借りて昨日読み終えたが、改めてその人生に感服、最敬礼である。

 中川さんはバイオリン、声楽家、指揮者ー音楽のオールラウンドプレーヤーで、101歳の人生はドイツ、イタリア、アメリカ、上海と世界を舞台に駆け巡った。今も自宅のあるイタリアのボローニヤと日本を行き来、矍鑠としているという。京都二中(現北野中)から同志社大出身で、お父さんは今の京都府立体育館あたりで牧場を経営、だから名前が牧三というのだそうだ。

 あの辺りが牧場?というのも「へえっ」と思うが、昭和5年に近衛秀麿氏とシベリア鉄道でドイツ入り、世紀のテナーマリオ・デル・モナコと兄弟弟子、ミラノで吉田茂と花札、円山公園の土曜コンサート…など、1頁1頁に思い出の人生が詰まっている。結びは「オペラと、音楽があって、夢のように過ぎた101年だった。まだまだ見たいものがいっぱいあり、それを思うと愉しくてしようがない」と。読後感、うーんと唸って、生きる力って何かなと思った。

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2006年11月 6日 (月)

 岩屋寺は大石寺

Img_0011_3  討ち入り姿の木像がひな壇のように並ぶ。大石良雄、主税ら四十七士。高さ30㌢ぐらいか。一人一人、凛々しい表情である。制作者不明だが、軽く百年以上は経っている。本堂には切腹意味する「刃」の文字ある位牌も祀ってある。

 山科の曹洞宗神遊山「岩屋寺」で、境内に大石良雄の閑居跡と遺髪塚がある。大石神社のすぐ隣り、自宅から歩いて5分で着く。大石神社は昭和10年の創建だが、ここは歴史の重みが違う。軽く300年以上だろうか。御本尊の不動明王は大石良雄の念持仏であった。ここでお家再興を思い、仇討ちを決意した。

 今日朝、本堂に上がった。20年も拝観案内のおばさんと二人きりで、2時間近く話し込んだ。観光バスは隣りの大石神社まででここまで来ない、大石良雄の槍や机、金庫など遺品がある、討ち入りの日はご本尊を公開する、富岡鉄斎の絵や東郷平八の扁額もある…などなど。確かに大石良雄との深い縁、あまり知られていない。討ち入り姿の木像とホンモノの強み、やり方次第で、売り出せると思った。

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イメージの紫式部像

 おでこがImg_0001_2広い。なるほど、どこか賢そう。別嬪? 平安時代ならそうかな。昨日、大津市の旅亭紅葉で、紫式部の像を見た。十二単姿で、金箔仕上げ、ピッカピカである。台座上の立ち姿を見上げると、何と八頭身だった。

 長編ロマンの源氏物語書いて、文献上はもう千年という。えらい遠い遠い昔のことだが、不思議と最近のことのように思う。紫式部は古今稀な才女はわかるが、実像が謎めいている。漢学者の父を持つ、越前の国守赴任で一緒に行った、一児もうけ夫に先立たれた…は本人の日記でわかるが、実のところ本名も生没も、なぜ源氏物語なのか…わからない。千年の彼方である。

 だから紫式部の像はみんなイメージ制作である。石山寺と宇治橋、京文博の3箇所は、筆を持ち執筆中。越前の武生の紫式部公園は金箔の立像。ここは文化勲章受賞の圓鍔勝三氏制作だそうだ。旅亭紅葉も日展評議員・杉村尚氏制作ーと銅版にある。紅葉のは制作費2千万とか。そんな大金あれば、今の時代、IT技術駆使で、ホンモノの式部さんあぶり出てくるようにも思うが、見ないうちが…かもしれない。

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2006年11月 4日 (土)

美しい新聞ねえ?

Img_0004_2   産経新聞が新しい朝刊を創った。EX-エクスプレスという。タブロイド版の横文字、ツルツルのいい紙を使って、月1860円、一部売り70円と安い。安部総理の向こうをはって、キャッチコピーは「美しい新聞」だって。タレントの木村拓哉にCM費1億円も払ったというから、起死回生で賭けに出たのだろうか。

 発売は関東圏と、関西では京都だけというのは変だが、今朝、情報収集兼ねて、JR山科駅のキヨスクへ行った。70円渡して、これ、売れてるーと聞いてみる。発売4日目で、まだ知られてないのでーとの回答あって、15部置いて、売れるのは5部ぐらいとか。小春日和、駅前広場のベンチで読んで見た。

 全頁カラーの32頁、広告少なく、なるほど美しい。ニュースをフォローする読み物多く、肩が凝らない。地元性ないけど、朝日の週刊マガジン「アエラ」の新聞版みたい。内容は合格とは思うが、京都では、売れないと思った。産経さんの、京都での地盤が弱すぎる。1万部が目標らしいが、毎日新聞の販売店に売ってもらっていては…。創刊ポスターも牛若丸デザインで「ひらり、登場」と格好よいが、さて、何処へ着地するのかな。

 

 

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2006年11月 3日 (金)

楊梅の実、さようなら

 Img_0033 甘露煮の青梅を包み込んだ「楊梅の実」は北小松の名物饅頭である。優しい酸っぱさ、というのか、舌先にほんわり感がある。JR湖西線北小松の駅前で20歳から50年も饅頭屋さん一筋の広瀬清さん(70)が近くの名所、楊梅の滝にちなんで、20年前に作り出した。 

 楊梅(ヤマモモ)は4月ごろ、赤い実をつけるが、それを青梅に見立ててある。先月、楊梅の滝に上がり、帰りに看板文字が剥げ落ちかけた「ヒロセ菓舗」に初めて行ったが、今日はNPO法人のイベントが近くの比良元気村であったので、また帰りに寄った。広瀬さんは散歩中だったが、奥さんにお茶出してもらって、話しているうち、ポツリ「年内で看板下すんです」と。

 何でーと畳み掛けると「お父さん(ご主人)が脊椎痛めて、しんどいんです。もう70出てしまいましたし…」という。お子さんはーとまた聞く。「娘一人ですが、嫁ぎましたし、跡取りたって、こんな店ですし…」と。これからはーまたおせっかいやく。「年金です。足りない分は畑で…」と。最初に楊梅の実5個買っていたが、また余分に5個買い増した。

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対話の出来る絵

Img_0010_1  昨日の昼下がり、京都女子学園で「岩井文遺作展 早世の日展画家 母校に帰る」という看板に出会った。看板の絵の題が「女友達ー部分」とあって、女性二人の眼の表情が明日を見ているようで、思わず、展覧会場へ足を運んだ。

 展示室は建学記念館「錦華殿」の地階で、とんとんと靴音立てて、降りて行ったが、受付にも展示室も人なく、止むを得ず勝手に室内電気つけて、一人で見た。日展特選の「歴日」上野の森美術館大賞の「化生」など、100号の絵が10点近く並ぶ。みんな女性を描いて、構図が大胆で、女性の表情が心の中を感じさす。たった一人で、絵と向きあって、いつまでも対話の出来る絵だなあ、と思った。

 岩井さんは、京都府大山崎町出身で、京女短大卒業して、絵の道に入り、若手の日展作家として脚光浴びたが、3年前に胃がんで47歳で亡くなった。色々聞くと、NHKでも夭折の女流画家として紹介され、知る人ぞ知る岩井さんだが、間近に見て、絵は心で描くという意味合いを何となく思った。

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2006年11月 2日 (木)

蛸の、その先は蛸

 昨日の夕Img_0050暮れ時、神戸・元町で「蛸の壷」という店に入った。たこ焼き屋さんというより、蛸なら何でもありの居酒屋さん。店内は、外から見えたカウンターと、大きなテーブル一つ。張り紙メニューに蛸酢、蛸すみそ、蛸煮つけ…、それに蛸てん、焼き蛸、蛸飯…まだまだあったが覚え切れない。

 明石焼きを頼んで、誰とはなしに「古いんですか」と声を出す。カウンターで客と喋っていた店主が振り返り、そう50年かなあーと。追加で蛸梅と生小を注文して、そこからは根掘り葉掘り。「家のおでん、蛸がかたくて…」と聞く。「さっと、あげるか、とことこ煮込むかです」と返えってきて、中途半端は駄目と。何でもそうかと。

 店の蛸はみんな明石蛸で、毎日5キロは仕入れるそうな。池簀の蛸は痩せて美味しくない。毎日漁師が蛸壺から取り出したのが一番やと。店の名物メニューはーとの問いには焼き蛸やーと。やはり、シンプルイズベスト、素材はそのままーと思う。色々話してもらったつもりだったが、朝ドラで今人気の芋たこなんきん(芋蛸南京)のこと、聞き忘れた。それが心残りだが、オルセー美術展鑑賞も帰りは蛸に翻弄された。

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