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2006年10月

2006年10月31日 (火)

暴れ猿、今も昔も

 Img_0008_1 京都御所に木彫の猿が一匹いた。烏帽子かぶり、御幣を持っている。築地塀の屋根下にいて、金網の中で動けないでいる。今日朝、府立医大病院へ前立腺肥大症の定期診断に行って、帰りに秋の御苑へぶらり入って、見つけた。

 木彫の猿がいるのは、和風迎賓館の北側で、そこを猿ケ辻と呼ぶ。立て札説明によると、この猿、京都御所の鬼門を守る日吉山王さんの使者で、夜になると、悪さを重ねたので、金網オリに閉じ込めたそうである。何時ごろからかだが、幕末にお公家さんが襲われた「猿ケ辻の変」という事件があるので、それ以前の、150年以上かもしれない。

 人質、いや猿質?救出でもあるまいが、いま、日吉山王さんの猿がE群とか言って徒党を組み、民家突入で騒いでいる。大津市はあまりの悪事に射殺方針出したが、目片市長が神猿を殺生できないと、その昔と同じように金網オリ幽閉作戦に切り替えた。まさに歴史は繰り返すだが、今度はオリの場所を「猿ケ園」とでも呼ぶのだろうか。 

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2006年10月30日 (月)

 南湖の道は今が旬

Img_0029 浜大津から琵琶湖岸を歩いた。日差しが優しい。空と湖、青い色を白い雲がわけている。湖上を外輪船ミシガンが行く。今年で就航25年。毎日、2時間に一度、南湖を90分かけて回る。そのミシガンを追いかけるように歩く。

 いい秋、いい気持ち。道筋は、歩く人、ペダルの人、釣りの人、ベンチの人…、湖岸に秋が広がる。のんびり、トコトコと歩くこと、1時間半。とうとう近江大橋まで来てしまう。橋西詰めの表示板は気温20度、風速3㍍と出ている。少し汗、快い。

 この道、大津湖岸なぎさ公園という。打出浜、におの浜、膳所公園越えて石山まで続く。全長5キロ、湖岸を埋めてつくった。浜大津に花噴水、トンボ天守閣の琵琶湖文化館、オペラのびわ湖ホール、聳えるが如く38階建て大津プリンスホテル、遠くに琵琶湖大橋…桜、楓、プラタナスの木々も色づき始めて、南湖の散歩道は今が旬なり。

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 お池に注意

 昨Img_0004_1日の瀬田西コースに「池に注意」の看板あって、悩んだ?。これって、何を注意するのかなあと。池があるのはわかる。それなら、ボールが打ち込まないようにーかなと思ったが、ティーショット打つところからは見えない。不注意?で入ってしまって、池の端まで来て「池に注意」は、今更ジロウである。

 山道に「落石注意」の看板見かける。あれも、どういう意味か、考えてしまう。落ちてくる石を気にかけて、ずっと上を見ながら、走ったり、歩いたり?。そんな道なら通行止めにした方がと思っていたが、実はあの看板は道路に落ちている石に注意する意味だそうだ。坂本九ちゃんではない。下を向いて…が正解なんだそうだ。最近はサルに注意、熊に注意・・・、看板に注意である。

 それで、また「池に注意」看板に戻る。まあ「ここに池あり」と素直に思えばよいのかと。昨日は池にボールを3個もはまって、ついつい、心が動揺したようである。池にボールが入ると「池ポチャ」という。何とまあ、嫌な響きか。どんぐりコロコロ、お池にはまって…。昨日は、ボールはまって、さあ大変…。それ、三度?。ハイッ。

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2006年10月28日 (土)

 神社の木はみんな神木

 Img_0012 今日、近江神宮境内であったNPO法人の炭焼き教室へ行って、神木と魔よけの木に出会った。神木は欅で石囲いが二重してある。隣りの魔よけの木はかつらの木が3本、三角形に立つ。触れば、魔よけご利益ありという。

 それにしても、この神木にしめ縄もなく、有り難さの説明もない。場所も神社の倉庫がある、境内の外れ。なんで神木、魔よけ?かなと思って、社務所へ。結婚式で祝詞奏上から戻ってきた白衣の佐藤久忠三代目宮司が「いや、それが…、まあ境内の木はみんな神木でして」と話し出して、先代で二代目横井宮司に遡る神木誕生の経過を話してくれた。

 今はもう87歳の、熊本から参拝に来る名家らしい女性が命名者とかで「あの欅の猿の腰掛を取って、大事にしない近江神社が大変なことになる」と言われたことに始まるそうな。それから欅の周辺をコンクリートから土にするなど、大切にしており、暮れにはしめ縄もつけるという。変な神の宿り方?とは思ったが、佐藤宮司の「神社にある木は皆、神木」という最初の説明に妙に納得して、2礼2拍で、拍手パンパン。

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食欲の秋は悩みの秋

 Img_0017_5 さて、さて…、ランチメニュー広げて、考える。美味いもん主義か、好み勝負か、それともカロリー重視か、懐具合か。たかが昼飯、されど昼飯。ゴルフ場の昼は悩みが深い。

 昨日は信楽田代コースへ行った。4人の昼飯に大きな差が出た。一人暮らしの前会社社長はビーフカレー。「家で食べない。ここではこれ」と基本方針貫く。1173カロリーと表示のあるトンコツ醤油ラーメンを胃袋に入れた通信社支局長は「精進弁当思ったが、誘惑に負けた」と。現役社長はカツ丼ときつねそば。

 筆者は、悩んで精進弁当。湯葉豆腐、刺身こんにゃく、野菜天ぷら、五穀米で、表示は606カロリー。夜の宴会もこれありで、グッと我慢した。それで、午後からの成績? 最終ホール、ショートでまさかの7つ叩き。ああ、あの時、豚ヘレカツにしておけばと悔やんでもあとの祭り。食欲の秋、ゴルフの秋は、悩める秋である。

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2006年10月26日 (木)

 猿の顔、真っ赤か

 猿がImg_0017_4衣冠装束を付けていた。日吉さんの神のお使い猿である。玉座にいて、杓持って、刀差している。招待券があったので、今日の午後、この猿が出ている大津市歴史博物館の「天台を護る神々ー山王曼荼羅の諸相ー」展に行ってきた。

 2階の会場へ上がる。周りに鑑賞者がいない。靴音がよく響く。バイトらしい監視員女性一人。なんか、鑑賞者が鑑賞されているような気がして、無理に腕組んでみて、なるほどポーズとったが、曼荼羅はわからない。解説には「曼荼羅は仏像などがある法則でたくさん描かれている仏画」とあったが、それだけでマンダ、マンダわからない。

 猿のところへすっと来た。猿に名前があって、大行事像とある。うん?と思ったが、深くは考えず、曼荼羅の中の猿と違って、この猿は「独尊で描かれていて例がない」と書いてあったので、今度はナルホドと。それで、またぐっと近づいた。あまり見つめたせいか、猿の赤い顔が赤くなった。恥ずかしか ったらしい。???

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 時計屋さんの幕引き

 この人、Img_0002_1時計修理の鳥居敏男さんという。昭和4年生まれ、いま77歳。山科区の大石神社近くで一人で開業、もう軽く30年以上になる。昨日の昼、時計の鎖バンドの修理に行って、年内限りの閉店を知った。

 間口2㍍足らずの、ちっぽけ店だが、地域に馴染みがあった。20歳過ぎて、この道に入り、半世紀以上という。「もう定年?」と聞くと「そうや、定年や。そや、そや」とやけたように返してきたが、修理待ちで話すうち、持病の気管支が良くない、商いにならない、体力がいうこと効かない、親戚が心配している…などと、複雑な心の内をポツリポツリと。

 店内に茶ばんだ賞状が二枚ある。一つは労働大臣の1級技能検定合格証書。もう一枚は京都府技能競技会で1位の賞状。二枚とも昭和42年春とある。鳥居さんのこと、何も知らないが、輝いた賞状の時から、その人生は山あり谷ありだったろうと思う。地域に生きた時計修理一筋の職人さんが間もなく舞台から降りる。その瞬間、ご苦労さんと、心の花束を贈りたい。

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2006年10月25日 (水)

 近所の散髪屋さん

 昨日、30Img_0021年来通う近所の「ヘアサロン ピノキオ」へ行った。昔で言う床屋さん、散髪屋さんだ。それが、理容・美容店になり、今は、ヘアサロンという。料金は顔そり、洗髪含め、3500円である。大得意でも、髪が少なくても、料金一律???、これ如何にーと思うが、まあ仕方ない。髪の多寡、こちらの都合だし…。

 散髪屋さんは散髪屋さんで、悩みがある。二代目の若い店主曰く。これまで1カ月1度のお客さんの散髪サイクルが延びて、それに加えて、洗髪なし10分千円の大手格安チエーン店が増えてきて、客が減って来たと。散髪屋さんは腕1本、リピータ率一番のいい商いと思っていたが、今時はそうでもないらしい。

 そういえば、この店もこのごろは何時行っても「ハイどうぞ」である。昔は待つこと1時間はざらで、年末などは予約入れてーであった。若い店主も「お父さんの頃、一番でした。引き継いだ時、もう悪くなっていて…」と、どこか達観したような。値上げもままならず、一見客の少なくーとかで、町の散髪屋さん、この先、どこへーである。

 

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2006年10月24日 (火)

これぞノンフィクション

Img_0004  いや、舌を巻いた。講談社文庫から出ている「イサム・ノグチ 宿命の越境者」を読んで、著者ドウス昌代の取材力に驚いた。事実が一つ一つ、丁寧に積み上げられて、彫刻家イサム・ノグチの88年の生涯が丸裸になっている。

 あとがき読んで、改めて、気の遠くなる取材を思った。取材協力者は日本、海外で300人近い。文中の佐野藤右衛門、山口淑子らが並ぶ。アメリカ司法省FBIファイルなど紐解いた文献、資料もずらり出ている。「イサム・ノグチへの旅はノグチが人生の各節目で出会った人々を世界各地に訪ねる旅ともなった」と書いているが、刊行まで8年の、長い道のりに驚嘆する。

 文章に飾りはない。ありのまま、見たまま、話したままーである。事実を確実に捉えた迫力…、引き込まれるように読める。日本人の父、アメリカ人の母への思い、彫刻家への数奇な人との出会いと道筋、混血者としての苦悩、当時の日米時代背景など、上巻480頁、下巻450頁は、これぞノンフィクションを思わす名著と思う。

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2006年10月23日 (月)

 近くて遠い楊梅の滝

 Img_0028 あれは、言い得て妙だった。昨日、腰屈めて畑にいたお婆さんに楊梅の滝までの距離聞いたら「そうじゃのう。近いようで、遠いかのう…」と。変な答えと思ったが、行って見て、まさに、、まさに…近くて、遠かった。婆ちゃんに敬礼である。

 楊梅の滝はJR湖西線北小松駅から2キロ。リュック背負い、滝に向かって、歩く。婆ちゃん言うとおり、距離はそうでもないが、行けば行くほど坂道は険しくなる。最初の雌滝まではまあまあも、雄滝まではきつかった。岩道の急勾配、一歩一歩、休み休みで、駅から1時間以上、かかった。

 しんどかった分、余計に滝に見とれた。雌滝は落差15㍍、雄滝は40㍍。ザア、ザアと白い筋を引いて、180度の崖を真っすぐ流れ落ちる。楊梅の名は13代将軍足利義輝が名づけたらしいが、そんなことより、理屈抜きで、ただ、見ているがいい。帰り、あの婆ちゃんはまだいた。「ホント、近くて、遠かったよ」と声かけた。「そうじゃったろう」と返ってきて、満足そうだった。

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2006年10月22日 (日)

夢のまた夢

 山科の毘沙Img_0011_2門堂には「夢」がある。この夢、庫裏の玄関衝立にある。優しく、柔らかい夢のような夢である。そんな夢見たさに昨日午後、JR山科駅から歩いて10分、一字文字の「夢」を見てきた。

 桜咲く春、紅葉の秋…行くたびに夢は見ている。ご門主だった梅山圓了さん、85歳の書である。昨日はもっと夢知りたくて、志納金500円でお堂に上がった。拝観案内の藍法衣のお坊さんに「あの夢の意味は…」と問いかけた。「さあねえ。ご自分の夢みて書かれたのでは…、意味は? ネエッ?」と、お堂襖絵のトンチ絵が如く、回答も洒落たようで洒落てネエッ。

 夢の意味、筆者にお聞きするしかないが、圓了さんはとっくに鬼籍の人に。それでも、毘沙門堂門主から何年か経って、天台宗座主のお就きになった。20年間、座主の山田恵諦さんが亡くなって、ようやく…、いや違う、やっと…、いやいや、そのあと…。お座主が夢ーというのは凡人発想だが、おめでたいことではあった。今の森川宏映門主も、なぜかまた、夢を書かれている。夢の夢は正夢?

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2006年10月21日 (土)

 鼻の頭ツルツル

 昨日Img_0003_1、通りがかりに猪の鼻を撫でてきた。猪の名は「ボルチェリーノ」と言う。河原町御池東北角、地下鉄に通じるところにある。イタリア・フィレンツェから来た複製のブロンズ像で、鼻の頭をさすると、幸運が来ると書いてある。それならと、一度、二度…もう一度と、欲張って三度もこすってきた。

 京都市は鼻の都、いや違った花の都、フィレンツェと姉妹都市だから、その縁で置いてあるのかなあと思ったが、同じ複製は東京駅地下構内にも、三ノ宮にも…、わりに全国あちこちにあって、鼻の頭は我が頭を思うと、あまり表現したくないが、どれもこれもツルツルのようである。

 この猪誕生は、如何にも古い。1639年というから17世紀前半、ルネッサンス全盛の頃である。制作者はピエトロ・タッカ。あの、ダビンチ、ミケランジェロらと肩を並べた有名な彫刻家らしい。時は21世紀に移り、来年は亥年を迎える。触って、さすって、撫でて撫でて、幸運な年にーである。

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2006年10月20日 (金)

美し松、今ここに

Img_0003  妙な松があったものだ。根元から1メートルで、幹が四つになっている。枝分かれならわかるが、何と幹分かれ。世の中、別れ方も色々だが、この松は別れようが美しい。枝が扇状に張って、まるで孔雀が羽を広げたようになっている。

 この松、見たとおり美し松と言い、昨日の朝一番、名神高速上り線の菩提寺PAで出会った。高さ7、8メートルで、柵で囲った土盛りの上に立っていた。説明板では、アカマツの変種で、この地方特有の土質のせいらしく、昭和37年の高速道路建設のおり、地元協力で若木3本を移植して育てたら、この1本だけが育ったーと書いてあった。

 本籍地は今は湖南市甲西町だが、昔の東海道の石部宿近くで、平松という山に自生している。街道筋からも良く見えたらしく、合羽からげて三度笠の旅人が「おお美しいや」と感嘆したとかで、歌川広重の浮世絵にも描かれたらしい。それこそ「ここだけよ」で、大正10年3月に国の天然記念物になっている。土地土地に名勝名跡ありだが、近江の美し松の伝承、今ここにーなり。

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2006年10月18日 (水)

 豚カツで茶漬け

 ジュジュッImg_0018ーすずやの豚カツは音を出す。触るとアッチチィの南部鉄の鉄板にサイコロ状に切った四角い肉厚の豚カツが乗る。炒めたキャベツは薄い醤油味で、芯がしゃきっとしている。ご飯にお汁、それに高菜と大根、梅干の漬物もつく。これ、今夜、食べた好みの豚カツ茶漬けである。

 ふつう、豚カツ茶漬け、それ、何?と思う。店もそこは抜かりない。テーブルに漫画イラストの食べ方解説が置いている。最初は豚カツ味そのものを楽しみ、あと三切れあたりになって、お茶碗に豚カツ乗せて、熱いお茶を注ぎ込み、サラリサラリである。名古屋名物の、あの櫃まむしと一緒で、一回で二度、三度の食感楽しむ。解説が必要なほど難しくはないが、それでも、お茶漬けへ移行するタイミングは、悩む。

 このすずやさん、四条河原町の阪急百貨店8階レストラン街に店を出す。本店は食い倒れの大阪?と思って聞いたら、方向違いで新宿・歌舞伎町、それも創業昭和29年の老舗だった。名物となったこの豚カツ茶漬けは、もともと裏メニューだったらしい。賄いさんが冷たくなった豚カツを食べるのに熱いお茶かけて、食べたのが始まりとか。これぞ表裏一体???。

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2006年10月17日 (火)

 あいがわカンツリーにモノ申す

 Img_0011_1 名神高速茨木インターから10分あまりの「あいがわカンツリー倶楽部」へ行った。2000年以来、二年に一度来ており、今日で4度目なのだが、どうも相性がよくない。上って、下ってだが、そんなに距離はない。勿論、腕のことは十分承知しているが、これまで114、106、123ときて、「今日こそ」の今日も113、また、地団駄踏んだ。

 このコース、茨木、高槻の市境にあり、開場から38年で、大阪ではそれなりに知られているらしいが、ゴルフ場の名前は腑に落ちない。平仮名で「あいがわ」と言い、カタカナで「カンツリー」と呼ばす。なんで「あいがわ」で、どうして「カンツリー」なのっ。聞けば、安威川の「あいがわ」なのだそうだ。全国でカンツリー名のゴルフ場もあるけど、和製英語の「カントリー」でいいのに。八つ当たり? そうかも知れない。

 クラブハウスからの見晴らしは申し分ない。茨木市内が見渡せ、雲なく晴れると、はるか遠く生駒の山並みまで見えるとか。そんな、知る人ぞ知るの、味のあるコースも、今日一緒したメンバー会員によると、この4、5年のうちに住宅地に様変わり、その歴史に幕を閉じるのだそうだ。それまでにもう一度来て、100が切れれば、「あいがわ」で良し良しと言うのだけどなあ。勝手、そう勝手。 

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彦九郎さん、皇居はあちら

 Img_0010 あごを突き出し、大きく眼をむく。前に扇子、右に本刀を置き、京都御所に向かって伏し拝む。銅像の主は、群馬のお侍、高山彦九郎正之、その人である。三条京阪東南角の台座の上で、雨の日も、風の日も…ビル建って御所が見えなくなっても、姿勢は不変である。

 土下座始めたのは、何時ごろからなのか、気になって、昨日午後、繁々と見てきた。銅像の回りを1周、2周、3周…。上野のハチ公ならワンだが、こちらは首捻り、腕組み…である。要ははっきりした建立の記述がわからないのだ。「昭和3年11月に建ち、第二次大戦の金属供出で消え、戦後に立て直した」ーこれはネット情報で、像の周辺には、そのあたりの事情は出ていない。

 でも、まあ、ずっと座ったまま…であることは、京都人は知っている。優れた人物をさす寛政の3奇人の一人。群馬の人で、46歳で自刃するまで全国を旅して歩いた。京都には5度も来て、三条大橋に着くなり、いつも皇居望拝の土下座を行った。その皇居、お江戸に移って久しい。一度、台座をくるり回してみては、どうかなあ。

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2006年10月16日 (月)

恥ずかしながら二条城

 昨日昼、立Img_0017_3命館総長選で一票投じる。3時間の選挙拘束終わり、秋は透きとおる青さなり。足は軽く、思い立って世界遺産の二条城へ行く。立命の新しい学園本部(JR二条駅前)から歩くこと10分あまり。実はー、入城初めて。京都に住み60有余年、これ、大きな内緒で…。

 入場料600円払う。小旗持つガイドさん案内の観光客の列に混じって、城内へ入り、最初に国宝の二の丸。正直、徳川家代々の威容、そのスケールに驚く。何しろ部屋の数は33、そこに800畳あって、虎あり、桜ありの金箔障壁画は9000面と。家康が400年前に新築し、家光が増築し、慶喜が売り渡した歴史舞台。録音説明にナルホドと思い、うーんとうなずく。

 脱いだ靴また履いて、せっかくの600円。内堀にそって城内巡る。雷で焼け落ちた5層の天守閣跡から比叡山が見える。入洛する国賓に一服献上の清流園は、日本の庭園ベスト5とか。砂利道そろり歩いて、30分。椿、梅、桜、躑躅・・・四季を彩る花木、これまた多し。深まる秋、木々は日に日に色づく。また、そっと来るかな。

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2006年10月14日 (土)

虎図競演

 Img_0007_4 虎みたいで、猫みたいな虎…、いま、京近美で開催中の「若沖と江戸絵画展」で、そんな虎の絵が並んでいる。全部で8頭かな。描いたのは、若沖、芦雪、谷鵬ら江戸の絵師たち。我が虎こそ虎ーと言ったかどうか。まさにトラ、トラ、トラの絵図競演、見比べて、見て回って、面白かった。

 あの時代、絵師たちはホンモノの虎は見ていない。伝来物の虎の敷き皮、書物の図象などで、ああだ、こうだと、想像を膨らませて描いたそうだ。どの虎が今の虎と近似値か、そう思って見ると、一番は赤い舌ペロリ出す若沖の猛虎図だった。若沖は中国の絵師の作品に習って描いたー作品説明にあるから、やはり、と思う。南禅寺の襖絵の国宝・水呑み虎もそうだが、ほとんど、猫顔の虎、胴長の虎。イメージの虎、それはそれで味ありではある。 

 会場の作品解説にホンモノ虎の初来日の記述あった。1861年、見世物としてお目見えと。今から146年前、明治の初めである。時代経て、今、阪神タイガースは元気だが、中国、朝鮮などで生息していたホンモノ虎は、絶滅の危機ありと。江戸の絵師さん、どう思うのだろう。

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 中華屋さんの看板娘

 Img_0006 向こう横町のタバコ屋の…♪♪♪…ではないが、「浜大津の中華屋の…」で、愛想のいい看板娘がいる。年は18、番茶も出花…ではないが、年は25、6の中国娘さん。名前は趙(チョウ)さん。お父さんの店「好香再来」を手伝っている。

 開店して半年足らず、安くて、味良くて、加えて、この看板娘。昨日昼、日替わり定食のやきそば食べながら「客、2倍になった?」と聞くと「ハア~イ。…もっと、もっと」と。「あんた目当てやね」と言うと「違います。おとうさんの料理美味しいから。お母さんも頑張ってるし、家族みんなです」と。この模範解答、いやその親思い、ぐっとくる。

 出身は山東省煙台で、今は一家4人の家族で大津市下坂本に住む。びわ湖は故郷の海とよく似ていて、とても住み安い…とかで、話かければ、何でも、明るく、ハキハキと、答えが返ってくる。ときおりつまる日本語も愛くるしい。マクド、吉野家…外食さんにも、可愛い娘さん多いけど、決まり決まったマニュアル応答。小さな店だが、ここは八宝菜ふうの、温ったか会話がある。

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2006年10月12日 (木)

あっぷアップ

 Img_0011上がった、上がった、ネットが上がった。画面睨んで、イチ、ニイ、サン…とクリックした。瞬時に上がった。ホームページづくり発意して3ヵ月かかって、やっとWebネットに繋がった。気持ちは長く、遠い遠い道のり?。画面見て一人で静かに拍手した。

 凧は風があれば揚がるけど、ネットは頭がないと上がらない。振り返って、ITは改めて頭次第と思う。大袈裟だが、苦悩、苦悶、イライラ。何度か、言うこと聞かないパソコン画面に、自分の頭、ポンポン叩いたが、結果は痛いだけだった。まあ、年のわりにIT心得あると、過信したのが、いけなかった。

 本屋行くと「3日間でゼロからOK」「ぜったいデキます」の題名に財布ゆるんだ。1冊、2冊…並べると7冊もある。誇大タイトルやーと腹がたつけど、理解できない頭が悪い…となればそれまで。ああ辛い。でも、今日ナゾが解けた。これまではあっぷ、あっぷだったが、これからは真のアップ発信である。

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ネクタイ考2題

 昨日、Img_0001_1 ネクタイ締めて、街に出かけた。昼時の四条通り、ショーウインドに、どうかなーと映す。退職で締めるの減ったけど、まあまあやーと。夜のNPO会議まで背筋伸ばして、街中歩いて、ネクタイ考二題。

 その1) 大丸5階の売り場。品は揃っていて、安くて7千円、平均は1万円だから、デパート値段はそう変わりはない。高いのはシャム猫デザインで、4万5千円する。なんやらフランスとあって、知らなかったが、かなり有名なブランドらしい。店員さん曰く。10万円のモノも売れると。ミラション、シャネル…どれもこれもブランド。なるほどと思うけど、西陣ネクタイないのは何でかな。輸入超過?。

 その2) 厚生年金受給者協会が主催する高齢者福祉講座。アバンティーホールに平均年齢70歳の方々200人が島原太夫さんの話を聞く。さて、ネクタイは何人かなと、会場見渡しす。探しても探しても…である。嗚呼。年金受給でネクタイは終焉なの?。我がネクタイ100本、お蔵入り?。そんなっ!。年金もらうけど、まだシャンとしてたい。格好よく年とりたいけど、2年先、3年先、同化不安。気持ちしっかりなり。

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2006年10月10日 (火)

 一番風呂

Img_0016  何でも一番は気持ちがいい。学業、仕事、スポーツ、金儲け…、どれをとっても、一番が一番いいけど、これは相手もあり、能力もいる。誰でも、何時でも出来る一番、それを一番風呂という。当たり外れなく、気持ちいい。

 今日、その一番風呂に入った。山科駅から東へ3百㍍、安祥寺川沿いにある銭湯「千鳥」。午後3時半、湯文字と富士山の暖簾をわけて、入浴代390円と貸しタオル20円払って、湯煙りの中へ。泡湯、電気湯、サウナ、それに普通の湯と水風呂。温泉であろうが、銭湯であろうが、湯は湯。ハハン、いい湯だなーである。

 千鳥湯は8月に初めて来て、二度目。一番風呂愛好者というのか、確かにあの時と同じおじさんが一人、二人…。長寿の秘訣なのかな。番台はこの前お姉さんでなく、おばあさんが座る。仕方なく聞く。「この銭湯、古いですなあ。何時ごろからですか」と。かえって来た答え。「はあ。10月から20円値上げでして…」「・・・」。

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2006年10月 9日 (月)

ブックオフの出会い

Img_0007_2  これ、掘り出し本と言うのかなあ。昨日夕、孫娘と一緒に行ったブックオフで、元京都教育大学長・蜂須賀弘久先生の著書を見つけた。タイトルは「南極からの出発ーわが人生の譜」とある。ブックオフ値段900円(定価1700円)。暫く立ち読みして、先生が懐かしく買った。

 今日、一気に読んだ。先生の講演は抱腹絶倒だったが、本は人生の示唆に富んでいた。人との出会いは愛する始まり、あ行の健康学、座右の銘は己を捨てて精進する捨我精進など、フムフムと思う。人生の転機となった南極越冬、ご両親のこと、奥さんとの出会い、学長のことなども淡々と書いてある。

 先生はどうされているのだろうか。この本は3年前の出版だが、昭和4年生まれとあり、今は77歳。神戸女短大学長退いて、思うことあってあらゆる公職を辞したとあるが、先生なりの引き際論の実践のようである。何時だったか、会社の管理職になった時、先生から「将棋の駒になったらあかん。指し手で行きなさい」の言葉思い出す。

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 大津祭りと遊亀さん

 大津祭りで小倉遊亀さんの装飾飾り見つけた。13基の、どの山だったか、確認しなかったけど、見送り飾りに富士山が描いてあった。あっ、遊亀さんの絵やーと思わず、山を追いかけた。デジカメで一枚、二枚。すそ野から頂上へ、雲を山の回りに巻きつけた大きくて、優しい富士山だった。

 遊亀さんは大津市出身の日本画家で、文化勲章受賞。逝かれて、もう7、8年かな。東京支社長時代、会社代表で鎌倉のお葬式に参列した。何より思い出すのは、回顧展に出た赤と白の薔薇。99歳?の遺作だったように思うが、あの赤に老いてなおの情熱と、あの白に純真さを思った。小品で、今も滋賀近美に常設展示されている。行くたびに観て、我がこころ顧みる。

 今日の見送り飾りの富士山は、幾つぐらいの作品なのか。あの赤とも、あの白とも違う。淡々とした優しさ、大きさかな。一年に一度の大津祭り、また一つ楽しみが増えたかな。Img_0017_2

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2006年10月 7日 (土)

 赤提灯太夫

 太夫さんが歩いた。そう、しゃなり、しゃなりと。高下駄?履いて、一歩の足を右に左に、くねらせる…。昼に自宅近くの清水焼団地で、毎年恒例の楽陶祭。今年は山科区誕生30周年記念で、特別に島原の太夫道中があった。

 主役の太夫さんは山科駅前の居酒屋で顔見知り。この7月、東京勤務時代の仲間の会で特別に喋ってもらった。そんな義理がけもあったが、デジカメ下げてワクワク気分で出かけた。童女(かむろ)と傘持ち従え、「内八文字」という太夫流の歩きよう。昔は一丁30分かけて練ったそうだが、今日は団地の百㍍を20分ぐらい、ノソリ、ノソリ。いや、間違った。しゃなり、しゃなり。

 この太夫、名前は司(つかさ)さんという。年齢は聞いたことないが、四捨五入すれば、もう50歳ぐらいかな。毎日のように赤提灯店に行くらしい。別嬪さんじゃないが、気取らず気さくだ。今日は真っ白ベタベタ、金糸銀糸の打ち掛け、かんざしキラキラ…、これぞ別人なり。お練は人の雑踏に囲まれるように進んで、雨降り出したころ「日本一!」の掛け声上がって、すまし顔に笑みこぼれ、夜な夜な素顔に、かな。Img_0027

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再び琳派

 高島屋のSekka(神坂雪佳)に心奪われ、琳派づいたというわけでないけど、今日は岡崎の細見美術館で開催の「江戸琳派 抱一・基一の粋」を見た。昨日の雪佳は京琳派、今日は江戸琳派である。リンパ、リンパ…いい響きだ。

 抱一・基一? ホウイチ、キイチねえ。入り口の解説文を一字一字追いかける。抱一はは酒井さんで、何でも37歳で大名身分を投げ打ち、仏門入りして絵師に。あのワッチワの吉原近くに庵を構え、どうも夜に昼にーだったようだが、その遊びがあってか、絵は風流で洒落ている。もう一人の基一は、鈴木さんで、抱一の高弟とある。

 会場で洛西CATVが展覧会紹介の録画撮影中。女性学芸員が立ち会っていたので、遠慮せずに聞いた。「抱一さんって、相当遊んだ人?」「遊んだ、ってものじゃないです」「入り浸り?」「ハイ、そうです」と。いや、羨ましか。でもまあ、後世に絵を残し、名を残し…何の文句もありません。立派です。才っていいなあ。Img_0007_1

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2006年10月 6日 (金)

 Sekka ? 知らなきゃあ

Sekkaの琳派? それ、何のことと思う。琳派は尾形光琳の流れを汲む琳派。リンパ腺のことでも、男の病(やまい)でもない。絵画、工芸、デザインのリンパである。

 京都高島屋で「京琳派 神坂雪佳展」が開催中。ポスターに横文字で「KAMISAKA Sekka」とあって、知らないと???かな。神坂さん、京都の人。洋洋筆者が1歳になった昭和17年の77歳まで生きた。光琳の世界こそ、日本美術の神髄と、アールヌーボ全盛の西洋文化に流されず、300年の琳派を継承してきた。

 光琳は弟の乾山ともども、あまりにも名高いが、雪佳作品は今の時代にぴたりと嵌る大胆さと繊細さがあって、ハッと眼を開かせる。展覧会の副題に「日本が知らなかった琳派の近代ー世界は見ていた!」とあるが、欧米では早くからブーム化していて、だから横文字のSekkaの方が通りがいいらしい。こんな人が京都にいたとは、恥ずかしながら知らなかった。いや恥ずかしい。Img_0001

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2006年10月 5日 (木)

祐ちゃん国体

 変な現象が起こるものだ。甲子園の、あの青いハンカチ。兵庫県で開催中の国体で、ハンカチ王子が出るたびに大騒動なのだ。昨日はまた筋書きどおりというか、早実と駒大苫小牧の甲子園決勝再現。ファンだけでなく、マスコミまで一緒に悪乗りして、大仰な報道である。新聞1面、TVワイドショー、いやいやである。

 国体は全国をクルクル回る。今年で61回目だが、お金はかかるが、世界を羽ばたくような有名選手は出ず、人気はさっぱり。地方財政ひっぱくの開催県も、重い腰の日体協に注文つけて、今年は夏と秋の1本化開催になった。それでも、震災お礼国体、経費節減の改革国体が話題になるだけで、イベントの存在感が薄かったが、それを祐ちゃんが救った。

 今年の国体は、兵庫県の県花から「のじぎく国体」って言うそうだ。開催県のスポーツ関係者は知っているけど、全国的にはまるで知られていない。国体はもう水泳もサッカーも終わって、これから陸上競技が始まるようだが、祐ちゃんフィーバーなかったら国体開催そのもがわからなかったかも。祐ちゃんの青いハンカチ一枚で、こんなに燃えて、認知度まで上がったんだからお礼に「祐ちゃん国体」か「青いハンカチ国体」とでもするのは、どうだろう。

 

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2006年10月 4日 (水)

外食チェーン、何で行く。

 好んでーではないが、たまに外食チェーンに行く。牛丼の吉野家さん、すき家さん、なか卯さん、松屋さん…、何処へも一度は入った。何で?と聞かれば、どんなんか知りたいからーである。行けば行くで、まあ面白い。

 今日は河原町五条北東角のなか卯さん。これまでも何度か入っているが、リニュアル開店してから初めて。午後7時半ごろ、一人で入店した。薄汚なかった店が、えらく綺麗になっている。いつもは口頭でコーヒー注文だったが、今日は真新しい自販機で、肉丼並390円、野菜サラダ100円、なめこ味噌汁100円の食券を買った。

 食券をカウンターに出す。若いお姉さんが「オーダーです。・・・・・・・」と、調理場の、これまた若いお姉さんに声をかける。「・・・・・・・」は何を言ってるか、まるでわからない。早口言葉の極致?か。待つこと1分。サラダは冷凍ケースから出す。牛丼は炊飯器からご飯を丼に入れ、肉乗せて、味噌汁は鍋から掬いとる。流れるような手さばき。所要時間1分、いや50秒くらいかもしれない。客との受け答え、つくり方、出し方…みんなマニュアルどおりだけど、合理化を思い、熟練度を思う。

 お客さんがまた、入れ替わり立ち代りである。この時間、こんな外れの場所にと思うが、若い人も、年配の人も入ってくる。男の一人客が多いけど、べらべら喋る年配男女の2人客もいたし、若い女性の4人組も入ってきた。女性の1人客は、店の新聞読みながら食べている。味は値段並みだが、何で行くのかと言うと、一にも二にも気安さ。それと、手っ取り早さかな。

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2006年10月 3日 (火)

平日ゴルフ

 瀬田ゴルフコースへ行った。今日は火曜、平日である。朝の出勤時、京都市内へ向かう西行きの車線は渋滞の列が伸びている。こちらは滋賀行き車線、スイスイ走るが、働かない後ろめたさ思う。でも、41年頑張っての退職、今や年金生活に入って、安さ求めての平日ゴルフーと勝手に申し開きする。

 それが、ゴルフ場に着くと、どうも違う。一週間前の、多羅尾の時もそうだったが、今日の瀬田も大入りなのだ。1万2千円で参加費、昼食、お土産、賞品付きのサントリーカップに100人も参加していた。年金組以上に、働き盛りの中年が多い。若い人に女性も目立つ。日銀の景気短観は好況判断が続き、世評は実感なしと言うが、この賑わいは、やはり景気は良いのかーとも思ってしまう。

 それまで仕事絡みでは滅多になかった平日ゴルフ。年金暮らしになって、一気に増えた。いつも罪の意識みたいなものを感じているが、現実はこちらの気持ちに反してである。ゴルフ場側は平日の集客が大事だからあの手この手を考えるのだろうが、年金組はもう少し、安くて、のんびりプレーを楽しみたい。贅沢な思いかな。

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2006年10月 2日 (月)

これで千円?

 京都市下京区の高倉通仏光寺上ルに「しまや庵」という料理屋さんがある。京都風のウナギの寝床で、店の玄関は狭いが、奥へ奥へーである。1階は10人ほど座れるカウンターと6人部屋、2階の部屋は20人は入れる。昼に夜に営業している。

 大将はまだ40そこそこ。京都の老舗料理店で修行して、横浜・戸塚で店を構えたが、家庭事情もあって、5年前からここで店を始めた。料理は凝っている。見た目の美しさに味が合っている。河豚が最も得意らしいが、季節季節に旬の料理を出す。

 今日、買い物ついでに昼に寄った。刺身が出て、炊いた鯛が出て、トンカツが出て、惣菜があって、フルーツがあって、コーヒーも出る。これで千円である。量はたくさんではないが、一日30品目はここだけで十分である。

 「大将、安いなあ」というと「はあ、昼に特色出して、夜の客呼びませんと」と、気を許していることもあって、正直な回答である。最近、京都新聞に加え、産経新聞、読売新聞のマスコミ客も増え、ちかく読売TVが取材に来るとか。喋りは相変わらずぶっきらぼうだが、商いには熱心である。一度、お出かけを。間違いなく、千円は安い。

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癒しの植物園

 あの花、この花、どんな花?。植物園は行けば行くほど、面白い。四季折々、いや、一月一月、いやいや日一日で新しい。太陽サンサンの日、雨シトシトの日、草花も木々も、自然の中で表情を変える。

 昨日朝、地下鉄乗り継いで京都北山の府立植物園へ。今年に入って、毎月出かけている。園内をゆっくり回りながらデジカメで花を写す。昨日ははし切れ紙に花の名前を書き、どんな花か、メモもとった。これまでより観察力が増す。

 北山入り口近くにある麦藁帽と少女の像の回りは真っ赤なサルビアが咲く。像の作者は宮瀬富之さんで、平成5年制作。その向こうは青く清楚な朝顔が背丈より高くなったツルに巻きつく。宮瀬さんの像を真ん中に赤と青はいい格好のアングル。

 温室前のスイレン池、ゴイサギが蓮の上でじっとして、頭をクルッ、クルッと動かす。そおっと近寄って一枚二枚と撮ったところで、パッと飛び立った。名前のとおり、ひょろひょろ生きているようなヘビウリ。名前のかっこ良い黄色のランタナ、赤い薔薇のチンチン…、デジカメも紙切れのメモもたちまちいっぱいに。これぞ、穴場の楽しさかな。

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2006年10月 1日 (日)

紀貫之の墓、こんなところに?

 紀貫之の墓に出会った。ところは比叡山に上がる坂本ケーブルのもたて山駅で降りて、500メートル歩いたところ。明治元年建立の石碑があり、隣りに石仏がある。周りに貫之と縁の深い高知県南国市からお参りの記念柱などが立つ。木立の合間から琵琶湖が少し見えるが、杉、ナラなどに覆われた山の中である。

 兎も角、山深い。比叡山の行者さんの修行道で、誰もがお参りに来るようなところではない。どうして、こんな場所にーと思う。貫之は古今和歌集の撰者であり、あの有名な土佐日記を書いた。墓所にある年譜によると、872年生まれで、930年に土佐守、945年に木工権頭になって74歳まで生きた。

 比叡山との縁は、木材管理の責任者に任じられたかららしい。再三、山に登りそこから琵琶湖に美しさに心を奪われ、自ら墓の場所を遺言で決めたのかなーと思って、もう少し詳しくとネットで調べたら、貫之の墓は愛媛にも三重にもあるらしい。平安前期の歌人、女性を装っての紀行作家として後世に名を残した貫之、その墓は何処か、はるか千百年まで遡らないとナゾは解けない。

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