2018年11月16日 (金)

山県有朋の別荘「無鄰菴」

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庭の向こう、塀越しに東山三十六峰の一つが見える。角度から比叡山の隣あたりの山だろうか。庭を縫う小さな川は、琵琶湖疎水の取入れ。芝生に替わる苔は、いま50種という。母屋から眺める四季折々の景観、川音を聞き、庭石をたどる散策…、さすが名勝庭園と感じさす。

 

 明治の元勲、山県有朋が自ら考え、庭師・七代目小川治兵衛とともに作った別荘「無鄰菴」である。地下鉄東西線の蹴上駅を降り、南禅寺から動物園方向へ行って、料亭「瓢亭」の隣、表に名勝の石碑が立つ。「無鄰菴」は、隣近所に庵がない~の意味。山県は最初、故郷・長州につくり、次に鴨川そばの京都・木屋町二条に移し、ここが3代目の「無鄰菴」という。

 

 今は京都市が管理している。元老・山県、政友会総裁・伊藤博文、首相・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎がロシアとの開戦を協議した洋館がある。母屋、庭、藪之内流の茶室は通年公開だが、歴史に「無鄰菴会議」と言われる洋館はふだん非公開、この秋、特別公開になって、初めて入った。洋館2階、狩野派絵師の障壁画、格天井、テーブル、椅子…、写真撮影禁止だけど、114年前そのままである。非公開の公開で、日露戦争始まりへの歴史を見た。

 

 <追記> 山県有朋は柿が好きで無鄰菴の庭奥に1本、植わっていて、母屋の床の間には、成った柿が稲穂とともに飾ってあった。 ※ 無鄰菴は明治29年造営、昭和16年京都市譲渡、昭和26年国の名勝指定。

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2018年11月15日 (木)

近江商人発祥、五個荘を歩く

 

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山の中、大黒さんのニコやかなお顔。お薬師さんは微笑。神社参道の灯篭は絵画の遠近法みたいに本殿へ向かって並ぶ。大きな石灯篭は積み重ねの妙がある。苔むした道と階段、鴨と鯉が泳ぐ清水…。歩いて撮った写真の一枚一枚、あの時の光景がパソコンで甦ってくる。

 

 東近江市五個荘、近江商人発祥の町である。季刊誌「湖国と文化」の連載<ぶらり近江はっけん伝>取材。西国32番札所、観音正寺がある繖(きぬがさ)山の山腹に「紅葉公園」。地元の近江商人が100年前、私財を投じて、自然を生かしてつくったという。町の中心、金堂から外れた川並にある。観光マップ見ながら歩いて、道筋での近江はっけん伝だった。

 

本堂前の松が見事な福応寺。伝言板はチョーク絵の象と鼠を測りにかけて「命の重さは変わらない」。観音正寺へ登山道わきの結神社は静寂。人は見ない。紅葉公園へ10分。イノシシ出没の看板、鳴り物携帯と~。小銭チャランで代用して、展望台。湖東平野と鈴鹿山脈、真下は新幹線。紅葉は早く、色づいた部分を撮る。降りて、麓の清い水を見て、石塚の中山道と国道8号が交わる地点に天秤棒の近江商人像あり…。あの日が写真とともに~である。

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2018年11月14日 (水)

龍馬写真の撮影現場は長崎

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坂本龍馬の写真と言えば、右手を懐にブーツを履いて、羽織袴で、視線はるか、遠くへ~だろうか。撮影は文久2年(1866)頃、長崎の上野撮影局、今でいうスタジオ。 龍馬32歳、京都近江屋で暗殺される1年前という。この龍馬写真、もう何度も何度も目にしている。

 

 写真を名刺代わりに~という龍馬、残っている写真は6枚という。懐手の写真は龍馬空港の高知・桂浜の銅像もこれをイメージしている。今や回転寿司「かっぱ」の京都・近江屋跡にも石碑とともに~この写真がある。長崎3泊4日、初日の大村へ行って、懇親会場「お料理茶寮・きぶん」の大広間にも飾ってあった。縦長の額入り写真、龍馬の詠んだ歌が添えてある。

 

 「人の世に道は一つではない。道は百も千も万もある」。薩長同盟立役者の肩書付き。長崎滞在3日目、市電新大工町降り、龍馬の「亀山社中」跡へ。道筋の川の傍に龍馬写真の撮影現場・上野撮影局跡があった。当時のカメラ、龍馬写真にある肘掛台…、龍馬再現写真どうぞ~と。夫婦連れ、奥さんが龍馬スタイルの御主人写真撮り。龍馬写真から152年、新龍馬誕生?。亀山社中記念館、龍馬の羽織、ブーツ再現…、長崎は龍馬再びの日々でもあった。

 

 上野撮影局は上野彦馬がオランダ人らに写真技術を習い、長崎市浜町で1862年に開業、高杉晋作、オランダ人グラバーなど写真撮り。龍馬の写真はこの撮影局で、上野の弟子、土佐藩の井上俊三が撮影したらしい。上野彦馬は西南戦争の報道写真も。

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2018年11月13日 (火)

獅子吠え、子女舞い、ペーロン覇者、眼鏡橋、龍馬

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ウオッツ、ウオッツ~何度、吠えるのか?今年1月、新築開庁した長崎県庁前にある「獅子吠えの像」。牙をむいて、大きく口を開いて、百獣の王らしい彫刻である。長崎県出身、日本の彫刻の父、北村西望さんが百歳慶賀で寄贈という。吠えた回数は獅子、16回かな~。

 

 北村さん、明治17年生まれ、102歳まで生きた。長崎原爆の爆心地、高さ9㍍もの平和祈念の像は北村さんが制作した。文化勲章を受賞、長崎県名誉県民。長崎へ行って2日目、ホテル朝食前に長崎港を見にでかけ、港に県庁と獅子像だった。眼鏡橋近くの長崎市民会館前にも北村さん制作の像。歌あり、踊りあり、文化の複合施設、子女の舞姿の像という。

 

 旅すると、その町その町のメモリアル像に出会う。長崎駅前、市電乗り場への高架橋階段に「ペーロン覇者の像」。毎夏、長崎のペーロン競争思い出す。櫂を持つも舌はペロンと出ず?。眼鏡橋では、橋を完成させた中国江西省の黙子如定(もくしじょてい)の顕彰像。もう360年、黙して語らず?。亀山社中近く標高150㍍の風頭山で海を眺める龍馬像。「龍馬が行く」で、司馬遼は~長崎はわしの希望じゃ、やがて日本回天の足場になる~と語らせている。

 

 「ペーロン覇者の像」は田中久勝さん制作。眼鏡橋は黙子如定が寛永11年に完成させた。龍馬像は山崎和国さん制作。平成元年、龍馬像を建てる会が全国の有志に募金を呼び掛けた。

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2018年11月12日 (月)

海の国立公園、九十九島を見た

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 島また島…、遠くも近くも島また島…、大きくも小さくも島また島。ここは海の国立公園、長崎佐世保の九十九島である。あのトム・クルーズの米映画「ラストサムライ」冒頭シーン、ロケ地にもっとなった。誕生日が9月9日、縁を感じ、長崎へ来たからには~と見に行った。

 

 佐世保駅前の市営バス、一日乗車券500円で、九十九島動植物園前で降りて、石岳展望台まで歩いた。九十九島を見る八景の一つだけど、石岳は「ラストサムライ」撮影の絶景ポイント。トム・クルーズまた来る?しまった、しまった…島倉千代子?~と洒落て歩いて20分。見える、見える…島が見える。展望台360度、島また島を数えて、99以上ある。

 

 九十九は「たくさん」の意味、正式には佐世保港から北へ25㌔、平戸瀬戸まで連なる島々は208ある。島の密度では日本一という。マナヅル、ナベズルの北帰行も見える。♪~窓は夜露に濡れて~♪…小林旭も見たかな。秋晴れ、空の青と海の青が一つになって、島と島の間、クルーズ船が行く。また、トム・クルーズ。後ろの山は先が尖がった烏帽子岳…いい眺め。この春、九十九島は世界で美しい湾クラブ加盟、いや、素晴らしい。ワンダー!?。

 

 「世界で美しい湾クラブ」はフランスに本部があるNGO法人、世界26か国43の湾が加盟。日本では松島湾(宮城)富山湾(富山)駿河湾(静岡)伊根湾(京都・宮津)は既に入っている。 

 

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2018年11月11日 (日)

食は旅の思い出

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旅へ出ての食、3泊4日の長崎ではどうだったろう。朝昼晩、食前のデジカメ撮り、パソコンに取り込んだ写真で振り返ってみた。鯖の刺身、長崎うどん、鰯のハンバーガー、有頭海老の香草パン粉炒め、カレーライス…、長崎の食が甦る。以下は思い出のワン、ツー。

 

佐世保の夜は3日目、駅前のホテルを出た繁華街4ケ町。五島列島漁港直送の「さかな道場」。ここやここ!と入って、漁師小屋ふうのお店。お通しはコチの刺身。こちらへ来たら~なのかコチ。新鮮で◎。注文、そらあ、五島列島の鯖や。鯖の刺身、そうはない。寿司もある。穴子の一本揚げもある。座敷の広いテーブルにひとり、うまかったあ、良かったあ~。

 

帰りに五島列島の鯖?と確認したら~いいえ、五島近くの相浦漁港の養殖です~と。正直でいい。これも、思い出かな。長崎の昼、市内一の繁華街・浜町で路地奥の「すぎの」さん。~バランスのよい日替わり定食~の看板で入ったら~。鯖の天ぷら、キビナゴ南蛮漬け、ほうれん草胡麻和え、野菜サラダ、茎の吸い物、ご飯…、これぞ食のバランス、これで600円。店内狭くても家族的…。思案橋ラーメン休みのおかげ。行けるものならまた~である。旅の思い出は食にあり。

 

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2018年11月10日 (土)

佐世保港で朝焼けを見た

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何処から朝日は昇るのだろう。造船の街、軍港の街、ハンバーガーの街、潜伏キリシタン・世界遺産認定で観光の街…、長崎・佐世保へ初めて泊まって、その朝である。東経129度、北緯33度、海抜3・98㍍…、列島最西端駅の佐世保駅構内を通り抜けて、港へ出た。

 

 午前6時なのにまだ暗い。駅の北口入るおり、夜明け前の空に三日月が出ている。駅名と三日月、コラボ撮り。駅構内から港へ、信号のある道路を渡って1分。駅と港が隣りあっている。スタバの入る観光ビル、汽船乗り場、待合室…よく整備されている。船が入って来て、制服の高校生が降りて来た。平戸・津吉、相浦、五島、世界遺産の黒島など…航路がある。

 

 長崎へ来て、大村で1泊、長崎で1泊、佐世保で1泊である。大村で全国の仲間集う懇親会あり、元長崎新聞の知人から長崎は今、軍艦島と潜伏キリシタンの世界遺産2件認定で、ホテル一杯と聞いていた。佐世保は一人旅、直前のホテル予約は満室多く、やっと一室だった。港が明るくなってきた。朝日は見えないが、空が虹色に染まり出した。静かな港の海に赤い光が溶け込むよう。いい色、目に染みる。佐世保港、一期一会の朝焼け、早起きで見た。

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2018年11月 9日 (金)

長崎からシーサイドライナーで佐世保に着いた~

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♪~長崎から船に乗って…~♪でなくて、JRのシーサイドライナーに乗って、佐世保に着いた。ワンマン電車、止まって、止まって、2時間かかって、行った。駅で海側を確認して、左側座席に座った。どんな駅が?、海はどこから?…長崎駅午後4時始発、出発進行!。

 

ガタン、バタン…、2両編成だったかな。最初の駅は浦上、天主堂…、まだ長崎市内。朝から歩き回って2万歩、眠気が来る。うつら、うつら…で、次の駅は現川、うつつかわ。海はまだ見えない。刈り入れの田、山並み…、シーサイドはノーサイド?諫早、湾を開ける、開けない…まだ続く。大村、ボートレース発祥66年目、ナイター開設、売り上げ好調。

 

もう1時間は乗っている。諏訪、竹松、松原、千綿…、あっ!見えた、海や。世界が見える!それ、竜馬や。彼杵…どう読む。難しい。そのぎ…その気?で覚えんと。夕暮れが近い。JR再雇用の駅員さんがいる。海に夕陽が出たあ。眩しい!どこの海、それやあ、彼岸の西海。ハウステンボス駅…出来た頃、行ったなあ。大塔、日宇…終点・佐世保。日本最西端駅、ほでなく「ぼ」の、させぼ。佐世保バーガー、九十九島…、看板の出迎え。長崎から着いた。

 

 

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2018年11月 8日 (木)

世界とつながった出島復元

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江戸時代の長崎・出島の復元が進んでいる。鎖国日本、280年にわたり、世界と繋がった扇形、1500㎡の人口島である。長崎港へ流れる中島川にかかる表門が出来た。オランダ商館長・カピタンの部屋、料理部屋、砂糖倉庫も出来た。入園料510円、出島を学んだ。

 

 出島の歴史は寛永13年(1636)年に遡る。キリスト禁令で幕府が布教のポルトガル人を閉じ込めたのが始まり。その後、無人になったが、5年後に平戸のオランダ商館がここに移って来た。オランダが日本の大家さんに払う家賃は1年間で銅55貫、今のお金で1億円だったという。近くの丸山遊郭からは遊女も来た。8日間サイクルで滞在していたという。

 

ピーク時は48の部屋、復元は平成12年に始まって、3分の2は完成している。親元は文科省、県と市が管理。全体模型見て、復元のあの部屋、この部屋と見た。何しろ280年、建て物の塀も白壁、板、レンガと時代変遷、へえ~と思う。麻袋の砂糖はジャワ島から輸入の主力。砂糖はカステラに、遊女土産に…人気だったと。杉田玄白ら翻訳の蘭学事始め、シーボルトの植物採取標本と日本人妻の部屋…、窓口勉強、見学1時間、2時間…いつ出島?。

 

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2018年11月 7日 (水)

眼鏡橋と思案橋

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長崎へ来て、橋と言えば眼鏡橋、歌で付け加えて、思案橋のブルースである。どこにあるかな?と、JR長崎駅前の観光案内所へ行った。据え置きの見開きワイド版の長崎MAP、ともに市電の停留所がある。案内所に電車一日乗車券。500円で買って、乗って、行った。

 

一日乗車券は三つ折り、観光案内地図も載っている。長崎市内なら電車の乗り降り、一人で何処でも行けそう。駅から二つ目、市民会館前で降りた。ドコモのスマホ教室で習ったGPSマップで歩いて、眼鏡橋である。修学旅行生、外国の観光客…多い。半円の輪二つ、アーチ型石橋が川面に映り、眼鏡の如く~である。橋の端々、眼鏡にかなうか、写真を撮った。

 

晴れていても長崎は雨だった、京都から来ても長崎の人…、長崎を綴る曲目は、1700曲あるとか。その一つ思案橋ブルース。電停降りて、橋はどこと思案して、探してみたら、もう暗渠、銅板の碑に「思案橋跡」。歓楽街、飲食店が多い。電車道の向こう、思案橋ラーメンの看板。長崎の思い出にラーメン、いいね、いいね~と渡れば、本日おやすみ。ウインドウメニュー覗くと、古くて皿うどん、ばくだんラーメン…、長崎はちゃんぽん?だった。

 

 眼鏡橋は中国江西省の僧、黙子如定が江戸時代に長崎へ来てつくる。橋の傍に像がある。川は長崎港へ流れる中島川、明治になって正式に眼鏡橋と命名。 ※ 思案橋は1948年に暗渠になった。

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