2017年11月23日 (木)

京都の町歩き紅葉撮り

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歩いて撮るか、撮って歩くか、気づいて撮るか~。晩秋入りの京都、いま町が赤い、黄色い。デジカメ持って、ぶらり、ぶらり。紅葉写真、パソコンに移し替え、う~ん、これがいいかな、いやいや、こっちかな~。気ままに歩いて、紅葉のデジカメ撮り、こうよ!?。

 

 季節の変わり目、よく行く府立植物園、まだ早いかな~と行ったら、どうして、どうして、赤い。デジカメ、いそいそ。急ぐことはないのに気持ちがいそいそ。ズーム一杯、真っ赤に撮った。どうや!。赤く染まった池、鴨が群れる。紅葉と池と鴨、ちょっと、いいショット?。園内にタンポポ一つ。春やない秋なのに綿帽子、冬空に飛ぶのか…。寒いよ、風邪ひくな!。

 

 京都御苑はイチョウの大木。落葉の始まり、見上げて、嗚呼、黄色い。イロハモミジ、赤ちゃんの手のごとく、夕日に眩い。サクラの枯れ葉、1枚、2枚、3枚のぶら下がり。冬へ一日一日。冬にも咲く子福サクラ、小さく満開。東山七条から東福寺歩き。特別展国宝の京博、紅葉見ごろの通天橋。どちらも人、人、人…。社寺と紅葉、南天と紅葉、プラタナスと秋晴れ…コラボ撮りもいいなあ。骨休め写真?いや箸休め、ススキの穂にほっとする?。

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2017年11月22日 (水)

夕日に立ち止まる町、伊予の双海

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夕暮れが迫ってきた。海は静か、凪いでいる。海に落ちる真っ赤な夕日、見えるかなあ。日本の夕陽百選の一つ、愛媛県伊予市双海町の道の駅「ふたみシーサイド公園」。伊予灘の海、島は少ない。海岸線は長い。♪~ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む~♪。夕日、どうかなあ。

 

 松山から八幡浜、行きと帰り、一日二度、ここへ来た。町のキャッチフレーズは「沈む夕日に立ち止まる町」。水平線に沈む夕日がどこからでも見えるという。観光カリスマ・若松進一さん。地元の漁師から役場の職員になり、夕日で町おこし企画を勧めた。道の駅、人口海浜、恋人岬、夕日観覧席、夕日ライブ、願い石…、夕日の美しい町「ふたみ」が世に出た。

 

 朝は九州へフェリーで戻る宮崎のHさん、松山のSさんとともに砂浜を恋人岬まで歩いた。赤とんぼイラストの碑、春分と秋分、真ん中の穴に夕日が入るそうな。道の駅、揚げたてじゃこ天、ホグホグ…うまかった。八幡浜市を巡り、下灘駅に寄り、再び来た。朝歩いた砂浜、もう一度…、平日の夕、人影はそうない。空が暮れなずんできた。薄い雲から光が射して、伊予灘を照らした。夕日の帯が海岸線へ…、ひとみ、ふたみ?…来た甲斐があった。

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2017年11月21日 (火)

「なかなか遺産」認定、海の見える下灘駅

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海岸線の向こうから待った電車が来た。銀色と水色のツートンカラー。写真撮りの鉄ちゃんらがカメラを構えた。JR予讃線、内子から松山へ、上り電車である。一両、一時間一本、単線。屋根一つのホーム、時間通りにガタン!と停まった。若者人気、海の見える下灘駅である。

 

 愛媛行2泊3日、松山在住のSさんも初めてという下灘駅、マイカーで行った。この予讃線、今は観光化して、別名で「愛ある伊予灘線」と言い、観光列車・伊予灘ものがたりも走る。下灘駅はその一つ。ホームの向こうは海が広がり、真下に海岸道路ができるまでは、日本で海に一番近い駅と言われた。青春18きっぷポスター、渥美清のとらさんもロケで来た。

 

 行った日の朝、下灘駅は民間団体の「なかなか遺産」に選ばれ、ホーム上で認証式、プレートの授与などがあったという。国内5番目。どこにもないユニークさ、地域との結びつき…などが選考対象とか。着いたのは夕方、上り電車来るまで20分、若者と一緒に待った。空き地にコスモス、移動売店は下灘珈琲…、ホームにJRラブラブべンチも。世界遺産、記憶遺産、日本遺産…新しく「なかなか遺産」、何を語る?のか、多すぎると、胃酸カタル!?。

 

 なかなか遺産は、東大・村松伸教授らが共同代表の「国際なかなか委員会」が選考。第1号は岩手県一関の旧達古袋の横に119㍍もある長い校舎。第2号は愛媛県内子町の映画館・森文旭館、第3号は広島県呉のYWCAの三角地の。第4号は静岡県袋井市の旧洋裁学校。第5号の下灘駅の認証式は2017年11月10日にあった。

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2017年11月20日 (月)

八幡浜の保内町は、演劇「日暮町風土記」の町

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愛媛の八幡浜にちょっと行きたい町があった。それ、どこよ?、なんよ(南予)。平成の合併で、八幡浜市入りした保内町。ほないに?行きたかった訳は、町並み保存の葛藤を描いた永井愛作「日暮町風土記」の舞台が保内町。劇団大阪の公演を鑑賞したので、行ってみたかった。

 

 なんよ?は九州の方言、それ、なんよ!のように言う。愛媛の南予は宇和島、八幡浜、大洲など南伊予地方。ほないに?は、どこの方言か、まあ、そないに~ほどの意味。ほないな訳(そんな訳)で、愛媛の知人マイカーに同乗、人口1万人余の南予・保内町へ。公演では江戸時代からの老舗の菓子店・大黒屋さん解体を巡って、町民の保存運動に愛ラブユーを絡ませて…だった。

 

保内町は愛媛県内で一番早く電気が灯り、かつて紡績、柑橘などで賑わった町。今も当時の町並みが残っているという。地元商工会で、まちなみMAPをもらい、歩いて回った。演劇の菓子屋はドラマ上だけだが、町には明治の建物がそのままに保存されていた。旧東洋紡の赤レンガ倉庫、紡績・鉱山で財を成した白石邸…、明治積みという赤レンガの小径、運河沿いを歩くと、ポコポコと音がする板敷の「もっきん(木琴)ろーど」…、今日は木曜?、金曜?。

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2017年11月19日 (日)

伊予の長浜に旅情あり

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行ってから調べるか、調べてから行くか~、知人マイカー案内もあって、行ってから調べた。愛媛県大洲市の伊予長浜。跳ね上がりの赤橋があって、龍馬脱藩の宿と港があって、一日2便の船に乗ると、人より猫の多い島へ行く。滋賀県湖北の長浜でない伊予長浜である。

 

松山から八幡浜へ行き、再び松山へ戻る道筋だった。行きに見た赤い橋、今度は車で渡り、車を停めた。「坂本龍馬、吉村寅太郎宿泊之地」の看板。今年は大政奉還150年、龍馬暗殺150年…、維新へ扉を開いた龍馬が土佐から峠を幾つも越え、ここまで来た。草鞋歩き龍馬脱藩の道ツアーが人気という。歴史の観光化、龍馬脱藩効果…いま、ここに~である。

 

長さ200㍍余の赤い橋は、長浜大橋。むかし、船を通すのにバネの如く開閉した。今は近代建築遺産の重文。観光向けに日曜に開閉、伍代夏子さんのメロディーが流れる。橋が架かる一級河川、肱川(ひじかわ)。初冬の頃、白い霧が竜のように沸き、町を包む。この自然現象「肱川あらし」という。発生初日あてクイズ、知人持参の愛媛新聞切り抜きで知った。駅員不在の伊予長浜駅、人口15人に猫100匹の青島…、伊予長浜に今どきの旅情がある。

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2017年11月18日 (土)

飛行原理を究めた二宮忠八の生誕地へ行く

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我らが、町の誇りは二宮忠八さん。ライト兄弟の12年前、世界に先駆け、動力飛行の実験に成功。吉村昭著の長編小説「虹の翼」に波乱の人生が描かれ、教科書にも載った。愛媛県八幡浜市生まれ。生誕地は市指定文化財、石碑が立つ。商店街には「忠八通り」の名が…。

 

国宝・石清水八幡宮がある京都の八幡市に飛行神社。そこは二宮忠八が人生71年の幕を閉じた自宅。航空事故の犠牲者を弔い、空の安全を願って建てた。八幡浜へ行くなら~と愛媛の知人紹介で、「虹の翼」を読み、京阪八幡市駅下車、飛行神社へも。社殿は鉄筋、鳥居はジュラルミン、お供えにゴルフボール、飛ぶように~の願い?、思いは一つ、空は一つ…。

 

八幡浜商店街に「青少年の科学の祭典、八幡浜大会」の横断幕。少年時代、変形凧を飛ばし、町の人を驚かせた忠八魂を思う。生家前の碑に~世界に先駆け飛行器を考案した人~の文字。近くの八幡神社には「幼い頃、遊び場境内」の碑。NTTの公衆電話は忠八BOX、その隣に~飛行の原理を究め、動力飛行に成功した飛行機の父、二宮忠八~の経歴と写真の案内板。八幡浜に生まれ、京都の八幡市に没し、名は忠八。八の重なり人生、パチパチパチ…。

 二宮忠八(1866-1936)明治24年、26歳で、ゴム動力による「模型飛行器」を製作。ライト兄弟飛行より12年前。のち、英国王立航空協会が忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示「世界に先駆け、飛行機の原理を発見した人物」と紹介する。大阪の薬剤会社で功を成す。

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2017年11月17日 (金)

八幡浜ちゃんぽん、振興条例あり、憲章あり

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松山から八幡浜へ、食べログをプリントしたマップを持って、どこ、どこ~と歩いて、聞いて、ここ!、ここ!と見つけた。店前に赤いノボリ、「創業昭和23年」の白い暖簾がかかっている。八幡浜ちゃんぽん発祥の店「丸山」である。引き戸を開け、ちゃんぽん!と入った。

 

 いや、びっくりする。八幡浜市は商工課にちゃんぽん担当、議会でちゃんぽん振興条例を議決、ちゃんぽん憲章もある市を挙げて、地元のソウルフード・八幡浜ちゃんぽん普及に力を入れる。憲章では、変わった素材、高級な食材は使わない。飾り立てのない素朴で実直な味を目指すという。発祥の店のメニュー見て、特製650円のちゃんぽんを注文した。

 

 マイカー案内人Sさんと一緒に出汁からすすった。日本一の長崎ちゃんぽんは豚骨ベースだけど、ここは鶏がら、昆布、鰹の出汁、あっさりしている。特製は具が多いから特製。木耳、蒲鉾、海老、豚肉、葱、白菜、もやし…確かにグー。店により具が十の天狗メニューも。市内50店舗のちゃんぽんマップ、フリーペーパーで「丸山」の女主人が母親から引き継いだ味を語る。ちゃんぽん、ちゃんぽん、八幡浜ちゃんぽん!、素朴な味、ここにあり!。

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2017年11月16日 (木)

魚は「ど~や」の「ど~や市場」

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うわっ~、宇和海産の天然鯛が1ケース1500円!。ピンク、ピンクして、艶々…、1尾が大きくて、3尾はいる。新鮮!、ええ眼してる。えっ!こっち、全部で700円やって。何尾いるかな?1、2、3…、20尾以上もいる。サヨリかな。これまた、やすいがな!。

 

四国は西の玄関口、愛媛県八幡浜の道の駅「ど~や市場」。仲買人が競り落とした魚を浜値で、さ~あ、ど~や、ど~や!と販売している。八幡浜は佐多岬半島の付け根。北にいよ、いよの伊予灘、西にうわっ~の宇和海、海の向こうは九州ですタイ。松山から海岸線を車で走り抜いて来た。丘陵地はミカン畑、秋の陽ざしで、丘が黄色い。魚とミカンの町である。

 

看板が「ど~や市場」、どや?と入った。ど~や丼が名物の「ど~や食堂」も。丼は、ど~やら海鮮丼。「ど~や市場」は誕生5年、16店舗が朝からど~や、ど~やと威勢がいい。八幡浜は西日本有数のトロール漁業の基地、売りの魚は多種多様。カツオ、ハマチ、カンパチ、ヒラメ、タチウオ…、高くないタコ、いかがとイカ。ホタテもサザエも、幸せそうなフグも。不漁のサンマ、ここは1尾100円健在…、安いよ、美味いよ、ど~や、ど~や!。

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2017年11月15日 (水)

伊予北条の居酒屋「勧商場」

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 たかが居酒屋、されど居酒屋…これでもか、これでもか~と情報が詰まっている。<かんしょうば>と読む居酒屋「勧商場」である。店名の由来は~勧んで商いをする場所~。むかし、従業員50人はいた木造3階建て百貨店、そのまま居酒屋の店名になっている。

 

 百貨店はオーナー名の富田から「富屋勧商場」で、居酒屋入口に扁額がある。いわゆるアクセスで言うと、店はJR伊予北条駅から徒歩5分。四国お遍路さんが行き来する道筋にある。この百貨店、実は今年が米寿の脚本家・早坂暁(あきら)さんの実家。桃井かおり主演のNHKTVドラマ「花へんろ」を書いた作家。吉永小百合の「夢千代日記」も同じ、早坂さん。

 

 店を出た所に「花へんろの町」の看板と石碑。松山行2日目の夜、ここの高台団地に住む知人ST夫妻の案内で行った。店の中、風早猛虎会の表示と六甲おろしの歌詞。なんで風早?むかし、この地域は愛媛県風早郡、その地名の名残り。店の名物は、大きな唐揚げ、すき焼きふう焼きそば。大阪から出てきて今のオーナー、メニュー考案の苦労を語る。案内のSさん夫妻、その日がキンコンカンの金婚式…、されど居酒屋、ここにあり。おめでとう!。

 

 早坂暁さん、1929年生まれ。本名は富田祥資(とみた・よしすけ)。日大芸術学部卒、業界紙編集長など経て脚本家。「花へんろ」のほか、「天下御免」なども。向田邦子賞など各賞。

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2017年11月14日 (火)

道後温泉ぶらり点描

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道後へ来た。日本書記に記載、日本最古の温泉へ来た。道前、道中、道後の道後へ来た。傷ついた鷺が毎日来て、元気になった伝説の温泉へ来た。道後へ、ようこそ、どうも!。平日でも賑わうドル箱の温泉。松山へ来たなら、後でも先でも道後。ぶらり、写真点描である。

 

 灯りが点いた。せり上がった。時計がくるっと回って、マドンナが出た。道後温泉本館建設100周年記念、本館を模した坊ちゃんカラクリ時計。30分に一度、人気、人気…人だかりが絶えない。人力車、坊ちゃん、入浴…クルリ、クルリ。隣は、からくり時計見上げての足湯、特等席かな。バット持つ野球命名の正岡子規像、若い。四季を通し松山を指揮?。

 

 浴衣の人そぞろ歩く商店街、見上げると「人間配達」の文字と子規イラスト絵。日本絵手紙協会会長、この道50年、愛媛県出身の小池邦夫さんの絵手紙。~子規は太陽、いつも生きる力を授けてくれる。私は手紙一筋。<只、ありのままに><今、今、今>~。愛媛と言えばミカン。お店の中にみかんの木。未完じゃないみかん。道後温泉、耐震改修で、その間の集客は別館「飛鳥乃湯」。あすか、きょうか~できょう入り、湯上り浴衣、湯かったあ~。

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