2018年4月22日 (日)

銀座で銀座ライオン

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ここ!、ここ!…ここがええやん!と入ったのは、ビアホールの銀座ライオン。車体色変わりの創業90年メトロ、銀座線の銀座駅降り、ライオンの三越前で落ち合い、さあ、どこへ~と交差点を銀座4丁目から5丁目へ。昔は日産自動車展示のビル地下、ええやん!。

 

 地下を2階まで降りて、金曜夜でどうかな?だったけど、フロアは広い。さすが日本のビアホール始まり。真ん中に近いテーブル、宮崎県夫婦、香川県夫婦とともにフーフ、フーフと座る。コースターは星マーク一つ…、箱根駅伝スポンサーのサッポロビール。創業示すSINCEは1899…、今年で119年目…、古さ一番。ここは銀座、ギンザ、きんざあ!。

 

 ♪~二人だけのところを誰かにみられ…~♪は、黒沢明の「たそがれの銀座」。1丁目も二丁目も柳、三丁目でサロン、4丁目で彼氏、5丁目はフユ子、6丁目はナツ子、7丁目は酒場、新橋に近い8丁目はクラブ。今宵は2年前にリニューアルした5丁目の銀座ライオン。真ん中に手回しオルガン、人気はローストビーフ、注文はろうする?熊本産の玉葱天ぷら、玉葱サラダ…、玉手箱を開けたようなたまたまの出会い、そこは、銀座ライオン、うおっ!。

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2018年4月21日 (土)

国立西洋美術館の前庭で考える。

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ロダンと言えば、考える人…、考える人と言えば、ロダン。フランス、いや世界の近代彫刻の父である。77歳で亡くなって、昨年11月が没後100年。国立西洋美術館の前庭、地獄の門、カレーの市民など、代表作が並ぶ。そのロダンについて、考えてみた。

 

ロダン、ロダン…と、短く言うけど、正式なフルネームは、フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン。いや、長い。やはり、ロダンがいい。東京へ行って、上野の西郷どん像見て、公園を歩いて、プラド美術館のベラスケス展開催中の西洋美術館へ。館内は入らず、前庭散策でロダン作品を見て回った。京都近美にある同じロダンの考える人、ここでも同じように考えている。

 

フランス政府が認める原型鋳造のオリジナル作品の一つ。作品に「拡大作」の表示がある。なんで拡大作?と、考えた。そうか、ロダンはダンテの「神曲」を思って、何年もかかって制作の「地獄の門」の一番上に「考える人」を彫り込んでいる。ダンテの如く、或いはロダン自身の如く思索させている。拡大作は地獄門から取り出しての作品なのだ。「カレーの市民」「アダム」「イブ」見て、大きな「地獄の門」を見上げた。いた、いた!考えていた。

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2018年4月20日 (金)

建仁寺の法堂に咲く牡丹

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あっ!今年も咲いている。牡丹かな、芍薬かな…、立っても、座っても、美しい。歩く姿?、そりゃあ、百合の花。いずれが、アヤメかカキツバタ…、それは、わかんないけど、ここは、牡丹。淡いピンク、赤、清楚な白、黄色…、さて、どう撮る、どう撮る…、ドキドキする~。

 

 鎌倉時代の建仁2年(1202)に建ったので建仁寺。開山の栄西禅師、中国からお茶を持ち帰った禅寺である。京都市内へ出るのに東山の清水道でバスを降り、町ぶらで八坂通りを西へ、よく境内を抜ける。今日は暑い、しょうか!もう初夏なんや~と思った日の建仁寺である。本堂前の<はっとう>と読む法堂回り、牡丹の花が咲き乱れ、なんと美しいことか。

 

 法堂天井画は、小泉淳作画伯が描いたぎょろ眼の双龍図。法堂へ入ると、二つの龍が何処からでもこちらを見ている不思議さがある。法堂は、本堂から方丈へ、境内を横切ってだけど、何時から回りに牡丹が植わったのか、今が見ごろである。偶然、境内へ入って、予期せぬ出会いだった。デジカメ撮り、法堂を二回りした。禅宗建築の特徴、白壁にアーチ型の火灯窓と牡丹の対比がいい。ここで久々に一句。~禅寺に 牡丹見染めて はっとする~。

 

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2018年4月19日 (木)

東京の下町食堂

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山の手じゃないよ、下町だよっ!。「下町」…、この響き、性に合っているなあ。「庶民」と友達みたいで、どこか哀愁がある。偉そぶらず、気取らず…そのまま、ありのまま…かな。東京の練馬区、西武池袋線の中村橋駅降り「下町食堂中村橋」見つけて、すっと入った。

 

 暖簾、風呂敷を広げたみたい。「下町食堂」が目立つ。黒板メニュー見たら、鯵フライ定食490円。何と安い。自販機購入、千円札で500円硬貨の釣りが出る。チョッキン、チョッキン…貯金ができる。午後2時近いのに店内のテーブル、カウンター20席はいっぱい。フラダンスの女性肖像画がある壁前の席が一つ空いている。カバンを足下に置いて座った。

 

 ポスター展開催の練馬区立美術館へ、鑑賞する前の昼食である。白い割烹着のおじさん2人、忙しい。出てきた鯵フライは4つ。味噌汁はワカメ、ごはん、それに胡瓜のキュウチャンも。お隣のおじさん、東京スポーツ広げ、競馬欄に夢中。注文、590円のロースかつ定食か。向こうのテーブルは学生さん4人、みんな鯵フライ定食や。鯵の味?衣はこんがり、身は柔らかい。ご飯にキュウちゃんもいいねえ。下町、下町…、下町は飾らないよねえ~。

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2018年4月18日 (水)

上野公園の西郷どん像

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今更ながら~と言うか、NHK大河ドラマの今まさに~と言うか、東京・上野の西郷どんは、どん~としている。今から120年前、明治31年に建った西郷隆盛像である。西郷夫人の糸さんが除幕式で~うちの人はこんなんじゃなか~と叫んだ隆盛像、久々見に行った。

 

 見上げた銅像、大きい。どっしりしている。お腹出て、顔大きく、明治維新へ時代を拓いた目は飛び出るよう。連れ歩いた愛犬は薩摩犬。銅像の足元、小さく、可愛いい。ツンツンしていなのに名前はツン。糸夫人が~こんな人じゃなか~と言った意図、それは人前に出る時は正装で、浴衣姿じゃなか~ではと。顔が似ていないという意図ではなか~と言われる。

 

 井沢八郎歌った、ああ~上野駅、ずいぶん変わっても、今もどこか故郷の香りがする。京都から深夜バスで東京駅へ着いて、朝の通勤ラッシュの中、なぜか11両編成の山手線で、修学旅行を思い出す上野駅へ。いま、西郷どん、どんなかナ~と、京成上野駅側、アメ横側からかえるの噴水前を通り、階段を上がった。西郷像不変も、外国人観光客の維新ツアか、一組、二組…。銅像に隆盛の好きな言葉「敬天愛人」の文字。西郷遺訓、今も生きている。

 

 西郷隆盛(1827 - 1877)像は、明治31年(1898)の建立で、筒袖に兵児帯姿、わらじばきの像は高村光雲(1852 - 1934)の作。連れ添う犬は後藤貞行(1849または1850 - 1903)の作。除幕式には時の総理、山県有朋ら出席。

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2018年4月17日 (火)

橋悟のはしご、外されたことはない

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赤褐色の辛そうなスープ、レンゲでまず一口…、辛いかって?うん、辛い。辛いけど、これが喉ごしにピッタリくる。麺はどうかって?これが細麺で、コシがあってねえ~。またお越し?って、なるんや。それで、東京行くと、有楽町の店まで足が勝手にスイスイと伸びる。

 

 今年もそうやった。よう行くなあ?と言われそうやけど、夜行バスで東京駅着いて、開店すぐの午前11時すぎに入った。担々麺の「はしご」、漢字で「橋悟」。ずっとむかし、東京勤務時代から行っているけど、あの辛みの旨さ、はしご?まだ外されたことはない。ご飯いりますか?必ず聞かれて、必ず、はい~と答える。儀式やけど、白飯と漬物は、欠かせない。

 

 店に入ってすぐ、初めてL字型の長いカウンターの壁際席へ座った。突き当りの調理場、座っている客…、店の全体がよく見える。一度は座りたかった席、1番乗り効果である。メニュー表は全部で9種類。これまで色々注文したけど、やはり1番最初に書いてある800円のだんだん麺が良い。煮込んだチャーシュウ、美しい緑の野菜二つ。ちょい辛のスープ、細い麺にご飯…、レンゲで掬うスープ、だんだん?鉢の底まで見えて、そこまで飲むか?。

 

 店はJR山手線有楽町駅降りて、数寄屋橋から外堀通りーみゆき通りと行って、外国製に制服で話題になった泰明小学校から西へ100㍍。

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2018年4月16日 (月)

春の公開、京都御所の松を撮る

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あの松、この松…、みんな松…。京都御所春の特別公開で、いっぱい松を見た。松竹梅の松、不老長寿の松、神を待つ松…、築地塀から出る背の高い、回遊式庭園で灯篭、石と一緒の松…、どの松も手入れが行き届き、枝ぶりが格好いい。そんな松写真の数々、紹介しよう。

 

 京都御所は、明治天皇が東京へ移られるまでは、元弘元年(1331)に光厳天皇が即位されて以来、500年間、ずっと天皇のお住まい。築地塀に囲まれた敷地は、南北450㍍、東西250㍍と広い。諸太夫の間、建礼門、紫宸殿、清涼殿、小御所…、どの建物も古代以来の日本宮殿建築である。宮殿内の屏風見て、御内庭、御池庭を歩き、松の多いのに気づく。

 

 腕章付けた職員さんに松はどれくらい?と聞くと、600本と。さらに種類は?と聞くと、赤松、黒松、五葉松…、6種類くらいでしょうかと。赤松にマッタケは?と聞きたかったが、♪~わたし、待つは…いつまでも待つは~♪(唄・あみん)とは、行かない。松枯れ、松くい虫はない。一本、一本、庭師の手入れが素晴らしい。デジカメ、松や松…、ちょっと待ちやと、あの松、この松、みんな松…と撮り続けた松の枝写真、東北弁で~え~だ~かなあ。

 

 京都御所は宮内庁管理で、環境省管理の広大な京都御苑内にある。春秋の特別公開とは別に2年前から時間、人数を限って通常公開もしている。春の特別公開は4月8日で終わった。

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2018年4月15日 (日)

明石海峡大橋へ行く

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神戸の明石海峡、それはそれは潮の流れが速い。海峡泳いで渡った事例、英国のドーバー海峡などではあるが、明石海峡ではない。明石と言えば鯛に蛸。明石の蛸は速い潮の流れに8本足を踏ん張り、プランクトンを食べる。それで足が鍛えられ、立って走る?と言われる。

 

 NHKTV、1960年代の日本風土記で、そう放送された~と聞いたことがあるが、それをあかした人はいない。その明石海峡に長さ3.911㎡、世界一のつり橋・明石海峡大橋ができて、20年が経った。學ぶに游ぶの例会、神戸市垂水区舞子のマンション6階に住み、朝夕、橋をみて暮らす世話人・SYさん案内で、須磨浦公園から山陽電鉄経由で行った。

 

 雨と風、桜は散って、寒の戻りで寒い。SYさん、雨男を自認している。マンションから夕日鑑賞企画で訪問したおりも、待てど夕日は出ずだった。JRと隣接する舞子駅から対岸の淡路島岩屋へ続く海峡大橋、煙って見えた。高さ297㍍の主塔と主塔の間の長さは1.991㎡、文句なくギネスブック。展望ラウンジ8階へ。波立つ海峡が真下に見えました。真下で洒落ました。屋上がオレンジ色のSUさんのマンションも見えました。案内、感謝!。

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2018年4月14日 (土)

半世紀ぶりリニューアル、堂本印象美術館

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何処をどう見ても見飽きない~とはこのことだろうか。作品は勿論だけど、建物の外観も内側もである。文化勲章画家、堂本印象が自ら創造して造った美術館が51年ぶりにリニューアルオープンした。絹をかぶせたような衣笠山の麓、何度もだけど、改めてまた、行った。

 

 京都市バス、JRバスで立命館大学前。リニューアル記念展は「創造への挑戦」。大正8年(1919)28歳で描き、第1回帝展に入選した「深草」から最高裁判所会議室壁面の10㍍もの作品まで並ぶ。具象から抽象への変遷みて、建物である。昭和41年(1966)居宅隣に設立、平成3年(1991)作品と共に京都府へ寄贈、去年リノベーションへ。

 

 半世紀の垢が落ちて、白亜のようである。印象さん、欧州でみた宮殿、美術館を印象に独自の世界を創造している。壁面のデザイン、様々な線が凹凸で描かれ、よく見るとギリシャ神話の女性の顔もあり、色んな形の石も埋め込んである。館内入口、~この館は神仏や善意に充ちた多くの人の贈り物である」と印象さんが銘板に書き込む。室内の番号、取っ手、椅子…何から何まで、凝りに凝った印象さんの作品である。撮った写真、印象に残ったかなあ。

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2018年4月13日 (金)

須磨寺「源平の庭」は直実VS敦盛

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波打ち際、源氏の熊谷直実が扇を振って、平家の船へ向かう若武者・平敦盛に「返せ、返せ」。振り向いた平敦盛、それならと~と返して、一騎打ちの戦い。組み伏せた直実、首をかき切ろうと顔を見たら、わが子と同じ年頃の少年、腰に横笛…さあ、どうする、どうする~。

 

 時代はう~んと遡って、驕る平家は久しからず~で、平家は源氏に追われて、源平合戦、一の谷戦いの場面である。學ぶに游ぶの例会は、JR須磨駅集合で、源平ゆかりの古刹・須磨寺へ。海中から出現した聖観世音菩薩を本尊とする真言宗のお寺さん。正式には上野山福祥寺も、通称の須磨寺でないと、すまされない。駅から坂道歩き12分、境内は山へ山へ~。

 

 仁王門超え、長い参道を行き、高い本堂への階段上がる前に「源平の庭」。等身大の直実VS敦盛である。歴史再現、今、まさに~よく出来ている。子規、芭蕉らが一句寄せ、蕪村は~笛の音に 波もよりくる 須磨の秋~と、笛の名手・敦盛を詠んでいる。笛は宝物館に保存。直実が涙ながらにかき切った敦盛の首を祀る塚もある。お寺は敦盛菩提寺。「源平の庭」は散り行く桜、波はザザッと寄せる。後に直実は、すまぬ?すまぬ?~と出家した。

 

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